MY POINT OF VIEW (BLUE NOTE)

 HERBIE HANCOCK (1963/3/19)

MY POINT OF VIEW


【パーソネル】

DONALD BYRD (tp) GRACHAM MONCUR 3 (tb) HANK MOBLEY (ts) GRANT GREEN (g)
HERBIE HANCOCK (p) CHUCK ISRAELS (b) TONY WILLIAMS (ds)

【収録曲】

BLIND MAN , BLIND MAN / A TRIBUTE TO SOMEONE / KING COBRA
THE PLEASURE IS MINE / AND WHAT IF I DON'T

【解説】

 夏も終わりですな。夏の終わりに書くテーマというのはいつも決まっておりまして、「夏の終わりを感じさせるもの」。今年もこれでいきたいと思います。そして出てくる内容も毎年決まっておりまして、“高校野球の決勝戦”と“ツクツクボーシ”と“海水浴場に押し寄せるクラゲ”。この3本立てでございます。で、まず最初に“夏の甲子園”でありますが、甲子園へ行こうと思って道に迷ったので〜、子供に道を尋ねたら〜、教えてくれなかった〜。ナーンデカ?それはね〜、甲子園だけに、子教えん♪…って、これは“ナンデカ・フラメンコ”ではなくて、あだちつとむの漫画にあったネタなんですが、今年の夏の高校野球は明徳義塾の優勝で幕を閉じました。個人的には、かつて“トイレへいったら血便 わー、加山雄三 大ピンチ”という俳句を捧げた思い出のある“血便わー、加山”こと智弁和歌山を応援していたんですが、いやあ不評でしたな、この句は。「この貧困な発想に鉄槌を下していただきたい!」と酷評されてましたもんね。いやあ、個人的には「結構イケてる?」とか思ってたんですけどね。「トイレへ行ったら〜」じゃなくて、「便所に行ったら〜」のほうが、血便の切迫感が感じられてよかったかも知れませんね。…って、そういう問題じゃないですか。ということで、高校野球の決勝戦のお話はおしまい。あ、その前にもうひとつ。智弁和歌山のタカシマ監督(だっけ?)は世間では名監督と評されているようですが、「さすがやー。」の僕が感心したのは決勝戦に臨む前のコメントでありまして。「ピッチャーは7点くらいは取られるだろーから、それ以上に点を取りたい。」とか言ってたんですよね。ピッチャーの田林クン(だっけ?)はそれまでの試合でほとんど点を取られてないというのに、えらく過小評価してるなー。…とか思っていたら、しっかり7点取られてましたもんね。ま、それ以上に点を取れなかったのは監督としても誤算だったでしょうが、“試合を見る目”というか“戦力分析”には鋭いものがありますなぁ。で、明徳義塾の馬渕監督の涙を見て、「10年前の松井の5連続敬遠の件、もう許したろ。」と思った人も多いに違いありません。ま、いずれにせよ、夏も終わりですな。

 ということで、続いてはセミについて考えてみたいと思います。子供の頃、「セミは1週間しか生きられなくて可哀想だから、獲っちゃ駄目だよ。」と諭された経験がある人は少なくないと思います。が、騙されてはいけません。セミというのはハネが生えていて、空を飛んで、木に止まって、喧しく鳴いている生き物である。…と考えるからいけないのであって、本当のセミの姿というのは“幼虫”であるわけです。あのイモムシ状の生き物に“幼虫”などという名前を付けるもんだから、「あれは人間でいうと幼稚園児くらいの年齢なんだー。まだ生えてない子供なんだー。」という誤解が生じるわけでありますが、あ、「生えてない」というのは羽根が…という意味でありますが、セミという生き物はあのイモムシ状の姿のまま小学校に入り、中学校に上がり、女子高生になって色気づいて来たなぁ。…と思っていたら、いつの間にやらオバハン化していた。…といったライフサイクルをたどる生き物なんだと思います。だからあのイモムシ状の生物というのは僕らが勝手に「“幼虫”である。」と思い込んでいるだけの話であって、なかには何割かの割合で“おばはん虫”といったようなものが混入しているに違いないわけであります。ここまでは人間社会と何ら変わるものがありません。ただ、セミのおばさんは人間のおばさんと違ってとっても無口なんですが、その大人しいセミがある日突然豹変します。ところで“豹変”って、どうして“豹変”と言うんでしょうね?大人しくて目立たなかった女子生徒が、夏休みが終わったらいきなりケバくなって“豹柄ぎゃる”と化していた。…という事例に由来するのでありましょうか?…と思ってちょっと語源を調べてみたところ、豹の毛が季節によって抜け替わり、急に豹柄が鮮やかになることから生まれた言葉なんだそうです。いや、このネタだけで今日は最後まで押し通せるか?…と期待したんですが、わずか1行で答えが出ちゃいましたね。仕方がないからセミの話に戻りましょう。

