BEAUTIFUL! (XANADO)

 CHARLES McPHERSON (1975/12/8)

BEAUTIFUL!


【パーソネル】

CHARLES McPHERSON (as) DUKE JORDAN (p) SAM JONES (b) LEROY WILLIAMS (ds)
【収録曲】

THEY SAY IT'S WANDERFUL / BUT BEAUTIFUL / IT COULD HAPPEN TO YOU / LOVER
THEY CAN'T BE LOVE / BODY AND SOUL / IT HAD TO BE YOU
ALL GOD'S CHILLUN GOT RHYTHM
【解説】

 サンドイッチはおいしいでよね。僕は好きです。世の中には「3度のメシよりサンドイッチが好き。」という人もいるようですが、ま、僕の場合、そこまで極端ではありませんけどね。3度のメシのうち、昼メシくらいはサンドイッチでも悪くないかな?…という気はするんですが、残りの2回はやっぱり白いゴハンを食べたいと思う、基本的には“おこめ好き”であるが、たまにはサンドイッチも悪くないかな?…という気がしないでもない程度のサンドイッチ好き。そういう立場をとるものでありますが、しかし何ですな。サンドイッチを発明したのがサンドイッチ伯爵だか、公爵だか、介錯だか、尺八だかであるという話、アレは本当なんですかね?ちょっと話が出来過ぎなんじゃないか?…という気がしてならんのですが、「僕もその話は出来過ぎだと思うなー。」と、ドラえもんに出てくる出来杉クンも言っておりました。サンドイッチの発明者がサンドイッチ伯爵なら、じゃ何かい?手巻寿司の発明者は手巻寿司男(57歳)かい?…と言いたくなっちゃいますよね。いや、それとこれとは話が別だと思うし、それに第一、手巻寿司男の年齢を57歳に限定する根拠はどこにもないんですが、“サンドイッチのサンドイッチ伯爵発明説”というのは、どうやらマジみたいですね。「マジだよ。」と、マジンガーZが言っておりましたので、ほぼ間違いありません。ちなみにこのサンちゃん(←勝手に略すな。)という人はトランプと麦芽大好きで…って、ああん。そんな穀物好きのヤツじゃなくて、トランプ賭博が大好きでありまして、トランプをしながらメシを食う方法はないものか?…と考えた挙句、ローストビーフをパンに挟んで食うことを思い立ったそうであります。以上、ここまでは小学生でも知ってる話なんですが、それ以上のことは僕も知りません。つまりアレですな。手巻寿司伯爵(←勝手に名前を変えるな。)という人は別に無類のパン好きだったというわけではなく、手が汚れないようにローストビーフを食べることが出来れば、別に何だってよかったんですな。インドのナンだってよかったわけです。ま、確かに素手でローストビーフをつまみながらトランプに講じたりすれば、カードはローストビーフのタレまみれになって顰蹙を買うことになるので、彼の発明は立派なものだと評価してもよいと思いますが、そんなことは彼が“発明”する前からやってた人がゴマンといるような気がしないでもないんですけどね。僕の推計ではイギリス本土だけでも5万はいたんじゃないかと思いますが、やはり“サンドイッチ伯爵”という名前のインパクトが、彼をサンドイッチの発明者たらしめたのでありましょう。たらしめた…と言えば、“みたらし団子”というのは誰が発明したんですかね?

