*****ひろのうたびとのしおり・・・其の壱拾参*****


ママチャリGP耐久参戦!! 1の巻き(6/30)

 1年の半分がもうお終いです。本当に早い・・・実感です。さて、行って参りました、「富士スピードウェイ ママチャリGP6H耐久レース」奮戦記です。28日の早朝2時半頃、10人乗りハイエースに8人、軽トラに2人便乗し静岡県小山町の富士スピードウェイへ出発しました。天気は予報では曇天・・・、雨よ降らないで・・・、そう願います。

 R21から東海環状可児御嵩ICから豊田JCから東名に入り御殿場ICまで、片道280kmほどのドライブです。しかし、これがすでに耐久・・・なのです。頻繁に休憩をとり4時間半で・・・つまりゲートオープンAM7:00調度に到着。正直遠かった・・・。すでに耐久だぁ・・・と実感です。眠てぇ・・・47歳の身には、寝不足がとてつもなく体力を奪う事をこの後、身に沁みて感じる事になろうとは・・・。(其の壱拾四へつづく・・・

いよいよ迫ってきました(6/22)

 今度の土曜日28日は、待ちに待った「ママチャリGP6時間耐久レース」です。場所は富士スピードウェイ・カートーコース全長520mをママチャリで走り続けると言うとっても楽しそうな・・・ご機嫌なおタンチンたちが覇を競う・・・というものです。それに友人M一家と私たち一家と計10人でBBQを楽しみながら走ろう!と言うものです。

 いろいろイメージしながら約半年、結局断念した実用車での出場・・・。大きなテントを張って、BBQセットを持ち込んで、わいわいやるのです。夜中に車を走らせます。いろんな車を想定して、あ〜だ、こ〜だ!となりましたが、乗用車2台と軽トラ1台で行く事になりそうです。軽トラには自転車とテントと机テーブルなど・・・。衣料や食材は乗用車に乗せて・・・わくわく感はつのっていきます。ライダーは仮装をしなくてはいけません。これを考えるだけでも楽しい限りです。馬鹿な事は、大いに盛り上がってしなくてはいけません。変に冷めるのはご法度です。類は友を呼ぶ・・・私たちは・・・少なくとも私と友人Mは、同じ穴の狢なのです。そしてそれに付き合わされるそれぞれの嫁さんと、子供たちなのです。そんな親父の背中を子供たちはどう見ているのでしょう?ちょっと心配だったりしますが、一緒にやってくれる事を思うと、いけてる!!のでしょう・・・?

 チーム名は「漕いじゃって、どんどん!」・・・昨年の夏のEボートのレースに始まり、この夏も、2回目の出場予定です。いくつになってもこの性格は変わらない・・・そう思います。次回は奮戦記です・・・お楽しみに!?

揺れている(6/14)

 今朝東北で地震があった事はすでに周知の事。ここでも昨日震度1ながら、久しぶりに体感できる揺れを感じました。10,11日と東京へ行った際にも思いましたが、人ごみに出かけていつも思う事は、今地震に遭ったら・・・と考えるのです。サッと思いを巡らせても、的確な答えを導く事はできません。非難して・・・どこへ?無事だったら・・・どうする?家族へ連絡・・・災害伝言ダイヤル?やった事無いからなぁ・・・とただただ今起こらないようにと無事を思うしかありません。

 以前にもここに記した事があったと思いますが、阪神・淡路大震災の起こった2ヶ月前、明石のたこ焼きを食べようツアーに誘われて参加しました。バイクで出かけた日帰りのツーリングです。そんなに強く誘われたわけでもありませんでした。でも行って見たい・・・という思いが強くて喜んで参加を表明したのですが、日が近づくに従ってその気持ちがどんどんなえてしまうのです。そのときの気持ちは不思議な感覚で、妙になんか落ち着かないのです。「行きたくないなぁ・・・」と口走ったのは1、2日前だったと思います。でも楽しいはずのツーリングだし・・・思いを改めようと何度もそのときの気持ちを変えようとしたのですが、落ち着かない・・・その思いは変わらないのです。

 結局出かけていきました。神戸〜明石大橋(建設中)を見物して、明石のたこ焼きを食べて・・・カワサキの本社工場を訪ねて、近くのファミレスに寄って・・・それでも一緒に行ったレノンさんに「帰りましょう・・・」と言っていたように記憶しています。何度も口にしてレノンさんに嫌な思いをさせてしまったと思います。でも口について出てしまう「帰りましょう・・・」だったのです。その言葉に一行は半ばせかされるように帰路をかっ飛んで走って来ました。あの震災時にグニャァっと折れ曲がった高速道路を・・・です。その2ヵ月後の早朝、忌まわしい震災が起こりました。

 あの感覚はなんだったのか・・・?わかりません。蟲の知らせ・・・と言うものでしょうか?不思議な体験でした。あの後は何もそんな感覚がくる事はありません。地球時間にすれば、2ヶ月はほんの一瞬です。張り詰めた糸が切れる寸前と言う事になります。地震が起こるだろう場所は磁場が乱れる・・・という話を聞いた事があります。動物には磁場を感じる感覚が本来備わっているとも聞きました。帰巣本能などがそういった磁場を受けて機能する感覚だそうです。乱れていた磁場を私がその時気持ち悪いもの・・・として感じたのかも知れません。全然関係無い思いだったのかもしれません・・・。

なんでやぁ〜・・・(6/8)

 今月末に予定されている「ママチャリ6時間耐久レース」準備も着々と 進んでいました、友人Mが「これ(出場マシン昭和レトロ1号)で本当に出れるんかなぁ?」と聞いてくるので、主催者に確認を入れてみました。本来のママチャリではありませんが、速くなる要素はどこにもありません。重くて漕ぎにくくてブレーキもプアだし・・・。ぶつかればこちらが勝つ!というくらいなものです。しかし・・・しかししかし・・・主催者は、メールに添付した写真を見て、不適格!というつれない返事を下したのです。 「やんでやぁ????」という私の心の叫び!モチベーションは一気に下がっていきました↓。

 これが、ママチャリには見えない!という事が大きな理由です。まぁわかっていた事を思いっきり指摘されてしまった・・・。という事です。勝手にこうだから良いだろう・・・と決め付けていた訳です。まぁ主催者の言い分は絶対ですから、聞かねばなりません。特にレギュレーションは参加者には守らねばならない決め事です。それにそぐわなければ失格です。

 フロントフェンダーに取り付けた鉄人28号胸部のフィギュア・・・。グリコのキャラメルのおまけです。前後のシャフトに取り付けたブラシは、亀の子たわし・・・です。ベルもライトも昔の物を探してきて付けました。ただ心配だったロッド式のフロントブレーキのシューが硬化していて、白い粉を吹いてしまって6時間ももたない・・・と言うことで、これも探して交換をしなければ・・・と言うことで、町内のK自転車店に注文をしている状況です。いずれにしてもいろんなものが希少になっていて、手に入りにくいという状態です。でもここまで いろんな物を取り揃えるのに、自転車も安価にその他の物も貰ったりして、事のほか順調に夢は大きくなっていました・・・。ナノに・・・がっくりです(涙)。

