A TOUCH OF PEPPER (ARGO)

JOHN YOUNG (1962/11/29,12/4)

A TOUCH OF PEPPER


【パーソネル】

JOHN YOUNG (p) SAM KIDD (b) PHIL THOMAS (ds)
【収録曲】

BLUE OREENEE / JOEY / EVERYTHING'S COMING UP ROSES
A LOT OF LIVING TO DO / SEACH ME / SERENATA / INCH WORM
THE BRIDGE / IN OTHER WORDS ( FLY ME TO THE MOON )

【解説】

 今日は“液晶”について考えてみたいと思います。凄いよね。もう、これなしではエレクトロニクス産業が成り立たないっていうか、これを発明した人って、おそらく天才だよね。…って、それは“激賞”ですね。ま、確かに素晴らしい発明だとは思うんですが、それほど激しく賞賛するほどのものでもないような気もします。いや、やっぱり凄いですかね?とにかくまあ、僕達がはじめて“液晶”というものに出会ったのは「電卓」ではなかったかと思いますが、“液晶”の発達によって、いわゆるデジタル機器が飛躍的な進歩を遂げたというのは間違いないところであります。いや、僕がコドモだった頃にもデジタル時計というのはありましたけどね。腕時計ではなくて卓上形のものだったんですが、それはデジタルと言っても例えば“”の桁だったら“0〜12”の数字が、“10分”の桁だったら“0〜5”の数字が、“1分”の桁だったら“0〜9”の数字がそれぞれ書かれた円筒状のドラムがあって、それが歯車みたいに組み合わさって機械的に動いていくだけという、実にアナログ的な代物でありました。「ジィ〜〜」というモーター音がコドモ心にも「あまり“はいてく的”じゃないな。。。」という印象を抱かせたものでありますが、そういえば“ぱたぱた式”というのもありましたよね。言葉で説明するのは難しいんですが、数字の書かれた薄い板状のものが回転して1枚ずつ“ぱたぱた”と切り替わっていくような機構でありまして、やはり動きの根本的なところは機械的なんですが、1分が経過すると数字が“ぱたっ”と非連続的に変わるところにデジタル的な禅味が感じられましたよね。

 真の意味でのデジタル的な表示ということになると“7セグメントLED”がその元祖でありましょう。細長い棒状のLED(発光ダイオード)を四角い“8の字状”に並べ、その7つのLEDを任意に点灯・消灯させることにより数字を表示するやつであります。「マイキット180」の実験にもありましたよね。僕の持っていた「マイキット180」では実験出来ませんでしたけどね。いや、そんなことでクレたりはしませんでしたけど。で、7セグメントに “.(小数点)” を加えるとちょうど8個という数字になりまして、8ビットのマイコンでコントロールするにはまことに重宝なものでありました。ただLEDの場合は消費電力が少なくないのが難点でありまして、それを克服するために登場したのが“液晶”というわけですね。ちなみにこの“液晶”というのは元来、物質の状態を示す言葉なんだそうです。物質には「気体」「液体」「固体」という3つの状態(“物質の3態”)があるわけなんですが、“液晶”というのは固体と液体の中間的な性質を持っているんだそうです。“ラジカルな気体”とでも言うべき“プラズマ”を含めて“物質の5態”という言い方もあるそうですが、最近の流行りですよね、“液晶”と“プラズマ”。で、“プラズマ”のほうは大槻教授に任せるとして、今日は“液晶”について考えてみたいと思うんですが、液晶に関する最大の問題は「どうして暑いところに放置すると黒くなるのか?」ということですよね。人間の皮膚と同じく、日に焼けると黒くなるということなのかも知れませんが、たとえば車載用のデジタル時計なんかは夏場にダッシュボードの上に置いておくと、かならず黒くなります。間違いなくなります。「外で原稿を書くのにイイかな?」と思って買った“コミュニケーション・パル”の画面が炎天下でみるみるうちに黒くなっちゃうのを目の当たりにして、「金返せ〜!」と思わず半泣きになってしまったわけですが、「そういえば“液晶”というのは、このように黒くなるものであったな。」ということを改めて知らされることになりました。これはいったい、どういうメカニズムによるものなんでしょうね?

