NURIA FELIU WITH BOOKER ERVIN (PDI)

NURIA FELIU & B.ERVIN & T.MONTOLIU (1966)

NURIA FELIU WITH BOOKER ERVIN


【パーソネル】

NURIA FELIU (vo) BOOKER ERVIN (ts) TETE MONTOLIU (p) ERICH PETER (b) BILLIE BROOKS (ds)
【収録曲】

LULLABY OF BIRDLAND / YESTERDAYS / BYE BYE BLACKBIRD / SCHOOCHEE COOCHE / LOVERMAN
MISTY / JUST FRIENDS / WILLOW WEEP FOR ME / EL BLUES D'EN BOOKER / FINE AND DANDY

【解説】

 消しゴムは哀しい…というのが今日の結論です。もう、いきなり結論が出てしまったからには今日の原稿は終わったも同然なんですが、これからしばらく、何故、消しゴムは哀しいのか?…といった問題について考えてみたいと思います。僕は10年来、“文房具の性格分析”といったテーマをライフワークとしているわけでありますが、文房具の社会で消しゴムが担っている役割というのは、言うなれば他人の失敗の尻拭いに他なりません。具体的に言うと、鉛筆やシャープペンシルの犯したミスの責任を一心に背負わされ、その後始末を押し付けられている。そういった損な役回りをさせられているわけです。「俺は“すけろく”じゃねえ!」という消しゴムの呻きはもっともだと思いますが、あ、ちなみに“すけろく”というのは僕んちの便所がまだ“ぼっとん”だった頃、よく使われていた便所紙の商標名でございます。超・古々々々々々紙を使っているとしか思えないような黒ずんだ色をしておりまして、ヴァージン・パルプ100%のトイレットペーパーに慣れ親しんだ身には、ひと拭きで“擦過痔”になっちゃうこと間違いなく、ま、鉛筆で字を書いて間違えても消しゴムで消せちゃうくらいの強度は有していたんじゃないですかね?で、その消しゴムが我が身を“すけろく”に例えているのは、その主たる業務が“尻拭い”であるからだと思われるわけですが、“すけろく”と違って消しゴムが拭わなければならないのは“他人の尻”であるところが、より一層消しゴムの悲劇性を強めていると言えましょう。

 ただ、消しゴムの唯一の救いは“尻拭い”の相手が鉛筆もしくはシャープペンシルに限られることでありました。当初、文房具株式会社創成期からの重鎮である総務部長の山田文鎮(58歳)は、消しゴムに全社的なクレーム処理を一任する心積もりであったと言われております。「チミは顧客関連の処理を一手に引き受けてくれんかね?」と言われると、文鎮の言葉だけに重みがあって、断ることが出来なかった。…と、消しゴムは昔を述懐してしみじみと語ってくれたものであります。が、いざ実際に顧客クレーム処理の業務に従事してみると、ボールペンや万年筆、サインペンの犯すミスは当初の予想を遥かに凌駕する酷さでありまして、さしもの我慢強い消しゴムもついに弱音を吐いて、「すんまへん。ボールペンや万年筆、サインペンのクレーム処理までは、ワテには荷が重すぎます。。。」と、半泣きで直属上司の課長、佐藤定規(43歳)に訴えたといいます。「そうか。」定規課長は社内でも「真っ直ぐな性格である。」と評判でありまして、ま、定規の一族にも“雲形定規”などという、いったい何を考えているのかよくわからないような形状の定規もあったりするんですが、それはともかく。定規課長は消しゴムの意向を受け入れて、消しゴムの業務を鉛筆とシャープペンシル関連に限定し、おかげで消しゴムはなんとかクビを括らずに済んだということでありました。

 ただ、この定規課長の方針に意を唱える者がなかったわけではありません。係長の大和糊(39歳)。この人はネチこいことで社内でも評判なんですが、「これくらいのことで弱音を吐いてもらっちゃ困るねぇ。あまり甘やかすと本人の為にもならないしぃ。。。」などと余計なことを言ったそうでありますが、社内でも“キレ者”であると評判の次長、折刃勝田(46歳)が、あ、これは“おるふぁ・かったー”と読んで頂けるとありがたいんですが、彼の「ま、いいぢゃん。」の一言で、何となく消しゴムの処遇はうやむやになってしまったと言います。「ぢゃ、ボールペンやサインペンの犯したミスは、いったい誰が処理するんですか?」と、大和糊係長は尚もネチこく迫ったそうでありますが、勝田次長は無言。そして翌日、アメリカからやってきた助っ人の新入社員、リキッド・ペーパーくん(27歳)の姿を見て、社員一同、「そういうことだったのかぁ。」と、改めて勝田次長のキレ者ぶりに驚かされたと言います。

