SAYING SOMETHIN’ (NEW JAZZ)

 GIGI GRYCE (1960/3/11)

SAYING SOMETHIN'


【パーソネル】

RICHARD WILLIAMS (tp) GIGI GRYCE (as) RICHARD WYANDS (p)
REGGIE WORKMAN (b) MICKEY ROKER (ds)

【収録曲】

BACK BREAKER / LEILA'S BLUES / BLUES IN THE JUNGLE
DOWN HOME / LET ME KNOW / JONES BONES

【解説】

 ようやく花粉症の季節が終わり、風邪も治りかけたと思ったら、今度は下痢になりました。ま、下痢なんてものは1年365日のうち、トータルすると127日くらいは罹患しているような気がするので別に珍しくも何ともないんですが、繊細でデリケートですからねぇ、僕の。恐らく、ホルモン焼きにすれば上品で淡白なテイストであると思われ、腸詰を作ろうとすればすぐに破れて中身の挽肉が漏れ出しちゃうに違いなく、学校に行けば行ったで、みんなからエンガチョにされてしまう。そんなのおかげで町長からも見放されてしまう僕でありますが、好きなソーセージはチョリソーフランクサイズで太さ的にも手頃だし、パリっとした歯ごたえとスパイシーな味わいは、まさに超理想的って感じぃ?…とまあそんなことで、脂っこいものや冷たいもの、消化の悪いものや腐ったものなどを食べ過ぎると、途端に下痢になっちゃう僕でありますが、人工甘味料の類も駄目ですな。キリシトールアスパルテームの入った食品にはよく、「一度に多量に摂取すると、お腹がゆるくなる場合がございます。」などという注意書きがあったりしますが、「へぇー。」とか思いつつ、委細かまわず一度にたくさん食べたりすると、必ずと言っていいほど、おなかがゆるくなります。しかし、何ですな。“おなかがゆるくなる”などという婉曲的な表現ではなく、もっとストレートに“下痢する”とか“ウンコが液状化する”とか書いてくれれば、僕も多少は気をつけるようになると思うんですが、何せ“おなかがゆるくなる”ですからね。ま、多少、おなかがゆるくなるくらいのことはいっかぁ。…と思って一度にたくさん食べてしまって、あげくの果てに、「おなかがゆるくなっちゃったぢゃないか!」という事態に陥るわけでありまして、食品表示法的には極めて不適切な表現だと思うんですよね。ま、要は下痢ギリギリのところで食べるのにキリをつければいいんですが、おいしくってなかなかキリがつかないんですよねぇ、キシリのど飴。ちなみに僕はキシリだけでなく、毛剃りというのもわりと好きだったりします。

 で、下痢をすると頻繁にお世話になることになるのがトイレットペーパーでありまして、この時ばかりは多少高くても品質のいいものを使いたいですよね。でないと、“拭き過ぎで爛れる”という、思わぬ下痢の副作用に悩まされることになります。昔、ウチで使っていたトイレットペーパーはひどかったですからねぇ。トイレットペーパーなどという ハイカラな名前で呼ぶのも憚られるような代物で、当時、世間ではそれを“便所紙”と呼んでいたわけでありますが、今のようなロール場のものではなくて、B5サイズくらいにカットされた四角い紙がペラペラのビニール袋に入って、300枚くらいで98円。…といった売られ方をされておりました。いや、枚数とか値段のほうは記憶が曖昧で、あるいは400枚入りで48円くらいだったかも知れませんが、便所紙の商標名はしっかりと覚えております。“助六”というのがそれなんですが、塩サバ家の便所紙が“助六”だった。…というエピソードは『塩サバ通信』ではよく知られてますよね。ネタに困ったらいつもこの話を書いているような気がしますが、その“助六”を店に買いに行くのは、もっぱら僕の仕事であった。…ということはあまり知られてはおりません。わざわざWEb上で公開するほどの話でもないな。…と思って今まで黙っていたんですが、もはやそんな悠長なことを言っていられないほどネタ切れの事態は深刻化しておりまして、いやあ、子供心にもまったくソソられるものがない、嫌ァなお使いだったんですよね、“助六”と“小銭寿司”。

