THE LAST STITT SESSIONS VOL.1 (MUSE)

SONNY STITT (1982/6/8)

THE LAST STITT SESSIONS VOL.1


【パーソネル】

SONNY STITT (as,ts) JUNIOR MANCE (p) GEORGE DUVIVIER (b) JIMMY COBB (ds)
【収録曲】

STEAMROLLER / I'LL BE SEEING YOU / OUT OF NOWHERE / SWEET GEORGIA BROWN
KEEPIN' IT / THIS IS ALWAYS / MAKIN' IT / ANGEL EYES

【解説】

 ジョーカー森田って、誰?…というのが僕が今、一番疑問に思っていることなんですが、いや、先ほど“be-bop掲示板”を覗いてみたら、書いてあったんですよね、ジョーカー森田。何でも、4月6日日曜日に九華公園ライオンズ広場のステージでコンサートを開催いたします。…ということらしいんですが、ちなみにこれを書いているのが4月5日の土曜日なので、明日ということになりますね。九華公園というのはおそらく桑名城跡を整備した公園のことだと思われますが、ライオンズ広場って、そんなもんありましたっけ?九華公園に西武系の企業が手を出しているとは思えないので、おそらく桑名ライオンズクラブあたりが整備した広場ではなかろうかと思われますが、そういえば公園の片隅にチンケな屋外ステージのようなものがありましたな。30人も来れば満席になるような規模ではありますが、アレがおそらく“ライオンズ広場のステージ”ということなんでしょう。で、コンサートというのはおそらく“さくらまつり”のイベントだと思われますが、ところでジョーカー森田って、いったい誰なんですかね?

 ど〜も〜、ジョーカー森田で〜す。…ということで、その正体が判明しました。“Google”で検索して、1件だけヒットしました。もう、“I'm Feeling Lucky”要らず…といった感じの検索結果でありましたが、ジョーカー森田というのは“FM Port Wave”でDJをやってるおっさんのようです。この“FM Port Wave”というのはいわゆるコミュニティFMというヤツでありまして、四日市を中心に桑名のあたりまでは電波が飛んで来ているようなんですが、いつもラジオではNHK第1の“浪曲十八番”とかを聞いているので、ジョーカー森田氏の名前は寡聞にして存じ上げておりませんでした。申し訳ないことをしました。ということで、ジョーカー森田に関しては、以上です。

 いや、予想はしておりましたが、まったく盛り上がりませんでしたね、ジョーカー森田。わざわざ太文字強調にして7回も名前を連呼する必要もなかったよなぁ。…と反省している次第でありますが、あれよあれよと言う間にフィリピンの大統領になっちゃいましたよね、アロヨ。で、あれよあれよと言う間に桜が咲いて、ふと気がついたらプロ野球まで始まっておりました。今年は今のところ(4月5日現在)、阪神近鉄が好調なので喜ばしい限りでありますが、ナイトやらスクルメタやらエチェバリアやら、いつの間にやらワケのわからん外人が大挙して登場しておりますな。ま、ナイトはまだそれほど問題はナイトして、スクルメタとかエチェバリアとか、もはや人間なんだか怪獣なんだかワカランような名前の外人を呼んで来て、それでイイんですかね?ま、別にいいような気もするんですが、高校野球でもアン君やらダルビッシュ君が活躍する時代ですからね。それにしても“ダルビッシュ・有(ゆう)”って、何だかカッコいい名前ですよね。僕も“さばっち・有(ゆう)”とかに改名しようか?…と思ってしまいましたが、いや、何となく語感が“アパッチけん”みたいで、今ひとつなんですけどね。ま、ジョーカー森田というのも決して誉められた名前ではないような気がするんですが、それにしてもアメリカ軍の戦闘ヘリの“アパッチ”という名前は、もうちょっと何とかならなかったんですかね?何だかちっとも活躍しそうなイメージが浮かんでこなくて、実際、イラク軍にたまに打ち落とされたりしているようですが、それに比べると空母の“キティホーク”というのはイイですな。船室なんかはおそらく“キティちゃんGOODS”で飾られているものと思われますが、そもそも空母とか攻撃ヘリの名前って、どうやって付けるんでしょうね?

