SOULNIK (NEW JAZZ)

DOUG WATKINS (1960/5/17)

SOULNIK


【パーソネル】

YUSEF LATEEF (fl,oboe) DOUG WATKINS (cello) HUGH LAWSON (p)
HERMAN WRIGHT (b) LEX HUMPHRIES (ds)

【収録曲】

ONE GUY / CONFESSIN' (THAT I LOVE YOU) / SOUNIK
ANDRE'S BAG / I REMEMBER YOU / IMAGINATION

【解説】

 通夜ネタの続編です。前回は立原道造の「みまかれる美しきひとに」をモチーフに、「これは僕の通夜だ」というテーマでお送りしたわけでありますが、いいですよねぇ、ミチゾー。次回の『書評deポン♪』(←まだやってたのか?)はミチゾーにしようと心に決めた次第でありますが、ところで詩のタイトルにある「みまかれる」というのは「死んじゃった」という意味だったんですな。僕はてっきりカレーのルーのようなものだとばかり思っておりました。…って、思うなって。

 で、今回は「通夜通になるために」というテーマでお届けしたいと思うんですが、いや、来るべきTVチャンピオンの「通夜通選手権」に備え、今から「通夜の通」になっておくのは大切なことかな?と、ふと思ったからなんですけどね。で、前回の復習になりますが、通夜のときに持っていく「香典」には「御香典」の他にも色々な種類があって、その使い分けに関しては最後に紹介するサイトを参照してもらうことにして。…と書いておきながら、そのサイトを紹介するのをすっかり忘れておりましたが、それはまた最後にでも書くとして。で、香典袋にサインをする場合は「薄い墨」で書くのが正しいということを申し上げたわけですが、これは「哀しみのあまり、涙で字が鰺んでしまいましたぁ。。。」ということを表現するためですよね。あ、「鰺んで」じゃなくて、「滲んで」ですか。字がアジんでも仕方ないですもんね。フライや干物にするもんでもなし。で、「薄い墨」の代表格として、僕はスミイカのスミを推奨したわけでありますが、わざわざ魚屋さんまでイカを買いにいくのが面倒な場合、最近では薄い字の書ける「弔事用の筆ペン」というのも市販されているようなので、そういうのを利用するのもいいかも知れませんね。少なくとも、イカよりはいいかと思います。通夜の席にナマグサ物は御法度なので、イカスミなどもってのほかです。

 あ、「ナマグサ物」で思い出したんですが、先日、マンホール・ポンプの点検整備をしていた時のことです。マンホールの蓋を開けた瞬間、マンポン技師の青年(なのか中年なのか、今ひとつよくわからない人)が、ぼそっと「ナマグソや。。。」と呟いておりました。どうやら生のウンコのことを専門用語では「生グソ」と称するようでありまして、いやぁ、色々と勉強になりますなぁ。で、通夜に持っていく香典袋に自分の名前を書いたところまで話が進んだわけですが、ちなみにウチには「弔事用の筆ペン」というのがなかったので、「ぺんてる・はがきふでペン <ツイン>」というのを使いました。黒々とした墨跡が鮮やかです。で、表に名前を書いたら、裏には金額を記入しなければなりません。で、ここで問題になってくるのが香典の相場でありますが、これは「みまかれる人」との親密の度合いによって、いろいろとランクが設定されているようです。近親者の場合は3万〜10万円といったところでしょうか。あ、「近親者」で思い出したんですが、先日、某仙石次長と中津川に行った時のことです。そこの担当者はどういうわけだか仙石次長のファンらしく(←「イエスの方舟」の信者?)「僕は仙石さんの人柄に近親感を持って、シゴトを任せてるんだよぉ。」というようなことを申しておりましたが、それを言うなら「親近感」やろ!と、この場を借りてツッコミを入れさせて頂きたいと思います。

