THE TRIO (VERVE)

 OSCAR PETERSON (1960〜61)

THE TRIO


【パーソネル】

OSCAR PETERSON (p) RAY BROWN (b) ED THIGPEN (ds)
【収録曲】

I'VE NEVER BEEN IN LOVE BEFORE / (IN THE) WEE SMALL HOURS (OF THE MORNING)
CHICAGO THAT TODDLING TOWN / THE NIGHT WE CALLED IT A DAY / SOMETIMES I'M HAPPY
WHISPER NOT / BILLY BOY

【解説】

 今日はヤンキーについて考えてみたいと思います。ここでいうヤンキーというのは、キーと右下がりに発音するほうのヤンキーではなくて、ヤンキーと右上がりに発音するほうのヤンキー、アメリカ人のほうのヤンキーではなくて、グレちゃった日本人であるほうのヤンキーのことなんですが、この2種類のヤンキーを見分けるのは割と簡単でございます。識別のポイントはその座り方にあるわけなんですが、ウンコ座りをするほうが日本のヤンキー、しないほうがアメリカのヤンキーであると判断してほぼ間違いはないでしょう。何故ならウンコ座りというのは和式便器にしゃがむ姿に酷似していることからその名前がついたわけでありまして、洋式便器で用を足しているアメリカ人はウンコ座りなどしないわけでありまして。

 で、ウンコ座りするほうのヤンキーなんですが、彼らには大きな2つの謎がございます。その1つは「何故、彼らはヤンキーと呼ばれるのか?」という疑問でありまして、もう1つは「何故、彼らはウンコ座りをするのか?」という問題なんですが、後者に関しては割と簡単に答えが出るような気がしますね。彼らは何故、ウンコ座りをするのか?それはおそらく、ウンコがしたいからではないでしょうかね? よく、本屋に行くと便意をもよおすという人がおりますが、僕もその例外ではなく、本屋に限らずスーパーに行ってもコンビニに行ってもウンコがしたくなることがよくあります。そういう場合、僕は座り込むことにしております。座り込んで、小さな声で「うー。」と唸ります。そうすることによってなだめるというか、ごまかすというか、コトをうやむやのうちに何とかしちゃおうというコンタンなんですが、おそらくウンコ座りしているヤンキー達も同じ苦しみを味わっているんじゃないでしょうかね?座っているヤンキーと目を合わせると「うー!」と唸られたりしますが、あれはおそらく、そうすることによってコトをうやむやのうちに何とかしちゃおうという涙ぐましい努力の現れなんじゃないでしょうかね?

 ということで一件落着。残すところあとヤンキーの名称問題だけとなりましたが、まずは元祖ヤンキーであるアメリカのヤンキーの語源について調べてみましょう。えーと、時は1626年、オランダはマンハッタンを原住民からタダ同然の値段で買い取ったと。そしてその地を自国の首都にちなんでニュー・アムステルダムと名付けたと。その後、この地はイギリスの植民地となり、名前もニューヨークと改められたのではないかと思われますが、ヤンキーという名称はオランダ人によくある「ヤン」という名前にちなんだものではないかと言われております。…ということでありました。なるほど。確かにオランダにはヤン・ボスという名前のスケート選手がおりますし、ジャズの世界にもヤン・ガルバレクという人がいるし、マダム・ヤンという名前のインスタント・ラーメンもありましたよね。で、もうひとつ「ヤン」で思い当たる名前にヤン坊というのがありまして、僕はかねがねマー坊というのはともかく、ヤン坊というのはあまりにも不自然で無理矢理なんぢゃないか?と思っていたんですが、実はオランダ人だったんですな。納得です。

