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第六章 「男組」
学生服のズボンに白のシャツを着ると、我ながら高校生っぽい。こ
んな地味な服装で旅をするのは中学校以来だった。というのも朝日高
校は制服廃止運動が活発で、学生服以外の私服登校が「試験期間」と
して学校当局から「黙認」されていたからだ。もっとも、この「試験
期間」は学生の勢いで、もう数年に及んでいる。
そのため遠足とか林間学校どころか日常の通学でも、みんなジーン
ズなどで通していた。当然あの頃のジーンズだからベルボトムだ。
旅行だとこれにチューリップハットが加わり、思い出のBGMはキ
ャロルとかツェップ、D・パープルの名曲のイントロ部分が、ダッダ
ッダーッ(スモーク・オン・ザ・ウォーターね)と聞こえてくる。思
えば、あの頃の高校には必ず軽音楽部があり、D・パープルのコピー
バンドが各高校に二つはあって・・・、いやもうよそう。
さて、大学生にもなってこれでは「かっこ悪い」とも思ったが、部
の方針なのではしかたない。それに、どうせ今の髪形ではこの服以外
で似合うのはジャージのトレーニングウェアのみである。いや一番似
合うのは袈裟と数珠かもしれんと思った。
なぜならば、合宿に備えて髪はいつも以上に短く五厘に刈ってあっ
たからだ。これは何も肇だけではない。一年全員が五厘なのである。
この五厘刈りというのは、もう刈るという生易しいものではなく、ど
ちらかと言えば「剃る」というのに近かった。なにしろ三日ほど髭を
剃らなければ、髭の方が髪より長くなるほどの短さなのだ。
ついに今日から合宿であった。場所は石川県羽咋市。
朝八時半に名古屋駅集合なので、肇は昨夜から小牧市の実家に帰っ
ていた。
肇の頭を見たとたん母は笑った。本来なら、合宿で怪我でもしない
だろうかとか、がんばるんだよとかの心配が先に立つのだろうが、中
学以来の息子の坊主頭に「ぷっ」とか「くっ」とか言った後は、「き
ゃはははは」と笑って、会話にならなかったのだ。
父も笑いながら、「荒法師だな、まるで」と言った。国語教師らし
く「比叡山の僧兵」でもイメージしたのだろうか。
もっとも肇自身、床屋で鏡を見た時は、これで経の一つでも唱える
ことができれば、ちょっと「かっこいいな」と思ったほどだ。
一瞬でもこれを「かっこいい」と感じたのだから、俺の美的基準は
かなり体育会よりにシフトしてしまったのだろう、と思った。
高校三年の弟は、兄の頭を見るなり複雑な表情をして、「大学の体
育会ってのは、みんなそうなのかい」と聞いた。
「ここまで徹底しているのは愛知大学でも少林寺拳法部だけだ」と
胸を張って(?)答えると、少し安心したような表情で「ふうん」と
言った。
確かに愛知大学で髪を切ってしまうのは少林寺拳法部だけで、空手
部も柔道部も髪形に規制はなかった。
空手部と柔道部などは「うちは少林寺拳法みたいに坊主にしなくて
もいいよ、長髪許可だよ」というのが部員勧誘の一大セールスポイン
トだったのである。少林寺拳法部がなくなったら、何をセールスポイ
ントにするのであろうか。おそらく少林寺の面めんにとっては髪型と
いうものは実に軽い問題にすぎないのだろう。
どうやら大学の体育学部を受験しようとしているらしい弟は、兄の
頭に自分の未来の姿を重ね合わせてショックを受けたようだった。
その弟の「凄いね」という言葉が少々気になる。高校で「番を張っ
ている」という弟が「怖い」ということは、まさに本当に「怖く見え
る」のであろう。これでは永久に(恋などできん)ということだ。
一度、高御堂を見せて感想を聞いて見たいと思った。
弟とは喧嘩ばかりして、いつも負けていたのだが、さすがに離れて
暮らしていると懐かしさが先に立ち、あたかも友達のように接するこ
とができた。
昨夜は、頼まれて技をいくつか伝授しておいたぐらいだ。どうやら
女の子がらみで隣の高校の番長から「マークされている」らしい。
「兄貴、苦しくとも四年間続けてくれよな」と弟は言った。
兄貴が大学で少林寺拳法をやっている、と言うと「箔がつく」のだ
そうだ。
まるで東映映画の中でチンピラが「俺のバックには**組の**さ
んがついとるんじゃい!」というのと同じではないか。
兄としては「やくざな生き方」を改めるよう諭すしかなかった。
ラッシュ時とはいうものの学生は夏休みに入っているし、盆休みの
直前でもあるので、名古屋駅までの電車の中では、それほど混雑を感
じずにすんだ。もっとも恐怖を感じた乗客の多くが、肇を避けたせい
もある。当然この恐怖はいわれのないものである。外見だけで周囲か
ら恐怖されるのはいい気持ちではなかった。
その路線をホームグラウンドとする不良高校生たちとも同じ車両に
なった。彼らは二人で五人分のシートに座り、辺りを睥睨しながら大
声でしゃべっていた。名古屋駅周辺の「盛り場」へでも行くのだろう。
肇がその車両に足を踏み入れた時から、びんびんと視線をぶつけて
くる。弟に言わせれば「ガンを飛ばしてくる」というやつ。肇の身体