 フレーム部には専務手書きの看板を取り付ける予定になっていたのに・・・。このノスタルジックな思いを袖にされた無念さは・・・、いかんともしがたい思いはあきらめ切れません・・・・。往生際が悪いのが私の悪い癖かな?とも思いますが、この話を聞いた姉は「持って行っちゃえ!!」と応援?してくれるのです。ゼッケンまでつけて当日ピットに置いておこうか?と思います。主催者側も何百台と受け付けて来ましたが、この自転車(実用車)で参加されたチームは過去いませんでした。意外な問い合わせに戸惑った事は言葉の節々に強く感じられるところでした。苦渋の決断だったそうです。だったら参加させろ!!おめぇ〜・・・。

今日は休み(6/2)

 今日は休みです。店はやってますが、私だけ休みを頂きました。「明日は休み〜!!」と昨夜家族に言うと、「じゃぁ、サックスのリード買ってきて!・・・○○のこれこれやで・・・」と何やら買ってきて欲しい物の詳細をメモって私に「はい!」と渡します・・・。毎日部活で自由な時間が無い次女です。仕方が無いのでそのメモを受け取りました。私は、スポーツ用品店へ行ってバスケのユニフォームの話を煮詰めて・・・来ようと・・・思っています。家内は、「仕事用のGパンのすそが破れて来たから買ってきたら?」とありがたいような・・・半ば命令されているような・・・威圧感を若干?感じました・・・。私は、靴が欲しいのです。いろんな靴を買うのですが、どうしてもつま先を汚してしまう・・・軽く擦って傷めてしまうのが私の癖のようですから・・・せっかく買った靴もすぐに傷めてしまうのが常なのです。

 体育館の使用料を支払いに行って来なくてはいけませんし・・・。15日の試合での保険の申し込みもしないといけません。普段出来そうでできない事が今日出来るでしょうか?欲を言えば映画も観たいのですが・・・。朝一番で来客(仕事ではない)があってすでにAM10時半。もたもたしているとあっと言う間に時間が過ぎて・・・夕方になってしまう・・・。じゃぁ行ってきま〜す!!

発見、黒いケース!(5/27)

 先日、物置を物色中ある物を発見しました。昔使っていたロッカーの中を何気に開いてみたら、何やら取っ手のついた黒いケース・・・見覚えのあるその形に「あれ?」と若干の記憶の片隅にある形と違うと感じつつ、そのケースを開けてみました。するとそこから出てきたのは、期待した物でした。昔、おばあちゃんにわがまま言って買ってもらったトランペットです。まだまだ子供だった私には、これを鳴らすほどの肺活量も無く、手本になるようなモノも無く、手垢いっぱい着けられたトランペットは、幾度か吹かれドレミファ・・・♪と鳴らした記憶はありますが、短期間で私の開かずのケースと仕舞われて行きました。それから35年くらい経ちましたか・・・、私はギターに夢中になり、そちらの楽器へと関心を寄せて、記憶からもこのトランペットはいつしか奥の奥へと仕舞われて行きました。

 それから時は流れ、私の次女が吹奏楽に没頭するようになり、この記憶の奥に仕舞われたトランペットの事を思い出しましたが、行方知れず・・・で次女にも「トランペットはどこにあるの?」と誰かに聞きつけた事の事実を言及してきました。「う〜ん・・・わからない・・・」と答えると、「吹いてみたい・・・」との事。他の楽器に興味を持ち始めた様子。トランペットを吹いている仲間を見て、格好良い・・・と思ったそうです。そんな事もあって、このトランペット発見の報は、懐かしさと驚きと・・・次女にとっては喜びであった訳です。

 しかし、この黒いケース・・・開けてやっぱり・・・今と違ってまんま真鋳で、手の湿気・・・汗だったり・・・で軽く青だったり赤だったり・・・錆びているのです。でも、気にしていたバルブの稼動はスムーズで綺麗に磨けばOKじゃないかと・・・マウスピースを綺麗にして、試しに吹いてみました・・・。 しかし、やっぱり上手くは行かない・・・行きっこありません。だってちゃんとヤッテナカッタ訳ですから・・・。情けない音が「もひょ〜」っと出ただけです。次女にも吹かせてみました。管楽器でも金管と木管の違いはやっぱり別物で、親子共々「もひょ〜」っと情けない音が続いただけでした。

 まぁせっかく手元に戻ってきたわけですから、時間をかけて暇なときに磨いていこう・・・と仏壇磨き用にと買ってあった研磨剤でシコシコ・・・と磨いているここのところであります。でもいくら磨いても上手くはならないんですけどね・・・。どうしましょ?


アマガエル ケロケロ♪(5/18)

 今日はさわやかな陽気です。でもあの嫌な梅雨も間もなくやって来る・・・なんて思うか、一年で一番気持ちの良い季節を心で感じるか・・・。そう思うとちょっとブルーな気持ちが頭をもたげる一瞬です。どうせやって来る梅雨なら日本にいる以上、避けられないし、生まれてからずっとそうやって生きて来たんですから、大して気にせず今を感じて生きていた方が良さそうです。

 今日はさわやかな一日ですが、明日は天気が悪い予報。火曜日には雨だとか・・・。それを察してか、味処しゅん(店の庭)で今年もアマガエルが「ケロッケロッ♪」と鳴いています。無事に冬を越したようで・・・かれこれ3年くらいになるのでしょうか?もっとかな?次女がどこからか連れてきたアマガエルだと思いますが、ここで生き続けている(そんなに長生きなのかな?)アマガエルです・・・たぶん。

 カエル・・・で思い出すのは、私たちが子供の頃は、周りには田んぼが多くて田植えが終わった今の時期は、カエルの鳴き声でそりゃぁもう大騒ぎのミッドナイトです。そんなこともあって、頻繁にカエルが目の前に現れます。学校帰りの道すがら、ぴょんぴょん目の前を跳ねるカエルたち。おもむろにこれらを捕まえる子供たち・・・。手にして観察をすることは当たり前ですが、残酷惨事が繰り広げられて行くのです。まぁどこでもあったこの子供ゆえの残忍さ・・・。大きくなって子供の頃に大なり小なりやったであろう残忍な行為を思い出し、心の中で手を合わせ詫びるのです。正直、ある場所を車で通るとこの行為を思い出すのです。そこは小学校の通学路、JRの線路下を通る道です。両サイドはコンクリートの壁。捕まえたカエルで遊んで終いには、このコンクリートの壁にぶつけて殺してしまうのです。いたぶる・・・という仕業です。本当にその場所を車で通るたびに思い出す行為です。本当にかわいそうな事をしました。そこを通るたびに心で手を合わせます。

こんな事がありました(5/12)

