『アソコってどうなってるの?』という本がございます。電子書店のサイトでこの書名を見つけた時、僕は「おおっ!」と思ってしまいました。そして有料であるにもかかわらず、速攻でダウンロードしてしまいました。我ながら見事な行動力だったと思います。見つけてから手に入れるまで、2分とかかりませんでしたからね。で、ワクワクしながら読み始めてすぐ、ある重大な事実に気付き、愕然として叫びました。「“アソコ”って、僕の思っていた“アソコ”と、全然ちゃうやん!」万事休すです。この実に紛らわしいタイトルの本でいう“アソコ”というのは刑務所の中とか、日本でいちばん高いホテルのデラックス・スイート・ルームとか、そういった類のものでありまして、これはもはや定番となってしまった感のある、「私の恥ずかしい写真、売ります♪」といって、鼻クソをホジっている写真を売りつける手口にも匹敵する、重大な詐欺行為だと思うんですが、ま、こんなものに騙されるほうが悪いんですけどね。で、何だか悔しいので、この本に書いてあった「京都のお茶屋遊び」というテーマで1回分の原稿をでっちあげてみようと思うんですが、かくいう僕は今、京都に向かうため、新幹線に乗っているところでありまして。詳しいことはまた別の機会にでも書くとして、隣に座っているのがギャル(←けっこうカワイイ)でありまして、また、前の席に座っているのもギャル(←かなりカワイイ)でありまして、ま、斜め後ろに座っているのはおばさん(←ぜんぜんカワイくない)なんですが、たまにやってくるワゴンサービスのおねえさんも上質でありまして、ちょっぴり緊張しながらこの原稿を書いているわけなんですが、いやあ、秋の連休に京都に向かう新幹線というのはギャルの含有率が多いものなんですなぁ。
で、京都のお茶屋さんなんですが、僕の親戚のおばさんで、ウチの近くでお茶屋さんを営んでいるおばさんがおりまして。お茶屋さんといっても、純粋にお茶の葉っぱを打っているほうのお茶屋さんでありまして、正式な名前は大森屋不動産(編集部注:不動産業も兼業していたらしい)というようなんですが、ウチではもっぱら「お茶屋さん」と呼ばれておりました。そしてそのお茶屋さんを営んでいるおばさんも「お茶屋さん」と呼ばれておりまして、だから「お茶屋遊び」というと僕はどうしても「お茶屋さんのおばさんと遊ぶのかぁ。。。」というイメージが先行して、それほどソソられるものを感じないのでありますが、京都のお茶屋と言えば「一見(いちげん)さんは、お断りしますどすえ〜。」という方針で有名ですよね。果たしてこの京都弁が正しいのかどうかはともかくとして、で、一見(いちげん)さんといえばウチの会社の下請けの職人に西脇一元(いちげん)という人がおりまして。推定年齢60歳ぐらいで、ウチの会社ではもっぱら「一元(いちげん)さん」と呼ばれております。だから「“いちげんさん”お断りのお茶屋」というと、僕はどうしても「一元さんが買い物にいってもホウジ茶の葉っぱとかを売ってくれないお茶屋さんのことなんだな。」というイメージが先行して、「お茶ぐらい売ったれよ、おばさん!」と言いたくなってしまうわけなんですが、…あ、新幹線がもうすぐ京都に到着しますね。ちなみに日帰りなので“お茶屋遊び”をする予定はありませんが、ま、祇園界隈をふらっと散策してみようかと思っております。
で、京都のお茶屋でありますが、「“一見さんお断り”って、ぢゃ、どうすればええねん!」と、お怒りのおじさんもいるかと思いますが、ま、とりあえず数をこなすしか手だてはないのではないかと思われます。“一見さん”や“二見さん”は駄目でも、“三見さん”なら何とかなるかも知れませんし、例えば長島スパーランドのジャンボ海水プールのスパイラル・スライダーの入り口担当のアルバイトをしていると、何回も連続して滑りにくるガキというのが必ずおりまして、で、2回目の時はそうと気付かなくても、3回目になると、「あ、こいつ、3回目やな。」ということがわかりまして、で、4回目になると「ええかげんにせえ!」と言いたくなるわけなんですが、「仏の顔も三度まで」とは、昔の人もうまいことを言ったものでありますなぁ。。。で、京都のお茶屋でありますが、いくら3回チャレンジして顔を覚えられたところで、やっぱり「一見さんはちょっと。。。」