IN EUROPE,VOL.2 (PRESTIGE)

ERIC DOLPHY (1961/9/6)

IN EUROPE,VOL.2


【パーソネル】

ERIC DOLPHY (as,fl) BENT AXEN (p) ERIC MOSEHOLM (b) JORN ELNIFF (ds)
【収録曲】

DON'T BLAME ME
DON'T BLAME ME (alt take)
THE WAY YOU LOOK TONIGHT / MISS ANN /LAURA
【解説】

 サンドイッチはおいしいでよね。僕は好きです。少なくとも“サンドラ”よりは好きです。“サンドラ”というのは東海地方で日曜日に放送している“サンデー・ドラゴンズ”という番組のことなんですが、せっかくの日曜日にドラゴンズ番組なんか見たくないっちゅうに。…と思いますよね。だったら見なければいいのに。…と思われるかも知れませんが、だから僕は見てません。だから別にどうだっていいです。で、話をサンドイッチに戻しますが、一口にサンドイッチと言っても、色々な種類がありますよね。一口サンドイッチなんてのもありますが、アレはあまりよくありません、一口で食べれてしまうところがよくありません。一口で食べれるのがよくないって、一口で食べれるからこそ、一口サンドイッチなんぢゃん。…という意見もあろうかとは思いますが、だから一口サンドイッチというのは僕に言わせれば、その発想自体が間違っている。…ということになりますね。そこでまあ、今日は手始めに“一口サンドイッチは何故間違っているか?”という問題について考えてみたいと思いますが、もしかしたら世の中には「一口サンドイッチって、一口で食べれるからイイぢゃん。」と思っている人がいるかも知れませんので、そういう人はこれから先の話を読まないでくださいね。読んでも気分を害するだけだと思います。

 サンドイッチの魅力というのは“噛み切る”ところにあると思います。『葉隠』にも、サンドイッチとは、噛み切ることと見付けたり。…という一節がなかったように記憶しておりますが、もっちりした食感の食パンを噛み切る、サクッとした食感のレタスを噛み切る、噛み応え十分な厚切りボンレスハムを噛み切る、ソースがベチャベチャにかかったハムカツをハムハムと噛み切る。その時に僕は“サンドイッチを食べる楽しみ”をじっくりと噛みしめる思いがしますね。特に、噛み切れなかったレタスが一片(ひとひら)ズリ出して来て、2枚のパンの間からだらんと垂れ下がったりすると、いやがうえにも旅情は高まりますよね。旅情が高まるだけでなく、サンドイッチを噛み切ることによって、“唇がまみれる”という状態を楽しむことが出来るようになります。ソースがベチャベチャにかかったハムカツを噛み切れば、唇がベチャベチャのソースにまみれます。片面にマスタードを塗ったハムを噛み切れば、上唇か下唇のどちらかがカラシにまみれます。たまごサンドを噛み切れば、唇のどこかに卵の1つや2つくらいは付着します。この“食べ物の断片が付着した唇”、あるいは“ソースやカラシの類にまみれた唇”をねぶるのが、これまたオイシイんですよね。僕なんか、唇がトンカツソースにまみれていさえすれば、トンカツ本体なんか別になくてもいい!…とさえ思ってしまうほどなんですが、一口サンドイッチでは、到底この感触を味わうことは出来ません。指でつまんで、口の中へポイ。指でつまんで、口の中へポイ…で、唇が関与する余地がありませんよね。こんなことでは到底、“ソースとカラシにまみれた唇”を味わうことは出来ません。“ファーストキッスソース味”じゃなくてもいいのか?ええっ!?…と、僕は“一口サンドイッチ擁護派”を問い詰めたい気分でいっぱいですが、一口サンドイッチが好きな人って、もしかしたらアホなんじゃないですかね?

 …って、たかがサンドイッチの好みくらいで、そこまで言うことはないぢゃん。…と気分を害した人もいるかも知れませんが、だから読まないほうがいいって、あれだけ忠告してあげたのにぃ。で、“一口サンドイッチ擁護派”の名誉のために言っておきますが、無論、一口サンドイッチにだって、よいところはあります。まず第一に、一口で食べれちゃうところがいいです。噛み切らなくてもいい…というのは些細なことのように見えて、実はけっこう重要ですよね。噛み切らなくていいから、噛み切れなかったレタスの一片(ひとひら)がパンの間からだらんと垂れ下がっちゃうという、はしたない姿をさらさなくても済みます。噛み切らないから当然、唇がソースやカラシにまみれちゃうこともなく、「せっかくのファーストキッスが、ソース味だったのぉ。。。」という最悪の思いをする心配もありません。何と言っても一口サンドイッチというのは上品でいいですよね。僕だったらもし、長方形や三角形の“齧らなければならない下品なサンドイッチ”を出されたりしたら、ナイフで一口大に切ってから食べますね。