 ということで、さっそく調べてみました。勉強熱心ですからね、僕って。いや、ネタ切れとかそういうことではなくて。で、結論から申し上げましょう。液晶というのはイカの墨であります。で、イカの墨をスパゲティにして食べると歯がイカ墨色、すなわちセピア色に染まりますが、イカの墨を顔に塗ってドゥワップを歌っていたのが“シャネルズ”ですよね。あ、あれはイカ墨じゃなくて靴墨ですか。とまあそれはともかく、“液晶”というのは自然の状態では長軸方向にゆるやかな規則性を持って並んでいるんだそうです。どうしてなのかというと、そういうもんだからです。で、この液晶を一定の方向に溝を刻んだ板に接触させると、溝にそって並び方を変えるそうでありますが、これは何となく理解できますよね。半分液体だから、溝に流れ込むような形になるわけでしょう。僕のボーリングと同じですね。もしボーリングのガーターというのがではなく、競輪場のバンクのような状態になっていたら僕のボーリングの成績は飛躍的に向上すると思うんですが、あるいはピンボールみたいにゴムで跳ね返るようにするとか。で、液晶の表示器というのは、液晶に電圧を加えると並び方が変わるという性質と、一定方向だけの光を取り出すことが出来る偏光フィルターの組み合わせによって作られているんだそうです。そうそう、ありましたよね、偏光フィルターって。僕は電卓のような電子機器を分解するのが好きな少年でありまして、分解したが最後、二度と元の姿に戻ることはありませんでしたので、正確には“分解”ではなく、“破壊”なのかも知れませんが、そうして壊した電卓の表示部には薄茶色をした薄いシートのようなものが挟まれておりました。どっせ、元には戻らないんだしぃ。…と開き直って、そのシートを2つに切って遊んでいたんですが、このシートにはなかなか面白い性質がありました。そのシートは横手方向にかなり長い形状だったので2つに切っても横長の形をしておりましたが、その2枚を同じ向きに重ねても特に主だった変化は現れませんでした。茶色く向こうが透けてみえるような色をしておりました。ところがシートのうちの1枚を90度回転させて重ねると、重なった部分は黒くなって、向こうが見えなくなるんですよね。僕は感動のあまり、「おおっ!」と声を上げてしまいましたね。「すげぇ!」とも思いました。そして飽きることなく2枚のフィルムを平行にしたり直角にしたりして遊んでおりました。「研究熱心な少年」と評価することも出来ますが、友達のいない寂しい子だったんですねー、僕って。

 で、これが今から思えば“偏光”ということだったんでしょうが、通常の状態では規則正しく並んでいる液晶の隙間から光が漏れて白っぽく見えているのが、電圧を加えることによって並び方が90度変わって黒く見えるようになっちゃうと。ま、恐らくはそういうことなんじゃないか?…という気がするんですが、詳しいことはよくわかりません。ではなぜクソ暑いところに放置すると黒くなっちゃうのかというと、液晶が融けるんじゃないか?…と思うんですよね。例えば氷の塊を日向に出しておくと、やがて解けて水になって流れ出しちゃいますよね。で、液晶というのは固体と液体の中間でありますので、ちょっと暑いとすぐにドロドロの液体になって、溝から溢れ出して“さっぱわや”になっちゃうと。これはもう、偏光フィルターを通して見れば黒くなっちゃうのは自明の理でありまして、そういう宿命なんだぁ。…と思って諦めるより他に手立てはありません。ただ最近では材料工学の分野でもいろいろと改良が進んでおりますので、ちょっと暑いくらいでは簡単に“デレデレ”なったりしない、“身持ちの固い液晶”というのも登場してますよね。ちょっと鍋で煮立てられただけですぐ“グズグズ”になっちゃうタラあたりにも見習ってほしいところでありますが、“コミュニケーション・パル”は液晶のシャープの商品であるにもかかわらず、よっぽど悪い液晶を使っているのでしょうな。もしかして、タラの墨とか使ってませんかね?いや、カラスミだったら高級なんですけどね。ちなみに「イカ墨液晶」というのは、あくまでも「…のようなもの」というレベルの話だそうでありまして、シャープの液晶工場の裏手には、たくさんのイカの屍体が転がっている…というような都市伝説はありません。いや、普通のイカの墨の変わりにホタルイカを使えば、天然バックライト付液晶ディスプレイが出来て、とっても画期的?…とか思ったんですけどねぇ。。。ということで、今日の話はおしまい。