と断られるのがオチでありまして、チャレンジした回数とか、努力とか、熱意とか、そういったものは一切評価の対象にならないのがこの世界の習わしでありまして、要はしかるべき人の紹介がない限り、永遠に「一見さん」からは脱却できないというシステムになっているわけなんですが、そっかぁ。逆に言うと、紹介者さえいれば、簡単に中に入れるというわけなんですな。じゃ、紹介してもらいましょう。でも、その紹介してくれる人がいないから困ってるんぢゃんかぁ。。。…と、お嘆きのおじさんもいるかと思いますが、でもだいじゃぶです。最近では「京都伝統伎芸振興財団」というところが京都の伝統的な伎芸の振興のために、お茶屋遊びを口利きしてくれるんだそうでありまして、ちょうど“あるっく社”発行の『歩く地図・2001年10月号』に、「京の秘境・誰でも行ける方法、教えます。祇園で舞妓とお茶屋遊びうんぬん」という特集記事が載っておりましたので、それを紹介したいと思います。
えーと、企画の内容としてはですね、京極たまき&久保田智子という、京のお茶屋には何のツテもコネもない2人のギャルが、お茶屋遊びにチャレンジするというものなんですが、しかしまあ、よく探してきましたなぁ、“京極たまき”などという名前の女の子を。まさに祇園でお茶屋遊びにチャレンジするために生まれてきたような名前でありますが、ニックネームはやっぱり“たまきん”ですかね?で、お茶屋遊びを口利きしてもらうには具体的にはどうすればいいのかというと、「京都伝統伎芸振興財団」、通称「おおきに財団」(075-752-0225)に、お茶屋遊びの参加代表者の氏名と連絡先、参加人数、希望日時を、希望日の遅くとも1週間前までに申し込むと。その際、希望する花街、呼びたい舞妓や芸妓の数、飲食代を含めたトータルの予算を伝えておくと。そうすると財団の人がテキトーなお茶屋を紹介してくれるので、後はお茶屋と直接、「どうしよう?こうしよう。」と交渉するんだそうです。ちなみに料理はお茶屋が仕出し屋に注文するシステムとなっておりまして、懐石料理なら一人前で1万5000円程度、お手軽に弁当にするなら5000円程度というのが一般的な料金のようです。そんなお金はないっ!…という人は、ローソンでシューマイ弁当(390円)を買って持ち込むといいかもしれませんね。で、問題の舞妓料金及び芸妓料金はいくらぐらいなのかというと、2時間(送迎時間を含む)遊んだ場合の花代がご祝儀込みで3万円ぐらいであると。無論、チェンジをすればもう一人分の料金がかかるわけでありますが、ま、なんやかんやで1人あたり約5万円というのが相場のようですね。
で、舞妓1名と地方さん(じがたさん?)1名を指命した智子&たまきんコンビでありますが、やってきたのは、お人形さんのような可愛らしい舞妓さんの小菊さんと、地方さんは大ベテランの愛香さん。で、愛香さんのほうは、とってもラブリーでフレグラントなネーミングながら、「大ベテラン」と呼ぶに相応しい妙齢の女性でございまして、一方の小菊さんのほうは若くて、いかにも舞妓だなぁ。。。という顔立ちではございますが、僕の個人的な意見としては、舞妓さんというのはそれほどソソられる存在ではありません。化粧濃いしぃ。。。で、具体的にお茶屋遊びというのはどういうことをするのかというと、まず最初は「飲食の部」ですな。「舞妓さんと地方さんのお酌で気分はすっかり夢心地」になりながらシューマイ弁当をカジったりするわけですが、ちなみにビールはキリンの瓶ビールです。で、酔っぱらって和気あいあいとなったところで、京舞の披露に移ります。シューマイから京舞。実に計算しつくされたプログラムであると言わざるを得ません。韻を踏んでるしぃ。ちなみに舞うのは舞妓さんのほうでありまして、ま、舞うから舞妓というんでしょうけどね。で、地方さんのほうは歌と三味線の担当ということになります。「僕は三味線よりも尺八のほうがぁ。」と、酔った勢いで怪しからんことを口走るおじさんがいるかもしれませんが、アンタ、本当にそれでいいんですかぁ?相手は大ベテランであることを忘れていませんかぁ?ちなみに京舞の演目はまず最初が「園の梅」で、続いてはおなじみの「祇園小唄」ということでございます。祇園恋しや、だらりの帯よ〜♪とかいう歌でしたっけね?そして続いて、いよいよ「お座敷遊び」ということになるわけですが、「金比羅ふねふね」とか「とらとらとら」とか、説明を読んでるだけでは「何がおもろい?」と言いたくなるようなものばかりですなぁ。。。「花電車」はどうしたぁ?
