1999年2月上旬のコーカイ日誌



  ●ホームランボール独占男の真意は? (1999/2/10)
 270万ドルでマグワイアの70号ボールを落札したカナダ人男性。なんと37才(僕より年下!)でアニメキャラクターの制作をしているとか。てっきりビル・ゲイツのようなコンピュータ関連のオタク系成金かと思っていたら、同じオタク系(?)でもアニメとはねぇ。そんなに儲かるんだ、アニメキャラクターって。鳥山明でも買えたってことかなぁ。

 で、さらに驚いたのは、この男性、マグワイアの昨季の第1号と67・68・69号、さらにソーサの66号ボールまで全部持っているというのですから、普通じゃありません。そりゃぁ70号ボールの価格に比べたら他のボールの落札価格など端数にしかならないかも知れませんが、とは言え一般人がとても出せる額ではないのですから、常軌を逸している度合いも場外ホームラン級です。

 そこまで独占しなくても少しは同好の士に譲ってやれよ、と普通は思いますが、僕のようなひねくれ者は、この男性の真意はどこにあるのかと穿った見方をしてしまいますね。考えられるのはまず投機目的。セットで揃えれば価値が上がるのはどんな「お宝」でも一緒。ここまで頑張って集めたことで、一挙に落札価格の倍以上で、どこかの本当の金持ちに売り払う気かもしれません。今になって名乗りを上げてマスコミに登場したというのも、そのためのプロモーションだと考えれば納得がいきます。

 もうひとつ考えられるのは影武者説。本当の購入者はマスメディアに出るにはまずい立場の人間なので、誰が70号ボールを買ったのかというマスコミの詮索から逃れるために、このアニメキャラ男が影武者として登場したということも考えられます。実はその裏には国家的陰謀があって、となると007かゴルゴ13の世界になるのですが、ちょっとさすがにアニメキャラ男とは言え妄想の域を出ませんねぇ(笑)。
早生まれに特徴はあるか? (1999/2/9)
 昨日8日は僕の誕生日でした。そう言うと星座占いに詳しい人から「確かに水瓶座っぽい」と言われますが、血液型占いと意味的には大差ないと思って聞き流しています。ただ「あ、わたしも早生まれ」と言われることも結構あって、そう言えば僕の周りには結構早生まれの人間が多いような気がしました。妻をはじめ、現在及び過去に仲が良かった人は、男女を問わず早生まれの人をいくらでも思い出せます。

 そこで試しに、生まれてから今日までの38年間で、いろんなカタチで関わり合った女性20人(彼女だけでは足りないので、親しい友人やテニス仲間なども含む)をピックアップし誕生日を調べてみました。女性に限ったのは、男性の誕生日には興味がないからで、20人にしたのは親しくても結構誕生日を思い出すのは大変な作業で途中で根を上げてしまったからです(笑)。で、その結果はと言うと、1〜3月生まれ10人、4〜6月生まれ6人、7〜9月生まれ2人、10〜12月生まれ2人。見事に「早生まれとは気が合うようだ理論」は証明されたのです(たった20人で何言ってんだ、と言う声は無視)。もちろん最初に誕生日を聞いてから付き合うわけではないのですが、もしかしたら早生まれの人間同士、なにか惹かれあう特徴でもあるのでしょうか?

 自分が早生まれで感じたのは、何と言っても幼稚園から小学校の間は体が小さくて苦労したことです。2年生くらいまでは前から2〜3番目でしたし、高学年になってもようやく真ん中。クラスで後ろ半分に入るには中学3年生までかかりました。ここからは僕の仮説(妄想?)ですが、発育が早い子たちにどうしても体力で遅れをとる早生まれの子どもは、そのぶん仲間内で気を配ってトラブルを回避するようになるか、もしくは庇護者を見つけて甘える依存上手になりそうな気がします。男性の場合はあまり甘えさせて貰えないので、気を遣うようになり、女性の場合は我が儘を言っても聞いてくれる人間を上手に見つけだすようになる場合が多いんじゃないでしょうか。もちろん中には逆に甘え型な男性や気遣い型の女性もいると思います。