 で、御香典。今回の僕の場合のように、「みまかれる人」が会社の上司の親であった場合、その相場は平均して7000円ということでありました。ずいぶんと半端な数字ですよねぇ、7000円。ただこれはあくまでも統計上の平均値でありまして、実際に出費した額として一番多かったのは5000円なんだそうです。で、二番目に多かったのが10000円。で、10000円出した人よりも5000円出した人のほうが多かったから、平均すると7000円ということになるわけですね。じゃ、5000円でイイやぁ。。。ということで、僕の香典の額は決定したわけでありますが、で、中に入れるお札はやっぱりピン札のほうがいいのか?という問題も起きてきますよね。結婚式の御祝儀はピン札が決まりでありますが、香典の場合は逆に、ピン札はあまり好まれないようであります。「新札でも問題はありませんが、気になるようなら一度二つ折りにしてから入れるといいでしょう。」といったニュアンスのことが書かれておりました。やはりピン札というのは、なんだか元気溌剌っ!といったイメージがありすぎて、弔事の場には相応しくないんでしょうな。で、反対に結婚式の場合には「今夜はピンピンだねっ♪」という子孫繁栄の願いを込めて、ピン札を贈るのでありましょう。

 で、僕は香典袋にヘナヘナの千円札を5枚投入し、袋の裏に「5000円」と書いて封をしたわけですが、ちなみにウチに転がっていた香典袋はノリのついたワンタッチ式のやつでありまして。が、香典袋などというものはそう頻繁に用いられるものではなく、いったい何年前に買ったモノなのか分かったものではなく、ノリのところもすっかり干からびて、まったくと言っていいほど粘着力が無くなっているのが常でありまして。で、ウチに転がっていたのもそうでした。「ペタッ」と貼りあわせても、すぐに「パカッ」と口が開いてきて、しまりがないこと夥し。。。で、湿らせてみれば何とかなるカモ?と思って、ノリのところをベロベロと嘗めてみたんですが、すると紙がふやけて封のあたりがベロベロになっちゃいました。これはさすがにちょっとマズイかな?という気もしたんですが、ま、受付の人に「このベロベロの香典袋は何ですかぁ?」と咎められた場合は「哀しみのあまり、涙で香典袋がベロベロになってしいましたぁ。。。」とでも言っておけば、許して貰えることでありましょう。

 で、続いては通夜の時の服装です。弔事と言えば喪服と相場が決まっておりますが、通夜の場合、あまりにきちんとした服装だとかえって失礼にあたるんだそうでありまして。というのも「急を聞いて、とるものもとりあえず、駆けつけましたぁ。。。」ということを表現するために、わざわざ喪服をタンスの奥から引っぱり出して着てくるだけの余裕はないっ!ということなんだそうです。だから男の人の場合、「ダークなダークダックス風のスーツに、黒のネクタイに、黒の靴下」といった服装でいいようです。わざわざ黒の靴下をタンスの奥から引っぱり出して穿いてくるだけの余裕はないっ!ということを表現したい場合には、白のルーズや紺のハイソだって構いません。…というようなことが通夜関係のサイトに書いてあったので、喪服を着ていこうかどうか、ちょっと迷ったんですよね。が、通夜の知らせを聞いたのは一日前だし、わざわざ喪服をタンスの奥から引っぱり出して着てくるだけの余裕もたっぷりあったので、結局のところ喪服に身を包んでいくことにしたわけですが、いざ会場に着いてみると、それはそれで何の問題もなかったことが判明しました。会場には喪服の人もいましたし、ダークダックス風のスーツの人もおりました。デュークエイセス風のスーツの人もいました。ちなみにダークスーツも間に合わないほど「急を聞いて、とるものもとりあえず、駆けつけましたぁ。。。」という人は、普通のスーツに黒い喪章をつけるだけでもいいとされております。黒い喪章って、んなもん、どこにあるねん?という人は、事務用の紺色の腕カバーで代用してもよいとされております。とまあそんなことで、香典と服装の二大関門さえ突破しちゃえば、あと残された問題は焼香だけですな。