 はい、続いてはニッポンのヤンキー問題です。元来、オランダ人のヤン君に由来する言葉であったヤンキーが、何故、ウンコ座りをする一群の名称として用いられるようになったんでしょうか?ちなみにこの言葉が広く世間に普及するようになったのは僕が高校生だった頃、すなわち今から17年くらい前のことではなかったかと思われますが、ではそれ以前のグレちゃった青少年は何と呼ばれていたのかというと、ツッパリ(笑)。これでございます。思わず(笑)を付けてしまいましたが、今から思うととてつもなく恥ずかしいネーミングでありますなぁ。。。突っ張っているからツッパリ。その語源はとっても簡潔明瞭でイイんですけどね。で、グレちゃった女子生徒はスケバンでありますな。

 ツッパリからヤンキーへ。この呼称の変化はいったい何に起因するものだったんでしょうか?僕が思うに、これは髪型の変化によるものではないでしょうかね?かつてツッパリと呼ばれた人々はソリコミこそ入れておりましたが、髪の毛の色は黒かったような気がします。グレてこそすれ、大和民族としての矜持はちゃんと保たれていたわけでありますな。ところが今から17年ほど前、関西地方に突如として出現したネオ不良の髪型はソリコミから金髪へと劇的な変化を遂げております。上方出身だけに髪型には特別なこだわりがあったのかと思われますが、この新登場した金髪の一団にかねてからの古典派ツッパリの人々は不快感をあらわにしたのだった。…と、当時のフーゾクを伝えるルポルタージュにありますが、元来ツッパリの人というのは東洋的な価値観に誇りを持っていたんですよね。だからこそガクランの裏に龍の刺繍をしたり、外来語を敵対視して“I LOVE YOU”を漢字で「愛羅武勇」と書いたりしているわけなんですが、そんな彼らが金髪の一団を見て「なんぢゃありゃ?アメリカ人みたいやんけー。アメリカ人やからヤンキーやんけー。」という反感を抱いたとしても誰がそれを非難することが出来ましょう?

 金髪だからヤンキー。おそらく、そんだけの話だと思います。

 さ、オスカー・ピーターソンですね。ツッパリヤンキーとの確執はピーターソンについて語る際、どうしても避けて通ることが出来ない課題であるわけですが、ワビ・サビ・幽玄を重んじるツッパリ的価値観において、能天気なピーターソンのスタイルというのはウケがよくありません。一方、ヤンキーな人々の間ではとっても人気があるし尊敬もされているわけなんですが、これはまあ文化の違いなので、いかんともしがたい問題なんですけどね。ま、確かにピーターソンの演奏にはカクテル・ピアノ的な要素もあるわけですが、例えばパウエル派と目されるレッド・ガーランドにだってピーターソンの影響は強く感じられますし、ウイントン・ケリーとて例外ではありません。ジュニア・マンスに至ってはもっと顕著ですよね。ちなみに僕はカクテル・ピアノにもわりと好意を持っていて、カクピーはマルだと考えるカクマル派なのでオスピーのピアノは嫌いじゃないんですが、今日はそんな彼の魅力が存分に発揮されたライブ演奏を聴いてみることにしましょう。 題して『ザ・トリオ 〜 オスカー・ピーターソン・トリオの真髄』でございます。

 はい1曲目。「アイブ・ネヴァー・ビーン・イン・ラブ・ビフォー」です。この曲は囁くオカマ、チェット・ベイカーの歌で聴いたことがあるんですが、退廃的なチェット版とは対照的にオスピーのピアノは明るく楽しく健全な仕上がり具合となっております。アート・テイタム譲りの華麗な装飾音にレイ・ブラウンの強力無比なピチカートが絡み、エド・シグペンのサポートも「日本語サポートも万全!」と謳っている優良な外国系有料すけべサイトと同じくらい万全であります。さすが、自分達で「ザ・トリオ」と称しているだけのことはありますな。ビル・エバンス・トリオのインタープレイには「勝負」という言葉が似合いますが、オスピー・トリオの場合は「友好」と言った感じですね。でーんでーんでーんでーん、でんでんでんでんでん、友好ぉ♪(←ピンクレディ「UFO」の節で歌ってネ。)目を合わせて見つめるだけでぇ、信じあえる話も出来るぅ♪…って、そこまで歌う必要はありませんけどね。

