SUNDAY MORNIN’ (BLUE NOTE)

 GRANT GREEN (1961/6/4)

SUNDAY MORNIN'


【パーソネル】

GRANT GREEN (g) KENNY DREW (p) BEN TUCKER (b) BEN DIXON (ds)
【収録曲】

FREEDOM MARCH / SUNDAY MORNIN' / EXODUS
GOD BLESS THE CHILD / COME SUNRISE / SO WHAT

【解説】

 今日のテーマは『先っちょは、ビ・ン・カ・ン♪』です。いいですよねぇ、ビンカン。燃えるゴミの日に一緒にビンやカンを出したりすると、近所のおばさんに叱られたりするわけでありますが、“敏感”というのは、いいものでございます。特に声を潜めて、耳元で囁くように“ビ・ン・カ・ン♪”と言ったりすると効果が増大するわけでありますが、右手の人差し指を真っ直ぐに立てて、“ビ・ン・カ・ン♪”と一文字ずつ左右に振ったりするのもカワイイものでございますなぁ。いや、何だかよくはわかりませんけど。

 で、ここで話は変わります。静電気です。静電気と言ってもドアのノブに手を触れた瞬間“ばちっ!”という音がしたり、思わず「イテっ!」と声が出ちゃったり、「痛いぢゃないかっ!」と文句を言ったりして、ちっとも静かでないところは亀井静香と同様なんですが、なんせボルトにするともの凄い電圧らしいですからねぇ。どれくらいもの凄いのかというと、名古屋出身の物凄男(もの・すごお)さん42歳が「どえりゃあ、あらけにゃあでかんわー。」と言ってたくらいもの凄いわけなんですが、その電圧は1万ボルトから数万ボルトにも達すると言われております。もの凄いですなぁ。安全衛生の世界では「42ボルトは死に(しに)ボルト」とか言って、人間、その気になれば、42ボルトという低い電圧でも死ぬことが出来るんだよ。…ということを教えてくれるわけでありますが、仮に数万ボルトというのが23428ボルトであると仮定した場合、静電気というのは実に、人間がその気になれば557.8回くらいは死ねるだけのパワーを秘めているわけでありまして、いや、どうして数万ボルトというのを23428ボルトと仮定したのかというと、「兄さん、死にやー。」の語呂合わせで、覚えるのに便利かな?…と思ったからなんですけどね。

 で、静電気がこれほどの高電圧でありながら、触ったら“ばちっ!”ときて、「痛いぢゃないかっ!」と文句を言いたくなる程度の損害にとどまっていて、人体にさしたる悪影響を及ぼさないというのは、ひとえに流れる電流が極めて微量であるということによるわけでありまして、要はコワイのは電流であって、電圧のほうではないということなんですよね。どういうことなのかと言うと、えーと、電気というのはよく「水」に例えられるわけなんですが、電圧が高い状態というのはすなわち、高いダムの堰堤を作って水を貯めている状態にあるわけです。ダムの高さが高ければ高いほど水圧、すなわち電圧が高い状態にあるわけですが、ダムできちんと水がせき止められている限り、下流のほうの人家に被害が及ぶことはないわけです。で、例えばこのダムの下のほうにプッチンプリンのプッチンがつけられていたとして、そのプッチンを「ぷっちん♪」とか言いながら指で折ったりすると、当然プッチンが折られた穴の部分から水が漏れ出てくるわけでありますが、その穴の大きさがプッチンプリンの“プッチン穴”程度のものなら、指で押さえるなどしてその漏れ出る水の量を最小限に押さえることが出来るわけであります。ま、水圧が高ければ高いほど指で押さえる時に力が要るということはありますが、いくら水圧が高いと言え、そこから漏れ出す水の量、すなわち電流が小さければ、ま、せいぜい物干し竿に干してあって風で飛ばされて地面に落ちゃったパンツがちょっぴり湿っちゃう程度で、さしたる被害は起きないというわけでございます。