 昔、あったんですよねぇ、リキッド・ペーパー。今で言う修正液の元祖みたいなもので、アメリカ製らしく英語で説明が書かれているところが、いかにも「文明の利器だなぁ。」といった雰囲気を醸し出しておりました。ただ、中国でも販売しているらしく、漢字で説明が書かれているところが、いかにも「今ひとつだなぁ。。。」という感じでありました。溶剤の関係からか水性用油性用の2つのタイプがあって、油性用のほうはすぐに液が固まって付属の刷毛がコテコテになっちゃうところがネックでありました。一方、水性用のほうは液がシャビシャビで、修正しても“薄消しモザイク”のように修正部分が浮き上がって見えてきちゃうのが、やや問題ありでした。その点、最近の修正液というのはよく出来てますよね。一昔前までは液の入っているプラスチック容器がけっこう硬くて、7文字くらいまで修正したところで指が痛くなってきて嫌気がさして、「もう、いいっ!」という気分になっちゃうのが難点でありました。特におじさんというのは元来、気の短い生き物でありまして、「もう、いいっ!“砂消し”で消すっ!」と言って、机の引き出しの奥のほうから砂消しゴムを引っ張り出してきて、ゴシゴシと擦り付けることになります。が、元来、砂消しゴムというのは「何となく、見ようによっては消えたように見えないこともない。」といった程度の効果しか期待できないものでありまして、ますます苛立ちを募らせたおじさんは今度はオルファカッターを取り出して、間違えた箇所をガリガリを削り取ろうとします。すると大抵、紙が破けます。必ず破けます。一度破けて穴が開いてしまった紙は、「しまった!」と思って慌てて修正液を塗りたくったところで下に浸透してデスクマットを白く汚すだけでありまして、おじさんは机の上の白いシミを目にする度に、悔しかった先週の月曜日の出来事を悔悟の念を持って忌々しく思い出すのでありました。

 …といったことも最近の修正液ではほとんどなくなりましたよね。柔らかいプラスチック容器でも大丈夫な、新しい性状の液体が開発されたということなんでしょうか?さらに“修正テープ”というのも登場して、これは乾かす手間が省ける分だけ、より一層使い勝手のよいものとなっております。これなら穴の開いちゃった紙でも何とかなります。あとは“詰め替え”の方法だけマスターすれば完璧なんですが、おじさんにそこまで要求するのはちょっと酷でありますな。で、何の話でしたっけ?消しゴムは哀しい。そういうことでしたね。最近では“消しゴムで消えるボールペン”なんてものまで登場して、消しゴムとしても気の休まる時がありませんが、それでも消しゴムは文句も言わず、自らの身を黒くしながら他人のミスをフォローして、そして次第にチビていくのでありました。で、後に残るのはカスばかり。時にはストレスに耐えかねてグニっと割れちゃったりして、で、僕は血液型がA型で性格が几帳面なもんだから、割れて形がいびつになっちゃった消しゴムというのはどうにも耐えがたくて、オルファカッターでザックリと切って真四角に形を整え、でも端っこのところがちょっぴり出っ張って、どうしても完璧な真四角にはならなくて、性格的にこういうのは耐えられないので、「ええい!」とばかりゴミ箱に捨てちゃうことになっちゃいます。プラスチックの筆箱に直に入れておくと何だか成分が同化してドロドロになっちゃうし、食べてもあんまりおいしくないし、歯ごたえは蒲鉾ライクなんですが、最後のところで粘りが致命的に不足しているし、…とまあ、そういうヤツなんですよね、消しゴムって。ま、確かに鉛筆で書いた字は消えるから別にいいんですけどね。あまりパッとはしないんだけど、世の中から無くなったら困るしぃ。…って、そんな消しゴムのような社員、あなたの回りにもいませんか?

