EXPANSIONS (BLUE NOTE)

McCOY TYNER (1968/8/23)

EXPANSIONS


【パーソネル】

WOODY SHAW (tp) GARY BARTZ (as,wooden flute) WAYNE SHORTER (ts,cl)
RON CARTER (cello) McCOY TYNER (p) HERBIE LEWIS (b)
FREDDIE WAITS (ds)

【収録曲】

VISION / SONG OF HAPPINESS / SMITTY'S PLACE
PERESINA / I THOUGHT I'D LET YOU KNOW

【解説】

 今日は二十四節気について考えてみたいと思います。8月23日は“処暑”でした。7月の初旬には“小暑”というのもありましたよね。処暑小暑と娼婦に淑女〜、How Many いい顔ぉ♪…とその昔、郷ひろみが歌ってましたが…ということが書きたかったので「今日は二十四節気 について考えてみようかぁ。」と思い立った次第でありますが、最初に書いてしまったので今後の展開が心配ですね。こんな地味なネタで最後まで持つんでしょうかね?ま、やるだけのことはやってみたいと思いますが、そもそも二十四節気というのは全部でいくつあると思いますか?正解は“二十四”です。とっても簡単ですね。「二十四の瞳」に登場する生徒の数は人間に瞳が2つある関係上、2で割って12人になっちゃうんですが、二十四節気の場合は素直に“二十四”で大丈夫だと思います。1年は365日なので、24で割ると約15.2日。何だか中途半端ですな。ただ1年を12ヶ月と考えると、24で割って0.5ヶ月。キリがいいですね。一月に2回ずつ何かがあるという計算になりますが、日数にすると約15.2日と中途半端なので、毎年少しずつ違った日になります。えー、そのそも二十四節気というのはですね、太陰暦を用いていた時代に季節の移り変わりを示す指標として考え出されたものなんだそうです。太陰暦というのは月の満ち欠けに基づいたものなので、潮の干満が生活に密接な係わりを持っている水産系の人にとっては便利なものでありますが、一月が約29.5日になってしまい、1年が354日になってしまいます。これだと1年で11日ほど季節がずれてしまってとっても不便なので、何年かに1度“13月”というのを作って強引につじつまを合わせていたようですが、その季節感のズレを補正するために考え出されたのが二十四節気なんだそうです。こちらのほうは太陽の動きによって決められるので、要は太陰暦と太陽暦の併用ということになりますね。

 二十四節気のうち、もっともわかりやすいのが春分夏至秋分冬至です。1年で昼の長さがいちばん長くなるのが夏至で、いちばん短くなるのが冬至。昼と夜の長さが同じになるのが春分秋分であります。で、冬至春分のちょうど真ん中の日が立春春分夏至の間が立夏夏至秋分の間が立夏秋分冬至の間が立冬ということになります。立春春分立夏夏至立秋秋分立冬冬至。これで8つ。じゃ、これを倍にして十六節気にすればいいんじゃないか?…と誰もが思うわけでありますが、ここに“何となく中途半端問題”というのが持ち上がってまいります。1年を16に分けようとすると、約22.8日となって何となく中途半端。12ヶ月を16で割っても 0.75ヶ月と、今ひとつしっくりしません。そこでまあ、たとえば立春春分の間を3等分して、その前半を雨水、後半を啓蟄としておけば何となく割り切れて、いいぢゃん。…ということになったわけですね。ちなみに雨水というのは毎年2月19日前後、「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となれば也 」から来ている言葉なんだそうです。2月の中旬って、一年でいちばん寒い時期ぢゃん。…という気がしないでもないんですが、暦の上ではこの頃から雪よりも雨が降りやすくなると、深く積もった雪も次第に解け始めると、そういうことになっております。実際に「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となりけるなぁ。」といった実感がわいてくるのは3月のお彼岸の頃ではないか?…という気がするんですが、二十四節気というのは季節を2つぶんくらい先取りする形になっているようです。