 で、とってもいい演奏だとは思いますが、特に書くことを思いつかないのでライナーノートを引用させて頂くと、えーと、「恋したことはない」。フランク・ローサー作詞・曲、1950年度ミュージカル、『野郎どもと女たち』 (“Guys and Dolls”) のテーマ・ソングであると。なるほど。テリー・ギブスのアルバムに『野郎どもと女たちはヴァイブが好きっ♪』というのがありましたが、あのミュージカルからのナンバーだったんですな。で、32小節からなるミディアム・テンポの曲で、彼ら得意の歯切れの良い演奏をくりひろげていると。で、1コーラスめは2ビートによるテーマ提示…とありますが、個人的にはフレーズの最後に付く「ちゃららららら♪」という下降系グリッサンドが、マツナガのしるこサンド的に強く印象に残りますね。で、2小節ブレイクがあった後、2コーラスめも2ビートでの小気味よいアド・リブが展開される。3、4コーラスはリズムも4ビートに変り、演奏も最高潮に達する。…とありますが、楽理に疎い僕には2ビートと4ビートでは一体どこがどのように違うのか、今ひとつよくわかりません。ただ、最初はブラシを使っていたエド・シグペンが、いつの間にかスティックに持ち替えているなぁ。…ということには何となく気が付きました。で、スティックに転じてから、演奏はより一層の盛り上がりをみせてますね。まさに最高潮の潮吹き状態といったところでしょう。で、5コーラス目は、又2ビートにもどり聞き手をゆったりとさせる。このあたりの演出は心憎いぱかりである。エンディングは、べ一スのソロでうまく仕上げている。ピアノのメロディー・ラインに絡みつくリズム・セクションは正に黄金のトリオの真髄と云えるであろう。…ということで、この曲はおしまい。

 はい2曲目です。「ウィー・スモール・アワーズ」です。デブな男のデイブ・マンと平戸出身のボブ・ヒラードの手になる美しい旋律を持ったスロー・ナンバーだそうです。ロマンティックに溢れた演奏に、恋人達はこの幸せに満ちた夜が更けるのを惜しみながらグラスを合せ、ただ目をみつめ合っている。…その様な情景が浮ぶファンタジックな演奏である。…と誰が書いたとも知れぬ日本語ライナーにありましたが、目を合わせて見つめるだけでぇ、信じあえる話も出来るぅ♪…というヤツですかね?思わず「石ぶつけるぅ!」と思ってしまいますね。で、演奏のほうはというと、何となくビル・エバンスの弾く「マイ・フーリッシュ・ハート」を彷彿させるものがありますな。いや、ピアノのスタイルとしてはまったく対照的なんですが、ライブでバラード弾いてりゃ、どれも一緒ぢゃん?…みたいな。ピーターソンってなーんか下品でデリカシーがないから、ヤダ。…とか思っていた人も、わりかしデリカシーなこのバラード・プレイを耳にすれば、少しは認識を新たにするのではないでしょうか。

 はい3曲目。「シカゴ・ザット・トッドリング・タウン」という曲ですな。日本語のタイトルはただ単に「シカゴ」となっておりまして、「“とっどりんぐ・たうん”はどこいった?」と思ってしまいますが、ちなみに“TODDLING”というのは「よちよち歩きの」という意味みたいですね。で、演奏のほうはというと、日本語ライナーに「シカゴ・ギャング時代を思わせる様なイントロうんぬん」とあるように、シカゴ・ギャング時代を思わせる様なイントロで幕を開けます。ちなみに僕はシカゴのギャングよりオトナの玩具のほうが好きなんですが、そんなことはどうでもいいですね。オスピーにしては珍しくワイルドなムードでありますが、テーマに入ると一転していつものニコニコ健全ムードに戻ります。なんちゅうか、ピーターソンに弾かれるために生まれてきたようなナンバーでありまして、腕のいい指圧師並みにツボを押さえたプレイが展開されております。エド・シグペンのリズム・サポートも2ビートから4ビートヘ、そしてラテン・リズムヘと変化に富んで云々…とありますが、いかにも江戸っ子らしい歯切れのよいドラミングは、最近トシのせいか奥歯の奥に貝柱のスジとかがよくはさまったりする僕にとっては、うらやましい限りでございます。あ、うらやましいといえば、今、岐阜では裏山が燃えております。市街地の上空にまで煙が漂っておりまして、何だか不気味な雰囲気でありますが、ピーターソンの弾きっぷりはそれを吹き飛ばすような快活ぶりでありますな。特にシグペンがラテンのリズムに転じた後、ちょっとしたドラムとピアノのチェイスがあって、しかる後に倍テンポになるんですが、このあたりの展開はとってもエキサイチングでございます。えーと、この曲は以上です。