 こんな事を書くとドン引きされるかもしれません。きっと誰もが感じない事・・・のような気がします。いくつかここに書いてみたいと思います。とてもわかり辛い事ですから、うまく表現できるか?疑問です。

 この感覚は、幼少の時から感じていたものです。心が体を離れているような・・・(これだけ読んだだけで、もう引いている方もいるかもしれませんねぇ)。ぼ〜っと考えている時間があります。その時自分は考えている世界に気持ちが入って行きます。これは誰もがそうだと思いますが、その思いの次元に自分が居て、体がある今がとても居心地が悪く感じるのです・・・。たとえば、最近起こった時の話をしますと、1ヶ月ほど前、私は電車に乗っていました。ぼ〜っと外を眺めています。何を考えていたのかは忘れてしまいましたが、10分くらい物思いにふけっていたでしょうか・・・、ふと我に返ると自分は電車の中に居る・・・当たり前なんですが、どうしてここに居るんだろう?と電車に乗っている事が、非現実の世界に感じてしまうのです。ここに居るんじゃなくて、考えていた時が現実のような実感は無いのですが、そちらのほうが居心地が良かったりするのです。意味わかります?こんな事が1年に数回おこります。

 それから、先日広島へ行った時、以前からどうしても行きたかった原爆資料館。30年ほど前に修学旅行で行った時の記憶は、もう消えかかっています。ちゃんと話を聞いていなかったでしょうし、関心も薄かったのだと思います。今、この歳になって知りたい!感じたい!と思って行ったのです。期待を感じながら資料館の中へ・・・、見るものが初めてのような気がしてしまいます。何も覚えていません。ひとつだけ・・・石段に座っていた人の形に影・・・というか黒い痕跡がある・・・、という物です。見れば銀行の開店を座って待っていた人のもの・・・との事。内容は記憶にとどめていませんでしたが、それだけは覚えていました。

 いろんな展示物があるわけですが、山本五十六(連合艦隊司令長官)に関する記述があった場所での事です。ず〜っと読んでいた時です。神妙な気持ちになっていた時です。ふいに左肩を「ポン!」と叩かれました。私は一緒に行った、娘たちだと思い、「なんや?」と言って振り返ったのですが、後ろには娘たちどころか近くには誰もいないのです。「おっと、来ちゃたかな?」と思いました。ここへ来る前から、なんらかがきっとあるんじゃないか?と思っていたからです。

 もっと前、10年くらい前です。安土城跡を訪ねた時です。石段をいくつも登って天守閣跡へもう少し・・・と言う時、「ほっ、ほっ、ほっ」と(笑い声じゃありませんよ。)軽快に石段を駆け上がってくるような感じで、息遣いが聞こえた事もあります。これは気のせいかな?とも思いますが・・・。こんな事があっても不思議と怖い・・・という感じは、全然しません。

 そして、今日のこと・・・。某ホームセンターへ行きました。いろんな物を買おうと、メモを見ながらうろうろしていました。すると同じように買い物をしている人が、何やら妙な視線を私にくれるのです。「???」とまぁあまり気にせず買い物をしておりました・・・。するとしばらくして、「すみません・・・」と男の方が声をかけて来ました。全然知らない人です。その男性、私に近寄り「○○はどこですか?」と商品の場所を聞いて来るのです。「え?」・・・と私。「私はこの店の者ではありません」と答えると、「え?」その男性は、罰が悪そうに去って行かれました。たまにいろんな場所で間違われることも過去あったので、「またか・・・」という気持ちです。そしてそのあとすぐにまた「すみません・・・○○はどこですか?」と同じ事を聞いてくる人が・・・。私は「ここの店の者ではありません」とその人を見ることなく答えました・・・。今日はいつもと違うなぁ・・・何でだろう?この店の店員とはまったく違う服装なんですが・・・。と考えた瞬間、その答えがわかりました。私の着ているミスタータイヤマンのポロシャツの背中には思いっきり「STAFF」と書いてありました・・・。そそくさと買い物を切り上げ帰ってきました。


名古屋ドームへ(5/6)

 昨年に引き続き、伯父と叔父(オジでも漢字にするとこうなるのだ)と息子と4人で行ってきました名古屋ドーム。対広島戦(昨日までの阪神戦の傷を癒すには絶好の相手・・・のはずだった。)、今日から3連戦3タテ!を目論んでいた皮算用。座った席はいつもの高くて安い席。5階のバックネット裏の上、本当にホームベースの真後ろ真上・・・という見やすい場所(のはずだった・・・)。

 座ってすぐさまプレイボール・・・。試合に集中できないうちに、先発朝倉はあっという間に失点1。その後はどうにか抑えて、裏のドラゴンズの攻撃。1番荒木が3塁打で出塁。続く井畑が犠牲フライであっと言う間に同点。やんややんやの喝采です。今日は打撃戦か、ドラゴンズのワンサイドゲームを期待しました。

 するとどうでしょう・・・。その後は広島の外国人ピッチャー(誰だっけ?)の調子の良いこと。なかなか、ドラゴンズのバッターがたまにヒットを打つのですが、凡打を繰り返す有様。そのうち朝倉がコントロールを乱し始めて、再三ピンチを招きますが、何とか抑えてゲームはあっという間に進んでいきます。でもゲームは本当につまらない展開。チャンスになれば必ず回ってくるイ・ビョンギュ、阪神戦でサヨナラを打った勢いがあるのかと思いきや、初球は何でも振っていく有様。おかげでチャンスも全部台無し。このままでは、Gのスンちゃんよろしく2軍へ行ってもらうしかない・・・と思ってしまう調子の悪さです。おまけに打順は前後しますが、タイロンも絶不調って感じです。この二人が大ブレーキ!!おかげで広島のしょっちゅう替わるピッチャーを誰一人からも点を取ることができません。いらいらしながら結局延長12回引き分けに終わりました。

 それから、試合を見た場所は全く持って、いい感じのはずが、通路を挟んで前3列の子ども会のような20人くらいの団体さん・・・。あんた等に言いたい!「立つな!何度もうろうろするな!後列の我々たくさんの人の目線であるところのホームベース付近は、この集団のちょっと上になるのです。ですから先に書いたように、立たれたり、うろうろされると途端に見えなくなるのです。この集団の面子は、子供のために野球を見せてやろう!と考えた(野球をあんまり知らないだろう)優しいおかあちゃん数名。そして主役であるところの、小学校低学年のお坊ちゃまたち12・3名。大人だってこんなつまらない試合です、子供やこのおかあちゃんたちが楽しいはずがありません。中盤から子供たちは「もう飽きちゃったもんねぇ」・・・状態。おかあちゃんたちは、食べるは、飲むは・・・でその買出しと、排出で暇もないくらい次から次へと席を立ちます・・・。後列のじっと見ている人たちも次第に試合のつまらなさも手伝って、この有様にイライラ・・・。注意を促す人が出始めました。また係員にも何度か注意をされる始末。そしてとうとうこの私も立ち上がったまま話し込んでいる一人のおっかぁに向かって、「座って!」と言ってしまいました。全く持ってホームベース付近が見えなくなってしまうのです。「良い席やね」と思っていたら「良い席やねぇ(無ぇ)」でした。