ということで、京のお茶屋遊びというのは、温泉町のお座敷ヌードほど面白くはない!というのが今日の結論です。
ということで、今日はチャールス・ミンガスです。『ジャズ・アンド・ポエトリー』です。正式名称はもっと長くて、『ア・モダン・ジャズ・シンポジウム・オブ・ミュージック・アンド・ポエトリー・ウィズ・チャーリー・ミンガス』というのがそうです。ジャケ・イラスト、とってもテキトーです。特に小石が散らばっているあたりは、まったくもってテキトーです。よく見ると銀色のパチンコ玉状の物質におじさんが一人映っていて、ジャンケンのパーのようなポーズを取っておりますが、あ、ちなみにお座敷遊びの「とらとらとら」というのは、ジェスチャーでするジャンケン のようなものだそうです。股をガバっと開いて、ぱー!…とかだっから、ちょっといいカモ?という気がしないでもないんですが、相手が愛香姐さんだったりしたら、永遠にパーだけは出して欲しくないものですなぁ。。。で、『ア・モダン・ジャズ・シンポジウム・オブ・ミュージック・アンド・ポエトリー・ウィズ・チャーリー・ミンガス』とタイトルは長くても、要は「ジャズと詩の朗読」ということでありまして、これは50年代後半からしばしば見られるようになった試み、英語で言うところのチャレンジですよね。ミンガス自身もこの吹き込みの先立つこと半年ほど前に、『道化師』というアルバムで朗読入りジャズにチャレンジしておりますし、60年代に入ってからはアーチー・シェップが得意技としておりました。概して政治的なメッセージが主張されるのが常でありまして、純粋に音楽として聴くと、どうかなぁ。。。という仕上がりになりがちなんですが、この『ジャズ&ポエトリー』はどんなもんでっかね?ちなみにこのアルバム、メンバーは悪くなくて、ビル・ハードマン、クラレンス・ショウ、シャフィ・ハディ、ジミー・ネッパー、ホレス・パーラン、ダニー・リッチモンドといった面々が顔を揃えているんですが、とりあえず1曲目から聴いてみることにしましょう。
1曲目、「シーンズ・イン・ザ・シティ」というのが問題の朗読入りナンバーでございます。メルヴィン・ステュアートをナレーションに起用して、音楽と詩との融合を試みております。が、そのメッセージは政治的なものは希薄でありまして、1940年代の初め、すなわちビ・バップ初期のジャズ・シーンで、ハーレムの人々と当時のジャズ・シーンがナレーションと音楽によって生き生きと描き出される。…と、岡崎正通クンが日本語ライナーに正しく書いている通りの演奏ではないかと思われますが、なんせ“正しく通る”の正通クンですからね。で、演奏の流れを簡単に追ってみると、まず最初にアンサンブルによる短いイントロがあって、すぐに無伴奏の弓弾きベースをバックにした詩の朗読のパートに突入します。あ、ぼく、こういうのダメ。。。という人にとっては苦行以外のないものでもないかも知れませんが、ぼく個人としては、こういう演奏はけっこう好きですね。どれくらい好きかというと、非常時に食べるカンパンぐらい?…といった程度なので、あまり大したことはありませんが、あ、乾燥パイナップル入りだと結構おいしいんですけどね。ナレーションの中身のほうは割愛させていただきますが、というか、聞いてもよくワカランのですが、ジャズ・ミュージックをリッスンして、バップ・シティが云々ということを述べているような気がしないでもありません。途中からダニ・リッチ君がちょっかいを出し始め、やがてクラレンス翔クンらしき人がテーマ・メロディらしきものを 吹き始めるんですが、実にブルーな味があってよろしいですな。ミンガスらしき人が「だっだっだでぃ〜♪」とハミングで絡んでくるあたりも実にイイ感じです。そういえば『イイ感じ?』とかいうタイトルの裏本がありまして、モデルの質はそれほどイイ感じ?というほどではなかったんですが、テーマらしきメロディに詩の朗読というか、ナレーションが絡んでくるあたりは実にサマになってますね。で、ジミー・ネッパーが短いフレーズを反復するあたりからテンポは次第に速くなり、あ、ここらで一度、改行を入れますかね?
