SWEDISH SCHNAPPS (VERVE)

CHARLIE PARKER (1949/5/5,1951/1/17,8/8)

SWEDISH SCHNAPPS


【パーソネル】

CHARLIE PARKER (as)
RED RODNEY (tp) JOHN LEWIS (p) RAY BROWN (b) KENNY CLARKE (ds) <#1-7>
MILES DAVIS (tp) WALTER BISHOP JR. (p) TEDDY KOTICK (b) MAX ROACH (ds) <#8-13>
KENNY DORHAM (tp) AL HAIG (p) TOMMY POTTER (b) MAX ROACH (ds) <#14-17>

【収録曲】

SISI / SWEDISH SCHNAPPS (alt take) / SWEDISH SCHNAPPS / BACK HOME BLUES (alt take) / BACK HOME BLUES
LOVER MAN / BLUES FOR ALICE / AU PRIVAVE (alt take) / AU PRIVAVE / SHE ROTE (alt take ) / SHE ROTE
K.C.BLUES / STAR EYS
SEGMENT / DIVERSE / PASSPORT (take 1) / PASSPORT (take 2)
【解説】

 今日は芥川龍之介です。凄いですね。文豪ですよね。これはもう、NECのワープロ“文豪”で原稿を書いていたに違いありませんね。…って、龍之介の時代にそんなものはありませんけどね。あ、今のヤングはきっと知らないと思いますが、その昔、ワープロ専用機というものが世の中にはあったんですよね。日本語で文章を作ってそれを印刷するためだけの機械でありまして、そんなのパソコンでやればいいぢゃん?…と思うかも知れませんが、10年ほど前まではパソコンなんてものは一部のマニアしか持っていなかったのが実情でありまして、ディスプレイとプリンタが一体になっていて、それだけでソレっぽい文書を作ることが出来るワープロ専用機というのは、日本語作成機能に特化しているだけあって操作も割と簡単だったのが功を奏して、特に中年のおっさん達の間で大いにブレイクしたのでありました。画面はむろん白黒でありましたが、でも大丈夫です。ちゃんと灰色も表示されましたので、実用上はなんの不自由もありませんでした。プリンタも白黒でありまして、こちらのほうは灰色は印字されなかったのでやや性能的には難がありましたが、ま、おじさん達はそのことで特に文句を言ったりもせず、黙々と“よしおの日記”などをプリントアウトしては悦に入っていたわけであります。いや、思えば牧歌的でいい時代でしたなぁ。ただこのプリンタはインクリボンという長い布状のテープに黒いインクを染み込ませたようなものを使用するためにコストがかさむのがネックでありましたが、それも感熱紙の登場によって解決されました。感熱紙というのはスーパーやコンビニのレジのレシートなんかにも用いられている、あたし、熱くなると感じてしまうんです。そして、黒くなっちゃうんです。…といった性質を持った紙でありまして、手触りなんかも如何にもペラペラしていて頼りなく、裏表を間違えてセットすると何も印刷されなくて、思わず「印刷出来ないぢゃないかっ!」と文句を言ってしまったおじさんも少なくないと思われますが、時間がたつと字が薄くなって、余白の部分が黄色っぽく変色しちゃうのが最大の欠点でありました。もしチャンスがあれば一度、お父さんの書斎の机の引き出しの中を覗いて見てください。もしかしたら奥のほうに黄色く変色した“よしおの日記”と“よしおの日記・Part2”が潜んでいるかもしれません。いや、最初のうちは物珍しいから毎日書いているんですが、そのうち面倒になってきて1週間に1回くらいの更新頻度になって、そしてたいてい“Part2”くらいで打ち切りになっちゃうんですよね。