アキレスが泣いている・・・(4/29)

 最近ではなく、半年くらい前からやたら肩こり・・・背筋痛を病んでまして、pcに向かって仕事をすることが多くなったのかなぁ・・・?と目から来るのか・・・。それとも歯のかみ合わせから来ているのか・・・?ただ、あれだけ歩いていた毎日を、寒いだの・・・花粉だの・・・で止めていた事が災いして、少々ウェイトオーバーになったからなのか・・・?全部なのか・・・?いずれにしても辛い最近でした。

 ある人に、体が硬いから・・・と指摘を受けて(幼少の頃から体は自慢できるほど硬いのだ・・・)、首を引っ張るは、背筋を伸ばすは、肩をこれでもか!と回して、涙がちょちょぎれて気持ちよかったり・・・、それが功を奏して今朝は幾分気持ちよくお目覚めしました。ひどい時は頭痛もして、どうかすると脂汗をかいて、吐き気を伴うこともありました。

 昨晩は、久しぶりに若い連中みんなでバスケットをしました。やっぱりスポーツは本当に気持ちの良い物です。かく汗も実に爽快で、気持ちも体もリフレッシュできます。若いときはそんな感覚は全然ありませんでしたが、2.3年前(もうちょっと前かな?)本当に爽快感を実感しました。ストレスもスポーツの汗で体から流れ出るんでしょうね。ただ・・・ただですが、次の日の足腰への疲労感はやっぱり避けられません。運動前にストレッチをするんですが、体そのものの鮮度が悪いんでしょうねぇ・・・。アキレスが泣いていますよ(笑)。古いゴム状態に段々なって行くんですよね。だから、いくらストレッチをやっても、この鮮度は戻らない・・・訳です。ある友人が教えてくれました・・・「切れる時は切れる」と。

広島(4/21)

 先週末、BSの研修旅行で福岡甘木工場の見学と座学がありました。福岡は3度目。商工会での研修、そしてトーヨータイヤの総会とプライベートの旅ではありませんで・・・。でも2日目は観光が組まれている・・・と言ったものです。1泊2日の予定で金・土だったこともあり、わがままを言って私だけ大宰府天満宮を参拝後、娘が来ている広島へ移動しました。

 二日市・・・と言うJRの駅より各駅停車で博多へ・・・、「のぞみ」に乗って1時間ほどで広島へ。駅から宿泊先のホテルまで徒歩3分ほど・・・。無事に2人の娘たちと合流することができました。少し休んで、広島焼きを食べに出かけました。鉄板にて・・・と言う駅で貰ったタウン誌に記してあったことに、おいしそうなイメージを抱いた次女。「ここへ行こう!」と言うことになり、「へい、タクシー!!」。

 行ったお好み焼き屋は、旧家を店舗に仕立てたような造りで、雰囲気はいい感じ・・・。2階の小部屋に通されて・・・これまたいい感じ・・・。掘り炬燵の部屋で・・・これもまたいい感じ・・・です。お品書きは、まぁどこにでもある感じでしたが、ねぎ焼き・この店のお勧め焼き・そして広島風お好み焼きを頼みました。この広島風・・・?風とは本物ではない・・・と言うこと?ここは本場ではないのかい?とちょっと腑に落ちない感情を持ったまま、鉄板で焼く時を、娘たちと待ちました。しかし、なかなか来ません・・・。待つこと20分くらいか?なんとやって来たのは、出来上がった3枚のお好み焼き・・・冷めないように、温められた鉄板に移されて食べるシステムだったのです。な〜んだ・・・と思いましたが、まぁいいか・・・と気を取り直し、食べました・・・。でも味が薄いのです。どれを食べても薄いのです。テーブルの端を見るといくつかの調味料が・・・塩・七味・そしておたふくソースなのです。塩や七味はいいでしょう・・・、でもおたふくソースは正直がっかりでした・・・。この店の味は何なの?と感じます。先にも書きましたとおり、味は薄いのでこれをかけました。しか〜し、甘辛いのです。甘い方が勝っています。正直、いまいちでした。。。店の雰囲気は良いのに・・・味が地域の味覚の問題なのか、岐阜に住む私たちには、薄味すぎて・・・残念でした。(広島風・・・とはお好み焼きの中で、広島独自のお好み焼き・・・と言う意味合いだとあるhpで学びました・・・納得です。)

 昨日は、私にとって30年ぶりくらいの広島です。修学旅行のやり直しです。平和公園へレンタカーで移動です。原爆ドームをゆっくり眺めて、いろいろ思いを抱きました。そして娘たちの修学旅行の思い出(次女にしたら10ヶ月しか経っていません)を聞きながら、資料館へ・・・。原爆の悲惨さを・・・観ているうちに胸が苦しくなって来ます。ここへ来たかったのです・・・ずっと前から・・・。でもゆっくり観ることができません。時間をかけても気持ちがそれを受け入れることができないのです。重すぎます・・・いろんな事が・・・です。また、いずれ・・・そう思ってここを後にしました。

 次に、レンタカーを飛ばして、呉の大和ミュージアムへ・・・。造船の街、呉です。大日本帝国艦隊時代、戦艦大和やいろんな船が作られたその呉に行ってきました。大和の1/10の模型があります。ここでも気が重くなります。来たかった場所なのですが、また来よう・・・とここも後にしました。次は、宮島の厳島神社です。でももう一度広島市内を通過して、宮島まで1時間くらいです。なんと初心者ワッペンを貼った長女が運転をしてくれました。たいしたもんです。でも宮島に着いても、駐車場がなかなか見つかりません。そこで立ち入った大きなコンビニを併設した讃岐うどんの店の駐車場。ラーメンを食べる予定でしたが、讃岐うどんを食べました。TVで見たような並んで半セルフサービスのオーダー方式で、本場でないのに、岐阜ではやっぱり味わえない麺のコシを味わい、かけたしょうゆは味わいも美味しく、満足できるものでした。美味しかったですよ、ほんと・・・。

 結局宮島には時間の関係でどうしても行けず、対岸から眺めるだけでした。目の悪い私にはどうにか認識できる赤い鳥居の姿です。また来よう・・・、またまたそう思いました。次来られるのはいつでしょう?