 ということで、シーチキンです。唐突ですが、シーチキンです。いつまでもどうでもいい“一口サンドイッチ”の話を書いていると、いつまでたってもシーチキンの話にならないので、やや強引とは思いますが、シーチキンです。前回、シーチキンの話を書こうとして、結局のところ“みたらし”と“日清焼きそば”の話題に終始してしまった、その反省を活かさなければなりません。いや、シーチキンだけで1回分の原稿は厳しいか?…と思って、敢えて脱線したのが功を奏したわけでありますが、今回は何とかシーチキンだけで1回分を凌がなければなりません。脱線しても“シーグルメ”まで。…という厳しい“縛り”を自らに科して頑張っていかねばなりませんが、僕はコドモの頃からシーチキンが好きでした。シーチキンは偉いですよね。何が偉いって、サンドイッチおにぎり手巻寿司という、コンビニ界の3大テイクアウトものすべてに顔を出して、そのいずれにもマッチするという懐の深さが立派だと思います。もう、貴ノ浪のびっくりといった感じの懐の深さなんですが、僕は中でもシーチキンの手巻寿司が好きですね。子供の頃、といっても中高生の頃なんですが、僕は一時期、土曜の昼はシーチキンの手巻寿司と決めていたことがありました。土曜の昼は“日清焼きそば”じゃなかったのか?…という疑問を呈する人もいるかも知れませんが、それはそれ、これはこれ、あれはあれです。過去の話を蒸し返してはいけません。例えば“鬼まんじゅう”なんかでも少し古くなって固くなってくると蒸し返したりするわけですが、やはり出来たてのものと比べると風味ガ劣りますからね。ところで“鬼まんじゅう”って、“生のサツマイモを食べ過ぎたら気持ち悪くなって、思わず吐いちゃったゲロが固まったもの”という感じがしませんか?…って、食欲をソソられる話は置いといて、で、どうして土曜の昼はシーチキンの手巻寿司と決めていたのかというと、ウチの近所の“スーパー一号館”に売っていたんですよね、手巻寿司。ネタとしてはシーチキンの他、サラダ巻き鉄火蟹カマなんかがあったと記憶しております。で、単品売りの他に3本がセットになったものがあって、バラで買うよりは幾分リーズナブルになっていたんだと思いますが、この3本の内訳というのがかなりフレキシブルでした。普通に考えれば3本とも違う種類にするのが本筋だと思うんですが、“鮭・鮭・鉄火”とか、了見のよくわからん組み合わせが結構ありましたからね。恐らくはパートのおばさんが何の考えもなくパッキングしていたものと思われますが、その中に1種類だけ、コンセプトの極めてはっきりした組み合わせのものがありました。“シーチキン3本セット”というのがソレなんですが、これだけはいつ行ってもありました。で、僕はいつもそれを買っておりました。毎週のように買っておりました。あるいは手巻寿司を作っているメーカーがシーチキンを仕入れ過ぎて、在庫処分に困ったあげく手巻寿司を作りまくり、パートのおばさんが適当にパッキングしてもかなりの確率で3本ともシーチキンになってしまった。…ということだったのかも知れませんが、こうして毎週のように“シーチキン3本セット”を買っていた少年がいたわけだから、手巻寿司メーカーの経営戦略はあながち間違っていなかったということになりますね。とまあ、僕はそれくらいシーチキンが好きなんですが、いや、さすがに3本食べるとちょっと飽きましたけどね。

