毛布の下 |
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今こそ答えがわかるのだ。私はあのときいったい何を見たのか。見なかったのか。
ゆっくりと身をかがめて毛布に触れた。わん、という羽音がして小さな虫が数匹、驚いたように飛び上がった。
少し湿った毛布をはぎ取ると、そこにはちいさな体が横たわっていた。水分のすべて飛んだミイラ状の子供の骸だ。
ぽっかりと空いた眼窩は永遠に続く闇を見つめていた。乾いてひきつった唇からのぞく小さな白い乳歯は米粒のようだった。そして頭の周りには腐ってばらばらになった麦わら帽子と、そのピンク色のリボン、「こんな女の子みたいな色いやだよ」という言葉が鮮やかに頭に浮かんだ…。
私は叫びをあげないように拳を噛んだ。骸は見覚えのあるランニングシャツと半ズボンをまとっている。
ふたたび言葉がよぎる。「僕も早く長ズボンがはきたいよ」
そして窓に向けて延ばされた右手には、青いビー玉が光っていた。
「僕だ…、」
あの時、拾い上げたビー玉の冷たさがよみがえる。
「僕だ…、僕だ…、僕だ…」
私の目の前に暗闇が広がる。ゆっくりと床を転がっていくビー玉の音…。耳の奥でわんわんと何かが鳴っている。ああ、これは僕の「骸」だ…。
またあの夢を見た。
カッターシャツの背中が寝汗でじっとりと濡れている。営業車の中だった。スーパーマーケットの広い駐車場の一角だ。俺は客とのアポがキャンセルになった時間を利用して仮眠を取っていたのだ。
携帯電話をチェックすると、E−メールが一本入っている。
「稔へ、紙おむつ買ってきてね、妙子」
妻だった。
亭主の権威も形無しである。幼なじみの同級生と夫婦になればなおさらだろう。
車窓の外を見た。スーパーの駐車場は平日の昼下がりだけあって閑散としたものだ。あの幽霊屋敷の空き地が、今はこうなっている。結局発見できなかった鳩岡団地の連中の銀玉鉄砲も、思い出と一緒にこの駐車場のアスファルトの下に埋まっているのだろうか。
子供が産まれ俺は地元に帰ってきた。だからまたあの夢を見るのだろう。ただ、それだけに違いないさ。
頬が濡れていた。夢を見ながら泣いていたようだ。なぜ泣くことがあるのだろう。過去はまさにあの夢のままでまちがいはない。
あの後ずっと守り通した妙子との約束も、伸介と二人で決行した空き地探検も、あの夢のままだった。あれは楽しかった思い出ではなかったか。黒川日劇の看板、眼鏡の奥で笑っている伸介の目、熱かった妙子の涙、彼女の初々しい乳房に誓った二人の約束、ついに確認できなかった「毛布の下」、そして部屋の隅から転がってきた青いビー玉…。
そうだ、一点だけ不思議なことがあるのだ。
俺こと稔と伸介と妙子…。ならば、あの夢の中の夢で俺達を見ていた「僕」とはいったい誰なのだろう。そして「僕」を回想する夢の中の「私」とはいったい誰なのだろう。
そして、あのどうしようもない寂しさと恐れは、いったい何だったのだろうか。
俺は誰なのだろう。
それともあの夏…、
あのスリリングで楽しかった夏の日を、僕たちと共有していた誰かがいたのか…。
それを思うと、なぜだか首筋の後ろあたりの毛が逆立つような気分がするのだ。きっとその答えを知っているのは、あの腐りかけた毛布だけなのかもしれない。
俺は車から降りて回りを見た。あの不思議な空き地のなれの果てが、この駐車場だ。もうここがあの「空き地」だったことを知っている人間の方が少なくなっていた。
「僕」とはいったい何だったのだろうか。
もうそれを知ることはできない。あの毛布の下を二度と確認できないように。もしそれ
ができるとしても俺にはその勇気がないのだ。あの夏も、そしておそらくはこれからもずっと。
またあの夢を見た。
懐かしさと、不安と、恐れと、奇妙な悲しみに彩られたあの夢を…。
そして目を開ける前に考えるのだ。今、目覚めた自分は「俺」なのか「私」なのかと…。
(おわり)
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