 続いて啓蟄でありますが、これは二十四節気の中でもかなりメジャーなほうですよね。“毛ぇ膣”という爽やかな言葉の響きが人気の秘密ではないかと思われますが、その意味は「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出れば也」と、こちらもなかなかイイ感じです。どこが?…と言われると困るんですが、個人的には“穴をひらき”というところがとってもイイと思います。“ちぢまる虫”も、これでもう大丈夫だねっ♪…という安心感すら覚えてしまいます。いずれにせよ“春の目覚め”を予感させる季節感のある言葉だと思います。はい、次。春分は「春分の日で、会社が休みになって嬉しい。」ということでいいと思いますが、どうせなら二十四節気のすべてを国民の祝日にしてくれると嬉しいんですけどね。例えば4月5日頃の「清明の日」なんていうのは、何となくすがすがしくていいですよね。その意味も「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれる也」と、何だかよくわからないですしね。ま、24個もあれば、ひとつくらいはワケがわからないのが出てきちゃうのが世の常でありまして、はい、次。穀雨。地味ですな。「春雨降りて百穀を生化すれば也」と、言ってる意味はなんとなくわかるんですけどね。4月20日頃に雨が降れば、秋には“おこめ”が実って、嬉しいな…と。百穀というくらいだから“おこめ”に限らず、麦も粟も稗も蕎麦も…、あとはえーと…、何がありましたっけね?とにかくまあ、4月20日頃は国民の祝日にしちゃうと。で、続いては立夏ですね。リカちゃんがパパのフランス人指揮者ピエールからリッカーミシンを買って貰った日…ではないかと思われますが、多分違いますね。立夏というのは立春立秋立冬に比べると今ひとつメジャーになりきれないような気がするんですが、5月6日頃をもって「今日から夏やでー。」と言われたところで、今ひとつ納得いきませんしね。で、これは当然お休みにしてゴールデンウィークの拡充を図るべきであります。その次が小満(しょうまん)。二十四節気の中でも最大限に地味でありますなぁ。。。「万物盈満(えいまん)すれば草木枝葉繁る」って、ま、24個もあれば、ふたつくらいはワケがわからないのが出てきちゃうのが世の常であります。いわんや600回も連載を続けていれば、たまにはつまらないのが出てきちゃうのも仕方のない話ですよね。いや、このところ立て続けのような気もするんですけどね。

 で、6月6日頃は芒種(ぼうしゅ)です。小満二十四節気史上で最も地味なのかと思っていたら、さらに上には上があるものなんですな。いくら6月に祝日がないと言ったところで“芒種の日”では“E電”以上に定着しないであろうことは明らかでありまして、そしてその後は夏至小暑大暑と続いてまいります。6月の後半から7月の下旬にかけて次第に暑くなっていく様が浮き彫りにされ、とても秀逸であると思います。そして塩サバ2号誕生日である8月8日前後が立秋でありまして、暦の上ではもう秋ということになります。立秋を過ぎればその後はどんなにクソ暑くても“残暑”ということになります。で、8月23日頃が処暑でありますな。今年の夏は処暑を境にすっかり涼しくなった感がありますが、「陽気とどまりて、初めて退きやまんとすれば也」と。うん、ここまでは何とか持ちこたえたんですが、ここから先をどうするかが問題なんですよね。処暑の次が白露で、その後は秋分を挟んで寒露と“露シリーズ”が続きます。シリーズ化というのは考えるのが次第に面倒になってくるにつれてよく見られるようになる現象なんですが、たとえばジャズ俳句の“陰具連発”なんていうのもその顕著な一例ですよね。二十四節気の命名責任者の心の中にも秋風が吹き始めた気配でありますが、10月23日頃の霜降を最後に、この人の命名意欲は急速にヤル気をなくしてしまいます。立冬冬至の“基本八節気”を除けば、あとは小雪大雪小寒大寒ですからね。まだ小寒中寒大寒厳寒とかにしなかっただけマシ?…という気がしないでもないんですが、いっそのこと二十四節気微暖小暖中暖大暖厳暖激暖微暑小暑中暑大暑厳暑激暑微涼小涼中涼大涼厳涼激涼微寒小寒中寒大寒厳寒激寒とかにしたほうが分かりやすくてよかったかも知れませんね。最初に凝った名前を付けると後で泣きを見るという典型的な例であると言えますが、今日の結論は次の一言に尽きますね。すなわち、「小林製薬を見習え!」と。

