先日、会社関係で不幸がございました。不幸といっても「不幸の手紙が届いた」とかそういうことではなく、上司の身内の方がお亡くなりになられたんですけどね。で、しめやかに葬儀が執り行われることになったんですが、僕は危うく通夜の席に出席しそびれるところでございました。社会人として、そういうことではいけないという自戒の念を込めて、今日は通夜をテーマにお届けしたいと思います。題して、「これは僕の通夜だ」。
こよひ湧くこの悲哀に灯をいれて うちしほれた乏しい薔薇をささげ あなたのために 傷ついた月のひかりといっしょに これは僕の通夜だ (「みまかれる美しきひとに」より)
詩人ですなぁ、僕って。いや、これは立原道造の詩なんですけどね。で、話は先週の土曜日のことなんですが、僕が家でぼーっとしていると、携帯の茶久米路が鳴りました。「着メロ」もまともに変換できないようでは、超若者感覚に著しく欠けている言わざるを得ませんなぁ、“ATOK12”。もう、「俺、鯖威張る中」って感じぃ?ちなみに“IME2000”では「茶組め炉」と出ましたが、で、ディスプレイを見ると、ぜんぜん身に覚えのない携帯番号が表示されていたんですよね。で、僕は咄嗟に「あ、これは聞かなかったことにしておこう。。。」と判断したわけなんですが、いや「僕のち○ちん、見て♪」という前例もありますしね。間違い電話と「僕のち○ちん」は見なかったことにしておくのが正解でありまして、「いや〜ん。。。」と真っ赤になって目を両手で覆い、「でもちょっぴり気になるのぉ。。。」と指の隙間から覗いたりするのは敵の思うツボでありまして、露呈した変質者はますます増長するだけです。増長するだけならまだしも、見られたことによってコーフンして局部を膨張させたりして、何をいわんや。。。という感じでありますが、だからそのような場面に遭遇した場合には、見て見ぬふりをする。もしくはその反対に、しげしげと注意深く観察し、あげく「たいしたことないのぉ。。。」といった風情で溜息をつく。というのが正しい対処法ではないかと思われます。
で、僕の携帯でありますが、聞かなかったことにしてそのまま放置していると、やがて鳴りやみました。が、なんだか気になるので着信履歴に残された番号をザウルスの電話帳でチェックしてみると、それは同じ会社の人の携帯番号でございました。いや、岐阜に転任になってまだ間がないので、その人の番号はまだ登録してなかったんですよねぇ。。。で、会社関係の電話となれば「聞かなかったことにしておく。」というのではすまされません。これはもう、電話自体を見なかったことにしておこう。。。そう判断した僕は携帯を鞄の奥深く、目の届かないところに押し込んで、それでようやく一安心した次第でありますが、30分ほどするとまたかかってきたんですよね。さすがに2回目ともなると無視するわけにもいかず、しぶしぶ電話に出た次第でありますが、そこで初めて「○○所長代理のお母さんが亡くなった。」という連絡を聞かされたのでありました。危ないところでした。あのまま鞄の中に放置して見なかったことにしていたら、「社会通念上かなり問題のある社会人」というものになっちゃうところでした。これはもう、「社会の窓全開でフランクフルトを食べている社会人」よりも問題アリですよね?
で、日曜の夜の7時から通夜が行われるという事だったんですが、いざこういう事態に直面すると、いかに自分が「葬儀のしきたり」について何の知識も持ち合わせていないかという事を思い知らされるんですよねぇ。早い話が香典袋の書きかたひとつとっても、なーんもよくワカランのでありまして。。。こういう場合、昔なら本棚の奥から『冠婚葬祭入門』だとか、『お葬式の時に困らない本』だとか、『絶対合格・お葬式』とか『チャート式・葬式』とか『試験に出る葬式』(通称「シケ葬」)とかを引っぱり出してくることになるわけですが、なんせ、いつ買った本なんだか分かったもんじゃなく、「それほど親しくない間柄である場合、香典は300円も出せば充分。」とか書いてあって、使えないことこの上なし。。。でも、今の時代はだいじゃぶ。お葬式関連のサイトを調べてみれば、最新の情報を即座にGETすることが出来、インターネットって「すけべ画像」を収集するためだけのものじゃなかったんだぁ♪と関心することしきり。で、ついでに「お葬式」の発想から「喪服 未亡人 もろ画像」で検索したりして、そんな不謹慎なことをやってる場合ぢゃないでしょうが、そこのチミぃ。…って、僕のことですかい?
