1999年3月中旬のコーカイ日誌



  ●内輪話が一番楽しい。 (1999/3/20)
 先日2日連続で日記猿人の紹介を書きました。あくまでも日記猿人の投票ボタンがなにかわからないという人がいたので、その人たちのために書いたのですが、なんとその日から得票数が倍増。1日目25票、2日目33票、さらに余熱があったのか3日目まで33票も。これまでが大体10〜20票(過去最高でも28票)だったことを思うと、まるでバブル時の株価のような跳ね上がり方です。多分これから一気に萎んでいくだろうことも予想できますので、まさにこれはバブルですね。

 日記猿人に登録している者同士で、もっとも関心が高い事柄はつまるところ日記猿人のこと、という至極当たり前のことが確認できたに過ぎませんが、これは人間は共通の話題が多ければ多いほど、楽しくコミュニケーションができるということの表れでもあるのでしょう。毎日会っている人となら何も深く考えなくてもいくらでも話ができるのに、10年ぶりに会った友人と会話を弾ませるのはなかなか技術がいります。余計な説明をしなくても即座にわかりあえる、またそのわかりあえること自体が快感でもある内輪話が一番楽しいという感覚です。僕の日記猿人概論も、日記猿人を深く読んでいる人なら「ああこれはあの日記あたりを指しているんだな」とわかるようになっています。それも内輪話の一種でしょう。

 そう考えると、僕たち広告屋が企画を考える時も、結構この内輪話テクニックを使っていることがしばしばあります。織田裕二がNTTドコモからIDOへと鞍替えした広告が話題になっていますが、あれなどもドコモのキャラクターであるという前提をみんなが知っていて初めて成り立っているわけで、テレビを使った内輪話なわけです。パロディ、ひねり、もじり、見立て、語呂合わせ、ダジャレといったテクニックは全て大きな意味では内輪話テクだと言えるかもしれません。

 さらに言えば、日本の広告界はこの内輪話テクニックが使いやすい環境にあります。かなり均質な教育レベルと文化風土、発達したマスメディアを持っている国ですから、広告における阿吽の呼吸が通用します。マルチカルチャー度が遥かに高いアメリカのわかりやすい、しかし味気ないCMと見比べれば、その文化的背景の違いを強く感じることができます。まあ、その日本の広告のわかりにくさを、グローバル・スタンダードとかなり差があるとして、時に非難するカンヌかぶれなどもいますが、所詮日本でしか流れないCMにそんなイチャモンをつける方がおかしいと思いますけどね。
●トーキョー・スタンダード。 (1999/3/19)
 ある雑誌の連載コラムの記事。日本の各都道府県別のスキー場数のランキングを調べて発表していたのですが、1位北海道、2位長野、3位新潟までは納得いくが、4位の岐阜というのが東京の人間には不思議に感じる、ということが書かれていて、それこそ東海地方の人間としては不思議に感じてしまいました。岐阜と言えば県域のほとんどが山であり、特に飛騨地方は豪雪地帯。しかも名古屋という大都市圏からも近いのですから、スキー場が至るところにあるのも至極当然。それを不思議に感じるというのは、一体どういうことでしょう。

 その後に続く記事の内容を読んで理解したのですが、結局東京の人間がスキーに行くとなると主に長野か新潟。岐阜のスキー場なんて行ったことはもちろん、あることも知らないから、というのです。たったそれだけのことで「どうして岐阜県が4番目?」と思うというのですから、それが本当だとしたら、東京人の夜郎自大ぶりには呆れます。

 最近良く耳にする主張に「グローバル・スタンダードと言って有り難がっているけど、実はあれはアメリカ・スタンダードに過ぎない。アメリカが儲かるような都合の良い制度や考え方を、日本に押しつけているだけなのに、それを世界の標準だと思って合わせることはない」というものがあります。全てがそうだとは言いませんが、僕も折角の日本の国情に合ったやり方までも「グローバル・スタンダード」の錦の御旗の前に捨て去ることはないと感じていました。アメリカ人はどこに行ってもコーラとハンバーガーとミッキーマウスがないと我慢できないようですが、そんな彼らの都合は我々の知ったことではないはずです。

