THURSDAY NIGHT AT THE VILLAGE VANGUARD (CONTEMPORARY)

 ART PEPPER (1977/7/28)

THURSDAY NIGHT AT THE VILLAGE VANGUARD


【パーソネル】

ART PEPPER (as) GEORGE CABLES (p) GEORGE MRAZ (b) ELVIN JONES (ds)
【収録曲】

VALSE TRISTE / GOODBYE / BLUES FOR LES / MY FRIEND JOHN / BLUES FOR HEARD
【解説】

 

 “屋外ぷれい”にはよい季節になりましたな。“屋外ぷれい”といっても、かれい技士が期待している類のものではなく、海や山に出掛けて、自然と触れ合おうという、ま、普通の言い方をすれば“アウトドア・ライフ”ということになろうかと思いますが、先ほど、試しに“屋外プレイ”でサイト検索を試みてみたところ、“リモコン・バ○ブ”という商品の通販サイトが引っ掛かりました。関連商品が全部で4ページに渡って紹介されておりますが、1ページ目は“飛びっ子”というシリーズでありますな。“飛びっ子1”“飛びっ子2”“飛びっ子3”“飛びっ子4”“飛びっ子7”とあって、何故か“飛びっ子5”と“飛びっ子6”が飛びっ子になっておりますが、いずれも“約20m離れた所から操作が出来ます!”というのがウリのようでありまして、“屋外プレイにどうぞ!”と書かれているんですが、いや、何も20メートル離れた所から操作出来るからって、用途を“屋外”に限定することもないような気もするんですけどねぇ。ま、確かに屋内使用の場合なら“ヒモ付き”でもさほど不自由を感じないような気がしないでもないので、敢えて使い道を探るとなると、どうしても“屋外”ということになるのかも知れませんね。ちなみに“飛びっ子1”というのは防水設計らしいので、お外でも安心して使えますね。夜露に濡れて感電…ということになってしまっては、元も子もありませんからね。いや、それはそれで、「ああん、痺れるぅ♪」ということになって、刺激的でいいんぢゃないか?…という気もするんですが、僕はやはり安全性を第一に優先したいと思います。販売者が思わずイタリック体で“おすすめ”と書きたくなる気持ちもよくわかりますね。

 で、2ページ目は“電波少年1”“電波少年2”のシリーズです。あ、飛びっ子になっていた“飛びっ子5”と“飛びっ子6”はこちらのページに掲載されていたんですね。…ということが明らかになりましたが、“電波少年”のほうも約20m離れた所からの操作となっておりますな。電波法か何かの規制で、それ以上の強い電波は使えないということなんでしょうか?ま、確かに30キロ先まで到達するような強力な電波を出したりすると、あちこちで電波障害が発生して問題になるような気がするし、それに第一、30キロ先で悶えていたところで、それが一体、何なんだ?…という気もしますよね。声や様子を察することの出来る20メートル以内…というのが、まずは無難な設定ではなかろうかと思われます。で、3ページ目になると“調教デンパン”やら“調教デンブラ”という、何だかワケのわからない商品になってしまって、4ページ目には“スーパー飛びっ子DX”という、飛びっ子シリーズの豪華版が登場しております。どのあたりが“スーパー”で、どういったところが“DX”なのか?…というのが今ひとつ釈然としないんですが…って、そんなことはどうでもよくて、アウトドア・ライフのお話でしたね。ちなみに僕はアウトドアというのはわりと好きなほうでありまして、ミスター・トンカチとかのホームセンターでアウトドア関連のGOODSを目の当たりにすると、思わずワクワクしちゃいます。欲しい!…という気持ちを抑えられなくなっちゃいます。誘惑に負けて、“ドーム型テント”と“3シーズン寝袋”と“ランタン”を買ってしまったりします。“ランタン”を買って、ランラン♪…と、を吐いたりもします。を吐きつつ、タン塩を食べたりもします。美味しいですよね、タン塩。僕は概してショーユ系の味付けが好きなんですが、タンだけはじゃないと駄目ですね。タンソー(←ソース味)とか、タンマヨ(←マヨネーズ味)とか、タンケチャ(←ケチャップ味)なんてのはもってのほかなんですが、タンショウ(←醤油味)というのもよくありません。“たんしょう”という言葉の響きに大いに傷付くところが、実によくありません。で、屋外でタン塩ということになると当然、“炭火焼”ということになるんですが、“”というのは素人にはなかなか扱いが難しいんですよねぇ。とまあそんなことで、今日はちょっと“”について考えてみたいと思います。題して、「隅に置けない炭のお話」