 “キティホーク”。名前の由来はライト兄弟が初の有人動力飛行を行ったノースカロライナ州の小さな街の名前からとっている…と。成るほど。そういうことでありましたか。。ちなみに“アパッチ”というのは勇壮果敢なことで知られるインディアンのアパッチ族に由来するものと思われますが、股引のことを“パッチ”と言ったりするのも似たような意味合いなんですかね?あとはえーと、“トマホーク”ですか。調べてみたところこれもインディアン絡みでありまして、“アメリカ先住民の斧”という意味があるそうです。ちなみにこの“トマホーク”はアメリカ海兵隊では“トマぴょん”の愛称で呼ばれているそうでありますが、それにしても今度のイラク戦争ではまったくと言っていいほど“スカッドミサイル”が登場しませんな。湾岸戦争の時には腹いせのようにイスラエルに“スカッド”を打ち込んで、「スカッド爽やか、コカコーラ。」などとつまらないことを言っていたフセイン君も、今度ばかりはあまり元気がありません。おかげで、フセイン大統領、由布院に亡命か?…などという“温泉療養説”まで飛び出す始末でありますが、その“スカッド”を向かい撃つのが“パトリオット”でございます。これには“愛国派”という意味があるそうですが、対する“スカッド”というのは、これはどうやらアメリカ側が勝手に付けた名前らしくて、“疾走する”とか“かすめて通る”という意味の“Scud”が語源みたいですね。かすめるだけで、当たらない。そのような揶揄を込めたネーミングなのかも知れません。ちなみに北朝鮮の“テポドン”や“ノドン”というのもアメリカ側の勝手な命名でありまして、“ノドン労働”というのは誤りで、ミサイル基地のある“蘆洞”という地名から取ったものだそうです。いくら何でもミサイルに“労働”などという牧歌的な名前は付けんでしょう。“労働1号”では、“塩サバ1号”並みに労働(シゴト)してなさそう?…といった感じですもんね。いや、このところ勤務時間中に原稿を書く暇も惜しんで、まじめに働いているんですけどね。ま、あと1週間もすれば元の生活に戻れるとは思いますけど。

 それにしてもアメリカが“愛国”の名の元に、“インディアンの斧”でもってイラクの民衆を圧制から解放するというのは、何というアイロニーでありましょうか。

 ということで、今日はソニー・スティットでありますが、いや、今日の前半部分はちと短めではありましたが、とっても社会的でありましたな。最初にジョーカー森田が出てきた時はどうなることかと思いましたが、何とかそれらしくまとめることが出来ました。いや一度、“アイロニー”という言葉を使ってみたかったんですよね。僕ってわりと“マカロニ”とか好きだしぃ。実を言うと僕は少し前まで“マカロニ”と“マロニー”の区別がつかなくて、鍋物にマカロニなんか入れるの?…とか思っていたんですが、もう大丈夫です。オトナになって、昔に比べるとかなり賢くなって来てますからね、僕って。で、ソニー・スティットでありますが、この人に関しては2回で挫折してしまった“マイ・ピン子 〜 アルトサックス編”のところにかなり詳しく書いたような気がするので、そちらを少し引用してみましょう。…と、ここまで書いたところで昨夜は眠りについたんですが、今朝方、夢を見ておりました。何でもキティちゃんの新しいシリーズが出たとかで、そいつのファスナーホルダー2個セットを手に入れて喜んでいるところで目が覚めたんですが、その新しいシリーズというのが兵士の格好をした“ソルジャーキティ”というのだから、僕のアタマの中も相当に単純でありますなぁ。…と、自分でも飽きれてしまいますね。いや、ソルジャーって結構好きなんですけどね。“ソルジャーぷれい♪”というのも結構ソソられるものがありますよね。それはいったいどのようなプレイなのかというと、「毛を剃るじゃ〜♪」とか言って、剃毛するだけの話なんですけどね。ということで、ピン子からスティット絡みの箇所を引用してみたいと思いますが、