 御手洗三郎(57歳)というのが、その発明者ではないか?…というのが僕の説なんですが、“御手洗”と書いて“みたらい”じゃなく、“みたらし”という読み方もあったんですね。ちなみに“みたらし団子”というのはウチの周辺ではわりとポピュラーな食べ物でありました。団子と言えば問答無用で“みたらし団子”が出てくるような土地柄でありまして、その意味ではスパゲティを注文すると問答無用で“ナポリタン”が出てくる、ナポリのようなところだと言えるかも知れません。“東洋のナポリ”と言っていいかも知れませんね。で、どうしてウチの近辺では“みたらし団子”がそれほどメジャーだったかというと、ウチの近所には“スーパー一号館”というローカル・スーパーのがたくさんあって、その店舗には“小池風流軒”という風流な和風テイクアウトの店が併設されているのが常であった。…というところに原因があります。ここの名物だったんですよね、“みたらし団子”。わりと好きでしたね。三度のメシより“みたらし団子”が好き。…というほどではありませんでしたが、三度のメシより“しるこサンド”が好き。…というほどでもなかった“しるこサンド”よりは好きでした。大してうまくもないですからねぇ、“しるサン”。貰って嬉しくないお菓子ということでは、僕の心の中では第7位くらいにランクしておりましたが、ちなみに第1位は“兵六餅”なんですけどね。第2位は“粟おこし”ですか。で、“みたらし団子”でありますが、「今日の昼は“みたらし”やでー。」と言われると、そこそこ嬉しい程度には好きでした。土曜のお昼に出されて嬉しい昼飯ということでは、僕の心の中では第7位くらいにランクしていたわけですが、ちなみに第1位は“日清焼きそば”なんですけどね。“UFO”ではありません。袋に入ったほうです。ちゃんとフライパンで焼くほうのタイプです。袋から出してしまうと、“出前一丁”とどこが違うんや?…という感じになってしまうのが難点でありましたが、袋から出さなければちゃんとした“日清焼きそば”なので、さほど大きな問題ではなかったと思います。で、僕はあの粉末ソースを舐めるのが密かに好きだったりしました。切り口からビリっと破いて、唾で湿らせた人差し指を袋の中に突っ込んで、指先に粉末ソースを付着させて、それをしゃぶるわけですな。口の中に芳醇なソースの味が広がって、なんとも言えないリッチな気分に浸ることが出来ます。いっそこのまま、一袋全部を舐めちゃおうか?…という誘惑にかられるんですが、それをやっちゃうと本体のほうが物すごく味気なくなっちゃうので、“3舐め”くらいでヤメなければならないのが心の底から残念でした。もし日清食品が“焼きそば用”と“なめなめ用”の2つの粉末ソースが入った特別バーションを限定発売するようなことがあれば、12ダースくらい買占めちゃおうと思っている次第でありますが、ちなみに僕はラーメンの粉末スープも舐めちゃいますね。“出前一丁”の胡麻ラー油も舐めます。“サッポロ一番・塩ラーメン”の“切り胡麻”だって舐めます。これはまあ、さして味のあるものではありませんでしたが、 えーと、何の話でしたっけ?“日清焼きそば”の話でしたか。

 “日清焼きそば”というのは、自分で作ると楽しいですよね。僕は料理というのは小学校の家庭科の授業を除けばまったくやったことがないんですが、“日清焼きそば”だけは自分で作ります。それなりにこだわりを持っているし、一家言だってあります。「“日清焼きそば”は水分を極限まで飛ばせ。」というのがソレなんですが、「ま、このへんでいっかぁ。」と、安易に妥協をすると、麺がベチャベチャして美味しくないですからね。“UFO”や“ペヤング・ソース焼きそば”なんかの、焼きそばというより、湯にふやかした麺の湯を捨てただけやん。…といった食感もアレはアレで悪くないとは思うんですが、やはり袋入りの“日清焼きそば”はフライパンを使うところに意義があるわけですからね。で、僕はいつも“日清焼きそば”を作っていて思うんですが、アレは最初に入れる水の量が、あまりにも少な過ぎやしませんかね?フライパンに水を張って麺を投入しても、麺の膝くらいのところまでしか水がありませんもんね。全身たっぶり…とまでは言わないまでも、せめて腰くらいまで水があれば、もうちょっとコシのある麺になるんじゃないか?…という気がしてならんのですが、日清食品はソレを許してくれません。これだけの水で、あのカピカピの麺をまんべんなくほぐすというのは至難の業です。作っているうち、その麺の“ふやけ具合”があまりにも心許ないので、思わず箸で突き崩したくなる衝動に駆られてしまいます。必ず駆られます。で、実際、「えいっ!このぉ!」とか口に出して、思わず麺を菜箸で突き刺してしまいます。必ず突き刺します。が、これをやってしまうと麺がバラバラになって、“麺がバラバラの焼きそば”になってしまいます。これはいけません。ま、味にはさしたる影響はないんですが、見た目がよくありません。見た目がよくないのは僕の美意識が許せません。かと言って、麺がヒタヒタになるくらいの水を入れてしまえば“麺がクタクタの焼きそば”になってしまうのは明らかだし、バラバラクタクタの狭間で、僕はいったいどうすればいいんですかぁ?…と悩んでいる人は、はっきり言って“日清焼きそばのシロート”のですね。僕はこの問題を解決する画期的な方法を思いつきました。しかも、これを思いついたのは僕が11歳くらいのことでしたので、もしかしたら僕は料理のプロではないか?…と思うんですが、その画期的な方法というのは、料理人の世界では“日清やきそばのひらき”と呼ばれております。アジをひらく。…というのは誰でも考えつくんですが、それを“日清焼きそば”に応用するところが僕の天才たる所以ですね。で、“ひらき”を作るのは事のほか簡単です。“日清焼きそば”の麺というのは一見すると分厚い固まりのように見えますが、実は半分の厚さの麺を柏餅状に2つに折りたたんだものである。…ということに気がついたのが僕の勝因でした。よって、まず麺の下側をふやかしてしばらく放置して、ある程度フニャこくなって全体をひっくり返して、今まで水面に露出していたほうの面をふやかします。“麺の両面責め”ですね。で、両面がフニャこくなってきたところで、麺の側面の真ん中あたりに箸を挿入してパカっと開けると、麺というのは意外と簡単に“ひらき”になります。思わず「おおっ!」と感嘆の声が出てしまうほど簡単なので、是非とも試してみてくださいね。で、“ひらき”になった“日清焼きそば”は面積が倍になっているので若干フライパンの端からはみ出しますが、厚さが半分になって、その7割くらいが湯の中に浸かることになるので、そのほぐしやすさは平常時の比ではありません。もう、心ゆくまでほぐしまくって、美味しい“日清焼きそば”を作ってくださいね。