 焼香ぉ、焼香ぉ、ショコ、ショコ、焼香ぉ。ということで、焼香の作法というのも何かと難しいものでありますが、実際にはそれほぼ難しく考える必要もないようです。同じ仏教でも宗旨宗派によって色々とルールがあるようですが、ま、一般参列者の場合はそれほど深く考える必要はないようです。アレは正式には何と言うんですか、焼香のときに火にくべる粉末状の物質がありますよね?ここでは仮に「焼香の具」としておきますが、その「焼香の具」をくべる回数は、宗旨宗派によって「3回やるべし。」というところと「1回でよろし。」というところがあるようです。が、その家の宗派がわからない一般参列者の場合は「1回でも3回でも、別にどっちでもいいんじゃない?」ということになっているようです。僕の場合、ちょっぴり緊張していたこともあって、とりあえず2回「焼香の具」をくべた時点で、なんとなく「もういっかぁ。。。」という気分になったので、結局のところ2回という数字になってしまい、ちょっと中途半端だったかなぁ。。。と反省した次第でありますが、あとで他の人の回数をチェックしてみたところ、「なんとなく2回」という人も結構おりました。そのことで別に喪主の人に「ちょっと、もしゅもしゅ?」とか呼び止められて、「チミぃ、何だね今の中途半端な焼香は?」と、咎められるということもなかったので、ま、全体的に見て通夜における一般参列者の儀式というのはテキトーでいいんだな。。。というのが結論でございます。ま、それでも心配な人はここでも見て、お勉強してくださいね。


 ということでダグ・ワトキンスでありますが、あ、キティちゃんによれば「焼香の回数は一般的には2回」と書いてありますね。僕は期せずして実に正しいキティちゃん流焼香をしていたことになりますが、それと同時に、よく調べもせず、なんていい加減な原稿を書いているのかと、自分で自分を誉めたい気もしますね。…って、誉めるなって。で、ダグ・ワトキンスです。このところ交通事故で夭折しちゃったカール・パーキンスのネタが続きましたが、ダグ・ワトキンスも交通事故で死んじゃったんでしたっけ?享年27歳か28歳だから、かなりの若死にであると言えましょう。僕だったら5年ほど前に死んじゃってる年齢ですもんね。ちなみに詩人のミチゾー君はもっと若く、わずか24歳で逝っちゃってます。で、ワトキンスという人は典型的なサイドマン・タイプの人で、決して自分のリーダー作を作って目立とうと考えるような人ではないんですが、それでも何枚かのリーダー作を残しております。僕の知る限りでは、トランディション盤の『ワトキンス・アット・ラージ』と、この『京城(ソウル)肉』というのがあります。おいしかったですなぁ、ソウルで食べたカルビ。ホルモンのほうは腸の中にウンコが詰まっていて、とても食べる気にはなれませんでしたけどね。で、ベースという楽器はリーダーとして目立とうとするには、あまりにも地味な楽器でありまして、ベーシストがリーダー作を作る場合には様々な工夫が必要となります。ま、だいたい一般的には次の4つのパターンがありますよね。