 で、シーチキンと言えば、僕には得意料理がございます。基本的に料理とかをしない僕ではありますが、“日清焼きそば”と“シーチキン料理”だけは得意としております。で、それはいったいどういう料理なのかというと、パッカン式のシーチキンの缶詰の蓋をパッカンと空けて、ウスターソースをかけて食う。ただそれだけのシンプルなものなんですが、これがウマイんですよね。高級な“シーチキン・ファンシー”よりも“フレーク”のほうがソースがよく絡んで、よりベターですね。シーチキン本体はもちろんなんですが、食べたあとに残る“ソースの混ざったサラダ油”というのがこれまたオイシくて、僕は思わず飲んでしまいます。さすがにあまりたくさん飲みすぎると気持ちが悪くなるんですが、飲んだ後には唇もツヤツヤして、とっても健康的ですね。それって“ツヤツヤ”ぢゃなくて、ただ“テカテカ”してるだけなんぢゃ?…という意見もあるだろうし、それに何より、それって料理と言えるのか?…という批判もあろうかと思いますので、もうちょっと手の込んだ料理も紹介しておきましょう。“シーチキンの辛子マヨネーズあえ”というのがソレなんですが、これはですね、パッカン式のシーチキンの缶詰の蓋をパッカンと空けて、辛子とマヨネーズであえて食う。…という料理なんですが、調味料を2種類使用するところと、“かける”じゃなくて、“あえる”というところが、ちょっと手が込んであります。ただ、この料理にはひとつ欠点がありまして、後に残った“マヨネーズの混ざったサラダ油”というのが、さほど美味しくない。…というのがソレなんですけどね。マヨネーズなんてもともと大半がサラダ油なので、それにサラダ油が混ざったところで、ちょっと油っぽいマヨネーズになるだけでありまして、さしてソソられるものがないのも当然と言えましょう。で、この2点だけでは僕の料理人センスを疑われることになってしまうので、最後だけは真面目に行きましょう。“シーチクの磯部揚げ”というメニューです。シナチクではありません。あんなもの海苔で巻いて揚げてみたところで、筋張ってるだけで大して美味くもありません。で、“シーチク”というのは何かと言うと、“シーチキンちくわ”の略なんですが、名前からして“ビタミンちくわ”なんかと比べてみても、美味しそうなイメージがありますよね。で、作り方は簡単です。シーチキンのフレークをマヨネーズと辛子であえて、それをチクワの穴に詰めて、海苔で巻いて揚げるわけです。普段より辛子の量を大目にするのがポイントでありまして、揚げたてのものにソースなり醤油なりをちょっぴり垂らして食べると、これがもう・・・。と、思わず絶句してしまうほどの美味しさでありまして、ビールのつまみにもよく合います。いや、作ってみたことはないんですけどね。食べたこともないしぃ。ただ、先ほど現場から帰ってくるクルマの中でふと思いついて、結構いけるかも?…という気がしたので書いてみた次第なんですが、いや、きっと美味しいと思いますけどね。少なくとも、もうひとつ思いついた“シーチキンのバイオレンス焼き”よりはマシだと思います。シーチキンの缶詰を開封せずにそのままガスの直火にかけたら、爆発してきっとバイオレンスだろうな。…といった料理なんですが、キャンプファイヤーの際、燃え仕切る炎の中に未開封のシーチキン缶を投入してもいいかもしれませんね。うまく爆発しなかった場合はガストーチの直火で焼きましょう。

 とまあそんなわけで、今日のお昼はシーチキンが無性に食べたくなったのでコンビニに寄ったんですが、売り切れたのか“シーチキンサンド”はありませんでした。じゃ、せめて“おにぎり”のほうで…と思って棚に目をやると、“海苔マヨネーズ”という文字が飛び込んでまいりました。これこれ。…と思って購入した次第でありますが、いざ食べる段階になって、ある重大な事実に気がついて愕然として叫びました。「しまった!これ、シーチキンとぜんぜん関係ないやん!」…って、いや、“マヨネーズ”の文字が僕の頭の中では“シーチキン”として認識されていたんですよね。同じ“カタカナ5文字”だし、 途中に長音記号の“”だって入ってるしぃ。迂闊だった。…というより、むしろアホでしたが、で、問題の“海苔マヨネーズ”というのはどんなもんかと思ったら、“海苔の佃煮マヨネーズでまろやかに”…って、そんな気持ち悪いもん、食えるか!…と思ってしまいましたね。いや、食べましたけどね。で、食べてみたら意外と美味しかったです。何にでも合うマヨネーズの懐の深さに改めて感心した次第でありますが、塩さばにマヨネーズをたっぷり塗って(パンにバターを塗るような感じで)焼くと美味しいよ。…という意見もありました。うん、意外とよく合うかも知れませんな。サバの味噌煮にもかけてもマイルドな味になるかも知れません。しめサバマヨネーズであえて、蕎麦の上にのっける“マヨさば蕎麦”なんてのもオツですな。卵アレルギーで、蕎麦アレルギーで、さばアレルギーの人にもオススメですね。…って、蕁麻疹出るわい!…ということで、今日はおしまい。