 ということで、話を“みたらし”に戻しましょう。そもそも“日清焼きそば”について熱く語るというのは当初の構想にはなかったわけでして、本来はサンドイッチからシーチキン方面に話を展開する予定だったんですよね。それがどこで“みたらし”になってしまったのかよくワカランのですが、“みたらし”というのはやっぱり、タレが垂れているところがネーミングの由来なんすかね?とすると、僕が今まで“タレ”だとばかり思っていたあの甘辛いタレは、実は“”と呼ぶのが正解たっだ。…ということも考えられますよね。“”が垂れているから“みたらし”。…というのなら心の底から納得がいくんですが、“タレ”が垂れているから“みたらし”。…というのでは、世間の人々は許してくれません。世間の人々というのは小池風流軒が考えているほど甘くはないというのが現状でありまして、「じゃ、今日のみたらしのタレは、ちょっと甘めにしておきますから。」と言ってみたところで、駄目なものは駄目です。そんな言葉の綾で誤魔化されるほど、世間というのはアホではありません。「じゃ、おまけにウチの娘、のパンツ(染み付き♪)を付けますから。」…と言われれば、ま、考えなくもないんですけどね。そこまで言われれば、“みたらし”の語源ぐらいは自分の力で調べなければなりませんね。小池風流軒のオヤジ、小池三郎(57歳)の熱意にほだされた思いでありますが、えーと、“みたらし”の語源と。あ、ありました。みたらし団子。京都の下鴨神社の御手洗祭(みたらしまつり)の神饌菓子が起源とされます。…って、なんだか納得出来るような、騙されたような。。。ま、いずれにしろ、僕はパンツさえ貰えれば、それでいいんですけどね。僕はオヤジから店の裏で手渡された“染み付きぱんつ♪”の入った紙袋を抱えて帰り、自分の部屋でこっそりと開封してみたんですが、おおっ!ぱんつのゴムのあたりに、みたらしのタレの染みがっ!もう、綾ちゃん(5ちゃい)ってば、お行儀が悪いんだからぁ。。。

 ということで、チャールス・マクファーソンです。いいですねぇ。“ビバップ・リヴィジット”ですねぇ。60年代後半、世間にモオド・ジヤズフリイ・ジヤズの嵐が吹き荒れている最中、いや、さなか、あ、“最中”と書いて“さなか”とも読むんですか。ま、いずれにせよ、ストレート・アヘッドなビバップ・スタイルを引っさげて颯爽と登場し、ま、そこそこ世間に受け入れられた…と。そういう人ですね。60年代は主にプレスティッジにわりと数多くのリーダー作を残しておりますが、70年代のザナドゥ盤も悪くないですね。ということで、『ビューティフル!』です。70年代というのはハービー・ハンコックを始め、多くのジャズマンの頭がアフロヘア的に膨張しちゃった時代なんですが、マクファーソンの頭も若干デカくなってますね。が、デカくなっても、心は錦。シンプルなワン・ホーン編成で有名スタンダードばかりを演奏するこのアルバムは、デューク・ジョーダンの好サポートも相まって、実に聴きやすくて“ビューティフル”な作品に仕上がっております。わりとギャル受けもいいんじゃないですかね?で、この手の作品には得てして「軟弱である。」という批判がつきまといがちなんですが、いいんだ僕は、ギャルにさえウケれば。ということで、では1曲目から聴いてまいりましょう。