 …って、そんなお父さんの“ちょっと甘酸っぱいノスタルジー”の話はどうでもよくて、芥川龍之介です。この人はまず、名前がカッコいいですよね。龍之介という名前からは何となく粋人の気配が感じられますし、芥川という苗字も何だか威厳があります。これがもし、山田龍之介という名前だったりしたら、この人の地位はもっと低いものになっていたでしょう。例の、純文学作品に与えられる最も権威のある賞の名前も芥川賞ではなくて山田賞ということになって、何だかちっとも有り難くないですもんね。で、いくら苗字が芥川でも、下の名前が“芥川よしお”とかだったら、ぜんぜん駄目です。ちなみに芥川龍之介というのは本名なんだそうです。名前の由来は、辰年辰月辰日辰刻に生まれたからなんだそうですが、だったら“辰夫”とかでもよかったような気がするんですが、にもかかわらず龍之介。親はなかなかいい名前をつけましたな。芥川辰夫では、何だかもうひとつですからね。ちなみに元の苗字は“新原”だったそうですが、母親が病気のために母方の芥川家の養子になったんだそうです。これも賢明な措置でありました。新原龍之介。ま、これはこれで悪くないような気もしますけどね。で、今回、どうして僕が芥川を取り上げたかというとですね、前回、このコーナーで『河童』という小説について取り上げたわけでありますが、いや、いつも前半部分しか読んでいない人は気が付かなかったかも知れませんが、どうして上高地で河童なのか?…という話になって、この小説のことが出てきたわけなんですけどね。で、書いていて、そういえば『河童』ってどういう話だっけ?そもそも僕って『河童』に限らず、アクタガワの小説ってほとんど読んだことがないよね?…ということに気付かされた次第でありまして。そこでまあ、今度の“書評deポン♪”は『河童』を取り上げてみようか?…というアイデアが浮かんだわけでありますが、そちらの原稿を書いていると“jazz giant”のほうが疎かになってしまうので、前半のネタに持ってきたというワケでありまして。

 いわゆる文豪と呼ばれる人の中では、何と言っても夏目漱石がいちばんポピュラーですよね。彼には『坊っちゃん』という、青少年にもわかりやすい娯楽小説があるのが強みです。『我輩は猫である』の書き出しなんかも小学生でも知ってるし、ま、“(書き出しを)小学生でも知ってる具合”では川端康成の『雪国』なんかも肩を並べる存在であるわけですが、肝心の中身のほうはまったくといっていいほど知られておりません。ま、僕の場合、『我猫』だってマトモに読んだことはないんですけどね。ちなみにと夏目漱石いう名前はペンネームでありまして、本名は夏目房ノ介…って、あ、それはまた違う人ですか。夏目金之助というのがそうなんですか。ま、似たようなもんですけどね。ちなみに漱石というペンネームの由来は「石に漱ぎ、流れに枕す。」という中国の古い諺からとったものなんだそうです。いしにくちすすぎ…って、僕ほどの教養のある人でないとまず読めないと思いますが、“漱ぐ”というのは意味は単純明快で、口をすすぐことであります。「石に漱ぎ、流れに枕す。」…って、「流れに漱ぎ、石に枕す。」…ならわかるんだけど、やってることが反対ぢゃん。すなわち、阿呆やん。…というのがこの諺の意味するところなんですが、そんな言葉からペンネームを付けるなんて、漱石クンもなかなかオチャメなところがありますな。じゃ、森鴎外のほうはどうかというと、こちらもペンネームでありまして、本名は林太郎と言います。中学生の頃、国語の教科書に「著者:森鴎外。本名、林太郎」…とあるのを「ほんみょう、はやしたろうっ!」と朗読して教師から爆笑されたヤツがおりましたが、ああん、そうぢゃなくって。本名、森林太郎もり・りんたろう)というのが正解ですね。ちゃんとフルネームで書かないのが悪いっ!…というのがこの生徒の言い分でありましたが、もしフルネームで書いてあったとしても、こいつの場合は「ほんみょう、しんりんたろうっ!」とか言いかねませんけどね。で、この時、教科書に載っていたのは『高瀬舟』という小説でありましたが、安楽死という現在にも通じるテーマを取り扱ったなかなかシビアな読み物でありましたな。もっとも中学生というのはシビアよりも尿瓶(しびん)のほうが好きだったりするので、生徒のウケは今ひとつでしたけどね。やっぱり『坊っちゃん』のほうが面白かったです。