 ということで、今週から“先日、名古屋で仕入れてきたCDシリーズ”をお届けしたいと思います。今週から…といっても、最近の更新頻度からすると、年内はこれで終わりかな?…という気もするんですが、今日は凄いっす。題して『ビリー・ブルックス、ブッカー・アービン、ヌリア・フェリウ、テテ・モントリュー、エリック・ペータ』と、参加メンバー全員の名前をただ羅列しただけという、その創意工夫のなさが、まず凄いです。あと、演奏している楽器も凄いです。“CONTRABAIX”や“SAXO TENOR”はまだしも、“BATERIA”ともなると、ジャケットにドラムスらしきものを叩いているおじさんの写真でもなければ、一生わからないところでした。バッテラ?…とか思っていたかも知れません。で、ちょっと調べてみたところ、ヌリア・フェリウ(…と読むのか?)という人はスペインを代表するギャル系ボーカリストだそうでありまして、なるほど。どうにもこうにも原文ライナーが読めねーな。…と悩んでいたら、スペイン語だったんですな。テテ・モンとの絡みもスペインつながりということでよく理解できるわけでありますが、それにしても何故、よりによってブッカー・アービン?…と思わずにはいられません。絶対に歌伴して欲しくないミュージシャンって、誰?…というスレッドを立てたら、圧倒的な支持を集めるような気がしますもんね、アービン。ま、恐らくヌリアちゃんの頭の中には“咽び泣く官能のムード・テナー”みたいなサウンドが響いていて、「ニューヨークから本場のテナーマンを連れて来て欲しいの♪」てなことを言ったのでありましょうな。ところがやって来たのがブッカー・アービンとあっては、ヌリアちゃんも顔を見た瞬間、ヤル気をなくしちゃったに違いありません。でも、来ちゃったものはしょうがないしぃ。。。

 ということで1曲目です。「エル・パイス・デルス・オセレス」…と言われてもさっぱりわかりませんが、でもだいじゃぶ。スペインのレコード会社は親切です。ちゃんと「ララバイ・オブ・バードランド」と、英語による曲目芋…いや、曲名も併記されております。これでもう、スペイン語が苦手な僕だって平気です。…と、この辺まで書いたところで病に冒されてしまったわけでありますが、山芋食べて、少しは病も軽減しました。で、演奏に耳を傾けてみると、まず最初にテテ・モンのピアノによるイントロがあります。はきはきとした、覇気のあるなかなかいい演奏だと思います。続いてヌリアちゃんのスペイン語による歌になるわけでありますが、何だか気の強そうな歌い方をする人でありますな。スペイン語の響きが余計にそう感じさせるのかも知れませんが、思わず脱力しちゃうようなロリ声好きの僕としては、あまり好きな声質であるとは言えません。女の子はちょっとトロいくらいのほうが可愛いと思うしー。ヌリアちゃんの猛省を促す次第でありますが、ま、声質というのは生まれつきのものなので、今さらロリ声になれと言ってみたところで、それは無理な相談なんですけどね。で、お待たせしました。ヴォーカルに続いて我らがアービンの登場でありますが、この人は根本的に「歌伴とは何か?」という問題をまったく理解してないようですな。ヌリアちゃんが何を歌っていようがそんなの一切お構いなく、ただひたすら自己の世界へとのめり込み、呻きにも似た懊悩フレーズを撒き散らしております。愚直なまでに下劣。それがこの人の持ち味でありますが、そのよさ…というか、悪さが滲み出ているという点で、まったくもって傑出したソロであると評することが出来るでありましょう。ヌリアちゃんは彼の最初のフレーズを耳にした瞬間、「この人選は失敗だったのぉ。。。」と思ってしまったに違いありません。

 

 はい、次。「イエスタデイズ」はヌリアちゃん抜きのインストゥルメンタル・ナンバーです。このアルバム、半分くらいはそうなんですよね。どういう意図なのかはよくわかりませんが、ヴォーカルなんかどうでもよくて、ただひたすらアービンのプレイを聴きたかった僕にしてみれば、むしろ好ましい出来事であると言えましょう。エバンス的なリリシズムを感じさせるテテ・モンのイントロに続いてアービンがしみじみとテーマ・メロディを歌い上げるわけですが、実に何とも深いトーンでありますな。世の中にテナー・マン多しと言えども、これほど魂の根底から揺さぶられるようなバラードを吹けるのは、彼を置いて他にはいない。…と、僕はアービンのバラード・プレイに心酔している次第でありますが、いや、テーマ部だけに限定した話なんですけどね。アドリブに入ると次第にクドくなって、わけわかんなくなって、耳障りになって、こんな今ひとつなバラードを吹けるのは、彼を置いて他にはいない。…といった感じになっちゃうのが難点なんですが、でも大丈夫。ここでソロを取っているのはテテ・モンのみでありまして、アービンは後テーマまで大人しくしておりますので、それが功を奏して全体的にはとっても素晴らしいバラードに仕上がっているのでありました。“構成の勝利”と言える1曲でありましょう。