 ということで、今日はマッコイ・タイナーです。“ジャズ史上もっとも顔が怖い人ベスト10”というようなアンケートを実施したら、まず間違いなくベスト3には入るだろうと思われますが、いや、ベストなのかワーストなのかはよくわかりませんけどね。とにかくまあ、マッコイは顔が怖いと。でもってこの人はマイルスやコルトレーンほどではないにせよ、所属するレーベルによってサウンドのカラーがけっこう変わるような気がします。インパルス時代はコルトレーン・カルテットの硬派イメージとの対比を図るため、敢えて自己のリーダー作では“スウィート・ハニー路線”を走っておりました。「顔に似合わず気持ち悪い。」という意見もありますが、「顔を見ずに聴けば悪くない。」と肯定的に捉えることも出来ると思います。で、彼がブルーノートに移籍したのはコルトレーン・カルテットを脱退した時期と重なるのではないかと思われますが、そのことがかえって「楽しかったあの頃」を思い出させるのか、BN時代のマッコイは『至上の愛』以前のコルトレーン・サウンドを再現するかのような作風のものが多いですよね。で、マイルストーン時代になるとオーケストラを入れたり琴を弾いてみたりと、とにかくまあ“普通でない路線”を走ってスケールの大きな演奏を繰り広げた…と評価することも出来ますが、ピアノ自体は昔とまったく変わってなくて、マンネリ化が次第に飽きられてきたと言うことも出来ようかと思います。個人的には、ま、BN時代の前半まで、及びマイルストーンなら『サハラ』のみ…といった気がするんですが、サハラはいいですよね。ブリよりもあっさりしていて。で、今日紹介するのはBN後期の作品です。1968年というと、コルトレーンが死んで1年ちょっとですね。生活も次第に落ち着きを取り戻し、そろそろ“未亡人カフェ”にでも働きに出ようか?…などと考える時期でございます。で、この頃になるとさしものブルーノートもジャケットのセンスが破綻してきますよね。何なんすかね?このデザイン。とりあえず9等分にしておけば、怖い顔がちょっとはマシになるぅ?…とか考えたんでしょうか。見るからに買う気をソソられず、僕も思わず「やめようか。」と思ってしまったんですが、参加しているメンバーを見て思いとどまりました。ショーターとウディ・ショウが入っているんですな。ショーターの参加は“笑点”好きにとっては見逃すわけにはいかないし、ショウの参加も“笑点”好きにとっては見逃すわけにはまいりません。例え、土曜日の夕方に“笑点”を見逃すことがあっても、このアルバムだけは押さえておかなければなりませんよね。あと、ゲイリー・バーツという下痢症のアルト奏者が入って、ロン・カーターもチェロで参加したりしておりますが、ま、このあたりはそれほどソソられるものはありません 

 まず1曲目は「ヴィジョン」です。これはえーと、表現の難しい曲ですな。こういう場合は原文ライナーを見るに限りますが、あっぷ・てんぽ・こんぽじしょん・べーすど・おん・あん・Eふらっと・まいなー。そうです。それです。モーダルですが、わりとわかりやすい曲です。3管のユニゾンで演奏されるテーマはAAと2回繰り返されて、最後にちょっぴり複雑なBのパートが付加されて、でもってマッコイのアドリブ・パートへと突入します。このソロは何というか、もろマッコイですなぁ。略してもろコイ。ま、こんなものを略したところでどうなるもんでもありませんが、一聴してマッコイと分かる個性は大したものだと思います。…と評価することも出来ますが、ワンパターンで聴き飽きたと貶すことも出来ようかと。ま、いずれにせよ“”という漢字はちょっとだけ“”に似てますね。いや、右の“つくり”の部分が似ているだけなんですが、伊豆で食べたは“おつくり”でも煮ているものでもなく、焼いたものでありました。続いて何やら怪しげな弦楽器のアルコ・ソロが登場しますが、これは恐らくロン・カーターのチェロでありましょう。抜群のテクニックでありますなぁ。…と評価することも出来ますが、ワケわかんねーから、やめろ!…と言いたくなる気持ちも分かります。個人的には「頭とか歯が痛い時には聴きたくねーな。」と思います。で、続いては翔太クンですね。期待度100%だったんですが、実態としてはまあまあですかね?とってもモーダルなんですが、決して分かりやすいとは言えません。どちらかと言うと苦痛です。後半はマッコイがコンピングを放棄してピアノレス・トリオになっているせいか、かなりワイルドです。ワイルドというのは本来なら褒め言葉なんですが、「ワイルドは悪いどー。」と感じる人にとっては忍耐以外の何物でもありません。

