WINCHESTER SPECIAL (NEW JAZZ)

LEM WINCHESTER (1959/9/25)




【パーソネル】

BENNY GOLSON (ts) LEM WINCHESTER (vib) TOMMY FLANAGAN (p)
WENDELL MARSHALL (b) ART TAYLOR (Ds)

【収録曲】

DOWN FUZZ / IF I WERE A BELL / WILL YOU STILL BE MINE?
MYSTICISM / HOW ARE THINGS IN GLOCCA MORRA? / THE DUDE

【解説】

 先日、汚水ポンプ(通称:うんこ水ポンプ)の整備を終えて会社に戻る途中、何気なくラジオを聞いていたら「清潔社会の落とし穴」という話をやっておりました。「清潔社会の落とし穴」というのはですね、コドモの頃よく作りましたよねぇ、落とし穴。漫画などにもよく登場するんですよねぇ。で、ずぼっ!と穴に落ちたりして、それを見ているコドモとしては「ぜひ、ぼくも作ってみたい!」と思わずにはいられないほどのインパクトがございまして、で、実際に穴を掘って落とし穴を作ってみることになるわけですが、穴を掘って死体を埋めようとしたことがある人ならわかると思いますが、人の力で地面に穴を掘るのって、想像以上に大変なんですよねぇ。穴を掘る道具としてはスコップということになるわけですが、一口にスコップと言っても2つくらいの種類がありまして、“先が尖ったタイプ”と“先が真っすぐなタイプ”というのがそれなんですけどね。で、穴を掘る場合には“先が尖ったタイプ”のほうが必要となりまして、“先が真っすぐなタイプ”のほうは既に掘られた土を移動するには重宝でも、土を掘り起こすという作業には不向きでありまして。で、“先が真っすぐなタイプ”のスコップで穴を掘る場合にはツルハシを併用するのがよりベターなんですが、一般家庭でツルハシまで用意していることって、なかなか無いんですよねぇ。。。ところでツルハシって、どうしてツルハシというんでしょうね?

 大阪には鶴橋という駅がありまして、近鉄大阪線の特急は鶴橋、上本町、難波の順に止まりますので、三重県人にとってもわりとポピュラーな地名であるわけですが、穴を掘る道具のツルハシは漢字では“鶴嘴”と書きます。なるほど、これでわかりました。ツルハシは鶴の嘴(くちばし)のような形状をしているので“鶴嘴”という名前が付けられたわけですな。で、そのツルハシも“先が尖ったタイプ”のスコップもない家庭に育った少年の掘る落とし穴というのは深さが20センチくらいになったところで面倒になって、「ま、これでいっかぁ。。。」という気分になっちゃうのが常でありまして、ま、それが普通なんですけどね。“先が真っすぐなタイプ”のスコップで黙々と深さ2メートルにも達する落とし穴を作っちゃう少年がいるとすれば、もの凄く辛抱強いタイプか、あるいはどこかを病んでいるに違いなく、お母さんとしては彼の将来がちょっぴり心配になっちゃいますよね。あるいは、ものすごい大物になる可能性もなきにしもあらずですが、少なくともドカタとしての特性は持ち合わせている気がしますので、食うには困らないかも知れませんけどね。

 ま、そのような例外的な先天的土建屋気質の少年の例を除けば、一般にコドモの作った落とし穴というのはせいぜい20センチも掘ればイイとこでありまして、これでは漫画のように、ずぼっ!と落ちるというような効果は期待が持てません。「これじゃあ、つまんないや。。。」と、自らの体力と持久力と根性の無さに落胆した少年は、次の作戦を考えます。ある少年はですね、仮にこの少年を“少年タカシくん(小学5年生)”としておきますが、タカシくんは「継続は力なり。」という言葉を思い出すわけです。そういう難しいコトワザを知っているくらいだから、タカシくんはかなり勉強熱心で物知りな少年であると言うことが出来ますが、そのわりには落とし穴を作って喜んだりして、所詮はコドモでありますなぁ。。。という、そういったタイプの少年であるわけですが、それはともかく彼は「継続は力なり。」を合い言葉に、「1日に掘ることが出来る量はわずか20センチでも、それを毎日続ければ2日で40センチ、3日で、えーと…、たくさんになるんだ!」と考えるわけです。難しいコトワザを知ってるわりには計算能力がさっぱりでありますが、それはともかくタカシくんは1日20センチずつ穴を掘り続け、3日目には見事に“たくさんの深さ”、客観的に言えば60センチの深さの落とし穴を完成させるわけですね。60センチの落とし穴と言えば、コドモのしたことにすれば上々の出来でありまして、ま、ずぼっ!と落ちるところまではいきませんが、トラップとしてはレベル3程度の威力は発揮出来るのではなかろうかと。

