人の性格を見抜くシリーズ・その5         
                                                                                  

 
 (改定版2007/12/21) 
 
  思い出は、性格タイプをあぶりだす
1 
           
先生の思い出
1 よく記憶している「説教」

 ある小学校で、盗難事件が起きました。犯人探しなどがあり、
一時は騒然となりましたが、幸いにも大事にはいたらず鎮火しま
した。担任教師は、クラスの子どもたち全員に向かって、「正し
い行いをすべきである」と強く叱責したようです。

 これは、ある30代になる男性の小学生の頃に起きた実際の出
来事です。男性はタイプ1で、この教師がよくお説教していたこ
とを覚えていました。2年間、同じ教師から毎日のように説教さ
れたそうです。しかし、記憶に鮮明に残っているのは、上記の言
葉だけだったと話してくれました。 
              
 タイプ1は「正しい行いをするべきで、間違いは少しであって
も許されない」という価値観があり、そのために日々、自分の言
動をセーブしているという気質です。ですから、「正しい行いを
すべきである」と教師から説教されたならば、インパクトが強い
でしょう。終生、忘れない可能性もあり、記憶に深く刻まれやす
いのです。

 タイプ1の子どもの心に真っ直ぐに入り込みやすいのは、本人
に元々にある「傾向」であり、つまりは「気質」と一致した場合
ではないか考えられます。

 さて、クラスの他の子どもたちは、同じ場にいて、問題を共有
しているかに見えます。しかし、他のタイプの子どもにとっては、
大した意味のない説教になるでしょう。翌日になったら忘れてし
まう子は確かにいるのです。 
  
 なお、この事例は、防御タイプ(7・1・4)に記憶されやす
いかもしれません。それは、タイプ1と共通の性格を持っている
からで、真面目で完璧主義、そして優等生気質があるためです。
次に、ウイングに1のあるタイプ(2w1・9 w1)で、このウ
イングが重い子どもたちにも深く記憶として刻まれる可能性があ
ります。

             
2 日記に書いたこと 
                           
 ある中学生女子が、養護施設のボランティア活動に参加しまし
た。施設で働く医師や看護人などと語らいの機会があり、その時
にいろいろな問題点があると知りました。その中で印象的なこと
は、「無知が原因で、助かるべき命が助からなかった」というお
話だったそうです。その夜、この女子は「無知は絶対にいけない
ことだ」と、日記に書き込みました。

 実は、この中学生女子は現在では20歳の大学生で、タイプ5
に該ります。施設に起きたいろいろな問題の中には、「無知」が
原因ではないものがあったはずです。しかし、彼女にはそのこと
が最重要なことになっていました。つまり、タイプ5の気質が、
それを取り入れたのであり、インパクトが強かったので、日記に
も書き留めたのではないでしょうか。

 無意識に選択していたのは、生来の気質にある「傾向」だから
と考えられます。タイプ5にとって、「賢さ」こそが最も価値の
高いものですから、この娘さんにとっては、ごく当たり前のこと
でしょう。

 なお、これはタイプ5にとっての、後退の方向にあるタイプ7
にもよくある傾向です。次に、ウイングに5のあるタイプ(4w
5・6w5)も、同様な価値観があります。
 日記は、その日にあったインパクトの強いものを書くことが多
いので、性格的な傾向を読み取れるのです。そして、この女生徒
とともにボランティアに参加した他の生徒たちは、別の問題点に
着目していたかもしれません。あるいは、そのようなことに全く
関心がなかった生徒がいて、翌日にはほとんど忘れてしまったで
しょう。 
  

3 躾けられた記憶
                       
 ある女優の手記の中で書かれていたことです。「私の両親はと
もに働いていたので、祖母に育てられたんですが、祖母がとても
厳格な人だったんです。ちょっとでもハシャグと“そんなおバカ
さんみたいにお調子に乗るんじゃありません”って叱られる。お
調子に乗る表現の仕方を覚えないままに、おバカさんのすること
なんだって植えつけられてしまったんですね。」 
                       
 厳格な祖母ならば、いろいろと厳しい躾けをしたはずではない
でしょうか。礼儀作法や日常の生活ぶりなど、さまざまなことで
注意を受けたと考えられます。しかし、この女優は、「おバカさ
んみたい」と祖母に言われたことが脳裏に植えつけられました。 

 どうやら、この女優は「おバカさんに見られたくない」という
意識が強い気質なので、その注意が記憶としてよく残ったと考え
られます。この女優はタイプ3に該り、有名になりたい、有能に
見られたいという欲求が強いタイプです。