で、演奏は次第に集団即興演奏の様相を呈し、とっても盛り上がってまいります。ダニー・リッチモンドらしきお兄さんが何やら叫び出すあたりは『ミンガス・プレゼンツ・ミンガス』収録の「フォーバス知事の寓話」を彷彿させますな。初めは冷静沈着だったナレーションのお兄さんも、“きんちゃく”に思わず大コーフン!という感じになってまいります。しばらくすると少し冷静になって“しみじみモード”に戻るわけでありますが、それに続いて「バード」「ぴゃららら〜♪」(←アルトのフレーズ)、「バド」「ちゃらら♪」(←ピアノのフレーズ)…と、ミュージシャンの名前がいろいろと出てくるところがオモロイです。ま、要は、“しみじみパート”“集団即興演奏で盛り上がろうパート”“朗読おじさん大活躍パート”の3つの要素が3Pシステム的に絡み合うという構図であるわけですが、よくも悪くも、実に“ミンガス的”な作品であることは間違いありません。いや、僕は結構好きですけどね、味噌煮込みうどん(←麺の茹で具合は固め)程度には。
ということで、2曲目です。「ヌーログ」はシャフィ・ハディのアルトをフィーチャーしたバラードです。正通クンいわく、デューク・エリントンからの影響が強く感じられるナンバー。のちの大作「メディテイション・オン・インテグレイション」のモチーフを思わせる曲で、カーティス・ポーターのレイジーなテナー・サックス・プレイが強く印象に残る。…ということでありますが、あ、アルトじゃなくてテナーでしたか。言われてみれば確かにそうですね。で、カーティス・ポーターとシャフィ・ハディは同一人物でしたっけね?恐らくシャフィ・ハディというのはムスリム名ではないかと思われますが、派手ぃではなくて地味な人でありまして、アルトを吹かせればパーカー直系なんですが、テナーは吹かせればレイジーで、アルプスの少女はハイジで、切れて血が出るのは切れ痔。とまあ、そういった演奏でございます。テーマ部におけるビル・ハードマンやジミー・ネッパーとの絡みもよく出来てますね。ということで3曲目です。「ニューヨーク・スケッチブック」は、えーと…、“スケッチ”と“透け透けエッチぱんつ”との絡みで、何かネタが展開できないものかと思ったんですが、これと言って思いつかなかったので先に進みますが、ニューヨークの街の風景のサウンド・スケッチとでもいうべきナンバーでありますな、これは。ミンガスはこの手の“風物詩的ナンバー”がわりと得意って感じぃ?でありまして、『メキシコの思い出』という名作もありますよね。その性交に気持ちがよくなった彼は、あ、違いました。その成功に気をよくした彼は続編としてインド旅行の思い出を綴った『印度象の印象』というのを出したんですが、こちらはあまりぱっとしませんでした。やはり二番煎じというのはよくありませんな。ま、2回までは許せるとしても、3回連続となるともういけません。狩人も「あずさ2号」と「コスモス街道」まではよかったんですが、次の「アメリカ橋」でコケましたもんね。
で、「ニューヨーク絵描き帳」でありますが、自由に変化するテンポ、変幻自在なサウンド、ユーモラスな祇園…じゃなくて、擬音効果。まるで画家がキャンバスに絵の具を塗りたくるように、ミンガスはキャンバスを彼のサウンドで彩ってゆく。…と、正通クンが自分に酔ったような文体で書いておりますが、要は“綿密なハーモニーのパート”と、“集団即興演奏のパート”と、“各自のソロをフィーチャーしたパート”が混然と織りなす婚前交渉。。。とでも言うべき、ミンガスお得意のパターンですな。で、正通クンも指摘しているとおり、ボブ・ハマーとホレス・パーランという、2人のピアニストの起用がじつに鮮やかだという気がします。で、4曲目です。「デュークス・チョイス」はエリントン的な重厚ハーモニーが美しいバラード・ナンバーなんですが、それにしてもバラードっぽい演奏の多いアルバムでありますな。ミンガスとしては、「ぼくってわりとラジカルなイメージがあると思うんだけど、“あらいぐまラスカル”だってわりと好きなんだよ。」ということを主張したかったのかも知れませんが、ま、音楽的には実によく出来たサウンドであると思いますけどね。で、正通クンが指摘しているとおり、クラレンス翔クンのトランペットがフィーチャーされておりまして、実に渋い味わいを醸し出しております。そんだけ。