 が、ここまでくると欲が出てくるのが人間というものなんですよね。タカシくんとて人の子、「よーし、あと1日頑張って、たくさんの深さの落とし穴を、もっとたくさんの深さにしてやるんだ!」というスケベ心が生じたとしても、誰も彼を責めることは出来ません。ま、強いていえば担任の先生に「タカシくんも5年生なんだから、20センチが4日で、80センチということぐらいは計算出来ないと。。。」と責められることがあるかも知れませんが、それとこれとは話が別ですしね。で、タカシくんはワクワクしながら翌日の穴掘り作業を楽しみにしていたんですが、その日は夜から雨になりまして、せっかく彼が掘った落とし穴には土砂が流れ込み、わずか一夜にしてその深さは20センチにまで戻されてしまうわけです。翌日、3分の1の深さになってしまった落とし穴を目の前にして、タカシくんは呆然とつぶやきます。「1日1歩、3日で3歩。3歩進んで2歩下がるぅ〜♪…とは、このことか。。。」世の中の厳しさと不条理さを嫌というほど思い知らされ、「人生のワンツーパンチ」を叩き込まれた思いでありましょう。タカシくんがこの事件をきっかけにグレることがないよう願わずにはいられないメガワティ首相でありました。

 とまあ、こんなことをしているのはタカシくんぐらいのものでありまして、一般の児童と言うのは「時間かけて、もっと深い穴を掘ろう!」などという面倒なことは考えません。だいたい、「落とし穴を掘ろう!」という情熱が持続するのは30分がいいところでありまして、結果として20センチの落とし穴が出来たところで面倒になっちゃうのが実状でありますが、「これじゃあ、つまんないや。。。」と思う心はタカシくんと同じであります。そこで、「継続は力なり。」という言葉を思い出さなかったタカシくん以外の少年、仮にこの少年のことを“非タカシ的少年”としておきますが、「これじゃあ、つまんないや。。。」と思った非タカシ的少年は「“落ちる”というダメージはわずか20センチでも、精神的なダメージを与えるような落とし穴を作ろう。」という方向に思考を進めるわけでありまして、で、具体的にはどうするのかというと、「そうだ!落とし穴の底に犬のウンコを入れておこう!」と考えるわけですね。「もっと深い穴を掘ろう!」と考えたタカシくんのピュアな心に比べると、実に考えることが汚い上に、やること自体も汚いですなぁ。。。が、この“犬のウンコ入りの落とし穴”の効果は絶大でありまして、せっかく3日もかけて掘った落とし穴が雨で埋め戻され、虚ろな気持ちで歩いていたタカシくんは足下への注意が疎かになっていたのでありましょう、見事に深さ20センチの落とし穴にハマって犬のウンコを踏んづけて、みんなから「えんがちょ」にされるのでありました。おしまい。


