特集コーナー・特集シリーズ                
                                                                                                 

                    

          
9タイプの理想像・菩薩                  
                    

             
                
大日如来

 
1 人が成長したあかつきには
          
 エニアグラムは人の成長の方向を、図形の中の交差している線で明らかにしています。従って、どのタイプも成長できるとエニアグラムでは指し示しています。では、人が成長を遂げたあかつきには、一体どんな人間になるのでしょうか。
 ところで、「理趣経」という経典があります。真言密教の僧侶が、朝夕の勤行のときに読んでいる経典で、
八人の菩薩と大日如来とで、計九人の理想的な人間像が載せられています。
 そこで、この九人がどのような性格なのか、主にこの著書と他の文献も参考にしながら、九つの性格タイプの理想像として、割り当ててみました。 
      

                                        
 
タイプ1 金剛手菩薩(こんごうしゅぼさつ)       
           
 金剛とはダイアモンドのことで、固い菩提心を表わします。非常に意志が堅固で、目的を決めたらわき目もふらず突進する意志の人。釈尊の説いた意味をはっきりさせようと、降三世(触地印)の印を結んで、しかも怒り、眉をしかめて猛く見る菩薩です。
  
 
タイプ1は、いつも清く正しい人であり、そのまっすぐな硬い性格は「高潔な倫理の師」となる資質をうちに秘めています。
  タイプ1が成長したあかつきには、現実的な判断力と理解力が並外れてくるため、人々に賢明な助言ができます。また、自分や他人に対して寛容になり、過失を深く追及せず意見の違いを受入れるので、度量が広くなります。
  そして、自分の思いを率直に表現でき、快活明朗になるので人々と気楽に交流でき、リラックスした時間を持てるようになります。
 そうなるとさらに気高くなるので、人々が模範にするようになり、先頭に立って改革に尽くします。

 
なお、タイプ1は純潔な人であり、初志を貫く意志の硬い性格ですから、まさにダイアモンド(金剛)のような清い輝きを放つことでしょう。それはすなわち、金剛手菩薩のような人間として成長していることになります。


 
タイプ2 観自在菩薩(かんじざいぼさつ) 
                  
 
またの名を観音菩薩とも言います。慈悲の象徴で、非常に慈しみ深く、困っている人がいると捨てておけない人です。自分がどうなっても人を救いつくし、人が苦しんでいたら自分もともに泣き、何とか手を貸さないと気が済まない性格の菩薩。また、汚れた世界で生きていくにはどうしたらよいかは、この菩薩に尋ねてください。なお、「観」は見る、「世」は世の中の人間たち、「音」は声を意味します(=世の中の人間の声を聞くという意味)。

 タイプ2は、苦しんでいる人を見たら、手を貸さないと気が済まない親切な性格なので、「無条件の愛を注ぐ聖母」のような資質をうちに秘めています。
 タイプ2が成長したあかつきには、私心なく人々を助けることができ、人々へ無条件の愛情を注ぐようになります。そして、感情をうまくコントロールできるようになり、注意深く慎重に行動できます。また、利他心と慈悲心が高まり、人々の意見を尊重して自分を押し出さないので、謙虚で慎み深くなります。
 そうなるとさらに人々が慕ってくるため、母的な包容力が高まり、罪人や悪人であろうとも受入れられます。それはすなわち、観自在菩薩のような人間として成長していることになります。
 


タイプ3 纔発心転法輪菩薩(さいはっしんてんぽうりんぼさつ         
 
纔」とはわずかにという意味で、わずかに発心しただけで、法輪(法のこと)を説く菩薩です。世の中の人に真理を分かりやすく説法します。非常にのみこみの早い、指導力のある人です。本来、人はみな仏さまなので、やろうと思ったとたんに、自分本来のものが出てきて、人々にいろいろ教えることができると密教は考えます。

 タイプ3は、実利的で積極性があり、向上心あふれた性格なので、「意欲的に生きる理想的な努力家」として敬愛される資質をうちに秘めています。
 タイプ3が成長したあかつきには、ありのままの自分を受け入れて、自分を隠したり飾りません。また、人々を社会的地位の高低にかかわりなく尊重し、人々の利益のために、自分の持てる力を惜しみなく発揮できます。また、自分を愛するように人々も愛すので、率直で正直で信頼がおけ、強い絆を根気よく築き上げて、多くの人から注目を一身に浴びます。
 そうなると、さらに自分を磨くので、指導力を発揮して、すぐにでも存分に働くことができます。それはすなわち、纔発心転法輪菩薩のような人間として成長していることになります。 
 