 えー、ソニー・スティットです。この人はですね、前回紹介したチャーリー・パーカーと演奏スタイルが極めてよく似ていたので、「パーカーのコピー」とか、「スティット聴くならパーカー」とか言われて、とっても馬鹿にされた。…という幼児経験を持っている人です。ま、本人いわく「パーカーの演奏を聴く前から今のスタイルで演奏していた。」とのことでありまして、パーカーのコピーよばわりされるのは心外だったようですが(中略)、このツラい幼児体験がトラウマとなって、スティットは一時期アルトを吹くのをやめて、テナーばかりを吹いておりました。これが俗に言う「スティット一時期アルトを吹くのをやめて、テナーばかりを吹いてた事件」でありますが、いや、俗にそんな言い方があるのかどうかサダカではありませんけどね。で、パーカーが死んじゃった後は気分もパンツのゴムもフッ切れて、アルトも吹くようになったわけでありますが、いや、パンツのゴムも吹っ切れたのかどうかは知りませんけどね。彼に関する文献を読んでも、そんな話はどこにも出て来ないし。

 とまあ、そういうスティットでありますが、根はカラッとした陽性タイプでありますので、トラウマうんぬんと言ってもネチこい類のものではなくて、いささか閉口…といった程度のことだと思われますが、この人はまた多作家でもありますな。残したリーダーアルバムは100を優に超えるんじゃないですかね?で、生涯ビ・パッパーとして安定した活動をしておりまして、どの作品も一定の水準に達しているわけでありますが、ま、言い換えれば「どれを聴いても似たようなもんや。」ということにもなるんですけどね。で、今回取り上げるアルバムも、別に何だってよかったんですが、とりあえず『パーソナル・アピアランス』というのを選んでみました。で、パーソネルや曲名のところも書いてこの原稿を書き進めていたんですが、あかんやん。このアルバム、前にも書いとるやん。…ということに気が付きまして、今、とっても焦っているところであります。いやあ、先走ってジャケ絵を書かなかっただけ、まだ救いでありましたなぁ。ということで方向転換を迫られて、じゃ、『ザ・ラスト・スティット・セッション・VOL・1』でもいきますかね? このアルバムはタイトルからもわかるようにスティットのプレ遺作でありまして、その意味でも外すことは出来ません。外すことは出来ませんが、そのくせ、本当の遺作である『VOL.2』のほうは持ってないんだから、僕のやることも今ひとつ中途半端なんですけどね。とにかくまあ、1982年の録音というのはこのコーナーでは例外的に新しい作品でありまして、スティットが癌で信者鵜…じゃなくて、癌で死んじゃう1ヶ月半ほど前のものであります。ちなみにこの人は死ぬ10日ほど前に来日し、末期癌だったにもかかわらず車椅子でステージに登場して、執念の演奏をしたそうでありますが、さすがに最後の札幌公演だけは挨拶だけで下がったみたいですけどね。が、それに先立つこの『ザ・ラスト・スティット・セッション』は、そんな体調不良を感じさせないような吹きっぷりでありまして、いや、僕も花粉症くらいでヤル気をなくしていてはいけませんなぁ。…と、しみじみ反省させられるエピソードではないかと思います。もう、“修身”の教科書に載せたいくらい。ジャケットを飾る白髪頭のスティットも、いい感じに年をとってますよね。もし、“植木職人をやらせたら、かなりいい仕事をしそうなジャズマン・ベスト10”といったアンケートを実施すれば、かなり上位にランクインするのではないか?…という気がしますね。マッコイ・タイナーなんかも、「顔は恐いが、腕はいい。」というので、7位くらいに入るかも知れません。そんなことでまあ、では1曲目から聴いてみることにしましょう。

