最初はグー

 

 

「よーし! 今日の練習はここまで!」

主将の声で、みんなの動きが止まる。

もちろん俺も例外ではなく、打ち込みの手を休めて床に座り込んだ。

や、やっと終わった・・・。

道着の袖で額をぬぐうと、袖はぐっしょりと濡れた。我ながら、よく汗をかいたもんだ。

「掃除当番決めるぞー。集合ー!」

疲れた身体に鞭打って、俺達はぞろぞろと主将のまわりに集まった。

全員息が荒い。このうえ居残りで掃除は避けたいと、誰もが考えているだろう。

「んじゃ、いつもの通り、恨みっこナシで!」

「押忍!」

「さーいしょはグー! じゃーんけーん・・・!」

 

 

 

「コースケ先輩、いつもお疲れさまッス!」

一年の松平吉宗(まつだいらよしむね)が、人なつっこい意地悪笑いを浮かべて、俺に挨拶した。

すでに制服に着替え終わって、さっぱりした恰好だ。

「くそー・・・! 今に見てろよ!」

この、どこぞの戦国武将のような名前の後輩は、俺によく懐いてくれている。

それはもちろん嬉しいのだが、若干生意気なところが玉にキズだ。

「ははは。じゃっ、熊田先輩も、お先に失礼しまっす!」

俺の隣で黙々と掃除をしている三年の熊田センパイにも挨拶し、吉宗は道場から消えた。

「まったく・・・。今度ちょっとシメてやりますね」

「・・・できたらな」

「うっ・・・」

痛いところをつかれて、俺は沈黙した。

吉宗はあれでなかなか強い。少なくとも、俺は試合でアイツに勝ったことがない。

「・・・センパイがシメてやってくださいー・・・」

「ん、ああ。気が向いたらな」

「とほほー・・・」

こりゃダメだ。

おそらく気が向く事なんてないんだろう。

「ほらコースケ、サボってないでちゃんと拭け」

「へーい」

 

 

俺の名前は稲葉山浩介(いなばやまこうすけ)。17歳。高校二年生だ。

薄い茶色の犬人で、自称170センチ、65キロ。ホントのところは168センチ、63キロだ。

柔道部所属。1年の時から始めたばかりで、はっきり言って全然弱い。たぶん、この柔道部の中で最弱・・・だろう。

この、稲葉山という名字はそうとう呼びにくいらしく、友人やセンパイ、担任はおろか、後輩までもが俺のことをコースケと呼ぶ。もちろん「先輩」や「さん」は付けてくれるが。

 

 

で、俺の隣で黙々と床を磨いている巨漢が、熊田センパイ。

熊田雄次郎(くまだゆうじろう)。18歳。当然高校三年生だ。

詳しいスペックは知らないが、俺の目測では身長185センチ、体重110キロくらい。胸のツキノワ模様がセクシーな、焦げ茶色の熊人だ。

柔道は小さい頃からやっているらしく、ハンパじゃなく強い。その実力は、我が柔道部一と、誰もが認めている。

・・・のだが、彼はこう見えて重度の上がり症で、試合になるとその実力を発揮できない。主将の座を他のセンパイに譲ったのも、人前では真っ赤になってしまい、うまく話ができないせいだ。

性格は穏やかで面倒見もいい、尊敬できるセンパイなのだが、その欠点だけはいただけない。

もちろん、俺はそんなセンパイもすごくかわいいと思っているのだが。

 

・・・そう。俺は、この巨漢の熊に惚れていた。

 

 

 

 

「っし、こんなモンだろ」

センパイがそう言って立ち上がり、汗をぬぐう。

彼は汗かきなので、ちょっとした運動でも滝のような汗を流す。

「そうですね」

雑巾を受け取って洗面所に持っていく。

他の部員はすっかり帰ってしまい、道場には俺とセンパイの二人だけが残されていた。

「・・・しっかし、ウチは変な部ですよね」

「ん、なんでだ?」

「だってホラ、フツー掃除なんてのは1年の仕事じゃないですか」

我が柔道部は、毎日じゃんけんで掃除当番を決める。

当番は二人。決まってじゃんけんの弱いセンパイと、俺だ。

「そうなのか?」

「そうですよ。体育会系ってのはそういうモンです」

「でもそれ、なんか理不尽じゃないか?」

わかってない、わかってないよ、センパイ!