 
タイプ4 大日如来(だいにちにょらい)

 
「大きなお日さま」という意味の名前です。性格は完全無欠で、お日さまという、生きとし生けるものの一切を育てる役目を持ちます。如来とは「正しく悟りを開いた人」という意味で、釈迦の悟られた真理そのものを指しています。                
 タイプ4は、苦から解放されて癒されたいという思いが強く、想像力と直観力があるので、「普遍的なものを創造する」資質をうちに秘めています。
 タイプ4が成長したあかつきには、現実の中での自分の役割と責任を深く意識するようになります。従って、義務感が強まり協調性がついて、感情をコントロールできるので、多くの人と交流しながら慎重に行動でき、真に自分らしい生き方を確立していきます。
 そうなると、さらに感性が豊かになり想像力を高めるので、人々の感動を呼ぶ普遍性あるものを創造していくことができます。

 なお、タイプ4は「生・死・病・老」など人間の抱える根源的な問題を、自らに問い続ける傾向があります。また、釈迦が若き頃に出家するにいたったのは、この人間の抱える苦悩についての答えを求めたからだと言われています。そして、タイプ4は完全無欠な人間になりたいという願望を抱く傾向があり、悟りの境地を求めている人も少なくありません。
 従って、タイプ4が成長していくと、大日如来のような「正しく悟りをひらいた人」に向かうことができ、仏教のような普遍性ある教えを創造でき、人々を癒して、悟りへの道に近づいていくことになります。 

                       

 
タイプ5 文殊師利菩薩(もんじゅしりぼさつ) 
                
 この菩薩は、片手にお経を持って、智恵を授けてくれ、もう一方の手には剣を持って、悩みを断ち切ってくれます。決断力が旺盛で知恵に優れた人です。なお、文殊の知恵とは、煩悩を断ち切ることで、現実世界のこだわりに悩む人に、それを断ち切る知恵を授けてくれます。 

 タイプ5は、知識を究めていきたがり、理解力と洞察力がともに優れており、「現実世界の本質を読み解く」資質をうちに秘めています。
 タイプ5が成長したあかつきには、人々の中に入ってともにその知識を活用し、社会の前線に踏み出します。また、間違いを正したり、偏った解釈を排して、その知識は一層並外れていきます。
 そうなると、さらに現実社会と深く関わるため、物事の本質に迫り、それを人々に知らしめて、社会に貢献していくことができます。従って、そのような知識はまさしく剣のような裁断を顕すので、それはすなわち、知恵の仏さま文殊菩薩のような人間に成長していることになります。

                                        
 
タイプ6 金剛拳菩薩(こんごうけんぼさつ)  
                
 
この菩薩は自分の目的を、はっきりとつかんでグラグラしません。いつも仏さまと一緒に生きているのだという信念を持ち続けています。いつも自分の内なる仏さまに相談しながら、その教えに違わないよう心がけながら生きている人です。また、世の中の人が苦しんでいる限り休むことなく、世のため人のために活動し続けます。

 タイプ6は、強い絆を築きたがり、そのために誠実に努力していく人なので、「信頼関係を築くために勇気を発揮する」資質をうちに秘めています。
 タイプ6が成長したあかつきには、権威に頼ることなく自立的になるので、一人で決断し行動することができます。また、思慮深く、慎重に行動して忍耐強くもなります。また、自分に自信がついて、人々と協力し合い、真に支え合うことのできる強い絆を築きます。
 そうなると、さらに自分に確信を持つので、共生的な信頼関係を一層深めて、それを壊すものとは勇敢に戦う、力強い勇気のある人になります。それはすなわち、仏と強い絆を持っている金剛拳菩薩のような人間に成長していることになります。


 
タイプ7 虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)  
                 
                 
              
虚空蔵菩薩

 
虚空(全世界の大空のこと)を自分の蔵のようにして持っている菩薩です。非常に懐が深く、包容力に富み、何でも抱きとってしまう大きな気性をもった人です。蔵とは、果てがなく財産が出てくる蔵という意味ですが、本当の蔵とは、人々の持っている価値のことを指しており、蔵のように無限にあるのだから、それに目覚めよと悟らせてくれる菩薩です。抜群の記憶力があり、記憶力を高めたいときは、この菩薩に願をかけるとよいと言われています。

