【アルバム名】
THE MODERN JAZZ SEXTET (VERVE)
【リーダー名】
DIZZY GILLESPIE (1956/1/12)
【パーソネル】
DIZZY GILLESPIE (tp) SONNY STITT (as) SKEETER BEST (g) JOHN LEWIS (p)
PERCY HEATH (b) CHARLIE PERSIP (ds)
【収 録 曲】
TOUR DE FORCE / DIZZY MEETS SONNY / OLD FOLKS ~ WHAT'S NEW /
HOW DEEP IS THE OCEAN / MEAN TO ME / BLUES FOR BIRD
【内   容】
 今日はちょっとわけがあって、会社まで電車で来たんですけどね、まだ大学が始 まっていないせいか、えらく空いておりました。いや、空いていると言っても座れるわ けじゃなくて、立っていても他人と密着せず、新聞紙だって余裕で広げて読めちゃうも んねー。といった程度の混雑度でありまして、ひさしぶりに“背中合わせに密着して立 っているOLさんの背中から伝わってくる体温を感じながら、ああ、生きてるっていい な♪という実感を味わう初秋の通勤電車”というシチュエーションを期待していた僕と しては、少々拍子抜けでありました。ただ、桑名駅前行きのバスを降りるとき、歩道を 走ってきた“けった通学女子高生(2名)”とチラッと目があったのが収穫でありまし たが、そもそも通勤・通学電車における混雑度、及び“ぎゃる”含有度というのは4月 の新学年の始まりと共にピークを迎え、次第に漸減する傾向にあるんですが、これは恐 らく次の3つの要素が大きく作用しているんじゃないかと思うんですけどね。すなわち
 
(1)他の交通手段への転換
(2)乗車時間の分散化
(3)グレちゃって退学、登校拒否
 
 (1)の“交通手段の転換”というのは電車で通勤していた人が車通勤に変えた り、“けった”にしてみたり、キックボードやローラースルーゴーゴーでGO!という 手もあるな。。。ということで電車に乗らなくなった例でございます。いつから電車に 乗らなくなるかというと、「とりあえず3ヶ月。」ということで買った定期券が切れる とき、すなわち7月の始めからという人が多いのではないかと思うんですけどね。で、 この“7月の始めから”というのにはもうひとつの要素があって、6月の梅雨時のじめ じめした蒸し暑い車内に嫌気がさして、こんな暑い電車に真夏に乗るのは嫌けぇ?うん 、嫌けぇ。ということになって、じゃ、7月からは電車はやめてクルマにしよう。夜、 寝るときに穿くのもジャージはやめてブルマにしよう。とサラリーマン1年生は考える わけですね。で、ある日、朝寝坊してあわてて“スーツの上着にブルマ”というスタイ ルで通勤してしまい、先輩OLから“ブルマーたかし”っていうあだ名をつけられちゃ う新入社員が、毎年7月を過ぎると必ず1人は出てくるのよねぇ。。。という会社があ ったとしたら、それは相当にヘンな会社です。サラリーマンやOLというのは意外と狭 い社会で生きているものでありまして、“我が社の常識は世間の非常識”ということを 肝に命じておきましょう。
 
 続いて(2)の“乗車時間の分散化”。新入社員や新・高校1年生というのは、 4月の頃はまだ通勤・通学事情に精通してなくて、まだ慣れてないものだから、どうし ても余裕をみて早めの電車を利用することになります。“はぢめてで慣れてないと、は やい。”というのはどんなシチュエーションにでも当て嵌まるものなんですが、次第に 慣れてくるにしたがって、もう1本遅らせても大丈夫かな?そのあとの電車でもイイみ た〜い。ということが解ってきて、“ぎりぎり”への果てしなき追究が始まるわけでご ざいます。この“ぎりぎりへの道”は、女子高生のスカートが次第に短くなっていく過 程と照らし合わすことが出来るわけですが、すなわち、まだいいかな?もう5センチ短 くしてもパンツは見えないよね?という試行錯誤の上、あの“ぎりぎりの長さ”に至っ たわけでありますが、サラリーマンやOLにも同様の“ぎりぎりの電車”というのがあ って、その飽くなき追究の結果、乗車時間の分散化という現象が起こるわけであります な。
で、“ぎりぎりの電車”を探り出す過程で、必ず1度は欲張り過ぎて「あ〜ん、遅 刻しちゃったのぉ。。。」という失敗をするものでありまして、こうして人はオトナに なっていくのでありますが、同様にスカートを短くし過ぎて「あ〜ん、パンツ丸見えに なっちゃったのぉ。。。」という女子高生がいてもいいと思うんですが、どういうわけ だか街ゆく女子高生のパンツというのは見えそうで見えなくて、見事なまでに“ぎりぎ り”なんですよねぇ。。。ということで、(3)については割愛。
 