そこで、早速調べてみました。いや、未亡人のほうじゃなくて、「通夜のしきたり」。「初夜のしたたり」ではありません。で、まずは「香典袋」の書き方なんですが、ひとくちに「香典袋」といっても色々な種類がありまして、というか、「香典袋」ではない袋が色々とあるというのが正しい表現なんですけどね。ちなみに「こうでん袋」にだって2種類ありまして、「御香典」というのと「御香奠」というのがあるそうです。相手が目上である場合、難しいほうの「御香奠」を使ったほうがいいみたいですが、そんな難しい漢字は書けないのぉ。。。という人はスーパーで「御香奠」と書かれた香典袋、というか香奠袋を買ってこれば、それでいいと思います。で、スーパーの香典袋コーナーに行ってみると「御香典」や「御香奠」以外にも「御霊前」やら「御仏前」やら「御香料」やら色々な文字が書かれた袋があって、大いに迷うところでありますが、ま、詳しい使い分けは最後に紹介するサイトを見て頂くことにして、基本的には「お祝い」とか「お年玉」とか書いてなければ、それほど大きな間違いではないと思っていただければよろしいかと。
で、続いては自筆のサインでありますが、これは「御香典」(←安っぽいの香典袋の場合)と書かれている、その下のところに縦書きするのが正解のようです。表に相手の名前を書いて、自分の名前は裏に。あ、そうそう。切手を貼るのを忘れてたぁ♪とか、そういうことをする必要はありません。必要がないどころか、それは大きな間違いであるので、決してそのようなことをしてはいけません。で、この時に用いる筆記用具としては「墨と筆を使えば文句ないやろ。」とか思ったら大きな間違いでありまして、普通の墨ではいけません。薄い墨。これを用いるのが正しいといわれております。これは「哀しみのあまり、字が滲んでしましましたぁ。。。」というココロを表現するためだそうでありまして、あまり黒々とした字で書いちゃ駄目なわけですな。喪主がハゲている場合、イヤミと受けとめられる恐れもありますしね。で、薄い墨と言うと、スミイカのスミなんかがいいですよね。あれは薄いです。香典のサインはセピア色で。と覚えておくと、いざという時に慌てなくていいと思います。とまあそんなことで、中に入れる金額等については、また次回。
さ、リロイ・ヴィネガーっす。ヴィネガーといえばウォーキング、サカナの王様といえば魚(うお)キングと相場は決まっておりますが、ということで『リロイ・ウォークス・アゲイン』です。ハード・バップの隠れ名盤『リロイ・ウォークス』の続編でありますな。で、このアルバムは再度漫画よくってですね、いやサイドマンがよくってですね、テディ・エドワーズが参加しております。いいですなぁ、テディ江戸。あと、フレディ・ヒルというトランペッターも参加しております。ぜんぜん聞いたことないの名前ですなぁ、フレ蛭。あと、6曲中5曲にピアノとヴァイブのヴィクター・フェルドマンが入っております。いいですなぁ、ヴァイブ。個人的にはピ○ク・ローターもいいかな?という気もするんですが、そんなことはどうでもよくて、ヴァイブではもう一人、ロイ・エアーズも参加しております。で、ピアノではもう一人、マイク・メルボインという人も参加しております。いいですなぁ、ボイン。ただ個人的には「ボイン」という言い方は品がないのであまり好きではなく、日本人ならやっぱり、乳ぃ?という気がするんですが、そんなことはどうでもよくて、ベースがヴィネガーで、ドラムスはロン・ジェファーソン(←誰?)、もしくはミルト・ターナー(←誰?)となっております。んなことで、ぢゃ、とりあえず演奏を聴いてみましょう。
