SWEET HONEY BEE (BLUE NOTE)

 DUKE PEARSON (1966/12/07)

SWEET HONEY BEE


【パーソネル】

FREDDIE HUBBARD (tp) JAMES SPAULDING (as,fl) JOE HENDERSON (ts)
DUKE PEARSON (p) RON CARTER (b) MICKEY ROKER (ds)

【収録曲】

SWEET HONEY BEE / SUDEL / AFTER THE RAIN / GASLIGHT
BIG BERTHA / EMPATHY / READY RUDY?

【解説】

 君は甘い汁を吸ったことがあるかな?僕はありません。いや、昔は何度かそのような機会もあったんですが、オトナになってからはめっきりチャンスが無くなってしまいました。で、昔はどんな甘い汁を吸っていたかというとですね、サルビアの蜜なんかをよく吸ってましたね。トモダチが「これ、甘いんやでぇ。」と言いながらサルビアの花をブチッとちぎって吸っているのを見て、このヒトは何とまあ、いじましい少年時代を送っているんだろう。。。と哀しい気分になったものでありますが、物は試しにと思って吸ってみると、確かに甘い味がするんですよね。いいこと教えてもらったぁ♪…と思いました。持つべきものは友達だなぁ。…と思いました。持つべき鍋はモツ鍋だなぁ。…とも思いました。が、ある日、サルビアの根っこで野良猫がウンコしているのを目撃して以来、僕は甘い汁を吸うのをやめました。最近、サルビアの蜜の味のガムというのが発売されたところを見ると、コドモの頃にサルビアの蜜を吸って飢えを凌いでいたのはウチの近所だけじゃなかったようですが、今回のこの猫のウンコの話でガムの売り上げが落ちないことを僕は願わずにはいられません。

 が、ウンコにもめげず、いまだに花の蜜を吸い続けているものも世の中にはおりまして、たとえばミツバチなんかがそうですよね。ま、ミツバチに蜜を吸うなと言うのはオオアリクイにアリを食うなと命じるようなものなので、やむを得ない一面もあろうかと思いますが、そんなことでまあ、今日はミツバチの不思議について考えてみたいと思います。ミツバチに関する根源的な疑問として、なぜ人を刺すのか?…ということが挙げられるかと思いますが、君はハチに刺されたことがあるかな?僕はありません。クラゲにも刺されたことがありません。通り魔に刺されたこともありません。幸いなことにこれまで、わりと平穏な人生を送ってきたわけでありますが、こんなご時世ですからいつ何時、ハチやクラゲや通り魔に刺されないとも限りませんよね。刺されないようにするためには刺す身になって考えてみるというのが大切かと思われますが、刺す身というのはマグロの刺身なんかと違ってそれほど身近な存在ではないので、その気持ちを推し量るというのはけっこう難しいですよね。難しいことではありますが、ま、フツーに考えれば「自分の身を守るために刺す」ということでよろしいかと思います。ただハチの場合は一度刺すと針が抜けて死んじゃうそうでありまして、自分の身を守るというよりは種族を守る為の自爆テロ的な要素が強く、ミツバチの心境としては相当にステバチであろうと思われます。

 はい、これで“蜂の一刺し問題”は解決です。ところでミツバチにはニホンミツバチセイヨウミツバチの2種類がいるということを知ってましたか?僕は知りませんでした。知りませんでしたが、ま、便器にも洋式と和式があるくらいだから、ミツバチに和式のものと洋式のものがいたとしても別に不思議ではありませんよね。で、ニホンミツバチセイヨウミツバチは一体どのようにして見分けるのかというと、これは簡単です。黄色と黒の縞模様というおなじみのカラーリングが施されているのが洋モノでありまして、和モノのほうはもっと渋く、えんじ色と黒のストライプなんだそうです。えんじ色。悪くないですなぁ。やっぱりブルマの基本は“えんじ”だよねっ。…と、ウチの近所の女子高生好きの園児も言っておりましたが、いや、個人的にはどちらかというと紺のブルマのほうがすきなんですけどね。ま、それはそうとこの2種類のミツバチは見た目以外にも色々な違いがあるそうです。性格も違います。ニホンミツバチのほうが性格が温順で、セイヨウミツバチのほうは性格が単純です。病気に強いのはニホンミツバチで、中気に強いのはセイヨウミツバチだそうです。いや、中気も病気の一種ではないか?とか、そもそもミツバチが中気になったりするのか?とか、いろいろと疑問もあるでしょうが、細かいことを気にしていては人間、大きくなれません。人間というのは海綿体のように、そう簡単に大きくなれるものではないんですよね。