 炭といえば、“備長炭”。炭火焼マンの憧れの的でありますが、これはなかなか難しい炭であります。そもそも“備長炭”という名称はその昔、紀州の炭焼き男、“備中屋長左衛門”という人が焼き始めたか、売り始めたか、ヤリ始めたか、とにかくまあ、そういうことでこの名前があるわけですが、これがもし、焼き始めたか、売り始めたか、ヤリ始めたかの人の名前が“コスモ屋ポリ左衛門”だったりしたら、この炭は“コスモポリ炭(たん)”になっちゃうところでした。危ないところでした。いや、それはそれで世界主義者的でイイんじゃないか?…という気がしないでもないんですが、やっぱり“コスモポリ炭焼きのウナギ”とかって、あんまり美味しそうな気がしないしぃ。で、“備長炭”というのは墨の種類としては“白炭”にあたるそうですね。僕はスミの種類としては“イカ墨”と“カラスミ”くらいしか知らなかったんですが、“白炭”“黒炭”という分類があったんですね。ちっとも知りませんでした。もっと幅広く“”の種類ということになると、木炭石炭豆炭練炭…と、色々な種類があるんですが、一時期、石油に押されてすっかり影が薄くなっていた“炭類”も、最近になって意外な用途でクローズアップされて来ております。特に“練炭”というのは“ネット心中の手段”として、一躍有名になりましたよね。インターネットで自殺の仲間を募るという現代性と“練炭”という原始的な手段との組み合わせが実にアイロニーでマカロニで甘露煮的でありますが、しかし“真似しぃ”はいけませんよね。インスパイアされた…と言えば聞こえはいいんですが、せめて、「アイツらが“練炭”なら、こっちは“瓢箪”で。」くらいの工夫は必要だったように思われます。

 で、“白炭”と“黒炭”の分類なんですが、これは材料にする木の種類や製法の違いによるものなんだそうですね。“黒炭”は主にクヌギやコナラといった柔らかい原木を使って、400℃〜600℃程度で炭化します。炭化が終わったら窯を密閉し、ゆっくり冷却します…と。対する“白炭”はカシやナラなどの堅い原木を使って、炭化温度が1000℃で均一に炭化します。炭化した灼熱の木炭を窯の外に取り出し、消し粉をかけて消化・冷却します。この消し粉が表面に付着し、炭が白くなるため、“白炭”と呼ばれます…と。なるほど。原木の種類焼く温度、“消し粉”の有無…の3つがポイントになってくるようですね。 何でもいいけど“消し粉をかけて消化”じゃなくて、“消し粉をかけて消火”やろ?…という気がするんですが、人様のサイトを無断で勝手に引用して、文句を付けるというのはオトナのなることではないので、この誤字には目を瞑ることにして、で、この3つの違いによって“”はどうなるかのと言うと、一言で言うと“硬さ”に違いが生じます。そうです。世の中で大切なのは“大きさ”ではなく、“硬さ”なのです。大きくて黒光りしてりゃ、エエちゅうもんでもないいやろ!?…と、僕は何故だか“黒炭”に敵意のようなものを抱いてしまいましたが、“硬度”で言うとこれは明らかに“白炭”の勝ち!…ということになります。まず第一に、“白炭”のほうは最初から“カシやナラなどの堅い原木を使って…”とあるので、焼き上がりもきっと硬くなるのであろうな。…という事は何となく想像が付きますよね。続いて、焼く温度が硬度に与える影響…というのは僕の知識ではよくわからんのですが、“消し粉を使って消火・冷却する”という工程が硬度に与える影響というのは何となく想像が付きますね。例えばなんかでもドロドロに溶かしたヤツを自然冷却するよりも、水に付けて急冷したほうが硬い鋼になると言われております。股、いや、又、“金冷法”の概念でも、「タマは冷やしたほうがいい。」と言われております。とまあそういうことで、冷やして作った“白炭”の硬度はにも匹敵するというのだから、大したものでありますな。そういえば長さの違う備長炭を並べて作ったという楽器の音色を聴いたことがありますが、それはまさしく“バイブ”そのものでありました。あ、“バイブ”と言っても“スーパー飛びっ子DX”みたいなのじゃなくて。

