MODERN WINDOWS (SAVOY)

BILL BARRON (1961/6/5)

MODERN WINDOWS


【パーソネル】

TED CURSON (tp) BILL BARRON (ts) JAY CAMERON (bs)
KENNY BARRON (p) EDDIE KAHN (b) PETE LA ROCA (ds)

【収録曲】

MEN AT WORK / TONE COLORS / DEDICATION TO WANDA / KEYSTONE
NOODLIN' / DUALIRY / SELF PORTRAIT / PERSIAN STREET SCENE

【解説】

 先日、法事に行ってまいりました。

 ・ 法事かぁ。 まー、いいかぁ。 るんるん♪

 ということで、あ、この俳句は「スターダスト」の作曲者であるホーギー・カーマイケルの名前を詠み込んだものなんですが、星になったおばあちゃんの七回忌がしめやかに営まれた次第なんですけどね。ちなみに母方の家系の宗派は浄土真宗でございます。とってもありがちですね。父方は曹洞宗です。ちょっぴりマニアックですね。禅宗の信徒には武士が多いと言われておりますので、さば家の先祖は武士だったのかも知れませんね。ま、武士と言っても下級に違いなく、おそらく「さば武士」といった程度ではなかったかと思われますが、同じ仏教といっても宗旨・宗派によって法事の業態がえらく違うものなんですな。曹洞宗の場合、般若心教やら何やらを15分ほど読み上げてそれで終わりなんですが、浄土真宗の場合は違います。今回の法要は10時頃から開始されたんですが、だいたい

 10:00〜10:45 お経の読経
 10:45〜11:00 休憩タイム
 11:00〜11:30 お経の読経(参列者も参加)
 11:30〜12:00 説教タイム  

 というプログラムで行われました。最初からこういうプログラムを配っておいてくれれば、それなりの心構えとか、諦めの境地とかに達することが出来るんですが、「ま、七回忌だし、すぐに終わるだろう。。。」と思ってナメてかかっていると延々45分も読経タイムが続き、「やっと終わったかぁ。。。」と思って安心していると“休憩タイム”ということで、ということは、まだ続くということでありますな。。。で、“休憩タイム”といっても、休憩だと思っているのは坊さん本人ぐらいでありまして、参列者は聞きたくもない説教を聞かされるだけなんですが、ま、すけべホテルで言うところの“休憩”というのも、ちっともカラダが休まることはないので、それはそれでイイんですけどね。で、後半の読経タイムともなると参列者のヤル気というのは 極限まで低下しておりまして、ま、参列者各位は“第2ラウンド”まで耐え得るだけの体力があるようなトシでもないので、やむを得ないところでありますが、各自スポーツ新聞を広げたり、数珠を弄んだりして、暇を潰すのに懸命であります。ま、最初から誰もきちんと正座をしようなどという気は更々ないようで、足がシビレないのだけはありがたいのですが、シビレるのは “しびれフグ” だけにしておきたいですもんね。

 で、浄土真宗が油断ならないのはこれからでありまして、何と参列者までがお経を読むことを強要されるんですよね。「ンなもん、坊さんが読めばエエやん。」と言っても駄目です。今までスポーツ新聞の高橋尚子問題や長嶋監督辞任問題を読み耽っていたおじさんも(←先週の日曜日のことです)、この時ばかりは熱心に読経に励み出し、自分だけボーッとしているのは許されないような雰囲気があります。読経に参加しないと“えんがちょ”されかねない気配というのもございます。法事が終わって仕出し弁当が出され、「やれやれ。。。」と思って海老フライなんぞをカジっていると、「お経を読まなかったヤツに、海老フライはやれん!」と、大好きな海老フライを取り上げられるような気もします。僕なんかほとんど海老フライが食べたいがために法事に参加しているようなものなので、「海老フライ没収」という事態だけは何としても避けなければなりません。海老フライを食うためには気が進まなくても読経に参加しなければならないわけでありますが、でも僕、お経なんか知らないしぃ。。。と心配しなくても大丈夫です。ちゃんと北勢葬儀社というところが葬式のときに「お経パンフレット〜浄土真宗編」という小冊子を何冊か置いていってくれたので、それを見れば大丈夫です。で、お経と言うのは自分で読んでみると意外と暇つぶしになって、ただボーッと聞いているだけよりもイイかも知れませんね。「凡夫人(ぼんぶーにん)」などというコトバは、けっこうキュートだと思いますし。