がでかいということもあるが、何といっても青々とした五厘の頭は目
立つのだ。再び弟の言葉を借りれば「気合いの入った頭」というわけ。
おまけに高校生のような服装をしているので「商売敵」と思われたら
しい。
(情けない)と思った。
それでも肇が「じろり」と見返すと、しばらくして、すっ、と視線
を反らして話し声まで小さくなった。
肇は百八十センチ近い上背があって(弟いわく「タッパがある」)
一見怖そうな上、目つきが悪かったのが幸いしたのだろう。何も「ガ
ン」を返したわけではなかった。単に目つきが悪いということにすぎ
ない。近視なのだ。
昔、何かの本で山の中で野犬や熊に会ったとき、じっと目を見て相
手をすくませるとかいう記述があったのを思いだした。
名古屋駅のコンコースへ着くと、集合場所の時計下には、もう三浦
たちが来ていた。
広い構内に青い頭が燦然と輝いていて、これでは絶対にはぐれる心
配はなかろうと思えた。
集団とは恐ろしいもので、五厘頭も七人揃うと恥ずかしさとは無縁
になる。お互いの頭を見ながら、みんなで散々笑いあった。特に小柄
な都築は「マルコメみそ」のCMのようだったし、逆に、ドスの効い
た高御堂は、たった今刑期を勤め上げてきたように見えた。
三年生以下の部員はここで集合して、「全員」で合宿地に向かうこ
とになっている。
先輩からは、一人で行くと途中で逃げたくなるからな、というもっ
ともらしい理由を聞かされた。それが、あながち嘘ではなさそうなの
が一年生の不安を煽り立てる。
「すげえ頭だな、お前たちの気合いには負けそうだ」と二年が感心
して言った。
「えっ、一年は五厘なんでしょ」と聞いた深尾に、水木は「そんな
残酷ことさせるのは**工業大ぐらいなもんだぞ」と呆れたように言
った。
「しまった騙された」と深尾。
どうやら他の部が、「少林寺の合宿は・・・」と言っていた噂を、一
年が真に受けてしまったのだ。いうなればこれは髪の切り損というや
つ。
高御堂が静かに言った。
「いいじゃん、来年から一年生はみんなこうするという伝統にすれ
ばいいんだよ」
肇は体育会の中で、伝統的な慣習が誕生する瞬間を見たような気が
した。事実、この習慣はこの後何年も続くことになるのだった。
二年生は一年を整列させた。そろそろ準幹部が到着するのだ。
二年の水木が走って戻ってきた。先程から頻繁に電話をかけている
ようだ。同じ二年の朽木に顔を寄せると、ひそひそと話している。
「もう家は出ているらしい」
「隠れているんじゃないか」
隣の都築が、肇にそっと言った。
「大田先輩、まだ来てないらしい」
「後から来るのかい」
都築は黙って首を振った。
水木たちの会話には、「脱走」とか「行方不明」とかの言葉が混じ
っていた。
一年生よりは確実に楽なはずの二年生が事前に逃げ出してしまいた
くなるほどの合宿・・。一年生を覆う不安の影の原因はこれだったのだ。
肇は入部早々の四月に、三日間、練習を逃げたことを思い出した。
厳しい練習と、それ以上に体育会の縦社会に嫌気がさし、大学を辞
めてもう一度浪人しようかとまで思いつめていた。
当てもなく電車に乗って、浜松と磐田で一泊したあと、実家に帰っ
て両親に相談した。
母は「嫌なら辞めなさい」と言った。
しかし、父は、ずっと文科系でやってきた息子が体育会に入ったこ
とを、かなり意義有ることととらえていたらしく「ここで辞めたら、
お前は一生つらいことから逃げる癖がつく」と言った。
そして「勉強なぞ二の次で、とにかく四年間やってみたらどうだ」
と励ましてくれたのだった。
思えば、こんな体験はこの四年間だけで、この機会を逃せば、おそ
らく一生経験することはできまいとも思えた。
父は「時には何も考えず、ばかばかしいことをばかになってやって
みろ」とも言った。
肇も「よしっ、ばかになったつもりでやってみよう」と覚悟を決め
たのだった。
蛇足ではあるが、四年後、息子の卒業に際して、父は「本当にばか
になるとは思わなかった」と深い後悔をすることになるのである。
さて、そろそろ集合場所に準幹部が姿を現し初めた頃、一人の中年
の「おっさん」がやってきた。赤ら顔で酒の匂いがした。醤油で煮し
めたような菜っ葉服で、手には破れかけの名鉄メルサの紙バッグを持
っている。
少林寺の連中に親しげに話しかけてくる。最初はOBかと思って二
年が対処していたが、どうみても「ただのおっさん」だった。
やがて「おっさん」は少し離れたところに引っ込むと、首を傾げた
りしながらじろじろとこちらを見ている。
「OBかな」と三浦。
「あんなOB、やだよ」と市川。現役としては当然の感想だ。おっ
さんはどう見ても浮浪者(差別表現を恐れず当時の言葉を使ってみた
が、ちゃんとワープロの辞書に入ってた!)、今風に言えばホームレ
スだった。
じきに準幹部たちがやってきて、怒号のような挨拶が繰り広げられ
た。
それを聞いたおっさんは、突然、何を血迷ったのか「ガンバレー!」
と叫んだ。
思わず全員が唖然とした。
(やはりOBだったのか?)