 えーと、まずは「ゼイ・セイ・イット・ワンダフル」ですか。これはアレですよね。税制委員会の自画自賛ソングとして知られている曲ですよね。「俺達の作った税制って、素晴らしいよねー。」「イッツ、ワンダフルだよねー。」みたいな。それはそうと、みたらしのタレの粘着度というのは意外と強力ですよね。作りたてのものはまだイイんですが、スーパーの帰りにふと思い立って購入し、家に持って帰って15分後。…といった、やや冷めかけのみたらしのタレというのが始末が悪いです。みたらし団子10本入りの箱というのはわりと余裕のない大きさでありまして、串に刺さった団子が犇めき合っている…という状態になっているんですが、冷めるにつれて隣の団子のタレ同士が結託して、ひっぺがすのに苦労すること、この上なし。…という感じになってしまいます。無理にひっぱがそうとするとタレが垂れてきてパンツを汚したりして、こりゃ、一概に綾ちゃんの行儀の悪さを責めることは出来ませんね。むしろ責められるのは、このような“いかにもコドモが衣服を汚しそう?”といった感じの食い物を娘に与えた三郎のほうではないか?…という気もするわけですが、それはともかくとして、「ゼイ・セイ・イット・ワンダフル」です。この歌はアレですね。ナット・キング・コールが歌ってましたよね。違いましたか。オスカー・ピーターソンでしたか。それも違って、もしかしたらジョニー・ハートマンあたりだったかも知れませんが、いずれにせよ、“渋系のおじさんが渋く歌っている歌”という印象が僕にはあります。だから、あまり渋くないおじさんが演奏してたりすると、ちょっぴり違和感を覚えたりするんですが、マクファーソンはどうですかね?彼のアタマの膨張具合は、充分“渋い♪”と評価するに値すると思うんですが、何だかやや意味不明風のアルトによるイントロは、ちょっといただけませんね。もう少し落ち着いた感じで演奏して貰ったほうが僕としては嬉しかったんですが、テーマ部に入るとチャリ・マックの吹きっぷりもやや落ち着きを取り戻してまいります。ミディアム・テンポで歌モノを軽快に料理する。…という感じですかね。で、ふと気がつくといつの間にやらソロ・パートに突入しているんですが、テーマ・メロディをフェイクするような形なので、その流れが自然ですね。素人にもわかりやすいソロと言えましょう。これくらいだったら僕でもアドリブ出来るぅ?…という気もするんですが、それ以前と問題として、多分テーマすらマトモには吹けないような気がするので、多分無理だと思いますけどね。ま、アドリブは無理としてもスペアリブくらいなら何とか。…と思って、先日焼いて食べてみましたが、美味しかったです。で、この演奏はデューク・ジョーダンのソロが絶品ですね。やや線の細いタッチ、綺麗なシングル・トーン、よく歌うフレーズ。どれをとっても第1級です。立派ですね。僕なんか珠算書道の毛筆とも、4級どまりでしたからね。あ、英検も4級ですか。4級では履歴書の特技の欄に書くわけにもいかず、実際に得意でもないので特技のところにはいつも“消しゴム版画作り”とか書いて誤魔化しておりますが、とか言ってるうちに1曲目の演奏は終わってしまいました。