 言うまでもなく、お寿司の“助六”と“小銭寿司”との間には根強い相関関係がありまして、“小銭寿司”でも当然、“助六寿司”は売られていたわけでありますが、“小銭寿司”に便所紙のほうの“助六”はありませんでした。あ、その前に“小銭寿司”について説明しておくとですね、これはいわゆる“お持ち帰り寿司”のチェーン店でありまして、かつては“小僧寿し”と勢力を二分するほどの勢いがあったんですが、いつの間にやら廃れましたな。いや、桑名にあった“小銭寿司”が潰れただけの話かも知れませんが、昔、寺町通りにあったんですよね。 で、便所紙の“助六”同様、ここへ寿司を買いに行くのはもっぱら僕の役目だったんですが、僕はそれがあまり好きでありませんでした。いや、寿司を食うこと自体は大好きなんですが、買いに行かされるのは嫌でした。というのもですね、ウチが“小銭寿司”で買ってくるのはいつも“大セット”というヤツで、これはマグロとか、イカとか、タコとか、タマゴとか、カッパ巻きとか、鉄火巻きとか、おしんこ巻きなんかが直径32センチほど(←推定)の丸いペナペナの容器に入って、1500円(←確か)。…という、実にリーズナブルなセットで、値段のわりには意外とイケる。…というので、さば家ではわりと好評だったんですが、直径32センチほど(←推定)の丸いペナペナの容器…というのがネックでありました。自転車のカゴに入らんのですよね、これがまた。ペナペナ容器は青い透明地に白い水玉を散らした薄手のビニール風呂敷に包まれておりましたので、その結び目のところを持って片手ハンドルで帰ってくることになるんですが、腕が疲れてくると面倒になって、ペナペナ容器を自転車の前カゴに強引にナナメに突っ込んだりしました。すると中の寿司は“よさった”状態になってしまい、家に帰るとお母さんに、「またナナメにしてぇ!」…と、たいへん叱られました。苦労しておつかいに行って、それでちょっと寿司が“よさった”ぐらいで叱られていては、立場というものがありませんよね。僕は何だかとても哀しくなって、「かっぱ巻き、いっぱい食ってやるぅ!」と心の中で叫んでヤケ食いした次第でありますが、ワサビが目にしみて、ちょっぴり涙が出ました。

 で、一方、便所紙のほうの“助六”でありますが、これも“小銭寿司の大セット”と同じような問題を孕んでおりました。B5サイズ大にカットされた紙400枚というのは、何だか微妙に自転車の前カゴに入りきらないんですよね。いや、本当に400枚だったかどうかはサダカではありませんが、底面積に比べるとヤケに背の高いアンバランスな直方体をしておりまして、でもって中身がバラの紙を束ねたものだから、隙があったら傾いてやろう。…と、虎視眈々と機会を窺っているような性格の悪い便所紙でしたからねぇ、“助六”の野郎は。で、悪いことに自転車の前カゴというのは底にいくにつれて微妙に面積が狭くなる構造になっておりまして、この狭まり具合が“助六”をカゴに突っ込むに当たって微妙に干渉して邪魔になるんですよね。結果、自転車の前カゴに突っ込まれた“助六”は片手で押さえてないと走行中に落下してしまうことにるんですが、腕が疲れてくると面倒になって、“助六”を自転車の前カゴの底まで強引に押し込んだりしました。すると“助六”の袋というのは極めて脆弱なのでビリっと破れてしまい、家に帰るとお母さんに、「また無理矢理カゴに押し込んでぇ!」…と、たいへん叱られました。苦労しておつかいに行って、それでちょっと袋が破れたぐらいで叱られていては、立場というものがありませんよね。僕は何だかとても哀しくなって、「思いっきり拭いてやるぅ!」と心の中で叫んで便所の中でヤケ拭きした次第でありますが、なにせ紙の質が悪いものだから直ちに爛れてしまって、痛くて、ひりひりして、ちょっぴり涙が出ました。

