TOUR DE FORCE (PRESTIGE)

SONNY ROLLINS (1956/12/7)

TOUR DE FORCE


【パーソネル】

SONNY ROLLINS (ts) KENNY DREW (O) GEORGE MORROW (b) MAX ROACH (ds)
EARL COLEMAN (vo) <#2,5>

【収録曲】

EE-AH / B QUICK / TWO DIFFERENT WORLDS / B SWIFT / MY IDEAL
SONNY BOY
【解説】

 今日は“七夕”について考えてみたいと思います。ああ、思わぬ幸運が転がり込んでくること?…って、それは“タナボタ”ですね。“棚からぼた餅”の略でありますが、しかし、棚からぼた餅が落ちてくるのって、巷間思われているほど“思わぬ幸運”と言える出来事なんですかね?これがもし、空からぼた餅が降ってくるというのであれば確かにそれは意外な出来事であるし、思わぬ儲けものでもあるわけですが、日常的にそれほど頻繁に起こり得る事象であるわけではありません。ま、考えられるとすれば、ぼた餅屋が竜巻に襲われたとか、ぼた餅屋がガス爆発でふっ飛んだとか、そのようなぼた餅屋の不幸に起因するものである可能性が高く、となると、例え空からぼた餅が降ってきたからって自分本位に“思わぬ幸運”などと喜んでいる場合ではなく、ぼた餅屋にお見舞いとしてぼた餅のひとつやふたつを持っていくのが人としての道というものでありましょう。で、対する“棚からぼた餅”のほうでありますが、これは“思わぬ幸運”というより、むしろ“不幸への第一歩”なのではないか?…というのが僕の知り合いの県会議員の見解でありまして、この問題は一度議会でも取り上げてみることにするよ。…とその議員は言っておりましたが、この県会議員の見解を虚心坦懐に公正取引委員会に推し量ってみると、段階的に見てその展開は難解ではあるが瀬戸内海。…といったことであるように思われてなりません。要するに、その意見はもっともだ。…という気がするんですよね。

 えーと、では順番に検証してみましょう。この県会議員のケンちゃん(61歳)が言うには、まずぼた餅が棚の上にあったということに着目すべきだ。…ということでありまして、なるほど、ぼた餅が棚の上にあったということは、例えばそれがその家の主婦の良江(52歳)が近所のぼた餅屋で3個350円で買って来たものであるにしろ、近所のおばさんの貞子(49歳)が自分で作って持ってきてくれたものであったにしろ、良江(52歳)が自分の手で棚の上に乗せたものであろうことが推察されるわけであります。政治家の常として、言ってることが少々回りくどいのが難でありますが、ま、早い話が棚の上にぼた餅があったところで、それは“思わぬ幸運”でも何でもないぢゃん。…ということでありましょう。確かにそれが良江が近所の店で買ってきたものだとすれば、それはしかるべき金額(3個で350円)を支払った代価として得られたものであるし、貞子が作って持ってきてくれたものであれば、それを貰った時点では確かに“思わぬ幸運”と言えるかも知れませんが、実はそのぼた餅貞子が便所でウンコをして、そのまま手を洗わずに作成したものであるかも知れません。幸運ウンコは紙一重。…とは昔の人はうまく言ったもので、そのぼた餅ウンコとは便所紙1枚隔てただけの手で作られたものであるわけだよ。それが証拠に「幸運、幸運、こううん、コウウン、コーウンコーウン…ってずーっと言い続けていると、いつの間にか“ウンコー”になってるぢゃん!」と、その県会議員は力説するわけでありますが、いや、何とも下品でつまらんことを言う議員でありますな。今度の選挙ではケンちゃんにだけは入れるのやめよう。…と思わずにはいられませんが、ま、早い話が棚の上にぼた餅があったところで、それは“思わぬ幸運”でも何でもないぢゃん。…ということでありましょう。…って、いや、さっきから全然話が進んでないような気もするんですけどね。

