1998年11月上旬のコーカイ日誌



  商品券で商売商売。(98/11/10)
 どうやら世間のほとんどが非難を浴びせているにも関わらず、自民党は公明党との野合のために、商品券を発行しそうな雰囲気です。ただせめてもの良識(?)を見せたのは、支給を65才以上の高齢者と15才以下の子どもに絞ろうとしているところ。商品券をくれると言っても、所詮出どころは我々の税金。一律に全国民にばらまくよりも年寄りと子どもに小遣いとしてやる方が、まだしも気が楽です。もっとも、それが本来の目的である消費促進につながるかどうかは、また別問題ですけどね。

 ところで、当然高齢者と子どもの懐が豊かになるということは、その世代に向けた商売がビジネスチャンスを迎えるということです。昨日もあるメガネチェーンの社長さんと話していたのですが、メガネ屋さんとしても特に高齢者向けのシニアグラスの購買意欲が増すだろうと考えているようです。なにせちょうどメガネを買うくらいの額の商品券ですからね。商品券が配られる時期を狙って、商品券記念セール、商品券でお買い上げの方は一律10%オフ、なんて企画ができちゃったりするかも知れません。

 当然、同様なことは他の業界でも考えているでしょうね。高齢者向けのアパレル、電気製品、国内旅行なども狙い目ですし、子ども服、玩具、教育産業あたりも手ぐすねひいて待っていることでしょう。かくいう我が家も子どもが2人いますから、もし商品券が手に入ったら、やはり子ども服でも買ってしまいそうです。同じお金でも、子どものために、と貰ったものを、なかなか自分たちのためには使えません。

 それにしても15才とはまた難しい年齢で線を引いたものです。小学生ならいざ知らず、中学生ともなれば商品券を親に素直に渡さずに、自分たちで好きなように使いたいと思うことでしょう。学校でもきちんと教育指導しないと、奴らがろくな使い方はしないこと間違いなしです。さらに商品券を非行グループがカツアゲ、なんて事件も起こりそうです。なにせ1人2万円とか3万円とか言ったら、ちょっと脅して巻き上げれば、そりゃとんでもない額になりますからね。先生たちにしてみれば、なんて厄介なことを、と自公連合を恨んでいるかも知れませんね。
クロスワードパズルを知らない奴。(98/11/9)
 先日の研修で、毎日朝一番に講師からクロスワードパズルをやらされました。講義の前の頭の体操だそうで、僕は昔からクロスワードは得意ですから、なんの苦労もなく(朝一の頭の体操ですから、そんな難しいものでもないですし)解いたのですが、同期のN本という奴が、なんとクロスワードパズルを知らない、というのです。知らない、というのは、本当に全く知らなかったようで、どうやってやるのか、ルールすら全くわからない様子でした。これには講師も驚いて「こんな奴は今まで見たことがない」と、その後の研修期間中、ことあるごとにその話を持ち出されてからかわれていました。しかし、だからと言ってN本は卑屈になるわけでもなく、ヘラヘラ笑っているだけで、みんなからも講師からも可愛がられています。人徳ですね。

 僕は新入社員時代に事故で足を怪我して2ヶ月くらい動けなかった時期があり、その時に暇つぶしにクロスワードとジグソーパズルばかりやっていたので、この2つは特に得意です。ジグソーはビジュアルに対する観察力、クロスワードは言葉についての知識と語彙、そしてともに発想の柔軟さを鍛えるには実に有用な遊びでした。会社員としてのスタートの2ヶ月に仕事もせずに遊んでしまいましたが、逆にコピーライターとしての基礎体力を作ることができたと今でも思っています。そんな僕にしてみると、クロスワード自体も知らずに40年間近く生きてきた、それもちゃんとビジネス社会の中でやってこられたということは、ある意味とても衝撃でした。いつもMちゃんに感じるのと同じ「え、そういうのもありなんだ」という目からウロコ的驚きがありました。