 2曲目です。「バット・ビューティフル」です。愛はおかしなもの。愛は哀しいもの。愛はあんなことやら、こんなこと。ああん、そんなことまでぇ♪…って、それはともかく、だけど愛は美しいもの(“BUT BEAUTIFUL”)。…といった内容のスタンダードでありまして、作詞がジョニー・バークで、作曲がジミー・ヴァン・ヒューゼンでしたか。いかにもジミ・ヴァンらしい美しいメロディを持ったバラードなんですが、僕はあまり好きじゃないんですけどね。歌詞がクサ過ぎますよね。が、このマクファーソンの演奏を聴いて、考えが変わりました。愛は美しい。まさにその通りじゃないか!…と、心から思えるようになりました。僕は“”の歌って、けっこう好きなんですよね。「アイアイ」とか。あれは“”の歌というよりむしろ、サルの歌なんぢゃないか?…という気もするんですが、ちなみに“アイアイ”というのは霊長目原猿亜種アイアイ科というサルの種類なんですな。チンパンジーみたいなのじゃなくてキツネザルみたいなヤツなんですが、それはともかく、この演奏はジョーダンの弾くピアノのイントロが絶品ですね。ジョーダンには“イントロの達人”とか“イントロの魔術師”などという呼び名があるそうですが、まさにその面目躍如といったところですね。ま、個人的にはイントロよりもネギトロのほうがオイシイかな?…という気がするんですが、ここでの彼のイントロには脱帽ですね。脱帽したついでにレーザー脱毛だってしちゃいます。場合によっては脱腸してもいいかな?…とすら思うんですが、さすがにそこまでやるのはやり過ぎですよね。歳を考えると週に2回ぐらいがいいところだと思います。で、イントロに続いて登場するテーマ部も悪くありませんね。マクファーソンの“原曲のメロディを大切にする僕”という姿勢が感じられ、共感が持てます。ヴァン・ヒューゼンもきっと、草葉の陰で喜んでいることでありましょう。で、テーマに続いてジョーダンのソロになりますが、彼の“イントロだけじゃなく、ソロだってイケちゃう僕”という姿勢が感じられ、共感が持てます。シンプルだが、一音一音が素晴らしい輝きを放っている。…という岡崎正通クンの日本語ライナーはまさに正鵠を得ておりますが、又、マクファーソンも、原曲の味わいを最高に生かしながら、ロマンチックな吹奏に終始する。…という指摘にも僕は同意見です。いやあ、岡崎クンとは気が合いますなぁ。彼とならメール交換してもいいかな?…という気がしますね。もしこれを読んでいたら、僕にこっそりメルアドを教えてくださいね。あ、でも出来れば岡崎正通クンよりも岡崎朋美のほうがイイです。

 “岡崎朋美のフトモモについて語り合うスレ”というのをスレ立てしようか?…と、ふと考えてしまいましたが、それはともっかく、3曲目は「イット・クッド・ハプン・トゥ・ユー」ですかぁ。またしてもヴァン・ヒューゼンですね。で、僕はこの曲が5本の指が入るくらい…いや、5本の指に入るくらい好きなんですが、いくらなんでも5本というのは入れ過ぎですよね。せめて2本くらいまでが無難なところではないかという気がしますが、それはともかく、この演奏は導入部がイイです。イントロなしでいきなりマクファーソンがテーマ・メロディを吹き始め、バラードかな?…と思っているとイン・テンポになって、ミディアムに転じる。…というところがとっても洒落ていて、いいと思います。のびのびとした吹きっぷりが伸びやかです。テーマ・メロディを次第に崩していく感じのソロもよくて、続いて登場するジョーダンのソロもいいです。しかしこのアルバムのジョーダンって、想像以上にいいですね。マクファーソンにはやっぱりバリー・ハリスだよね。…と思っていたバリ・ハリ派の常識を覆すデキのよさでありまして、で、サム・ジョーンズの短めのピチカート・ソロがあって、テーマに戻って。おしまい。はい、5曲目です。「ラバー」です。日本名は「ゴム」ですかね?違いますね。哀感が感じられないのが、ああ、いかん。…というので、僕はこの曲をあまり評価していないんですが、マクファーソンの演奏自体は悪くありません。このアルバムでは恐らく、いちばんの急速調ナンバーではないかと思われますが、破綻のないパーカー・フレーズが耳に心地よいですね。甘ったるいマクファーソンの演奏に「ケッ!」とか思っていた人も、これならまずまず納得出来るのではないでしょうか。続くジョーダンのソロも、彼が単なる“甘系”のピアニストではなく、根はバッパーだったんだなぁ。…ということを再認識させてくれます。リロイ・ウイリアムスの気合の入ったドラム・ソロもいいですね。ということで、前半の4曲は片付きましたな。

 5曲目は「ゼイ・キャント・ビー・ラブ」です。軽妙洒脱…といった感じの歌モノでありまして、アルトとアルコ・ベースのユニゾンによるイントロがなんとも言えずいい感じです。軽妙なテーマの後、洒脱なジョーダンのピアノ・ソロがあって、軽妙洒脱なマクファーソンのアルト・ソロへと続いてまいります。いずれも軽妙にして洒脱…といった感じですね。とてもいいと思います。で、6曲目は「身も心も」です。見た目20代後半@ロリ声漫画家のフェイバリット・ソングとして知られておりますが、ここでの最初のポイントはジョーダンのイントロですね。彼には“イントロの達人”とか“イントロの魔術師”などという呼び名があるそうですが、まさにその面目躍如といったところですね。達人ですからね。竜ジィ(←井上竜夫のボケ老人キャラ@よしもと新喜劇)とはワケが違いますね。達人七福神とでは、どちらがエライか?…というのは意見の分かれるところでありますが、僕だったらやっぱり山伏に1票を入れますね。…って、書いてることがワケわからなくなってまいりましたが、マクファーソンの吹く「ボディ・アンド・ソウル」に関しては、今はなき“気まスタ♪”に何やら書いてあったような気がするので、それを引用してお茶を濁すことにしましょう。