 では続いて、そのぼた餅が棚から落ちると、どのような事態が引き起こされるのか?…という問題について考えてみましょう。これは簡単ですね。深く考えるまでもなく、棚の上から落ちたぼた餅は“ぼった〜ん”という重い音と共に地面に叩き付けられ、そして、“ぐじゃ”と潰れちゃうに違いありません。ま、たとえぼた餅が、“ぐじゃ”と潰れたところで食うぶんにはさほど支障がないような気もするんですが、運悪く、落ちた先に“ゴキブリの捕獲状況を確認するために屋根の部分を開いた状態で放置してあったゴキブリホイホイ”があったりすれば、事態は最悪です。まだゴキブリが1匹も捕獲されてない状態だったとすればラッキーなんですが、わざわざ屋根の部分を開いてまでゴキブリの捕獲状況を確認したということは“大漁の予感”があったわけです。手に持てば持ち重みがするし、横から覗けば黒い固まりが蠢いているし、で、屋根を開けてみれば案の定、粘着シートには隙間なくびっしりコキブリが付着しており、あまりの収穫に、「ま、とりあえずそのままにしておこう。」と思ってそのまま放置しておいたところに、棚からぼた餅。果たしてこれが“思わぬ幸運”と呼べるでありましょうか?しかし何ですな。“ゴキブリホイホイ”も昔のヤツのほうが風情がありましたな。ゴキホイ粘着シートタイプになって、堕落した。…というのは万人の認めるところでありますが、いや、今のヤングは知らないと思いますが、昔のゴキホイというのはチューブ式だったんですよね。チューブに入ったネトネト剤を自らの手でゴキホイの床部分に、ニチャ〜〜〜ッと塗りつける。…というシステムになっておりました。ま、確かに面倒と言えば面倒なんですがそれくらいの労力は、捕まえられるゴキブリに対しての最低限の仁義だと考えられていたわけです。またこのネトネト剤というのは、ニチャ〜〜〜ッと塗りつけているうちに必ず指のどこかに付着するのが常でありまして、その事によって僕たちはゴキブリの痛みを知ることが出来ました。ゴキホイに捕まったゴキブリは、このような苦しみを味わっていたのか。…ということを自ら体感することにより、僕たちは神の摂理に思いを馳せたわけであります。最近の若者が平気で暴力を振るったり、人を殺すようになったのは、ひとえにゴキホイ粘着シート式になったことに起因するものでありまして、じゃ、“蝿とり紙”はどうなんだ?アレは昔から粘着シート式だぞ?…と言われると僕の理論は根底ガら覆されることになっちゃうので、ま、この話はなかったことにしてと。

 “棚からぼた餅”というのは、むしろ不幸な状況である。…ということまでは納得して頂けたと思います。いや、それは違う。…と、まだ納得していない人もいるかも知れませんが、ではここでその意見にちょっと耳を傾けてみることにしましょう。自分の意見を一方的に押し付けるのではなく、例えそれが自分とは違った考えだったとしても、他人の意見を謙虚に聞く。それがオトナの態度というものだよね。…というわけではなく、このままでは1回分の原稿とするにはまだ分量が足らないので、もうちょっと引き伸ばしてみようと思うわけです。端から“七夕ねた”はどうでもいいと思っているので、何とかこのまま“@マーク”まで持ち込みたいと思うわけです。えーと、そもそも“棚からぼた餅”という諺を、“思わぬ幸運を得る”という意味に捉えた解釈自体が間違っている。…というのが反対論者の意見であります。例えば、「“棚からぼた餅”という諺は、“思わぬ幸運を得る”という意味で、あ・る?」という問題が『天才クイズ』で出されたとすれば、博士のお答えは、「そうではないっ!」である。…というわけですね。いや、例えがあまりにもローカルなので、おそらく大多数の読者には細かいニュアンスが伝わっていないものと思われますが、では正解は何かというと、“労なく利益を得ること”だと博士は主張するわけです。単なる“遠泳が得意なキャラ”の分際で、何をタワケたことを言っておるか。…という気もするんですが、“棚からぼた餅”というのはただ棚からぼた餅が落ちたということを意味するのではなく、そのぼた餅が下で大きな口を開けて寝ていたおっさんの口の中にスポっと入るという状態を意味しており、すなわち労なく利益を得ているぢゃないか。…というわけですね。なるほど、言われてみれば確かにそういうことなのかも知れません。僕が間違っておりました。