「優勝してこーい!」
(?)
この「?」マークは、一年から準幹部までが等しく抱いたものであ
る。
「危ないぞ、この人」と準幹部が言い、全員をホームへ向かわせる
事にした。
慌てて移動を初めた肇たちの背に、「ばんざーい!」と言う声が聞
こえてきた。
しょうがなく「ありがとう」と言いながら改札を通ったのだが、さ
らにおっさんは「がんばれー、東邦高校!」と叫んで、部員全員が気
づいた。
おっさんは肇たちを甲子園球児と思い込んでいるのだった。名古屋
駅の主(当然駅長という意味じゃない)らしいおっさんは毎年高校球
児を見てきたのであろう。その彼が間違えたのである。全員が大笑い
した。
どうやらおっさんのおかげで、合宿に対する不安は少しだけ軽くな
ったのだった。
合宿の宿は、羽咋の海岸から三キロほど離れた松風という旅館だっ
た。老朽した造りを見ただけで学生の合宿によく使われているのがわ
かった。年々建て増しを続けて建物の廊下は複雑に曲折し、さらに登
り降りしていた。
おそらく宿のオーナーは老朽化に対応して改築を繰り返し、ある時
点を境にして一般の泊まり客に対する利益率の高い仕事を諦め、学生
の合宿といういわば薄利多売に転じたのであろう。
宿に着いたのは三時過ぎだ。準幹部がてきぱきと部屋を指定した。
その間、一年生の一部が国鉄の駅留めで送った荷物を取りに行った。
胴とかプロテクター、部旗、救急箱などが四つの梱包に分けて送って
あったのだ。
部屋は一年・二年の兵隊部屋と準幹部室・幹部室の大部屋が三つだ。
一・二年が同じ部屋なのは当然一年生の脱走を二年が監視するためで
もある。
幹部たちは四時過ぎに到着した。二台の車に分乗して完全に行楽気
分だ。
この合宿を本当の意味で旅として楽しんでいるのが幹部たちだけな
のだ。みんなジーンズとかグルカショーツとかの「お気楽」な格好で、
「いいじゃねえか、幹部たちは」と二年の朽木は悔し紛れにこぼして
いた。
一年生は、幹部部屋に二名、準幹部部屋に一名が常駐し、奴隷とし
て雑用をすることになっていた。二十分で交代ということになってい
る。
奴隷部屋(当然、一・二年の部屋である。二年生はいわば奴隷頭と
いったところだ)を整理していると、幹部担当をしていた市川が戻っ
てきた。時間より少し早い。苦い微笑みのような複雑な表情をしてい
た。
けげんそうに見つめる肇たちに、「これ」と言って一本の木の枝を
差し出した。
何処かで拾ってきたものだろうか、太くて堅そうだ。まだ小枝がい
くつもついている。
「何だよ」と三浦。
「幹部さんが、怪我をしないよう、これの小枝を削っておけって」
「まっ、まさか」と言った朽木に市川は「そのまさかであります」
と答えた。
全員の脳裏に閃いた言葉、
愛大精神注入棒!