 ということでレム・ウインチェスターでありますが、「清潔社会の落とし穴」という本題に入る前に、なんとか「落とし穴」だけで1回分の原稿をでっちあげることが出来ました。本題のほうは次回に温存するとして、レム・ウインチェスターでありますな。レム・ウインと言えば、あ、レム・チェスのほうが略称としては発音しやすいですかね?ともかく、ウインチェスターと言えばヴァイブの世界では「ミルト・ジャクソンとボビ・ハチの橋渡し的な存在」というイメージが僕の心の中にはあるんですが、英語でいうとマイ・ハートのインサイドにあるんですが、ロシアン・ルーレットで死んじゃったのはこの人でしたっけ?で、ロシアン・ルーレットと言えば前にも書いたことがあるような気がしますが、すけべビデオのタイトルに『ロ・ロ・ロ・ロシアンルーレット』だか『ロ・ロ・ロシアンルーレット』だかというのがありまして、しかし「ロ」という字を3つも4つも並べると、「ロ(ろ)」なんだか「口(くち)」なんだか「□(しかく)」なんだかわからなくなっちゃいますが、同じガイジン系でもロシア人というのはちょっぴり日本人っぽいところがあって、ちょっとイイかも?という期待があったにもかかわらず、中身のほうは“ロシア人ぎゃる”がニッコリしながら脱衣に励むといった程度のソフト路線でありまして、物足りないこと限りなし。。。せっかく『ロ・ロ・ロ・ロシアンルーレット』というタイトルを付けたからには、ピストルを器具の変わりにするぐらいの演出は見せて欲しかったところでありますなぁ。。。ということで、『ウインチェスター・スペシャル』です。オトコなら誰しも自分ならではの“得意技”というのを持っているものでありまして、それに例えば「たかしスペシャル」という名前を付けたりして、「どや?たかしスペシャル、どや?どや?どや?」と責め立てたりして、「あ〜ん、今ひとつなのぉ。。。」と言われたりしているものでありますが、いったいどのようなテクが披露されるんでしょうね?やっぱりヴァイブで、「うい〜ん♪」「ちぇ〜♪」と責め立てるような???

 はい1曲目です。我ながら書いていることに品位がなかったような気がするので、心を入れ替えてクールに参りましょうね。このアルバムのジャケットには“レム・ウインチェスター・アーンド・ベニー・ゴルソン”とクレジットされているように、クールなウインチェスターのヴァイブと、とびっきりホットなゴルソンの熱いテナー・プレイとのバトルが聴きものだぜ。1曲目はウインチェスターのオリジナルで、“Down Fuzz”…って、わざわざ英語で書いたのは決して“Fuzz”の読み方がわからなかったからではなく、DJっぽい雰囲気を出したかったからに他ならないんですが、じゃ、何て読むんだ?と聞かれると、ちょっと困るんですけどね。ふゅず?あ、“ふぁず”ですかね?辞書で調べると「綿毛、けば、うぶ毛」とありまして、“Down Fuzz”で「下のほうのうぶ毛」という意味かも知れませんが、米俗語で「警察」という意味もあるようなので、あるいはそちらのほうかも知れません。で、原文ライナーによると“スロー・ロッキン”で、“フィンガー・スナッピング”なブルースで、あ〜ん、すなっぴんぐぅ♪(←マチコ先生風に)ということでありますが、なるほど、ヴァイブとテナーのユニゾンで演奏されるテーマはダウン・アンダーなスロー・ブルースでありますな。で、ソロ先発はレム・チェスですね。ヴァイブのソロを言葉で説明するというのは言葉足らずで寸足らずの僕には難しいことでありますが、あえて言えば“硬質なグルーヴ”といったところでしょうか。ちなみに原文ライナーにはただ一言“Basic Winchester”と書いてあるだけなので、あるいはベーシックなのかも知れません。すてらのなばびこーん!…って、これは昔、パソコン雑誌に連載されていた『べーしっくん』という漫画のフレーズなんですけどね。とか言ってるうちにロジック&ビューティなトミ・フラのソロが始まりましたが、くどいゴルソン&さわやかトミ・フラの2人はなかなかの名コンビですよね。ここでもフラちんは実に趣味のよいピアノを聴かせてくださっております。で、続くゴルソンは最初の1コーラスくらいはわりとオトナ締めでありましたが…って、どんな締め技なんですかね?最初の1コーラスくらいはわりと大人しめでありましたが、後半はいつもの“くどくどスタイル”で、ばりばり全開です。以上、全体的に評価しにくいナンバーでありますが、総括すると「まあまあ」といったところですかね?