 とまあ、面倒なので適当なところで折れておきましたが、問題は“どうして棚の上からぼた餅が落ちてきたのか?”…ということにあるような気もします。ま、おそらく棚の立て付けが悪かったんでしょうな。所詮は良江の旦那の良夫(55歳)が“下手の横好き”の日曜大工で作った棚ですからね。しかしこの“下手の横好き”というのもよく考えると不思議な表現ですよね。どうして“縦好き”じゃなくて“横好き”なのか。…というところが今ひとつよくわかりません。これがもし、“ウマのバック好き♪”とかだったら心の底から納得できるんですが、いや、何も好きでこの体位でばかりやってるわけぢゃないんだ。…と、ウマ本人は言ってましたけどね。で、“良夫の棚問題”でありますが、これは何も棚を作った良夫だけにぼた餅落下の全責任があるわけではなく、「この棚には一切、モノを乗せてはいけない。」というダンナの言いつけをすっかり忘れて、棚の上にぼた餅を乗せてしまった良江のほうにも問題があるわけです、ま、元をただせばモノを乗せられないような棚を作った良夫のほうに全責任があるような気もするんですが、モノを乗せてはいけない棚にぼた餅を乗せてしまった良江の過失責任も全体の5%くらいは割り引いて考えるのが常識的な判断でありましょう。ま、“棚からぼた餅”という言葉を“労なく利益を得ること”と解釈すれば、良夫&良江夫妻の不器用さと迂闊さが結果として利益をもたらしたわけでありまして、ではいったい棚から落ちてきたぼた餅は誰が食べたのかというと、良江の浮気相手としてこの家に忍び込んでいた漁師の留蔵(53歳)なんだそうで。夫の留守中に良江を縄で縛ったりして頑張っているうちに、あまりにも激しく動きまわったもんだから、その振動で棚からぼた餅が落ちちゃったんだろうね。ちょうど騎乗位の最中だったから、僕の顔面を直撃したんだ。まさにこういうのを“漁夫の利”って言うんだろうね。がははははは。…と、留蔵はしみじみと述懐していたそうでありますが、まさか彼もそのぼた餅貞子のウンコ付きだったとは思いもよらなかったことでしょう。ああ、禍福はあざなえる縄の如し。あまり下腹部で縛ったりしちゃ、いかん。…というお話でした。おしまい。

 ということで今日はソニー・ロリンズでありますが、いやあ、何とか“@マーク”まで持ちこたえることが出来ましたな。最後のオチはかなり無理矢理でありまして、書いていて何だかどっと疲れが出ました。読んでいるほうもきっと辛かったことと思いますが、ま、“臥薪嘗胆”という言葉もあることだし、ここはひとつ耐え忍んでくださいね。薪に臥して、胆を嘗める。“”のほうはともかくとして、“”のほうは“レバ刺し好き”の人には、むしろ好ましい状況なんぢゃないか?…という気がしないでもありません。ま、僕はどのみち“レバー嫌い”なので、どうしようもないんですけどね。で、今回、途中でネタが尽きたら“ことわざの日米比較”というところまで話を持っていこうと思っていたんですが、例えば“棚からぼた餅”ということわざが、英語では“He thinks that roasted larks will fall into his mouth.”に相当する…みたいな。彼はこんがりと焼けたヒバリが彼の口の中に落ちてくることを思い描く。なるほど、確かに“タナボタ状態”ならぬ“タナヒバ状態”ですな。いや、“”という単語はどこにも使われておりませんが、“こんがりと焼けたヒバリ”というところがいかにも肉食人種らしい発想だと思います。日本人としては、焼いて食うなって!…と思ってしまいますけどね。ということでロリンズです。何だか前半ネタだけで疲れちゃった時にぴったりの1枚を紹介したいと思います。『トゥア・デ・フォース』。地味ですねー。プレスティッジ時代のロリンズの諸作の中で、最もソソられるものがない1枚。…と言っていいかも知れません。僕自身、こんなアルバムを所有していたことすらすっかり忘れておりましたが、ジャケットも地味ですなぁ。ま、ジャケ絵が書きやすそう。…という点では評価してもいいかも知れませんが、あまりにも訴えかけてくるものがなさ過ぎて、NASAに訴えるぞ!…とすら思ってしまいますよね。ま、NASAに訴えたところでどうなるもんでもないんですが、なせばなる、なさねばならぬ、何事も。…という言葉もありますからね。…って、いや、言ってる意味が今ひとつよくわかりませんね。ということで、『トゥア・デ・フォース』です。確かディジー・ガレスピーに同じ名前の曲があって、“離れ業”という意味である。…といった話を何かで読んだことがあるような気がするんですが、改めて“TOUR DE FORCE”を辞書で調べてみると、“大傑作”という訳語が書かれておりました。さすがはロリンズ、これほどソソられるものがないアルバムに大きな名前を付けたものでありますな。ちなみにこのアルバムにガレスピーの同名曲は入っておりませんが、その代わり、アール・コールマンという、まったくソソられるものがないオッサン系ボーカルが2曲でフィーチャーされております。ワケのわかんないボーカルなんか入れるから、世間から相手にされないんだってぇ。…と思わずにはいられませんね。