はい5曲目です。「スリッパーズ」です。タイトルの意味はよくわかりません。スリッパの複数形ですかね?ま、スリッパというのは2つが組になって初めて意味をなすものなので、複数形で正解のような気がしますけどね。おなかが空いたら、スリッパーズ♪食うなって。で、ここにきてようやくアップ・テンポのスインギーなナンバーの登場でありまして、シンプルながらも流れるような曲調がスリッパの複数形的に魅力的でありまして、ソロ先発のジミー・ネッパーも実にエキサイティングなソロを披露してくださっております。この人はミンガスに顔面を殴られて、前歯をへし折られたというエピソードによってのみ日本のファンの間では認識されているわけでありますが、白人のインテリ風の風貌にも関わらず、そのプレイは熱いっすね。いいことです。続くハディのテナー・ソロもいいです。レイジーなだけかと思ったら、こういう麒麟児なプレイも出来るんですな。いいことです。ということで6曲目です。ここからはLPレコードではアンリリースの“おまけナンバー”なんですが、まずはガレスピーの「ウディン・ユー」っす。「ママぁ、今日のお昼は〜?」「うどんよぉ♪」という会話は高松あたりでは日常的に交わされているものと思われますが、そんなことはどうでもよくて「ウディン・ユー」です。その1:ミンガスのオリジナルでない。その2:アルバム全体のレイジーなムードにそぐわない。その3:収録時間の関係もあるしぃ。。。という3つの理由によってボツになったのだと思いますが、ケレン味のないストレートなハード・バップ的なプレイはあまりミンガス的ではありませんが、演奏自体は悪くありませんな。先ほどのスリッパ・ナンバーに続き、シャフィ・ハディとジミー・ネッパーが大活躍。パーランの、いかにもパーラン、パーランしたソロも聴き物です。僕は好き者ですけどね。いや、パンツが。いいですなぁ、ぱんつ。マジで好きです。
で、7曲目です。曲名はただ単に「バウンス」とクレジットされていて、作曲者の欄は空白になっているんですが、これは紛うことなくパーカーの「ビリーズ・バウンス」ですね。ミンガスとバップ・ナンバーというのは今ひとつイメージ的にはピンと来ませんが、パーカーとガレスピーとミンガスは『ジャズ・アット・マッセイ・ホールでっせ』で共演した仲なので、ちっとも不思議ではありませんよね。で、この「ビリ・バン」もテナー、トランペット、トロンボーン+3リズムという編成で、実にオーソドックスなビ・バップを展開しておりまして、いいことです。ちなみにソロ・オーダーはパーラン、ネッパー、以下省略となっておりますが、ネッパーが熱波的に熱いですな。何か、悪いものでも食べたんですかね?続くシャフィ・ハディのテナー・ソロも悪くはないんですが、パーカー・ナンバーだけにアルトで聴きたかったような気がしないでもありません。でもまあ、そんなの吹く人の勝手だと思うので別にいいんですけどね。で、ミンガスのウォーキング・ソロがあって、ダニー・リッチモンドのソロがあって、エキサイティングな4バースへと突入してまいります。ああ、甦るジャム・セッションのコーフン!ミンガスも思わずシャウトしまくっておりますな。
ということで、最後に「スリッパーズ」の別テイクがあって、おしまい。おまけ曲の以前と以降で、がらっとイメージの変わる1枚でありましたが、ま、よろしいんじゃないかと思います。おしまい。