 また、タイプ3は「次男気質」といい、いわば「永遠の少年」
でもあります。少しお調子者になることはありますから、お調
子にのりそうな自分を無自覚で、なんとなくわかっていて、自戒
した出来事になっていると考えられます。

 先に取り上げたタイプ5の「無知」を嫌うのと、タイプ3の「
おバカさんに見られたくない」は、一見、同じことのように見え
ます。しかし、タイプ3の方には「お調子に乗るんじゃない」と
後に続きますから、内容的には全く違うものと考えられます。ま
た、タイプ5の子どもは、ハシャグこともなくお調子に乗るよう
なこともありませんから、そのような注意を受ける可能性はあり
ません。
                        
                   
4 ほめられた思い出   
                      
 日本映画「愛を乞う人」はタイプ2の女性が主人公の物語です。
原作は、群ようこさんが書いたもので、タイプ2と判定していま
す。主人公は母親に虐待されて育ちますが、母親に一度だけ褒め
られたことがあります。そのことが、主人公の脳裏に印象深く記
憶されました。

 この作品は、著者自身の体験であり、ほぼ実話らしいのですが、
母親の髪をといて、たった一度だけ母親にほめられたので、美容
師になろうかとまで考えたそうです。タイプ2にとって、人に役
立ち、そのことでほめられるなどは、インパクトのある出来事な
ので、鮮明な記憶として残るでしょう。  
                 
 同じような例が、詩人で死刑囚でもある島秋人さんの書簡にも
ありました。彼は貧しい境遇で体も弱く、小学校もろくに通うこ
とができず、周囲の人から「ボンクラ!」「アホ!」と言われ続
け、自分に誇りを持てずに成長したようです。不幸な生い立ちが
彼を追い詰めて、強盗殺人の罪を犯しました。しかし、刑に服し
ているうちに歌を詠むことを覚えました。

 その彼の記憶の中で鮮明に残っていることが、人生のうちでた
った一度、自分の絵を褒めてくれた教師がいたことでした。島秋
人はタイプ2と判定できることは、詩や歌や書簡から読み取るこ
とができます。

 タイプ2は、教師などにほめられたことがあり、それがたった
一つの自分の価値の高さを示していたなら、その一つの事実にす
がりつきます。タイプ2にとって、父親や教師という権威者から
ほめられることは、最高にうれしく誇りにもなるでしょう。なお、
これは、タイプ1やタイプ6にもある傾向です。
          

5 欲しい物を買ってもらえなかった思い出
                    
 ある中年女性が、母親との思い出として、とくに記憶に残って
いることを話してくれました。それは小学校一年生の頃のことで、
どうしても欲しいと思う物があり、誕生日用にと、母親にねだっ
たそうですが、買ってもらえませんでした。彼女は悲しくて、幾
度も母親にせがみましたが、母親は根負けしたのか、やがてクリ
スマスプレゼントとなり、願いが叶ったようです。

 この女性はタイプ7ですが、タイプ7にとって、母親に欲しか
ったものを買ってもらうことが最大の幸福になります。従って、
最も悲しい思い出は、母親にねだっても買って貰えなかったこと
になるでしょう。この女性にとって、二つの出来事は記憶に深く
刻まれるものです。
 タイプ7にとって、物を母親にねだることは、母親の自分への
関心をひきつける最も効果的なものです。あるいは、母親の愛情
をこれで確かめているとも言えます。従って、子どもの頃の記憶
として、買い物の場面は脳裏に刻まれやすいと考えられます。こ
れに関連した記事は、以下のサイトにあります。

    http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-1~/15-8.htm

                    
6 母親の思い出 
                    
 ある二十代の女性が、子どもの頃、母親から命令されたことが忘
れられないと語りました。遠足の日に着ていく服装のことで、母親
から「絶対に着なさい!」と命令されたようです。赤い色の服で、
自分には似合わず着たくないのに、母親に強制されたと語りますが、
そうしているうちにも、涙が出て止まりません。そこで、その頃の
父親の様子を尋ねましたが、父親のことはほとんど記憶にないと言
います。

 この女性はタイプ4に該り、タイプ7と同様に、母親への関心が
高く、父親のことは記憶に残りにくい傾向があります。仮に、娘が
辛く悲しい思いをしているのに、父親は全く気づいておらず、守っ
てもくれなかったとしても、タイプ4にとって、父親非難は起きにく
く、非難は母親に集中します。それが、タイプ4と7にしばしば起
こる現象なのです。