 一方、高松に多いされるため池。ヘレン・メリルはニューヨークのため池。で、ため池の場合、堰堤の高さというのは知れております。ま、せいぜい1メートルくらいのもんですかね?だから堰堤の高さ100メートルのダムとかと比べたら、その水圧(=電圧)というのは全然たいしたことありませんが、かと言ってため池を侮ってはいけません。たとえばゆんぼを乗り付け、ため池の堰堤の土をガーガーと掘って遊んだりしていると、やがて堰堤が決壊して多量の水が流れ出し、付近の民家は水浸しになって、えらいことになっちゃいます。場合によっては床上まで浸水して、ベッドの下に隠してあったすけべ本が水浸しになっちゃうかもしれません。これはもう、大変な被害ですよね。一度水浸しになっちゃったすけべ本というのは乾かしてもバリバリになっちゃうものでありまして、いざ見ようとしても肝心の部分がひっついてページを開くことが出来ず、それでも無理矢理に開こうとすると激しい抵抗にあって、ついにはビリッと破れちゃったりしたいます。「どうしてくれるぅ!?」と、文句のひとつも言いたくなっちゃいますよね。つまりその、被害の大小というのは水の圧力(=電圧)ではなく、水の溢れる量(=電流)が直接的に関係するんだ。…ということがお分かり頂けたと思いますが、つまりその、静電気というのは電気の流れがダムの堰堤によって堰き止められて静穏を保っている状態にあるわけでありまして、でもたまにドアのノブに触ったりすると、プッチンプリンのプッチンを“ぷっちん♪”した時みたいに微量の水(=電流)が流れて、地面に落ちゃったパンツがちょっぴり湿っちゃう程度の被害を被ることになるわけでございます。

 で、この静電気のたまり具合と湿り気には重大な関連がございまして、また静電気のたまり具合と先っちょにも、少なからぬ因縁があるそうです。すなわち、静電気というのは湿った状態よりも感想した状態のほうが電荷がたまりやすく、だから空気が感想する冬場に、よく“ばちっ!”とくるわけですね。でまた、電気というのは先が細くなった部分によく溜まる性質があるらしく、だから人間のカラダでいうと指先なんかによく溜まるわけです。指先でドアのノブに触った瞬間に“ばちっ!”とくるのは、そのためです。だからドア・ノブの“ばちっ!”を防ぐには指の先だけでなく、手のひら全体で優しく包み込むようにタッチすれば大丈夫なんだそうです。んでまた、指先を湿らせておくことでもかなり静電気の防止には効果があるそうです。『先っちょは、ビ・ン・カ・ン♪』そして『ビンカン部分は、いつもヌレヌレ♪』この2点をよく頭において、不快な静電気を克服しようではありませんかぁ。そんだけ。

 ということでグラント・グリーンです。しばらく「先日、名古屋で仕入れてきたCDシリーズ」というのをお届けしてきたんですが、手持ちのネタが尽きました。人生の万策が尽きた時には扇の力に頼るといいそうなんですが、いや、大垣市内を走っていると「不思議な扇の伺い」という看板が立っていて、その下のほうに「人生の万策が尽きた時」と書いてあったりするんですよね。じゃ、大川の栄策が尽きた時にはいったいどうすればいいの?という疑問が湧いてくるわけでありますが、ま、別にどうもしなくてもいいような気はします。ということで今週から平常メニューに戻って、その他の楽器(ギター)編をお届けしようと思うんですが、そんなことでグラント・グリーンです。通称グラグリ。ジョニー・グリフィンのジョニグリ、田中康夫のペログリと並ぶ、世界の3大グリとして珍重されているわけでありますが、更に甘栗ハマグリカチグリふぐりを加えて、世界の7グリという呼び方をすることもありますよね。僕はこの7つの中では断然ハマグリふぐりに興味を覚えるわけでありますが、このコーナーは生憎とそのようなモノについて語る場ではございませんので、ここはひとつグラグリ『サンデイ・モーニン』というアルバムについて語ってみたいと思います。えーと、1961年6月4日の録音ですね。6と4で思い出したんですが、某社・某氏の携帯の末尾の数字が6464でありまして、この人からの電話は好ましくない内容であることが多いので、ディスプレイに6464という数字が表示された場合には心の中で「無視無視。」とつぶやいて、無視することにしております。そんな無視日の録音ではありますが内容のほうは悪くなくて、特にサイドマンがいいですよね。グリーンのリーダー作にはオルガンをバックにしたものが少なくないんですが、個人的にはピアノが入ったセッションのほうが好きで、その意味でケニー・ドリューと共演した本作は絶対にハズすことが出来ません。ベンタツことベン・タッカーと、ベンクソことベン・ディクソンの地味ながら堅実なサポートぶりも聴きのがせませんね。んなことでまあ、では1曲目から聴いてみることにしましょうね。