 少年期の、ちょっぴり哀しい思い出です。

 ワシが子供の頃はのぉ、便所紙というのがあってのぉ、“助六”という名前でのぉ、でもワシは“助六”よりも “透け透け♪”のほうが好きでのぉ。…って、いやあ、爺ィというのはどうにもスケベでいけませんな。ということで、ジジ・グライスです。 「この爺ぃ ぐらいスケベな 奴はいない」 という俳句で知られている人…って、いつもこの人の名前が出て来ると、必ずこの俳句が引き合いに出されるわけでありますが、いけません。そろそろ新しい“キャッチ俳句”を考えるべき時期に来ているのではないか?…と思う次第でありますが、えーと、例えば…

 ・ 爺、暗いっす

 > 沈み込む爺ィ。

とか。いや、さっぱりとしておりますが、出来のほうもさっぱりですね。そんなことで、では早速本題に入りたいと思いますが、このジジ・グライスという人、日本での人気は今ひとつですね。知性派と目されているところが不人気の一因ではないかと思われますが、日本のジャズ・ファンというのは知性よりも痴性のほうを喜んだりしますからねぇ。 『おねだりOLの痴性本能』とか。いや、何となく検索してたらヒットした本のタイトルなんですが、例えばジジ・グライスがドナルド・バードと結成した双頭コンボの名前が“ジャズ・ラブ・クインテット”。いやあ、“ジャズ愛・五重奏団”って、グライスもなかなかくだけたところがあるぢゃん。…と思っていたら、“ラブ”というのは“ラボラトリー(研究室)”の略らだったんですな。ちなみにアメリカ航空宇宙局の“スカイラブ計画”というのも同義です。昔、僕が長島スパーランドでアルバイトしていた頃に一緒に働いていた奴は、「宇宙で2台の宇宙船が合体するやん。で、それを“愛の行為”に見立てて、“スカイラブ”という名前が…」などと、ずいぶんロマンチックな戯言をホザいておりましたが、それは大きな間違いでした。“宇宙研究所”。そんだけ。…という意味だったんですね。10年近くも“愛の行為説”を信じていた、僕の青春を返せ!…と思わずにはいられません。で、ジジ・グライスです。あ、そうそう。書き忘れておりましたが、僕が便所紙の“助六”を買いに行くのは西鍋屋町にある“大元”という店でありました。すぐ近くにも同じ“大元”という店(砂糖屋?)がありまして、おそらく親戚関係にあったものと思われますが、同じ名前で紛らわしいので、さば家では“助六”のほうを“大元”、砂糖屋(?)のほうを“小元”と称しておりました。“小元”のほうはさほど利用することがなかったから小者扱いされちゃったのか、それとも“助六”のほうは大便時に用いる紙を売っているから“大元”になったのか、その辺りの事情はサダカではありませんが、いずれにせよわざわざ思い出してまで書くほどのネタでもありませんでしたな。ということでジジ・グライスです。手持ちのCDで、まだこのコーナーで紹介したことがないと思われる作品をチェックしてみたところ、3枚ほど該当作がありました。うち1枚はジャケットにメンバー全員の顔が出ておりましたので一目見て“見なかったこと”にして、残すところあと2枚ですな。で、収録曲にスタンダードが多く、若いギャルにもウケがよさそう?…という理由で『ザ・ハプニンズ』というのを仮採用してみたんですが、しかし何ですな。“ジジ好きのギャル”というのは、何だかあまりソソられるものがありませんな。まだ“チンチン好きのギャル”のほうが可愛気がある?…という気がしますが、いや、チンチンさせるのが大好きな犬好きのギャルのことなんすけど。