 とまあ、そういうことで硬さで言えば“白炭”の勝ちなんですが、無論、“黒炭”にだっていいところはございます。手に持つとバラバラと崩れて、おまけに指が真っ黒になる…というのは長所だか何だかよくわかりませんが、着火しやすくて便利…というのはありますよね。備長炭なんて、素人がやってもまず火は着きませんもんね。お前、ホンマに燃える気あるのか?…と言いたくなるくらい着火しにくいのが“白炭”の弱点でありまして、これはもう“着火マン”では駄目です。あんな、やにこい(←方言?)火ではまったくのパワー不足でありまして、機械屋さんがカップリングを“焼きばめ”する時なんかに使うガストーチ。アレで5分ほど責め続けて、ようやく炭の片隅から微かに黒い煙が立ちのぼってくる。…という程度には着火します。真夏の屋外でコレをやっていると、ようやく炭が全体的に赤くなってきたな。…という頃には、炎天下に放置されていた肉の類は腐りかけております。ま、肉は腐りかけくらいのほうが美味しい。…てな事を申しますし、炭火焼の焼肉が美味しいのは、実はそんなところに秘密があったわけですな。で、例えばミスター・トンカチで買ってくる“(お徳用)”というのは手に持つと指先が黒くなるから“黒炭”の類だと思うんですが、にもかかわらず火の着きが悪いですな。これはもう、炭の種類とか特性とか、そのようなものとは一切関係なくて、ただ純粋に“粗悪だから燃えない”ということなんでしょう。仕方ないよね。“お徳用”なんだしぃ。

 …と諦めていた“炭着火の素人”に朗報です。というか、誰でも知っているかとは思いますが、とっても着火の簡単な炭に“チャコール・ブリック”というのがございます。チャコールというくらいだから木炭ではなくて豆炭の類だと思われますが、炭の固まりの周囲が“卵パック状の黒い紙”で覆われておりまして、これが着火材の役目をするわけです。“マッチ1本で簡単着火!”というのが売り文句で、事実、マッチ1本で簡単に火が着きます。ま、たまにミスター・トンカチで安売りしているのを買ってくると、全体的にシケっているのか、火の着きが悪いこともあるんですが、でも大丈夫。“着火マン”クラスの火でも難なく着火することが出来ます。アメリカの文明は炭火焼きをここまで簡単にしてくれたんだね♪…と感激しながらメラメラと燃える炎で“丸大のカルビ焼肉”とかを焼いて、「やっぱり炭火焼きはオイシイね♪」と頷き合って食べていたんですが、ありゃ、今から思えば炭火焼きでも何でもなく、炭に着火する準備段階としてメラメラと燃えていた卵パック状物体の火で焼いて食っていただけだったんですな。どうりで「やっぱり炭火焼きはオイシイね♪」と思っていたほどは美味しくなく、おまけに何だか生焼けで、その日の夜に下痢しちゃったはずですね。

