SUNNY SIDE UP (BLUE NOTE)

 LOU DONALDOSN (1960/2/5,28)

SUNNY SIDE UP


【パーソネル】

BILL HARDMAN (tp) LOU DONALDSON (tp) HORACE PARLAN (p)
SAM JONES (b) LAYMON JACKSON (b) AL HAREWOOD (ds)

【収録曲】

BLUES FOR J.P / THE MAN I LOVE / POLITELY / IT'S YOU OR NO ONE
THE TRUTH / GOOSE GREASE / SOFTLY AS IN A MORNING SUNRISE

【解説】

 夏も終わりですな。夏の終わりに書くテーマというのはいつも決まっておりまして、「夏の終わりを感じさせるもの」。今年もこれでいきたいと思います。そして出てくる内容も毎年決まっておりまして、“高校野球の決勝戦”と“ツクツクボーシ”と“海水浴場に押し寄せるクラゲ”。この3本立てでございます。…というのが“jazz giants vol.21”第1回目(ハービー・ハンコックの『マイ・ポイント・オブ・ビュー』の書き出しだったんですが、ということは30回分の原稿を書くのに、約半年を要したということになりますかね?で、季節は今、春真っ盛りでありますな。“夏の終わりを感じさせるもの”に対し、“春の始まりを感じさせる3点セット”といえば“春のセンバツ高校野球”“桜の開花”それに“サカリのついた猫”ということになるわけですが、最近では“花粉により、とめど流れ落ちる鼻水”というのもありますよね。今年は花粉の飛散が早くて、2月の中頃からもうすでに鼻水がとめど流れ落ちた次第でありますが、飛び始めるのが早かったから“打ち止め”も早い?…と期待していたのに、まったくそのような気配はなくて、4月も中旬だというのに未だに花粉情報では“非常に多い”とか“やや多い”といった言葉が流れております。ま、最近はマスクの着用を徹底しているのが功を奏して、一時期のように激烈な鼻水の襲来に怯えることは少なくなったんですが、やはり“花粉症対策”も“明るい家族計画”も、物理的に“そのもの”を遮断する手立てを講じたほうが、何かと安心感がありますよね。錠剤に頼るとか、液体で洗い流すというのは、何となく不安が付きまとうものでございます。最近の女子高生なんかは「コーラで洗い流せば、だいじゃぶよね?」などと安易に考えている向きがあるようなんですが、そんなことではおじさんは到底、安心出来ません。いや、僕にはまったく関係のない話なので、別にどうでもいいんですけどね。

 とまあそんなことで、今日は落語について考えてみたいと思うんですが、いや、このところ9時半頃まで残業していることが多いんですが、するとちょうど帰りの時間帯にやっているんですよね、「ラジオ名人寄席」。これはですね、当代の名人、上手、人気者がそれぞれの十八番でご機嫌を伺うという、そういった趣旨の番組なんですが、NHKの第1放送で夜9時30分から25分間、毎週月〜水曜日に放送しております。月曜日と火曜日が“落語”で、水曜日は寄席のお彩りに欠かせない“漫才”を取り上げることになっておりまして、僕はどちらかというと“漫才”のほうを楽しみにしていたんですが、この4月の番組改編で水曜日だけ別番組になってしまい、ちょっぴり残念な思いをしております。ちなみに木曜日のこの時間帯にやっているのが「浪曲十八番」で、こちらのほうはしつこく生き残ったようなんですが、やっぱり隠れファンとか多いんですかね?で、金曜日は「上方演芸会」という番組で、こちらでは公開録音で新しい“漫才”とか“落語”を二題流すというシステムになっております。いや、演芸好きのおじさんにはたまらないラインアップですよね。園芸好きのおじさんにはきっとつまらないと思いますけどね。ちなみに僕は演芸のほうはわりと好きなんですが、園芸にはさほどソソられるものを感じておりません。“つちいぢり”はさほど好みではなくて、どうせいぢるなら何か別のもの、例えば“つち”を逆さまにしたもの…って、そんなことはどうでもよくて、あ、そうそう。岐阜県の東白川村にはツチノコが出るそうですね。いや、本当に出るのかどうか知りませんが、もし本当に出るのだとしたら、素晴らしいことですよね。ちなみに桑名にはツチノコは出ませんが、タケノコなら出ます。春先の雨上がりになると雨後のタケノコのようにニョキニョキと顔を出します。で、 ここ では“タケノコ掘り動画”を見ることも出来ます。いや、試しに見てみたら、わざわざネットで配信するほどの映像か?…という気がしないでもなかったんですけどね。ちなみに僕は、タケノコ料理というのは大して美味くもないから別に好きでも何でもないんですが、このサイトで紹介されている“タケノコの刺身”というのはちょっとソソられるものがありますな。作り方は簡単!