 ということで、ジョン・ヤングです。知ってますか?僕は知りません。名前すら聞いたことありません。先日、名古屋のたわけレコードに行ったらこの人の『ア・タッチ・オブ・ペッパー』というCDが売られておりましたので、「ま、いっかぁ。」と思ってとりあえず買ってみたんですが、でなけりゃ、この人のことは一生知らないまま死んでいくところでした。危ないところでした。で、一通り聴いてみたところ、「ま、この人のことを知るにヤブサカではなかったかな?」…という気がしてきたんですが、スタイル的にはまったくオーソドックスで、どちらかというとポップなセンスの持ち主なので、バルド・ウイリアムスに比べればまったくもってマシですね。ただ、「真面目にジャズやってるかぁ?」と言われれば若干の疑問符を伴うような部分もあるんですが、ま、例えて言うなら「地味なスリー・サウンズ」といったところですかね?日本の平均的なジャズ・ファンにはあまり受け入れられないかも知れませんが、小難しいところは微塵もないので、安心して聴くことは出来ようかと思います。ちなみにこの人、活動の拠点をほとんどシカゴに置いていたそうで、その結果“幻のピアニスト”と化してしまったようなんですが、ニューヨークに進出しておれば、本国アメリカではそこそこ、あ〜ん、そこぉ♪…といった程度の人気は得られたのではないか?…という気がしないでもありません。ということで、では1曲目から聴いてみましょう。

 まずは「ブルー・オリーニー」という曲です。いきなりオリジナルで来ましたか。もう、ヤル気マンマン!…という感じですね。この手のあまり名前も聞いたことがないようなピアニストというのは、概してスタンダードを中心に演奏するものである。…という、何の根拠もない思い込みが僕にはあったんですが、この人の場合はちょっと違うみたいですね。さすがはヤングな若者…という気がしますが、曲自体もなかなか悪くありませんね。基本的にはシンプルなリフ・ブルースなんですが、ポップな味付けもあって明るく楽しいナンバーに仕上がっております。ただ、前にも書いたように“プチ・スリー・サウンズ的”なタッチのピアノはちょっと評価が分かれるかも知れませんね。ただ“スリー・サウンズ”同様、ピアノとベースとドラムスの3者が一体となった演奏には捨てがたい魅力もありまして、ま、これはこれでいいんじゃないか?…という気がしないでもありません。ということで1曲目はおしまい。何とも投げやりな曲解説ですね。久しぶりの勤務時間中執筆なので、それもまたやむなし。『塩鯖市場』のほうもぜんぜん出品がなくて、ヤル気が喚起されませんしね。

 で、2曲目です。「ジョーイ」という曲です。“女性上位"というのはなかなかジョイフルなものだよね。…ということをテーマにした歌物ではないかと思われますが、どんな曲でしたっけね?普通、最初から3曲目くらいまではどういう演奏だったのかアタマの片隅に残っているものなんですが、今日の僕は駄目ですね。仕方がないので日本語ライナーから引用してお茶を濁しておこうと思いますが、ベースとドラムの力強いビートに乗って、長い長いテーマの後、4ビートでソロをとる。途中「There Is No Greater Love」の一節などをはさみ、美しいメロディーを聞かせてくれる。…と、菅原正晴クン(←誰?)が書いておりますので、多分そのような演奏なんでしょう。正晴クンのいうことに一点の不正も曇りもありません。ということで3曲目です。「エブリシング・カミング・アップ・ローゼズ」。翻訳ソフトにかけたら「バラの上方に来る全て」という、今ひとつしっくりこない訳語が出てまいりましたが、この曲は何となくアタマの中に残っております。なんだか、究極なまでにベタな歌謡曲調のナンバーではなかったですかね?ジーン・ハリスを思わせるポップなタッチのピアノが炸裂し、僕達を陶酔の世界へと誘います。…って、やっぱり駄目ですな。今ひとつ気分が乗らないので、ウチに帰って演奏を聴きながら書くことにしますが、ということで「エブリシング・カミング・アップ・ローゼズ」。あ、その前に2曲目にさかのぼって聴いてみると、「ジョーイ」はフィル・トーマスの軽快なシンバルワークで幕を開ける、幾分ラテン・タッチの明るく楽しいナンバーでありました。ヤングのソロはブロック・コードが効果的に用いられて、明るく楽しく仕上げてられております。いや、わざわざ前の曲まで戻ったわりには、ぜんぜんたいしたことのない解説でしたね。で、3曲目のほうはというと、やはり“ベタ”な歌物でありまして、フィル・トーマスのポップなドラミングが聴きようによっては面白い効果をあげておりますね。で、かなり速いテンポでありますが、ヤングのソロは決して破綻に追い込まれることなく、余裕さえ感じられる弾きっぷりで、大変よろしいのではないかと。

