MAGGIE’S BACK IN TOWN (CONTEMPORARY)

HOWARD McGHEE (1961/6/26)

MAGGIE'S BACK IN TOWN


【パーソネル】

HOWARD McGHEE (tp) PHINEAS NEWBORN JR. (p) LEROY VINNEGAR (b) SHELLY MANNE (ds)
【収録曲】

DEMON CHASE / WILLOW WEEP FOR ME / SOFTLY AS IN A MORNING SUNRISE / SUNSET EYES
MAGGIE'S BACK IN TOWN / SUMMERTIME / BROWNIE SPEAKS

【解説】

 もうすぐ“節分”ですなぁ。毎年この季節になると必ず“節分ネタ”を書いているような気がしますが…という話を毎年書いているような気がしますが、今年もそんな季節がやってきましたか。最近、月日の経つのが早いですなぁ。ということで今日は「節分血便」というテーマでお届けしようと思いますが、“節分”というのはアレですね。二十四節気のうちのひとつですね。あ、違いますか。二十四節気のうちのひとつである“立春”の前の日が“節分”なんですね。季節を分けるから“節分”。ネーミングの由来はおそらく、そのように大変安易なものであろうと推測されるわけでありますが、節分にはマメを撒きます。カメは撒きません。そんなことをすれば庭中がカメまるけになって始末に困りますよね。ではどうしてマメを撒くのかというと、詳しくはよくわからんのですが、恐らくは「マメに働く」という意味を込めての語呂合わせではないでしょうか。…って、それは正月に食う黒豆の由来ですかい?しかし何ですな。正月に食うおせち料理というのは、まったくソソられるものがありませんな。何だか全般的にケチくさい料理が多いのでコドモの頃には“おけち料理”と呼んだりしておりましたが、いや、僕ってコドモの頃からキャラクターがしょうもなかったんですな。今、あらためて冴えなかった幼児期を反省しながら掃除機をかけている次第でありますが、それにしても黒豆。「マメに働く」なら枝豆でもウズラ豆でもインゲン豆でも、マメだったら何でもいいような気もするんですが、どうしてよりによって黒豆なんですかね?…と、咳止めに黒豆の煮汁を飲まされて、煮え湯を飲まされた思いのする僕としては今ひとつ納得出来ないんですが、ま、正月早々インゲン豆を食べて性格がインケンになっても困るし、ウズラ豆を食べてウスラ馬鹿になっちゃっても困るしぃ。それにインゲンというのは好き嫌いの別れるマメ類ですしね。インゲンなんて、ららーらーららららーら♪…という歌が流行ったのは、いつのことでしたか。もし、お正月に重箱に入ったインゲンが出てきたりしたら、僕もやっぱり「インゲンなんて。。。」と思ってしまいますね。いや、それが例え黒豆だったところで、「黒豆かぁ。。。」と、さして嬉しくはないんですけどね。