 別のタイプ4の女性も、父親が痴呆症を患っており、心配だと語
りましたが、その父親の正確な年齢は知らないという有り様です。
つまり、タイプ4にとって、母親の存在は大きいために記憶に残り
やすいのです。また、タイプ4は母親や、その他の人からコントロ
ールされる恐怖心がありますから、母親が強制していなくとも、「
強制された!」と受け取りがちです。

 例えば、あるタイプ4の女高校生が不登校気味で、母親はとても
心配していたようです。その上、風邪をひいたらしく食事を摂ろう
としないので、母親が栄養のある食事を幾種類も用意しました。そ
の中で一品ぐらい、娘が食べたくなるものがあるかもしれないと考
えたのです。ところが、母親の気持ちは、タイプ4の娘には通じな
かったようです。
 「食卓にある食事を全て食べろ!」と母親から命じられたと取り、
カァッーとなって、食卓にあった食事を全て、ゴミ箱に捨ててしま
いました。後から、誤解に気づいたようですが、その事件は20経
っても、娘さんの記憶に残りました。お節介な母親は、タイプ4に
とって、なかなか付き合いにくい人間のようです。これに関連した
記事は以下のサイトにあります。

  http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-1~/15-9.htm

                         
7 記憶のされ方に違いがある   
                       
 私たちは周囲の大人たちから、いろいろなことで注意を受け、あ
るいは叱られたり諭されたりして育ちます。そこで、自分の現在の
性格は、親や家族や教師たちの影響によるものだと見て、記憶を辿
ります。あの時にあのような注意を受けたから、自分はこのような
性格となり、このような価値観を持つに至ったのだと考えます。し
かし、本当にそうなのでしょうか?

 たとえば、(1)で紹介しているように学校の教師はクラスの子
どもたち全員に、注意したり説教しています。しかし、翌日にはす
っかり忘れる子どもがいます。一週間くらいは記憶に残っている子
どももいるでしょう。そして、一生忘れられず、自分の人生訓にし
た子どもも存在します。  
                          
 これは、二才の乳児であっても同じです。ちなみに、二卵性の双
子の乳児で、一人はタイプ1で、もう一人はタイプ2でしたが、親
に叱られても、同じような影響を与えていません。タイプ1の子ど
もは、2時間あまり激しく泣きじゃくり、その後の様子も元気とは
言えませんでした。しかし、タイプ2の子どもは、一分ほど泣いた
と思ったら、すぐに、双子の兄を心配そうに眺めているのです。そ
して、兄の涙を拭こうとさえして、明らかにタイプ2の母親気質が
見えました。ただし、一卵性双生児は同じタイプですから、親から
の影響はほぼ同じになるでしょう。
                         
 同じ両親に育てられても、タイプ4と7の乳児は母親から叱られ
ると、緊張したり青ざめます。母親の叱責のほうが効果があるので
す。しかし、タイプ1の乳児は、父親から叱責されると震え上がり
ます。

 両親のどちらが叱っても、ほとんど効果がなく、悪いと思ってい
ない様子がありありと見える子どもがいます。それは攻撃タイプに
よくある傾向です。「謝りなさい!」と親に言われると、「うるさ
いから謝っておくか」という程度で、親を怖がる様子がほとんど見
られません。 
                           
 その違いは、一体、どこからやって来たのでしょうか? 生まれ
た時には、既に、何かが違っていたのです。従って、後天的に形成
されたものではないと考えられます。そして、記憶されるものと、
記憶されないものがありますが、どうして、そのような違いが起き
るのでしょうか? これもよくよく考えると、不思議なことです。
記憶装置のメカニズムはまだ解明されていません。

 ただ、思い出をたどっていくと、そこに、そのタイプらしさがは
っきりと映し出されているのです。

      

 
・あが罪に貧しく父は老いたまひ 久しき文の切手さかさなる

・ほめられし事をくり返し覚ひつつ 身に幸多き死囚と悟りぬ

・温もりの残れるセーターたたむ夜 ひと日のいのち双手に愛しむ

・妹の嫁ぎし事をよろこびつつ われに刑死の日は迫るなり

・この澄めるこころ在るとは識らず来て 刑死の明日に迫る夜温し

・土ちかき部屋に移され処刑待つ ひとときの温きいのち愛しむ


 1967年、島秋人さんは最後に、美しい短歌を残して逝きました。
近年、死刑制度は次々と各国で廃止されていますが、日本にはまだ
野蛮な制度が残っています。島さんの思いを多くの人に知って頂き
たいと、ここに短歌を掲載させて頂きました。島秋人さんに関して
知りたい方は以下のサイトをお読みください。

      http://yabusaka.moo.jp/simaakito.htm