 近鉄・名古屋行き急行は思ったよりも空いていてちょっと期待外れでありました が、今度は地下鉄であります。私が利用している桜通り線というのは、平行して走る東 山線に比べるとまだ空いているほうなんですが、今日のホームはずいぶんと混雑してお りました。で、列車待ちの列の中にセーラー服女子高生を約1名発見っ♪なんとか車内 で彼女に接近出来るような好位置をキープしようと頑張ったんですが、列車の到着と同 時に人並みに流されて目的を果たせず、がっかりしながらふと前方に目をやると、おっ さんを約1人分はさんだ前方に、23歳くらいのぽちゃっとしたショートカットのかわ いい“ぎゃる”がいるではありませんかぁ。となると、ことさら女子高生に拘泥する必 要もないわけで、それにしても“おっさん約1人分”が邪魔やなぁ。。。と思っている うちに列車は名古屋から2つめの“丸の内”に到着。人の乗り降りに乗じてさりげなく 背後に忍び寄った私は、ついに彼女の背中の体温を感じられるところまで接近すること に成功したのでありました。次の“久屋大通り”まで約90秒、至福のひとときであり ました。おしまい。
 
 @ ということで、今週からトランペット編をお届けしようと思うんですが、爽 やかさのカケラもない前半部分でしたな。これではまるで、パンツと背中のぬくもりに しか興味のないフェチ系のおっさんであると誤解されかねませんが、今回紹介する『モ ダン・ジャズ・セクステット』というのも誤解を招きかねないタイトルでありますね。 例えば私がこのCDをレコード屋でレジのねえちゃんに呈示したとすると、レジのねえ ちゃんはジャケットに書かれた“SE・・・”の部分を見て、心の中で「まぁ。。。」 と思うに違いありません。続いてイラストに目を転じると、そこにはおっさんばかり5 〜6人の姿が描かれていて、中でも右下のロイド眼鏡のおっさんは、怪しげな器具を手 に歓喜の表情を浮かべたりしております。ねえちゃんは黙って「・・・。」と事務的に レジを打ちはじめるわけでありますが、その沈黙の裏では、フケ専ホモ乱交・器具多数 ・・・という情景が渦巻いているに違いありません。あわてて僕は「いいよね、ディジ ー・ガレスピーって。」というようなことを呟いて誤解をそらそうとするんですが、あ いにく彼女はジャズには疎くてガレスピーなんか知らないもんだから、「まぁ、出痔、 切れ過ぎぃ。。。って、そんなに激しいのぉ?」と、ますますあらぬ誤解を生むことに なるわけです。で、このアルバムは特定のリーダーがいないジャム・セッション物なん ですが、ジャケットのイラストの目立ち具合から判断すると、ガレスピーが実質的なリ ーダーであると判断してもあながち間違いではないのではないかと思われます。ジョン ・ルイスも同じくらい目だっているので、ガレスピーとルイスの双頭コンボと考えるこ とも出来るかも知れませんが、そういえばジョン・ルイスはガレスピー楽団の出身です よね。で、もうひとりの主人公はソニー・スティットでありまして、ここまではイラス トを見ても「あ、○○やな。」と解る仕掛けになっているんですが、パーシー・ヒース になると顔がむっちゃテキトーだし、チャーリー・パーシップやスキーター・ベストに 至っては、辛うじて人間であることが判別出来る程度のテキトーさになっております。 とまあ、前置きがずいぶん長くなっちゃいましたが、んじゃ、1曲目から聴いてみまし ょうね。
 
 「トゥアー・デ・フォース」はガレスピーのオリジナル。岩浪洋三先生の日本語 ライナーによると、タイトルは「はなれ業」とう意味らしいですが、職業「はなれ業」 というようなワケのわかんない業種のことではなく、「はなれわざ」でしょうね、多分 。ザウルス内蔵の辞書にもちゃんと
 