 で、芥川龍之介でありますが、こちらのほうも何か教科書で習ったような覚えがありますな。最近、中学の国語の教科書から夏目漱石と森鴎外の作品が無くなったというのでちょっと話題になっておりましたが、龍之介はまだ健在なんですかね?ちなみに僕が中学生時代に習ったのは『羅生門』だったような気がするんですが、さほど感銘を受けたような記憶もありません。どちらかというと、そのような堅苦しい文学作品なんかよりも宇能鴻一郎センセイの世界に興味を覚える年頃ですからね。森鴎外でも『舞姫』とかぢゃなくて、『ヰタ・セクスアリス』とか。“ヰタ”というくらいだから、はぢめての時は痛いらしい。…とか思ってましたもんね。ぢゃ、『河童』はどうかというと、タイトル的にはわりと興味をソソられるほうでありますな。幸いにも芥川ブンガクは既に著作権が切れておりますので、 青空文庫 からタダでダウンロードすることが出来ます。アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチの作品だって読むことが出来ます。いや、“”の付く作家のところに名前があったので思わず 『死』『笑』 という作品をダウンロードしてみたんですが、翻訳したのが森鴎外なんですな。面白くなさそうなので、ぜんぜん読む気はしませんけど。で、ついでに 『河童』 もダウンロードしてみたんですが、いきなり「どうか Kappa と発音してください。」と書いてあって、何だかよくわかりません。原文にこういう但し書きがあるんですかね?“河童”というのは“カッパ”以外に読みようがないような気がするんですが、そういえばギリシャ語には“κ”(カッパ)というアルファベットがありますよね。“ξ”(クサイ)というのもありますが、フセイン大統領の次男のクサイ氏って、やっぱり臭いんですかね?…とまあそれはともかく、芥川の『河童』でありますが、これはある精神病院に入院している患者の語り…という形で物語が進んでまいります。なるほど、確かに上高地が舞台なんですね。えーと、どれどれ・・・。

 結論から申し上げましょう。芥川って『羅生門』みたいな堅苦しい文体で書く作家だとばかり思っていたんですが、こういう口語文学だってイケちゃうクチだったんですね。で、なんというか、宇宙人に拉致されてヒューマン・ミューティレーションされちゃうような話でありましたな。かの学習研究社が社運を賭けて出版し続けている教育雑誌『ムー』の総力特集にあった「宇宙人グレイの正体は河童だった!!」という記事は、あながち間違いでもなかったな。…と思ってしまったほどでありますが、“産児制限”なんて言葉も登場しますね。今で言う“明るい家族計画”という概念でありますな。コドモの頃、“明るい家族計画”って、今度の日曜日にみんなで長島温泉に行くぅ?…といった計画のことだとばかり思っていたんですが、温泉は温泉でも、ちょっと違った温泉旅館的な意味合いがあったんですな。17歳くらいになってようやくその意味がわかりました。…とまあそれはともかく、河童のお産のシーンなどは、なかなか興味深いものがありますな。ま、話が進むにしたがって次第に小難しくなってきちゃう嫌いはありますが、ちなみにこの作品は芥川が35歳で自殺しちゃう、その少し前に書かれたものでありますな。35歳ですか。そういえば僕も先日、35歳になりました。17歳にして“明るい家族計画”の意味を知り、35歳にして始めて『河童』を読む。ちなみに芥川の命日である7月24日は“河童忌”と呼ばれているそうです。何だかあまりお洒落なネーミングではありませんが、もし中学校の教科書で取り上げられていたのが『羅生門』ぢゃなくて『河童』だったら、僕たちの芥川に対するイメージも少し違ったものになっていたんじゃないですかね?