 セミはどのような時に豹変するのか。結論から言いましょう。死期を悟った時。これであります。人間でも「あと1週間で確実に死ぬ。」ということが分かったら、ヤケを起こして何をやらかすか分かったもんじゃありませんよね。僕だったらそうですね。道を歩いている女子高生の集団に襲いかかり、片っ端からスケートをめくっちゃいますね。何せ、どうあがいたところで1週間後には死んじゃうわけなので、恐いものなどないわけです。どうせなら、もっと悪いことをしちゃいますかね?近所の家のチャイムを押して、そのままダッシュで逃げるとか。あるいは公園にある水道の蛇口を捻って水を出しっぱなしにしちゃうとか。もう、悪くて悪くて、考えてみただけで“自分の心の闇に棲んでいる魔性”に空恐ろしくなってしまうほどなんですが、僕ほどの理性ある人間にしてこの有様ですんで、セミとなれば尚更のことです。僕が女子高生のスカートを片っ端からめくるなどという、普段の僕からは到底想像も出来ないような破廉恥な変態行為に走るのと同様、セミだって変態しちゃいます。どっせ、あと1週間で死んじゃうんだぁ。…とヤケを起こし、「ハネ生やしてやるぅ!」と叫ぶと“幼虫”(…と我々が称している、実はかなりトシを食っている中高年虫)から“さなぎ”、そして“成虫”へと変態しちゃいます。ま、ヤケを起こしてハネを生やすくらいのことならさほど人類に実害はないんですが、セミの場合は「大きな声で鳴いて、嫌がらせしてやるぅ!」とか思っちゃうから始末が悪いんですよね。自分はあと1週間の命だというのに、人間達が幸せそうに暮らしているのを見て「何かムカつぅ!」とか思っちゃうんでしょうね。人間が出来てないですね。ま、セミだから人間が出来てなくても仕方ないかな?…という気はするんですが、それにしても馬鹿でかい声で喚き散らすというのはどう考えてもやり過ぎです。死期が迫っているという事情を差し引いても、決して許される行為ではありません。直ちに捕まえて火あぶりにでもしてやるのが筋だとは思うんですが、それにしてもツクツクボーシというのは、どうして「つくつくぼーし」と鳴くんですかね?セミの種類によって鳴き声が違うというのは、ミンミンゼミとアブラゼミのハーフの“アブミンセミ”なんてものが生まれてきたら、世間体が悪いしぃ。…ということから何となく理解出来ますよね。もしミンミンゼミの鳴き声がアブラゼミと同じような「ジーィィ〜」というものだったりしたら、そのような間違いが起こらないとも限りません。「ジーィィ〜」と鳴いたら“ミンミンゼミ”とは言わんやろ?…という問題はさておいて、鳴き声によって他種との識別をはかるということなら別に「ツクツクボーシ」などという意味不明の鳴き声でなくても、「シェ〜!」でも何でもいいような気がするんですけどね。ま、こういう問題はいくら考えてみたところで答えは出ないような気がするので、直接本人に聞いてみることにしましょうかね?
「つくつくぼーし、つくつくぼーし、つくつくぼーし、つくつくぼーし、うぃおい、うぃおい、うぃおい、うぃおぃ〜♪」
あ、逃げられてしまいました。

 先程のツクツクボーシの態度からすると、恐らく本人もよくわかってないんぢゃないか?…という気がしないでもないんですが、「あれは実は“ツクツクボーシ”ではなくて“オーシーツクツク”なんだ。」…という意見もありますよね。“ツクツク派”と“オーシー派”の間では互いに一歩も譲ることのない熾烈な論争が繰り広がられているわけでありますが、ちなみに僕はと言うと、「ンなこたぁ、どっちでもいい。」という立場を取るものであります。ということで“ツクツク問題”はこれでおしまい。どうでもいいことに時間を割くほど僕は暇ではありません。いや、暇なのは暇なんですけどね。で、残されたところあと“クラゲ”だけなんですが、これは前に一度書いちゃったんですよね。“甲子園”と“ツクツク”と“クラゲ”の3点セット以外に、何か“夏の終わりを感じさせるもの”はありませんかね?…と思って考えてみたところ、あ、ありました。「冷やし中華やめました。」というのはどうですかね?いや“冷やし中華”というのは始める時には麗々しく「冷やし中華はじめました。」という貼り紙を掲げるにもかかわらず、やめるときには何の通知もなく店主の一存だけで勝手にやめちゃうんですよね。で、夏も終わりに近いある日のこと、ラーメン屋に入って何気なく「冷やし中華」を注文して、店主からいくぶん冷たい口調で「もうやってません。」とか言われちゃうわけです。やめるのはそっちの勝手やけど、勝手にやめるなよぉ!…と、文句のひとつも言いたくなりますよね。店主の口調が冷やし中華みたいに冷たかったことも余計にカチンときちゃいます。何だかギャル系以外には冷たいWebサイトの掲示板に書き込みをして、無視されたときのような寂寥を覚えてしまいます。ま、いずれにせよ、夏も終わりですな。