 で、ガストーチを使っても、ぜんぜん炭に着火しないぢゃないか!…という最悪の事態も考えられます。あまりにも高級な“白炭”、あるいは、あまりにも粗悪な“お徳用黒炭”に遭遇したのが災いの元でありまして、こうなったらもう、お父さんは「炭火なんか、もういいっ!」と切れてしまいます。必ずブチ切れます。こうなってしまったら、もはや最後の手段を用いるしかありません。ガストーチで食材を直接焼く。これしかありません。こうなってくるともはや炭火焼きでもなんでもありませんが、「炭火なんか、もういいっ!」とお父さんがブチ切れてしまったからには仕方がありません。“背に腹は変えられない”というヤツで、「やっぱりサーモンはお腹のほうより、背中のほうがオイシイね♪」などと悠長なことを言ってる場合ではありません。カルビだろうが、タン塩だろうが、イカだろうが、ブラックタイガーだろうが、鮭の腹側の切り身だろうが、背中側の切り身だろうが、とにかくガストーチで焼くっ!これは強力です。もの凄い火力です。何せ、炎の温度は1500℃〜1900℃くらいにはなりますので、「せめてものお慰みに。。。」と思って巻いたアルミホイルなど、あっという間に燃え尽きてしまいます。アルミの成分が鮭の身に染み込んで、何か人体によからぬ影響を与えるのではないか?…という危惧が生じるほど、一瞬にしてアルミホイルは消滅してしまいますが、あまり深く気にしてはいけません。何せ、お父さんはブチ切れております。「ちょっとぉ、大丈夫ぅ?」と声を掛けても無駄です。「アルミや。食えるっ!」という、ワケのわからない返事しか返ってこないに違いありません。いやあ、タイヘンなことになってきましたなぁ。僕はこの話にどうやってオチを付けたらいいのか真剣に憂慮しているところでありますが、こうなったらもう、お父さんにはヤケを起こして、ガストーチで焼身自殺でもしてもらうしかありませんかね?

 …と思ったら、“”には意外な効果がありました。気分を穏やかにする沈静効果。なるほど、炭に火が着かなくてイライラしているお父さんには、炭を食わせばよかったんですな。かくして予定していたキャンプの夕食は“バーベキュー”から“黒炭スパゲティ”に変更になったものの、おかげでお父さんは落ち着きを取り戻し、一時期は険悪なムードになって、「お父さんとタカシはあっちのテントね。私はヨシコとこっちで寝るわ!」ということになったんですが、なんとか仲直りして、この日の為に♪…と思って買った“スーパー飛びっ子DX”も無事、役に立ったということです。