 そして、こうした気遣い型と甘え型の早生まれ同士が結びつきやすいのはお互いのニーズが合致しているだけに当然。そういう目で僕の周りにいる早生まれを見直してみると、確かにみんなどちらかに該当しそうです。僕ですか?もちろん気遣い一辺倒ですよ、って言っておきましょう。どうせわかっている人にはわかっていることだし(笑)。
●豪華なおまけにホクホク。 (1999/2/8)
 1月31日の「コーカイ日誌」で、もっとテニス中継で女子ダブルスを放映せよ、と書いたからではありませんが、なんと東レ・パンパシフィックの中継で、女子ダブルス決勝戦が少しだけ放映されました。これは当初から予定されていたという感じではなく、本来のメインであるシングルスの決勝戦ヒンギスvsクッツアーがヒンギスの圧勝で早く終わったために、仕方なく生中継でダブルスを流した、ということのようですが、僕のようなテニスファンには思わぬ余録にあずかれたというところでした。

 なにせ今回の大会はグランドスラム並みに素晴らしい顔触れが揃っていました。ヒンギス、ダベンポート、グラフ、セレシュ、クルニコワら注目の選手ばかり。特にダブルスの決勝戦は、現在の世界ナンバー1ペアとナンバー2ペア、ヒンギス・ノボトナ組対ダベンポート・ズベレア組ですからこれ以上ない豪華な組み合わせ。放映時間は残念ながらほんの30分ほどでしたが、ひとつひとつのプレーに「おおっ」とか「なるほど」とか唸りながら観てしまいました。

 やっぱり自分のテニスの一番の参考になるは間違いなく女子ダブルスです。ポーチのタイミング、突き球からロブへの切り替え方、センターセオリーを逆手に取ってのストレートへの攻撃、2人でのコートカバリングの仕方など、とにかく勉強になるプレーばかり。なかなか進歩しない自分のテニスへの刺激になるという意味でもやはりプロのプレーは役立ちます。地上波で滅多に放映してくれない以上、こうなったらCSでも契約して見るしかないですねぇ。せめてBSでやってくれればいいのに。またお金かかるなぁ。
●テレビみたいでもテレビじゃない。 (1999/2/7)
 ちょっと旧聞に属するかも知れませんが、長野県飯田市での立川談志、仙台市の成人式での吉村作治と、話し手と受け手の関係性が問われるような問題が続きました。いずれも話をしている側の我慢の限界を超えるほど、聞き手側の態度がひどかった事件です。もちろん、この2つの事件をそれぞれ関連付けずに個別に考えることもできます。談志師匠の方は、その会社役員が単に非常識極まりない奴だった、吉村教授の方はそもそも成人式にそういう講演を企画するお役所の方に問題がある、と。

 ただ僕はこれらの事件が象徴している最近の日本における共通するメンタリティみたいなものを感じています。それは「テレビみたい」に現実を受け止める感覚の蔓延もしくは感覚の麻痺です。かつて湾岸戦争のニュース映像がテレビゲームみたいだ、と言われましたが、さらに世の中は進んでいて、最近では現実に話している人間すらともすればテレビの中の人物のように感じ始めているのではないでしょうか。特に今回のように相手がテレビでも見かけるような有名人で、こちら側はただそれを眺めているだけの場合、まさに観客の心理はテレビの前に座っているのと同じようなものになっている可能性が大です。

 芝居にせよミュージカルにせよコンサートにせよ高座や講演会にせよ、すべからく送り手と受け手の間には緊張感が必要です。舞台というのは演じる側だけが作るものではありません。観る側も一緒になって作り上げるのが舞台芸術です。いや、スポーツイベントであってもそれは変わりません。ただ観ているだけでも、ただ騒いでいるだけでもダメで、本当に素晴らしい観客は選手と一緒に盛り上がりバックアップし、ゲームを演出すらするものです。ところが最近の客の中にはその緊張感が薄れていて、まるでテレビの前でリモコンを握ってボーっと観ているような人間が増えているような気がします。そんな客だから、ちょっと興味がない、つまらないと感じたらテレビの前にいるように喋り始めたり居眠りを始めたりしてしまうのではないでしょうか。