今の状況の方がよっぽど理不尽だっていうことに!

センパイは、じゃんけんになると必ずグーを出す癖がある。しかもタチの悪いことに、周りにはバレバレなその癖に、自分ではまったく気付いていない。ときおり気まぐれでパーを出して場を凍り付かせることもあるが、しょせんはパー。よくてもあいこだ。

これはもう、センパイが毎日の掃除当番だと最初から決まっているようなものなのだ。

「まったく・・・ま、俺としては嬉しいけど・・・」

「ん? なんか言ったか?」

「いいえ。なんにも」

「そっか。・・・しかし、コースケはホントじゃんけん弱いよなー」

「はあ!?」

心外だった。自慢じゃないが、俺はじゃんけんに強い。

「だっていつも掃除当番じゃねえか」

それはこっちのセリフだよ!

俺がワザと負けてることも知らないで、この人は・・・。

そう。俺が毎日じゃんけんで負けているのは、もちろんワザとだ。

実のところ、センパイの癖も二日目には見抜いていたし、その気になれば3年間掃除免除も夢じゃなかっただろう。

でもそれは俺の望むところじゃない。

たしかに掃除当番はイヤだけど、センパイと二人っきりになるチャンスなのだ。

それに、あえてイヤな掃除当番を引き受けているのにはもう一つワケがある。

「じゃ、とっととフロ入って帰るか」

「そうッスね」

二人っきりのバスタイム。

俺は毎日、勃起を抑えるのに必死だった。

 

 

 

 

「あー、今日も暑かったなあ」

ロッカールームで道着を脱ぎ、それを無造作に床に捨てる。

センパイの汗をたっぷり吸い込んだ道着は、湿った音を立てて床に落ちた。

「ですね」

それを横目で見ながら、俺は相槌を打った。

同じように道着を脱ぎ、わざとセンパイの道着の上に投げる。

実は今日、俺は一つの計画を立てていた。

今日は週末なので、センパイは道着を家に持ち帰って洗濯してくるハズだ。もちろん俺も毎週そうしている。そこで、この事を利用して、センパイと俺の道着をすり替え、こっそり持ち帰ってしまおうという計画だ。

「・・・あれ、タオルがないな・・・」

少しわざとらしいかもしれないが、俺はカバンの中身をごそごそと漁ってみせる。時間稼ぎだ。

「ん・・・貸してやろうか?」

う、それは大変ありがたい申し出だが、ここで頷いてしまっては綿密に立てた計画が水の泡である。

「大丈夫です。今朝確かに入れましたから」

「そうか?」

「先入っててください」

「わかった」

センパイはタオルでしっかりと前を隠し、浴室へ消えていった。

「・・・ちっ、今日も見えなかった」

なぜかセンパイのガードはとても堅い。

こうして毎日一緒に脱いでいるにもかかわらず、俺はセンパイのお宝を一度も拝んだことがない。

よっぽど恥ずかしいのか、俺の視線に気付いているのか・・・。もしかして俺、そんなギラギラした目で見てるのかな・・・

見えたら見えたで、俺の愚息がのっぴきならないことになりそうだから、そんなに集中してはいないつもりなんだけどなあ。

「っと、いかんいかん」

物思いにふけってる場合じゃない。計画の実行は、今しかない。

俺はこっそりセンパイの道着を手に取った。・・・が、さすがにこのまま持ち帰ってしまうワケにはいかない。あくまでも自然に、『間違えて』持って帰らなくてはいけないのだ。

計画としてはこうだ。

まずセンパイが脱いだ道着の上に、俺の道着を置く。

で、センパイが目を離したスキに上下を入れ替える。

こうして風呂から出たあと、俺は何食わぬ顔で上になった道着をカバンに詰めて持ち帰る。

もちろん、月曜日にはいけしゃあしゃあと「スイマセン、間違えて持って帰っちゃいました。てへっ」と言って使用済み、洗濯済みの道着を返す。

完璧だ。

・・・完璧、のハズだよなあ・・・

実は以前にもこの計画を試した事があるのだが、家に帰ってカバンを開けてみると、それは俺の道着だった。どうやら拾うときに焦っていて、自分の道着を掴んでしまったようなのだ。

でも今日はそんなヘマはしないぞ! この道着を、必ず持ち帰ってみせる!