 2曲目はマイルスでおなじみの「イフ・アイ・ワー・ア・ベル」。よく、決まり文句に「もし私が鳥ならば、あなたのもとに飛んでいけるのに」というのがありますが、“鳥”ならまだしも、“鐘”なんかになってどうしようと言うんでしょうね?ガイジンの考えることは今ひとつよく分かりませんなぁ。。。「もし私がカメならば…」なら、よく分かるんですけどねぇ。で、演奏のほうはアート・テイラーのサトルなドラミングに乗せてウインチェスターがスインギーにテーマを演奏し、で、そのままアドリブへと突入してまいります。前半は歌心たっぷりに、後半は下心たっぷりにプレイを繰り広げ、フラちんの短めのソロを挟んでテーマに戻り、で、結局最後までゴルソンは出てこなくて、おかげでずいぶんとすっきりした演奏に仕上がっております。はい3曲目。「ウィル・ユー・スティル・ビー・マイン」は2曲目同様、スインギーな歌物ナンバーですが、テーマ部ではウインチェスターを追いかける形でゴルソンがテーマ・メロディを吹いております。テーマを吹いてる分にはそれほど大きな問題はないんですよね、この人。学校では大人しいのに、家に帰ってくると親にあたってアバレる。…というタイプなのかも知れませんね。こういう人はアパレル関係の仕事に就くと成功すると言われておりますが、いや何となく。で、ウインチェスターのソロがあって、ゴルソンが出てきてアバレて、ここで母親替わりの富井フラ子さんが出てきて宥めて、ぼく、ちょっとアバレ過ぎたかな。。。と反省したゴルソンは、父のウインチェスター、兄のテイラー、母のフラ子さんと家族4人で仲良く4バースを繰り広げ、テーマに戻って、最後はハッピーエンドで終わるという、そういった一編のホーム・ドラマを見ているような演奏でありました。

 4曲目の「ミスティシズム」はレン・フォスターという人のオリジナルでありますが、原文に“The Minor Blues”とあるようにマイナーなブルースでございます。日本人好みの木の実ナナといった感じの演奏でありまして、いや、あの“でかい口”はあまり日本人好みではないような気もしますけどね。いや、個人的には京唄子よりも好きですけどね。で、テーマはテナーとヴァイブのユニゾンで演奏されますが、ゴルソンのハスキーなトーンがなかなかよろしいですなぁ。で、ソロ先発はここでもレム・チェスですが、唸り声や“4本マレットぷれい”も交えて、かなりの熱演ぶりでございます。こうなればゴルソンが黙っているわけがなく、ま、この人、ワン・コーラス目まではいつも抑え気味なんですけどね。で、そのうちに我慢しきれなくなってオーバー・ブロウに陥ってワヤになるのが常なんですが、「モーニン」での展開を彷彿させるここでのプレイは傾聴に値すると言えるでありましょう。んでもって、続くトミ・フラのソロがクールでありますなぁ。「モーニン」の場合、ここでティモンズが出てきて油に火を注ぐわけですが、ここでのフラナガンはソニー・クラーク風の哀感と消火フラワーを手に、演奏に落ち着きを取り戻すのに懸命であります。その甲斐あって、後テーマに戻るころにはゴルソンもすっかり鎮火して、円満なエンディングを迎えることが出来て、なにより。

 となると、ここで1曲、しみじみバラードが欲しいところでありますなぁ。。。と思っていると、5曲目はロリンズの名演で名高い「グロカ・モラを想う」。まさに絶妙の選曲であると言えましょう。…と思っていたら、予想に反してバラードではなくてミディアム・テンポの演奏でありましたが、これはこれで実に味わい深いですなぁ。原文ライナーによると“Simple Sweetness”ということになりますが、ヴァイブとテナーが絡むイントロから、ヴァイブとテナーのユニゾンによるテーマに移行するあたりが実に洒落ておりますな。で、レム・チェス、ゴルソンの短めのソロがあって、再びウォームなテーマに戻りますが、これぞ“寛ぎのヒロシくん”といった感じの小品でありました。で、ラストです。「ザ・デュード」はウインチェスターのオリジナルですが、キャッチーなメロディと、テンポの変化が魅力的なナンバーなんですか?…と聞かれても困ると思いますが、ブリッジのところのトミ・フラのソロもいい感じですか?(安尾信之助風)

 …というアルバムなんですか?



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