 だからどうせよ、という話ではありません。ただ時代は明らかに全ての現実をバーチャル化していく方向に進んでいます。飽きたらすぐにチャンネルを変えられる、その感覚がライブなものにも及んできているのです。まあ舞台やスポーツはそれでも本来は好きでわざわざ見に行くものだから影響はまだ少ないことでしょう。今一番問題なのは学校の授業だと思います。行きたくない学校でつまらない授業を聞く生徒たちは、チャンネルを変えることもできずに自ら電源を切ってしまうかも知れません。親と教師の苦悩は今後ますます深くなることだけは間違いないでしょうね。
●サークルは緩く結んだ風呂敷論。 (1999/2/6)
 ここのところうちの伝言板でテニスサークルの練習方法についての議論が持ち上がっています。これは恐らく古今東西のサークル全てが多かれ少なかれ抱える典型的な課題のひとつです。すなわち上達するために厳しくトレーニングを積み重ねていく体育会方式か、みんなでわいわい楽しめればそれで良しとする同好会方式か、もしくはその中間地点があるとしたら、どのあたりが着地点となるか、というさじ加減の問題です。

 我々のテニスサークルは発足当初は完全に「お遊び」サークルでした。とにかく遊び仲間が何人か集まって適当にテニスを楽しめればそれでOKという気楽なグループがスタートでした。しかし、長い間活動しているうちに、その中から1人欠け2人欠けしてメンバーがすっかり入れ替わってしまいました。今や残っているメンバーはそれなりに厳選されたテニス好きばかりとなってしまったのです。

 こうなると根が好きなものばかりですから、試合に出ようとかもっと勝てるように練習しようとか、とにかくついつい熱く語るメンバーが増えてきます。またそういう声の方が大きく響くのもサークルに限らず組織の常。しかし全体の温度が上がったところで、やはりグループ内には相変わらず温度差は存在します。そこまでやらなくても、という温度の低い人間はついつい声をひそめてしまい、わかりにくくなってはいますが、確かに存在しているのです。

 そのメンバーを切り捨てていくことは、ある意味とても簡単ですが、それを繰り返していれば結局最後には一番熱い人間を残して誰もいなくなってしまいます。このサイクルにどこかで歯止めをかけないと、必ずサークルは崩壊してしまうのです。ですからサークルはある程度幅広いメンバーを許容できなければ成り立ちません。僕はサークルは緩く結んだ風呂敷のようなもので、その風呂敷の中で各自が自由に楽しめればいいのだと思っています。その結び方のきつさをどれくらいにするかは、各サークルの考え方ですし、また幹事の腕の見せ所と言えるのかも知れません。緩くし過ぎればまとまらないし、きつくすれば中身があふれ出してしまいます。さて、うちのサークルをこれからどれくらいのきつさで結ぶか、ちょっとメンバーの意見を聞きながら思案したいと思っています。それにしてもつくづくサークルって会社と同じですね。同じ例えで成り立ってしまうところが、なんともはや。
●新庄の二刀流。 (1999/2/5)
 今月からキャンプインしたプロ野球。例年なら一番注目されるのはジャイアンツと決まっているんですが、今年は様子が違います。何と言ってもライオンズのゴールデンルーキー(この言葉も手垢がついているなぁ)松坂大輔がキャンプの主役。18才とは言え完成度の高さは折り紙付きだけに、開幕一軍はおろか先発ローテーション入り、いやあの東尾監督なら開幕投手だってやらせかねません。そういう受け狙い好きそうだからねぇ。

 そしてもうひとつの注目はもちろん野村タイガース。監督一人でこれだけチームの注目度を上げるとは、野村監督はさすがにただ者ではありません。広告マンだったら実にやり手の仕掛け人だと評価できます。彼は何と言ってもマスコミ受けする手段を熟知しています。長嶋監督や権藤監督にケンカを売るし、古巣のスワローズにもいろいろ口撃を仕掛けています。チャンスさえあればナベツネだろうがコミッショナーだろうがボロクソに言って、マスコミがネタにしやすいように営業努力を欠かしていません。