 で、お経の読経(後半)が終わると、最後は“説教タイム”であります。「ンなもん、誰も聞きたいと思ってないから、省略してもらっても構わないんだども。。。」と言っても駄目です。「説教分のお金はちゃんと払うから、もう帰ってもらっても構わないんだども。。。」と言っても無駄です。この坊さんは親戚のおじさん達の間では「よくしゃべる」とか、「しかも話がつまらん」とか評されているわけでありますが、本人にはその自覚がないのか、あるいはそれを承知の上で開き直っているのか、とにかくまあ、よくしゃべるんですよねぇ。しかも、話の内容が今ひとつ面白くありません。親戚のおじさん達の評価はまさに正鵠を得ているわけでありますが、それはそうと、お茶の種類に「ほうじ茶」というのがありますよね?ウチの親戚にはお茶屋さんを営んでいるおばさんがおりまして、コドモの頃にはよく「ほうじ茶」の葉っぱを買いに行かされたものでありますが、アレって「法事茶」じゃなかったんですなー。僕はてっきり法事の時に飲むお茶だから「法事茶」なんだと思っておりました。ほら、法事の時ってたいてい饅頭が出ますよね?モナカとか。ウチのほうには「都まんじゅう」というのがあって、僕はアレが結構好きなんですが、「都まんじゅう」というのはちょっとむせっつい(←標準語?)ので、どうしてもお茶が欲しくなります。都まんじゅうに限らず、饅頭や最中の類は甘いので、どうしてもお茶が欲しくなります。つまりまあ、

 法事 → 饅頭 → お茶 → ほうじ茶=法事茶

 という、コドモ心にも「何と納得力のある説であろうか!」と言わざるを得ないような発想であったわけですが、ではそもそも「法事茶=法事のときに飲むお茶」というのはどういうものなのかというと、えーと、それはほら…、なんとなく抹香臭いお茶というか、何かそのようなものではなかろうかと。。。ところがどっこいギッチョンチョン(←標準語?)、ほうじ茶の名前の由来というのは「焙じてあるから、ほうじ茶」って、ただそれだけのことだったんですな。ちなみに一口に日本茶と言っても色々な種類があるわけですが、それらは原料に用いられるお茶の種類や部位、あるいは製法によって区分されるんだそうでありまして。えーと、例えば煎茶はですね、高級なお茶です。 八十八夜のころに詰まれたものは「一番茶」と呼ばれています。で、製造過程で茶葉を蒸す時間を長めにしたものは「深蒸し煎茶」と呼ばれています。そんだけ。

 続いて粉茶です。これは煎茶の製造過程で出てくる細かい茶葉のことらしく、ま、早い話が煎茶のクズというか、煎茶のカスというか、ゴミというか、“えんがちょ”というか、ま、そういったものであるわけですな。クズやカスの分際であるにも関わらず、寿司屋で出てまいります。ちょっぴりコナっぽいところが難なんですが、ま、元々が粉なんだからしょうがないっすね。はい、続いては番茶です。「番茶も出花」という言葉があるくらいだから、ま、あまりたいした茶ではないな。。。ということは想像がつきますが、 茶葉が堅くなってから摘み取ったものや、煎茶の製造工程で取り除かれた大きな葉っぱを原料にしてつくられると。ま、言うなれば「いきおくれの煎茶」というか、「晩婚の煎茶」というか、おそらく番茶の「ばん」というのは晩婚の晩が伴忠太的に変化したものではないかと思われますが、煎茶に比べると甘みが少ないそうです。そういえばちょっぴり渋いっすよね、番茶って。つまりまあ、晩婚の新婚家庭というのはそれほど甘くはないんですが、「番茶も出花」というくらいだから、最初のうちはそれなりに新鮮だねっ♪…ということではないかと思いますが、えーと、お茶というのは葉っぱだけじゃなく、茎からもお茶が出来るんですね。茎から作ったお茶は「くき茶」と呼ばれ、 軽くさっぱりした風味であると。そりゃそうでしょうj。茎なんかあまり味があるとは思えないしー。ちなみに玉露の茎だけを集めたものを「雁音(かりがね)」というそうですが、これはおそらく高いんでしょうね。「カリ高」というコトバもありますしね。