 そして、その縮小再生産版が「岐阜にもスキー場があるの?」と思うようなトーキョー・スタンダードだと思います。特に出版や放送などメディアが東京一極集中が際だっているために、知らず知らずのうちに東京=日本だと思っている節が随所に見受けられます。東京ローカルな話を全国ネットでされても全然わからないのに、平気で全国放送中に東京電力のCMキャラクター「でんこちゃん」の話題をするテレビ。荻窪の小さなラーメン屋のことなんて、ほとんどの読者には縁もゆかりもないことなのに、さも日本の常識のように取り上げる雑誌。いくらメディアを通じて東京の文化風習が全国に伝わっているとしても、それが本当に各地方の独自文化に取って代わっているかというと、まだまだそんなことはないと思います。トーキョーとて一ローカルであることを、もう一度メディアは確認して欲しいですね。
●安室夫妻に敢えて興味を持たない。 (1999/3/18)
 別に偽善者ぶるつもりではなく、つくづく今度の安室奈美恵の母親殺害事件にはうんざりしています。事件の背景もわからないのに、これだけうんざりしているのは、その背景もよくわからないのに、やたらと事件の舞台装置ばかりが2時間ドラマのごとくスキャンダラスにできていて、マスコミが張り切っているからです。

 復帰したばかりの国民的人気アイドル歌手の母親が、夫の目の前で義弟(夫の弟、すなわちアイドルの叔父)にクルマで何度も轢かれ殺される。しかもその犯人もすぐ後にクルマの中で服毒自殺。被害者と犯人の間には借金絡みのトラブルがあったらしいが真相は謎に包まれている。事件の舞台は青い海と空が広がる国内きってのリゾート地、しかし米軍駐留問題などで暗い陰りを抱き続ける南の島オキナワ。これが2時間ドラマならJALとタイアップして東京と沖縄のダブルロケ、主演のOL探偵役には沖縄キャンペーンのキャラクター藤原紀香。アッという間にこの陰惨な殺人事件の裏側にある欲にまみれたどろどろの人間ドラマをまとめてくれることでしょう。

 しかしこれは現実なのです。ドラマなら気楽な気持ちでぼんやり「沖縄行きてぇなぁ」なんて呟きながら藤原紀香の水着姿でも堪能していればいいのでしょうが、現実はワイドショーの異常なまでの超ハイテンション報道(報道という名に値する内容かどうかはともかく)が各局とも暴走することでしょう。もちろんアムロブランドは国民的知名度を誇っていますから、女性誌のみならずオヤジ系男性週刊誌などでも特集を組んで暴露合戦が行われると予想されます。

 過剰な報道合戦に巻き込まれる中心はもちろん被害者の娘夫妻、すなわち安室奈美恵とSAMです。恐らく見ている方ですら「やめておけよ」と感じるような大騒ぎになることは、先日の臓器移植の時のドナー家族に対する心ない取材ぶりを思い出せば容易に想像がつきます。日本の政治も経済も官僚組織も二流らしいですが、ジャーナリズムもまた二流であることは、最近の志の低い行き過ぎた報道合戦を見ればわかります。そして実はその二流の報道を求めているのは、我々受け手自身だと言うことを自覚すべきです。

 どうして安室母は殺されたのか、義弟はどんな人物だったのか、借金の原因は、安室一家の経歴と暗い過去、SAMの父母のコメント、厚生省はSAMの少子化キャンペーンをやめるのか、安室は引退するのか、安室の事務所の困惑などといったことは、別に僕たちは知らなくてもいいと思います。そんなことを細かに知ったとて何になるのでしょう。そうみんなで考えることが、報道の暴力から人権を守る第一歩です。
日記猿人概論〜人気ランキング。 (1999/3/17)
 昨日の続きです。日記猿人というweb日記リンク集があり、そこにはなぜか投票ボタンというシステムがあります。なんなのでしょう?というところから今日の話になるわけですが、この投票ボタンを押すにはまず日記猿人投票者に登録しなくてはなりません。これは人によってはごくごく簡単なことですが、パソコン初心者には結構難しい、というくらいの手続きで済みます。ま、落ち着いてやれば誰にでもできるでしょう。