 教訓 : 喧嘩をしても、テントは20m以内の距離で♪

 ということでアート・ペッパーでありますが、いや、我ながら無理矢理感たっぷりの結末でありましたな。しかし、2つのテントに別れて、キャンプの夜に“飛びっ子ぷれい♪”というのはイイかも知れませんね。ご家庭内で、違う部屋に寝ていても“飛びっ子”、跳び箱の上で“飛びっ子”、トビウオを食べながら“飛びっ子”、とび職の貴方と“飛びっ子”…って、用途は無限に広がるような気がしますが、いや、“無限に…”と言ったところで、5つほど思いついたところでアイデアは途切れちゃいましたけどね。しかも、あとの3つは本筋とはぜんぜん関係がないしぃ。とまあ、そういうことで、アート・ペッパーです。あれこれ検討した結果、今日は“70年代ペッパー”を紹介しようと思うんですが、ペッパーは50年代と70年代とでは、どっちがいいか?…という、不毛の論争があるそうですね。つまりまあ、50年代にペッパーは“アルトの詩人”と呼ばれる独特の美意識を確立したが、70年代にはコルトレーンの影響を受けて、変なスタイルに走ってしまった。果て、どちらのペッパーがエライか?…という話なんですが、ではその間の60年代はどうだったのかと言うと、過渡期と言うか、カトキチの冷凍さぬきうどんと言うか、薬物の摂取過多で死に掛けていたというのが正解なのかも知れませんが、とにかくまあ、70年代になって復活を遂げたら、トレーン憑っていたと。復活後のほうが力強くってイイとか、50年代の耽美的な藤山耽美こそ、ペッパーの真髄なのだとか、ンなこたぁ、どっちでもいいとか、みっちゃんミチミチの…、いや、侃々諤々の論議が沸き起こったそうでありますが、それにしても“みっちゃんミチミチ”と“侃々諤々”では、まったくと言っていいほど共通点がないですな。ちなみに僕は3番目の、「ンなこたぁ、どっちでもいい。」という立場を取るものなんですが、とまあそういうことで、70年代モノです。77年のヴィレッジ・ヴァンガードでのライブです。この時の“ヴィレ・ヴァン・ライブ”は何枚かのアルバムにまとめられているようでありまして、僕が持っているのは 『サーズデイ・ナイト・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』 だけなんですが、その他にも 『フライデイ・ナイト・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』 とか、 『サタデイ・ナイト・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』 とか、 『モア・フォー・レス:アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード・Vol.4』 というのも出ている模様です。いいですね。アルバム名を列記するだけで、行数が稼げますね。今日の前半は内容はともかく、量だけはわりと多めだったので、後半は3行くらいでいいかな?…という気もするんですが、アルバム名を列記するだけでノルマの70%くらいはいけますね。ということで『サーズデイ・ナイト・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』でありますが、ジャケットに写っているペッパーにはもはや“紅顔の美少年”の名残を留めていた50年代の面影は無く、“睾丸好きの中年”という感じになってしまっておりますが、その深く刻まれた皺が彼の人生なワケであります。でもって、このアルバムはサイドマンが悪くありませんな。ピアノがジョージ・ケイブルスなのが嬉しいし、エルビンの参加はペッパーにコルトレーンを強烈に意識させたことでありましょう。でもって、ベースは情事ムラ通(←人妻系すけべサイト『情事ムラムラ通信♪』の略)ですかぁ。いいですなぁ。人妻なんだもん。ムラムラしちゃうこともあるよね?…ということでまあ、では1曲目から聴いてまいりましょう。

 まずは「ヴァルス・トリステ」です。50年代ペッパー擁護派の人々にはあまり評判のよろしくない70年代モノ、しかもライブということもあってちょっぴり警戒していたんですが、いや、これはイイですな。まるで50年代の彼を思わせるような、ある種、ガラス細工のようなモロさ…いや、脆さを感じされますが、いや、我ながらソレっぽい解説だと自賛しておりましたが、最後のところで日頃の“モロ好き”の弊害が出ちゃいましたね。で、「50年代のペッパーみたいで、イイ♪」と思う時点で、僕も結局のところは50年代ペッパー擁護派だったんだなぁ。…ということに気付かされましたが、この「ヴァルス・トリステ」は絶品ですね。甘美でありながら、タマの皺…いや、顔の皺に匹敵するだけの“人生の深み”がここにはございます。何せ、“ヴァルス”にして“トリステ”ですからね。何だかよくわかりませんが、とりあえず大したものです。曲はゆったりとしたテンポのワルツでありまして…って、あ、今思い出しましたが“ヴァルス”というのは“ワルツ”のことですよね。“取り捨て”というのはどういうことだか分かりませんが、ペッパー自身はこの“まさしくラブリーなメロディ”のことを「“白日夢”のようなものだ。」と語っております。で、演奏は一瞬の静寂と、若干のざわめきの後、ペッパーのアルトが“スーッ”と入ってくるところから始まります。この導入部がいいですね。“スーッ”という感じがいいです。キャンディーズでも僕はスーちゃんがいちばん好きでしたからね。で、この導入部には何やらスピリチュアルな気配すら漂っております。こんなところにペッパーの“コルトレーンの「ワイズ・ワン」を聴いて感動しちゃった僕”を見出すのは僕だけでしょうかね?で、テーマ部は概ねリリカル風味なんですが、時折、感情の高鳴りのようなものを感じさせるアルトの咆哮を交えたりして、こんなところが70年代ペッパーの70年代たる所以でありましょう。で、イントロからテーマ、そしてアルトのソロ…と、何やら渾然とした形で演奏が進んでいって、続いてジョージ・ケイブルスのピアノ・ソロとなります。いいですな、ケイちゃん。僕はピンクレディではミーちゃんのほうが好きだったんですが、ジョージのケイちゃんのプレイは絶品です。タイプで言うとシダー・ウォルトン的ということになりましょうか。知的で地味。それでいてリリカル。この手のスタイルというのはペッパーのアルトによくマッチしますよね。伊達に毛を燻してるわけじゃねーな。…という感じでありますが、後半は地味ながらも大いに盛り上がって、情事ムラ通のピチカート・ソロへとバトンタッチします。その際、恐らくペッパー本人と思われる声で、「じょーじ・けいぶるす、なんとか〜」とMCが入るところが何だかよいですね。で、ムラーツは時折テーマ・メロディを交えたりして、なかなかテクニシャンぶりなソロを披露して、で、テーマに戻って、おしまい。11分15秒という長さをみじんも感じさせない、素晴らしい1曲でありました。