 で、聴いてみたところ、この『ザ・ハプニンズ』というアルバムは“ジジ好きのギャル”同様、あまりソソられるものがないことが判明して、消去法によって残りの1枚である『セイイング・サムシン』が正式採用のはこびとなった次第でありますが、サイドマンにトランペットのリチャード・ウイリアムスとピアノのリチャード・ワイアンズを配した、いわゆる“W・リチャード入りジジ・グライス・クインテット”の1枚でありますな。この“W・リチャード入りジジ・グライス・クインテット”という言い方は長ったらしくて面倒なので、今後は“Wリチャ入りジジ5”と表記することにしますが、ジャケット的にはジジのリーダー作の中ではコイツがいちばん好きですね。いかにも知性派らしい眼鏡&帽子姿の風貌に味わいがあります。何となく、40年くらい前の東北本線の夜行列車とかに乗ってそうなキャラクターですよね。わりと子供好きで、隣り合わせた5歳くらいの女の子に、「お嬢ちゃん、冷凍みかん食べるかぁ?」と声を掛けたりして。もし、スイングジャーナルあたりで”40年前の東北本線で冷凍みかんを勧められそうなジャズマン・ベスト10”といったアンケートを実施すれば、まず確実に4位ぐらいには入ってくるんじゃないか?…という気がしますが、意外なところでマッコイ・タイナーが9位ぐらいにランクインしたりするんですよね。顔は恐いけど、意外と子供好き…ということで。いや、勧められたお嬢ちゃんのほうは、まず確実に泣くと思いますけど。で、この幼児体験がトラウマとなって、オトナになっても冷凍みかんだけは駄目…というオンナになっちゃうんですよね。とまあ、それはともかく、ジジの諸作の中でもとりわけ“知性派顔ジャケ”の1枚なんですが、聴いてみたら演奏のほうは意外とアウトロー的だったりして、なかなか興味深い仕上がりとなっておりました。ということで、では1曲目から。えーと、「バック・ブレイカー」ですね。プロレスにもそのような技がありますが、僕は敢えて「後背位破壊者」と訳したいですね。ああん、そんなに激しいと、壊れちゃう〜♪…みたいな。何せ体位が体位だけに、どうしても動物的になっちゃうんですよねー。で、曲のほうはというと、わりとオーソドックスな感じのスロー・ブルースとなっております。ジジ・グラのオリジナルなんですが、さすがは知性派だけあって、いついかなる場合でも、決して焦らず、悠然と。…というのをモットーにしているのでしょうか?イントロ無しでいきなりジジ・グライスが南部ライクなテーマを歌い上げ、リチャード・ウイリアムスのトランペットが後に続きます。以下、これをもう一度繰り返し。そしてジジのソロとなります。“知的なアーシーさ”とでも申しましょうか、ここのところが「東北線に乗って上京してきそう?」…というイメージを醸し出しているわけでありますが、特にここでの吹きっぷりは蓮っ葉なムードもあって、悪くないですね。で、続くリチャード・ウイリアムスのソロも何だか垢抜けないところが妙にソソりますな。“イナカ娘ふぇち”的な傾向って、僕には確かにありますからね。で、ソロ3番手のリチャード・ワイアンズはこの手のサウンドを最も得意としており、悪かろうはずがありません。レッド・ガーランドを限りなくネチこくした感じ…とでも言いましょうか、根はゴスペラーなんでしょうな、恐らく。で、テーマに戻って、おしまい。いや、決してアーバンなギャルにウケるとは思えない演奏でありましたが、そういう人は次の曲に期待してくださいね。

 2曲目の「レイラズ・ブルース」もジジのオリジナルです。名前はブルースですが、1曲目と比べると、比べものにならないほどアーシーさは希薄でありまして、特に冒頭の“ぺっぺっぺっぺっぺっぺっぺっぺっぺ、ぴゃっぴゃっぴゃっぴゃっぴゃっぴゃっぴゃっぴゃっぴゃ♪”のところが元気があってよいですね。で、ペットとアルトのユニゾンによる“明るいハード・バップ風”のテーマがあって、ソロ先発はR.ウイリアムスです。あ、ウイリアムスだけでは誰だかわかりにくいし、リチャード・ウイリアムスでは長すぎるし、リチャ・ウイと略すとワケがわかんないし。…と、その表記法を巡ってちょっと逡巡があったんですが、R.ウイリアムスと書けばよかったんですな。我ながらいいアイデアだと思いますが、R.ウイリアムスのソロ自体もなかなか検討しております。1曲目に比べると“洗練されてなさ”もわりと軽減されておりまして、やや軽薄なドナルド・バード…といった感じのソロに仕上げておりますね。途中、ジジのアルトが絡んでくる部分があって演奏のほうは大いに盛り上がり、そしてG.グライスのソロへと流れていきます。先ほど、トランペット・ソロの途中で絡んだことが幸いしてか、ソロの最初からえらく“ちょーすいて”おりますな。あ、“ちょーすいとる”というのは、とっても空いてる(超空いとる)ということではなく、“調子に乗っている”とか“いい気になっている”という意味の名古屋弁なんですが、「ちょーすいとんでかんわー。」というふうに使ったりしますね。幾分、非難めいた感情がこの言葉には込められているわけでありますが、ここでのジジの“ちょーすき具合”はむしろ微笑ましいものとして評価していいと思います。普段は真面目なんだけど、アレでけっこう隅に置けないね。…みたいな。ま、幾分“はしゃぎ過ぎ”といった感が無きにしもあらずなんですが、途中、先ほどとは逆にアルト・ソロの途中にトランペットが絡むパートがあったりして大いに盛り上がっているので、多少ハメを外すくらいのことはいいじゃありませんか。無礼講と、言われてサワる、爺ィかな。…と1句詠みたくなるような情景でありますが、いや、サワられるほうはいい迷惑なんですけどね。かといってOLさんを放っておいてコンパニオンばかりをサワっているとOLさんの機嫌が悪くなっちゃうし、会社の宴会というのも、アレはアレでけっこう気を遣うものなんですよねぇ。…とか言ってるうちにR.ワイアンズのソロがあって、“第2のテーマ”みたいなアンサンブル・パートがあって、レジー・ワークマンのピチカート・ソロがあって、どこかで聴いたことのあるようなリフが出て来て、アルト→ドラムス→トランペット→ドラムスの4バースがあって、それがやがて2バースになって、テーマに戻って、おしまい。なかなか勢いのある、楽しくてよい1曲でありました。