 そんな野村監督の新しいネタが新庄の投手兼業。毎年期待されながらそれほどの結果が残せない新庄。スター性は十分なだけに勿体ないことだと野村も思ったのでしょうか。なんと投手と野手の二刀流を指令したのですから、これほどマスコミにとって面白いネタはありません。もともと強肩で鳴る新庄のこと、確かにそこそこのスピードボールは投げられることでしょうが、所詮は付け焼き刃。とても本気とは思えません。大体、かつてオールスターで「投手イチロー」を仰木監督にやられて、あれほど非難しておいたその口でやるか、というような二枚舌ぶりです。

 本心はわかりませんが、多分キャンプ段階でのネタ提供と、あまりにも頭を使わない新庄に投手心理を学ばせるための一種の野村マジックなんでしょう。それにしても投手と野手では使う筋肉も違うでしょうし、新庄が故障しないかどうか心配です。まあ本音では新庄にあまり期待していないからこそできるのかも知れませんがね。スワローズ時代、飯田とか土橋とかがお気に入りだったことを考えると、新庄は最初からピエロかも。だとしたら可哀想なことです。
ヘッドハンティングされました。 (1999/2/4)
 ある日、会社に突然電話がかかってきました。「S生命のG藤と申しますが…」。生命保険会社の新しいセールスかと思って、仕事しながら電話から聞こえる声を聞き流していたら「実はいわゆるヘッドハンティングのお電話なのですが」だって。「はぁ?」と思わず受話器を握り直してしまいました。「僕にですか?」「ええ、できましたら30分ほどお時間をいただいてお話をさせていただきたいのですが」とのこと。一瞬迷いましたが「僕はとりあえず転職する気はありませんが、好奇心を抑えられないのでお会いします」と答えてしまいました。だって、ヘッドハンティングなんて、絶対にこの「コーカイ日誌」のネタになるじゃないですか(笑)。うまくいけば生保の宣伝部にでも入って年収倍増、しかも広告代理店を顎で使えるかも、なんて妄想も膨らみます。

 翌日終業後、会社近くの喫茶店で待ち合わせて、そのS生命のG藤営業所長さんと会いました。名刺を交換したところで、向こうから「クリタさんはどういうお仕事をされているんですか?」との虚を突く質問。おいおい、普通ヘッドハンティングって相手の経歴くらい調べて電話かけてくるんじゃないのか?「いや、その名刺に書いてあるようにコピーライターをやってますけど」「営業のご経験はないんですか?」「ええ、制作部門一筋16年ですが」「そうですか、いや、でも私どもの仕事は営業職以外から転職された方もいらっしゃって、そういう人の方がかえってお客様の親身になったコンサルティングができますから」。うーん、どうやら僕は営業職でヘッドハンティングされているらしい。「あのー、一体どういう経緯で僕の名前が出てきたんでしょう?」「あ、すいません、良くその辺はわからないんですよ。本社からリストを渡されて電話をかけているものですから」。うーん、こりゃヘッドハンティングというよりも電話セールスの方が近い感じです。

 結局G藤さんと30分話して判明したことは、S生命ではファイナンシャルプランナー5000人体制を目指して現在リクルート活動中ということ、それを新卒募集せずに、全てヘッドハンティングによる転職組でまかなっていること、G藤さん自身も製薬会社の営業(世の中で最もきつい営業職のひとつでしょうからね、製薬は)をしていたこと、僕のところに電話がかかってきたのも、恐らく何かの名簿で年齢が条件に合ったからだろうということ、したがって、僕がどういう職歴があってどういう人間かはわかっていないが、この面談が一種の採用試験を兼ねているらしいこと、もしダメでもS生命を知ってもらう宣伝活動と考えていること、などでした。つまり、よくアメリカ映画であるようなターゲットを絞って調査を綿密にした上で、魅力的な条件をつけての「引き抜き」ではなく、どちらかと言うと「君も自衛隊に来ないか」というノリの勧誘というか、キャッチセールスに近いものだったのです。