 で、ウズラ豆。こいつのネーミングの出所は明白でありまして、柄がウズラの卵に似ているから、ウズラ豆。おそらく、そのように大変安易なものであろうと推測されるわけでありますが、ウズラの卵のあの柄は、ウズラが自前でペインティングしているのだ。…という話は前にも書きましたよね。本来、ウズラの卵というのは何の模様もない真っ白なものなんですが、いざ産み落とそうという段階になって、「これじゃ、ちっともウズラの卵らしくないよね?」ということに気付いてしまうらしいんですよね。そこで、「ちょっと柄を付けてみるぅ?」ということになって、産み落とす直前になって卵の表面にあの“ウズラの卵柄”をプリントするそうなんですが、だから卵の産む直前のウズラを「わっ!」と脅してやると、びっくりして卵に柄を付けるのを忘れ、白いウズラの卵が生まれてくるんだそうでありまして。いや、NHKの「夏休み・科学電話相談」でやっていたので間違いはないです。それを聞いて、ウズラも大変なんだなぁ。…と、思わず同情してしまいましたが、人間も、いざ産み落とそうという段階になってコドモにペインティングが出来たりするといいですよね。ちょっと“龍の彫り物”でも入れてみるぅ?…とか。ま、おかあさんの頑張りによってはクマのプーさんの刺繍くらいなら、何とかならないこともないような気がしないでもありませんけどね。(編集部注:何ともならねーよ。)それはそうと、小正月でしたなぁ。小正月には、婿投げて〜、嫁を叩いて遊びましょ〜♪…ということで、全国各地で様々な伝統行事が行われた模様です。えー、まずは新潟県東頸城郡松之山町湯本の天水越地区に300年ほど前から伝わる“婿投げ”。これはですね、前の年に結婚した新婚さんの婿のほうをですね、胴上げするそうです。カツアゲしてはいけません。ちょっとぉ、アタイのお腹の中の子のこと、奥さんに言ってもいいのぉ?…と強請ったりすれば、簡単に100万円くらいは出てくるような気もしますが、あ、“強請る”と書いて“ゆする”って読むんですね。勉強になりますね。で、それはそうと“婿投げ”でありますが、胴上げした婿をですね、そのまま5メートルくらいの崖の下に投げ捨てるんだそうです。ま、崖といっても雪が積もっているからいいようなものの、僕だったら崖の下にウンコを置いておいたりしますけどね。…って、そんな大人気ないことをしてはいけません。あ、“大人気ない”と書いて、“だいにんきない”ではなくて、“おとなげない”って読むんですね。勉強になりますね。で、それはそうと、ウンコの上に投げられたいのぉ?…と強請ったりすれば、簡単に100円くらいは出てくるような気もしますよね。いずれにせよ、崖下に投げ捨てられるわ、100万円と100円は脅し取られるわで、婿にとってはとんだ災難でありますなぁ。。。

 いっぽう、嫁のほうも無事ではいられません。やはり小正月の行事で“嫁の尻叩き”というのがあるそうです。それを聞いて、思わず「叩きたい♪」と思った人は少なくないでしょうが、嫁の尻を叩くのは地元のコドモと相場が決まっているんだそうです。それを聞いて、思わず「どうして俺の地元にはそういう伝統行事が残っていないんだぁ。。。」と恨めしく思ったコドモも少なくないでしょうが、ただ嫁の尻を叩くといっても素手ではなく、“祝い棒”という器具を使うんだそうです。それを聞いて、思わず「なんだぁ。それなら許す。」と思った人は少なくないでしょうが、しかし、棒状の器具で嫁の尻を責めるとは、それはそれでけしからんっ!…と、思わず憤りを覚えた人も少なくないでしょう。ま、それはともかく、この“嫁の尻叩き”という行事はわりと全国各地に伝わっているようでありまして、特に富士山周辺とか、南アルプス周辺とか、北アルプス周辺なんかの山村地帯で“お盛ん”なんだそうですね。いや、ネットで1件だけ調べてみた結果なんですけどね。例えば長野県下水内郡栄村箕作というところでは、家の上り口のところで嫁の背中に布団をかぶせて、肩や背中の辺りを“オンベ”でつつくんだそうです。尻でなく、肩や背中の辺り…というところに村人の良心を見ることが出来ますが、嫁の背中に布団をかぶせて…というところにそれ以上の“すけべ心”を見ずにはいられませんね。果たして、“オンベ”でつつくだけでコトが済むのか?…と、人ごとながら嫁の貞操が心配になってまいりますが、一方、山梨県の牧丘町というところでは、こんな“お囃子”を歌いながら嫁をつつくんだそうでありまして。

 お祝い申せ
 オッカッサはうちにかー
 なんど(納戸)のすみで
 ボボの毛を33本そろえて
 もう1本たりんぞー♪

いや、難解な歌ですな。特に関西弁圏内に在住している僕にとって、“ボボの毛”という単語の意味がよくわからんのですが、 九州から遠く離れた山梨県にこのような歌が伝わっているというのは興味深いところでございます。また、どうして33本揃えるのか?…とか、足りなくなってしまったもう1本は、どこへ行ってしまったのか?…とか、わからないことは山ほどあるんですが、ちなみにこのお囃子は「子供に良くない。」という理由で、あまり歌われなくなってしまったそうです。かえすがえすも残念な話でありますが、僕はこの歌詞を見て、桑名の石取祭りに伝わる「おかっつあん」というお囃子との相似性に気付いて、愕然としてしまいました。

