ハローマイフレンド(中編)

 

 

翌日。

俺は神尾さんを連れて生活指導室の扉を叩いた。

「失礼します」

中にいたのは・・・ゲッ、三沢先生だ。

痩せぎすの猫人。この先生はとかく規則に厳しい。生徒の意志そっちのけで校則を重んじるタイプの人だ。そんな人だから、当然霧島とは折り合いが悪い。ちなみに数学教師。

「ん? どうした遠野」

部屋にいたもう一人の先生が声をかけてきた。

固太りの虎人。体育の柏木先生だ。

この先生は三沢先生と違って、校則の前にまず生徒の意志を尊重してくれる。見た目は怖いけど、いい先生で人気もある。・・・まあ、それが教師として良いか悪いかはわからないけど。

「あ、はい! 今日は霧島の処分の件でお話があって来ました!」

まるで直訴に来た農民のように、俺は声を張り上げていた。

「・・・霧島の?」

「はい」

「・・・その娘となんか関係があるの?」

柏木先生に指さされ、神尾さんはおずおずと一歩前へ出た。

「えっと、はじめまして。神尾智子です」

 

神尾さんはいつもの調子で、訥々と事件のあらましを語ってくれた。

話を聞き終え、二人の先生はうーんと腕を組んで唸る。

「霧島の処分は間違ってます。いますぐ停学を解いてください」

「しかしなあ。暴力事件だぞ、暴力事件。我が校始まって以来の不祥事だ」

大袈裟に言う三沢先生。

我が校始まって以来ってそんな。過去に一度や二度の事件ぐらいあっただろうに。

「でも霧島のやった事は正しいんと違う?」

柏木先生が助け船を出してくれた。

思った通り、この先生は俺達の味方に付いてくれたようだ。

「それにしたってやりすぎでしょう? 相手だって人間なら、まず話し合いでですねえ」

「一人の子によってたかってイタズラするような連中に話し合いが通じるとは思えませんけど」

「む・・・遠野、お前昨日霧島の家に行ったって言ったな」

「え? はい。ですからそこで神尾さんに・・・」

皆まで言わせず、三沢先生は言葉を続ける。

「霧島に、そう言ってくれと頼まれたんじゃないのか?」

「なっ・・・違います!」

「その子、神尾さんだっけか? も、本当にイタズラされそうになったのかどうかなんて、わからないしな」

心外だった。

これが狂言だといいたいのだ。

俺ってそんなに信用がなかったのか?

思わず反論しようとした俺を制したのは柏木先生だった。

「先生、遠野がそんな事する人間だと思っとるの?」

「まあ・・・確かに遠野は成績もいいし、そんなコトするとは思えんが、霧島ならやりかねん」

呆れたものだ。

この話に成績なんて関係ないじゃないか。

そう思ったとき、ふと感じた。

・・・俺も同じだ。

俺も、霧島の事を素行が悪いとか、成績が悪いとかの理由で勝手に不良のレッテルを貼り、彼の事を知ろうともしなかった。いなくなってくれた方がクラスのためだとさえ考えていたんだ。

「・・・・・・」

悔しかった。

俺の言葉が疑われた事より、今までの自分の価値観が悔しかった。

「ワシはそうは思わんよ。霧島だって根はいいヤツだと思っとるでな」

「根はいいヤツ、なんてのは詭弁ですよ。それで済むなら警察はいりません」

まあ、確かにそれはその通りなんだけど。

「ほんなら先生は、困っとる女の子を見捨てて行くのが正しいと?」

「む・・・」

「そ、そうですよ。霧島は人助けをしたんですよ!? それなのになぜ停学にされなきゃいけないんですか!」

「だったらなぜそのことを弁解しなかったんだ?」

「それは・・・」

「あたしのためを思ってしてくれたんです! あたしが、その、恥ずかしい思いをしなくて済むように・・・」

さすがの三沢先生も、美少女の懇願には弱いと見えて、言葉に詰まった。

3対1で攻められて、とうとう三沢先生も折れた。

「・・・わかりましたよ。確かに今回の処分には思うところがあります。それは認めましょう」

「それじゃあ・・・!」

「ただし! 暴力を振るった事は紛れもない事実です。そのことも念頭に置いて、職員会議で今後の処分を決めていきましょう」

こうでも言わないと格好がつかないのか、最後っ屁を残して席を立つ三沢先生。

職員会議、か・・・。こう言っちゃなんだけど、霧島は他の先生方にもすこぶる評判が悪い。果たしていい結果が出るかどうか・・・。

俺の不安が伝わったのか、神尾さんも眉根を寄せている。直訴に付き合ってくれた彼女のためにも、うまくいって欲しいけど。

「安心しやあ」

「え」

「ワシがあんばようやっとくで。今日の所はもう帰りゃあ」

・・・?