 タイプ7は、明るく活動的で現実的であり、人々の善いところも悪いところもよく気づく人なので、「人間の持つ価値の尊さ」に気づかせてくれる資質をうちに秘めています。
 タイプ7が成長したあかつきには、苦しい現実でも受け入れて、人々を楽しませ励ましてくれます。また、物欲の強さはありますが、分かちあえる気性で、喜びを分かちあう幸福感が、さらに堅実な価値あるものを見いだすようになります。
 そうなるとさらに、どんな些細なものからでも、楽しみと幸福を得られることを知ります。そして、全てのものを自分への思いがけないプレゼントだと感謝して受け取り、そのままの現実を純心に賛美できます。
 それはすなわち、全世界の大空は自分の蔵だという、崇高な物欲を自分のものにしていく虚空蔵菩薩のような人間に成長していることになります。
 なお、タイプ7はグループで見ると、最も記憶力の高い人が多いのです。


 
タイプ8 摧一切魔菩薩(ざいいっさいまぼさつ) 
               
 「
摧」はさい破する、やっつけて砕いてしまうこと。一切の魔を砕いて、襲いかかる悪や災害を一手に引き受けて、人々の幸福や安寧を邪魔するものを負かしてしまう働きのできる人です。なお、魔とは自分の心の魔という意味もあります。 

 タイプ8は、勇気と行動力があり、恐ろしい敵をものともせず立ち向かう人なので、「真理や正義を守り通す」資質をうちに秘めています。
 タイプ8が成長したあかつきには、人々を信じきることができ、謙虚になり、人に譲歩できるようになります。そして、人々と対等で共生的な協力関係を作りあげることができます。また、弱い人の気持ちがわかり、思いやり深くなり、多くの人々の力強い支えとなります。
 そうなると、さらに度量が広く、腰も低くなり、人々を守り育てることができます。そして、正義が通らないときは断固として戦いを挑み、恐ろしい災害や苦難のときには、危険もいとわず率先して活路を広げて、人々を導き助けていきます。それはすなわち、摧一切魔菩薩のような人間に成長していることになります。


 
タイプ9 虚空庫菩薩(こくうこぼさつ) 
                   
 
この菩薩は、いろいろな人の特徴を見つけて拝み、その人のために身を捨てて供養したり、損得を考えず献身的に奉仕活動ができる人。なお、供養とは人のためにサービスすることで、サービスの心は何かということを説く菩薩です。世界にある無限の価値を見つけ出します。

 タイプ9は、元々損得を考えず、サービス精神のある性格です。また、寛容で受容性に富みますから、「奉仕の心を持って、平和に生きる」資質をうちに秘めています。
 タイプ9が成長したあかつきには、活力がつき、何事にも敏感に反応して、一歩ずつ着実な前進をはかります。そして、落ちつきと安らぎのある態度が、人々の中にある緊張を解くようになります。また、賢くて粘り強い調停者となって、一方に偏らず、公平に接して問題解決をはかるようになります。
 そうなると、さらに献身的な資質が伸びて、私心を挟まないので、難しい問題も解決できます。従って、真に調和できる平和な関係を作り上げられるようになるので、奉仕活動で大活躍します。それはすなわち、虚空庫菩薩のような人間に成長していることになります。



 2 仏も菩薩も、私たちと同じ人間

  「理趣経」(中公文庫刊)の著者、松長有慶さんが、この教典の内容を分かりやすく解説しており、松長さんは以下のように書いています。
 「菩薩は聴衆の代表で、いろいろな人間のタイプがここに出ています。そんな偉い人は自分と関係がないと思わず、私は金剛手菩薩に似ているなと思って、この経を読む気持ちを起こしてください」

 仏教は無神論ですから、神様という存在はありません。ですから、「仏」とは悟りを開いた人であり、「菩薩」とは仏になる資格を持っているが、世の中の苦しんでいる人々が救われるまでは、人々のためにつくし、それまでは仏にならないという信条を持つ人を指します。