 で、3曲目。「ヴェス・イー・バルデット(?)」は「バイ・バイ・ブラックバード」でございます。ヌリアのスペイン語ヴォーカルに続いてアービンが唯我独尊的@お下劣フレーズを垂れ流し、僕たちをカタルシスへと誘います。そんだけ。病み上がりだけあって、集中力が2曲目までしか続きませんでしたが、4曲目はアービンのオリジナルの「スクーチー・クーチー」でございます。ホレス・パーランの『オン・ザ・スパー・オブ・ザ・モーメント』というアルバムに「スクー・チー」という名前で入っていたのと同じ曲でありまして、そのヴァージョンでは最後のほうに聴かれる「すくーちー、すくーちー♪」という爽やかなヴォイスが印象的だったんですが、今回はヴォーカル抜きのインスト作となっております。ま、ヌリアちゃんとしては、大きな声で「すくーちぃ♪」などという下品な単語を連発するという猥らな行為は、とてもプライドが許さなかったのでありましょう。いや、「すくーちぃ♪」というのがどういう意味なのか、よくは知りませんけどね。ただアービンのオリジナルだけに相当に下品な言葉であろうことは想像に難くありません。何せ、アービンですからねぇ。で、余計なヴォーカルが入ってないこともあってアービンのプレイは溌剌としておりまして、いきなり全開モード突入!…といった感じで大いに気を吐いております。テテ・モンのソロもいいですね。短い演奏ではありますが、アービンの持ち味が十二分に発揮されていて、秀逸です。そんだけ。

 5曲目の「デ・ダルト・エスタント」「ラヴァーマン」でありますな。ヌリアちゃんがしみじみとスペイン語で歌い上げますが、相変わらず可愛げのない歌いっぷりですな。が、中間部に聴かれるテテ・モンのピアノが素晴らしいです。どのあたりが素晴らしいのかというと、彼の持ち味というのは…と、いろいろ言葉を考えているうちにソロが終わっちゃいましたので以下は割愛させていただきますが、このアルバムもここにきてようやく、何だか落ち着きを取り戻してきましたな。どうしてか?…と思ってしばらく考えていたんですが、続く6曲目の「トット・エス・グリス」(英語では「ミスティ」)でのヌリアのしっとりとした歌いっぷりを聴いているうちに、その理由がわかってハッとしました。いつの間にかアービン消えてるやん!マイルスとモンクの“クリスマス・セッション”みたく、「あたいのバックでテナー吹かないでよぉ!」とか言われちゃったんでしょうか?立場無いですなぁ。。。ただ、アービンが抜けて、テテ・モンのトリオをバックにヌリアが歌う…というパターンになってから、演奏はよりすっきりしたものになったことも確かでありまして、所詮、アービンに歌伴は無理な相談だったんですよね。で、7曲目の「ジャスト・フレンズ」は逆にヌリア抜きのカルテット演奏なんですが、「あたいのバックでテナーを吹くな。」と言われちゃった鬱憤を晴らすかのような壮絶なブロウが、例えようもなく下劣でございます。そこのところが何ともいえず「いい!」と、僕は思います。

 8曲目の「ソク・コン・アン・デスマイ」は英語で言うと「ウィロー・ウィープ・フォー・ミー」、日本語だと「柳よ泣いておくれ」、中国語だと「柳的号泣」。ヌリアのボーカルのバックにアービンの姿はなく、2人の不仲はもはや決定的なものとなってしまった模様です。9曲目の「エル・ブルース・デン・ブッカー」はタイトルでわかるようにブッカー・アービンのオリジナル・ブルースでありまして、インストで演奏されるんですが、ついにピアノレス・トリオになっちゃいましたね。テテ・モンにも愛想を尽かされちゃいましたか?ピアノレスだけにアービンのプレイはいつにも増して自由奔放でありまして、ま、それはいいんですが、何だか“孤立無援”といった悲壮感を漂わせておりまして、涙なしで聴くことは出来ません。おいおいおいおい。(←泣き声。)柳だって号泣しちゃいます。このままでは、最後はテナーの無伴奏ソロになってしまうんぢゃないか?…とマジな話、心配になってきましたが、アルバム最後の「ファイン・アンド・ダンディ」ではメンバー5人全員が仲良く顔を揃えて楽しい演奏を繰り広げておりまして、よかったね、アービン。許して貰えたんだね。…ということで、今日はおしまい。

【総合評価】

 ある意味、ドキュメンタリーですな。アービンに歌伴をやらせようというのは、すでに企画段階で失敗だったと言わざるを得ませんが、ま、異郷に咲いた一輪のあだ花といった感じで、ま、人生、たまにはこういうこともあるって。…ということを感じさせ、秀逸です。そんだけ。


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