春祭は金魚すくいで締める(4/14)

 昨日はこの辺りの春祭りでした。ですからお店はお休みです。親戚が大挙やってくる日でもあります。昼食を共にして、午後から大挙、地元神社へ繰り出すという・・・毎回決まったパターンですが、誰もそれに異論はありません。そうする物だとず〜っと思っていますし、そうすべき事のような気さえします。

 ただ、大勢の人の中へ15〜20人が列を作って行く事は不可能な事。各々2〜3人が固まって出かけて行きました。神社の参道にはたくさんの出店が並び、子供の頃は、これが最大の目的です。出店の種類も今と違っていました。今思えば、なんやらあやち〜お店がいっぱいあって、それが楽しくもあり、お店のあんちゃん達と言葉を交わしながら楽しんだものです。桜の樹も立ち並び、季節柄、花吹雪の中、この祭は狭い参道に大勢の人で賑わう祭なのです。

 この祭には、無病息災・・・この1年を無事に過ごせるよう魔除けの慣わしとして、蝿追(はいぼう)と呼ばれる鬼?のような面を被った、その年の厄年の男衆がのお役目を務めるのですが、その蝿追が持つ竹の棒の先がいくつにも割れているササラと呼ばれている物で、軽く頭を叩かれるとそのお払いを受けた事になるのです。子供の頃は、出店に行きたくて行きたくて仕方が無いのですが、この蝿追が怖くて仕方ありませんでした・・・。小さい頃は身がすくむほどの恐怖を覚えた物です。

 それが、私が24歳の頃、当元と呼ばれる自治会単位でこのお祭を運営していく役目がやって来ました。なんと私にこの蝿追のお役目が来たのです。終われば「やりました・・・」と言えるのですが、終わるまでは蝿追の正体は、他言してはいけないそうで、極少数の者しか知らされない約束事になっていました。また、祭の1週間前にお払いを受けて、当日までは不浄なことは避けるように・・・と、また祭当日は、トイレに言ったら塩にて手を清める・・だったか利き手を使ってはいけなかったか・・・だった気がします。御守を頂いた記憶もあります。本当に今思えば名誉な事をさせてもらったんだと思います。

 話がお祭の内容になってしまいましたが、私の次女はこの春高校生になりました。友人3人で出かけて行きまして、いろいろ楽しんで来たようですが、昔から次女は金魚すくいが大好きで、高校生になってもやっぱり金魚の入った袋をぶら下げて帰って来ました・・・。次女曰く「祭の締めは、金魚すくいやて・・・」だそうです・・・。


ママチャリGPエントリー(4/6)

 春の需要も落ち着いてきました。昨日の土曜日がそれを感じさせる一日でした。この春は、本当にたくさんのお客様が見えて、例年になく忙しい毎日でした。本日の営業は久しぶりに1人です。1人でやるにはちょっと大変かな?とも思いますが、頑張ってくれた皆にはお休みを・・・。

 話は、本題へ・・・。6月に富士スピードウェイで行われる「ママチャリGP」というイベントをご存知ですか?以前からあることは聞いていたのですが、この春、とうとうアホさ極まって・・・とうとうと言うか、やっぱり・・・と言うか、エントリーしてしまいました。出場するのは、私たちタイヤ屋一家と仲の良い電器屋一家との10人でのエントリーです。6時間をママチャリで走ると言う、とても過酷なレースなのです。20年程前、ミニバイクの耐久レースを幾度か経験していますから、それなりの気構えはできるつもりです。それに大半は子供たちが頑張って走ってくれることでしょう・・・。私たちは、BBQでも楽しみながらトランプでもやってのんびり過ごすと言う完ぺきな作戦です。

 しかし実状は、65チームの受付枠が、大会開催日の3ヶ月前からネット上で開始!とありました。それが3月28日だったのです。たまたま、pcにて仕事の書類を作ろうと朝一で作業にとりかかろうと日付を見て「あっ!!」と思い出し、何気につないでエントリーを済ませたわけですが、その数分後には、エントリー受け付け終了・・・、という状態になっていました。いるんですねぇ・・・同じ族が・・・、アホな連中が・・・。そんな人間に付き合っちゃうご機嫌な連中もしっかりいるんですねぇ・・・いつの時代も・・・。今から、そんな雰囲気に負けないようあれこれ作戦の練り直しです。ふっふっふっ・・・楽しみダァ〜!!

春を迎えて(4/1)

 先にも書きました先月の11日は中学の卒業式でした。これで8年間お世話になった中学校ともお別れです。いや、私自身が通った3年間を加えれば11年間・・・と言うことになりますか・・・。次女はこの3年間で何を得たのでしょう?私たち人間は、人として心と体が大きくなっていきますが、長い人生に置いてこの中学の3年間は、実にその成長の度合いが大きいと言えます。男子ならこの間に20cm〜場合によっては30cmくらい伸びてしまう子もいると聞きます。そして外見ではなかなか分からない心の成長・・・でも明らかに激変していきます。一言で言うと、自我・・・を持ち始めます。自分・・・という認識です。小学校では、「みんな一列に並んで〜」・・・、と言えば「は〜い」と元気良く並んだ子供たち。靴を揃えたり、親の手伝いをしたり、呼べば大きな声で返事もしたでしょう。

 しかし、自我が芽生えると、この以前は出来ていたことが、なかなか出来なくなる・・・のです。出来るのでしょうが、やらなくなってくる・・・と言ったほうが合っていると思います。照れくさい・・・面倒くさい・・・ばかばかしい・・・など。でもこれはごく自然なこと・・・大事な心の成長の証なのです。中には、大きくそれていく子供も若干見受けられます。いわゆる手に負えない子・・・。客観的に観れば、自我の芽生えを、上手にコントロールできない状態にあると思います。あちこちにぶつけながら、角張った心が、少しずつ丸みを帯びて、自我をコントロールできるようになっていきます。それが大人になって行く・・・という行程です。

 私自身がまじめに中学校の子供たちと向き合ってきて感じたことは、以前もたくさん書いたように様々な感動をくれる子供たちでもありますが、客観的に感じることですが今の子は、昔に比べると実に大人びた感覚を持っています。でもそれは、褒められたことではありません。逆に、とても幼稚に思えたりもします。私が子供の頃の雰囲気を1つの物指しとして測ると・・・ですが。冷めた幼い子供たち・・・かもしれません。しかし、こうなってしまった環境を作っているのは、私たち大人・・・。私たちが、子供たちの将来像としての手本を示していない・・・そんな気がします。仕事に忙しい今の社会。何かに追われて生きている社会です。戦後、国は豊かに!GDPを上げる!そして競争の中、生きて行くことを強いられて、教えられて生きてきました。でも幸せですか?最近、こんな話を聞きました。国民総幸福量(GHN)を念頭に国政を進める国がある・・・それがブータンです。ブータンの国状について語る気はさらさらありませんので割愛しますが・・・。幸せの量・・・などどうやって算出するのか?疑問です。でもその概念にはとても魅力を感じます。幸せは感じるものですから、その規定を設けることは難しいでしょうが、幸せを感じられる世の中を作って行こう!とする根本を持つことは、今とても必要な事なのかもしれません。安倍前総理が「美しい国・・・日本」という言葉にもこんな思いが込められていたように感じます。幸せの価値を口にして、声にして、高めていけば生き方も、世の中も何かいい方向へ向いていけるんじゃァないかと感じるんですけどね。そうすれば、そんな生き方をする大人を見て、環境で育つ子供たちは、素直に育って行くんじゃないかと願ったりもします。春は、息吹を感じる季節です。