言葉の意味がよくわからないけど、柏木先生に任せておけば悪いようにはしないだろう。

俺達は頭を下げると、生活指導室を出た。

なぜか一緒に出てきた柏木先生がこっそり耳打ちする。

「ワシちょこっと誤解しとった。見直したわ」

「え? ああ、そうですね。俺も霧島の事、誤解してました」

「ちゃうちゃう。ワシが誤解しとったのはおみゃあさんの方だがね」

「俺?」

「ワシ、おみゃあさんが霧島のために直訴に来るなんて思ってもおらんかった。正直、もっと冷てゃーヤツだと思っとった」

冷たいヤツ、か。

そうか、俺、そう見えてたのか。

「フフン。・・・彼女のせいか?」

「ち、違いますよ!」

「あせらんでもええて。・・・ちゃんと家まで送ってってやりゃあよ?」

俺は赤い顔で「わかってますよ」と答えた。

ニヤニヤ笑いで見送る柏木先生。

だから違うってのに。

 

 

さらに翌日。

霧島の処分が決定した。

停学の期間が大幅に減って、今週いっぱいまで。といっても今日はもう金曜日だから、実質ほとんど処分は撤回されたようなものだ。ただし、反省文の提出はしなければいけないけど。

電話で神尾さんに話すと、受話器の向こうで彼女も喜んでくれた。

俺は霧島への連絡役を買って出て、彼の家へ再び足を運んでいた。

・・・よく考えたら、わざわざ90分もかけて家まで行かずとも、電話で話せば済む事だ。

そんな事はわかりきっているのに、俺はアイツの家へ向かっている。

なぜだろう。以前と違って足が軽い。アイツに会うのを楽しみにしている自分がいる。そのことに気が付いて、俺はしきりに首を傾げていた。

・・・まあ、別に深い意味はないだろう。

高鳴る鼓動を抑えきれず、チャイムを鳴らす。

以前と同じように、少ししてから霧島が姿を現した。

「・・・よ、よお」

「え? ・・・遠野? なんで?」

「おめでとう。停学は今週一杯でおしまいだ。来週からまた学校に来れるぞ」

「は? え? なんの事だ?」

「だから、疑いは晴れたんだよ。停学処分も撤回だ」

実際はちょっと違うけど、この際どうでもいい。

興奮している俺に、霧島は戸惑いながらも「ま、まあとりあえず上がれよ」と部屋に通してくれた。

 

 

前回と同じ、汚く散らかった部屋。

まさかもう一度訪れる事になるとは思わなかったな。

ともあれ、俺は事の顛末を霧島に語って聞かせた。

霧島は黙って聞いていたが、俺の話を聞き終えた後ポツリとこういった。

「・・・なんでそんなことしたんだよ」

え?

俺は思わず霧島の顔を覗き込む。

「なんで、って、そんなのお前、放っておけなかったからに決まってるだろ?」

「・・・余計な事すんなよ!」

余計な事?

「・・・よ、余計な事ってなんだよ。俺は、お前のためを思って・・・」

「それが余計だっつってんだよ! オレの事なんて、放っときゃいいだろ!?」

怒鳴りつけられて、俺はビクッと肩をすくませる。

・・・なんで怒ってるんだ? 喜んでくれると思ったのに。

「だ、だから放っておけなかったって言ってるだろ!? 無実の罪で停学なんて、あんまりじゃないか!」

「無実じゃねえよ。ケンカしたのは事実なんだから」

「でも、それは神尾さんを助けるためじゃないか! ・・・そうだよ、なんでそのこと、言わなかったんだよ!?