 残念ながら大手生保宣伝部長年収3000万円広告代理店顎で使いまくりの夢は、儚く散ってしまいました。とてもこれまで自分が培ってきたキャリアを捨てて、一から金融の勉強をして厳しい業績給の営業職をしようとは思えませんでしたが、お陰で現在の生保業界の話などは聞くことができて、とりあえず僕の好奇心だけは満たすことができました。帰り際に彼が「誰か貴社の営業の方でご紹介いただけるような方はいらっしゃいませんかね?」と聞くので、思わず「あいつを送り込んだら面白いだろう」なんて奴の名を言おうかと思いましたが、可哀想になったので(もちろんG藤さんが)やめておきました。

 それにしても、やはりそうそう美味しい話はありませんね。後で生保に勤めている女の子にこの話をしたら「わたしが誘われたなら行きたい。S生命って急成長しているし、一番ちゃんとしたセールスするって業界では評判良いんですよ」とのことです。結構誉めていました。そういうことだそうなので、これを読んでいる人、もしS生命のG藤さんから電話があったら、せめて話くらいは聞いてあげてくださいね。本当に良い人そうでしたから。
●ジャイアント馬場はヒーローだった。 (1999/2/3)
 プロレスファンでない僕には、ジャイアント馬場に対して格別深い思い入れがあるわけではありません。母親がプロレス嫌いなせいで、子どもの頃はプロレス中継を見る家庭でもありませんでしたし、中学生以後はどちらかと言うと「異種格闘技戦」のアントニオ猪木に注目していました。当時の馬場は過激な猪木の反意語としての意味合いしかなかったような気がします。しかし、その程度の思い入れしかない僕にとっても、やはり彼はあの時代を象徴する代表的なヒーローの一人だったことには間違いありません。

 僕にとって馬場と言うと、小学生の頃に読んだ『ジャイアント台風』というマンガを思い出します。この作品は、馬場の子ども時代から始まって、プロ野球選手時代に風呂場で怪我をし引退したこと、プロレス入りしてからの力道山や猪木との出会い、アメリカでの厳しい武者修行時代と続く馬場の伝記的作品でした。当時まだ10才にもなっていなかった僕は、プロレス知識をこのマンガで覚えたと言ってもいいほど熟読していました。「16文キック」「脳天唐竹割り」「原爆落とし」「脳天杭打ち」(それにしても当時のネーミングのセンスには感動します)などの技の名前、「鉄人」ルー・テーズ、「神様」カール・ゴッチ、「人間発電所」ブルーノ・サンマルチノ、「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックと言ったレスラーの渾名もこのマンガで覚えたものです。他にも頭突きのボボ・ブラジルだの耳削ぎ男キラー・コワルスキーだの人間風車ビル・ロビンソンだの四の字固めのザ・デストロイヤーだのと、当時のプロレスラーの多士済々さに心躍らせたのを今でも思い出します。その後、『タイガーマスク』がテレビアニメで始まった時も、このマンガの知識がどれだけ役に立ったことか(笑)。

 昭和40年代、僕は4才から13才。ものごごろついてから思春期までのこの時期に活躍した人は、馬場に限らず全て僕のヒーローです。スポーツ界だけでも他にプロ野球の長嶋・王、相撲の大鵬・玉の海、体操の加藤沢男、ジャンプの笠谷、マラソンの君原、ボクシングのファイティング原田、サッカーの釜本、バレーの大古。今や彼らの子ども世代が活躍する時代になり、ヒーローたちも初老になり伝説の人物化しつつあります。馬場の死は僕の子ども時代が遠く彼方へ去っていきつつあることを伝えているようで、随分と寂しい思いがするニュースでした。

 そうそう、ひとつだけ納得いかないと言うか、まあそうだろうけどさ、と思うこと。どうして馬場に国民栄誉賞という声が出ないわけ?あれだけ日本人誰もが知っているキャラクターって、なかなかいないですよ。吉田正はもちろん、スポーツ界で比べても、少なくとも植村直巳や衣笠よりも大スターだし、多分同じ格闘技でも千代の富士よりも国民に愛されて親しまれた人だと思うけどね。国技相撲とプロレスの格の差なんだろうけどさ。手塚治虫と並んで「なんで?」と思っています。
●青島不出馬。 (1999/2/2)
 驚きました、青島幸男都知事不出馬宣言。2期目に意欲満々と伝えられていたからこそ、自民党もあれだけみっともなく手当たり次第に有名人に声をかけまくって口説いていたのに、当の青島があっさり不出馬とは。もし誰か有名人とか受けていたらきっと今頃大恥掻いていましたね。良かったよ、田中真紀子、きっぱり断って。