 で、2曲目は「グッドバイ」です。え、もうお別れ?…という感じなんですが、ま、「グッドバイから始めよう」佐野元春も歌っていたことだし、しかし何ですな。僕がカラオケでオハコの「サムデイ」を歌っていると、その途中で必ず「今日は寒いでぇ。」と、つまらないことを言うおじさんがいたのには参りましたな。あ、それと、いくら終電の時間が迫っているのか何だか知りませんが、僕が歌っている最中に帰っちゃうのはヤメてくださいね。おじさんはとっても傷付きやすいのであります。で、何でしたか。「グッドバイ」ですか。バラードですね。いいですね。僕は基本的に「ペッパーはバラードがいい。」と思っているんですが、いや、無論、「ペッパー警部」というのもなかなかいい歌でしたけどね。で、ペッパーがしみじみとテーマを歌い上げて、1曲目に続いて2曲目もアタリやったな。…と、僕は内心ほくそ笑むのでありましたが、勿体をつけるような吹きっぷりが何ともセクシーですね。もう、“セクシャルバイオレット・No.1”って感じぃ?…って、いや別に“”も“ナンバー1”も関係ないような気もするんですけどね。で、演奏は概ねリリカルなんですが、時折フリーキーなトーンを交えたりすることろがいかにも70年代ペッパー的でありまして、続くケイブルスのソロもしみじみと心に染みて、ま、結果的には1曲目と同じような言い回しで内容的にも無いに等しい曲解説でありましたが、とにかくまあ、11分49秒という長さをみじんも感じさせない…ということはなくて、ちょっぴりダレる瞬間はあるんですが、ま、概して素晴らしい1曲でありました。…と評価してもよいのではないでしょうか。

 で、3曲目です。「ブルース・フォー・レス」です。ここでブルースを持ってきましたかぁ。だよね。いくらペッパーはバラードがいいといったところで、ライブが全曲スローなテンポだったりしたら、客としてもダレちゃいますもんね。で、僕はペッパーの吹くバラードも嫌いではありません。地雷でもありません。魚雷です。…って、ほら、書くことが無くなってきて、だんだんワケがわかんなくなってきましたね。いや、真面目な話、本格的に書くことが無くなってきたんですが、ここでの聴き物はペッパーのアルトとケイブルスのソロですかね?なかんずく、ケイブルスのソロはいつものクールなタッチを保ちながらも、いかいにして極限まで下品に迫るか?…ということに心血を注いでおりまして、その“精一杯のファンキーさ”が、何だかいじらしいですな。ブルースだからって、そんなに気張らなくてもイイのにぃ。…という気もするんですが、根が真面目なだけについ張り切っちゃったんでしょうね。その姿は何だか、好きな男の子の気を惹こうとして精一杯“セクシーな流し目”の練習をしている純情な女子高生みたいで、思わずパンツを覗きたくなっちゃいますね。…って、いや、ケイブルスのパンツを見たところで、嬉しくもなんともないような気もするんですけど。