俺は、手にした道着の匂いを嗅いだ。

犬人の敏感な嗅覚が、センパイの匂いをしっかり捉える。

「あ、やべ・・・」

勃起してきちゃった。

俺は慌ててセンパイの道着を上に戻して、腰にタオルを巻いた。

 

 

 

「お待たせー」

浴室に入ると、すでにセンパイが身体を洗っていた。

「べ、別に待ってねえよ」

「つれないなあ。背中、流しますよ」

「おう」

センパイが頷いて背を向ける。

焦げ茶色の、広く逞しい背中。

俺はそんな背中を撫でるように洗い始めた。

熊人らしい固太りの肉体。腰回りに付いた脂肪がやけにセクシーだ。その下には短い尻尾。さらにその下は、でかいケツ。

小さな風呂の椅子がうらやましい。ああ、俺も一度でいいからこのケツに顔を埋めてみてえなあ、チクショウ!

そんなことを考えていたら、俺の愚息はいつの間にかビンビンになっていた。

やべ。今センパイに振り向かれたら、おしまいだ。

治まれ、治まれー・・・。

そんな心とは裏腹に、愚息は充血し、あまつさえ涎さえ垂らし始めてしまった。

「っし、んじゃあ今度はおれが・・・」

「まっ、まだです!」

「ん?」

「あ、その、まだ泡、流してないですから!」

「・・・? わかってるよ、そんなこと」

や、やべえ。

つい、うわずった声をだしちまった。

俺はシャワーでセンパイの大きな背中を流すと、センパイが振り向くより早く背中を向けた。

「ヨ、ヨロシクお願いします」

「おう」

センパイの大きな手が、俺の背中を撫でる。

あー、気持ちいい・・・。こんなんじゃ、いつまで待っても勃起治まらねえよお・・・。

落ち着け、俺。落ち着くんだ、素数を数えて落ち着くんだ。

「2・・・3・・・5・・・7・・・11・・・17・・・」

19・・・あれ・・・13も素数だったっけ、えと・・・

「なにブツブツ言ってんだ?」

「あ、あははは、なんでもないです」

よし、勃起は何とか治まった。よくやった、我が子よ!

「っし、おしまい!」

センパイが、洗面器に汲んだお湯をザバッとかけた。

そういえばセンパイはいつも洗面器で背中流してくれるよなー。

このへんは性格の違いかな。

「んじゃ、温まって出ますか」

「おう」

 

 

 

 

成功だ。

大成功だ!

俺はついに、ついにセンパイの道着をゲットしたぞ!!

大慌てで自分の部屋に戻り、おそるおそるカバンを開けてみる。

今度は以前のようなヘマはしていない。これは間違いなくセンパイの道着のハズだ。

カバンを開くと、むわっとした匂いが溢れ出る。

ああ、愛しの熊田センパイの匂いだ・・・。

俺はその匂いを逃すまいと大きく息を吸い込んだ。

自慢の鼻がセンパイの匂いを嗅ぎ分ける。これは汗の匂い、これは石けん、シャンプー・・・ワキガの匂い・・・。俺は今日ほど自分が犬人だったことに感謝した日はない。

すでに俺のチンポは痛いほどに勃起していた。さっきさんざんガマンさせたから、もう今にでも暴発してしまいそうだった。

「ああ・・・センパイ・・・」

汗っかきのセンパイの道着はいまだにじっとりと湿っていたが、俺は構わずベッドの上に敷いた。

いても立ってもいられず服を脱ぐ。

全裸になって道着の上に覆い被さると、俺はセンパイの匂いに抱き込まれる。まるで本物のセンパイに抱かれているかのような錯覚を覚えて、ますます興奮した。

もうガマンできない。

センパイ、一発抜かせてもらいます。

心の中で断って、俺は自らのチンポを握りしめた。

「センパイ・・・」

センパイのズボンに顔を近づける。

汗の匂いに混じって、たしかな雄の匂い。思ったよりも強い。もしかしてセンパイ、このズボンはいたまま勃起したことあるのかな・・・。

「はあ・・・ぁぁ・・・ぁ・・・」

握っているだけだというのに、俺のチンポはビクビクと脈打った。

センパイ・・・俺、このままイッちゃいそうだよ・・・。

身体をずらしてセンパイの上着に鼻を突っ込む。

むせかえるような汗の匂い。

少し変色したわきの下部分に鼻を付けると、クラクラするような男の匂いが鼻を突いた。目がショボショボするほどの強烈な匂い。ノンケだったら裸足で逃げ出す匂いなんだろうけど、俺には何物にも代え難い愛しい香りだ。