 1曲目の「フリーダム・マーチ」はグリーンのオリジナルです。マーチと銘打ってはおりますが、ちっともマーチっぽくなく、ちぃーたぁ、水前寺清子を見習えよぉ。…という気がしないでもありません。あ、今のは「ちょっとは」の江戸っ子訛りと水前寺清子の“チータ”を懸けたものなんですが、やっぱり人生はワンツーパンチだと思うしー。で、曲自体はゆったりしたテンポのブルースっぽいナンバーでありまして、ちょっぴりコール&レスポンス風の展開もございます。こういうナンバーはグリーンの得意とするところでございまして、一聴したところ地味なれど、浣腸したところ美味。そういった作品に仕上がっております。いや、よく意味はわかりませんけど。ギターとピアノの絡みによるテーマに続いてグリーンのソロへと展開していくわけでありますが、シングルトーンによるレイジーな大空球児はまさしく彼の真骨頂と言えるでしょう。そんだけ。で、ソロ2番手はドリューです。彼は後年、日本で最もギャル受けのするピアニストの一人となって、パリ北駅着の印象を綴ったりしたわけでありますが、根はブルースです。パンツはズロースです。いや、パンツとズロースはまったく別のものですね。下着はズロースです。…と言い直しておきましょう。ま、そんなことはどっちでもいいんですけどね。で、ここでのドリューのプレイは見事の一言です。そんだけ。で、ベン・タッカーのピチカート・ソロがあって、再びグリーンのソロがあって、テーマに戻って、おしまい。テーマ自体が単純なのであまりインパクトは強くないんですが、各人のソロはパーフェクトの域に達していると、かように思われる日永カヨー。そういったナンバーでございました。

 はい2曲目です。あ、日永カヨーというのは四日市にあるショッピングセンターなんですけどね。一般的には「かように思われるお好み焼きのかよちゃん」のほうがわかりやすかったですかね?桑名の中央町にあったテイクアウトのお好み焼き屋で、経営不振がタタって潰れちゃいましたけどね。で、2曲目はアルバム・タイトル曲の「サンデイ・モーニン」でありますが、これはもう典型的なゴスペル・ライクにして、おすぺ好き。そういったナンバーでございます。アメリカ南部の田舎町の教会の日曜の朝のお祈りの時間。そういった気配が濃厚に農耕民族でございます。いいですなぁ、牧歌的で。マグロの細巻ぃ?それは鉄火巻ですね。かっぱ寿司で鉄火巻だとばかり思って手にした皿が、実は“かんぴょう巻”だったということに食べ始めて3口ほどたってから気がついた時はショックでありましたが、こういうナンバーはグリーンの得意とするところでございまして、1曲目よりも速いテンポで明るく楽しくご陽気に繰り広げられるプレイは実に快調でございます。そんだけ。いや、今日は現場で記憶だけを頼りに原稿を書きすすめているので詳しいことはよくわからんのでありまして。。。が、ドリューのプレイが物凄くよかったことは確かでありまして、パウエル派のピアニストの中でもどちらかというと“趣味のよい系”に属する彼が、ここではベタな曲調に触発されたのか、それともヌタな局長に托鉢されたのか、実にまっ黒いボビー・ティモンズ風のフレーズを連発し、散髪し、ついでに托鉢して、尺八までしてくれて楽しませてくれます。えーと、この曲に関する記憶は以上です。

 はい3曲目です。「エクソダス」『栄光への脱出』のテーマ曲ですね。僕はこのタイトルを見ると、どうしても“ええ糞出す〜栄光への脱出”という便秘治癒のストーリーを頭に描いてしまうんですが、小林製薬あたりが出しそうですけどね、「エクソダス・すっきり」とかいう名前の便秘のクスリ。で、演奏のほうはというと、まず最初に実にすっきりしたドリューのイントロが印象に残ります。こういった綺麗なメロディの曲の場合、演奏者の度量が鋭く試されることになるんですが、さすがはドリューですね。ドリューの度量は、どえりゃあ…えーと、後が続きませんが、とにかくまあ立派の一言です。北勢線の駅は六把野(ろっぱの)ですけどね。…って、誰もそんなローカルな駅、知りませんよね。で、イントロに続いてグリーンが哀愁に満ちた土建屋風のテーマを演奏するわけでありますが、実にしみじみと歌心に富んだプレイでございます。イントロのバラード調から転じてミディアム・テンポになるんですが、“ホーン・ライクに歌う保温鍋”といった感じの、いかにも彼らしい演奏でありますな。ということで、さ、ここからはクルマの中での“おさぼり執筆”でございます。おさぼりと言えば大垣のほうに「おさぼりくん」という名前のまんが喫茶があるんですが、それにしてもこのネーミングはもうちょっと何とかならんもんですかねぇ。上司に「どこ行ってたぁ?」と聞かれて、「ちょっと“おさぼりくん”に。。。」では、たとえそれが真面目な商談だったとしても、申し開きがたちませんもんね。ま、要はまんが喫茶などで商談をしなければいいだけの話しなんですが、どうせ「くん」をつけるなら、他にもっといい名前があると思うんですけどね。立花喫茶・たかしくんとか。立花喫茶とは果たしてどういう喫茶店なのか?というと、客が全員アタマをアフロにして、臨死体験や脳死問題について論議しあうという。いや、そんなところに行って、何が面白い?という気がしないでもないんですけどね。で、クルマの中だから演奏だって聴けちゃうわけでありますが、グリーンが保温ライクにテーマを奏でたあと、そのままソロに突入します。後に彼のトレードマークになる“同一フレーズをしつこく反復することによるグルーヴ”の萌芽のようなものが感じられ、興味深いですね。続いてテーマ・メロディをフェイクするような感じでドリューのソロが始まりますが、その出来は極めて良好でございます。どのへんがどのように良好なのかというと、それを言葉で説明するのは難しいので実際に自分の耳で聴いて確かめてくださいね。続いてベンタツことベン・タッカーのピチカート・ソロも聴かれますが、さすがはベンタツだけあって弁が立ちますなぁ。とっても検便、いや、とっても雄弁でございます。