 おかっつあんはうちにかー
 かにがモモ挟んで
 何にもかもほったった、ほったったー♪

おかっつあんはうちにかー”のところなど、ニアピン賞をあげたいくらいですよね。ま、それ以外のところはぜんぜん似てないぢゃないか。…と言われればそれまでなんですが、僕が小学生の時、学校の授業でこの歌を覚えさせられました。“かにがもも挟んで♪”のところが“ナニがもも挟んで♪”だったりしたら“素股の歌”になってしまい、「子供に良くない。」という理由で禁止にされるところでしたが、いや、危なかったですな。ま、いずれにせよ“節分”に関しては書くスペースがなくなりましたので、またいずれ。

 ということで、ハワード・マギー(“史郎”とか言わない。)でありますが、無論、ハワード・マギー(“ブイヨン”とか言わない。)…なんてのも駄目です。それはそうと、1本足りなくなっちゃった毛は、どこへいっちゃたんでしょうね?何にもかもほったった(←「捨ててしまった」の意)のでありましょうか。で、ハワード・マギーというのも人生を一度ほったった人でありまして、バップ期に大いに活躍したものの、クスリにハマって、ラリって、ロレって、ロレックスを質入れして、そのお金でまたクスリを買って、ラリって、ロレったりして、そうして次第に駄目になってしまいました。が、でもだいじゃぶ。青春期のそのようなアヤマチというのは、よくあることでありまして、オトナになって立ち直ればそれでいいわけでありまして。で、マギーもだいじゃぶでした。『マギーズ・バック・イン・タウン』。こうして街にちゃんと帰って来ました。見てくだされ、ジャケットのマギーのこの表情を。「先生、俺、ヤクやめるよ!」…と宣言してウマになちゃったヤク(←ウシ科の哺乳類)みたいに、実に晴れやかではありませんか。ま、ヤクヤクをやめるというのは、「人間をやめる」ということにも匹敵する重大な事態であるような気がしないでもないんですが、ヤクというのは何かと役に立つ動物らしいしー。で、街に帰って来たマギーも、やがて再びクスリにハマって、ラリって、ロレって、シーンから姿を消してしまうわけでありますが、ま、それもまた人生。で、つかの間の輝きを捉えた復活期のマギーの演奏には、酸いも甘いも噛み分けた、好きなおやつは酢昆布。…といった風格が漂っておりまして、個人的にはわりと好きだったりします。マギーの全盛期の演奏というのはほとんど聴いたことがないんですが、60年代の演奏を聴く限り、ケニー・ドーハムブルー・ミッチェルに通ずる、うまくはないんだけど、味だけで勝負。…といった、味カレーを思わせるようなプレイが持ち味であると言えましょう。ということで、じゃ、1曲目から。