 で、茎の次は芽です。お茶の芽から作ったお茶は「芽茶」と呼ばれます。ちょっぴりオチャメな名前だと思います。んなもん、味あるのか?…と思ったら、意外にも濃厚な味わいらしいです。で、続いて「焙じ茶」です。ほら、ちゃんと漢字で「焙じ茶」って書いてあるぢゃん!…と言われても、コドモの頃は親から「ほうじ茶、買うてきてぇ。」と、コトバで指示されただけなので、僕がそれを「法事茶」であると判断したとしても、何ら恥ずべきところはないわけであります。「ほうじ茶、買うてきてぇ。法事のときに飲むお茶とちゃうで。焙じた茶やでぇ。」と、ちゃんと説明してくれなかった親が悪いわけでありますが、いや、「焙じた茶やでぇ。」と説明されて、それがちゃんと「火で炒ったものである」と理解出来たかどうかは、まったくもって疑問なんですけどね。ちなみに焙じ茶というのは何を焙じたものなのかと言うと、煎茶や番茶を焙煎したものだということです。煎茶や抹茶を焙じるとどうなるかというと、香ばしくなるんだそうです。何となく、そうなるような気がします。で、焙じ茶の効能はそれだけじゃなく、カフェインやタンニンだって少なくなるんだそうです。タンニンというのは受け持ちの先生のことではなく、お茶の苦みの成分のことですね。いや、説明しなくてもわかるとは思いますけどね。

 玄米茶。これは煎茶や番茶に炒った玄米を混ぜた物です。香ばしいっす。玉露。お茶の木の新芽がのびてきた頃、覆いをかぶせ日光を遮り育てます。濃厚っす。碾茶。玉露と同様の栽培方法で、蒸した茶葉を揉まずに乾燥させた物っす。抹茶。玉露と同様に直射日光を遮り育てた茶葉を蒸した後、乾燥させ茶臼でひいて粉末にしたものっす。…とまあ、最後のほうはどこかのサイトの記述の語尾を「…っす。」に変えただけでありましたが、とまあそんなことで、ひとくされ説教をカマしたお坊さんはホージ茶を一口すすると、満足そうな笑みを浮かべてお寺へと帰っていったのでありました。


 ということで、ビル・バロンです。この人のアルバムはわりと最近、「先日、名古屋で仕入れてきたCDシリーズ」のところで紹介したような気がするんですが、また先日、名古屋で他のCDを仕入れてきてしまったので、仕方がありません。こう書くと、「さばさんって、わりとビル・バロンとか好きな人ぉ?」とか思われるかも知れませんが、そーではないっ。(←『天才クイズ』で答えが「ノー」だったときの博士の口調で。ちなみに「イエス」だったときには、「そのとぉーりっ。」というふうに言います。)僕はわりとジャズ・ミュージシャンに関しては好き嫌いがないほうで、黒人で既に死んでさえいれば、誰でもOKぢゃん?みたいなところがあるんですが、ビル・バロンだけはどうも今ひとつ好きになれません。いや、ビル・バロンが既に死んでいるのかどうか、よくは知りませんけどね。だからこの『モダン・ウインドウズ』というアルバムを見かけたとき、全然ソソられるものを感じなかったんですが、メンバーにテッド・カーソンの名前があったので、とりあえず買うだけ買ってみることにしました。カーソンとビル・バロンって、わりとよく共演してますよね。確か『ドルフィーに捧げる涙』でも共演していたのではないかと思いますが、もしかしたら共演していなかったかも知れません。あとで調べてみようと思いますが、もしかしたら調べるのを忘れるかも知れません。