 えーと、まず「スティームローラー」ですか。スティットはテナーを吹いておりますな。このアルバムは全8曲中6曲までがテナーによる演奏でありまして、アルト編で取り上げるにはどうか?…という気もしてきたんですが、今さら面倒で再度の変更は出来ません。ま、細かいことには目をつぶって貰うとして、ピアノがジュニア・マンスなんですな。ステイットは当初、バリー・ハリスの参加を希望していたようなんですが、プロデュースを担当したボブ・ポーターが「変化を付けたい。」という理由でマンスの参加を提案したんだそうです。と言うと、何だか気乗りしないようでマンスの立場がないわけでありますが、マンスはジーン・アモンズ=ソニー・スティットの双頭コンボのレギュラー・ピアニストだったので、スティットもこの提案を気に入った…と、ライナーノートに書いてあります。ちなみにこのアルバムの翌日に吹き込まれた『VOL.2』のほうはピアノがウォルター・デイビスで、曲によってはビル・ハードマンのトランペットが入るんだそうです。でもやっぱ、スティットはワン・ホーンだよね?…という拘りが、僕が『VOL.2』を持っていない理由ではないかと思いますが、ま、『VOL.2』だけ持っているというのと比べれば、まだ精神衛生上もマシなのではないかと。で、「スティームローラー」です。スティットのオリジナルです。この人の書く曲はシンプルなブルース調のものが多くて、決して日本人ウケする類のものではないんですが、ま、変にウケを狙ってないところがイイ。…と評価することも出来ますけどね。この人にとって曲作りというのは、あくまでもアドリブの素材ということなんでしょう。で、いきなりはじまるジュニア・マンスのピアノが、かなりイイ感じです。ジョージ・デュビビエも年甲斐も無く張り切っておりますな。で、スティットが登場してテナーでテーマを吹くわけでありますが、続くスティットのソロは死ぬ寸前とは思えないほど、溌剌としております。これならまだ、3年くらいは大丈夫なんじゃないか?…という気がしてきます。続くジュニア・マンスも敢えて“真っ黒路線”に走ることもなく、適度なビ・バップ・フィーリングで頑張っておりますな。それでもバリー・ハリスとは一味違うノリが演奏を華やいだものにしております。で、テナーとドラムスの4バースがあって、そのままドラム・ソロに突入して、テーマに戻って、おしまい。うん、悪くないんじゃないですかね?

 ということで2曲目です。「アイル・ビー・シーイング・ユー」。ビリー・ホリディの名唱で知られるこの曲をミディアム・スローで淡々と吹くスティット。導入部でのマンスのソロも素晴らしい。心暖まるほのぼのとしたトラックだ。…と、日本語ライナー で後藤誠クンが書いている通りの演奏だと思います。成るほど、確かにマンスのイントロが絶妙ですな。で、テーマ・メロディを淡々と吹くステイットはデクスター・ゴードン的な味わいを持って、深く僕の胸に染みるのでありました。口内炎に染みるギョーザのタレ的なプレイ。…と評価することが出来ましょう。トシのせいか、スティットのテナーも何だか深みが増しましたなぁ。さすがは死にかけ。…と言えるソロでありましょう。いや、決してヘロヘロしているわけではありませんけど。で、中間部を飾るマンスのソロもいい感じに黄昏ております。死にかけのウイントン・ケリーにも通じる味わい。…といったところですかね?『フル・ビュー』あたりの雰囲気が漂っております。で、デュビビエのピチカート・ソロがあって、テーマに戻って、おしまい。はい、3曲目。「アウト・オブ・ノーホエア」。パーカー派アルト奏者の必須課目…と言える曲でありますが、ここでのスティットはテナーで吹いております。それもまた味わい深いものがありますなぁ。やはり若い時と違って、トシをとると“気分はテナー”なんすかね?勢いよりも、深みにハマるお年頃…といったところでしょうか。よくも悪くも達観したような演奏でありまして、スリルという点ではやや欠ける嫌いがあるんですが、しかし機雷の除去にイルカを使うとは、アメリカ人も無茶なことをやりますなぁ。そんなことでクジラのノルウェー風を食べる日本人のことを、とやかく言えるのか?…という気がしますが、いや、イルカは機雷を発見したら人間に知らせるだけの役割で、決して自爆して玉砕することはないらしいんですけどね。ということで、4曲目です。「スイート・ジョージア・ブラウン」です。皆様、お待たせ。ここで始めてスティットはアルトを手にしておりますが、やはり往年のプレイに比べるとドライブ感がなくなっちゃいましたかね?ま、死ぬ直前ですからね。仕方がないですよね。癌の末期って、普通なら写経やら写仏に走る時期ですもんね。間違っても射精に走ることはないと思いますが、ま、どうせ死にかけだから、何をやっても許されるぅ?…とか思って、看護婦にガバっと襲いかかる不逞なヤカラもいるかも知れませんけどね。すけべビデオでは、よくある展開です。