 1. 下湯でした竹の子をたてに食べやすく切る。

 2. ワサビ醤油で・カツオ節に醤油をからめて・マヨネーズで!お好きな物につけてお召し上がりください。

ということなんですが、最初の“下湯でする”というところが少し難しいですよね。これは一体どのような調理法なのか?…と3秒ほど思い悩んで、もしかしてこれは“下茹でする”の間違いではないのか?…という結論に達した次第でありますが、ホームページを作り上げた時点ですっかり満足してしまって、自分で書いたページを読み返さない主義のWebマスターなんでしょうな、恐らく。かく言う僕もあまり人のことは言えず、会社のオカダくんから先日、「いい加減、“きどうせんしガンダム”の誤字を直しましょうよ。」と酒の席で指摘されたりしましたので、どこかに間違ったことを書いたのかも知れませんね。おそらく“起動戦士ガンダム ”とか何とか。(←正解は“機動戦士”?) ま、“機動ゼンジー北京”と書くよりはマシ?…という気がしないでもないんですが、いや、それは間違いとかそういったレベルの話ではないような気もしますけどね。で、何の話でしたっけ?“演芸”→“園芸”→“つちいぢり”ときて、“ツチノコ”まで話が展開したんでしたっけ?岐阜県の東白川村では昭和の終わり頃から平成の世にかけて、実に10数件もの目撃情報が寄せられているそうでありまして、村内でツチノコを捕獲した場合には百万円以上の賞金を支払うなど“村おこし”の起爆剤として期待しているんだそうです。僕はどちらかというと“村おこし”よりも“粟おこし”のほうが好きでありまして、子供の頃はこれを“くりおこし”だと思い込んで、「栗が入ってないぢゃないか!」と不満に思ったりしてたんですが、よくみたら“西”の字の下は“”ではなくて“”だったんですね。“あわおこし”。どうりで、大して美味くもないはずや。…と納得した次第でありますが、その“粟おこし”よりさらにソソられるものがない“村おこし”。でも、たかが寸胴のヘビの類を捕まえただけで百万円というのは悪くない話ですよね。でも、兵庫県千種町のツチノコ生け捕り賞金は、なんと2億円らしいですからね。もし僕が東白川村でツチノコを生け捕りにしたとしても、間違いなく千種町のほうに持っていくことになりますが、ところでフセイン大統領を生け捕りにしたら、いくらくらい貰えるんでしょうね?ビンラディンとセットなら、10億はイケますかね?ついでにツチノコもサービスすれば12億はイケますね。もしそれだけの賞金が手に入れば、近くの自販機で売られている“すけべビデオ”と“すけべDVD”を全部、買い占めちゃいますね。で、うちにはDVDプレイヤーがないから、それもついでに買っちゃいますね。とある、あまり信用のおけない信用調査機関の調査によればフセイン大統領湯布院に潜伏しているらしいし(←“フセイン大統領、湯布院亡命説”)、ビンラディンは“抜きキャバ・びんびん♪”に来店しているらしいし(←“ビンラディン、びんびん来店説”)、この週末あたり、ちょっと捜索に出かけてみますかね?