 で、この思いはプロデューサーのボブ・ワインストックも同様だったようで、このアルバムから歌入りの2曲を除去した3曲と、録音時間の関係でボツになっていたインスト物の「ソニー・ボーイ」、更には『ソニー・ロリンズ・プレイズ・フォー・バード』という、やはりあまりソソられるものがないアルバムからボツになっていた「ザ・ハウス・アイ・リヴ・イン」という曲を引っ張ってきて、『ソニー・ボーイ』という1枚のアルバムをでっち上げたりしております。で、それをオリジナルな編成に戻して、オマケ曲として「ソニー・ボーイ」を付加したのがこのCD盤『トゥア・デ・フォース』でありまして、いや、経緯を説明するだけで何だかどっと疲れちゃいましたな。ということで、今日の後半はざっと流しておきましょう。で、1曲目です。「イー・アー」です。ロリンズのオリジナルでありますが、何だか投げやりな曲名でありますな。どうせならもうちょっと考えた「ウー・エー」とか、「オー・アー」とか、「アー・ヘー」とか、「チー・マー」とか、「ケー・モー」とか、いや、今、事務所の中で“ISOの啓蒙教育”がどうのこうの…という話が出ておりましたので書いてみた次第でありますが、とにかくまあ、もうちょっと考えた名前にして欲しかったところでありますなぁ。が、しかし、「イー・アー」です。「イー・アー」でいいぢゃん。…とロリンズが納得してしまった以上、今さら他人がとやかく言う筋合いではありません。で、先ほど、ゴキブリホイホイのところで書くのを忘れておりましたが、昔の“ネトネト剤方式”の頃は今よりも粘着力が強かったですよね。そのため、ゴキブリの脚だけが取り残されていることがよくありました。必死で逃げようとした結果、あまりの粘着力に関節が耐え切れず、脚が抜けちゃったんでしょうね。ま、その結果、ゴキブリ本体のほうは無事に逃げおおせたわけでありまして、その強靭な精神力に敵ながらアッパレ、甘茶でカッポレ。…と目頭が熱くなったものでありますが、いや、わざわざ思い出してまで書くほどのネタでもなかったですね。

 で、「イー・アー」でありますが、何だかやたらと性急な感じのするナンバーですな。もう、ロリちゃんってば、そんなに慌てなくてもぉ。…という気がしないでもないんですが、この頃のロリンズはもう、出したくて出したくて、たまらない年頃…といった感じでありまして、いや、何をかというと無論、“”をなんですけどね。56年といえば、あの『サキ・コロ』を吹き込んだ彼の絶頂期でありまして、が、その後すぐにブラウニーが死んでしばらく落ち込んでいたわけでありますが、それから半年が経過して、その痛手からも立ち直ったのでありましょう。何だか、完全に吹っ切れちゃってますもんね。いやあ、期待度0%だっただけに、これほどまで凄まじい演奏が聴けるとは思ってもみませんでした。やはりロリンズは凄いですね。僕は幼い頃…と言っても、もう既に専門学校生になっておりましたが、その頃に『サキ・コロ』を聴いてさほどソソられるものを感じず、ロリンズ、大したことない。…という認識を持ったままオトナになってしまったんですが、最近になってようやくロリ好きである自分を認めることが出来るようになりました。で、この「イー・アー」を聴いて、やっぱロリンズはいいわー。…ということを再認識した次第でありますが、続くドリューのピアノ・ソロが何とも言えず爽やかでいいですね。何というか、ギトギト中華料理のあとのミックスフライ定食(←はんぺんフライ入り)といった感じでありまして、…って、余計にクドいやろ、そりゃ。ギトギト中華料理のあとのジャスミンティー。…みたいな例えのほうが適切だったかも知れませんが、演奏後半の聴きどころはロリンズとローチの掛け合いでありますな。2人の丁々発止のやり取りに、思わずミヤコ蝶々ハッシシを吸引した。…と言われておりますが、こんなしょうもない語呂合わせのために身に覚えのない麻薬疑惑の嫌疑をかけられたりして、ミヤコ蝶々もいい迷惑でありますなぁ。ということで、以上、ロリンズの豪放磊落にして肛門快楽な吹きっぷりを堪能出来る、とても素晴らしい1曲でありました。