1曲目「ハード・トゥ・ファインド」。「見つけるのは難しい」というような意味ですかね?わりとあっさり見つかっちゃいましたけどね、猿人バーゴン。ただ巨大蛇ナークのほうは見つけるのが難しかったようでありまして、卵を孵化させてみたらタダのニシキヘビだったりしましたが、曲自体はヴィネガーのオリジナルでございます。ミュート・トランペットとテナーのユニゾンで演奏されるテーマは“正統派ハード・バップ”といった感じでありまして、ファンキーなムードもある、なかなかの歌曲でありますな。で、ソロ先発はヴィック・フェルドマン。イイんですよねぇ、インド人。それが証拠に「インド人はイイんどぉ。」という諺もあるくらいなんですが、いや、フェルドマンはインド人ではないんですけどね。が、インド人じゃないから駄目なのかというと決してそんなことはなく、アタマこそ若干ハゲかけてはいるものの、演奏自体は白人のわりには意外とブルージーな味もあって、悪くありません。ソニー・クラークを花王のハイターで漂白したって感じですかね?で、続くフレ蛭のトランペットは、いかにもB級っぽい味わいがあって、これはこれで悪くありません。で、3番手のテディ・エドワーズには期待すること甚大であったわけですが、ソロの出来としては「まあまあかな?」といったところでしょう。最後に、いかにもヴィネガーらしいベースのウォーキング・ソロがあって、テーマに戻って、おしまい。名盤『リロイ・ウォークス』の冒頭、「ウォーク・オン」ほどのインパクトはないにせよ、ま、インターネット博覧会、通称「インパク」よりはマシ?と言った感じの無難なオープニングでありました。
2曲目「ダウン・アンダー」。曲が始まった途端、どっかで聴いたことのある曲だなぁ。。。と思っていたら、フレディ・ハB−ドのオリジナルでありました。それでピンときたんですが、JMの『モザイク』に入ってる曲ですよね。アンダーにモザイクが入っているというのは決して好ましい状況ではありませんが、曲自体は悪くなくて、ま、基本はシンプルなリフ・ナンバーなんですが、ロイ・エアーズのヴァイブがJM版とはまた一味違ったムードを醸し出しております。で、ソロ先発はフレディ・ヒル。まあまあです。ソロ2番手はロイ・エアーズ。まあまあです。で、この曲の最大の聴き物はテディ・エドワーズのソロでありましょう。ノッケからドライブ感バリバリのイカしたフレーズを連発し、フランク・ヘインズ風の蓮っ葉なムードも加味されて、まったくもってエドワーズはエエどぉ。という感を強くしました。メルボインのピアノ・ソロだって悪くなくて、思わず「いいぞぉ、ボイン!」と声を掛けたくなりますね。最後にヴィネガーらしいウォーキング・ソロがあって、テーマに戻って、おしまい。ま、全体的には「まあまあ+15点」くらいの出来映えであると言えましょう。
3曲目の「アイル・ストリング・アロング・ウィズ・ユー」はヴィネガーのピチカートを大フィーチャーしたバラードでございます。曲名は「私はあなたのヒモである」というような意味でしょうかね?ヴィネガーの提示するテーマに、ホーン・アンサンブルとヴァイブが寄り添うようなアレンジが洒落てますな。で、サビのメロディをフレディ・ヒルが情感たっぶりに歌い上げ、AABAの最後の“A”は再びベースのピチカートになって、テーマが終わると少しテンポが速くなってテディ・エドワーズのソロへと流れてまいります。で、ソロが終わるとそのままテナーがテーマを演奏して、そこにトランペットも絡んで、おしまい。アルバム全体のチェンジ・オブ・ペース的な役割を担う、ちょっとした小品でございました。小品はちょっとしてるに決まってるぢゃん。と思った人には、でも、多量の小便とか、ちょっとした大便とかいうのもあるぢゃん。ということを申し上げて、で、4曲目のヴィネガー・オリジナル「サブウェイ・グレート」はトラディショナルなブルース・ナンバーです。演奏は「まあまあかな?」といったところです。