 ということで、“落語”です。なぜ“落語”は“落語”と言うのかというと、落ちのある話だから、“落語”。おそらくそういうことだと思うんですが、よく“落語”と“ジャズ”は似ていると言われますよね。同じネタでも演じる人によってまったく違うものになる。…というのがそのココロなんですが、僕が“落語”に目覚めたのは中学生の頃でありました。当時から僕は成績優秀な学徒でありまして、決して人生に落伍したわけでもないのにどうして“落語”に目覚めたかというとですね、国語の教科書に“落語”が載っていて、それが意外と面白かったという、ただそれだけの話なんですが、いや最初はみんなで馬鹿にしてたんですよね。“落語”なんかカッたるくって、やってられっかよぉ。…と、頭にソリコミを入れたり、ガクランの裏に龍の刺繍を入れたりしていた不良学生や、クソ長いスカートの裾を引きずって闊歩していたスケバンのオネーサン達は思っていたんですが、いざ実際に読んでみたら、意外に面白かったと。わりとウケたりしていたと。その様子を傍から見ていて、日本の古典芸能、恐るべし!…と思ってしまった次第でありますが、いや、もしかしたら“落語”というのは戸塚ヨットスクールよりも健全な青少年の育成には役立つのかも知れませんね。ちなみにその時、教科書に載っていたのは「子誉め」という一席だったんですが、その時の僕の“落語初体験”に関する話は ここ にも書いてありますね。いや、先程“落語 教科書 子誉め”でサイト検索してみたらこのページがヒットしたので思い出した次第でありますが、いや、ほとんど同じことを書いておりますな。ホームページを5年もやっていると、書くことが極限までマンネリ化してくるという顕著な一例でありますが、で、「子誉め」というのは一体どのような話なのかと言うとですね、生まれてきた子供をただひたすら誉めるという、そういうストーリーでありますな。えー、ある人がですね、子供を誉めるわけです。「栴檀は双葉より芳し。」とか、「こういうお子さんにあやかりたい、あやかりたい。」などと言って誉めたところ、親にたいそう喜ばれて、タダ酒なんぞをよばれてしまったと。それを聞いたもう一人のアホがですね、それを真似しようとして、「洗濯は二晩で乾くだろう(笑)」とか、「こういうお子さんに蚊帳吊りたい、首吊りたい(笑)」などとワケのわからないことを言って顰蹙を買うという、いや、書いてみたらちっとも面白くなかったですな。しらじらしく(笑)をつけたりしてみても、駄目ですね。いや、ラジオで“落語”を聞いていて思ったのは、客席の笑い声が聞こえると何だか面白く思えるということなんですが、販売用にスタジオで録音された“落語”というのは笑い声が入ってなくて、何だかちっともウケているようには思えないんですよね。だから思わず自分のHPの文章に(笑)とか、(爆)とか書きたくなる気持ちもワカランでもないんですが、韓国の民謡はアリラン(笑)。…って、ほら、いくら(笑)をつけてみても、面白くないものは余計に空気が寒くなってしまうだけでありまして。