 で、続く下痢・バーツのソロは期待度ゼロだったんですが、ショーターのフレーズをそのままアルトに置き換えたような感じでありますな。時折、ジェームス・スポールディングを思わせるような瞬間もあります。ちなみにマッコイのコンプはアルト・ソロの頭のところから復活しております。で、続いては期待度120%のウディ・ショウの登場でありますが、ま、出来は80%といったところでしょうか。ちょっぴり小難しい路線に走っちゃったところが減点です。「笑点」のような分かりやすいショウを取り戻して欲しいと願わずにはいられません。で、フレディ・ウェイツの短いソロがあって、テーマに戻って、おしまい。続いては「ソング・オブ・ハピネス」という曲なんですが、これを聴くと「まだ1曲目のほうがマシだったなぁ。。。」ということをしみじみ実感しちゃいます。「どこが“はぴねす”なんや?」…と、文句のひとつも言いたくなってしまいます。いや、確かに冒頭のトリオ(+チェロ?)の部分は楽園ムードと言えなくもないんですが、マッコイのピアノが相変わらずのペースなので、「もう食えん。」という感じになってきちゃいます。そのうちにショーターと下痢バーが出てきてクラリネットや木製フルートやらを吹きはじめると、もういけません。ちなみにこの曲は1967年の10月に極東を旅行したマッコイが、その時の印象を元にジャパニーズな5つの音階でコンポジションした…ということらしいんですが、いや、日本に来るのは大いに結構なんですが、勝手にヘンな印象を持って帰るのはヤメて欲しいですなぁ。ま、彼にしてみれば“褒め言葉”なのかも知れませんけどね。「ぼく、顔が怖いから言葉ではうまく言えないんだけど、楽しかった日本の思い出を曲にしてみたのぉ。これで少しは日本のみんなに恩返しが出来たカナ?」みたいな。だとすればとても殊勝な心掛けだと思いますので、あまり馬鹿にしてはいけませんね。マッコイはいいです。ちなみにこの曲は基本的にトリオで演奏され、時折ホーンのアンサンブルが被さるというパターンになっております。…と書いているうちにショーターのソロになりましたな。クラリネットではなく、きちんとテナーを吹いておりますが、1曲目に比べるとまだオーソドックスでありまして、エモーショナルな歌い上げがいかにも彼らしくていいと思います。で、ショーターのかなり長いソロの後、意味不明のクラリネット&木製フルートのパートがあって、おしまい。

 はい、3曲目です。「スミッティーズ・プレイス」という曲なんですが、これを聴くと「まだ2曲目のほうがマシだったなぁ。。。」ということをしみじみ実感しちゃいます。始末が悪いことに、だんだんワケがわからなくなってきちゃうんですよね、このアルバム。嫌がらせですかね?「ちゃんつかちゃんちゃん♪」…というピアノの呼びかけに対し、ホーン陣が「ぴゃっ♪」と応答します。もう、どうでも好きにして。…という感じです。レビューを試みる人の態度を投げやりにさせちゃう演奏というのはよくないと思います。いや、僕にヤル気がないだけの話なんですけどね。もう秋だしー。とりあえずテーマらしきものが演奏された後、ショーターのほとんどヤケ気味のソロが展開されます。マッコイのコンピングはもはや伴奏という範疇を超え、集団即興演奏の世界へと足を踏み入れております。やがてウディ・ショウとゲイリー・バーツが乱入してまごうことなきコレク恥部・インプロヴィゼイションへと突入し、かと思ったらいきなり無伴奏チェロのピチカート・ソロなどという「世の中にこれほど地味な企画があっただろうか?」と思わずにはいられない世界が登場し、やがてマッコイとウェイツが出てきて、こんにちは。坊ちゃん、一緒に唐揚げ粉ぉ〜♪…と、だんだんわけがわからなくなってきます。で、「ちゃんつかちゃんちゃん♪」「ぴゃっ♪」に戻って、おしまい。この調子だと、4曲目にはどのような泥沼の世界が待ち受けているのだろうか?…と、一種自虐的な期待感で迎えた「ペレシナ」でありますが、おお!わたし、このよなマッコイ世界、待ち受けていたアルよ。…と、思わず中国人になってしまうほど真っ当な曲ではありませんか。そういえば僕の作ったマッコイ・コンピにはこの曲を採用したような覚えがあります。新たに書き下ろすのも面倒なので、その時のレビューを引用してお茶を濁しておこうと思いますが、