言い訳しないのがカッコイイとか思ってるんじゃないだろうな? そんなの、全然かっこよくないんだからな!?」

「そんなんじゃねえよ!」

「じゃあなんだよ!?」

「・・・が・・・ガッコなんて行ったって、つまんねえんだよ!」

少し思案した後、叩き付けるように言う。しかしそれはウソだ。

「ウソ言うな! お前学校好きだろ!?」

「・・・な・・・!」

霧島は言葉に詰まった。

そうだ。

いまさら気付いた。コイツは学校が好きだったんだ。

「そうでもなきゃ、毎日1時間半もかけて登校するかよ!? ホントに不良だったら、俺より早起きなんて絶対しねえよ!」

「そ、そんなの、オレの勝手だろ!」

「勝手だよ。だから俺も勝手にやらせてもらったんだ。友達が理不尽な目に遭ってるの、見てられなかったからな!」

「・・・・・・!」

俺の言葉にぴたりと動きを止めて、霧島は黙り込んでしまった。

そのまま、しばらく二人とも沈黙する。

・・・・・・。

・・・なんで俺、霧島とケンカなんてしてるんだろう。

余計なお世話だってのはわかってた。でも、喜んでくれると思ったのに。

ぐっと涙がこみ上げてきた。冗談じゃない、泣いてたまるか。

・・・俺、バカみたいだ。

勝手に世話焼いて、感謝しろと言わんばかりに、恩着せがましくわざわざ家まで押し掛けて。

・・・帰ろう。

席を立ったとき、霧島が口を開いた。

「・・・なあ、なんで遠野は、わざわざオレん家まで来たんだ?」

「だからそれは・・・連絡役を・・・」

「電話で済むハナシじゃねえか」

「・・・・・・」

わからない。

ただ霧島に会いたかった。霧島の喜ぶ顔が見たかった。

・・・喜んでくれると、思ったのに・・・。

「・・・わかんねえよ・・・」

本当にワケがわからない。

俺は再びベッドに腰を下ろした。

「・・・ありがとな」

「え?」

今、なんて・・・?

「嬉しかった。その・・・と、友達、って、言ってくれて・・・」

「別に、そんなの・・・」

全然大したことじゃない。

そもそも、最初に俺の事を友達だと言ったのは霧島の方だ。

部屋に初めて友達が遊びに来た、とかなんとか、嬉しそうな顔で・・・。・・・初めて? 中学も小学校の頃も、ここに友達が遊びに来た事はなかったのかな?

俺は霧島を盗み見た。

とりあえず、もう怒ってはいないようだ。

・・・もしかしてコイツ、友達が欲しかったのかも。

「なあ、遠野」

「ん? なんだよ」

「・・・ありがとな」

「いや、だから別に・・・」

「そうじゃなくてさ。停学の件。・・・先生に頼み込んでくれたんだろ?」

「頼み込む、ってほどじゃ・・・」

「ウソ言うな。・・・自分で言うのもなんだけど、オレ先公に嫌われてるからな。苦労しただろ?」

「・・・まあ、ちょっとな。でも、お前が思ってるほどの苦労はしなかったよ。ホント」

「そっか。・・・まだまだオレも捨てたモンじゃねえのかな。

――ガッコ行けるって聞いたとき、ホントは、嬉しかったんだ。・・・ありがとな」

「う、うん」

俺はなぜか赤くなって俯いた。

まったくもって、ワケがわからない。

「じゃ、じゃあ、俺もう帰るよ」

「え? もうか?」

「ああ。・・・ウチまで、1時間半かかるからな」

席を立つ俺に、霧島も立ち上がった。

「駅まで送るよ」

「いいよ。いっとくけど、お前は一応まだ停学中なんだぞ? 勝手に出歩いてるところを人に見られたら問題だ」

「この辺にウチの生徒なんていやしねえよ」

まあ、それもそうか。

「・・・それとも、委員長チクるか?」

俺は軽く肩をすくめて言った。

「バカ」

 

 