 で、無事登録が済んだら、あとは毎日1回読んだらボタンを押すだけ。するとあ〜ら不思議、僕のこの「コーカイ日誌」になぜか1票が入って、僕のランキングがちょっと上がるわけです。このランキングは読んだ人がそうやってボタンを押すことで決まっていくわけで、興味のある人は一度日記猿人の「今日の得票数リスト」を覗いてみてください。驚くほどたくさんの票を集めている日記があることを知ることができます。僕の日記は毎日10〜20票くらいの得票がありますが、順位でいうと50位前後というところ。ところが上位の日記はまさに桁外れの得票数で、1日で100票以上なんてのまであります。そんなに人気があるのなら、ちょっと読んでみたいな、と思いますよね。そう、このランキングはそうやって多くの人から支持されることによって、数多くのweb日記から面白そうな日記を選んで読者に提供する役割があるのです。リンク集の中から「お薦め日記」を選んでいるということですね(もっとも得票が少ないからと言って必ずしもつまらないというわけでもないところが面白いんですけどね)。

 で、この投票システムにはこうしたフィルター機能のほかに、僕のボタンのところにも書いてあるように、作者への励まし機能もあります。実は日記猿人のシステムの優れた点のひとつだと僕は思っているのですが、誰が投票したのかぼんやりとはわかるようになっています。ボタンを押した人のドメイン名(メールアドレスの@以降の部分)までは知ることができるので、曖昧に「あの人かな」と想像できるのです。毎日ちゃんとそのドメインの人からの得票があると、「ああ、毎日ちゃんと読んでくれているんだな」とわかって、とても励みになりますし、逆に全然ボタンを押してくれていないと思うとガックリしてしまいます。ランキングの順位よりも「あの人が読んでくれていない」と思う方が僕には気になります。不特定多数に向けて発信しているように見えるweb日記ですが、実は特定少数に向けて書いているようなところが多分にあります。ネタによっては「あの人はどう思うかな」なんて、ほんの1人か2人に向けて書いている時すらあります。やはり読者の顔が見えないのは不安です。

 他にも日記猿人には単なるリンク集とは違ういろいろ特徴的なことがあります。と言うのもこのリンク集はひとつのコミュニティと化しているからで、それゆえに様々な交流やトラブルがあります。どんな社会であれ、そこに人と人が交わる限り、似たような事件は起こります。仲間に入らなくても、それをウォッチングしているだけでも楽しいくらいです。なぜ得票リストの上位を女性の日記が占めるのか、なぜ一行コメントに「日記猿人」と書いてあると得票が伸びるのか、ネタと得票にどれほどの関連性はあるのか。面白くないけど読んでしまう日記の秘密はどこにあるのか、などなど興味深い考察もできます。しかしここでその詳細を書き出すと、また「続く」になってしまうので、これ以上は触れません。て言うか、2日続けて書いたら飽きちゃったし(笑)。もし興味があったら、自分で日記猿人の日記巡りをされてみれば良いでしょう。僕からのお願いはただひとつ、「読んだら押せ」。これだけですから。
●日記猿人概論。 (1999/3/16)
 この「コーカイ日誌」には「今日も読んだぞ!」ボタンがあります。これは一体なんなのか、と訝りながら無視している人、よくわからないままに押したら変なページに飛んだので慌ててしまった人、そして言われるままに何やら登録したけれど、結局何だかよくわかっていない人が、結構な数になるらしいことが、最近の周りの人からの反応でわかりました。うーん、意外と日記猿人って知名度低いのね、って感じです。

 考えてみればこの「コーカイ日誌」を読んでいる人って、僕のサイト以外はあまり見ていない、というパソコン初心者の友人知人関係がかなりいます。そういう人に対して投票ボタンの解説だけでは不親切だと反省したので、今回は一応そういう非日記猿人者のための日記猿人解説をさせていただきます。日記猿人からここにたどり着いた人にはわかりきった話で退屈かも知れませんが(とは言うものの意外と喜んで読んでいる人もいそうな気がする)。