 で、ジジのオリジナルが続いて3曲目は「ブルース・イン・ザ・ジャングル」です。タイトルに“ブルース”という文字が付いておりますが、さほどアーシーではなく、むしろエキゾチックなムードのある佳曲に仕上がっております。イントロのところなど、ちょっぴりH.シルバーの「セニョール・ブルース」を思わせますな。ま、よくよく聴くと、ぜんぜんタイプの違う曲なんですけどね。知性派がその知的センスを作曲に傾けた。…という感じの作品でありまして、時折、能天気なパートが登場するあたりが“ジャングル”なんだと思います。で、ソロ先発はジジ・グライスっす。普通の4ビートじゃねーな。…と思われる複雑なリズム・パターンに乗せて、それでいてフレージングはオーソドックスな仕上がりでありまして、とってもいいっす。続くR.ウイリアムスとR.ワイアンズのソロはいずれも本アルバムのベストと言ってよい出来でありまして、とってもいいっす。で、エキゾチックなセカンド・テーマみたいなパートがあって、R.ワークマンのピチカート・ソロがあって、テーマに戻って、おしまい。以上、とってもいいっす。ということで4曲目ですね。「ダウン・ホーム」はカーティス・フラーのオリジナルでありまして、タイトル通り、ベタなまでにゴスペル・ライクな曲でございます。ここまで教会音楽風を徹底されると、もはやダサいといった次元を超越して、ある種のカタルシスを感じてしまいますが、アルトとペットのユニゾンによるテーマの後は、ごく自然な流れでR.ワイアンズのソロとなります。この曲調はワイアンズやろ。…と誰しもが思うわけでありますが、その期待に見事に応えるソロを展開しておりますな。後半がブロック・コードになっちゃうのも“お約束”ですね。で、それをやってもさほどクドくならないのがこの人の持ち味でありまして、これでもし、レス・マッキャンみたいにやったったら、きっとジジから嫌われちゃったことでしょう。ベタではあるが、決して野卑ではない。…というのがG.グライスのポリシーですからね。寝るときは必ずノーパン…とか、そういった頑なな主義を持った人であろうと推測されるわけであります。いや、ノーパンというのは何だか野卑な気がするんですが、寝乱れて、裾から見える、陰毛図。…って、会社のお泊り忘年会では、そのような“相部屋の悲劇”が起こる可能性が多分にありますからね。パンツ穿けって!…と思わずにはいられません。