 (1)作編曲家として活路を見いだそうとする

 (2)ウォーキング・ベースで活路を見いだそうとする

 (3)弓弾きで活路を見いだそうとする

 (4)チェロに逃げて活路を見いだそうとする

(1)はミンガスが代表選手でありましょう。前回レビューしたリロイ・ヴィネガーは(2)のパターン。(3)は言わずと知れた弓好きのチェンバース。で、サム・ジョーンズあたりはけっこう(4)の手法を使いますね。ロン・カーターとか。で、生粋のベーシストのイメージが強いダグ・ワトキンスは、この『ソウルニク』というアルバムで(4)の手法を用いておりまして、しかも日本では人気が今ひとつのユセフ・ラティーフなんかをフィーチャーしちゃって、その出来映えがちょっぴり心配。。。という気もするんですが、ま、とりあえず聴いてみることにしましょう。1曲目の「ワン・ガイ」はラティーフの曲ですね。ユセ・ラティはこのアルバムでは主にフルートを吹いているんですが、チェロとフルートの組み合わせは室内楽の基本なので、そのサウンドは最初に想像してたより、かなりマトモなものでありました。曲自体はミディアム・テンポのブルースっぽいナンバーですな。決して誉められたものではないが、激しく非難されるほどでもない。そいういった感じの曲であります。簡単にいえば「まあまあ」といったところです。で、ソロ先発はワトキンスのチェロです。チェロというのはビオラよりもでかくて、コントラバスよりも小さい弦楽器ではなかったかと思いますが、ジャズの場合、これをアルコではなくてピチカートで弾くことが多いです。ワトキンスも指で弦を弾いております。するとベースのピチカートよりも若干高めの音が出ます。これがチェロという楽器のイメージとは違って、けっこうファンキーな感じになるんですよねぇ、特にサム・ジョーンズが弾くと。

 で、ここでのワトキンスも実に聴き応えのあるソロを披露しておりまして、「チェロに逃げて活路を見いだす」という意図は結果的に結果オーライといったところでありましょう。結果よければ、すべてよし。脚気よければ、素股よし。(←脚気がなおれば素股だってOKぢゃん?みたいな。確かに脚気だと素股をするにもちょっぴりタイヘンですもんね。)ということで、続いてはフルートのソロです。この人にオーボエを吹かせると、あまりよい結果にならないような気がしますが、フルートを吹かせている限りはわりと安心できますよね。尺八をやらせたらどうなのかは知りませんけどね。で、続くヒュー・ローソンのソロも抜群です。最初に聴いたときにはトミ・フラかと思ったんですが、その手の「趣味のよい系」のスタイルは、この手の「ちょっぴり室内楽系」のサウンドにはぴったりです。で、このアルバムではワトキンスがチェロに専念している関係上、千年灸要員としてもう一人ベーシストのハーマン・ライトが参加しておりますが、最後にちょっぴりピチカート・ソロを披露して、で、テーマに戻って、おしまい。で、2曲目の「コンフェッシン(ザット・アイ・ラブ・ユー)」は綺麗なメロディの歌物ナンバーであります。「告白 〜 私、あなたのことが好きなのぉ♪」といったところですかね?いいですなぁ。一度でいいからそんなことを言われてみたいものでありますが、「告白 〜 実は私、オトコだったのぉ。。。」というのはちょっと嫌ですけどね。

 で、テンポはミディアムで、テーマ部はワトキンスのピチカート・チェロをフィーチャーしたものとなっております。ベースよりも楽器が軽いだけに、演奏のほうも軽やかでありますな。で、テーマが終わるとラティーフが出てきてフルートでソロを取ります。この人にオーボエを吹かせると、あまりよい結果にならないような気がしますが、フルートを吹かせている限りは相変わらず安心できますな。この人には「フルート以外は吹くな。」と忠告したいところでありますな。純真な乙女の恋心と言ったものを感じさせ、良好であります。ついでにチラっとパンツでも見せてくれれば、もう言うことはありません。いや、ラティーフのほうじゃなくて、純真な乙女。恋心というのは、すなわちパンツでありますなぁ。いや、よく意味はわかりませんが。で、ラティーフに続いてワトキンスがソロを取りますが、途中で「飾りのついた四輪馬車」のフレーズを飲尿したりして、いや引用したりして、概ね快調であります。続くヒュー・ローソンのピアノも相変わらず趣味がいいですね。その後、またしてもワトキンスが登場して、この人が意外と目立ちたがりである一面を垣間見たような気がしますが、そのままテーマに流れていく構成は秀逸で、エンディングもバッチリ決まっています。