 で、頭のよさという点では和モノは洋モノを圧倒しておりまして、それは天敵に襲われたときの対処法に如実に現れております。ミツバチの最大の天敵というのはどうやらスズメバチらしいんですが、同じハチの仲間でありながらミツバチとスズメバチはイスラエルとパレスチナのように激しく敵対しているらしいんですよね。で、スズメバチの軍事攻撃に対してセイヨウミツバチがとる対抗手段というのは自爆テロ、これ一本でありまして、1匹ずつ巣から飛び出してはスズメバチに無謀な戦いを挑み、そのまま玉砕して死んじゃうんだそうです。それを繰り返し、遂には一族郎党が全滅しちゃうというから、なんともステバチな戦法でありますなぁ。。。それに対し、ニホンミツバチがとる戦術は違います。彼らはもっぱらゲリラ戦法をとります。下痢気味でもゲリラ。彼らの作戦は首尾一貫しておりまして、スズメバチがやって来ると、とりあえず彼らは巣の中に籠ります。いや、ミツバチの集団というのはその構成要因のほとんどがメスらしいので「彼女らは」と言ったほうがいいかと思いますが、彼女らはとりあえず籠城作戦に出るわけですね。窮状に陥ったら、とりあえず籠城。それを信条にしているわけです。

 で、じれたスズメバチが強引に巣の中に入ってくると、すかさず集団でその周りを取り囲んで攻撃を加えるわけなんですが、その攻撃方法というのがなかなか振るっておりまして。作戦コードは“児童虐待@布団蒸し作戦”とでも申しましょうか、彼女達はスズメバチを取り囲むと激しくコーフンし、「ああん、カラダが熱くなっちゃうのぉ。」という状態になっちゃうんだそうです。で、カラダが熱くなっちゃったメスのミツバチに囲まれて布団蒸し状態にされたスズメバチのカラダは摂氏47度にも達するというから、かなりのものでありますなぁ。で、この摂氏47度というのが絶妙でありまして、スズメバチというのは体温がこの数字に達すると、熱くって、頭がぼーっとして、死んじゃうらしいんですよね。ところがニホンミツバチのほうはというと、急な発熱にもわりと大丈夫な体質のようでありまして、摂氏48度くらいまでは耐えられるんだそうです。この僅か1度くらいの耐熱差を利用してニホンミツバチはスズメバチを蒸し殺すわけでありますが、いやあ、実にアタマがいいですなぁ。ただセイヨウミツバチの名誉のために言っておくと、セイヨウミツバチがスズメバチにやられちゃうのは別にセイヨウミツバチがアホだからではなく、もともとスズメバチがいない地域に住んでいたのが無理矢理に日本に連れてこられ、 いきなりガバっと襲われて「ああん、いやん、駄目ぇ。。。」とか言ってるうちにヤラれちゃうわけでありまして、ある意味で被害者と言えるのではないでしょうか。

 ビョーキにも強く、天敵にも強いニホンミツバチでありますが、欠点もございます。それは何かというと、今ひとつ働きがよくないらいいです。花の蜜を集める能力はセイヨウミツバチの半分程度しかないらしいです。おまけによく逃げるそうです。そのため養蜂家の間では今ひとつ人気がなくて、「やっぱり金髪だぎゃあ。」とか言って黄色い“あっち産”のミツバチばかりを可愛がってきたわけでありますが、最近になって“えんじ色”のニホンミツバチを見直そうという動きも出てきているようでございます。見直してみると、えんじ色のブルマというのも悪くないなぁ。…と僕も最近になって思うようになってきたんですが、少なくとも黄色と黒のしましまのブルマよりはマシですよね。あ、でもトラ皮のパンツというのは同じく黄色と黒のストライプなんですが、悪くないですよね。で、トリ皮のパンツというのは見た目は今ひとつなんですが、焼いて食べるとおいしそうですよね。ちなみに“えんじ色”というのは漢字では“臙脂色”と書くんですが、臙脂というのは何かと思ったらエンジムシという名前の虫がいるんだそうでありまして。で、そいつを乾かして粉にして臙脂色のコチニール色素というのを作るそうなんですが、この得体の知れない虫の粉末から作った色素は合成着色料として食品にも添加されているんだそうです。いや、天然素材だからそんなに毒もないでしょうし、カルシウムとかもありそうだし、ちょっぴり香ばしいフレーバーもあって悪くないかな?…という気がしないでもないんですが、ムシを虫干しにして乾いたやつを“すりこぎ”ですって粉にしてところを想像すると、あまりラブリィな光景ではありませんよね。もし、えんじ色のブルマを穿いた女子高生とお知り合いになるような機会があればこのエンジムシの話をして、「いやあん、気持ち悪いのぉ。。。」「じゃ、ブルマ、脱いでみようかぁ。」という展開に持っていこうかと密かに画策しているんですが、いや、なかなかそんな甘い汁を吸うような話は転がってないかもしれません。ということで、ミツバチの話はおしまい。