「センパイぃ・・・」

妄想の中で、俺はセンパイに抱かれていた。

逞しい胸板にフサフサの胸毛。

白いツキノワ模様に埋もれたセンパイの乳首に舌を這わせる。

勃起した乳首は、程良い硬さで俺の舌にその弾力を伝える。

そのまま舌を這わせ、センパイの腹を舐める。ヘソに舌を差し込み、センパイの味を噛みしめた。

そして俺の頭はさらに下へと降りていき、とうとうその茂みに到達する。

「ああ・・・センパイの・・・センパイのチンポ・・・」

まだ見ぬそれは、ゴツゴツと節くれ立っていてぶっとくて、ズル剥けの亀頭は薄黒いピンクで・・・。

ゴルフボールほどもある金玉は、その中にたっぷりとザーメンを溜め込んでいて、俺の愛撫で発射の瞬間を待っている・・・。

俺はその玉を一つずつ口に含み、舌で転がした。

満足して玉を放すと、それはぺたんとセンパイの腿を打った。

「センパイ・・・好きです・・・熊田センパイ・・・」

テカテカに膨れ上がった亀頭に舌を這わせる。

先端に溜まったぬるぬるの先走りは、しょっぱい味がした。

「はぁ、はぁ・・・あっ・・・は・・・ぁ・・・」

いつの間にか、俺は夢中になって自らをシゴいていた。

センパイのわきの下に鼻を突っ込むと、気が遠くなった。それはワキガの匂いのせいか、それとも興奮のせいか・・・。

「あっ、だめ・・・お、俺・・・もうっ・・・!」

いっそう激しくチンポをシゴく。

そして俺はセンパイの汗の匂いの中で絶頂を迎えた。

全身をびくん、びくんと痙攣させて、雄液をそのたびに吹き出す。

我ながら驚くほどの量をセンパイのズボンにぶっかけ、俺はベッドに沈み込んだ。

センパイの匂いが、俺を優しく包み込んでくれた。

「あぁ・・・せ、センパぁイ・・・」

射精後の脱力感に酔っていると、だんだんと通常の感覚が戻ってきた。

罪悪感が鎌首をもたげてくる。

センパイ。

俺の尊敬する、熊田雄次郎センパイ。

逞しくて優しくて、俺のこと、すごく可愛がってくれている。

もちろん、後輩としてだ。

まさか俺が道着をコッソリ持ち帰ってオナニーの道具にしているなんて、夢にも思ってないんだろうな。

道着を・・・。

・・・道着?