 仏も菩薩も、私たちと同じ人間なのです。菩薩のうちには、その道への一歩を踏み出したばかりの人もいますが、あと一歩で仏になれるような菩薩もいるようです。しかし、どんな段階の菩薩であろうとも、優劣の差はないとするのが、仏教の教えです。つまり、「仏に向かって歩む」そのことが尊いことだと考えます。

 つまり、理想的な人間になろうと決意して、一歩でも踏み出せば「菩薩」なのですから、誰でも菩薩さまになれるのです。難しいことではありません。エニアグラム的に表現するなら、成長の方向を目指して、一歩踏み出せばよいのです。

 事実、この8菩薩の性格を知ると、エニアグラムの8タイプとどこか照応します。なお、大日如来については、いろいろな説があり異論もありますが、一般的には「釈迦」のことを指しているようです。釈迦の子どもの頃の記録には、メランコリックで、人生を苦と捉える内省的な性格だと伝えられています。従って、釈迦はタイプ4ではないかと推察できます。


3 真言密教とエニアグラム

 真言密教は、平安時代に、弘法大師空海(774〜835)によって、日本に伝えられた仏教です。なお、仏教は、大きく「顕教」と「密教(秘密仏教)」とに分けられます。
 密教は、その教えを師から弟子へ直接に伝授し、非公開にされることから秘密佛教とも言われます。
 真言密教の教えは、簡単には説明できません。少しだけ紹介しますと、「
この現実の世界を離れて、真実の世界はなく、悟りの境地も、文字や象徴的表現をかりて説く事ができる」と考えるものです。そして、「人間も(小宇宙=ミクロコスモス)も大日如来(大宇宙=マクロコスモス)という生命の顕現である」と、説いています。
 つまり、小宇宙である私たちの原理と、大宇宙の原理は、本来は同じものであるとするものです。この「
象徴的表現」として、曼荼羅図は重視されています。 

 一方、エニアグラム図は、イスラムの神秘主義的な宗派であるスーフィー派の僧団で、個人の自己認識を高めるために使われたかもしれないと語る人がいます。また、秘密の教義を奉じる流派を総称して、スーフィーと称するようです。
 なお、スーフィー派が信奉したエニアグラムには、性格類型論はなかったと言われていますから、その点で間違えないでください。

 しかしながら、イスラム教と仏教という違いはありますが、教義を秘密にして直伝にしていること、瞑想のための図形(曼荼羅)を重視するなど、共通のものがあります。
 また、神秘主義では、「ミクロコスモスとマクロコスモスは照応する」と言われており、それをメディテーション(観想)するために、象徴的な図形が使われます。ですから、世界中に、似た系統があるようです。なお、エニアグラム図自体、神秘主義を信奉する人たちや、神秘学者から伝えられたもののようです。

 
4 九会曼荼羅について

 
曼荼羅を観たことがあると思いますが、いろいろな曼荼羅があり、金剛界曼荼羅という図は、またの名を「九会(くえ)曼荼羅」と言います。曼荼羅は、真理の世界に行くためには、どういうプロセスがあるかを表わしているそうです。

 エニアグラム図も、いわば曼荼羅図ではないでしょうか。「宇宙と生命のシンボル」と言われているのですから、当然、真理の世界に至るプロセスを表わしていると考えられます。この図は、9タイプの人間が、互いの個性を尊びながら、違いを認め合い、そして、共存している、と言えるのではないでしょうか。
 
 当会の理論では、9つのタイプは、9人家族となります。9人の家族が、それぞれの役割を受け持ち、その特性を活かしながら、助け合って、人類社会は維持され、繁栄していると考えるものです。

               
                  
金剛界(九会)曼荼羅   (尾道浄土寺所蔵)            
                  
 注・「曼荼羅−−マンダラという用語は、古代インドの言葉であるサンスクリット語で、本質(真髄・さとり)を表現したものという意味で、聖なる空間を示します。数ある曼荼羅のなかでも、両界(りょうかい)曼荼羅は、密教最高の理念ないし密教の理想世界を象徴するものです。大日如来を中心にして多くの諸尊が実に整然と、配され、一つ一つの仏の個性が見事に生かされた統一の世界−−共存の原理によって成り立つ世界−−が表現されている」

 
曼荼羅図と、注釈については、浄土寺副住職・小林鴨善氏「曼荼羅の教え」から、お借りしました。