 まず日記猿人の説明に入る前に、web日記というものについて簡単に説明しておきましょう。普通日記と言うと、毎日の行動やら感じたこと(だいたい悪口か好きな人のことだよね)をこっそり書いて、たまに人に読まれて激怒する、もしくはそうなる前に三日坊主でやめてしまう、日記帳やノートに書く暦日単位の一連の文章のことを指すと思います。最近では日記帳の代わりにパソコンで書いてハードディスクなどに保存しているという人も増えてきていることでしょう。で、web日記というと、そういうデジタルデータで保存してある日記を、インターネットで世間に公表しているものだと思って間違いはない、ということでもないのです。

 いや、中にはそういう思いっきりプライベートなことを書いている本来の意味での日記の人もいますよ。この手の日記はなかなかに覗き見趣味を満喫できてそれなりに面白いのですが、そうではない日記もたくさんあるのです。例えばこの「コーカイ日誌」のように時事問題などをいろいろ取り上げて、それになんだかんだと意見する床屋政談みたいなものも日記とよばれています。そうかと思えば、嘘か本当かはわからないけど、とにかく落ちのあるような面白い話を毎日読ませてくれる読み物系の日記もありますし、仕事の話(先生だったりジャーナリストだったり風俗嬢だったり)を書いている人、趣味の世界(これがまたいろいろジャンルがあって多岐にわたるのですが)をひたすら書き続けている人、さらには自分の不倫話みたいな、とにかく知り合いには見せられないような危ない話のオンパレード日記もあります。中にはこういうweb日記を読んで感想を書く日記、紹介する日記、いちゃもんをつける日記まであるのですから、人はいろいろ考えるものです。

 つまり、そんなものも日記か、というようなジャンルの文章も含めて、ほぼ毎日更新されている一連の私的読み物コンテンツをweb日記と呼んでいるということでしょう。さらにこのweb日記の成り立ちにも各人それぞれの事情があるようです。僕のようにあるテーマでホームページを作ったら、なにか編集後記みたいなものを書きたくなって、こういう日記形式のコンテンツができた、という人もいますし、そうではなくて初めからweb日記を書きたくて始めた人もいるようです。さらには、とりあえずホームページを作ってみたくて、しかしコンテンツがないので日記を掲載してみました、というパターンもかなりありそうです。

 とにかく個人のホームページにはやたらとこの日記っぽいコンテンツが多いのです。うんざりするほど多い。で、そういうゴマンとあるweb日記を集めたweb日記のリンク集が日記猿人なのです。現在その登録数は3000を超えていて、しかもまだまだ増加の一途。恐らくはその質と量と影響力で日本一の日記リンク集であることは間違いないでしょう。で、その日記リンク集とこの投票ボタンの関係とは?予定よりかなり長くなってしまったので、この話題は明日に続きます。うーん、こんなことで引っ張るなよ、て感じですね。すいません。
●サークル創設以来初優勝。 (1999/3/15)
 我々のテニスサークルは1986年の創設以来、どんな小さな大会に出ても未だに優勝というものに縁がありませんでした。それが14年目に入った今年、遂にメンバーの1組がミックスダブルスで優勝したのです。大会は小さいし、初級者向けということでレベルも低いものでしたが、それでも優勝するには5試合を勝ち抜かなくてはいけません。準決勝、決勝はかなり拮抗した試合展開で、どちらに転んでもおかしくない内容でしたが、そこをきちんと勝ち上がったのだから、これはやはり「よくやった!」というものです。

 しかも、今回出場した2組のもう一方も、2位トーナメントで優勝。なんとアベック優勝を成し遂げたのですから、3月14日はATC始まって以来最高の成績を収めた日として記念日にしたいくらいです。

 今回僕は出場資格がなく、仕方なく応援団(監督?)としてずっと一緒に見ていたのですが、準決勝・決勝はかなり力が入りました。マッチポイントを握ってからの緊張感は応援している方が高いくらいでした。最後のポイントが決まった瞬間は、まるでウィンブルドンのファミリーボックスで自分の選手が優勝したのを見届けたような気持ちでした(なんてウィンブルドンに行ったこともありませんけどね)。