 「では君は何主義者だ?だれかトック君の信条は無政府主義だと言っていたが、……」
 「僕か?僕は超人(直訳すれば超河童です。)だ。」

 ということで、今日からアルト編です。“マイ・ピン子”のアルト奏者編が2回で挫折してしまった反省の上に、今回はチャーリー・パーカーから紐解いてみたいと思うんですけどね。ジャズを超越した、言わば“超ジャズマン”というべき存在のパーカーでありますが、録音の古さから来る音質の悪さと、押し寄せる“別テイク地獄”の為、今まで敬遠しておりましたが、いよいよ勝負の時がまいりました。で、取り上げるアルバムはヴァーヴ盤の『スウェディッシュ・シュナップス』でございます。割とマニアックな路線で来ましたよね。ちなみにコレを選んだ理由は他でもない、ジャケ絵を書くのが簡単そう?…という、ただそれだけのことなんですけどね。ま、いつものことですよね。で、ジャケ絵を書くのは簡単そうなんですが、そのセンスは決して誉められたものではありません。パーカーの愛称“バード”にちなんでトリがあしらわれているんですが、真ん中でアルトを吹いてる大トリ(←啓介にあらず)、ちょっと太り過ぎぃ。ま、焼いて食べるにはイイかも知れませんが、さして美味そうなトリにも見えませんしね。で、アルトを吹いてる大トリ(←啓介にあらず)の耳元にいる黒いトリ、目付きが邪悪過ぎぃ。こりゃ、間違いなく“”を囁いてますな。「ヤク、どや?アタマすっきりするでぇ。」とか何とか。やっぱり、悪を囁くなら関西弁ですよね。説得力が違いますからねぇ。で、左下のほうでは白いトリが一羽、ひっくり返っております。よく、炭鉱にはカナリアを持って入る…という話を聞きますが、小鳥というのは酸欠状態に極めて敏感らしいんですよね。そこでいわば、“生きた酸欠検知器”としての役割を担わされることになるんですが、恐らくこの白いトリはその犠牲になっちゃったんでしょう。不憫なことです。…とまあ、ジャケットに何かと問題のあるアルバムではありますが、僕の持っているCDは『SWEDISH SCHNAPPS+』ということで、オマケ曲が4曲入っております。こちらのほうが演奏は古く、1949年の録音となっておりますが、ケニー・ドーハムの参加が興味深いところですよね。で、オマケでない本編のほうは1951年の録音でありまして、レッド・ロドニー&ジョン・ルイスが参加したセッションと、マイルス&ウォルター・ビショップ・ジュニアの入ったセッションの2つから成っております。で、ここでもやはり“別テイク地獄”の恐怖からは逃れることが出来ないわけでありますが、ま、同じ曲を聴かされるのは多くても2回までなので、ま、何とか我慢できる範囲ではありますよね。ただ、本テイクより先に別テイクが入るという構成はどうかと思いますけどね。最初の別テイクを聴いた時点で、ま、いいや。…という気分になって、本テイクを一度も聴くことがないまま死んでいってしまう。…という恐れも多分にあります。死ぬ間際になって後悔しないように、苦痛を覚悟の上で全テイクを聴いておいたほうがいいかも知れませんね。ということで、ではまず1曲目から聴いてまいりましょう。