「なあ、霧島」

「あ?」

自転車の後ろに跨って、霧島の身体を掴みながら俺は話しかけた。

「寮に入れよ。毎日毎日これじゃ、ツライだろ?」

「えー、イヤだよ。朝から晩まで、遠野に勉強しろ勉強しろってうるさくされちゃ、かなわん」

「だっ、誰が俺と同じ部屋だなんて言ったよ!?」

「え? 違うのか?」

「いや・・・そりゃ、俺は別に・・・」

そ、そうだな。

霧島の生活を正すには、俺みたいなのと一緒の部屋に入るのが一番か。

幸い、俺は今一人部屋だし。

「・・・そうだな、よし、そうしよう。霧島、俺の部屋に来いよ。きっちり更生させてやるから」

「勝手に決めるな。イヤだって言っただろ」

「・・・イヤなのか?」

「あ、別に遠野と同じ部屋がイヤってワケじゃなくて・・・その、ホラ、ウチ貧乏だからな」

まあ、確かに寮は何かと費用がかかるけど。

でも今だって交通費が結構かかるだろうに。

「いいアイデアだと思ったんだがなあ」

「飛ばすぞ。掴まってろ」

言うやいなや、霧島はスピードを上げた。

俺は慌てて霧島の背中にしがみつく。

大きな背中からは、当たり前だけど霧島の匂いがした。

 

 

あっという間に駅に着いた。

「ほい、到着ー」

「ありがと」

礼を言って、俺は自転車から降りた。

「そうそう、霧島」

「ん?」

「俺、来週朝番なんだ」

霧島はふと思いついたように周りを見渡した。

「・・・霧島?」

「ああ、なんでもない。今ちょっと視線を感じたような気がして」

「視線?」

まさか、ウチの生徒がいるのか?

俺は霧島に習って辺りを見回したけど、それらしい人影は見つからなかった。

「まあいいや。・・・で、なんだって?」

「だから、俺、来週朝番なの」

校門の前に張って、遅刻者を罰する係りだ。

「・・・だから?」

「俺が朝番の時に遅刻するなんて許さないから」

「ゲッ。見逃してくれるってハナシじゃねえのかよ」

「絶対見逃してやらない。だからお前も、あと30分は早く起きろ」

「マジかよ」

「マジだ。わかってるな、絶対遅刻するなよ?」

「ゲー・・・」

「じゃあ月曜日。校門で待ってるから。チャイムが鳴り終わるまではな」

俺が指を突きつけて言うと、霧島はげっそりしながらも頷いた。

ふふふ。月曜日が楽しみだなんて、珍しい事もあるもんだ。

 

 

・・・で、その月曜日。

上々の天気。

鳴り終わるチャイム。

だというのに、霧島はまだその姿を見せていない。

「あのやろう・・・言ったそばから遅刻かよ」

俺は校門を閉めながらぼやく。

「・・・ま、待ってくれー・・・」

「ん?」

どこかから情けない声。

顔を上げると、陽炎に揺らぐ道の向こうから霧島が走ってくるのが見えた。

「霧島あ! 遅いぞ!」

「・・・ハァ、ハァ・・・セ、セーフ・・・」

いや、アウトだ。

校門はすでに閉まっている。

「生徒は朝8時45分までに登校する事。・・・ちなみに今は8時48分だ」

「んな、アホな・・・遠野ぉー、見逃してくれよー」

手を合わせて懇願する霧島。

当然、俺が見逃すハズはないんだけど・・・。

霧島はいつものごとく、学ランをコートか何かだと思っているのか、だらしなくボタン全開だった。それでもこの陽気の中を全力疾走してくれば汗だくにもなる。学ランの下に着た赤いシャツまでが汗に湿っているのがわかった。

これだけ必死になって報われないんじゃ、可哀相だよな・・・。

他に生徒はいない。

ちょっとくらい校門を開けたところで、誰の迷惑になるわけでも無いし。

「・・・まあ、たった3分だしな・・・」

「さすが委員長! 話がわかる!」

「今回だけだからな。明日はあともう3分、いや、5分早く来いよ?」

「おう!」

そっと校門を開け、霧島が滑り込んだところで閉め直す。

「サンキュ、遠野!」

「バカ! じゃれつくな!」

霧島を振り払っていると、その視線に気が付いた。

一体いつからそこにいたのか、校庭の庭木の下に、小豆色のジャージの虎人。

「ゲッ。柏木先生・・・!」

ヤバイ。今の、見られた・・・?