合格(3/21)

 一昨日は、次女の高校の合否の発表がありました。無事、春からここへ通えます。今思えば定員の5人オーバーで、確率的に言ったら高い確率で合格するわけですから、大きな気持ちでいればいいようなもんですが、どっこいそれがわが身以上になんとも言えない緊張感で,胸が苦しくなります。

 番号を見つけたときは、本当にホッとしました。次女と一緒に受けた友達たちも一緒に合格です。こう言うときは、本当にみんなの顔が晴れやかで、この何年間は、この日のために費やしてきたと言っても過言ではありません。みな一緒に・・・みな一緒と言う事がとてもよかった事なのです。この喜びを共有できる瞬間は、皆が平和に包まれて幸せに満ちた表情をされている感じがします。

 今年度は、長女と次女の受験がありました。次女が誕生してからこうなる事がわかっていましたが、いざ経験してみてそれなりの思いをした事は、私たちにとって親としてまた、育ててもらったのだと思います。そして、私たちもそれぞれの親に、こうやって苦労をかけたのだと・・・今になって思います。こうして繰り返されて人は生きているんだなぁ・・・と感じました・・・感謝です。

卒業(3/14)

 季節柄卒業のシーズンですね。春は別れの季節です。ちょっとセンチになったりもしますが・・・。先日、私どもの娘二人も、高校・中学と卒業を迎えました。この3年間、当たり前に一緒だった仲間とも、次の日からは一緒ではなくなるのです。まだ、その実感は湧いてこないのでしょうが、受験を終え、ぽっかりと空いた時間を持て余す・・・そんな春の日です。

 卒業式に話を寄せますと、厳粛な空気の中、緊張した子供たち。いつもと違った、先生たちの服装から、面持ちから・・・今日は特別の日、卒業式なんだと感じたことでしょう。何十年も前の事ですが、こんな私もかすかにそうだったなぁ・・・と思い出されます。校長先生の祝辞から卒業証書の授与へ・・・校長先生が約230名の卒業生一人ひとりに卒業証書を手渡します。手順をきっと教わっただろう生徒たち。でも緊張感からお辞儀と手が同時だったり、差し出される前から手が出たり・・・テレ笑いを浮かべるそれぞれの子供たち。また、厳格な儀式として、神妙な面持ちでしっかりこなす生徒もいます。微笑ましくもある光景です。

 今は、卒業の歌は「仰げば尊し」ではありません。在校生も「蛍の光」ではありません。それぞれの学年で歌った合掌歌が歌われます。そして最後は卒業式のスタンダードとなった「旅立ちの日に」という、とある町の校長先生が卒業生に贈った詩に、音楽の先生がメロディを着けて、卒業式の日に先生全員が生徒へ贈った歌だったそうです。それが口伝えに広がり、全国の至る学校で卒業生による合掌歌へとなって行きました。今では成人式でも歌われるほどだそうです。何度聴いても、実に良い歌です。

実用自転車を探しています(3/2)

 友人のM一家と、今年の夏もEボートに出よう!!という魂胆をかわしています。しかし、その前に気になる催しがあります。年に3回・・・行われているようですが、その内容に、大変そそられる私たち(あんた等・・・ともよく言われます)です・・・。

 それは何だ?と言いますと、「ママチャリ耐久レース」。あの富士スピードウェイで行われているらしい・・・遊び心満点のレースです。ママチャリであれば誰でも参加できるという楽しいレースのようです。このような類のものに私たち(あんた等)は、スーグ飛びついて参加したがる悪い癖!と軽蔑の意味をこめた言葉も以前はあったような気もしますが、出る杭は打たれる!が、出すぎた杭は打たれない!!という持論のもと、家族の声も味方につけて、6月の大会に向けて、やる気まんまん!の私たち(あんた等)なのです。そこでM一家と軽〜い相談をしているうちに、友人Mが「昔の実用車で出よう!!」とこくのです。私は「ええねぇ〜」と即断!!それから即自転車探しが始まりました。

 しか〜し、ありそうでなかなか無い!なんかちょっとのどかな場所へ行けば、納屋あたりに閉まってありそうなんですが・・・その気になって探すと見つかりません・・・。1台、知り合いのリサイクルショップにまぁまぁの物があったのですが、正直新しいのです。やっぱり丸石のベニーサイクルのような古い自転車がいいのではないかと思うのですが・・・。

 あっても実際に走らせるには手直しが必要でしょうから、そこそこの出費は覚悟して、走行可能な状態の車輌を手にしたほうが良いのかな?とも思います。でもどなたか、家に実用車のいらないのがあるよ!と言われる方いらっしゃいましたら、こちらまでご連絡ください・・・。むしがよすぎますか?

窓に降りそそぐ(2/24)

 今朝も、夜中に降った雪が若干の姿を残した風景です。 2階の窓の下枠に弧を画くように雪が残っています。この冬何度目かの寒さで目が覚めた朝でした。部屋の東側に1つだけ出窓があります。この窓から見えたゴルフ練習場も今は無くなり、事のほか、中山道太田宿の広重の画いただろうポイントが見えます。太田の渡し・・・。南側の窓からは、その絵にある鳩吹山がくっきり見えます。東の窓からは、太田の渡しに代わって架けられた太田橋がちょうど、目線の高さに見え、その向こうには木曽川の対岸の岩肌が少しですが見えます。ゴルフ練習場が無くなった事で、階下が広がっている事に気が付きました。新年初日の出はその太田橋の向こうから昇って来ます。私の家からしか見えないビューポイントなのです。気に入っています。

 その窓に降り注いだ雪・・・窓に降り注ぐ・・・この雪のように、何かを信じて生きていこう・・・この冬が終わる前に・・・ラララララ〜♪ サボテンの花・・・の歌詞を思い出します。そうそう、それにこの出窓には、そのサボテンの鉢が置いてあります。20年ほど前、ミニバイクレースに興じていた頃、静岡方面へ出かけていった帰り、お土産として買って来たサボテンでした。償いサボテン子・・・と言いますが、その鉢から子ども?が育ち、今はその孫?のサボテンがここにあります。

 明日は、我が家の長寿の日。亡くなった祖母の誕生日です。故人を偲んでお祝いをします。

パンの切れ端(2/17)

 朝食はご飯・・・というのが私が子供の頃の定番でした。思えば夕べのカレーを朝から食べて学校へ行きました。今では考えられない食生活です。ウィンナーの半分でご飯を3杯食べた事もありました・・・。朝食だったか?覚えていませんが・・・。ついでに中1の頃、2ヶ月ほどオーストラリアの男子の交換学生が我が家にホームステイしていた事があり、この2ヶ月間毎朝一緒にご飯を食べるのですが、ある朝、私はご飯に納豆・・・それを見た彼は「Oh〜No〜!!」という気持ちの悪い物を見る目で私の食事を見たのです。「美味しいよ。」と勧めても彼は「X」を手で作り、おもむろに冷凍庫からバニラアイスを取り出し、湯気香る炊き立てのご飯の上に乗せるのです・・・。「ぎょぎょぎょ〜!!!」です。彼は更にそれをかき混ぜてスプーンで美味しく食べて見せるのです。お互い「うぇ〜・・・」となりながら学校へ行きました・・・。