 ということで、5曲目です。「キーピン・イット」は、この日のためにスティットが書き下ろしたブルースだそうですが、死にかけ(←しつこい)にして尚、創作意欲が旺盛とは、驚くばかりです。ま、シンプルなブルースで、曲を作るのにさほどエネルギーは使ってなさそう?…という気もしますが、シンプルなテーマを題材に自由自在なアドリブを繰り広げるさまは、春だけに発情最前線!エッチな写真付きだよー!!…って、ちょうど今、このようなメールが入ってきましたが、最近、この手のメールがたくさん届くようになりました。おそらく出会い系ではないかと思われ、僕としてはあまり興味がないんですが、エッチな写真付きだよー!!…というのはちょっとソソられるものがありますな。どれどれ。おおっ♪唇のアップだけやん!…ということで、次に参りましょう。「ディス・イズ・オールウェイズ」。なにげないバラードだが、まるでチャーリー・パーカーのアルトを思わせる演奏である。ごく短いバラード・プレイの中にスティットの哀しさ、美しさ、透明さが満ちている。メロディーをひとつとっても実に説得力があり、スティットの“白鳥の歌”として拝聴すべきトラックだろう。わずか3分余の時間に“魂の叫び”を聴く気がするのは著者だけだろうか。…って、さすがは後藤誠クン、本職だけあってうまいこと書くものですなぁ。“白鳥の歌”なんて、なかなか言えるフレーズではありません。僕だったらせいぜい、“浣腸のうま”(←国際秘宝館の新企画?)くらいが関の山でありまして。ちなみに白鳥というトリは普段は鳴かないんですが、死ぬ直前に一声だけ、“はっくちょ〜♪”という声を出すんだそうです。それがいわゆる、“白鳥の歌”の意味するところなんですが、確かにこの演奏は哀切ですね。翳りのない人生を送ってきた人でありますが、さすがにこの時ばかりは死期を悟りましたかね?いや、本人はただ純粋にアルトを吹けるヨロコビに浸っていただけなのかも知れませんけど。

 で、7曲目はオリジナルの「メイキン・イット」です。いかにもその場で作られたようなリフだが…と日本語ライナーにもありますが、確かにシンプルな曲でありますな。が、テナーによるフレージングは極めて好調で快調です。ということで、いよいよラストです。本来ならまだ『VOL.2』が残っている筈なんですが、僕にとってはこの曲がスティットの“ラスト・ナンバー”ということになります。マット・デニスの「エンジェル・アイズ」とは、これまた日本人好みの泣けるナンバーを持ってきましたな。 なんとなく納得のいく選曲であると言えましょう。で、出来れば最後はアルトで決めて欲しかったところでありますが、テナーで吹いておりますな。ま、別にいいんですけどね。で、イントロのジュニ・マンが泣けます。テーマを吹くスティットもしみじみと泣けます。ややくどい味付けではありますが、僕はチャーハンとか、辛いくらいじゃないと満足できないクチなので、それもまたよろしいかと。カールの“うす味”とか、「味が薄いぢゃん!」と文句を言いたくなっちゃいますもんね。ま、僕もオトナになって微妙な昆布の風味とかも理解できるようになりましたが、コドモの頃、「ウンコくさいぢゃん!」というので好きになれなかったカールの“チーズ味”も、今では結構食べますしー。ちなみに僕はスナック菓子の類では“バーベキュー味”というのがいちばん好きです。…とか言ってるうちに演奏のほうは終わってしまったので、今日はこれでおしまい。

【総合評価】

 “プレ遺作”ということを特別に意識しなくても、それなりに聴ける1枚ではありますな。ま、確かに50年代モノや70年代の『チューン・アップ』なんかと比べると“活きのよさ”では劣りますが、特にテナーにおける味わい深いプレイはそれなりに評価出来るのではなかろうかと。ま、いずれにせよ、この“jazz giant Vol.21”も、これでようやくエンディングを迎えることが出来ました。ということは、630回ですかぁ。我ながらよく続いておりますなぁ。とりあえず“Vol.30”くらいまでは僕も生きていると思いますので、よろぴく♪


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