「あ、あの先生。今のはですね、えっと、なんていうか・・・」

「んー? なんの事? ワシャなーんも見とらんよ?」

ニヤニヤ笑いながら、先生はすっとぼけた。

ウソだ。絶対見てた。

「で、ですから、えっとですね・・・」

「ええから早よ教室入りゃあ。授業始まってまうで」

「・・・はい」

ま、見逃してくれるっていうなら、異論はない。

俺達はコソコソと昇降口に向かった。

「あー、焦ったなあ」

「お、お前のせいで俺まで怒られるところだったじゃないか!」

「悪い悪い。お詫びに明日は絶対遅刻しないから」

「全然お詫びになってないような気もするが、ホントだな?」

「おう」

ニカッと笑う霧島。

なぜか俺は頬のあたりが熱くなるのを感じた。

「ま、まあ、それで許してやるよ」

 

 

それから、俺は霧島と急速に仲良くなり、よく話すようになった。

休み時間でも大抵どちらかの席でだべるようになり、霧島の遅刻も減った。・・・無くなった、と言えないところが悲しいけど。

そんなある日。

俺は廊下の向こうからやってくる霧島を見つけた。

休み時間はもう終わりだから、教室に戻ってきたところだろう。そう思っていたのだが、彼は何を考えたのか、さらに階段を上って階上へ行ってしまう。

この上なんて、音楽室と美術室しかないんだけど・・・。

興味を引かれた俺は、コッソリ後をつけてみる事にした。

しかし、階上に霧島の姿はなかった。

特別教室はいつもカギがかけられているから、コッソリ忍び込むなんて芸当は不可能だろう。だとしたら・・・

「あいつ、さては・・・」

思い出した。

次の授業は三沢先生の数学だ。

さては屋上でサボるつもりだな?

そうとわかれば、俺も屋上へと上がる。

日差しはすっかり春の陽気・・・というより夏のそれに近い。でも風は気持ちよくて、昼寝にはもってこいの気候だ。とはいえ、予鈴も鳴り終わったこの時間ではさすがに人影は見あたらなかった。

「あれ? ・・・いないな」

見晴らしのいい屋上に隠れる場所など無い。

屋上をきょろきょろ見渡したあと、それに気付く。

給水タンク。

もちろん生徒が登るのは禁止されているけど、霧島の事だ。それに、ナントカと煙は高いところが好き、って言うし。

高いところに備え付けられたはしごにジャンプして飛びつくと、俺はそっとタンクの上に顔を出す。

・・・いた。

霧島は腕枕をしてタンクの上に寝っ転がっていた。

足をこちらに向けているから、たぶんまだ俺には気付いていない。俺はそっと近づくと、大きく息を吸い込んだ。

「――コラァッ! 霧島ぁ!」

「うわっ!?」

文字通り飛び上がって、霧島は跳ね起きた。

その姿があまりにもおかしくて、俺は腹を抱えて笑った。

「・・・と、遠野!? おめえなあ、ビビらせんなよっ。先公かと思ったじゃねえか!」

よほど驚いたのか、心臓を押さえながら霧島は口を尖らせた。

「あはははは・・・く、苦しい・・・ぷっ、はははは・・・!」

「ってか笑いすぎ」

「だって可笑し・・・あー、腹痛い・・・」

ようやく俺が笑い治まると、霧島は憮然としてあぐらをかいていた。

「・・・で? なんだよ、遠野」

「なんだよ、じゃない。もう授業始まるぞ?」

「わかってるよ。だからここに来たんじゃねえか」

「ダメだ。ホラ、早く教室いくぞ?」

「マジかよ・・・。カンベンしてくれ、つぎ三沢の数学だぜ? オレアイツキライなんだよー」

「俺だって好きじゃないさ」

っていうか、あの先生を好き、ましてや数学の授業が好きなんて物好きはそうそういないだろう。

だというのに、霧島は目を丸くした。

「へえ。意外だな」

「なにが」

「いや、委員長の口から教師がキライなんて聞けると思ってなかったから」

「別にキライなんて言ってないだろ?」

「じゃあ好きなのか?」

「・・・キライだけど」

言ってしまった。

霧島はいつものようにニカッと笑うと、その隣をバンバンと叩いた。

「ここ来いよ。一緒に昼寝しようぜ?」

う。

それは正直、とても魅力的な誘いだった。

悪魔の甘言に耳を貸してしまいそうになったが、俺の真面目っぷりはそんな事ではくじけない。

「おまえ、この俺に向かってよくもそんな事が言えるな」

「・・・う」

怒りを含んだ俺の声に、耳を寝せる霧島。

「ホラ、早く行かないと先生来ちゃうだろ?」

「カ、カンベンしてくれーっ」

わめく霧島を引きずって、俺は教室へ引き返した。

 