 それにしてもいかにも青島らしいパフォーマンスだと言えます。常に人の期待を裏切るようなことをし続けてきた青島ですから、ここで批判にさらされながらおめおめと2期目を目指すよりも、あっさり退いた方が「意地悪婆さん」らしいです。本当は都市博を中止した時点でもう都知事なんか辞めたかったのかも知れませんね。後釜のことも知った事じゃなし、と放り出すのは、都政のことを考えれば無責任かも知れませんが、結局それもこれも選んだのは都民なんですから誰にも文句は言えません。過去の経緯をみても青島はそういう奴なんだって十分わかっていたんですから。

 さてこうなると難しいのは大阪の横山ノック府知事。こちらは青島と事情が違いますが、一蓮托生というイメージですから再選を目指すにはかなりハンデとなることでしょう。もっとも東京と同じというのを嫌う大阪のこと、あくまでも横山でいくのも面白いですけどね。大阪オリンピック実現まで頑張って貰って、ぜひ「パンパカパーン!」とか言ってもらいたい気もします。そう言えば湾岸署の織田裕二も「都知事と同じ名前です」とか言えなくなるなぁ。フジテレビにしてみたら残念な不出馬宣言ですね。

 ところで愛知県も知事選真っ最中だけど、誰も気にしてないなぁ。
●今年は名古屋イヤーに。 (1999/2/1)
 社会人ラグビー決勝戦、サントリーとの激しい攻防を制してトヨタが久しぶりに優勝しました。両チームの差はわずかでしたが、最後までリードを許さなかったトヨタの堅実なプレーぶりが決め手になったような気がします。サントリーは永友の判断ミスもあったけど、それよりボールが手につかない細かなミスが多すぎたよね。いずれにしても今年の社会人ラグビーは東芝府中や神戸製鋼も含めて紙一重でしたが、その一重の差をものにしたところにトヨタの強さが感じられます。

 さて、去年は横浜ベイスターズや横浜高校の活躍で「横浜イヤー」とか言われましたが、惜しいところで後塵を拝し続けた名古屋は今年こそ「名古屋イヤー」にと期待したいところです。まずラグビーでのトヨタの優勝を弾みにして、春のセンバツ高校野球で東邦高校に久しぶりの栄冠を期待したいと思います。10年前にセンバツ優勝した時よりチーム力は上という今年の東邦。昔から愛知では「夏の中京、春の東邦」と言われてきただけに期待度大です。

 そしてJリーグでは呂比須、山口、楢崎という見事な補強で大本命間違いなしのグランパスエイトがやってくれることでしょう。ライバルのジュビロからドゥンガが、アントラーズからはジョルジーニョが、エスパルスからはオリバが去ってもはや敵はありません。ぶっちぎって優勝して欲しいです。

 それより問題は平成になってから優勝していないドラゴンズです。去年は途中で李が欠けても2位でしたから、今年移籍の武田とルーキー福留の獲得は間違いなくプラスです。しかし去年の野口と川上が出来過ぎなだけに油断はできません。星勘定だけでいけば、山本15勝、武田12勝、川上・門倉・野口・今中が各10勝、落合・サムソンで5勝、宣で3勝、その他で5勝。これで合計80勝で楽々優勝ですが、こういう計算が計算通りいった試しはありません。いずれにしてもカギを握るのは今中ですね。山田久志コーチの手腕が問われるところです。

 さらに言えば愛知出身の服部道子が2年連続賞金王になり、プロボクサー飯田覚士が世界チャンピオンに返り咲けば文句なしです。どうだ、参ったか横浜、って感じですが、うーん、年末にはどうなっていることやら。


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