 ということで、4曲目です。「マイ・フレンド・ジョン」です。日本語にすると、「僕の友達、ジョン」ですね。“ジョン”というのは恐らく、あの“ジョン”のことだと思われますが、もしかしたらその“ジョン”ではなくて、あっちのほうの“”ジョンだったりするのかも知れません。ジョン万次郎とか。…と思って原文ライナーを見たところ、そこには“ペッパー君のコメント”みたいな囲みがあるんですが、“John Snyder helped me 〜”というようなことが書いてありましたので、どうやらあの“ジョン”とは関係ない“ジョン”のようですね。僕は、“ジョンもの”にしてはコルトレーンっぽくない曲だな。…などと思いながら聴いていたんですが、違う“ジョン”なんだから当然ですよね。同じ意味で、別に万次郎っぽい曲というワケでもないんですが、お世辞にも日本人好みのキュートなメロディとは言い難いヘンな曲ですね。50年代ペッパー擁護派の養護の先生なら、「こんなの、私の知ってるペッパーじゃない。。。」と落胆して、ヨードチンキを飲んで自殺を図ったりするかも知れませんが、いや、擁護養護ヨードで、韻を踏んでみただけの話なんすけど。しかしなんですな。養護の先生というのはイイですよね。保健室で養護の先生とイケナイ関係に陥る。…というのは健全な青少年なら一度は心に抱いたことのある妄想ではないかと思われますが、あ、僕は別に体育用具置き場跳び箱の上で…というのもイイと思うんですけどね。隣にはバレーボールのたくさん入ったカゴがあったりして、「ああん、私にアタック・ナンバーワンっ♪」とか言って、いやあ、考えただけでも気分は盛り上がりますなぁ。…って、そんなことはどうでもよくて、「マイ・フレンド・ジョン」ですね。変則リフ・ブルースというか、とにかくヘンな曲というか、表現のしようがないような曲なんですが、37回くらい聴き続けると、意外と病みつきになっちゃうかも知れませんね。年に3回くらい、無性にモンクの曲を聴きたくなるような“ヘンな曲、聴きたさ”の心理って、確かにありますからね。で、テーマに続くペッパーのソロは極めてフリーキーです。もう、フリーキー堺もびっくり!?…という感じでありまして、あ、こりゃ、50年代擁護派がアレルギー反応を起こすハズや。…というのも何となく納得がいきますね。僕も決してこの世界を理解して好きになれるワケではないんですが、ま、このトシになってここまで羽目を外せるというのも、ある意味、幸せなことではありませんか。人は普通、50を過ぎると羽目板を踏み外したりするのが関の山ですからね。しかし何ですな。“関の山”というのは何となく、相撲取りの四股名によさそうですよね。…と思っていたら、東序二段106枚目くらいにいるみたいですね、“関ノ山”。いや、いつの時代のデータだか知りませんけど。

 で、ラストです。CDおまけ曲です。当然、気合入ってません。制限時間を間違えて、気合を入れ損ねた魁皇戦高見盛くらい気合入ってません。「ブルース・フォー・ハード」っすか。あ、そうっすか。ヘンなブルース…といった感じの曲でありまして、真面目に鑑賞すればそれなりに聴き所もあるんでしょうが、なんせ真面目に聴く気が失せてますからねぇ。もう、今日の運勢は「失せ物、見つからず。」といったところですかね?ということで、今日はおしまい。

【総合評価】

 1曲目と2曲目、すごぉくよかったんだけど、3曲目でフツーになって、残りの2曲がねぇ。…というのが率直な感想ですね。おかげで今ひとつ、残りの 『フライデイ・ナイト・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』 と、 『サタデイ・ナイト・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』 と、 『モア・フォー・レス:アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード・Vol.4』 を買う気をソソられないんですが、どうなんっすかね?もし持っている人がいれば、率直な感想を聞かせていただけると嬉しいです。で、それをネタに1回分の原稿を書いてくれると、もっと嬉しいです。


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