 で、カーソンのリーダー作で吹いているビル・バロンというのは、決して誉められるような出来ではないにせよ、それほど問題のあるプレイヤーというわけでもないな。。。という印象だったんですが、自分のリーダー作になると、何だかフレージングの意味不明さと盛り上がらなさが気になっちゃうんですよね。ま、この『モダン・ウインドウズ』にはバリトン・サックスも入っていて、それなりには聴けるんじゃないでしょうかね?…ということを期待して、では1曲目から聴いてみましょうね。『メン・アット・ワーク』という曲ですね。昔、こんな名前の洋楽グループがありませんでしたっけ?「ノックは夜中に」でしたっけ?僕はこのグループに勝手に「働くおじさん」という邦名を付けていたんですが、塩サバ2号の情報によれば、「どうやら“作業中”というような意味らしいで。」ということでありました。試しに翻訳ソフトにかけてみたら「仕事中の人」と出ましたので、やっぱり「働くおじさん」でイイんじゃないかと思うんですけどね。で、曲のほうはというと、ビル・バロンとカーソンが絡む導入部に始まり、ビル・バロンのアドリブを挟んでビル・バロンとカーソンとのハモリがあって、ビル・バロンのアドリブを挟んでビル・バロンとカーソンの絡みがあって、あ、バリサクのジェイ・亀論という人も絡んでますかね?…といった感じの複雑な構成となっております。世間では一応、“理論派”ということになってるようですからね、ビル・バロン。

 で、ソロ先発はテッド・カーソンです。あ、調べるのを忘れておりましたが、やっぱり『ドルフィーに捧げる涙』にはビル・バロンが参加しておりました。『プレンティ・オブ・ホーン』にも入っております。相当に双頭コンボであると言ってもイイかも知れませんが、カーソンという人は今ひとつよくわからん人ですよね。スタイル的にはブッカー・リトルに一番近い?といった感じなんですが、ま、個人的には嫌いではないんっすけどね。ここでもプレイは、まあまあかな?といったところです。んで、ハモリのパートを挟んでビル・バロンのソロになるんですが、この人のフレージングというのはカーソン以上によくわからないわねぇ。。。と母さんが感想を漏らしておりましたが、ま、母さんも感想を漏らしているうちはまだイイんですが、ボケて糞尿を漏らすようになっちゃうと、ちょっぴり困りますよね。(←社会派的発言。…って、どこが?)ビル・バロンは世間では一応“コルトレーン派”ということになっているようですが、ちっともトレーンっぽくないし、かと言ってロリンズでもないし、ショーターでもジョー・ヘンでもないし、その意味では個性的と言ってもいいかも知れませんが、聴いていてちっとも面白くないのが難点なんですけどね。ここでも、とらえどころのないウナギ的なプレイに終始しております。

 よくわかんないので、次。2曲目は「トーン・カラーズ」という曲なんですが、LPでいうところのA面の4曲は組曲仕立てになっておりまして、途中に切れ目なく連続して演奏されております。さすがは理論派だけあって、やることがいちいち凝ってますなぁ。。。ポスト・バップともいえる新鮮な響きを有した、卓越したユニット・サウンドが聞かれ、ビルも悠然としたスケールの大きなテナーの奏で上げを聞かせる。…と、日本語ライナーで小西啓一クンが書いておりますが、なるほど、「悠然とした」ですか。物は言いようですな。で、ここではビル、カーソンに続いてジェイ・亀論という人のバリサク・ソロも聴かれますが、どこかで啓一クンも指摘していたようにスケール感の乏しいプレイで、どうも今ひとつですなぁ。。。…と、さっきから文句ばかり書いておりまして、読んでるほうとしても気分が滅入ると思いますので、何とかいいところを探し出してみましょう。あ、ビルの実弟のケニー・バロンのソロは、まあまあです。えーと、いいところはそんだけです。で、2曲目の最後のほうは1曲目の最後のほうと同じような、幾分アラビアン風なテーマが奏で上げられて、まあまあかな?といった感じなんですが、ここで演奏はぐっとテンポを下げて3曲目の「デディケーション・トゥ・ワンダ」に突入します。ブッカー・リトルの遺作である『ブッカー・リトル&友達』に気が滅入るようなバラード・ナンバーが入っておりますが、かなりアレに近い感じですね。3管のハーモニーが重厚にして荘重で、丁重にして浣腸。そういったサウンドに仕上がっております。これまでの中ではいちばん聴きやすいんじゃないっすかね?気分は滅入りますけどね。