(7) 『EXPANSIONS』 (BLUE NOTE)

 これ以降のまっ子のアルバムって、自分でいうのもなんだけど、どうも印象が薄いのよねぇ。ジャケットのセンスもちょっと信じらんなーい!って感じだしぃ、まっ子のアフリカ趣味も、モーダルなフレージングもマンネリ化してきたしぃ。このアルバムなんかウディ・ショウにウェイン・ショーターっていうすごいメンバーなんだけど、そのわりには内容は今ひとつよね。まっ子のソロが出てくると、もーええわ!っていう感じぃ。ほら、まっ子って自分に厳しいからぁ。あとメンバーではゲイリー・バーツっいうアルトが参加しているのぉ。自分のアルバムのサイドマンなんだけど、この人のことはぜんぜん知らないのぉ。ほらぁ、まっ子ってテキトーだからぁ。あと、ベースのほかにロン・カーターがチェロで参加しているのが目をひくかな。このアルバムからは1曲だけ「ペレシナ」っていう曲を選んでみたのぉ。意味はよくわかんないのぉ。相変わらずのマンネリ・ピアノなんだけどぉ、ソロにかぶさってくるアンサンブルがちょっとオシャレでしょ?その昔、オシャレっていう名前の競争馬がいたけど、シイタケっていう名前もうまも・・・。

 …って、引用するだけ無駄でしたね。いや、最初からそんな気はしてたんですけどね。ちなみに最後のところは「シイタケっていう名前のうまも・・・。」の間違いだと思われますが、だいたい“まっ子”って誰なんすかね?“自分のアルバム”とか言ってるところを見ると、マッコイ本人がネカマと化してセルフ・ライナーノートを書いているという、しょうもない設定のようでありますが、言ってることは今日の僕と大差ありませんね。主義主張が首尾一貫している…と評価していいと思います。で、この「ペレシナ」という曲は基本がトリオ演奏で、そこにホーン・アンサンブルが被さるという構成になっているんですが、そのアンサンブルがちょっとオシャレです。なかなかいい感じです。特に前の演奏があまりにも酷かったので、そのコントラストが引き立ちます。ま、決して安くはないCDなんだから、ヴァルド・ウイリアムスの『ニュー・アドヴァンスド・ジャズ』のようにまるで聴きどころがないようでは困りますもんね。…と思っていたらラストの「アイ・ソート・アイド・レット・ユー・ノウ」も“まとも”でした。あまりにも“まとも”なので、どうかしたのか?…と心配になっちゃったほどなんですが、カル・マッセイの曲なんですね、これ。納得っす。ロン・カーターのチェロの弓弾きだけは余計なんですが、マッコイのピアノがこの上なくプリティです。この顔でこんなピアノを弾くのは、ある意味“反則”じゃないか?…という気がしないでもないんですが、顔を見ずに聴けば大丈夫です。さば君みたいなきりっとしたフェイスの好青年が弾いていると思えば、ギャルのハートはもうメロメロ。メロンパンナちゃんだってメロメロ。いや、あまり僕のタイプではないんですけどね、メロンパンナちゃん顔のギャル。バタ子さんもいけません。強いて言えば羊羹のキャラである“ようかんマダム”の古風な顔立ちがそれほど嫌いじゃないかな?…という気はするんですが、それにしてもロン・カーターのチェロの弓弾きだけは余計ですなぁ。…ということで、おしまい。

【総合評価】

 1打席目がいい当たりのセンターライナー。2打席目がショートゴロ、3打席目が三球三振で、4打席目にライト・オーバーのタイムリー・2ベースヒット。5打席目がサードへの内野安打で、5打数2安打の打点1。ま、そんなところでしょう。ただ、マッコイが嫌いな人には駄目です。ま、当たり前ですけどね。60年代意味不明路線が苦手な人にもちょっと辛いでしょうな。決して万人にオススメ出来るようなシロモノでないことだけは確かです。ま、このジャケットを見て買う気をソソられる人がいるとは思えないので、“間違っちゃった購入”をする心配はありません。


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