毛布の下
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 また来てしまった。もう来る必要はなかったのに、やはりここを訪れずにはいられなかったのだ。初めてクライアントと一緒にやってきた時には、ほとんど気づかなかったあの場所との「相似」は、訪れる度に強くなっていた。共通点は町中に取り残された遊休地ということ、同じように建物の廃墟があるというだけなのだが、不思議なことに来る度にその印象があの夏の空き地と重なるようになっていったのだ。

 あの時と同じように、この空き地も半月ほど後には造成が始まり、跡形も無くなってしまうはずだ。後には映画館を含む複合商業施設が完成する。私の勤務先は、めでたくその広告扱い全部を受注していたのだ。

 設置する屋外看板の仕様も決定し、当面は設置後の確認だけでよかったにも関わらず、自分の中で「夕暮れ時の日当たり具合はどうだったか」などと、どうでもいい理由をつけては来てしまうのは、ここが「無くなってしまう運命」だからだろう。その前にどうしても確かめておきたいことがあったのだ。

 敷地は身長より高いトタン板で囲われていた。唯一の入り口はがっちりとした鉄の門だ。太い鎖が巻き付けられ、無骨な南京錠がその鎖を止めている。門の奥には雑木林が広がっていた。もともとは友愛会という病院とそれに隣接する遊休地だったのだが、ここ五年ほどは買い手もつかぬまま放置されていた。のび放題の雑草と病院の庭から広がり増えた庭木で、トタン囲いの中は密林のようになっていて、梅雨特有の曇天のもと、空き地の中の木陰は日暮れのように暗く沈んでいた。ただ雨上がりのせいで、木々の緑はいつも以上に鮮やかに目に映えた。

 乗ってきた営業車を、じゃまにならないよう囲いのトタン板ぎりぎりに駐車した。もっとも昼の二時という時間では、この空き地の裏通りを通る車などほとんどなかった。

 管財人から借りた鍵で南京錠をあけて中に入った。木々の間を抜けてくる風が、ひやりと頬をなぜた。

 

 「ここだよ」と伸介が言った。

 黒川日劇の映画看板の正面だった。映画は「天地創造」だ。見上げるほどの大看板に、オレンジ色でノアの箱船が描かれている。杖を持った髭の親父が見守る中、キリンや象などの動物たちが延々と列をつくって船に乗り込んでいた。裸の男女の後ろ姿も描かれている。「天地創造」という文字が、岩のような意匠で遠近法を強調して配置してあった。ちょうどその大看板の真下、鳩岡歯科の看板や文具のシロヤといった小看板がモザイクのように集まっているところに、子供が入れるほどの隙間が出来ていた。その小看板のうちの一枚が外れていたのだ。看板の裏には鉄条網が張ってあるが、二本の角材を咬ませて、ちょうど子供がすり抜けられる程の隙間が出来ていた。伸介が昨日工作したものだった。

 車が何台か通りかかり停車する。横断歩道で待っている子供とおばさん達を渡らせてあげるためだ。この看板はバス路線に面した交差点になっているため通行人が多く、車もよく通るのだ。

 「入るところを見られるとまずいんだよな」と稔。

 「よくわかってるじゃん」と伸介。

 稔がまず見張りに立ち、人通りの絶えたところで隙間に潜り込む伸介を体で隠した。中に入った伸介が看板の隙間から周囲を伺い、「よしっ」と合図して僕たちが潜り込んだ。このあたりの呼吸は、映画「大脱走」の名シーンを参考にしたわけである。

 空き地の中は、僕たちの身長ほどにも延びた雑草がびっしりと茂っていた。なぎ倒された雑草は、たった今、伸介が歩いた跡だ。

 しばらく藪を漕いでいくと、じきに細い道に出た。道と言っても、以前子供たちが踏み固めた獣道のようなものだ。周囲に比べて雑草の勢いが弱く、かろうじて道といえる程度のものだ。地面に半分埋まり泥をかぶったヤクルトの瓶が一本落ちていた。ヤクルトの容器が工作にも使えるプラスチックのものに変わったのは昨年のことだから、この瓶は一年以上も前にここに残されたことになる。