「ということで、チャールス・マクファーソンの演奏で“身も心も”を聞いてみましょう。」
「ザナドゥ盤の“ビューティフル”やね。」
「70年代の演奏なんだけど、純粋なビ・バップの精神が感じられる、いいアルバムよね。」
「じゃけっとのマクちゃん、頭がぼーるみたいでカワイイのぉ♪」
「では演奏スタート!」
「あ、ピアノのイントロがええねぇ。」
「イントロの達人、デューク・ジョーダンなのよぉ。」
「で、マクファーソンがテーマを吹くわけなんやけど、トーンはペッパーよりもスティットに近いね。」
「わりと力強い感じよね。でも、装飾音の少ないストレートな吹きっぴりはビ・バップというよりハード・バップ的ね。」
「時折、フリーキーなトーンが交じるねぇ。」
「ねこ大好きっ♪」
「それはフリスキー!」
「あ、そっかぁ♪」
「低音部から高音部まで広いレンジを使っとるよね。」
「そうね。で、パーカーと違うのは、感情面がかなり前に出されているあたりよね。」
「スティットほどメカニカルな感じはせんけど、ペッパーほど繊細でもないよね。」
「一口にパーカー直系って言っても、いろんなスタイルがあるのよ。」
「むつかしいはなしは抜きにして、聴いてみてよかったらそれでイイのぉ♪」

 うん、懸念してたよりはマトモな解説でしたね。で、マクファーソンのトーンがスティットに近い…という、大阪の彰子さんの意見には全面的に賛成ですな。僕もかねてからそう思っていたんですよね。いやあ、彰子さんとは気が合いますなぁ。いちど一緒に飲みながら“今年のタイガースはいつコケるか?…について語り合うスレ”というのをやってみたいと思わずには入られませんが、昨日(5月30日)、ムーアで巨人に大マケしたあたりが“逆V字転落”のきっかけですかね? ということで、7曲目です。「イット・ハド・トゥ・ビー・ユー」は1938年、アイシャム・ジョーダンがアーティ・ショウの為に書いたナンバー。…ということで、本アルバムで唯一、さほどメジャーではない曲ということになりますが、何せ書いたのがアイシャム・ジョーダンです。シャム猫を愛することにかけては誰にも引け目を取りません。いや、多分。ちなみに僕はシャムよりもペルシャ猫のほうが好きなんですが、特に夏、暑苦しいので顔面部分を残して丸刈りにされちゃったペルシャ猫というのは、ファニーでいいですな。昔、ウチには“スー太郎”というペルシャらしからぬ名前のペルシャ系雑猫がおりましたが、丸刈りにした時には4日ほど笑えました。5日目で慣れましたが、この「イット・ハド・トゥ・ビー・ユー」という曲、さしてメジャーではありませんが、悪くない曲ですね。小唄小唄した曲調とパーカー・フレーズが絶妙にマッチして、マクファーソンのバップ的なプレイを堪能することが出来ます。ということで、ラストです。「神の子はみな踊る」。変なタイトルですね。「亀の甲はみなタワシ」のほうがまだマシなんぢゃないか?…という気がするんですが、いや、ちっともマシじゃないですね。で、これはCDオマケ曲です。何故、オマケに回されてしまったのかというと、マクファーソンが出てこないからでしょうな、おそらく。デューク・ジョーダンのトリオ演奏なので、何もわざわざアルバムに採用するだけの義理はなく、が、そういう理由でオマケに回されたものなので、演奏の質としては悪くありません。これはジョーダンのトリオ演奏なんだな。…ということを割り切れば、それなりに評価の出来る演奏だと思います。が、マクファーソンはいつ出てくるのだろう?…と思って聴いていたら、ついぞ最後まで出てこなかったので、ちょっぴり肩透かしを食ったような気分になりました。ジョーダンのスインギーな演奏を楽しめる…という点ではそれなりでありますが、ということで今日はおしまい。

【総合評価】

 いいですね。総合的に評価されるべき1枚だと思います。マクファーソン好きの人だけでなく、ジョーダン好きの人にも大いに楽しめるのではなかろうかと。マクファーソンの頭、ボールみたいで可愛いしぃ。


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