 ということで、今日はハービー・ハンコックです。有名ですね。ジャズを聴いたことのない人でもハービー・ハンコックの名前は聞いたことがある。…という人は世の中にゴマンといます。推定で5万くらいは いるんじゃないですかね?5万という数字は一見すると少ないように思われるかも知れませんが、コルトレーンの『バラード』というCDが2万枚売れたのが記録的な大ヒット!…と言われるような世界ですからね。ハービーの知名度の高さを示す数値であると言えましょう。で、今日は『マイ・ポイント・オブ・ビュー』というアルバムを紹介したいと思うんですが、これはハービーのデビュー第2作でありますな。いや、もしかしたら違ったかも知れませんが、細かいことを気にしてはいけません。ハービーのデビュー作は『テイキン・オフ』 だったと思うんですが、そこに収録されていたジャズ・ロック調のナンバー、「すいか男」というのがとってもヒットしたんだそうです。おかげで当時のハービーは僕が今現在イメージしているところの“新主流派のピアニスト”というより、むしろ“アーシーなフィーリングを持ったソウル派のピアニスト”として受け止められていた節がありますね。いや、『テイキン・オフ』というアルバム自体は“すいか路線”が半分、モーダルな“新主流派路線”が半分という構成だったんですが、大衆のウケは“すいか”のほうが上だったようでありまして。で、第2弾にあたるこの『マイ・ポイント・オブ・ヴュー』では「ウォーターメロン・マン」のあからさまな“二匹目のドジョウ狙い”である「ブラインド・マン・ブラインド・マン」という曲が目玉となっております。ジャケットにも“彼の新しい作品「目の不自由な人、目の不自由な人」を含む”と明記されてますしね。が、僕はこのあまりアーバンでない曲が好きではなく、アルバム全体にもあまりいい印象を持っていないんですが、ま、ジャケ絵が簡単そうだから、いっかぁ。…と思って取り上げる次第であります。

 はい、1曲目。その「ブラマン×2」ですな。このアルバムはドナルド・バードハンク・モブレイがフロントを飾っておりまして、ハービーのリーダー作にしてはかなり保守的なイメージがあるんですが、彼のメジャー・デビューはドナルド・バードのクインテットでしたからね。『ロイヤル・フラッシュ』でしたっけ?いや、もしかしたら違ったかも知れませんが、その経緯からすると別にそれほど不思議ではない人選ですよね。でもって、グラント・グリーンまで入っております。この人は意外と新主流派風のセッションにも顔を出したりしているんですが、ここでの起用はそのソウルなフィーリングを買われてのことでありましょう。でもって、トロンボーンのグラチャン・モンカー3世まで入ってますな。英語風にグラチャン・モンカー・ザ・サードと言ったほうがカッコいいかも知れませんが、この人はソウル色が皆無な人でございます。あまり演奏がベタになり過ぎてもいかん。…ということを懸念した、知性派ハービーの配慮でありましょう。ドラムスにはきちんとトニー・ウイリアムスを入れておりますし、ベースがチャック・イスラエルというのもBNらしからぬ人選で面白いですね。あははははは。…と、ここまで書いたところで原文ライナーに目を通してみたんですが、えーと、なになに。ハービーいわく、「僕は(中略)したんだ。」うん、途中を中略しすぎて何が言いたかったのかさっぱりわかりませんでしたね。ま、要はシカゴの街角で見聞きした盲目のギタリストの姿をモチーフにしたということらしいんですが、盲目のギタリストの姿はテーマの提示を二分するグリーンのギターのブレイクにはっきり表現されていると。なるほど、さすが本職だけあってうまいこと書くもんですなぁ、アイラ・ギトラー。だてにキングギドラみたいな名前をしているわけじゃないですね。おっしゃるとおりテーマ部はジャズ・ロック調のリズムに乗せてハービーがメロディを提示した後、ホーンとピアノの掛け合いになって、“ギターのブレイク”を挟んで、以下それの繰り返し。…といった構成になっているんですが、その“ギターのブレイク”が実に効果的です。印象的です。印度象…は関係ありません。環形動物…はもっと関係ありません。