 で、最近「ラジオ名人寄席」で聞いた中では「雪隠壷」「茶の湯」というのが面白かったですな。「雪隠壷」というのはですね、ある人が兄貴分(だっけ?)の何かのお祝いに壷を贈ろうということになったんですが、どうにも高くて手が出ないと。が、これでよければ安く分けてあげようというので手に入ったのが“雪隠壷”でありまして。これは何かというと、要するに“便壷”でありますな。便所の下に備え付けられていて、ウンコの貯蔵に用いられているものであります。ま、綺麗に洗えばわかりやしないだろう…ってんで持っていくわけでありますが、そのウンコ壷に張った水でお茶を入れてくれたりして、大いに困ってしまう(笑)という、そういう話でありますが、いや、やっぱりこうして書いてしまうと面白くもなんともないですね。落語を文章で表現する難しさを痛感している次第でありますが、一方、「茶の湯」のほうはですね、とある旦那が家督を息子に譲って隠居することになったんですが、この旦那は今まで仕事一筋に生きてきて、危ない橋を渡ったことがないような人だったので遊びひとつ知らず、たちまち暇を持て余してしまうと。そこでまあ、「茶の湯」でも始めてみようかということになって、「とにかく緑色をして、泡が立っていた。」というおぼろげな記憶だけを頼りに青黄粉に椋の皮を煮立てて飲んでみるわけでありますが、これが不味いの不味くないのって、おまけに一週間後には丁稚の定吉ともども、ひどい下痢をしてしまうという。うん、なんだか身につまされる話でありますなぁ。下痢は辛いですからねぇ。そこで定吉くん、自分だけクソまずいものを飲まされて、おまけにクソまで下痢になってはたまらん…というので、他の人を呼んで「茶の湯」を開くことを提案する次第でありますが…という展開でございます。ま、早い話、僕は落語のジャンルで言うところの“ウンコ噺”が好きなわけですが、そういえば先ごろ引退した横綱の貴乃花も、「ウンコという言葉を耳にするだけで、(つばき)が湧いてくるっす。」と、自らのスカトロ趣味を告白しておりました。そういえば都はるみも歌っておりましたなぁ、「ウンコ唾(つばき)は貴乃花」…って、お後がよろしいようで。

 ということで今日はルー・ドナルドソンでありますが、いやあ、ちっともお後がよろしくないぞ。…と、あちこちから文句がきそうな“下げ”でありましたなぁ。オチの種類でいうと典型的な“地口落ち”でありますが、どうしてもオチを思いつかなかったもので、まことに申し訳ございませぬ。で、ルー・ドナルドソンです。あれこれCDをチェックしていたところ、とある1枚のアルバムを手にして、「これや!」と思ってしましたね。その1枚というのはBN盤の『サニー・サイド・アップ』でありまして、そのあまりにもシンプルなジャケットに、強くソソられるものを感じてしまいました。が、それだけでなく、サイドマンだって悪くありません。トランペットのビル・ハードマンが入り、ピアノはホレス・パーラン。ベースはサム・ジョーンズもしくはレイモン・ジャクソンで、タイコはアル・ヘアウッド。今人的にはヘアというのはうんと有るより、あまり無いほうが好みなんですが、アル・ヘアウッドのドラムスというのは嫌いでないので、別にいいと思います。ビル・ハーホレ・パーの参加も嬉しいところですよね。で、ルー・ドナルドソンという人は初期の“パーカー直系”から“ファンキー路線”、さらにはオルガンを入れた“ソウル派”へとスタイルを転じていくわけでありますが、これは“純正ハードバップ”と言えるような作品に仕上がっておりまして、余計なコンガとかが入っていない分、地味ではありますが正統的なプレイを堪能することが出来ますね。とまあそんなことで、では1曲目から聴いてみることに致しましょう。

 えーと、まずは「ブルース・フォー・J.P.」という曲ですね。ホレ・パーのオリジナルなんですが、“J.P.”とは一体、誰に捧げられたバラードなんでしょうね?…という疑問は恐らく、原文ライナーを読めばたちどころに明らかになるのではないかと思われますが、パーランの妻というのがその答えのようですね。なるほど、後ろの“”のほうはパーランだったわけですね。なんとかパーラン。ま、おそらく蕁麻疹パーランといった名前で、「私、サバが苦手でぇ。」といったキャラなのではないかと思われますが、 そのような繊細な病弱さを感じさせない明るいナンバーに仕上がっておりますね。あるいは蕁麻疹ではなくて、ジャパネスク・パーランとか、ジャバスクリプト・パーランとか、そういう名前なのかも知れません。ジャバスクリプト・パーラン。略して“ジャバ・パー”とか。で、演奏のほうはですね、アルトとトランペットのユニゾンによるテーマで幕を開けます。日本語ライナーで原田和典クンは、「はっきりいってこんな曲ぐらいすぐに作れそうと思ってしまうが…」などと書いておりますが、そのシンプルさもドナルドソン&パーラン・コンビのいいところでありまして。で、ソロの先陣を切るビル・ハードマンのプレイが素晴らしいですね。トーンこそ若干“へろへろ”しておりますが、歌心溢れるフレージングが絶妙でございます。ハードさよりもハートで勝負。そういうタイプの人でありますな。続くドナルドソンは対照的に強いアタックで楽器を鳴らしておりまして、パーカー・ライクなフレージングも実にご開帳…いや、快調でございます。途中、「剣の舞」を引用するところが圧巻ですね。続くホレス・パーランのソロも極めて良好です。僕は当初、このアルバムのピアノって、ハーマン・フォスターだったっけ?…と勘違いしながら聴いていて、フォスターって何だかホレス・パーランみたいなピアノを弾く人だなぁ。…と思った次第でありますが、それもそもはず、パーラン本人だったんですな。僕の耳のよさと記憶力の悪さを如実に示すエピソードだと思いますが、その後、ベースのピチカート・ソロも聴けますね。これはえーと、レイモン・ジャクソンもほうですか。3、6、7曲目がサム・ジョーンズ、残りの曲がレイモンで、水戸が黄門と、そういった編成になっております。