「――やべっ!」

俺は正気に戻って飛び起きた。

惨状を目の当たりにして、思わず血の気が下がる。

俺のザーメンまみれになった、センパイのズボン。

・・・どうしよう・・・こりゃヤバイ。

「あー、もったいねえー・・・」

こりゃすぐに洗濯しなきゃあなー。

ホントはもうあと二、三回は使いたかったんだけど・・・。

俺ってヤツはいつもこうだ。

興奮すると後先考えず行動しちまって後悔する。

「しょうがねえ。残りは上着の匂いだけでイクか・・・」

俺が全裸のまま頭を掻いていると、部屋に音楽が流れ出した。

お気に入りのアーティストの新曲だ。ケータイの着メロに設定してあるけど、なかなか鳴ってくれない。なぜなら、この音楽は・・・

「センパイ!?」

そう、この曲はセンパイからかかってきたときしか鳴らないハズなのだ。

滅多に電話をくれないセンパイだから、設定したこと自体すっかり忘れていたけど・・・。

「まさか・・・バレた?」

い、いやいや。

道着を持ち帰ったのはすぐにでもバレると思っていたから、言い訳も考えてある。大丈夫だ。いくら何でも、道着でオナニーしたなんて事まではバレっこない。

・・・でも、この絶妙なタイミングでかかってくると、さすがに不安になる。

俺は深呼吸を一つして、ケータイを開いた。

ディスプレイにはやはりというか当然というか「熊田先輩」の文字。

震える指で通話ボタンを押す。

「も、もしもし・・・?」

『おー、コースケ?』

スピーカーから先輩の声。

・・・あ、俺いま、全裸でセンパイと話してる・・・

無意識のうちに、萎えたチンポをいじる。

『・・・コースケ?』

「あ! いえ、なんでもないッス!」

『?』

「いやあの、っていうか、センパイから電話なんて珍しいから・・・」

『ああ、そうだな。おれ電話苦手だから』

「・・・それで・・・えっと・・・?」

『あー・・・悪い!』

「へっ?」

いきなり電話口で謝られて、俺は間抜けな声を出した。

『いや実はさあ・・・おれ、間違えてコースケの道着、持ってきちまったんだ』

いえセンパイ、それは俺の仕業です。

「あ、そ、そうだったんですか」

『おー。だから多分、そっちにおれの道着が行ってるんじゃねえかと思ってさ』

「ちょっと待っててください」

俺はわざとらしくカバンをごそごそする音を出し、

「あ、ホントだ。これセンパイの道着ですよ」

いけしゃあしゃあと言い放った。

『あ、やっぱ? 悪いけど、月曜日持ってきてくれよ』

「ええ、そりゃもちろん」

『・・・あ、あとさ・・・』

センパイが口ごもった。

長く付き合っている俺にはわかる。センパイが照れたときの口調だ。センパイはいま、電話口の向こうで顔を赤くしている。

でも・・・なんで? まさか、俺が全裸でいることに気付いたとか?

まさかな。俺のケータイは確かにカメラ付きだが、テレビ通話できるほど高性能じゃない。

「センパイ? ど、どうしました?」

『いや、あのさ。お、おれの道着、くせえだろ?』

「はっ?」

な、なんでそんなこと聞くんだ?

「いえ、いい匂いでしたよ」なんて言えるわけがないので、俺は答えられなかった。

『お、おれ、汗かきだから・・・。だ、だからな。その・・・ビニール袋とかに入れて、密封しといてくれよ』

・・・?

ああ、センパイ、汗の匂い嗅がれるの恥ずかしかったのか。

俺はそんなセンパイがとてもかわいく思えて、思わず笑みをこぼしてしまった。

『わ、わかったな? 間違っても匂いとか、嗅ぐなよ?』

「もう手遅れです」

心の中でそう答えて、俺は手を合わせた。

「そんなことしませんよ。人を変態みたいに言わないでください」

変態だけど。

『そ、そうだよな、ンなこと、するわきゃねえよな。は、ははは・・・そんなことしたら、へ、変態だもんな・・・』

ええ、変態です。

「・・・心配しなくても月曜日にはちゃんと洗って返しますから」

『え? い、いいよ、洗わなくても。そのまま持ってこい』

今度は俺が焦る番だった。

冗談じゃない。こんなザーメンまみれの道着、返せるわけないじゃないか。

「い、いえっ、洗いますから!」

『いいって、いいって』

「ダメです! 洗わせてください!」

『・・・? そうか? まあ、別にいいけど・・・』

「センパイこそ、俺の道着なんて洗わなくてもいいですからね」

『はっ? い、いやダメだっ! コースケが洗うってんなら、おれも洗うぞ!』

別にいいのに。なんで対抗意識燃やしてるんだ?

っていうかセンパイ、いまなにげに焦ってなかったか?

もしかしてセンパイも・・・。って、そんなわけないよな。

「わかりました。お手数かけてスンマセン」

『いや、お互い様だし。んじゃあ、また月曜日な』

「はい。お休みなさい、センパイ」

『おう』

通話が切れたのを確認して、俺はケータイを閉じた。

センパイ・・・ああ、やっぱ好きだー・・・

ケータイを抱えてベッドの上を転げ回る。

センパイの汗の匂いが俺を包み込んだ。

「あ」

その時、俺はあることに気付いて動きを止めた。

「・・・もうちょっとガマンすれば、センパイの声でイケたな」

最低だな、俺って。

そしてもう一つのことに気付く。

「・・・・・・あー・・・」

ベッドの上を転がったことで、俺のシッポはザーメンまみれになってしまった。

ホント、最低だな、俺って。

 

 

 

 