 ということでデューク・ピアソンです。ぴゃあーそんが夜なべをして〜♪…って、ちょっと無理矢理ですが、今日は『スウィート・ハニー・ビー』というアルバムを紹介してみたいと思います。甘いハチミツの蜂。今日のテーマにぴったりですね。ブルーノートも4200番台半ばに突入し、ジャケットのセンスとかもそろそろ末期の様相を呈し始めた頃の作品でありますが、このアルバムのセンスは悪くありません。そっかぁ?全然ぢゃん。…と思った人がいるとすれば、それは僕の絵心のなさのせいではないかと思いますが、昔からちょっと気になっていたジャケットのギャルはピアソンの奥さんなんだそうですね。輸入盤CDのライナーノートをスキャナに取り込んでOCRでTEXT変換して翻訳ソフトで日本語に直してみたところ、「デュークの音楽がalway~を持つ、軽快でspring-1ikeである、多分、このアルバムの中の安寧の感覚の特定の理由が、あなたが音楽を聞く頃には、ベティPearson.夫人になったカバーの魅力的な若い女性である。彼がデュークがそれ(「少しの幸福)を置くので、「甘い蜂蜜ミツバチ」、その日が照っているメロディーとresilientlyな伝染性のビートが通信すると書いたとき、彼女の何かがデュークの考えの中にあった。」と書いてありました。うん、今ひとつ意味がよくわかりませんが、言いたいことは何となくわかりますよね。で、このアルバムは再度漫画、いやサイドマンが悪くありませんな。フレディ・ハバード、ジェームス・スポールディング、ジョー・ヘンダーソンという3管編成からは、いかにも60年代ブルーノートの新主流派路線といった感じのクールでハードな演奏が展開されるんじゃないかな?…という期待が持てますよね。ということで、では1曲目から聴いてみることに致しましょう。

 1曲目はタイトル・チューンの「スウィート・ハニー・ビー」ですね。クールでハードな演奏が展開されるんじゃないかな?…という期待は、この演奏が始まった瞬間、M78星雲の彼方までぶっ飛んでしまいました。ベタな8ビートに乗ったテーマはスウィート・ハニーというか、くすぐったいというか、下品な言葉でいうとケツの穴が痒くなりそうというか、いや、このムズ痒さは子供の頃にぎょう虫を湧かして以来ですかね?演奏はスポールディングのフルートにテナーとペットが絡む形で進んでいくんですが、ウイントン・ケリーの「ケリー・ブルー」同様、フルートという楽器は使用法を誤るとオマヌケの極みになっちゃうんですよねぇ。。。で、ホーン陣は基本的にテーマ部だけの参加でありまして、アドリブ・パートではピアノだけがソロを取っていたのではないかと。いや、勤務時間中につき記憶だけが頼りなんですが、ここでのピアソンはブロックコードを多様してハロルド・メイバーン的なグルーヴを聴かせていたんじゃなかったかと思われます。ま、ジャズ・ロックの場合だと大抵のピアニストがこんなノリになりますよね。で、テーマの間抜けさに比較するとソロ自体はわりとマシだったような気がします。ちなみに原文ライナーをOCRでTEXT化して翻訳ソフトで翻訳した日本語ライナーもどきには“ダンスのような浮揚性が単独でデュークの自分自身のピアノの中にある、そして、ジェームズSpauldingのフルートも「甘い砥石B」『y』eeにsprntなenergizerを作るexpectancyの気軽なムードを強調する。”などと書いてありました。

