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                         2005/07/20
 
「9」という数に関する雑学 

 
 
1 「9」は、究極

 
 今回は、「9」という数に関することなら何でも、雑多に詰
め込んでご紹介したいと思います。


 
 日本での「9」は、「苦」に通じるためか、また「窮する(き
ゅう)」に通じるのか、あまり好まれていません。現在でも病室に
は、9の付く部屋が無いところ
あるそうです。

  しかし、「9」を「く」「きゅう」と読むのは漢音であり、日本古来の
数え方は、ヒト・フタ・ミ・シ・イツ・ム・ナナ・ヤ・ココ・トオです。「く」
や「きゅう」ではなく、「ココ」です。幼児に覚えさせるために、
「ココノツ」と言っているだけです。

 「九」は縁起の悪い数と言いますが、それは語呂合わせ的という
か、ダジャレみたいなもので、あまり意味のないものではないでし
ょうか。日本古来の数え方ならば、なんら問題は無いと思われます。
しかし、中国では、吉の数になるようです。

 
「10進法では、10が頂点にあるのですが、中国では“満つれば欠
くる”という哲学上から、それを極みとするのは好ましくないとさ
れ、九を満ちた数の極みとしたのです。それゆえ、天の数、天子の
数として神聖視しています。また九の意味に「集まる」とか「完成
させる」という内容を持たせるようになっています。ひいては、九
は最高の徳を表わす数として、最も丁重に客を迎えるときの礼は、
「九献」をします。後に日本の文化と同化して、九献は結婚式の三
三九の盃となった」
      
…以上は蒲田春樹氏著「暮らしの伝承」朱鷺書房より

 お隣の韓国でも、「九」という数字は「全て」という意味があり、
「九族」と言えば「全人民」を指し、「九重天」は「宇宙」を意味
しているそうです。
 欧州などでも繁栄の数とされて、吉の数とされることが多いと伝え
聴いています。西洋のヘブライでも「9」を聖なる数と見ているそう
ですが、事実なのか確かめようと調べてみましたが、まだ見つかっ
ていません。 

 ところで、「九」という字は、腕を曲げた形の象形文字であると
いう説があります。「字通」という著書で著名な白川静氏は、虫形
か蛇龍形の象形文字ではないかという説で、確定しているのではあ
りません。

 腕を曲げた肘のような形であるなら、「究」は「穴+九」ですか
ら、腕が穴の奥のほうまで行くので、「奥をゆきづまるほどに探る」
という意味ではないかという考え方になるようです。

 なお、エニアグラムのエニアがギリシャ語の「9」に当るそうな
ので、そうなると、著書である「究極のエニアグラム」とは、なか
なかに良いタイトルのよう思われます。ちなみに、これは編集者が
考えたタイトルで、著者ではありません。


 2 数は宇宙を支配する?

 
中学生の頃に「ピタゴラスの定理」を教えられたことを覚えて
いる人は多いのではないでしょうか。ピタゴラスは、紀元前6世紀
半ばの古代ギリシャで、数学だけでなく、哲学や自然科学を教えて
いた人と
伝えられています。

 ピタゴラスは、「この世のものはすべて数字で表わすことができ
る。その数字の真の意味を理解すれば、その背後にある隠された真
実を知ることができる」と説いたようです。

 つまり、「数は宇宙を支配する」という考え方をしていたようで、数と
いうものに凝ったので、現代ふうに言うなら「数のオタク」なのかもし
れません。
 
 奇数と偶数に分類したのはピタゴラスが最初だといわれています。
奇数のほうが優れた数のようで、ピタゴラスは男性なので、当然の
ごとくに奇数を「男性数」、偶数は「女性数」にしています。それ
ゆえか、正5角形がお気に入りで、5を重用していたようです。

 このように、数にもとづく世界観・自然観を持ち、数の秘密を解
けば世界が分かると考えた人は多く、「
数秘学(ヌメロロジー)」
として発達しました。そして、数秘学
の研究は、占星術とも結びつ
いて「数
秘術」となったようです。

 
エニアグラムも9つの数があり、「宇宙と生命のシンボル」と伝
えられています。ピタゴラス学派も幾つかの図形を考案しており、
この学派とエニアグラムはどこかで関連しているように思われるの
ですが。


 
3 占いに重用された「9」

 
ユダヤ民族に伝えられて来た「カバラ数秘術」は、数そのものに
意味があるようで、誕生日の数で人の運命を占うことができるとい
う考え方をしています。
 カバラでは「9」はイエソドといい、「基礎」という意味があるようです。
また、「9」は完成を表わす数で、不思議の力のバランスを宿すと書
かれているサイトもありました。

 中国にも「九星占星術」があります。
古代「禹」の時代に川の氾
濫が起きて、川底から現れた亀の甲羅に刻まれていた「魔方陣」

模様から編み出されたと伝えられています。

 魔法陣はよく知られていますが、1から9の数字を配して、縦横
斜めのどの列の和も、全て15になります。昔の中国の人たちは、
これを不思議で神秘的なものと考えていたらしく、これに方位を当
てて、吉凶の判断に使われるようになったようです。