 ということで4曲目です。いや、ウチに帰って演奏を聴きながら書いてみたところで、曲解説がまったく充実していないことには変わりがありませんね。しかたがないので今日、取引先から貰ったお土産の『かにサブレ』について考えてみたいと思うんですが、よりによってカニのサブレ。恐らく、越前かどこかのカニが名物である地域のお土産だと思うんですが、何もわざわざカニをサブレにまでせんでもええやろ?…と思わずにはいられません。もう、何だか名前からして間違いなく不味そうですもんね。個別包装にもわりとリアルなカニのイラストがあしらってあって、イメージの悪さを助長しております。いや、食べてみたらまったくもって普通のサブレでしたけどね。これではいったい何のために『かにサブレ』にしたんだ?…と文句のひとつも言いたくなってしまいますが、いや、カニの味がしたならしたで、「気持ち悪いぢゃないか!」とか文句を言ってるような気がしないでもないんですけどね。で、4曲目は「ア・ロット・オブ・リヴィング・トゥ・ドゥ」という曲です。ボサ・ノヴァ→中国風→ミディアム・4ビートと短い曲ながら劇的に料理されているリー・アダムスの小品。…と日本語ライナーにありますが、そっかぁ?中国風かぁ?…という気がしないでもありません。別にカニ玉くさいとか、そういうこともないしー。いや、ボサノバなのは確かにボサノバですけどね。テーマはずっとボッサのリズムでありまして、で、ソロに入るところの最初のフレーズが、ま“中華風”と言われれば確かにそう聞こえないこともありません。幾分、ラー油くさい雰囲気は感じられます。でもって、アドリブ・パートに入るとミディアム・4ビートに豚汁…いや、転じるわけでありますが、あ、今日のお昼は『めしの里』で「味噌チキンカツ」を食べました。無論、豚汁も頼みました。わりと好きなんですよね、ここの豚汁。味が下品で。で、演奏のほうはというと、ヤングのソロはいつものペースであります。

 ということで続いて5曲目なんですが、いや、今のはわりと充実した解説でしたね。ほとんど本筋とは関係のない、どうでもいい話でしたけどね。で、5曲目は「サーチ・ミー」という、ベースのサム・キッドをフィーチャーしたキッド自身のオリジナルなんですが、純ジャズ的なフィーリングという寒天で…いや観点で言うと、これまでで一番の出来ではないでしょうかね?ベースのピチカートによる“呼び掛け”にピアノが“応答”する形でテーマが演奏されるわけですが、ファンキーでアーシーなムードが何とも黒っぽいですね。MUGO・ん…黒っぽい by 工藤静香。…といった感覚が横溢していて、秀逸です。いや、アイドル歌手って時折、魔が差したかのようにヘンなタイトルの曲を歌ったりするんですよね。小泉今日子の「艶姿ナミダ娘」とか「渚のはいから人魚」とか。キュートなヒップにズッキンドッキン♪…というフレーズは結構好きだったんですが、続く6曲目は「セレナータ」です。明るく楽しい歌物です。で、7曲目は「ジ・インチ・ワーム」という曲ですね。タイトルは「シャクトリムシ」の意味でしょうか?1インチ=2.54センチ、1尺=30.3センチ。約12倍も開きがあるので、ぜんぜん違うのかも知れません。で、この曲はコルトレーンが取り上げたことで知られているわけですが、ここでのヤングの演奏を聴くと、とても同じ曲とは思えませんな。トレーン版は「何かヘンな曲ぅ。。。」という感じだったんですが、ヤング版は普通です。でもって、「ヤングマン」は西城秀樹です。

 はい、次。トレーンが出たからにはロリンズだって黙っておりません。「ザ・ブリッジ」、日本名「橋」の登場です。雲隠れしていたロリンズの復帰第1作として知られている曲です。いや、僕は持ってませんけどね。もし安く手に入るようなら聴いてみるにヤブサカではないかな?…という気はしておりますので、誰か『塩鯖市場』に出品してくれませんかね?で、ヤングの演奏を聴く限り、ミディアム・ファーストの4ビートとスローなワルツが交錯する、かなり凝った作りのナンバーでありますな。テーマだけでなくてアドリブ・パートに入ってもこのパターンは踏襲されております。こういう凝った編曲というのは、たまに出てくるだけなら「お客さん、かなり凝ってますなー。」と感心することも出来るんですが、こう何度も何度もやられると、ちょっぴりウザいですね。ヤングの猛省を求める次第であります。ということで、あと1曲です。スタンダードの「イン・アザー・ワーズ」です。というより、カッコの中に書いてある「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」のほうは世間の通りはいいですよね。ただ、ここでのヤングはボサノバではなく、原曲に忠実なワルツで料理しておりますので、「イン・アザー・ワーズ」のほうで正解かも知れません。敢えてボッサにしなかったアイデアは評価できますが、演奏としては「まあまあかな?」といったところでしょうか。ということで、今日のヤングはおしまい。

【総合評価】

 君は“ザ・スリー・サウンズ”を許せるか?…というのが、この人を受容できるかどうかの試金石でしょう。ジーン・ハリスほど超ベタではないものの、好みの分かれるスタイルではありますな。ま、人それぞれということで。


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