 ここで再びテンポが速くなって、4曲目の「キーストーン」に突入します。1曲目と同じテーマが演奏された後、1曲目とは違うテーマが演奏されるわけでありますが、こっちのほうはわりとキャッチーなメロディで悪くありませんね。アーシーな香りの濃いブルージーなナンバーとなっており…という啓一クンの指摘はまったくもって正しいわけでありますが、以上で組曲はおしまい。5曲目の「ヌードリン」ですな。中学生ぐらいの頃には「ヌード」というコトバを見ただけでもコーフンしておりましたが、思えばイノセントな少年だったんですなぁ、あの頃のぼく。最近では「すけべ画像」という言い方のほうがイイかな?と思っておりますが、5曲目の「ヌードリン」は、当時流行っていた典型的なハード・バップ・スタイルのオリジナルではあるが、そこはインテリのビルだけに、ちょっとした捻りも加えてあり、そこら辺も面白いところだ。…と啓一クンが書いておりますが、「捻り」というのはAABA形式のテーマの後に挿入されるパートのことでしょうな。で、そのあと再び“A”だか“B”だかのパートが演奏されて、最後にもオマケのパートがあって、なるほど、なかなか凝った作りでありますな。が、基本はオーソドックスなハード・バップでありまして、ファンキーな薫りもあって、なかなか悪くありません。ソロ・オーダーはビル・バロン(←結構まとも)、ケニー・バロン(←むさくるしい風貌のわりにはクール)ときて、ハモリのパートに戻って、おしまい。うん、なかなかよかったんじゃないですかね?

 6曲目、「デュアリティー」。あ、これは意味不明な曲ですな。今ひとつですな。…と思っていると、最後のところのフレーズは結構イケておりまして、で、この“決めフレーズ”がソロの途中に挿入されるという、そうにゅう、いや、そういう構成になっております。ビルのソロ→決めフレーズ→ビルのソロ→決めフレーズ→ビルのソロ…って、結局のところビル・バロンのソロしかないんかい?と思い始めた頃になってようやく、カーソンのソロ→決めフレーズ→カーソンのソロ→決めフレーズ→カメロンのソロ→決めフレーズ→ケニー・バロンのソロ→決めフレーズ→エディ・カーンのソロ→テーマに戻って→決めのフレーズで、キメっ!…となって、おしまいです。うん、なかなかよかったんじゃないですかね?はい7曲目です。「セルフ・ポートレイト」っす。テナーのワン・ホーンでAABA形式のハード・バップっぽいテーマが演奏された後、オマケのアンサンブル・パートがつくあたりがビル・バロンのビル・バロンたる所以でありますな。で、そのままバロンのアドリブに突入するわけですが、ソロの中間部はホーン陣が入り乱れて、これ区ティ部・印譜路う゛ぃぜいしょん…って、絶対まともに変換してくれないとは思っておりましたが、コレクティブ・インプロヴィゼイションっぽいパートを形成しております。で、普通のソロに戻って、テーマに戻って、あまり盛り上がらないままフェード・アウトして、おしまい。いや、終わりかたが今ひとつでありましたが、ま、“ラス1のハズレ曲”ということで、ひとつご勘弁のほどを。。。

 はい、ラスです。終わりよければ、すべてよし。ま、フィニッシュさえ決めておけば、前戯とかが今ひとつでも、ま、イイかな?という気がするんですが、この「ペルシャの街の風景」はよろしいですな。いかにもペルシャの街の風景だなぁ。。。という感じのするエキゾチックなナンバーでございまして、あ、そういえばこの前、コンビニに行ったらエキゾチックな味と香りのオリエンタル・マースカレーがコーンスナックになっておりまして、(ハヤシもあるでよぉ。)で、思わず買ってしまったんですが、カールのカレー味ほどはおいしくありませんでした。カールのチーズ味はちょっぴりウンコの香りがしますが、写真のフィルムというのもちょっぴりウンコの香りがしますよね?発色を鮮やかにするためにウンコのエキスとかを練り込んであるんですかね?んなわけがないですね。で、「ペルシャン・ストリート・シーン」はビル・バロンのワン・ホーンで演奏され、哀愁のメロディがいかにも日本人好みではないかと思います。バロンのソロもまあまあですかね?ピート・ラ・ロカのちょっぴり変わったソロも聴けますが、これはマレットを使ったものなんだそうです。マレット、マレット…、えー、特に何も思い浮かびませんでしたので、今日はこれにておしまい。

 

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