 ということでエリック・ドルフィーです。いや、今日の前半部はオチがないに等しかったわけですが、ツキも無いですからね、僕って。オチもなければツキもない。子供の頃、「落ち着きがない。」とよく通知表にかかれるコドモでありましたが…というのは嘘で、子供の頃から落ち着き払ってましたけどね。子供の頃からオトナだった。…と言えようかと思いますが、ドルフィーという人もオトナだったみたいですね。いや、演奏だけ聴いていると“落ち着きのないウマ”みたいな感じなんですが、根は紳士だったそうです。どれくらい紳士だったかと言うと、毎日かかさず紳士肌着を身につけていたという。決してフリチンで走り回ったりしないというのは、まさしくオトナの証拠であります。オトナではありますが、若くして死んじゃいましたね。享年36歳というから、僕だったらあと1年ですね。とある中国系サイトに“移居欧洲不久、在一次因糖尿病引起的昏迷中不幸去逝、享年36歳”とあったように、死因は糖尿病でした。糖尿病引起的昏迷で不幸にも去逝しちゃいました。で、個人的にドルフィーは死ぬ間際のものよりも、若かりし頃の演奏のほうが好きですね。ま、確かに『ラスト・デイト』「ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラブ・イズ」と、「音楽は終わってしまうと空中に消えてしまい、二度とそれを取り戻すことが出来ない。」という台詞に涙を流したクチではありますが、演奏自体は初期のもののほうが好きです。ということで、『イン・ヨーロッパ・VOL.2』です。この“イン・ヨーロッパ”のシリーズは僕の知る限り“VOL.1”から“VOL.3”まで出ているんですが、“VOL.2”です。気分的には順番に“VOL.1”から紹介するのが筋ではないか?…という気がしないでもないんですが、アレは「ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド」が入っているから、ヤです。世間では名演である。…とされているようなんですが、個人的にはバスクラの無伴奏ソロって、ちょっと辛いものがありますからね。が、ドルフィー本人はわりと気に入っていたようで、ライブ盤には必ずといっていいほどこの曲が入ってますね。『イリノイ・コンサート』にも入ってました。イリノイ大学でのライブ録音なんですが、どうしてまた大学なんかでライブやったんすかね?学園祭に呼ばれたんすかね?だとしたら凄いですね。海星高校の学園祭には身内の素人バンド、“複雑骨折”しか参上しませんでしたもんね。で、参上したのはいいんですが、まったくといって言いほどウケず、ほとんど拍手すらして貰えないという惨状を呈しておりましたが、ということで“VOL.2”、いってみましょう。

 演奏はまず、フルートによるバラードで始まります。“盛り上がりこそ命!”のライブにしては、ちょっと異色のオープニングですよね。“VOL.2”などという中途半端なヤツを紹介するから、こうなるんだ。…と思わずにはいられませんが、演奏自体はとってもいいです。基本的に僕はドルフィーの吹くフルートが好きですからね。フルーチェも好きでした。基本的に僕は牛乳が苦手な若手だったので、コドモの頃は“牛乳の混ぜ物”が欠かせませんでした。が、フルーチェというのは高級品なので、そう毎度というわけにはいきません。今ならスーパーに行けば袋入りの“ミルメーク”が売っておりますが、当時は“カルピス”くらいしかなかったですね。カルピス牛乳というのは、ま、それほどオイシイものでもないんですが、ナマ牛乳をそのまま飲むよりはマシでしたね。ただ、瓶の牛乳にそのままカルピスを入れると溢れちゃうので、生牛乳を一口飲まなければならないのがネックでした。んなもん、少し大きめのコップか何かに移せばイイぢゃん。…と思われるかも知れませんが、当時の僕はそこまで知恵のまわる少年ではありませんでした。そういえば、“牛乳に酢を入れると、とってもヨーグルト風味♪”という噂を真に受けて実践してみたこともありましたな。結果、その噂がとんでもないデマであることに気付かされた次第でありますが、ヨーグルト風味というより、“腐って酸っぱくなった牛乳”としか思えないような味になっちゃいましたもんね。ということで、「ドント・ブレイム・ミー」です。いかにもライブらしいざわめきの中、音出し練習みたいな感じのフルートの無伴奏ソロで演奏は始まります。 で、ベースとドラムスが入ってテーマ演奏になるわけですが、この勿体ぶったような演出が素敵っ♪フルートという楽器は扱いを間違えると、とんでもなくオマヌケになる可能性があるんですが、ちゃんとした人が魂を込めて吹けば、このような寂寥感を演出することが出来るんですね。う〜ん、殺伐。…と感慨に耽っているうちにピアノが入ってきて、アドリブ・パートに突入しましたね。テーマ部は必要最低限の音数で、でもって、アドリブに入ると一転して細かいフレージングでネチネチと。…というのがドルフィーのフルートにおけるバラード演奏のパターンでありまして、ま、正直なところ、どの曲をやってもアドリブ・パートは同じように聞こえちゃうんですけどね。