 はい2曲目です。「スデル」とかいう曲ですね。餃子屋では、醤油とラー油と酢出る。…と覚えておくといいと思います。いや、こんなものを覚えておいたところで何かの役に立つとも思えませんけどね。で、曲としては1曲目ほどにはないにせよわりとベタなナンバーでありまして、ただ構成的にはわりと凝った作品のようで、原文ライナーには“8、10、8、10のバー・シーケンスで、彼が注意する。10バー・セクションの各々の最初の4つの処置は倒置に基づく、そして、彼らはお互いと完全に働く。したがってHarmonicallyにそれは、soloists臨機応変への招待であった。”とありました。よくはわかりませんが、各自のソロの間にアンサンブル・パートが挟まるような構成だったように記憶しております。ソロ・オーダーはハバード、ジョー・ヘン、ジェー・スポだったように記憶しております。1曲目ではたいして出番がなかった彼らがその鬱憤を晴らすべく、大いに発奮している金粉ショー。…といった感じの作品だったと思います。はい3曲目です。「アフター・ザ・レイン」です。ピアソンが恋人のために書いた曲だそうですが、トリオ演奏で始まる導入部は、ジャズというよりもニューエイジといった感じだよね。…と僕の知り合いの丹生英二(にう・えいじ)君が言っておりましたが、なるほど、ジョージ・ウインストン的な世界でありますな。ピアソンという人は黒人ピアニストの中でも際立った知性を感じさせる人でありまして、いや、別に彼以外の黒人ピアニストがアホというわけではないんですが、この曲にはピアソンの持つリリカルな資質が遺憾なく発揮されておりまして、とってもいいことだと思います。途中からジェームス・スポールディングのフルートも入ってきますが、これまたとってもリリカルでいいと思います。家庭用のバリカンはやっぱりスキカルがいいと思います。フルートという楽器は使い方さえ間違えなければとっても素晴らしい楽器なんだぁ。…ということを再認識させてくれて、いや、ジェー・スポもなかなか捨てたもんじゃありませんな。

 はい、続いて4曲目です。「ガスライト」という曲です。タイトルはガス灯のことなんでしょうか?斉藤という名字でカスみたいな子がいると、カスの斉藤、略してカス藤(かすとう)などと呼ばれることがあろうかと思いますがそれはともかく、ゆったりしたテンポの何だか不思議なムードのナンバーでありまして、あ、ちなみにここからは自宅で演奏を聴きながらの原稿執筆なんですけどね。ひとつ間違えればウエイン・ショーター的世界が展開されそうなモーダルな曲調でありまして、アルトとテナーとトランペットの3管ハーモニーがなかなか凝ったつくりになっております。何となく、夜霧に包まれた古い町並みにぼんやりと灯っているガス灯の光。…といった映画的なシーンを連想させないでもなくて、場所で言うとロンドンの裏町あたりですかね?先日、中津川の町裏というところで“うんこポンプ”の据付工事をやったんですが、そういえばまだ完成図書を出してなかったっすね。こうしている場合ではありません。早速、明日の朝にでも仙石部長に電話して「はよ出さなアカンやん。」と叱っておこうと思いますが、演奏としてはソロ先発のジョー・ヘンダーソンがなかなかいい味を出しているじょー。よくうねるフレージングが夜霧ムードとよくマッチングしております。ソロ2番手のフレディの出来も悪くなく、3番手のピアソンもソツのないプレイで手堅くまとめておりまして、で、ここでちょっぴり明るめのセカンド・テーマみたいなアンサンブルのパートがあって、メイン・テーマに戻って、おしまい。テーマ再現部の吹きっぷりが導入部に比べて明るい夜明けの兆し風になっているのが面白いと思います。わはははは。

 はい5曲目です。「ビッグ・バーサ」とか言う曲ですね。“Bertha”というのは何かと思って調べてみたら、よくわかりませんでした。人の名前なのかも知れないし、婆サンから「ん」が取れたものなのかも知れません。で、演奏はスインギーなシンバル・レガートにウォーキング・ベースが絡み、そこにピアノがちょっかいを出す形で幕を開け、やがて3管ユニゾン(tp,as,ts)の呼びかけに対してピアソンのピアノが応答するテーマ部の演奏があって、そしてフレディ・ハバードのソロへと流れていきます。えーと、フレディ・ハバード、フレディ・ハバード…、特にボケを思いつかないのでとりあえず一句詠んでおくと、


・ ぼく、フリでいい? パパはどう?

