RELATIVITY (NEW JAZZ)

WALT DICKERSON (1962/1/16)

RELATIVITY


【パーソネル】

WALT DICKERSON (vib) AUSTIN CROWE (p)
AHMED ABDUL-MALIK (b) ANDREW CYRILLE (ds)

【収録曲】

RELATIVITY / IT AIN'T NECESSARILY SO / I CAN'T GET STARTED
STEPPIN' OUT / THE UNKNOWN / SUGAR LUMP
AUTUMN IN NEW YORK

【解説】

 ワイシャツとネクタイを買いにいきました。ワイセツな肉体ではありません。いや、実際問題、聞き違いとか見間違いというのは日常生活においてよく経験するものでありまして、 例えば先日、ぼーっと夕刊を眺めていたところ、「嫌いな寿司とつきあう方法」という記事が目につきました。三面記事の2ページほど前の基本的にどうでもいいことが書かれているエリアにその囲み記事はあったんですが、確かに「嫌いな寿司」ってありますよね。特定のネタだけでなく、世の中には寿司自体が駄目という人もいるようでありまして、例えばあれは僕がまだ専門学校に通っていた頃なんですが、内定を貰っていた某・塩サバ物産(仮名)という会社から呼び出しをくらったことがありました。事務所の電話機の交換をするので、手伝いに来いというわけですな。ま、お小遣いも出るし、昼飯もご馳走してくれるということなので、同じ会社に内定が決まっていた外川くん(仮名)と共に馳せ参じることにしたんですが、あ、今から外川くん(仮名)の悪口を書こうと思っておりますので、ここで彼の本名を明らかにすることは出来ませんが、ヒントとして“内外的”“山川的”に変換すれば本名になるということで、ひとつお察しのほどを。

 で、その日にご馳走してもらった昼飯というのが寿司だったんですが、外川くん(仮名)は、「ぼく、酸っぱいの駄目なんですよねぇ。。。」と言って、半分ほど残しておりました。で、その場は何事もなく過ぎていったわけでありますが、後で漏れ聞いたところによると、「あいつ、寿司を残しやがった。。。」と、ひどく憤慨していたオジサンが約1名いたそうでありまして。食べ物を残すことを許せない世代の義憤に駆られた発言と受け取ることも出来ますが、「残すんだったら、オレにくれ!」と言いたかったのに勇気がなくて言えなかった、その恨みが爆発したものと受け取ることも出来ます。ま、いずれにせよ、この事件によって外川くん(仮名)が、入社前の時点で既に出世街道から外されたであろうことは想像に難くないわけでありますが、社会というのは実に厳しいものでありますなぁ。。。

 とまあそんなことで、時には「嫌いな寿司」と付き合わなければならないという事態がまったくないとは言い切れないわけですが、それにしても外川くん(仮名)の事例は上司であるオジサンがちょっぴりオトナ気ないだけのことで、何も無理して嫌いな寿司とつきあう必要もないように思うんだども。。。と思いつつその記事を読み進んでみると、よく見たら「嫌いな寿司」ではなくて、「嫌いな上司とつきあう法」という話でありました。「司」という字を見ただけで、勝手に「寿司」と判断しちゃうんだから、人間の叡智といっても、ぜんぜん大したものではありませんなぁ。。。…って、ただ僕がアホなだけかも知れませんけどね。

 で、ワイシャツです。10月の声を聞くようになると、世間ではいよいよ「衣替え」ということになりまして、いつまでも半袖のワイシャツを着ている場合ぢゃない!という気分になってまいります。いや、僕はシャツの袖がウザくて冬場でも腕まくりをしておりまして、世間のOLからは、「まあ、冬でも短パンで走り回っているコドモみたい♪」という評価を得ているわけでありますが、「長袖を腕まくりしている姿が素敵っ♪」という“腕まくりフェチぎゃる”のことを考慮すると、やはり長袖のワイシャツというのも捨てがたいものがありますよね。で、全部で3枚あった半袖のワイシャツをしまい込むと、押入れ収納ボックスの中から長袖のワイシャツを引っぱり出してきたわけでありますが、その数が2枚しかありません。この春までは確かに3枚あったはずなんですが、あ、そういえばボタンダウンのシャツが1枚駄目になって、捨てちゃったんでしたっけね?ちなみに世の中でワイシャツが駄目になるパターンというのは全部で5通りほどありまして、