 ということで、演奏のほうは11分05秒もあるのに、早くも書くことがなくなっちゃいましたね。今日(6月7日)は阪神、負けちゃったしぃ。ま、先発が下柳だったので、負けてもやむを得ない日ではあったんですけどね。“阪神タイガース姓名判断”というサイトを見たら、他人に浪費を促したり、大きな金額を扱う仕事に就けば成功します。建設業、不動産関係、金融業、ブローカー業等が適職です。また、クラブ等の水商売関係も良いでしょう。…とか書いてありましたからね。何だかとてもピッチャーとして成功しそうな気がしませんが、えーと、次はピアノ・ソロですか。このアルバムのリズム・セクションはコペンハーゲンの地元民なのか、ぜんぜん名前を知らない人達なので、期待度0%なんですよね。が、聴いてみると3人供、意外と悪くなかったりします。特にピアノのベント・アクセンという人は、弁当屋を開業すると悪戦苦闘しそうな気配が濃厚に感じられますが、ピアニストとしての腕は堅実です。ピアノを弾く才能と弁当屋をうまくやっていく経営手腕とは、まったく別の問題ですからね。ということで1曲目は以上です。はい、次。「ドント・ブレイム・ミー」ですね。国内盤のCDだとオマケ曲はアルバムの最後に入っているようですが、僕の持っている輸入盤CDはこの位置に別テイクが入ります。迷惑ですね。迷惑ではありますが、こちらのバージョンのほうが出だしの“勿体ぶり具合”がより一層勿体ぶっておりまして、ライブらしい寛いだ雰囲気がより一層強く感じられて、良好です。…とか先走って書いてるうちに1曲目のピアノ・ソロが終わりましたが、続いてエリック・モズホルム(?)という人のベース・ソロがフィーチャーされておりました。力強いピチカートがとっても良好です。で、2曲目です。「ドント・ブレイム・ミー」です。このテイクは“イン・ヨーロッパ3部作”の残りもの寄せ集め的アルバム、『ヒア・アンド・ゼア』に収録されていたものではないか?…と思われますが、もしかしたら違っていたかも知れません。調べてみて違っていたら書き直すのが面倒なので、敢えて調べてみるような愚行は避けて、3曲目です。「ザ・ウェイ・ユー・ルック・トゥナイト」、日本名「今宵の君は」ですね。しかし、「ザ・ウェイ・ユー・ルック・トゥナイト」「今宵の君は」と訳すのは、ちょっと意訳に過ぎやしませんかね?、「ザ・ウェイ・ユー・ルック・トゥナイト」のうち、“ユー”と“トゥナイト”しか訳してないぢゃん。…という気がしますよね。ちなみに原タイトルを翻訳ソフトにかけてみたら、「今夜あなたが見る方法」と出ました。何だか意味がよくわからないので、ま、「今宵の君は」でいっかぁ。…という気もしてきましたが、僕はこの曲があまり好きではありません。哀感が感じられないところが、いかんと思います。“ジャズは哀愁だ。”とヤックンも言ってますからね。何だか調子のいい曲で、フレンチカンカンでも踊らせたらよさそう?…という気はしますけどね。ちなみに僕は“フレンチカンカン”よりも“破廉恥ちんちん♪”のほうが好きだったりしますが、このドルフィーのバージョンは、思いのほかよい出来でありました。下世話な曲調が、ドルフィーの蓮っ葉な吹きっぷりと実によくマッチしております。僕は何だかんだ言っても、「神田川」が好きですね。…って、いや、そんなことが書きたかったんじゃなくて、何だかんだ言っても、ドルフィーはアルトを吹いてる時がいちばん好きですね。…ということを書きたかったんですが、いや、「神田川」も好きですけどね。若かったあの頃〜、何も恐くなかった〜、ただあなたの優しさが、恐かった〜♪…というフレーズなど、思わずホロリと涙がこぼれちゃいますね。で、ここでのドルフィーのアルトは、逝っちゃってます。聴いてて思わず萌えちゃいます。僕の家だって燃えちゃいます。アバンギヤルドではなく、 あくまでもパーカー・スタイルの延長線上。この頃のドルフィーって、やっぱりいいですなぁ。