何というおぞましい言葉であろうか。
「あれを捨てなければよかった」と高御堂が二年に聞こえないよう
につぶやいた。
「あれ」について説明しよう。夏休み前に一年だけで部室の掃除を
した時のことだった。動かしたロッカーの後ろから五十センチほどの
長さの棒が転がり出たのだ。
「なんだ」と拾い上げた三浦が「げっ」と言ってのけぞった。
ほこりにまみれたその棒には、昭和四十*年の年号とともに墨で書
かれた「愛大精神注入棒」の文字があった。
三浦の声に集まった一年生全員が、やはり「げっ」と叫んでのけぞ
った。
棒の使い道についての説明は不要であろう。
「こんなものがあったとは」と高御堂がつぶやいた。
「どうしよう」と肇。
「こんなものがありましたって幹部に見せたら・・・、いい結果には
ならんだろうな」と高御堂が言った。
こんなものを発見したと知れば、幹部は必ず使いたくなる。使われ
る奴隷はたまったものではない。幸い現在は、こんな棒は使っていな
いのだ。
おそらく幹部すらこの棒の存在は知らないのではないかと思われた。
「みんな、これは見なかったことにしようじゃないか」と高御堂が
言うと、即座にそうだそうだと同意の声が上がった。
結局、その棒は高御堂が捨てにいった。闇から闇へと葬り去ったの
だ。
市川が幹部から渡された棒は、太さも長さも「あれ」の二倍以上あ
った。まさに「あれ」の方がましだったのだ。
「とほほ」と情けない声を上げ、深尾がカッターで枝を削った。な
かなか見事な手さばきだ。
「ばれない程度に細くしろ」という水木の指示で、深尾は細心の注
意をはらって削った。 おかげで、枝は表面をきれいに処理され、ま
るで工芸品のような出来栄えであった。土産物屋の店頭に飾って置け
ば、まちがいなく修学旅行の中学生が買ってしまうに違いない。
(すばらしい出来栄え、でも全然嬉しくない)と肇は思った。
一年も二年も喜べるはずがなかった。ただ棒を幹部室に持参した深
尾の話では、幹部は非常に喜んで、深尾にビールを飲ませてくれたそ
うだ。そして、「もう一本欲しいな」と言われたのだった。
テーブルに夕食が並んでいる。一年から三年準幹部までがテーブル
の前に正座して、幹部の現われるのを待っている。
廊下を足音が近づいてきた。幹部係の都築だ。
「幹部さんがみえられました」という都築の声と同時に幹部たちが
入ってきた。
おなじみ怒号の挨拶に向かえられ、幹部たちはおもむろにテーブル
につく。幹部の前には一年生、準幹部の前には二年生が正座している。
結局、大田はやってこなかった。一身上の都合ということになって
いるが、これは明らかに脱走である。いや、合宿に来ていないのだか
ら、正確には脱走と言うより逃走である。二年生と準幹部は、これが
練習の上でどのような形となって現われるかを心配していた。
おそらく連帯責任として厳しいしごきになるに違いない。
食事の前に、幹部より合宿日程が告げられた。
明日から一週間、練習は朝一時間、午前二時間、午後三時間の一日
六時間であった。
午前・午後の練習は「近く」に借りた町民体育館で行なう。そこま
での移動はランニングである、と言うことだ。
全員が合掌して食事が始まった。一年は幹部の給仕をしなければな
らない。いちいち「お茶でございます」「お代わりでございます」と
やっているので、おちおち食事をしている暇もないのだった。
食事が終わると今度は風呂だ。一年は「お背中流し要員」として幹
部と同行する。やはりじっくりと湯につかる暇はないが、結果として
準幹部よりも先に風呂に入れた。おまけに幹部からジュースやビール
を奢ってもらえる可能性も高い。とはいえ、そんな特典がなくても、
風呂は一人でゆっくりと入りたいのが人情だ。
あたふたと夜が更けて、幹部付きの係が部屋に帰ってきたのは十一
時近かった。
一年生が全員揃ったところで二年の水木が言った。
「今から、お前たち兵隊のスケジュールを発表する。いいか、朝は
朝練の三十分前に起床。準備をして、十五分前に準幹部を呼びに行く。
そして十分前に幹部を呼びに行く」
それから、と水木は続けた。
「午前・午後の練習場所である体育館は、ここから片道三・六キロ
ある。準備の者は一時間前に出発する。それ以外の者は三十分前に出
発する。可哀相だが移動の時間は練習時間には含まれない。以上」
ということは、往復一時間の二回で練習時間は実質八時間。早朝に
海まで約三キロを往復走るとして、一日トータル二十・四キロ走るの
だ!
計算をして、肇は(ぎゃっ!)と思った。
まるで陸上部ではないか。
そういえばボクシングにはロードワークがあり、日本拳法部の連中
もうんざりするほど走っている。結局、格闘系のスポーツや武道にと
っては、走りは欠かせぬメニューなのだった。
他の一年も瞬時にして同じような計算をしたのだろう。声にならぬ
うめき声が聞こえてくる。アメリカ映画なら、頭を抱えて「オゥ、ジ
ーザス」とか「オーマイガッ」とつぶやくところだ。香港映画なら、
両手を合わせて「哀号」か。
とにかく長い一週間になりそうだった。