 まずは、「シ・シ」です。パーカーのオリジナルです。この人の書く曲って、「シ・シ」とか「コ・コ」とか「チ・チ」とか、適当なタイトルのものが多いですよね。で、演奏はレッド・ロドニー&ジョン・ルイスの参加したセッションによるものでありまして、録音年月日はこちらのほうが半年ほど遅くなっております。で、曲のほうはアレです。典型的なバップ・ナンバーでありますな。100%の日本の一般人にはウケそうもない曲調でありますが、短いテーマに続いて飛び出してくるパーカーのソロは、この時期にしてはかなり快調であると言えるでしょう。典型的な“バードの飛翔”を感じ取ることが出来ます。続くレッド・ロドニーは中ジャケの写真を見る限りは“若き日のちょっぴり不良に走っていたクリントン元大統領”みたいなルックスなんですが、何だか形容しがたいスタイルの持ち主でありますな。原文ライナーには、純然たるトランペットのサウンドと、亡きファッツ・ナヴァロを彷彿させるレガートを聴かせてくれる。…とありますが、やや上ずった感じのフレーズを聴かせてくださいます。続くジョン・ルイスのソロは、バッパーと呼ぶにはちょっと線の細い腺病質の体質。…といった感じでありますが、続くレイ・ブラウンとケニー・クラークによる2小節交換はモダンな感じがしてよいですな。51年録音にして、すでにハード・バップ的な響きを持っていると言えるかも知れませんが、演奏はここでさして面白くもないテーマに戻って、おしまい。ま、ビ・バップなんて大抵こんなもんですよね。で、2曲目はタイトル曲の「スゥエディッシュ・シュナップス」であります。“シュナップス”というのは確かお酒の一種ではなかったかと思うんですが、なかなか洒落たタイトルですよね。が、曲のほうは大したことはありません。「シ・シ」と大差はない。…と言い切ってもあながち間違いではないでしょう。で、CDで言う2曲目は別テイクのほうなので軽く流すとして、3曲目にまいりましょう。タイトル曲の「スゥエディッシュ・シュナップス」であります。“シュナップス”というのは確かお酒の一種ではなかったかと思うんですが、なかなか洒落たタイトルですよね。が、曲のほうは大したことはありません。「シ・シ」と大差はない。…と言い切ってもあながち間違いではないでしょう。…って、2曲目と同じ曲なので同じことを書くしか手立てがないわけでありますが、2つのテイクを聴く比べるといった高尚な趣味は僕にはありませんからね。AABA形式のテーマの“Bの部分”がパーカーのアドリブになっておりまして、続くソロ・パートはパーカー、ロドニー、ルイスという順になっております。やはりパーカーのソロが傑出しておりますな。ルイスのソロは1曲目に比べると幾分ファンキーなタッチになっておりまして、そこそこ楽しめます。ファンキーというよりはモンク調ですかね?テーマの再現部は“Bの部分”がベースのピチカート・ソロになっていて、ここらあらりの演出はなかなか憎いところでございます。

 はい、4曲目です。「バック・ホーム・ブルース」は極めてありがちなブルース・ナンバーでありますな。さしていい曲とも思えません。で、全体的に覇気のない演奏でありまして、パーカーのソロも何だかヘロヘロしております。むしろロドニーのほうが健闘しておりますな。が、本テイクになるとさすがに完成度が高くなっておりまして、パーカーのソロもフレージングがかなりスムーズになっております。原文ライナーを書いているビル・サイモン君は別テイクのほうを評価しているようですが、ロドニーのソロも本テイクのほうが更に輝きを増しておりますな。いや、僕の耳に寸分の狂いもございません。で、CDで言うところの6曲目は「ラバーマン」でありますな。「ラバーマン」ではありますが、有名な“発狂寸前@ラバーマン・セッション”とは違います。アレは“”ダイヤル・セッションのほうですね。で、こちらの“ヴァーヴ盤@ラバーマン”は破綻のない演奏に仕上がっておりまして、ま、その分、凄みも希薄なんですけどね。やっぱ、狂ってナンボ…という気がしますよね、チャーリー・パーカーと芥川は。が、ジョン・ルイスによるしみじみとしたイントロや、テーマ・メロディを吹き始めるパーカーの最初の一音など、聴き所は少なくありません。エモーショナルなバラード演奏と言ったところでありましょう。それだけにビル・サイモンくん言うところの“カントリー・ガーデス的エンディング”は余計だったなぁ。…という気もするんですが、ここにはマジメにやることに“照れ”を覚えるパーカーの関西人的な素顔が垣間見られ、カイマンワニ的な興味を覚えることも出来ようかと。いや、書いている本人もよく意味はワカランのですけど。で、7曲目の「ブルース・フォー・アリス」はアレですね。アリスに捧げられたブルースなんでしょうな、やはり。「チャンピオン」を聴いて感動したとか、おそらくそのような体験がパーカーにあったものと思われます。個人的には「秋止符」なんかけっこう好きなんですけどね。カラオケで歌ったら、「雰囲気が暗くなる。」と、今ひとつ不評でしたけどね。「狂った果実」というのもカラオケで歌ったことはありませんが、わりと嫌いではありません。コドモの頃は「狂った果実」というタイトルが理解できず、「腐った果実」の間違いぢゃないか?…とか思っておりましたが、パーカーの「ブルース・フォー・アリス」はアレですな。ローランド・カークが『ウイ・フリー・キングス』というアルバムで吹いておりましたので、馴染みのある曲でございます。で、馴染みのある曲というのは聴いていても何となく安心出来ますね。パーカーのソロも心なしか好調に聴こえてきますしね。事実、ここでの彼のプレイは悪くない出来だと思います。