 で、続く「ミス・アン」もいいですな。正確にはこの曲、「ミス・アン」ぢゃなくて、「レス」なんぢゃ?…という気がするんですが、ああん、ミスは誰にでもあるのぉ。…とアン女王も言ってましたし、ま、細かいことは気にするな。…と言いたくなるくらい、ここでのドルフィーは素晴らしいです。“変態的バップ”とでも言いたくなるようなアウトな雰囲気を持ったナンバーでありまして、その“ズレ感覚”が、もう、たまりまへん。演奏時間は5分45秒と、ライブにしては短めなんですが、その分、アドリブ・パートにはドルフィーのすべてが凝縮されている感がありますね。もう、水で4倍に薄めてちょうどいいくらいの濃縮果汁還元具合でありまして、ヘッドフォンで聴いていると、ずっと左のほうで吹いていたドルフィーが、ふっと右のほうに移動しかけたりして、いやあ、ライブはいいですなぁ。伊良部もいいですけどね。伊良部井川ムーアできっちり勝って、で勝ったり負けたりで、下柳で負け。…のペースで4勝1敗から3勝2敗ですか。充分ですね。ということで、ラストです。あ、適当に演奏の途中で飛ばしちゃったから書き忘れておりましたが、「今宵の君は」が終わった後、「テーマ」が演奏されます。マイルスジャズ・メッセンジャーズがライブでよく演奏している「テーマ」という名前の短いテーマ曲。アレです。アレは誰のテーマ曲というわけでもなくて、とにかく「テーマ」なんでしょうね。ドルフィーもあの「テーマ」を演奏して、観客は大いに盛り上がっております。ということで、ラストです。「ローラ」です。「ローラ殺人事件」のテーマです。西城秀樹「傷だらけのローラ」ほどではありませんが、こちらの「ローラ」もなかなかの名曲です。あ、適当に演奏の途中で飛ばしちゃったから書き忘れておりましたが、「ミス・アン」(実際には「レス」)の最後のところでドルフィーは「ストレンジャー・イン・パラダイス」の一節を引用しておりますね。いや、何もわざわざ改めて書くほどのことでもなかったかな?…という気もしたんですが、ということで「ローラ」です。アルトによるバラードって、ドルフィーの場合、意外と珍しいんじゃないですかね?アルトの無伴奏ソロによるイントロに続き、リズムが入ってテーマ演奏となりますが、エモーショナルな歌い上げが心に強く響きます。もう、“大木こだま・ひびき”もびっくり!?…という感じでありますが、『上方演芸会』に登場すると、必ず「“往生しまっせ”でお馴染みの…」と紹介されるんですよね。いや、どうでもいい話なんですけど。“おかけんた・ゆうた”の場合は「“ええ声〜♪”でお馴染みの…」ですな。…って、そんなことはどうでもよくて、いや、我ながらホントにどうでもいいですよね。で、「ローラ」でありますが、長いです。13分21秒もあります。カップヌードルだったら麺が汁を吸って、食えなくなっちゃうくらいの長時間でありますが、その長きにわたってドルフィーのエモーションは決して途切れることはありません。いや、途中で弁当悪戦@ベント・アクセンのソロがあるので、聴いてる耳には一度途切れることになるんですが、ドルフィーの緊張感はピアノ・ソロの間もピンと張り詰めております。その証拠に、再登場する際の気合の入り方が違いますもんね。ピアノ・ソロが終わるのを待ちきれないように飛び出してくるドルフィー。思わず背筋がゾクゾクしちゃう“悪寒的瞬間”がここにはあります。で、テーマに戻った後にかなりしつこく繰り広げられるカデンツァも凄いですね。鬼気迫る樹木希林…という感じがします。ということで、「ローラ」はおしまい。最後に再び「テーマ」が短く演奏されて、ぴゃ〜♪という音と、「いぇ〜!」という声で、おしまい。

【総合評価】

 いや、いいですな。後年のやや小難しい演奏より、この手の“ネオ・バップ”的なドルフィーが、僕は好き♪


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