 それが、朝食にパンもいつからか食べるようになりました。子供の頃に比べると、本当にパンも美味しい物がたくさん手に入ります。食パンも何が芳醇なのか分かりませんが、美味しそうです。フランスパンでも食べやすくなったと思います。初めて食べた時には、なんじゃ?こりゃ???と思わず口の中を切るかと思いました。白いコッペパン?がありますが、もちもちしてて実に食べやすい・・・これを見るたびに、ペーターのおばあさんを思い出します。これなら歯の悪い人でも食べられますね・・・。

 食パンの耳・・・どうかすると残します。少し残して店の裏の石垣にまいておきます。するとこの時期、なかなか餌を取る事が出来ないであろう野鳥が集まって来ます。スズメがほとんどですが、見ていてその仕草は飽きない物です。30代前半の頃、早朝から座禅を体験しに行ったことがありました。座禅を組み、写経をして、朝のおかゆをご馳走になりました。お説教を聴き、その時、おかゆを食する前に、「箸でひとすくいご飯をお膳の隅に取って置いてください。」・・・と言われました。「それを食べ終わったら、庭の石灯籠の上にでも置いてください。するとスズメたちがそれを啄ばみにやって来ます。それを施しの心・・・と言います。」と教えてもらいました。

 このパンが事の他早くなくなる時があるのですが、何のことは無い、迷犬さくらがせっせと食べているのでした・・・。お前食べ過ぎ!!

腕時計(2/9)

 十数年前、友人の店で買った腕時計。それまでコンビニなどで手に入れられる安価な時計を使っていました。でも或る時、知人から「もうそろそろちゃんとした時計をしたら?」と言われたのです。私はこの「ちゃんとした」という意味が初めはよく理解できませんでした。疑問に思って「何が?」と尋ねると「店主に成ろうとする者が、そんなちゃちな時計をしていてはあかん!」と言うのです。これからいろんな場所へ、いろんな席へ出かけるだろうし、いろんな人に会うだろうから、そんな初対面のときに、印象が問われる・・・。人は身に着けている物、着るものだったり時計だったりを見るものだ・・・と。私は「そんなものかなぁ・・・?」と意識して考えたことが無かったのです。

 まぁいずれそんな時計も欲しいなぁ・・・と思わなくも無かった自分が以前からいて、知人のそんな言葉に背中を押された感じで、友人にパンフレットを見せてもらい、手ごろな気に入った時計を手に入れたのです。私にはその頃、変なブランド志向は全く無く、セイコーが一番!と言うことで、TVCMでもその頃やっていた、AGS・・・自動発電による充電式の時計を買うことになりました。定価にして¥8万くらいだったと記憶しています。ウン十万もするブランド物は、どこか鼻に付く感じで、身に付けるにはおこがましい・・・的な気持ちも大いに有って、8万・・・という価格はやったほうじゃないかと・・・思ったわけです。事実私には高い買い物です。今なんか違う意味で絶対買えません。

 そんな事で手に入れたこの腕時計・・・昨年秋から、充電力・・・といいましょうか・・・、どうかすると翌朝、止まってしまうようになったのです。友人に聞けば・・・「6年くらいが耐用年数かなぁ・・・。電池やな・・・」と言うことでした。でもどうかして今日まで使い続けてきたのですが、昨日、時計をはずした際、充電状態を確かめると(最近はしょっちゅうやっていました)、もうほとんど電池が残っていない状態なのです・・・。「今日は来るまで外回りをしていましたから、腕をあまり動かしていないからかなぁ?」と思って、TVを見ながら30分間ほど振り続けていたのですが、全く状態は変わらないのです。そして今現在は、もう今にも止まりそうな状態で秒針が1秒間に2秒間分針が進み、1秒間止まる・・・という動きになっています。チ・チ・チ・チ・・・ではなくて、チチ・・チチ・・という動きです。おっと〜これを書いている今、止まってしまったぁ・・・。慌てて時計を振ってみました・・・。すると末期の動作をして動き出しました。いずれにしても、明日時計屋さんに行って、充電池を交換してもらわないといけません。hpで調べたら可能・・・との事。いつの時も腕に巻いて使って来ましたから、愛着がありますからね・・・。大事に使って行きたいと思います。

これで最後?(1/31)

 35年の期間を経て、チューリップが活動を終えるそうです。新たなメッセージ的な歌を歌ってきたのかといえば、決してそうではなくて・・・そればかりか、昔を懐かしむ・・・そんな回顧的な気持ちを歌ってくれた・・・、そしてわれわれファン心理にも、たぶんにそれがあったように思います。ですから、60歳を迎えるあの方たちにとって、そんなファンの気持ちに応えつづけることは、決して楽な事ではなかった・・・のかもしれません。もう1つ思えば、新しい何かをするには、逆に窮屈になってしまったのかもしれません。いずれにしても彼らは、もう活動をしない・・・との事です。 そんな訳で、昨晩は、名古屋でやる最後のコンサートでした。私は、根っからの馬鹿ですから、1人で行っちゃった訳です・・・。

 席は、可も無く不可も無く・・・と言った場所・・・だと思ったわけです。近い席は、お顔こそ良く見られますが、音が良くない・・・とされています。後ろ過ぎますと、いかんせん「うりゃうりゃ〜」と言った乗りがどうしても悪くなります。真中の真中辺りがちょうど良いのですが、私の席は、19列の16番・・・真中あたりの若干左サイド・・・いわゆる下手でした。

 演奏が始まって、「え!?」と驚いたのは、今まで幾度となく聴いてきたのですが、スピーカーの低音があまりにも強いのです。バスドラの音が、心臓に直接響いて来ちゃうのです。感情的ではなくて物理的に・・・です。昨年末の忙しい時に、人並みに忙しくしていた私は、何かしらストレスを重ねていたのでしょう・・・俗に言う不整脈・・・を感じていました。話がそれますが、毎年この時期だったり、何かお役目をやっていた時は、こんな状態が起きるのです。まさに今回の低音は、それを誘発・・・(する事はなかったのですけど!)しそうなくらいいや〜な感触でした。そのおかげで演奏が今までのどの時よりもガチャガチャして聴こえ、とても残念でした。

 思うに会場の割には、出力がでかいのでしょう・・・客席が近すぎるのでしょう。程よく聴こえるのは、中列より後ろ・・・真中より・・・だと思います。逆に近い席で聴くと、生音が聞こえますから、それはそれで良いのです。ドラムの音は、マイクで拾わなければ、パンパン・・・ドンドン・・・と全然違う音がします。録音された音は、作られた音ですからね。ライブでも大会場ではそんな作られた音になるのです。