tour de force:<フランス語> 離れ業、偉業、力作、大傑作
 
と書いてありました。ミディアム・テンポのメロディアスなナンバーなんですが、 パーカーと違ってガレスピーはわりと解りやすい曲を書きますよね。で、アルトとトラ ンペットのユニゾンによるテーマはビ・バップというよりもハード・バップ的な仕上が りなんですが、続いて登場するスティットのソロはバリバリ全開に“ビ・バップ的”で ありまして、本アルバムでも最大の聴きものとなっております。スティットの数多い吹 き込みの中でもベストといっていいプレイじゃないでしょうかね?迷いのないストレー トな吹きっぷりは軽快、壮快、東シナ海といったところですが、軽快、壮快、瀬戸内海 のほうが語呂がよかったですかね?ま、いずれにせよ、ちっとも面白くないから、どち らでもいいんですけどね。で、ソロ2番手はガレスピー。この人、名前が知られてる割 には日本ではあまり聴かれてないような気がしますが、やはりプレイに今ひとつ真剣味 が感じられない点がストイックな“じゃぱーにーず・じゃず・ふぁん”のハートをGE Tするに至らないんでしょうかね?聴かれてないと言えば“M.J.Q”を離れたジョン ・ルイスもあまり聴かれてないような気がしますが、やはり黒さを感じさせないところ が一因でしょうか?ここでも端正なソロを聴かせておりますが、ジャズ的なスリルは無 きにしもあらず。。。続くスキーター・ベストのギターは、はっきり言って期待度ゼロ だったんですが、ブルーな味わいがあって、意外と悪くなかったです。ジャケットでは “辛うじて人間であると判断出来る程度”でしたが、演奏ではきっちりと存在感を示し ております。ギターのソロにホーンが絡むアレンジも見事で、このあたりはハード・バ ップ的でありますな。とか書いてるうちに後テーマになって、エンディング。11分4 2秒という長尺演奏ですが、少しもダレることがなく、毛出しモロ出し、いや、蓋し名 演でございました。
 
 2曲目の「ディジー・ミーツ・ソニー」もガレスピーのオリジナル。タイトルの とおりスティットとの共演のために書かれた曲でありまして、火の出るような超アップ ・テンポの、燃えあがるようなナンバーでございます。ソロ先発のスティットはここで も絶好調で、本人が好むと好まざると、まさしく“パーカー・ライク”というべきプレ イを披露しております。ガレスピーもこれくらいのテンポになると“おふざけ路線”に 走る余裕はなくて、わりと真剣に頑張ってますね。続くジョン・ルイスは洋三センセー 言うところの“ユーモアのセンスがなんともいえない”ソロを披露して、演奏はスティ ットとガレスピーの4バースへと突入します。一言、熱いぜ!といったプレイでありま すが、はい、ここで気分転換にバラード・メドレーをどうぞ。「オールド・フォークス 」はスティットをフィーチャーしたナンバーで、パーカーばりの細かいフレージングと 、パーカーより遥かに“ベタ”なフィーリングが泣かせる名バラードとなっております 。続く「ホワッツ・ニュー」はジョン・ルイスをフィーチャーしたナンバーで、ルイス のブルーなフィーリングがよく出た悪くない演奏だと思います。この人、個人的にはバ ラードを弾かせたほうがイイ味を出すような気がするんですけどね。で、メドレーの最 後「愛は海よりも」ではガレスピーをフィーチャー。暖かみに溢れたトーンは年の頃2 3歳くらいのぽちゃっとしたショートカットのかわいい“ぎゃる”の背中の体温を感じ させ、至福のひとときでございますな。で、4曲目はスタンダードの「ミーン・トゥ・ ミー」。かつて工藤静香は
 
  ミーン・トゥ・ミーで通じ合う〜 そういう仲になりたいわ〜♪
 
と歌っておりましたが(←歌ってねーよ。)そういう、MUGO・ン…色っぽい的 な歌物でございます。スティットのアルトにガレスピーが絡むテーマ部のアレンジが面 白いですな。で、ソロ先発はガレスピーなんですが、洋三センセー言うところの“ロイ ・エルドリッジのプレイを思わせる”プレイがロイ・エルドリッジを思わせて、良好で す。続くスティットは相変わらずの絶好調鰤で、この日の彼ってば何かイイことでもあ って、よほど御機嫌が麗しかったのでありましょうか?スタジオに来る途中、地下鉄で かわいいギャルに接近出来たとか?
とか書いてるうちに最後の曲ですね。「ブルース・フォー・バード」はガレスピー とスティットの共作で、タイトルどおりパーカーに捧げられたスロー・ブルースでござ います。曲は、トランペットとアルトが交互に吹くパートからはじまり、ジョン・ルイ スのもの哀しいピアノ・ソロとなる@日本語ライナーまる写し。さすが本職だけあって 、うまいこと書くもんですなぁ。で、続いてスキーター・ベストのソロになるんですが 、そのアーシーでブルージーなプレイは本アルバムでのスキーター・ベストのベストな ソロと言えるでありましょう。で、出痔・切れ過ぎぃのソロがあって、締めはやはりス ティットでしょう。いや、締めにシメサバというのも捨て難いんですが、体質によって は蕁麻疹が出たりしますので、ここはやはりスティットに締めてもらいましょう。この 人“パーカーのコピー”とか言われるのが嫌で、パーカーの生前はテナーに専念したり 、千年灸を据えたりしてたんですが、ここではアルトによるふっきれたブルース・プレ イを披露しております。
 
 ということで、以上、とってもいいアルバムでした。おわり。


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