 ・ へろへろになる
 ・ くたくたになる
 ・ だらだらになる
 ・ 釘に引っかけて、鉤裂きになっちゃう
 ・ ゲロまみれになる

というのがそれなんですが、僕のワイシャツの場合はまず最初にボタンダウンのボタンのところから破れ、そして全体がへろへろになって、くたくたになって、だらだらになって駄目になりました。そこでまあ、新しいワイシャツを3枚ほど買って、ついでにネクタイも1本ぐらいGETしておこうと思い立ったわけでありますが、で、どこへ買いに行ったのかというと、マイカル桑名に行ってまいりました。倒産してヤケになって、ワイシャツつかみどりセールとか、ネクタイ締め放題バーゲンとか、やってたりするぅ?…と期待してたんですが、ワイシャツが値札から2割引になっている程度で、わりと普通に営業活動をしておりました。で、適当にワイシャツを3枚見つくろって、あ、ちなみに僕はギャルのぱんつもワイシャツも絶対に白っ!というのを信条にしてるんですが、いや、ホワイトシャツが訛ってワイシャツになったくらいだから、やっぱり白が基本ですよね?が、いつも白ばっかりというのもナンなので、ちょっと気分を変えて白1枚、グレー系1枚、白地に格子縞系1枚というラインナップで取り揃え、あとはネクタイを1本ほど確保すればOKですな。ざっと見回したところ、1980円のものと8900円のものがありました。あれこれ比較検討してみた結果、やっぱり8900円のほうが高そうに見えるなぁ。。。という気がしたので奮発してそれを購入し、翌日には早速、新しいワイシャツとネクタイに身を包んで出社した次第でありますが、すると事務所には松茸が届けられておりまして。。。

 どうやらウチの所長が松茸パックを注文したようなんですが、そういえば一ヶ月ほど前に、「おみゃぁさんらに、松茸食わせたるでぇー。」とか何とか言っておりましたな。で、早速、自宅近くで働いていた社員が家に立ち寄ってバーベキュー・コンロを持ってくることになり、所長とタカシマ青年はテーブルとビールと酒と肉と寿司と刺身と総菜とフルーツと焼き肉のタレを買いに走ることになり、ここに急遽「焼き松茸&焼き肉ぱーてぃ♪」が開催されるはこびになったんですけどね。いやあ、食べました、松茸。4万円分の松茸を8人で焼いて食べました。狂牛病もなんのその、牛肉だって焼いて食べちゃいました。鶏肉だって骨付きソーセージだって焼いて食べちゃいました。中トロの刺身だって、ショーユを付けて焼いて食べちゃいました。立ち上がって向こうのテーブルの骨付きソーセージを取ろうとした時、新品・締めたて@8900円のネクタイが危うく焼き肉のタレの皿に埋没してパーになるところでしたが、いやあ、焼き肉パーティの時は1980円のネクタイにしておかないと危険でありますなぁ。飲み過ぎてベロベロになって、ゲロまみれになる恐れだってありますしぃ。。。

 で、パーティの後には会社の近くの「東洋健康ランド」に半強制的に連行され、無理矢理に服を脱がされて、露天風呂では所長に乳を揉まれて、ああん♪…かくして、“さみを嬢ばーすでぃ”の夜は更けていったのでありました。おしまい♪