 スポーツは勝つと自信がついて一皮むけることがあります。大昔、僕もそういう経験がありました。今回初級者向けとは言え優勝したペアも、これで大いに自信をつけて、さらにステップアップしてくれることを期待しています。優勝賞品で獲得した白いGショックは、単なる時計以上の価値(プレミアムがつく限定品という意味ではなく)を持つことでしょうね。
●新しい芽を育てる。 (1999/3/14)
 そろそろ重いコートがいらない季節がやってきました。今年は桜の開花も例年よりも早くなりそうということで、3月半ばにしてすっかり春めいて良い陽気の日が続いています。当然テニスもオンシーズン。今年最初の交流試合(他サークルとの対抗戦)なども行いました。最近うちのサークルも20代前半のメンバーが増えて新戦力で実力もアップ。去年後半のサークル対抗戦以来、秘かに磨いてきた牙を試す良い機会でしたが、見事に新メンバーが勝利をもたらしてくれました。

 もっとも新しい芽が育ってきても、それがきちんと根付くかどうかは世話をする方の努力次第。新しいメンバーがサークルに馴染んでくれるように、古いメンバーが気を遣ってあげなくては結局離れていってしまいます。手がかかりますが、それはそれで楽しいと思わなくてはサークルの運営なんてやっていけません。もっとも、人によってはこういうことを言うと「甘やかし過ぎ」だと言われますけどね。

 会社の管理職も同じような悩みを持っているのでしょうかね。新入社員がもうすぐ入ってきます。どうしても面倒になったら放り出してしまえばいいサークルと違って、なんとしても育てないとならないわけですからね。課長さん、部長さんも大変でしょうね。自分はやりたくないなぁ。
●土木工事の楽しみ。 (1999/3/13)
 相変わらず毎日「信長の野望〜烈風伝」を楽しんでいます。前にも書いたようにシリーズ8作目となる今回の信長は、前作より受け継いだ箱庭風内政システムがかなり楽しめます。しかも以前は領国内の農地開拓と町を発展させることで国力豊かにするというのが基本方針だったのですが、今回は領国外であっても新しく城を築いて勢力範囲を拡大することができます。しかも、そこまでの道まで造れる。城を築き町を作り堤防を築き新田を開拓する。まさに土木行政です。田中角栄的信長の野望です。角さんは「今太閤」と当時言われましたが、実は信長だったのです。

 この土木工事の楽しさをテーマにしたゲームと言えば「A列車で行こう」シリーズや「シムシティ」シリーズがそうです。町作りは交通網の整備とともに、というのがこれらのゲームの基本でした。今回の信長もかなりその考え方を取り入れていて、道があるのとないのとでは、移動速度に雲泥の差が出ます。せっかく豊かな町を作っても、その町との交易ができなくては意味がありません。ここに道が欲しいな、と地図上にラインを思い描いている姿は、まるで自民党の代議士センセイのようです。

 こんなに楽しい土木行政システムは、次回作でもぜひ発展継承させて欲しいと思います。できたら道を造ると単に交通が便利になるだけではなく、より町が発展するとか、新しい文化が興るとか、土地価格が高騰するとか(笑)、なにかベネフィットがあるといいですよね。ついでに河川敷も利用できるとか干拓やら埋め立てもできるとか。光栄の制作スタッフにお手紙でも書こうかな。「信長の野望〜列島改造編」を作ってくださいってね。
謎の本屋。 (1999/3/12)
 いつも会社に本を配達してくれるT文堂という本屋があります。町の汚くて小さな本屋ですが、なぜかここのお兄ちゃん(というか40才過ぎのオジサンですが)は、昔からうちの会社に堂々と出入りしていて、社員が定期購読している雑誌なんかをデスクまで配達してくれます。発売日にわざわざ買いに行かなくてもちゃんと届くのですから便利と言えばかなり便利。おかげでかなり多くの社員がこの本屋を利用しています。

 ところがこの本屋のお兄ちゃん、配達はきちんとしてくれるのですが、ちっとも集金に来ないのです。以前からお金をこまめに集めるのは苦手そうでしたが、それでも2〜3ヶ月ごとには集金にきたので、まとめて払ってはいました。ところが今ではもうかれこれ3年以上も本代を支払っていません。もちろんこちらもあまり溜めてしまうと結構な額になって払うのが辛いので、何回も顔を見かけるたびに「お金払うよ」というのですが、「いいよいいよ、まだ集計していないから今度で」とかわされてしまい、ちっともお金を払わせてくれないのです。それならばと会社帰りに直接店に行って払おうとしても「今わかんないから今度でいいよ」と言って精算させてくれません。とうとう根負け(?)して、最近はもうこちらからは何も言わなくなってしまいました。