 2曲目はスタンダードの「ザ・マン・アイ・ラブ」です。邦題は「私の彼氏」ですか。私の私のカレは〜、加齢臭ぅ〜♪…って、おっさんフェチなんすかね?ま、“鰈臭”というのも何だか生臭くて決して誉められたものではないような気がするんですが、ドナルドソンがワン・ホーンでしみじみとテーマを歌い上げ、バラードか?…と思わせておいて、いきなり超アップ・テンポに転じる演出がニクいですね。テーマからそのままドナルドソンのソロへと流れ込んでいくわけでありますが、人生に何の悩みもなさそうな吹きっぷりが爽快であります。続くビル・ハードマンもいいですね。その次のパーランもいいです。えーと、早くも書くことがなくなってきたので原文ライナーのお世話になることにしますが、ハードマンは歯応えのあるドライブ感あふれるソロを疲労し…って、疲れている場合じゃなくて、ドライブ感あふれるソロを披露し、パーランのソロもこのアルバムでもっとも画期的なものの1つとなっている。…という具合に、とてもいいと思います。で、その後、“ぱっぱらら〜、ぱっぱらら、ぱっぱらら〜♪”というアンサンブル・パートがあって、短いドラム・ソロを挟んで、もう一度“ぱっぱらら〜♪”があって、そのままテーマの再現なくして、エンディング。…という構成もビシっと決まっております。とにかく、よくデケた演奏であると評価することの出来る1曲でありましょう。

 ということで3曲目です。「ポライトリー」はビル・ハードマンの代表曲でありますな。何だか能天気なところが僕はあまり好きではなかったんですが、ここでのプレイは“人生、何にも考えて生きてなさそうなアルト奏者”の代表格であるルー・ドナルドソンにしては珍しく、哀愁味を感じさせるものになっておりまして、この曲のファンキーな魅力を再認識した次第であります。「これはグルーヴな曲だ。」とドナルドソンがコメントしているのも納得がいくわけでありますが、そんでもってここでの演奏は、テンポ設定が絶妙ですよね。これよりもう少し速くても遅くても駄目…というギリギリのところに設定されておりまして、グルーヴ感がいやが上にも高まっております。アホそうに見えて、意外と考えてるタイプだったんですね、ドナルドソン。で、ユニゾンによるテーマに続く彼のソロはいつもより幾分濁ったトーンで、時折フリーキーな音色を混ぜたりして、いやあ、頑張ってますなぁ。続くハードマンのソロは“地味にグルーヴするリー・モーガン”といった感じでありまして、ちょっぴり「モーニン」での展開を思わせたりして、続くホレス・パーランはティモンズとは違ったスタイルの黒さの持ち主でありますが、彼は彼なりに頑張っていて、全体的になかなかよい感じに仕上がっていると思います。えーと、この曲に関しては以上です。次。「イッツ・ユー・オア・ノー・ワン」ですか。僕はこの曲の何だか能天気なところがあまり好きではないんですが、マクリーンも得意としている曲なので聴き比べてみるといいかも知れませんね。マクリーンがルースト盤の『ザ・ジャッキー・マクリーン・クインテット』、いわゆる“ネコのマクリーン”で演ってるのと似たようなアレンジが施されておりまして、ただアルトとトランペットの出てくる順番がまるっと逆になっているところが面白いですね。わははははははは。テンポ設定もドナルドソン版のほうが速めになっておりまして、ルー・ドナ、ビル・ハー、ホレ・パーと続くソロはどれも極めて快調であります。要は曲ではなくて演奏なんだよね、ジャズって。…ということを再認識した次第でありますが、ということで、次です。真実への飽くなき探究者、ルー・ドナルドソンが放つ畢生のブルース、「ザ・トゥルース」。マグロの脂身?そりゃ、トロっす。…というくらいディープなブルースでありまして、脂っこさが病みつきになっちゃいますね。個人的には一皿1000円の大トロよりも500円の中トロくらいのほうが好きなんですが、ホレス・パーランとのコンビネーションにより、その“ねちこさ”は一段の凄みを増しております。そのあまりの泥臭さに恐れをなしたのか、ビル・ハードマンは“1回休み”となりますが、その分、ドナルドソンお得意フレーズを堪能することが出来ます。そういえば今日の『サザエさん』に、「目は人間のマナコである。」という波平お得意のフレーズが登場して、僕は思わず嬉しくなってしまいましたが、今週は何かいいことがありますかね?