 はい、3曲目。タイトル曲の「ソウルニク」はラティーフのオリジナルで、あ、オーボエ吹いてるぢゃん。僕、人の忠告を無視するのって、あまりいいことぢゃないと思うなぁ。。。案の定、趣味の悪いサウンドに仕上がっておりまして、あ、曲自体は「まあまあかな?」といったところなんですけどね。で、ソロ先発はワトキンスで、原文ライナーによればナイスでクリスピーで、チャーリー・パーカーの「KCブルース」のフレーズの引用もある模様です。続くラティーフのオーボエ・ソロは無視するとして、ヒュー・ローソンの趣味のよいピアノ・ソロがあって(←そればっか)、ハーマン・ライトのベース・ソロもあって、最後にオーボエ→ドラムス→チェロ→ドラムス→ピアノ→ドラムスの4小節交換があるんですが、オーボエはなかったことにして、テーマに戻って、おしまい。

 さ、4曲目ですな。本アルバムで唯一ワトキンスのオリジナルである「アンドレズ・バック」は、本アルバムでも屈指の屈斜路湖といった感じでありまして、ちなみにタイトルはジプシーが愛用しているナップサックのことなんだそうです。衛生サックではありません。チェロの無伴奏ソロで幕を開け、やがてそこに静かにピアノが絡んでくるわけですが、実にこう、哀調を帯びた日本人好みのメロディでありますなぁ。なんかこう、ジプシーの哀しみって感じぃ?レイ・ブライアントの「ゴールデン・イヤリング」が好きな人なら、きっとたまらん1曲になることでありましょう。で、ラティーフのフルートが「ぴょ〜♪」と絡んで、ドラムスも入ってミディアム・テンポになって、ワトキンスのソロへと流れていくわけでありますが、アドリブ・パートに入っても彼の哀愁は最良のムードで持続しております。「チェロって、哀愁だよね?」と、道を歩いている女子高生をつかまえて問い質したい気分になっちゃいますが、改心してフルートに戻ったラティーフのソロも悪くありません。そうそう、これでイイんだってば。と手羽先一郎も言っておりましたが、いや、スーパーに売っていた手羽先の唐揚げの商品名なんですけどね。食べたら下痢しちゃいましたけどね。で、続くヒュー・ローソンのソロもファンキーな味のある完璧な出来映えで、続いてレックス・ハンフリーズのスインギーなブラッシュ・ソロも聴かれ、で、チェロとフルートの絡みがあって、テーマ部に戻ることなくフェード・アウトして演奏は終わります。ここまでベタで哀愁なテーマは、聴き過ぎると嫌味になっちゃうので、これはなかなかよく考えたエンディングであると言えましょう。以上、個人的には「これを聴くだけでもこのアルバムを買うだけの価値はある」と思える1曲でありました。

 残るは歌モノ2曲です。ミディアム・テンポで演奏される「アイ・リメンバー・ユー」は、この歌はフルートとチェロで演奏されるために生まれてきたのではないか?と思えるほど見事にハマって、さあ大変。ドジョウが出てきてこんにちは〜、坊ちゃん一緒にカラアゲ粉ぉ♪といった感じに仕上がっております。AABA形式の“A”のパートをチェロで、サビのフレーズをフルートで演奏して、で、ソロ・オーダーはワトキンス、ラティーフ、ルー・ローソンの順ですな。前曲に引き続き、ここでもレックス・ハンフリーズのスインギーなドラミングが冴え冴え冴子ちゃんといった感じでありまして、ちょっとした小品でありながら、忘れがたい印象を残すナンバーでございます。で、ラストの「イマジネーション」は綺麗なバラードですな。ラティーフが吹くメロディにワトキンスのチェロが絡むスタイルでテーマが演奏されますが、これほどまでに美しいフルートはなかなか聴けるものではありません。やるじゃん、この丸ハゲ!と、ラティーフの叙情性を再認識した次第でありますが、歌心に富んだワトキンスのソロも絶妙ですね。で、チェロのソロの後半、すーっとラティーフのフルートが絡んできてテーマに戻るわけですが、エンディングのワトキンスのワン・フレーズも完璧です。

 以上、いいぢゃん。という1枚でありました。おわり。


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