 4曲目、「ザ・ナイト・ウイ・コールド・イット・ア・デイ」マット洗いの名手、マット・デニスの曲ですね。夜、それを僕たちは昼間と呼んでいる。…という、夜遊びに耽るヤンキー達の生態を描いたナンバーではないかと思われますが、ちなみに日本語ライナーでは「夜に生きる」という邦題が付けられております。僕はこの曲を囁くオカマ、チェット・ベイカーのヴォーカルで聴いたことがあるんですが、そのアンニュイで退廃的なムードとは対称的に、ピーターソンはカクテル・ピアノっぽいタッチで“らぶりー&きゅーてぃ”に仕上げております。レイ・ブラウンの随所に出てくるアルコが聞きものである。…とありますが、なるほど、ポール・チェンバースの弾くアルコよりは数段マシあるね。…と、スーダン出身の僕の知り合いも言っておりました。はい、次。「サムタイムス・アイム・ハッピー」。ミュージカル『艦隊は踊る』のテーマ・ソング。イントロに続いてシングル・トーンによるテーマ提示があり、2小節ブレークの後、シングル・トーンによるアド・リブが3コーラスある。3コーラスめからドラムスのシンバルが加わりべ一スも4ビートとなって段々ともりあがってくる。8コーラスめからレイ・ブラウンのべ一ス・ソロとなりホーン・ライクなソロが3コーラス展開される。続くピーターソンのアド・リブは、そのアイディアがどこから生れて来るのかと思わせる程の内容で、多くの聞かせ所を持っている。ピーターソンの色々なアルバムを聞くたびに、そのアイディアの豊富さにいつも敬服するのみである。…と日本語ライナーにある通りの演奏が繰り広げられております。

 はい、次です。何だか手抜きの極みになってまいりましたが、山火事が気になって落ち着いて原稿を書いている場合ではありません。今すぐにでも現場に駆けつけて「燃えろよ、燃えろ」の歌を歌いたいところでありますが、そんなことをすれば恐らく大顰蹙でありましょう。で、6曲目は「ウィスパー・ノット」ですね。ご存知、ベニー・ゴルソンのペンによるジャズ・スタンダードでありまして、この美しい旋律を持ったナンバーをピーターソンはイントロ無しでいきなりテーマから演奏しております。もぉ、せっかちなんだからぁ。…という気がしないでもないんですが、満更でもない出来ですね。牛丼の具が独立して皿に盛られてくるのは牛皿ですけどね。はいラスト。「ビリー・ボーイ」はステージのクロージング・テーマ的な演奏でございます。短いながらもトリオの集大成とも言える多彩なテクが披露されておりまして、とってもいいんじゃないかと思います。ということで、このアルバムは以上です。

【総合評価】

 オスピーはピアノがうまいですな。少なくとも僕よりは上手です。両手で弾けてますもんね。が、ここまで完璧なテクを披露されると、「うまけりゃエエちゅうもんちゃうやろ?」と、故なき反感を抱いてしまうのも事実でありまして、そのへんをどう捉えるかが評価の分かれ目だと思います。ま、性格が素直な人にはそれなりに楽しめるんぢゃないでしょうか。…という1枚でありました。


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