 はい、ここからがもうひとつのセッションになりますね。マイルス・デイビスウォルター・ビショップ・ジュニアの組であります。若い頃、マイルスがパーカーのバンドで吹いていたことは無論存じておりましたが、ここでウォルター・ビショップ・ジュニアの名前を目にするとはちょっと以外でしたな。もうちょっと先のハード・バップ期のピアニストだとばかり思っておりました。認識不足でしたな。無知ですからね、僕って。もしかしたら河童よりもアタマが悪いかもしれませんね。アクタガワ河童って、何だかもの凄くインテリですからね。で、8曲目と9曲目はアレです。「オー・プリヴァーブ」です。パーカーのオリジナルの中でも人気の高い曲ではないでしょうか。聴いていても調子がよくて気持ちがイイし、もしこの曲をアルトで縦横無尽に吹けたりしたら、さぞや快感でありましょうな。…という気がしますよね。8曲目は別テイクのほうなんですが、それでもパーカーのソロは極めて出気がよく、マイルスのソロもなんだかスガれていて、悪くないですよね。レッド・ロドニーよりも僕は好きです。もしかしたらスガシカオよりもいいかも知れません。しかし何ですな。スガシカオって、もっと清々しい顔をしてるのかと思ったら、そうでもないですね。ま、平井賢よりはマシですけどね。で、9曲目は「オー・プリヴァーブ」の本テイクでありますが、パーカーのソロに関する限り、やはりこちらのほうが出気がいいですね。別テイクもかなり出来がいいと感じたんですが、その上をゆく快調さでありました。で、10曲目と11曲目は「シー・ロウト」という曲であります。素人にはややわかりにくいバップ・チューンでありますが、パーカーはここでも絶好調。もしかすると「オー・プリヴァーブ」よりもいいかも知れません。「オー・プリヴァーブ」もかなり出来がいいと感じたんですが、その上をゆく快調さでありました。どんどんよくなるホッケの太鼓…ってところですかね?いや、ホッケというサカナは何だか大味で、塩焼きにしても今ひとつなんですけどね。いや、僕は食べたことはないんですが、東海林さだおが、「この店もホッケの塩焼きときたか、これ、図体ばかりでかくて、大味で旨くねーんだよ。ぼくこれ要らない。あっちに持ってっとくれ。」と書いておりましたので、多分そうなんでしょう。…とか言ってるうちに本テイクのほうも含めて「シー・ロウト」は終わってしまいましたが、では続いて「K.C.ブルース」に参りましょう。テーマらしいテーマのないブルース・ナンバーなんですが、パーカー・ブルース、ここに極まり。…といった感じの演奏が堪能できます。このアルバム、概してこっちのセッションのほうが出気がいいみたいですね。マイルスのソロはやや“ツッコミ不足”といった感じが無きにしもあらずですが、ウォルター・ビショップのブルージーなノリは傾聴に値すると僕は思います。