 はい4曲目です。「ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド」です。ブルース、ゴスペル、歌物と来て、ここでバラードです。このアルバムは選曲というか、全体の構成も見事なんですよね。綺麗なイントロを聴いていると、今にもソニー・クリスの都会的なアルトが聞こえてきそうな雰囲気なんですが、実際に登場するのは訥々としたギターの音色であります。いや、別にいいんですけどね、レイジーで。ケニー・バレルがブルージーなら、グリーンのスタイルを特徴づけるキーワードはレイジーでありまして、北陣親方は元麒麟児。切れるのは切れ痔で、腫れるのはイボ痔。そんだけ。

 はい、5曲目です。あまり長時間“おさぼりくん”するほど暇ではないので、先を急ぎます。「カム・サンライズ」はグリーンのオリジナルなんですが、これはアレですな。調子こいてアドリブをカマしているうちに自然発生的に浮かんできたフレーズを、そのまま曲にでっちあげたような作品でありますな。ジャズマンというのは本質的に思い付きだけで生きているような人種なので、そういう事態は大いに考えられます。レッド・ガーランドの『グルーヴィー』に入っている「ヘイ・ナウ」なんて曲もそうですよね、確か。で、この手の曲は出所がアドリブ・フレーズだけにソロの出発点としては最適でありまして、ここでのグリーンもめくるめくようなプレイを展開しております。僕はスカートをめくる時、めくるめくようなヨロコビを覚えるタチなんですが、ここでのグリーンの演奏にもコーフンを覚えてしまいました。コーフンのあまり、思わず立ってしまいました。いや、鳥肌が。ドライブ感に溢れたスインギーな演奏なんですが、そこはかとなくモーダルな展開も感じさせますね。バックの楽器編成に違いこそあれ、何となく『トーキン・アバウト』でのプレイを彷彿させるようなところもあって、ソウル風コテコテ一派の一員としてデビューしたグリーンが新境地を拓いた1曲であると言えないことがないような気がしないでもありません。そういった意味で、アルバムの最後を飾る「ソー・ホワット」というのは象徴的で盲腸的で浣腸的な選曲ですよね。ただ、ギターとピアノの掛け合い形式によるテーマ部の演奏は今ひとつ地味でありまして、先頭をきるグリーンのソロも「おそるおそる」といった感じでございます。なんせ、初めての体験で今ひとつ様子がつかめないものだから、相手の反応や様子を窺いながら、おそるおそる剃る、剃毛プレイ。…といった感じの、ぎこちなさがありますよね。なんせ初めての体験だから“剃毛”を正しく“ていもう”と読むことが出来ず、「そるけプレイ」だと思っているような段階で、「“そるけプレイ”で、毛ぇ剃るけえ?」とか言いながらやってるようなものですからね。いや、書いている本人、あまり意味がよくわからないんですが、そんなグリーンも2コーラス目に入ってからは吹っ切れたのか、普段通りのプレイに戻って次第に元気を取り戻しております。毛ぇ剃ろうが剃るまいが、やることは一緒ぢゃん?…とか、開き直っちゃったんですかね?で、ドリューとベン・タッカーのソロに続いて再度の登場となったアカツキには完全に復調を遂げ、よく歌うフレーズを連発しておりまして、何よりだと思います。

 ということで、おしまい。


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