 さ、ウォルト・ディッカーソンです。いやあ、今日のネタは最後のほうが駆け足になっちゃいましたが、こんな無駄な会社行事に参加してるから、原稿を書く時間がなくなっちゃうんですよねぇ。。。で、昨日は純粋に仕事をしていて帰りが遅くなっちゃいましたし、今日はほぼ定時で帰ってきたので、何とかこうして原稿を書いているわけでありますが、既に9時を回っております。後半も駆け足でざっと片付けちゃいましょう。ということで、ウォルト・ディッカーソンです。この人は通称“ヴァイブのコルトレーン”と呼ばれておりまして、この呼称だけで、「あ、チミはそういう人なんだね。」ということがある程度は察しがつくと思いますが、つまりまあ、そういう人であるわけですね。スタイルで言うとボビ・ハチ風の、クールというか、モーダルというか、新主流派風というか、ネオ・メインストリーマーというか、でもプレスティッジ/ニュージャズ系に残された、僕が持っている4枚ほどのリーダー作を聴いた限りではスタンダードだって演ってるし、楽器編成はどれもヴァイブ+ピアノ・トリオというシンプルな編成だし、それほどラジカルで意味不明ということもないし、ま、オーソドックスなポスト・モダンというか、ま、そういった演奏をする人のようでありますが、『トゥ・マイ・クイーン』というアルバムはちょっぴり意味不明でいけませんな。個人的には『ディス・イズ・ウォルト・ディッカーソン』や『ア・センス・オブ・ディレクション』の2枚が好きなんですが、これは既にこのコーナーで紹介しちゃいましたし、となると『レラティビティ」いうアルバムしか残っていないんですよねぇ。。。このアルバムも一度どこかに書いたことがあるような気がしないでもないんですが、その時はその時ということで、とりあえず1曲目から話を進めてまいりましょう。

 ということで1曲目です。タイトル曲の「レラティビティ」です。ローマ字カナ変換しにくい上に、ちょっと言いにくいですよね。聞いてレラティビティ〜、ちょっと言いにくいんだけど〜♪といった感じですね。こういった曲名は厳に慎んで頂きたいところでありますが、日本語にすると「そうたいせい」といった意味があるようです。「そうたいせい」と言っても、「ああん、風邪をひいて熱っぽいのぉ。。。」「じゃ、早退せい。」といった時の「早退せい。」ではなくて、漢字で書くと「相対性」という表記で示されるところの「そうたいせい」であります。…って、時間がないのに、どうでもいいことを書いてる場合じゃありませんね。で、ずばり本題に入ると、テーマのメロディ自体はそれほどキャッチーではありません。アルバムの冒頭から小ムツカシイ曲を持ってきたなぁ。。。という感じがします。ま、60年代風と言えば確かにそうだし、ボビ・ハチにもこんな感じの演奏が結構あって、個人的には嫌いな部類ではないんですが、万人受けのする演奏かと問われれば、必ずしも肯定的な回答をするのは困難でありまして、ところでこのアルバムでピアノを弾いてる大須珍・苦労(オースチン・クロウ)って、誰?スタイル的にはハービーに近い感じなんですが、個人的にはバービーよりもリカちゃんのほうが好きですね。キティちゃんのほうがもっと好きですけどね。で、ヴァイブ、ピアノとソロがあって、続いてアンドリュー・シリルの短いソロも聴かれるんですが、そういえば先日、タカシマくんが会社で、「“しり”って、漢字でどう書くんっすかぁ?」と質問しておりましたな。岐阜のほうには「尻毛(しっけ)」という地名があるので、あるいはそれを漢字で書いてみたかったのかもしれませんが、…とか言ってるうちに1曲目は終わっちゃいましたね。

 2曲目の「イット・エイント・ネセサリリー・ソー」は有名なガーシュイン・ナンバーでございます。「いつもそうとは限らない」という邦題があるんですが、「ソー」と「そう」が韻を踏んでいて、とっても名訳だと思います。少なくくともウンコを踏んでいるよりはイイと思います。元来は軽快なナンバーなんですが、そこはまあ、“ヴァイブのコルトレーン”と呼ばれたディッカーソンくんのことだから、シンプルにスイングするようなサウンドにはなっておりません。フレーズ的にはモードなんっすかね?よくわかりませんが、「クールにノリノリぃ?」といったところなんですかね?で、アドリブで興がノッてくると自然に声が出ちゃうのはヴァイブ奏者の通例でありますが、ここでもけっこうハモリ声が聞こえております。ま、今頃はちょうどハモがおいしい頃なので、仕方がないと言えばそれまでなんですけどね。で、“クールにファンキーなハービー風”のピアノ・ソロがあって、アブダル・マリクの骨太ピチカート・ソロがあって、再びヴァイブのソロになりますが、ここでもウォル・ディックがノリノリでございます。ま、ノリたい年頃なので、仕方がないと言えばそれまでなんですけどね。