 すでにこの3年で僕の溜めた本代は10万円近くあるはずです。僕だけならともかく、他の社員に聞いても全く同様な状態らしいですから、うちの会社の半分、150人が払っていないとしても1500万円もの未収金があることになります。しかも、彼を見ていると他の会社やお店にも本の配達をしていますから、それらを全部合わせたら、その未収金の額はまさに想像を絶する大きさになるはずです。なにせ本はきちんと配っているのですから入ってくるお金はなくても出銭は必ずあるはず。いったい集金もしないでその本はどこから持ってきているのか、その資金は誰が払っているのか、全く謎に包まれています。

 彼の資金源はなんなのか?収入もなくて暮らしていけるのか?税金はちゃんと払っているのか?そもそも税務署はこの実態をわかっているのか?実は本屋のふりをした産業スパイなのか?それとも本屋を隠れ蓑にした三億円犯人か?現代の鼠小僧か?全くなにをどう考えても腑に落ちないことだらけです。とりあえずお金を払わなくても本は届くので、文句を言うことでもないのですが、踏み倒すほどの勇気もない身としては、やはり適当なタイミングで支払いさせて貰いたいものです。僕が突然事故死とかしてから、妻に「本代10万円ください」なんて言われても、言われた方もビックリするだろうしねぇ。
●読んで、読んで、読まれて、読んで。 (1999/3/11)
 昨日、僕が子どもの頃からの活字ジャンキーだったことを書きましたが、最近は随分と読書時間(と言っても小説とは限りませんけどね、活字ならなんでもいいんだから)が減ったような気がします。相変わらず文庫本もマンガも雑誌も山のように買い続けていますが、以前よりも読むペースが確実に落ちているので、たまる一方。中学生・高校生の頃なんて本や雑誌をポンポンと買えるほど金銭的余裕がなかったので、同じ本を繰り返して読んだりしていました。当時は「積ん読」なんてことは信じられないような悪魔の所業だったのに、今ではすっかり積ん読大王と化しています。読もうと思って買ったのに読んでいないベストセラーなんて、本当に死屍累々と積み重なって文字通り山になっています。『五体不満足』の下に『日蝕』、その下に『老人力』、さらにその下に『鳥頭紀行』、『鉄道員』、『鷲の驕り』、なんと『ソフィーの世界』と見るも無惨。ほんと、ベストセラーなんて飛びつくものではありません。

 で、これは活字ジャンキーぶりが年とともにおさまってきたからかと言うと、実はさにあらず。単に読んでいるメディアが紙からコンピュータに置き換わってきただけなのです。僕がパソコン通信を始めたのは今9才の息子が腹にいる頃(もちろん僕の腹ではありません)でしたから、もう10年前のことになります。この10年間で僕の読書、じゃないな、読文字(?)環境は紙媒体からPC上へと移行してきました。特に3年前に会社のデスクにMacが設置され、インターネットへ自由に接続できるようになってからは、それが顕著になりました。この3年間、ウェブ上で読める文章の種類が爆発的に増え、またE-MAILの普及も相まって、僕の読文字への欲求はかなりPC上で満たされるようになったのです。

 しかも2年半前にこのサイトを立ち上げて以来、読むだけではなく人に読んで貰う欲求まで満たされてしまいました。もちろん仕事柄、人に読ませる文章はいつも書いているのですが、それはあくまでもビジネスでのこと。自分の言いたいことを書きたいように素直に表現できるわけではありません。それが今では次々とマンガや映画や時事問題や身の回りの面白いことや変な人についての駄文を書き散らし、それをまた自分自身が読者となって客観的に読むことができるのです。これはさらに業の深いジャンキーへと深化していったのかも知れません。

 「飲んで 飲んで 飲まれて 飲んで」はもちろん河島英五の名曲『酒と泪と男と女』の一節ですが、まさに「読んで 読んで 読まれて 読んで」の毎日に、僕だけではない数多くのジャンキーたちが浸っていると思います。酒浸りならぬ文字浸り。ま、幸せなんですよね、多分。


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