 それが日本にも伝えられ、また日本独自に発達もして、明治頃から

「九星」として、暦にも使われるようになっています。生まれ歳によっ
て運勢が違うという考え方です。

 なお、
九星とは、一白水星・二黒土星・三碧木星・四緑木星・五
黄土星・六白金星・七赤金星・八白土星・九紫火星の9つです。実
際の星とは無関係で、数理的にこの九つの星が万物の現象を表
しているのだそうです。
 

 
インドにも「九星占星術」があり、運命を占ってもらう慣習が根
強くあるそうです。なお、西洋占星術は、天空にある12の星座や惑
星などで占うもので、東洋系とはまるで違うようです。

 ところで、生まれ歳が同じであれば運勢が同じになるとは考えに
くく、誕生日が同じ人たちの運命も同じであるなど、とても信じら
れないことです。また、カバラで占ってもらい、中国占星術でも、
インドや西洋占星術などにも同時に占ってもらったら、同じ結果と
なるのでしょうか? 

 インターネットには、さまざまな占いサイトがありますが、試み
にトライしてみたら、回答されたことは皆がみな違いました。人々
の不安な気持ちが、このような占いを発達させたものと考えられ、
理解できないことではありませんが…。

 ちなみに、当サイトにも過去に西洋占星術に関するものを掲載し
ています。以下のアドレスです。好評らしく、一度はお読み頂け
ればと思います。

  http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-201~/15-213.htm


 
4 仏教でも「9」は重用されている

 仏教は、インドから中国を経て日本に伝わっているためか「
九」という数がよく登場します。たとえば、数珠(じゅず)の珠
の数は108個・54・36・27というように、
9の倍数です。お寺の屋
根のてっぺんには9個の輪がつく九輪があります。

 また、平安時代、
政治の乱れや災害などが続き、この世は終わ
りになると流布されたそうです。現代でも、そんな説法をして信
者を集めている宗教団体があります。

 1052年(永承7)末法(まっぽう)の世に入ると言われて、社会
不安は高まり、
阿弥陀如来(あみだにょらい)が人々を救ってく
れるという浄土信仰が盛んになりました。

 なかでも、「観無量寿経」の説く、九品往生(くぼんおうじょう)思
想は、貴族だけでなく庶民たちにもよく知られていたとあります。

 この思想は、人間には品格というものがあり、上品から下品まで
9つの段階があり、それに対して阿弥陀仏の迎え方が九通りあると
いうものです。

 そして、藤原時代には、どの段階で現世を終わった人でも極楽浄
土へ往生できるようにと願って、九体仏(九品仏)を一堂にまつる
ことが流行ったようです。

 おおまかには上品と中品と下品と別けられ、それをまた3種類に
別けられるとみるものです。ちなみに、上品とか下品などという言
葉も、この九品思想から使われるようになったと聴いています。

 
    
上品上生(じょうぼんじょうしょう)  
     
上品中生(じょうぼんちゅうしょう) 
     
上品下生(じょうぼんげしょう)    


     
中品上生(ちゅうぼんじょうしょう)
        
中品中生(ちゅうぼんちゅうしょう)
        
中品下生(ちゅうぼんげしょう) 

        
下品上生(げぼんじょうしょう)
        
下品中生(げぼんちゅうしょう)
        
下品下生(げぼんげしょう)


 なお、奈良近くの浄瑠璃寺や宇治平等院鳳凰堂には、この九
品仏
があるというので、出かけて参観してみました。その折に知ったの
ですが、九品仏が安置されている寺院は、その時代の京都には、33
寺も在ったようです。

 なお、
以下に宇治の鳳凰堂に在る九品往来図が掲載されています。
 
http://www2.kyohaku.go.jp/tokuten/elegance/eleg7j.htm

 
その他、九品寺、九品院という名の寺も各地にあります。そし
て、仏像を見ると両手の形や位置などさまざまに違いがあること
に気づきます。それを印契(いんげい)とか印相といい、略して
「印」と呼ぶこともあるそうです。

 さまざまな印契がありますが、「阿弥陀の九品印」と言われる9つ
の形の印も伝えられています。

 空海が開いた真言密教の総本山は、高野山の金剛峯寺です
が、
寺には九品曼荼羅図(九会曼荼羅くえまんだら)があります。
これに関しては、既に以下のように公表しています。

 
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-201~/15-214.htm

 余談ですが、昨年(2004)に「空海と高野山展」が名古屋市内
で開催され、空海の直筆が展示されておりました。空海は三筆
(書道史上3人の優れた書家)のうちの一人ですが、直筆とされ
ている字を見たら、「これは、ただ者ではない!」と、思わず唸
ってしまうほどであったと報告したいと思います。