「よーし、今日はここまでー!」

主将の声で、俺達は崩れるようにその場に膝を付いた。

・・・き、今日は特別ハードだったなあ・・・。

練習が始まるなり、いきなり長距離の走り込み。

その後のメニューも、心なしか厳しかった。

せっかくセンパイが洗ってくれた(もちろん、実際はセンパイのお母さんが洗濯機で洗ったんだろうけど)道着も、汗でぐっしょりだ。

ちらりと見ると、センパイも床にへたり込んで肩で息をしている。

センパイは走るのが、それもとりわけ長距離は苦手だ。逆に俺は得意なんだけど。

センパイの道着はここからでもわかるくらい汗で濡れている。絞ったらどれだけの汗が出るだろう。

・・・主将のバカ。

どうせなら先週これをやってくれれば、あの道着を持ち帰れたのに。

さすがに二週連続で間違えるわけにはいかないからなあ・・・。

「よーし、ちょっと休憩したら集合なー。今日も当番決めるぞー」

と、主将。

ったくもう、センパイに押しつける気マンマンのクセに。

・・・そりゃ、俺としちゃ嬉しいけどさ。

「んじゃ、集合ー。今日も恨みっこナシで!」

「押忍!」

「さーいしょはグー! じゃーんけーん・・・!」

 

 

 

「コースケ先輩、いつもお疲れさまッス!」

吉宗がへらへら笑いながら声をかけてきた。

「てめー、コラ吉宗! 覚えてろよーっ!」

「はははは。じゃっ、お二人さん、お先に失礼しますねー」

「吉宗ーっ! たまには手伝ってけー!」

「ひーっ、カンベンしてくださいよーっ」

脱兎のごとく逃げ出す吉宗。

そして、道場にはいつものごとく、俺とセンパイだけが残された。

「ったく。あいつめー・・・」

「・・・仲いいよな、おまえら」

センパイがポツリともらした。

「どこがですか! あいつホント生意気で・・・ムカツキますよ」

「・・・ふーん」

気のない返事はいつものことだ。

それなのに、なんだろう。何となくセンパイの身体から不機嫌のオーラが漂っているような気がした。

怒っているわけではないだろうけど、ちょっと気になる。

「・・・センパイ?」

「っし、このくらいでいいだろ」

俺の言葉を遮ってセンパイは立ち上がった。

「んじゃ、フロ入って帰ろうぜ」

「はい」

気のせい、かな。

 

 

 

ロッカールーム。

センパイはベンチにどかっと腰掛けて、道着の胸元をバタバタさせた。

週末にさんざん嗅いだセンパイの匂いが漂ってきて、俺は思わず鼻を鳴らす。

やべ。あんま嗅ぐと、また勃起しちまう。

「き、今日も疲れましたねー」

「おう」

「とりわけ厳しかった気がしません?」

「そうだな・・・。長距離はカンベンして欲しいな、正直」

素直な感想を述べて、センパイはスポーツドリンクのペットボトルを空けた。

ああ、これでまたいっぱい汗かくんだろうなー・・・。

「センパイ、走るの苦手ですもんね」

「まあな。・・・コースケは得意だよな」

あ。見ててくれてるんだ。

俺は嬉しくなって笑った。

「ええ、得意ですよ」

「陸上部入りゃよかったのに」

「そのつもりだったんですけどね」

「なんで柔道部なんかに入ったんだ?」

「そりゃ・・・」

センパイがいたから。

・・・なんて、言えるワケないよな。

クラブのオリエンテーションで偶然見かけたセンパイに一目惚れしました、なんて。

「ん?」

「えっと・・・これでも俺、柔道好きなんですよ。そりゃ全然弱いけど」

「・・・そうか」

「さすがに後輩に投げ飛ばされるとヘコみますけどね」

俺は苦笑いを浮かべた。

柔道が好き。これは偽らざるホントの気持ちだ。後輩に負けてヘコむってのも。

「松平か・・・アイツは強いな」

「悔しいけど、勝てませんねー。おかげで俺、ナメられちゃってますよ」

もちろんそんなに深刻な事態じゃない。

アイツはアイツで、俺のこと尊敬してくれてる、自意識過剰かもしれないが、そんな気はしてる。

「・・・今度シメてやろうか?」

「・・・え?」

俺は耳を疑った。

あのセンパイがそんなことを言うなんて。

「・・・あっ、いや、その・・・そ、そういう意味じゃねえよ」

どういう意味だろう?

