毛布の下
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 あの夏、僕たちがあの空き地へ行ったのは、小学二年生の夏以来だったから、ちょうど四年ぶりだろう。というのも、体育館ほどもある広さの空き地が整備もされずに放置されているのは防犯上よろしくない、という大人たちによって、屋敷を含むブロック全体がトタン板と鉄条網で徹底的に囲われてしまったからだ。

 空き地は、みんなの家で要らなくなった家具や冷蔵庫や工事で余った板っ切れや、もらい手のいない犬猫まで、ありとあらゆる物が捨てられて、朽ち果てて、そこに雑草や雑木が繁殖して、まるで図書館の本で見たアンコールワットやインカの遺跡を思わせるような場所だった。空想科学小説が大好きで少年マガジンの特集をスクラップしていた伸介は、きっと人類が滅んだ後の地球はこんな光景なのかもしれない、と言ったほどだ。その上、時々、野良犬や浮浪者の変なおじさんも入り込んだらしく、確かに防犯上よろしくはないだろう。

 ただ囲われてしまうだけでなく、市バス路線のある大通りに面した側は、黒川日劇(僕たちの町の唯一の映画館だ)の大きな看板で覆われてしまい、その囲いの中に空き地があることさえ、外からは伺い知ることができなくなってしまった。その間に、道路はアスファルトで舗装され、市バスの鼻面はまっ平らになり、市電は無くなってしまったし、栄町には地下街が出来たし、休みの度にマンガまつりをやってくれた志賀東映はパチンコ屋に変わってしまった。人々はその空地を忘れていき、それは、その中に居心地のいい砦を築いていた子供たちですら時々忘れてしまうほどだった。だって黒川日劇(そして僕たちの町の”最後”の映画館になった)の看板はものすごく大きくて、そこに「ゴジラ・モスラ・ラドン 地上最大の決戦」とか、「ヤコペッティの世界残酷物語」なんて描かれれば、その看板の裏のことなど忘れてしまうじゃないか。

 でも、四年前の夏に隔離されてしまったその土地の中には、僕たちが知っているだけでも四つのグループの「陣地」や「砦」や「基地」など(呼び名は色々だ)が取り残されているはずだった。それと、あの幽霊屋敷だ。そして、その事実を忘れずに、空き地を見守り続けた子供たちもいた。その一人が伸介だった。

 

 「だからさ、あそこにはそいつらの宝物がまだ手つかずで残っているに違いないんだ」

 バケツを床に置きながら、伸介がそう言った。眼鏡の奥でその目がキラリと光ったように思えた。マンガにはそんな表現が多かったから、人が何か企んでいるような時には、僕たちはいつもそう感じてしまうのだ。時には「キラッ」とか「キラリッ」とか「キラーン!」などと自分で効果音を入れたりもした。伸介の声は、教室の前半分を箒で掃いている女子たちには聞かれないよう小さなものだった。しかし、後ろ半分に集めた机を雑巾で拭いている稔や僕の心を揺さぶるほどの強さはあった。

 放課後の掃除の時間だった。てきぱき動く女の子たちを後目に、僕たち男どもは、机を動かしたり戻したりといったおおざっぱな作業を受け持って、ぐうたらとやっていたわけだ。明日は終業式、長い夏休みの開始を翌日に控えて、おとなしく掃除に熱中するようなやつは男の子ではないのだ。

 「何これ、びしょびしょじゃない」という声がした。女子どもだ。

 「君たち、雑巾はもっと固く絞らなきゃだめなんだよ」といいながら班長・妙子がやってきた。その後ろには、クラスをリードする「まじめ女子軍団」の面々。悔しいけど妙子は僕より背が高い。それにオッパイも大きくて噂によればもうブラジャーもしているそうだ。つまり僕たちより一足先に大人になっていて、その妙子をリーダーにして女子たちは男子を少し舐めてるわけだ。それに最近は先生達でさえ、男子には「適当に野球でもしていなさい」と言って校庭に追い出した後、女子だけで幻灯を見たり映画を見たりして特別扱いも多かった。

 あんまりさぼっていると先生に言いつけるから、という妙子に、稔が「わかってるよ。おまえこそ、あんまり言いつけばかりしてると、胸揉むぞお」と反撃した。

 「きゃー」と叫びながら、でもちょっぴりうれしそうに逃げていく妙子たち。

 何かにつけ男子を圧倒している女子に対して、体力面で互角に戦える数少ない男子が稔だ。僕たちと違いもう長ズボン(僕も早く長ズボンがはきたいよ)を履いているし、本人によれば、「もう金玉に毛だって生えてる」という。もっとも「まだ三本だけどな」と付け加えるのが常だったけど。そんな稔の最近の関心事はもっぱら妙子のオッパイで、引っ越しちゃう前に一度拝んでみたい、と言っていた。稔も僕も夏休みの間に引っ越すことになっていたのだ。妙子のオッパイなら、僕だって当然拝んでみたいところだが、あろうことか稔はこっそり妙子に「絶対さわらないから見せて、お願い」などと頼んでいるらしかった。幼なじみだからこそ頼めるのかもしれない。