 えー、まずはマギーのオリジナルですね。「デモン・チェイス」という曲です。“デモン・チェイス”というのは日本で言う“鬼ごっこ”に相当する子供の遊びだそうでありまして、なるほど。“悪魔追っかけ”とは、いかにもそれっぽいネーミングでありますな。…って、僕が先ほど思いついただけの説ですんで、真偽のほどはサダカではありません。おそらく、まったくのデタラメであると思います。(←かなり自信あり。)ところで“デタラメ”って、どうして“出鱈目”って言うんでしょうね?…と思って調べてみたら、“出鱈目”はまったくの当て字。さいころを振って出たら、その出た目にまかせるの意。何の目が出てもかまわないことから、いいかげんなこと、無責任なことをいうようになった。…とのことでありました。出目金みたいなタラとは何の関係もなかったんですな。で、「悪魔追跡」でありますが、そういえば父親から“悪魔ちゃん”と命名されそうになったコドモは、元気なんですかね?で、結局、何と言う名前になったんでしたっけ?…と思って調べてみたら、“亜駆”という名前に落ち着いたようですね。父親がさみを嬢の同級生か何かで、結局のところ離婚した。…という情報を耳にしたような覚えもあるんですが、もしかしたらぜんぜん違う顛末だったかも知れません。で、「悪魔追跡」でありますが、これと言ってあまり特徴のないナンバーでありますな。いかにもリロイ・ヴィネガーらしいウォーキング・ベースで幕を開け、トランペットとピアノのコール&レスポンス形式でテーマが演奏され、そのままマギーのソロへと流れていきます。…というか、テーマ自体がアドリブ…といった感じもするんですけどね。で、マギーの吹きっぷりは余裕綽々、釈お酌。…といった感じでありまして、伊達に酢昆布をカジってるわけじゃないね。…といったところですね。いや、持ってません、釈お酌。一瞬、買おうか?…と思ったんですが、オトコの家に遊びに行って、部屋にコレがあったら、かなり引くよね。…というギャルのコメントを耳にして、すんでのところで思いとどまりました。いや、今のところ僕の部屋にギャルが遊びに来るような事態は考えられないので、別にいいんですけどね。で、続くフィニアス・ニューボンのソロは評価の分かれるところかと思いますが、達者である。…ということは言えようかと思います。あまり日本人にはウケのよくないスタイルなんですけどね。で、ピアノ・ソロに続いて再登場するマギーは今度はミュートで変化をつけて、いかにもリロイ・ヴィネガーらしいウォーキング・ソロがあって、テーマに戻って、おしまい。あ、こうして聴いてみると、一応はちゃんとしたテーマ・メロディがあったんですな。

 で、2曲目です。「ウィロウ・ウィープ・フォー・ミー」です。日本名は「柳よ泣いておくれ」ですが、名古屋では「外郎(ういろう)よ、泣いておくれだぎゃ」となります。ちょっと無理がありますね。ちょっと…というより、“かなり”ですけどね。マギーはミュートで、なかなかブルージーにテーマを吹いております。個人的にはこの曲はあまり好きではないんですが、ミュート・トランペットで聴くと、意外と悪くなかったりするんだね。…ということを再認識した次第でありますが、マギーの吹きっぷりは“オトナの余裕”って感じですね。で、ここでのフィニアスのソロは意外と悪くなくて、“ちょっぴりテクに走りすぎたレッド・ガーランド風”であります。いや、そうでもないですね。ま、そこそこブルージーなので、悪くないんじゃないですかね?で、ピアノ・ソロに続いて再登場するマギーは今度はオープンで変化をつけて、テーマに戻って、おしまい。さ、次に参りましょう。3曲目は「朝日のようにさわやかに」です。個人的にはこの曲、好きなんですよね。で、演奏はいかにもリロイ・ヴィネガーらしいウォーキング・ベースで幕を開け、マギーは股下も…いや、またしてもミュートでテーマを吹いております。テンポはミディアム・ファストで、ブルージーというよりもスインギーな味付けでありますな。ミュートで聴く「朝さわ」も、これもまた一興。…といった感じでありまして、アドリブ・パートに入るとテンポはより一層速くなって、マギーの熱を帯びたプレイが堪能できます。ミュート・プレイのせいか、“マイルスがけっこう気合を入れて吹いた風”の気配も感じられますね。3分13秒という短い時間なので、テーマを軽くフェイクする程度の演奏だろう。…と思っていたら、ことのほか聴き応えがありました。お薦めの1曲でございます。