 雑草を踏み倒して道を作りながら「すげえ、まるでジャングルだ」と稔が言った。

 「蛇に注意しろよ」と伸介。

 「マムシぐらいいそうだね」と言ってはみたが、僕たちはまだ本物の蛇を見たことがなかった。名古屋市北区の住宅街では、本物の蛇などそう見られるものではない。戦争の前は神社の境内などに生きていたらしいが、そもそも僕たちが生まれた時が、もう終戦後十年以上経っていたからだ。戦争も空襲も少年マガジンの口絵や「ゼロ戦レッド」といったマンガとか、ドラマの「コンバット」ぐらいでしか実感できなかった。それでも、正月に熱田神宮に行くと、まだまだ傷痍軍人がたくさんいて、軍歌などを演奏していた。アコーデオンの音色は子供心にも悲しく感じられた。

 ぐるりと周囲を見回すと、雑草の頭越しに二階建ての白い木造住宅が見えた。

 「あれが噂の幽霊屋敷だそうだ」

 伸介はそう言うと、半ズボンの尻ポケットから小さなノートを取り出すと、「おっほん」と言ってもったいぶった後、それを開いた。のぞき込むと、それは手書きの地図で、この空き地の内部が濃い鉛筆で克明に記されていた。

 「いっ、いつの間にこんなものを」と稔。

 「去年あたりから気になっててさ、みんなから聞いては記録していたんだ。北図書館に行けば、地図もあるし」

 「地図?」

 「うん、”地域”ってところ」

 「それ大人のコーナーだがや、さっすが社会科博士」

 僕らは図書館でも児童書コーナーにしか行かないから、そんなことは思いつきもしなかった。

 「おまえはこういう面でもガリ勉君だなあ」と稔がうなった。

 伸介は照れくさそうに微笑むと、ノートの書き込みを見ながら、幽霊屋敷に行くまでの途中に、高橋の兄ちゃんたちの陣地があるはずだ、と言った。伸介はそんなところまでヒアリングしていたのである。

 僕たちは陣地の痕跡を探しながら進んだ。だんだんと幽霊屋敷が近づいてくる。

 幽霊屋敷は洋風の二階建てだった。腐りかけた木の壁から黄色く変色した白いペンキが浮き上がり、怪獣の皮膚を覆う鱗のようになっていた。窓ガラスは雨の度にこびりついた土埃で真っ白だ。

 「ここは病院だったそうだよ」と伸介が言った。当然、ここも調べてあったのだろう。

 「病院かあ、不気味やなあ…」と稔。

 「おじいさんのお医者さんだったんだって」

 何でも、跡継ぎの若先生が従軍していた南の島で戦死してしまったため、六年ほど前に閉めてしまったのだという。今、先生は長野県の実家に帰ってしまい、以来ここはこんな空き家になっていたのだ。

 「本当に幽霊でるんか」と稔が聞いた。

 「子供の幽霊が出るって」

 「子供?」

 「昔さ、ここで近所の子供が何人も死んだんだって」

 「病気?」

 「違うよ、殺されたんだ」

 実は、と伸介は声を殺して話しだした。

 「空き家になってから、ここに子供専門の殺人鬼が隠れていたんだって」

 「殺人鬼?」

 「男の子のおちんちんをちょん切って殺しちまうんだって」

 僕たちは、ぞっとして黙り込んだ。

 しばらくして、それは痛そうだ、と稔が顔をしかめた。「だいたい軟野のボールが金玉に当たっただけであんなに痛いんだし、ミミズにおしっこをかけて腫れ上がった時の痛みも半端じゃなかったからなあ」と言った後、「確かにそりゃ死ぬわ」と稔は納得した。でも、稔の言葉にも僕は笑えなかった。生殖器を「ちょん切る」ということに、本能的に性的な動機を感じて、何とも言えぬ重苦しい嫌悪感を感じていた。