 
5 いろいろなところで見つかる「9の世界」

 
中国は九を聖なる数と思っていたためか、いろいろなものを「
九」でまとめたり分類したがる民族のようです。次に、よく知ら
れているものだけを取り上げています。

☆人の体には九つの穴があり、九穴とは、目2・耳2・鼻2・口・
  後陰・前陰です。
☆仏教の教えのなかには、この世は九つの世界で成り立ってい
  ると言います。それは菩薩界・縁覚界・声聞界・天上界・人間
  界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界です。
☆中国には古代九つの刑罰があったようです。大辟(死刑)・宮
  (去勢)・ヒ(足きり)・ギ(鼻きり)・墨(いれずみ)・流
  (島ながし)・贖(罰金)・鞭(官吏をむちうつ)・ボク(学生
   をむちうつ)
☆九種類の穀物があるようです。稷・黍・粟・稲・麻・大豆・小豆
  ・大麦・小麦
☆九族と言えば、高祖父・曾祖父・祖父・父・自己・子・孫・曾孫
  ・  玄孫のこと。
☆九という数が縁起が良いので、中国の春節の吉祥図に蓮根など
   が喜ばれるが、それは蓮根の切り口が九穴あるからと言います。
  ちなみに調べてみましたが、真中の1穴が数えられていないよ
  うです。また、9穴とは限らなかったとお知らせします。 

 
日本で使われているものならば、まずは九州です。この呼び方
も中国の影響があったからではと思われます。九州は、現在では
7県に別れていますが、8世紀頃は西街道と呼ばれており、9つ
の国に分かれていました。

・筑前(佐賀県と長崎県)・筑後(福岡県)・肥前(佐賀県と長崎
県)・肥後(熊本県)・豊前(福岡県と大分県)・豊後(大分県)
・日向(宮崎県)・大隅(鹿児島県)・薩摩 (鹿児島県)の9つ
の国です。

 また、囲碁や将棋の最高段位は、九段ですが、それは中国から
伝来したためでしょうか? 日本棋院などに尋ねないと分かりませ
んが。

 義務教育は9年ですが、義務教育制度が生まれたのは1886年
で、その時は4年制です。1907年から、6年制となり、1947に新し
く定められて、9年制になりました。

 この先、12年制とか16年制などにもなるかもしれないと想像して
しまいます。学校嫌いな人間がますます増えていくのではないか
と危惧しています。


 
6 不捨共存の発想

 
ところで、神道(しんとう)にも、九柱の「禊(みそぎ)の神様
」がいるようです。九段階への禊ぎへの道があり、その各段階で神
様が成長を認め、最後にサスラ姫(祝詞にでる速佐須良姫)が卒業
証書を出す役目をするとあります。

 これは故・金井南龍さんという神道家が書いた小冊子に書かれて
あったもので、他の神道の本を調べてみましたが見つかっていませ
ん。金井さんの独創したものか、今となっては検証できません。

 しかし、神道には、4種類の魂があるという考えがあります。勇
猛進取な魂のを荒魂(あらみたま)、平安柔和な魂を和魂(にぎみ
たま)と呼び、和魂が不思議な働きをする場合を奇魂(くしみたま)
と言うそうです。また、人間に幸福をもたらす働きをする場合を、
幸魂(さきみたま)と称するそうです。

 魂をそのように分類できるならば、タイプ8を荒魂を持つ人とか、
タイプ9は和魂などと呼べるかもしれません。

 さて、李圭泰さんの著書「韓国人の心の構造」のなかに、九折坂
(チルジョルパン)という宮廷料理のことが取り上げられています。
この料理は9種類の原色の入った食器があって、そこに9種類の料
理を盛り付けるようになっています。

                        


 そのうちの一つが韓風のクレープで、他の8種の食べ物をクレープ
で挟んで食べます。この九折坂には深い意味があると、著者の李さ
んは言います。


 
「九折坂の底流に流れているのは、不捨共存の発想であり、世の
中の全てに独自の価値があると認めて、その価値を折衷融合して
消化する発想である」


 
エニアグラム性格学という名称を付けた頃から、どのタイプにも
価値があり、一つのタイプが欠けても私たち人間社会は歪んでしま
うかもしれないと考えさせられるようになりました。

 タイプの違い、個性の違いを互いに認め合い、他のタイプの価
値観も受け入れていくこと。どのタイプも大切だと分かり、どん
な人間でも大切な人類の一員であると分かること。

 そのままを受け入れ認めて、決して相手を変えようなどと考えないこ
と。互いに助け合い共存するように努めよと、エニアグラム図は私た
ちに語りかけているのではないでしょうか。

 差別意識や価値観の違いから、また信仰する宗教の違いから、
争いが絶えない人類です。また、貧富の格差が拡大するばかり
では、テロリストたちが根絶されるなどは不可能ではないでし
ょうか。

 そして、価値観の違う人間を変えようと考えがちですが、どう
して自分たちの価値観だけが正しいと言えるのでしょうか。他の
タイプの価値観を知ってみると、それも理あることだと分かるの
ではないでしょうか。

 当エニアグラム性格学講座は、「不捨共存の思想を学ぶところ」
であり、「九折坂料理をみんなで楽しく食するところ」ではないか
と思っております。