 

 

とまあ、俺達の学園生活は平和に、そして幸せに続いていた。

ずっと続くと信じて疑わなかった。

事件は、そんなある日の昼に起きる。

 

購買部の争奪戦を乗り越え、俺は無事コロッケパンとメロンパンをゲットした。

争奪戦、という言葉がこれほどしっくり来る事態を、俺は他に知らない。

「あ、委員長ー!」

食堂の空席を探してキョロキョロしていると、声をかけられた。

声の方向ではクラスメートの上杉とコースケが手を振っていた。

「ここ来いよ」

「サンキュー」

手に抱えていたパンをテーブルに落とし、俺は席に着く。

「ちょうど今委員長の話してたんだよ」

「俺の?」

「うん。最近番長と仲いいよね、って話」

上杉の言葉に、俺は思わず赤くなった。

「べ、別に、仲がいいわけじゃないって」

「そうなの?」

「そうだよ」

照れ隠しにパックのコーヒー牛乳に口を付ける。

「・・・でも、こないだ番長の遅刻を見逃してあげたんでしょ?」

ブーッ!

「うわ汚っ」

吹き出したコーヒー牛乳を躱しながら、コースケが叫ぶ。

「ごほっ、ごふっ・・・!」

「委員長、大丈夫?」

「へ、平気・・・ごほっ・・・っていうか、なんでそのこと知って・・・!?」

アレは柏木先生しか知らないハズ!

なんで上杉が知ってるんだよ!?

「ま、まさか、先生・・・あのこと吹聴して回ってるのか?」

「あ、違う違う。僕しか知らないから大丈夫」

「そ、そうか・・・。なんで上杉だけ?」

「あ、いや、その、ち、ちょっとね」

言葉を濁す上杉。

「まあそんな事より。委員長と番長のカップルなんて可笑しいよな、って話してたんだよ」

「なっ・・・!?」

俺はコーヒー牛乳を吹き出すくらいじゃ済まないほど絶句した。

カップルって、そんな、バカな!

真に受けたワケじゃないけど、顔が熱い。ヤバイ! 俺今、赤面しちまってる。

「じょっ、冗談やめろよ!」

「またまた。まんざらでもないんでしょ?」

俺はがたっ、と椅子を鳴らして立ち上がる。

だからこの時、二人の口が「あ」の形になっている事も、俺の行動に驚いているんだと思い込んでいた。

「冗談じゃない、男同士で気持ち悪い! それにな、俺は霧島みたいな不良は大っキライなんだよ!」

シン、と静まりかえる学食。

コースケと上杉も、ビックリして固まっている。

ちょっと大きな声を出しすぎたかなと反省していると、二人の様子がおかしい事に気が付いた。

気まずそうな二人の視線は、俺を通り過ぎたその先でピントを合わせている。

――まさか。

イヤな予感がした。

「・・・・・・」

最悪の状況を思い浮かべながら振り返ると、そこには案の定。

両手いっぱいにパンを抱えた霧島の姿があった。

「き・・・霧、島・・・」

弁解をするより早く。

「オ、オレだってなあ・・・おめえみてえにマジメぶったヤツは、大っキライだよ!!」

――!!

胸を締め付けられたような気がした。

周りの景色が遠ざかっていくような、視界の隅から闇に落ちていくような。

「あ、番長・・・!」

上杉の制止も聞かず、霧島は背を向けた。

止めなきゃ。

でも声が出ない。

追わなきゃ。

でも足が動かない。

そして、霧島は廊下に消えた。

目の前を、がしゃんと扉で閉ざされたような孤独感に襲われる。

「・・・悪い、委員長・・・」

「・・・いいよ」

俺はそう答えたけど、コースケが何を謝っているのかはわからなかった。

 

 

翌日から、霧島は学校に来なくなった。

 

 

つづく。

 

 

 

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