 その稔は女どもに向かい「へっ」と言った後、「いつか本当に触ったろ」とつぶやきながら戻ってきた。

 伸介は何気ない口調で、「この間の台風でね、ついに囲いに穴があいたんだ」と言った。

 「えっ」と稔が動きを止めて伸介を見た。本当か、と顔が尋ねている。

 伸介はぴくりと鼻の穴をふくらませ、「実はちょっとだけ中に入った」と言った。

 「うーん」と稔が小さく唸った。

 伸介の一言で、掃除の間中、僕達は猛烈に囲いの中が気になった。当の伸介にいたっては、その穴を発見してからずっとそうなんだ、と言った。あそこが囲われてしまったとき、まだ二年生だった僕たちは、実はほとんどあの中で遊んだ覚えがない。だからよけいにあこがれがあった。何しろあのころの僕たちは、上級生が統率する通学団のグループ内で、ようやく砦へ行く資格を得たばかりのひよっこだったからだ。

 空き地が隔離された日の夕方。学校からまっすぐに空き地に向かった上級生たちは、工事のおじさんたちに「さあ、帰った帰った」と追い返されながら、二度と入ることの出来なくなった聖域を前に、未練たらしく立ちつくしていたものだ。その薄汚れたランニングシャツの背中が夕日でオレンジ色に染まっているのを、今でも思い出すことができる。

 さて放課後、僕たちは団地のゴミ置き場に集まった。志賀住宅の通学団を中心とする僕たちの現在のお気に入りの場所が、このゴミ置き場だったのだ。

 ちょうど四畳半ほどの広さで、道路以外の三方をブロックの壁で囲まれていた。可燃物・不燃物のコンテナが並んで置いてあり、中央にはやはりブロックで作られた焼却炉があった。

 コンテナからは、いつもお酒やジュースの甘ったるい匂いがして、洋酒や化粧品のきれいな空き瓶を発見することもできたし、「土曜漫画」とか「平凡パンチ」といった大人向けのマンガ雑誌を見つけることもできた。運がよければ壊れたおもちゃも見つかった。ついでになじみの猫もいた。

 大人からは、ここでは遊ぶなと言われていたけど、危険で不衛生な場所ほど僕たちにとってはおもしろい場所だった。だいたい「よい子はここで遊ばない」と看板が立っていたが、僕たちは当然よいこじゃなかったし、よいこなんて馬鹿にされるだけで、大半の子供は自分をよいこだとは思っちゃいなかったのだ。そこで僕たちも大人の目を盗んでは、よくここへ来た。何しろ周りからはどんどん田圃や畑が無くなっていくし、八幡神社も稚児宮も境内の雑木林はいつの間にかアパートや駐車場になってしまっているし、公園のグラウンドはリトルリーグの連中に独占されているし、とにかく遊ぶ場所はこんなところだけになっていってしまうのだ。社会の時間に先生は、日本は工業力でどんどん世界に追いつかなければなりません、君たちの住む名古屋市北区もこれからは住宅地として今後どんどん発展していきます、と言っていたが、それは工場やアパートが増えるということだった。お昼や夕方になると、学校のチャイムとは別に、工場のサイレンが鳴ったし、そのウワーンという音が消えると、今度はすごい数の人たちがバス停に向かって歩いていくのが見えた。みんな灰色の服を着て、手には風呂敷で包んだ弁当箱を持っていた。

 僕たちはお互いに黙りこくったまま思い思いのことをしていた。伸介は片隅に積み上げてあった雑誌の束から「ボーイズライフ」を引っぱり出した。僕は「猫」、「猫」と呼びながら三毛猫をじゃらしていた。面倒なので「猫」という名前なのだ。

 稔は黙りこくったままブロックの壁にもたれて寝そべり、平凡パンチから破り取られたエッチな写真を眺めていた。たぶん妙子のオッパイでも想像していたのだろう。が、いきなりむくりと起きあがると、「きっとあるだろなあ、宝」と言った。

 そのとたん、僕たちはその言葉を待っていたと気づいた。伸介は「ズベ公探偵ラン」のエッチなマンガから顔を上げ、僕も「猫」をあやす手を止め、ついでに「猫」もその気分を察したのか、顔を上げて、にゃあ、と鳴いた。

 実は、と身を乗り出した伸介が「あの中には二組の高橋の兄ちゃんが隠したショーヤがあるって話だ」と言った。

 ショーヤとは角形のメンコのことで、地面に置いた互いのカードを自分のカードを地面にたたき付けた風圧でひっくり返す勝負だった。ひっくり返した相手のカードは手に入れることができる。カードの表のカラー面は金田とか長島といった野球選手や横綱大鵬といった運動選手の写真か、マグマ大使とかエイトマン、ウルトラQの怪獣などで、裏面にはグー・チョキ・パーなどの絵が描いてあった。取ったり取られたりというギャンブルのような要素があり、当然、学校からは禁止された遊びだった。高橋の兄ちゃんはそのショーヤの名人で、かつて現役の頃には「たつまき打ち」という秘技で隣の城北学区にまでその名は鳴り響いていた。おびただしい数のショーヤを獲得し、森永ビスケットの缶にぎっしり詰めたその枚数は、百枚とも五百枚とも言われた伝説の子だった。

 「今、中二になった弘さんもな、かっちん玉を隠してたんだって」と稔。僕たち名古屋の子供たちはビー玉をかっちん玉と呼んでいた。

 鳩岡小の奴らのギン玉鉄砲もまだあの中だって話だった。

 僕ら団地の子の家は、地場の家の子より比較的厳しくて、駄菓子屋で買い食いをするとか、おもちゃを買うということが許されなかった。サラリーマン家庭の子が多かったから、「はやりのしつけをすぐ実践」してしまうんだろうというのが伸介の分析だ。だから、ギン玉鉄砲で撃ち合いをするなんていうのは強烈な憧れだった。

 さっそく僕たちは空き地に行くことにしたのだ。