  > 親子でフリチン♪

 えー、久しぶりの句作は駄作に終わってしまいましたが、ここでのハバードのプレイは傾聴に値する快調さ、名古屋弁でいうところの「けーちょうにあてゃーする、きゃーちょーさ。」をキープしておりまして、とても立派なことだと思います。曲自体がとってもノリのよいファンキー・チューンなんですが、その流れを引き継いで実にノリのよいフレーズを繰り出しております。いいことだと思います。続くジョー・ヘンのソロも彼らしい“うねうね感”が独特のドライブ感を醸し出しておりますし、ソロ3番手のスポールディングのアルトは、ま、彼にすればまだわかりやすいほうの部類じゃないですかね?わけのわからん演奏をするようになってからのソニー・レッド…といった程度のわかりにくさでありまして、我慢できないこともない最低レベル…といった段階に何とか踏みとどまっているような気がしないでもありません。で、ソロの最後を飾るピアソンは好調です。スポールディングの吹いた最後のフレーズを引き継ぐ形でアドリブを開始し、全体的にはモーダルなフレージングなんだけど、ところどころに彼らしい“クールなファンキーさ”も垣間見られるよね。…と、僕の知り合いのカイマンワニも言っておりましたが、ハンプトン・ホーズの『VOL.3』のジャケを見てもわかるように、アレでなかなかジャズにはうるさいですからねぇ、カイマンワニ。で、最後にテーマに戻って終焉を迎えるわけですが、エンディングもばっちり決まっておりまして、とってもよかったと思います。

 はい6曲目です。「エンパシー」というのは「感情移入」とか「共感」といった意味でありましょうか。かつて、『スチュワーデス物語』の教官に共感して阿鼻叫喚した人も少なくなかろうと思いますが、ピアソンが描き出すところの「共感」はメロディアスでモーダルな雰囲気のナンバーでありまして、ミュート・トランペットとフルートのユニゾンが実にいい感じに仕上がっております。そうそう、ミュートとフルートって、けっこう相性がいいんだよね。…と、葬祭ホール「愛昇殿」に勤めている僕の友達も言っておりましたが、テーマに続いてスポールディングがフルートで新主流派ライクなソロを取り、続いてハバードがミュートで新主流派ライクなソロを取り、続いてジョー・ヘンダーソンがテナーで…以下同文。この中で特筆すべきはジョー・ヘンのソロでありまして、執拗なまでのネチネチ感はまさしくこの60年代ブルーノートを代表するテナーマンの面目躍如でありまして、この人の前世はきっとネチネチ仮面だったに違いありません。続くピアソンは好調です。で、全体を通してミッキー・ローカーの叩き出すアフロ・キューバンなリズムが印象的ですね。以上、本アルバムでもっとも新主流派らしい1曲でありました。

 はいラスト。「レディ・ルディ?」は録音技師のルディ・ヴァン・ゲルダーに捧げられたナンバーだそうです。用意はいいかい、ルディ?…というような意味なんでしょうか。何事も「いきなり」とか「無理矢理」とか、ガバっと押し倒すなどというのは紳士にあるまじき行為だよね。…と南米出身のアルマジロも言っておりましたが、あらかじめ同意を求めるあたり、いかにもジェントルなピアソンらしい人柄が表れていてイイことだと思います。曲自体はヒップな雰囲気のベタなファンキー・チューンでありまして、冒頭のピアソンのピアノが最高にゴキゲンにしてタキゲン。…といった感じですね。いや、制御盤のカギを作ってるメーカーなんですけどね、タキゲン。で、ハバード、ジョー・ヘン、ジェー・スポ(as)、ピアソンの順にアドリブが繰り広げられるわけですが、各自はソロの最後をテーマ・メロディの1フレーズで締めくくるというのが慣わしとなっているようです。ちょっと失敗してますけどね、ジョー・ヘン。あ、ピアソンに続いてロン・カーターのソロもありますね。ここまで彼はソロ・パートではまったく出番がなかったんですが、出たがりの盆栽好きがよくここまで我慢汁…いや、汁は関係ありませんね。よくここまで我慢したと思います。ま、ラストを飾るに相応しい、リラックスしたナンバーって感じぃ?…といった曲でありまして、以上でこのアルバムはおしまい。

【総合評価】

 1曲目のぎょう虫ライクなタイトル曲をどう判断するか?…というのがポイントかと思いますが、それ以降、特に3曲目から先はごく真っ当なハードバップ、もしくは新主流派指向のサウンドでありました。ま、際立って特出した作品というわけではありませんが、それなりの特ダシ。…といった感じの佳作ではないかと思われます。


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