 はい、次。「B・クイック」です。タイトルはロリンズの知人に因んだものらしいんですが、“馬鹿・クイック” とかの略なんすかね?あるいはちょっと捻って“馬糞ウニ・クイック”だったりするのかも知れませんが、いずれにせよ、さほど深く考えて付けられたタイトルとも思えませんね。ま、オリジナル曲のタイトルなんてものは他の曲と識別さえ出来ればいいわけでありまして、別にどうだっていいんですけどね。で、タイトル同様、曲作りのほうもテキトーでありまして、これといったテーマ・メロディのないアドリブだけの演奏となっております。もう、ちゃんとした曲を作るのも面倒なほど、ただひたすらやりたい年頃だったんでしょうかね?いや、何をかというと無論、“演奏”をなんですが、それだけに、のっけから壮絶なプレイが展開されております。しかしこの“のっけから”の“のっけ”って、いったい何なんでしょうね?“ホッケ”なら塩焼きにすればいいわけなんですが、よく考えたらよくわからん言葉ですよね。で、調べてみました。わかりました。“のっけ”の語源については、よくわからん。…ということがわかりました。それだけわかれば、僕の責任は果たせたことになりますので話を先に進めますが、この「馬鹿クイック」という曲、ロリンズのアドリブを聴いている限り、何気に「チェロキー」だったりしませんか?コード進行がそうなんぢゃないか?…という気がしないでもないんですが、もしそれが正解だとしたら、僕の耳もなかなか捨てたもんじゃありませんね。が、もしぜんぜん違っていたとしたら、僕の耳はただちに捨てちゃったほうがいいかも知れませんね。そうなった場合、僕は“耳なし法一”として余生を送っていこうと思っておりますが、ああ、週に1回は“ナマ”でやる方針?…って、それは“ゴムなし週イチ”ですね。…って、何だかよくわからないボケで行数を稼いでおいて、本題に戻りましょう。ロリンズのアドリブが壮絶である。…というところまで話が進んでいたと思いますが、超アップ・テンポで縦横無尽に吹きまくる様は、もう殿様キングスも真っ青って感じぃ?これはある意味、“サキ・コロ”よりも凄いかも知れませんね。先走りコロッケ、略して“サキ・コロ”。んなもん、別に凄くも何ともないですからね。で、普段は“趣味のよいファンキー”といったスタイルを貫いているケニー・ドリューもロリンズに触発されて、托鉢するわ、尺八するわで、もう大変なことになっております。『パリ北駅着、印象』あたりを聴いて、ドリューって素敵っ♪…と思ってしまったギャル系ファンなど、「こんなのドリューぢゃない。。。」と泣き出しちゃうに違いありません。悲しけりゃ、ここでお泣きよ、涙拭くハンカチもあるし〜♪…とその昔、シミケンも歌っておりましたが、貞子も、もうオトナなんだから、ドリューがちょっと変なピアノを弾いたくらいで、いちいち泣くんじゃねえ!…と思わずにはいられません。で、涙を拭いたあと、便所でウンコをして、手を洗わずにぼた餅の製作に取り掛かったものと思われますが、涙を拭くハンカチがあるなら、ウンコの後には手を洗って欲しかったものでありますなぁ。。。