 はい、4曲目です。今日は“はけ”がいいですね。やや手抜き…と言えなくもありませんが、ここで「サンセット・アイズ」を持って来ましたか。西海岸で活躍した黒人テナーマン、テディ・エドワーズのオリジナルでありまして、ブラウン=ローチ・クインテット『イン・コンサート』でも演奏されていたラテンのノリの佳曲でございます。この手の曲はクインテットでやったほうがいいのではないか?…という気がしないでもないんですが、マギーはマギーなりに頑張ってはいるようです。特にソロの途中で倍テンポになるところなど、とってもエキサイティングですね。シェリー・マンの“ラテン風バッキング”はやや中途半端でありまして、途中から4ビートに転じると、マギーのソロもより一層ドライブ感を増す増岡浩って感じ?あ、顔面を強打した篠塚クンはだいじゃぶなんですかね?幸い僕は今まで顔面を強打したことはないんですが、乾麺ならナマで齧ったことがあるので、篠塚クンの辛さはよくわかります。いや、あまりにもひもじかったので乾麺のウドンを生で齧ったんですが、とっても不味かったです。ということで、5曲目です。ここまで来て手抜きの感がより一層強くなってまいりましたが、5曲目は再びテディ・エドワーズのオリジナルで、アルバム・タイトル曲の「マギーズ・バック・イン・タウン」です。エドワーズはかつてマギーのコンボに在籍していたことがありまして、そこでアルトとクラリネットからテナーに転向した引田天功。…といった経歴があるそうで、かつてのボスの社会復帰を祝して、この曲をトリビューとした。…とまあ、そういった経緯であるものと思われます。なかなか日本人ウケしそうなファンキーな作品でありまして、エドワーズが作曲家としても並々ならぬ実力の持ち主であることを如実に示す実例として、広く日本人の記憶に留め置かれることでありましょう。…って、それほど大層なものでもないんですが、いつもは知的なフィニアス・ニューボーンが生まれ変わったかのように、彼なりに黒っぽい伴奏を聴かせるところが面白いですね。わはははははは。…って、この投げやりな笑い声が出てくるとレビューも終焉を迎えるわけでありますが、時折倍テンポを用いて熱っぽいプレイを聴かせるマギーのソロは、押しなべて好調でございます。・・・って、演奏が10分36秒もあるもんだから、思わず時間が余ってしまいましたが、マギー→フィニアス→マギーとソロが続いて・・・、あ、ヴィネガーのウォーキング・ソロが出ましたな。ベース・ソロでもやらないと10分36秒は持たないな。…と思っていたんですが、案の定です。ま、個人的にはウォーキングはさほど嫌いではないので、別にいいんですけどね。チャンバースにアルコをやられるより、数段マシだしー。で、トランペットとドラムスの4バースがあって、さすが10分を超える演奏ともなると、何でもやらなければなりませんな。で、ようやくテーマに戻って、ここまでくるとマギーもやや疲れ気味ではありますが、あ、ようやく終わりましたね。

 6曲目はおなじみのスタンダード、「サマータイム」です。大丈夫です。3分11秒です。このアルバムでは、マギーは「スタンダードはミュートでやる。」という方針のようでありまして、ま、個人的にはミュートはさほど嫌いではないので、別にいいんですけどね。テンポはかなり速めでありまして、マギーのソロが時折倍テンポになるのもお約束。約束事をきちんとまもれるというのは、オトナとしての最低条件ですからね。あと、人前でウンコを漏らさないとか。…といった子供じみたことを書かないこともオトナとしては大切なことです。で、アルバムの最後を飾るのはクリフォード・ブラウンの「ブラウニー・スピークス」です。何にも考えず、ただ楽しくラッパを吹きたい。…といった意図が感じられる選曲でありまして、ブラウニーはマギーにとっては後輩にあたるわけですが(←たぶん)、夭逝しちゃった天才トランペッターに敬意を表してめくるめくプレイを聴かせるマギーが、スカートをめくるミルメーク。…といった感じで、とってもいいです。“めくるめく”と“スカートをめくるミルメーク”。このような半ばヤケクソなフレーズが登場してくると、このレビューもいよいよおしまいだな。…と思わずにはいられませんが、ということで今日はおしまい。

【総合評価】

 ジャズ・オリジナルとスタンダード曲が半々。…と、選曲のバランスがよく、マギーのプレイも“復帰したての勢い”みたいなものを感じさせるし、ま、フィニアス・ニューボーンのプレイは評価の分かれるところかと思いますが、まずはよろしいんじゃないでしょうか?テディ・エドワーズとの2管編成とかだったら、もっとよかったのにぃ。…という気がしないでもないんですけどね。いずれにせよ、社会復帰はよいことです。


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