 ということで、10曲目は「スター・アイズ」ですな。パーカーの愛奏曲として知られているだけに無難な演奏に仕上がっておりますが、マイルスのソロはいかにも頼りなげでありますな。パーカーの堂々とした吹きっぷりの前には、まだまだヒヨッコという感じですかね?いや、「じゃ、アンタ吹いてみなよ。」…とか言われたら、絶対に無理ですけどね。「学習」の付録のオカリナすら、まともには吹けませんでしたからね。ちなみに僕は“石膏モノ”というのも苦手でありました。必ず24時間以上乾燥させてください。…とか太字で書いてあっても我慢しきれず、思わず6時間くらいで型から出してしまって、そして必ずと言っていいほど割れました。カップ麺の3分間でさえ待ちきれずに煮え切らないラーメンを食っているというのに、24時間など待てるワケがありませんよね。もっと人の資質を考慮して、付録を考えろよ!…と思わずにはいられませんでしたが、ちなみに“石膏モノ”というと、例えば立体的な日本地図を作るヤツだとか。乾ききれずにフォッサマグマのあたりで2つに割れちゃいましたけどね。いや、気分は“日本沈没”という感じでありましたな。

 ということで、さ、残すところあとオマケ曲だけですね。オマケだから別に気合を入れて曲解説する義務もなく、気分的にはかなりラクです。今日の原稿もヤマは越えたな。…といったところですね。で、まずは「セグメント」という曲です。石膏同様、僕にセメントを扱わせたら生乾きになっちゃうことは必至でありますが、「セグメント」というのはアレですな。“7セグメントLED”のセグメントでありますな。日本語にすると“区分”とか“区切り”といった意味があるようです。区分、区分…、えーと、特に何も思いつかなかったので先に進みますが、この曲はアレですな。バップ曲ですな。バップ曲ではありますが、わりと聴ける類の曲ではないかという気がします。AABA形式の“Bの部”がパーカーのアドリブになっておりまして、なかなかいい感じです。ソロ先発はパーカーで、なかなかいい感じです。ソロ2番手はドーハムで、なかなかいい感じです。ソロ3番手はアル・ヘイグで、なかなかいい感じです。ということで、次の曲にまいりましょう。「ディバース」という曲ですね。日本語にすると“さまざまの”とか“種々異なった”といった意味があるようですが、何のことはない、先ほどの「セグメント」とまったく同じ曲でございます。単なる別テイクなのに違う名前を付けるとは、さすがパーカー、やることが適当ですね。ま、オマケ曲だから別にどうだっていいんですけどね。で、続いては「パスポート」という曲です。別テイクを含めて2回続けて聴くことが出来ます。パーカーの卓越したソロを2回も続けて聴けるとは、何という贅沢でありましょうか。で、この曲はアレですな。バップ曲ですな。バップ曲ではありますが、極めてよくありがちなバップ曲であると言えますね。パーカーのソロ自体も典型的なパーカー節で、それなりには評価出来ようかと思いますが、ややヘロヘロしているのはヘロインの取り過ぎでありましょうかね?ま、いずれにせよ、どうでもいいオマケ曲でありましたなぁ。…というのが僕の率直な感想です。ということで、平成14年度の“ぢゃづ・ぢゃいあんと”は、おしまい♪

【総合評価】

 いやあ、年度末を飾るに相応しい、まったく充実していない曲解説でありましたな。やっぱりパーカーを取り上げたのは失敗でしたかね?あ、でもジャケ絵のほうはまずまずの仕上がりではないですかね?…って、誰でも書けるようなジャケットなんすけど。。。


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