 で、3曲目でバラードの登場となります。そうそう、コレなんだよね、僕がディッカーソンに期待していたサウンドは。“リリカルな暗さ”とでも言うべき音世界なんですが、ボビ・ハチにも通じるところがありますよね。地味と言えば地味極まりない演奏でありまして、で、テーマ・メロディらしきものが最後の最後になるまで登場しないのでちょっとわかりにくいんですが、曲は紛れもなく「言い出しかねて」でございます。で、ここでのオウスティン・クロウのピアノ・ソロは難解なところがみじんもなく、歌心があって良好ですね。で、再びディッカーソンのソロになって、最後のほうにようやくお馴染みのメロディの断片が登場して、おしまい。悪い出来ではありません。で、4曲目です。「ステッピン・アウト」です。わりとスインギーなナンバーなんですが、ハード・バップ的なノー天気さは希薄でありまして、やっぱり60年代の作品なんですよねぇ、これは。ディッカーソンのアドリブも、「モードそのもの」と言ってよろしいかと。で、最後のほうにはヴァイブとドラムスの4バースも聴かれますが、曲全体を通して、アンドリュー・シリルのシャープなドナミングが光るナンバーでもあります。以上、時間がないのでボケもなし。

 5曲目、「ジ・アンノウン」。これはディッカーソンとアブダル・マリクの“究極のインタープレイ”とも言えるナンバーでありまして、ピアノとドラムスの2人はお休みして、ヴァイブとベースの弓弾きが交替で登場するという、どうしようもなくヒマな演奏になっております。こういうのはやめて欲しいですなぁ。。。さっさとスキップ・ボタンを押して、6曲目にまいりましょう。「シュガー・ランプ」です。そうそう、コレなんだよね、僕がディッカーソンに期待していたサウンドは。いかにも新主流派らしい“爽やか&リリカル&頭よさげ”なサウンドが満喫出来るナンバーでありまして、シンプルながらキャッチーなメロディが印象的ですね。…って、さっきから同じ形容詞しか使ってないような気がしますが、ジャズのレビューなんて、基本的には「スインギー」と「リリカル」の2つの単語だけで何とかなりますもんね。それに補足して「アーシー」とか「ファンキー」といった言葉を加えて、あと、僕の場合は「キャッチーなメロディ」で、決まりです。アドリブ・パートは「歌心に富んだ」と、「今ひとつ意味不明」の2タイプあれば御の字です。で、「シュガー・ランプ」。おそらく出だしはDドリアンで、次の4小節で半音上がって、続いてAABA形式の“Bの部”があって、最後は再びDドリアン…というような構成でありましょう。ぜんぜん違うかも知れませんが、とりあえず“Dドリアン”という言葉を使っておけば何とかなるというのがモード奏法というものでございます。で、いかにも新主流派っぽいサウンドに仕上がっておりまして、本アルバムでも、もっとも“らしい”仕上がりぶりであると言えましょう。

 はい、ラストです。大阪の彰子さんのフェイバリット・ナンバー「ニューヨークの秋」でございます。今年のニューヨークの秋はテロで大変なんですが、しみじみとヴァイブの音色に合う曲調でありますな。M.J.Qの『ジャンゴ』でミルト・ジャクソンがこの曲を演奏しておりますので、聴き比べてみるのも一興でありましょう。で、ここでのディッカーソンのプレイは極めて“M.J.Q的”なのでありました。とまあそんなことで、以上取り急ぎ、更新まで。草々。



INDEX
BACK NEXT