 そんな思いで始まった最後?のコンサート・・・。中学の頃、ラジオで聴いたチューリップ・・・。その音に魅了されて今まで聴いてきました。最近は聴く回数こそ減りましたが、この先も幾度と聴く事でしょう・・・。アンコールが終わって会場が明るくなり、私の何かがひとつ終わったのかもしれません・・・。

最近の歌に惹かれて(1/21)

 最近でもないのかな?こんな歌を気に入って聴いています。2つあるのですが、1つは「いきものがかり」という若者の3人組のバンド?です。女の子がヴォーカルで2人が男の子・・・。ギターでも弾いているのか・・・実態は良く知りません。曲名は「茜色の約束」。若者の淡い恋心と別れを歌った内容だった・・・の歌です。もう1つは、「普天間かおり」の「守りたいもの」という歌です。ちょっと大人の愛の歌・・・ですか・・・。

 ただ、私は「いいなぁ・・・」と感じる要因は、いつもメロディなのです。アレンジなのです。まず聴いて関心を示すのは、メロディ・・・なのです。その後じっくり聴いてみて、歌詞をはじめて意識します。いきものがかり・・・のこのヴォーカルの女の子は、実に元気良く歌ってくれます。伝わってくる何かがこの女の子の魅力なんでしょうね。作ったのは水野良樹・・・とありますが、この2人の男の子のどちらかでしょうか・・・。なかなか良い感性しています。この女の子が歌うからでしょうか・・・「わたし・・・」という歌詞を「あたし・・・」とするあたりは、ちょっと斜めにした女の子なのでしょうか?

 もう1つの普天間かおり・・・普天間といえば沖縄・・・米軍の滑走路問題で揺れているところです。長女の友達・・・Rちゃん・・・Kさんご一家は元気でしょうか・・・?そんなことも思い出してしまいます。本名なのかは知りませんが、沖縄の出身のようです。いつだったかラジオのパーソナリティを務めているのを聴いた時、沖縄訛りの言葉でした。なんとも優しい感じの語り口調で、歌声とは裏腹な印象で、実に明るいキャラクターです。歌はしっとりとした歌声・・・独特の声色をもっている印象です。

 どちらも市場的には売れているのか?いないのか?はわかりません。でも流行っているから何かで聴いたのでしょうからね。更にでもですが、良いメロディだなぁ・・・と感じたことは好い事です。

太閤秀吉様(1/14)

 子供の頃、小学校4年生くらいの頃だったと思いますが、親に突然、日本の偉人伝・・・豊臣秀吉の本を買って渡されたことがあります。自分からせがんだのではなくて、思えばその頃の私には、本を読むという習慣がなかったのです。そんな私に親は危惧を覚えたのではないのかな?という理由が考えられます。

 休みの日だったのでしょう・・・。昼間の八畳間にうつぶせになって、渋々この豊臣秀吉・・・という昔の人の本を読み始めました。字面だけをジーッと読み続けることは、なかなかどうして私には苦痛以外の何物でもなくて、最初の1.2ページは親の「読むように!」という指令に縛られて堪えて読んでいたと記憶しています。しかし、読んでいるうちにその話の展開が、一種痛快なサクセス・ストーリーであることに面白みを覚え、気がついたら時間の経つことも忘れ、初めて本を読破することが出来たのでした。

 それから、この太閤秀吉に関わる本を読むようになりました。中学に入ってからは、その戦国の時代背景を、私の中の主人公豊臣秀吉を中心に図書館にある本を全部読んでしまいました。歴史にまつわるエピソードには深く関心を覚えました。学校の日本史では習う事のないことばかりです。ですから肝心の中学での社会の成績は良くはありませんでした。当時読んで覚えた秀吉像とは、貧しくても一生懸命主人に仕え、努力し出世をして、最後には万民に感謝されるまでになった天下人になった・・・というすごく立派な人・・・でした。そりゃぁ・・・尊敬してしまいます。私の中では、ヒーローになったのでした。

 しかし、だんだんこの本で覚えた秀吉という人間像が崩れていきます。裏切られた・・・と言うより、人としてなかなか出来ない志を貫いた無理な生き方よりも、「そりゃぁ・・・そうでしょう・・・」という人間臭さを描いたドラマや歴史番組を観るうちに、秀吉像はヒーローではなくなって、地位・名誉・権力・金・女・・・どろどろした人間の欲の中で生きていた秀吉という男・・・として更に面白みを覚えました。

 実は、この子供の頃に読んだ同じ本が我が家にはあります。本屋に言ったとき全く当時と同じ本がまだ売っていたのです。つい、私の子供にも読むように迫ってみたのですが、残念ながら、全く読む気配はありませんでした。本棚にずっと立てかけられたこの本を、この正月休みに、久しぶりに読んでみました。なるほど・・・こんな文章に子供の頃の自分は魅了され、全部一気に読んでしまったんだった・・・と感じながら、大きな文字で書かれた文章をやっぱりまた一気に読んでいました。私にとって、歴史に関心を持たせてくれた人物だった事には変わりはありません。

2008謹賀新年(1/6)

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
お正月休みは今日まで・・・。いつもより1日多いお休みです。とても長く感じます。元日は、地元の神社へお参りに・・・。2日は下呂温泉に昼食を兼ねて温泉へ・・・なんとがら〜んとしていた温泉場のロビーで、同業者のMさんにばったり!!(他には誰もいません。)なんという偶然でしょう・・・。3日は恒例のお多賀さんへ・・・。4日は家内の実家へ・・・。5日は久しぶりに映画館へ・・・2本観たのですが、どちらも「ちょっとなぁ〜」という映画でした。そして今日は、初ウォーキングでもしてこようかな?というところです。3年間愛用していた冬用のウェアも痛んで来たところなんで、4日の日に新調してきました。

 この休みに特に何があった!という訳ではないのですが、お多賀さんでの出来事・・・。いつものようにお参りを済ませてから、お守りを買いに行きました。そんなに混んではいなかったのですが、私が並んだ巫女さんの列での事。私の1つ前にいた、関西弁のご夫婦。お守りをあれこれ買い求めている様子。巫女さんにいろいろ聞いているのですが、なかなかこれが1つや2つの尋ね事ではありません。やっと会計が終わって・・・さぁ、私の番だと目当てのお守りを手にしていたら、またまたさっきの関西弁のご夫婦が、厄除けのお払いのお守りはここで買えるのか?とか受付はどこだとか・・・。まだまだ何やら聞いていましたが、最後に「厄除けに数珠が欲しいけれどあるか?」と来ました・・・。巫女さんは一瞬「え?」という表情をされて、はにかんだ笑顔で「無いですねぇ〜・・・」とお答になっておりました。そのはにかんだ笑顔の中に、「あんたら、どこにお参りに来とるんや!!数珠が欲しかったらお寺へ行け!!お寺へ!!!!」という声が含まれていたように感じました。いろんな人がいろんな思いで新年をスタートさせたんだなぁ・・・と思います。

 今年もいい一年になりますように・・・。