 で、5曲目の「レット・ミー・ノウ」はハンク・ジョーンズの作曲とクレジットされておりますな。タンバリンのリズムが楽しいシンプルなリフ・ナンバーでありまして、お泊り忘年会の2次会でスナックに行ったらタンバリンが置いてあったので、酔いにまかせて叩いちゃったぁ♪…というところでしょうか。おたく、そういうタイプじゃないしぃ、そういうふうには見えないしぃ、似合わないしぃ。…と、周囲が思いっきり引いているのも、お構いなし。OLさんにはサワるわ、タンバリンは叩くわ、あげくの果てにノーパンで寝るわで、この忘年会で榊原課長代理(47歳)は大いに株を下げることになるわけですが、おかげで日本の株価はいつまでたっても持ち直す気配が見られないわけでありまして。アンタのせいかい、サカキバラ!で、演奏のほうはアルトとペットのユニゾンでテーマが演奏されて、ジジのソロがあって、R.ウイリアムスのソロがあって、ワイアンズのソロがあって、セカンド・テーマみたいなアンサンブル・パートがあって、テーマに戻って、おしまい。その間、タンバリンはずっと叩きっぱなしでありまして、なかなかのスタミナではありますな。ということで、ラストです。「ジョーンズ・ボーナス」は、やはり作曲者にハンク・ジョーンズの名前がクレジットされたブルース・ナンバーでありまして、冒頭、レジー・ワークマンのピチカートがなかなかディープなムードを醸し出しております。で、テーマ自体はどっかで聴いたことのあるようなメロディでありますな。ま、一言でいえば、ありがちな曲。…ということになろうかと思いますが、ソロ先発はR.ウイリアムスですね。張りのあるトーンでハリハリ漬け的なフレーズを繰り出して、なかなか快調ですな。…って、書いていることが極限まで投げやりになってきましたが、続くジジ・グライスのソロもヴァーティカルなフレージングがとってもいいと思います。もう、“炎の唐揚げ”って感じぃ?いや、高富町のタイムリー(編集部注:岐阜ローカルのコンビニ)にパートのおばちゃんが作っている揚げ物系の惣菜コーナーがあるんですが、僕は普通の唐揚げより、20円くらい高くても“炎の唐揚げ”のほうが好きなんですよね。いや、別にここでのジジ・グライスの演奏が“炎の唐揚げ”に酷似しているというわけではなく、というか、はっきり言ってしまえばまったく関係はないんですが、他に書くことを思いつかなかったので、ま、いいじゃないっすか。ちなみに高富町は近隣の町村と合併して、山県(やまがた)市というのになりました。もともと山県郡というところだったのでこういう名前になったんですが、“やまがた市”では東北の“山形市”と紛らわしいとか、第一、読めん!…というので評判のほうは今ひとつのようです。でも、“炎の唐揚げ”がオイシイから、僕は許します。ただ、ちょっと脂ギトギトでくどい嫌いがありますので、食後に冷凍みかんなんかがあると、もう言うことはありませんな。鶏の唐揚げ冷凍みかん。絶妙の組み合わせですよね。ま、食べたあとで下痢をしそうな気配はありますけどね。で、ソロ3番手はワイアンズです。あ、唐揚げの後で“杏のシャーベット”というのも悪くないですね。例えば、唐揚げ定食750円…って、ちょっと高めでありますが、その分、デザートが付いてくることになっていて、で、“冷凍みかん”か“杏のシャーベット”のうち、好きなほうを選べるというシステムになっていたとしたら、僕は思わず「わい、アンズ。」と頼んじゃうかも知れませんね。“冷凍みかん”って、何だか安っぽいしー。で、ブルージーな雰囲気が喜ばしいワイアンズのソロの後、セカンド・テーマみたいなアンサンブル・パートがあって(←このパターン、多いですな)、R.ワークマンのピチカート・ソロがあって、テーマに戻って、おしまい。結局のところ、ブルースに始まり、ブルースに終わる1枚だったな。…ということになりましたが、ということで今日はおしまい。

【総合評価】

 えー、今年は善光寺御開帳だそうですな。いや、ぜんぜん関係ありませんけど。あいにく、長野の善光寺はちと遠いんですが、幸いなことに祖父江町にも善光寺があるそうです。で、やっぱり今年、7年に1度の御開帳をやっているみたいです。いつもウインドに行くところの近くだし、7年後まで生きている保証はないし、“御開帳”という響きには大いにソソされるものがあるし、で、ジジの『セイイング・サムシン』は当初思っていたより、ずっとかよい出来でありました。


INDEX
BACK NEXT