はい、5曲目です。ここから久々の岐阜某所における執筆となりますが、ボスが忌引でいないのをいいことに原稿を書いたりしていると、今にきっと罰が当りますね。…とでも書いておけば、とりあえず社会人としての責務は果たしたことになると思いますが、「リッスン・イン・ジャイル」はレス・マッキャンの曲でありますな。透け透けの、パンツはレース、真っ赤、ん〜♪というような品位のない俳句は厳に慎まなければならないと思いますが、曲自体はキャッチーなメロディの、なかなかの佳曲ではなかったかと記憶しております。いかにもマッキャンらしいポピュラリティもあったのではなかったかと。が、全然記憶にないので次にまいりましょう。6曲目の「マザーランド」は、ベースのピチカートと“指パッチン”だけをバックにしたテーマ部の処理が、実にカッコいいナンバーですか?…って、聞かれても困るとは思いますが、僕も言い切るだけの自信がありませんでして。。。全体の印象としては、ベタな形容をすれば「安っぽいギャング映画みたいな」といった感じのナンバーではなかったかと思います。
はい7曲目。リロイ・ヴィネガーがカール・パーキンスに捧げた「フォー・カール」は本アルバムのハイライトと言えるでありましょう。前作『リロイ・ウォークス』にピアニストとして参加していたカール・パーキンスは、ご存知の通り交通事故で夭折しちゃうわけでありますが、そんな彼に捧げられたナンバーとしては何と言っても「それにつけてもおやつはカール」が有名ですよね。個人的には「うす味」が好きなんですが、いや、カレー味も嫌いじゃないんですけどね。チーズ味はちょっぴりウンコ臭いので、あまり好きではありません。…って、カール・パーキンスが出てくる度に、いつも同じネタを書いてるような気がしますが、こういうのを「とっておきのネタ」と言うわけですね。何もわざわざとっておくほどのネタかぁ?という気がしないでもないんですが、「フォー・カール」は実にしみじみといい曲でありますなぁ。ピアノが主導するメロディにホーン・アンサンブルとヴァイブが絡むテーマ部は、何とも言えず「死んじゃった友達を偲んでいるんだなぁ。。。」ということを感じさせ、胸がキュンと痛くなっちゃいますね。だってぼく、狭心症なんだもん。だから時々、脈だって止まっちゃう。ということで、サビの部分はヴァイブ主導でありますな。死んじゃった友達を偲ぶには、やっぱヴァイブで昇天って感じぃ?ということなんでしょうか。で、またピアノ主導にアンサンブルが絡む形式に戻って、テーマ部はおしまい。で、続いてはエドワーズのソロとなります。カール・パーキンスとテディ・エドワーズと言えば初代ブラウン=ローチ・クインテットで同じ釜飯を食べた中でありまして、その思い入れはひとしおであろうと思われますが、決して感傷に溺れることなくワイルドに迫るそのプレイは彼の生き様を彷彿させ、秀逸です。いや、どういう生き様なのか、よくはワカランのですけどね。
で、続くフェルドマンのソロはサビのメロディを最初に持ってきて、それをフェイクする感じでプレイを発展させていくという、いわゆる“サビメロ・フェイク・プレイ”で、大いに持ち味を発揮しております。それに続くフレディ・ヒルのソロはサビのメロディを最初に持ってきて、それをフェイクする感じでプレイを発展させていくという、これまた“サビメロ・フェイク・プレイ”で、大いに持ち味を発揮しております。このあたり、アドリブとアレンジとのバランスが絶妙でありまして、いくら黒人主導と言え、さすがはウエスト派だなぁ。。。という感を強くしました。ということで、ラストです。「動かして分配」はエドワーズのオリジナルで、明るく正しい純正ハード・バップという感じのナンバーです。この曲に関してはまあ、だいたいそんなところです。ということで、やっぱりヴィネガーは酢だなぁ。。。ということを感じさせる1枚でありました。