 で、ソロ先発はグリーンでありますな。お得意のシングルトーンを駆使し、神奈川県にあるのは逗子市、とってもアーシーなムードでブルージーなフレーズを綴ってまいります。で、続いてはモブレイのソロでありますが、この人の一種むさくるしいトーンはこの手の鄙びたナンバーにはよくマッチしておりまして、後半に絡んでくるホーンのリフ・アンサンブルもよく出来ていると思います。そんだけ。で、ソロ3番手はハービーなんですが、今まで“お間抜け”なテーマに気をとられてほとんどマトモに聴いたことがなかったんですが、実にノリのいいプレイを展開していたんですな。グリーンの『フィーリン・ザ・スピリッツ』で聴かせた“黒いノリ”が炸裂しております。ま、海苔というのは元来黒いものなんですけどね。いや、有明海の海苔は色落ちしたりしてましたけどね。で、前半はギターとのコール&レスポンス風に展開し、後半はホーンとの絡みになって、テーマに戻って、おしまい。で、2曲目は「トリビュート・トゥ・サムワン」という曲です。“鳥、びゅーっと鵜、サモアに飛んでいく。”…と覚えるといいと思います。いや、覚えたところで何かの役に立つというわけではないので、無理して覚える必要はないような気もするんですけどね。途中に取って付けたような“”が入っていて、覚えにくいだけだしー。で、1曲目に比べるとかなり都会的な作品に仕上がっておりまして、先ほどはアンサンブル以外にあまり出番のなかったドナルド・バードがゆったりとしたテンポでしっとりとテーマ・メロディを歌い上げます。途中、サビのところでモブレイが出てきてアーバンなムードを多少損なう場面もございますが、すぐにバードが戻ってきてリカバリーに励むため、さほど大きな問題にまで発展することはありません。で、そのままバードのソロへと流れていきますが、この人は都会っぽいナンバーでも大丈夫マイ・フレンドです。いや、別に僕の友達というわけではないんですが、他に書くことを思いつかなかったのでとりあえず書いてみただけです。続くモブレイのソロはとりあえず置いといて、その次のハービーのソロはいいですね。どこがいいのかはよくわからんのですが、悪くないところがいいのではないかと思います。で、テーマに戻って、おしまい。

 はい3曲目。今日の曲解説にはまったくヤル気とか熱意といったものが感じられないような気がしますが、大丈夫です。いつものことです。で、新主流派ハービー好きのみんな、お股せ!このアルバムの中では僕の趣向といちばんよく合致している「キング・コブラ」の登場です。いいですよねぇ、コブラ。煮たり漬物にしたりすると美味しいですよね。…って、それはコブラじゃなくて、かぶら。いや、かぶらなど別に好きでもなんでもないんですが、ネタのためなら平気で心にもないことを書きますからね、僕。で、コブラというのは毒ヘビの名前であると同時に、ハービーが当時所有していたスポーツカーの名前でもあるそうですが、彼がこの曲を書いたのは「同じコード進行に飽きた」からだそうでありまして。それが“モード”という概念と同じことを示しているのかどうかはどーもよくわからんのですが、少なくとも僕の耳にはモーダルなものに聴こえます。ボントロを加えた3管のハーモニーが味噌ですよね。鱧(ハモ)には味噌よりも梅肉のほうがよく合うような気がしますが、そんなことはどうでもいいですね。で、ソロ先発はバードです。2番手はモブレイです。3番手はグラ・モン・ザ・サードです。ザ・サードだけに3番手なんですな。で、4番手はハービーです。以上です。続いては「ザ・プレジャー・イズ・マイン」という曲なんですが、ついに曲解説がソロ・オーダーの紹介だけになっちゃいましたね。で、「ザ・プレジャー・イズ・マイン」というのは「ヨロコビは僕に」というような意味かと思ったら、「どういたしまして。」と訳すんですな。ちっとも知りませんでした。世の中、まだ僕の知らないことばかりですね。だから人生というのは楽しいんですね。今度、ガイジンのお姉さんに「ゆあ・てくにっく・いず・べりー・ないす♪」とか言われたら、「ざ・ぷれじゃー・いず・まいん」と答えよう。…と心に誓った次第でありますが、いや、そのような機会はついぞ訪れることがないような気がしないでもないんですけどね。「あ〜ん、今ひとつなのぉ。。。」というようなことを英語で言われて、おしまい。…とか。とまあ、それはともかく、曲のほうはというと、ゆったりしたテンポのバラード風のナンバーでありますな。ここでも3管のハーモニーが効果的で、とっても有効です。途中、ハービーのリリカルなソロを挟んで、アンサンブルによるテーマに戻って、おしまい。さ、あと1曲です。

 ラストの「アンド・ホワット・イフ・アイ・ドント」はブラック・フィーリングに満ち溢れたブルースです。とっても黒いです。ソロはハービー、バード、モブレイの順です(←たぶん)。ということで、今日はおしまい。

【総合評価】

 ハービーのBN盤では最も印象の薄い作品ですかね?ま、コブラ1匹といったところでしょう。

 
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