センパイと吉宗、何かあったのかな・・・。

「こ、こないだおまえが言ったんじゃねえか」

「言いましたっけ?」

「い、言ったよ」

そういえば言ったような気もする。

あの時の俺はセンパイの道着のことで頭が一杯で、上の空だったけど。

「そうッスか。ありがとうございます」

「もちろんタダで、ってわけには行かないけどな」

「ええー」

「おれに勝てたら、言うこと聞いてやるよ」

センパイはニカッと笑った。

あまり人に見せることのない、センパイの笑顔。

よかった。別に怒ってるワケじゃないんだ。

「・・・っていうか! 勝てるワケないじゃないですか!」

俺が勝てない吉宗より、さらに二枚も三枚も上手のセンパイに。

そもそも、言うこと聞いてやると言われて「後輩シメてください」なんて願い事、するわけがない。

・・・ん?

「・・・言うこと聞いてやる・・・?」

「・・・どうした、コースケ?」

「センパイ! いま、『俺に勝ったらなんでも言うこと聞いてやる』って言いましたよね?」

「え? いや、なんでも、とは言ってないと思うが・・・」

センパイの声は、すでに届いていなかった。

俺の願いは・・・

 

1・抱いて下さい!

2・キスしてください!

3・デートして下さい!

 

・・・ダメだ。どの選択肢も、俺がセンパイのこと好きだって、バレちゃうじゃないか。

と、すると・・・。

 

4・センパイの道着、洗わせて下さい!

5・今度どっか遊びに連れてってください!

 

・・・・・・。

4番はヤバイな。ここはやっぱ、無難に5番かな。

「どうしたんだ、コースケ。いきなりぼーっとして」

「あ、いえ。・・・じゃあセンパイ、勝負しましょうよ」

「・・・お? なんだ、やるか?」

といっても、柔道じゃ万に一つの勝ち目もない。

ここは俺の得意なフィールドに誘い込まなくては。

「短距離がいいですか? それとも長距離?」

「は? ・・・なんの話だ?」

「何って、勝負ですよ。だって柔道じゃ絶対勝てませんもん」

「だ、だからって陸上じゃ、おれが勝てねえだろ!」

「えー、頑張ればいい線行きますよ」

「おだてたってダメだ。勝負は公平じゃないと意味がねえ」

・・・まあ、それは同感だ。

でも、俺とセンパイが互角に戦えるものっていったら・・・ゲームとか、トランプとかか・・・? いや、センパイはこういうのも苦手そうだ。あとは・・・

「んー、じゃんけんとか・・・」

って、これもダメか。

センパイと俺じゃ、勝負にならない。

「お、じゃんけんか。いいぜ」

俺は耳を疑った。

「マジで!?」

「な、なんでそんなに驚くんだよ。自分で言ったんじゃねえか」

ああ、そうか。この人、自分がじゃんけんに弱いこと、まったく気付いてないんだった・・・。

言ってみるモンだなあ。

「いいですよ。負けた方は相手の言うこと何でも聞く。オッケーですか?」

「おう。さあて、何をしてもらおうかな・・・」

悪いけど、センパイ。俺の勝ちは決まってますよ。

・・・どうしよう。何をしてもらおうかな。

エッチ、はさすがにムリだよなあ・・・やっぱりデートかな。・・・うん、それが一番現実的だな。もちろんデートなんて言葉は使わずに、「日曜日ヒマだから、どっか遊びに連れてってくださいよー」ってカンジで。

「よし! 決めた!」

「っし、じゃあやるぞ」

「押忍!」

そして俺達は同時に声を上げた。

『さーいしょはグー! じゃーんけーん・・・!』

センパイがグーを出すのはわかっているから、俺はパー。

悪いね、センパイ。

『ポイ!』

俺は手のひらを出した。

対するセンパイの手は・・・

・・・チョキ。

・・・チョキ?

「――あれ?」

思わず声を上げてセンパイの顔を見る。

センパイはニヤリと笑って、

「――知らなかったろ? ホントはおれ、じゃんけん強いんだぜ?」

 

 

 

 

おしまい。

 

 

あとがき? にススム          →モドル