 ということで、6曲目の「グース・グリース」です。再びドナルドソンのオリジナルで、タイトルの意味は「駆け足のようなテンポで。こう言っていい。ケリを入れられた人が走るように。」…と彼がコメントしているように、そういった意味合いであるようです。“ケリを入れられた人が走る”(like someone being goosed on)というところがいいですね。ちなみに“grease”には“潤滑材”や“物事を円滑に進める”といった意味があり、“goose”というのは本来は“ガチョウ”のことなんですが、口語では“まぬけ”とか“あほ”とか、更には”びっくりさせるために人の尻又は股の間を後ろから手や指で突くこと”という意味があるそうです。“ケリを入れられた”というより、“円滑なエンガチョ”といった感じですかね?いや、“エンガチョ”はあまり関係ありませんか。“快調な浣腸”のほうがより近いかも知れませんが、そのタイトルが示す通りなかなか快活なナンバーでありまして、今にもコンガのチャカポコ音が聞こえてきそうな雰囲気が漂っております。リラックスしたムードがたまらなく、浣腸された緊張感は希薄でありまして、そこのところがルーさんなんでしょうな。続くハードマンのソロも悪くないんですが、ここでの聴きものはやはりパーランの“同一フレーズ、ねちこく反復責め”でありましょう。そのクドさがもう、たまりません。で、サム・ジョーンズの骨太ピチカートがあって、テーマに戻って、おしまい。ということでラストです。ここでスタンダードの「ソフトリー・アズ・イン・ア・モーニング・サンライズ」を持ってきましたかぁ。ドナルドソンと「朝日のように爽やかに」というのはややミスマッチなような気もするんですが、ビル・ハードマンがミュートで吹くテーマ部が何ともいい感じに仕上がっております。そう来たかぁ。…という感じですね。この人は“存在自体が哀愁”といったところがあるので、哀しげなメロディと切ないミュートの音色が実によく似合いますよね。テーマからそのままハードマンのソロへと流れていくわけでありますが、続いて登場するドナルドソンも決してムードをぶち壊すことなく、節度のある吹きっぷりで対処しております。パーランのピアノだって胸にしみちゃいます。いずれにせよ、僕のフェイバリット・チューンのひとつである“朝さわ”に、こうして新たな名バージョンの発掘がなされたことに感謝したい次第でありますが、ソロの最後をサム・ジョーンズがピチカートで渋く締めて、テーマに戻って、おしまい。

【総合評価】

 うーん、非常によい出来の西城秀樹。…といった1枚でありましたな。そんだけ。


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