 で、演奏の後半は例の如く、ロリンズとローチの掛け合いであります。途中、インディアン風のタイコがあったり、ロリンズが「チェロキー」の断片らしきものを吹きかけてすぐにヤメちゃう箇所があったりして、やっぱりこの曲、根は「チェロキー」のような気がするんですけどねぇ。もし、真相をご存知の方がおられましたら御一報のほど願いたく、で、3曲目です。「トゥ・ディファレント・ワールド」。“2つの異なる世界”ですか。それは恐らく、近鉄四日市駅前の「ベッ世界」のような世界ではないかと思われるわけでありますが、それまでの世界とはがらっとムードが変わって、これはアレです。『ジョン・コルトレーン・アンド・ジョニー・ハートマン』の世界です。アール・コールマンというのがいったいどんな人なのか、無知な僕はまったくよく知らんかったんですが、実に渋い声の持ち主のおじさん。…という感じでありました。もし僕が女だったら、声だけで惚れちゃうかも知れませんね。が、僕は男なので、別に惚れはしませんでしたけどね。ヘタに惚れて、「僕の“ASS”を掘れ。」みたいな事態になっても嫌ですしね。が、そのような事情を差し引けば、客観的に見て歌はうまいほうだと思います。“深い愛”を感じさせるボーカルに、寄り添うようなロリンズのテナー。発展場あたりでBGMに流したりするとムードが高まって、より一層“高い境地”にまで事態が発展するかも知れません。で、ロリンズの演奏は単なる歌伴にとどまらず、ちゃんとソロ・スペースだって用意されておりますので、当初感じていた「歌入りかぁ。。。」という懸念は、完全に払拭されたといってもよいでしょう。第一、2曲目までのペースで最後まで突っ走られたとしたら、ブッカー・アービンを聴いた後以上に、げんなりするだろうしー。で、4曲目です。「B・スウィフト」です。タイトルはロリンズの知人に因んだものらしいんですが、“馬鹿・スウィフト”とかの略なんすかね?あるいはちょっと捻って“馬糞ウニ・スウィフト”だったりするのかも知れませんが、いずれにせよ、さほど深く考えて付けられたタイトルとも思えませんね。で、タイトル同様、曲作りのほうもテキトーでありまして、これといったテーマ・メロディのないアドリブだけの演奏となっております。正直なところ、もうエエわぁ。…という気分になっちゃいますね。気合が入っているのはワカランでもないんですが、この手の演奏を聴かされる立場からすると、1日2曲までというのが妥当なセンではなかろうかと。こうなってくると、3曲目が歌入りのバラードだったというのが何ともありがたく思えてきますね。アレがあったおかげで僕は何とか「B・スウィフト」を最後まで聴くことに耐えられた次第でありますが、とにかくまあ、5曲目にまいりましょう。歌入りです。「マイ・アイデアル」です。かつて、「切なくて、ちょっぴり甘い、愛である。」という、まったく捻りのない俳句を詠んだような覚えがありますが、その発想は“何である?アイデアル洋傘”と、何ら変わるところがありませんよね。植木等に猛省を求める次第でありますが、アンタも反省しろって。…と、とりあえず自分にもツッコミを入れておきました。で、これはアレですね。『ジョン・コルトレーン・アンド・ジョニー・ハートマン』の世界ですね。おっさんボーカルとテナー・サックスって、意外と相性がいいぢゃん。…ということを再認識した次第でありますが、いやこの際、“B・なんとかシリーズ”でなければ、もう何だっていいんですけどね。

 で、ラストです。CDオマケ曲で、かつては“でっちあげアルバム”の表題曲にもなった「ソニー・ボーイ」です。タイトルは“坊や少年”といった意味かと思われますが、ショタコンの人には結構ソソられるものがあるかも知れませんね。が、個人的にはまったく興味のない世界でありますな。“お嬢ちゃん少女”とか、“ロリ系メイド”とか、“茄子系ナース”とかのほうがよっぽどいいですよね。で、聴いてみたら、「ソニー・ボーイ」ってこんな曲だっけ?…と思ってしまうような、個人的にはあまり馴染みのない曲でありましたが、ま、一応はテーマ・メロディがあるぶんだけ、“B・なんとかシリーズ”よりは遥かにマシではなかろうかと。「B・スウィフト」をボツにして、こっちを4曲目に入れて貰ったほうがよかったような気もします。いずれにせよ、ロリンズの奔放で梱包で割烹で月亭八方な急速調の演奏と、ハートフルな歌伴バラードの両極を堪能出来る作品として、狭くマニアの人だけが聴いていればいい1枚だと思います。

【総合評価】

 期待度0%で何気なく聴いてみて、演奏が始まった途端に「すげえぢゃん!」とコーフンし、一転してヴォーカル入りの曲では涙を流し、あまりの出来のよさに3回ほどブッ続けて聴いていたら、飽きた。そういった1枚です。


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