 僕にはどこか「知力本位主義」というか、基本的に頭の良い奴が強い(偉いではありません)、と考えてしまうところがあります。頭の良い奴は現代社会の中でのサバイバルには強いよな、なんて思っています。ところが、そんな小賢しさとは一切関係なく堂々と世間を渡っていくN本やMちゃんを見ていると、本当に強い奴はめげない挫けない気にしない精神的タフネスさと鈍感さを備えている奴なのかも、と思わずにはいられません。僕のような貧乏育ちの人間には、結局頼りになるのは自分の能力だけだと思っているところがあるので、知らなくても平気、わかんなくても大丈夫、という発想は、なかなか真似できません。改めてMちゃんの偉大さを痛感した研修でもありました。
こら巨人、ソーサに失礼だろう!(98/11/8)
 読売新聞の秋の伝統的興行である日米野球。今年はマグワイアとソーサのホームラン合戦でメジャーリーグが大いに盛り上がったので、かなり日本での注目度も高いことと思われます。とは言え、東の横綱マグワイアには「日本なんて行きたくねぇや」とソッポを向かれてしまったし、ピアザ、グリフィー、マダックスら知名度の高いスーパースターも来日せず、野茂も伊良部もアメリカ選抜に入らなかったために、興行の目玉は西の横綱ソーサだけ。彼だけは苦労人だけに、こうした花野球も面倒がらずにしっかりと手抜きなしでプレーしてくれるから、読売としてもソーサさまさまでしょう。

 ところが巨人軍はなんと失礼なことに、第1戦巨人単独チームとの試合で(そもそもチャンピオンチームの横浜ならともかく、リーグ3位の巨人とこういう試合を組むこと自体が失礼な話だと思いますが)、今季出番のなかった2軍の捕手と二戦級投手ばかりの継投というバッテリーで臨んだのです。世界のトップを招待しておいて、最初の試合で2軍を出すその神経は一体なんなのでしょう?若手選手の経験のため?かつて中畑清が日米野球で活躍して頭角を現したことがありましたが、その再現でも期待しているのでしょうか?日本のリーグ3位チームの1軍半相手にソーサはどんな気持ちで打席に立ったのでしょう。そして高い入場料を払ってそんな試合を見せられるファンの気持ちは?

 さすがに2戦目は全日本チームなので、そういう失礼な投手は出てきませんでしたが、それでも8-1の惨敗です。試合を見ていても、とても中途半端な投手では抑えられそうにない打線と、イチロー、松井クラスじゃないと打てそうもない投手陣が揃っていますから、日本は1つでも2つでも勝てれば儲けものでしょう。それなのにアメリカチームよりちんたら流しながら試合していてどうしようというのでしょうね。アメリカ野球に追いつくどころか、ますます差が開いている感がします。大正力も草葉の陰で泣いているぞ、ほんと。
痩せる研修。(98/11/7)
 3泊3日(最初の日は前泊しただけなので)にわたって鎌倉にある会社の研修所にカンヅメになって研修を受けてきました。なんの研修かというと、初級マネジメントの研修です。社歴を重ねてある年になると、社員全員が受けなければならない研修ですから、半分は同期会のようなものです。新入社員時代以来15年ご無沙汰していた同期に久しぶりに会って、変わったところ、変わっていないところをお互いに見出しながら旧交を深めてきました。

 とは言え、研修自体は仕事をしているよりも疲れます。仕事は適当にある程度息抜きをしながら進めていくというペース配分が身に付いていますが、研修の場合は講師の言いなりにやらされるわけですから、ペース配分はあくまでも講師のペースであり、我々はひたすらそれについていくだけ。またこの講師がエネルギッシュな人でして、連日朝9時から夜9時までみっちり研修をされては、こちらが疲れるのも当たり前です。

 普通3日間もカンヅメになって研修を受ければ当然ブロイラー状態で太ると思うでしょうが、実はきつい研修スケジュールのせいで逆に少し痩せてしまいました。これには「おっ、俺ってデリケート」なんて思っていたのですが、よくよく考えてみると、原因は他にもありそう、というか、もっと主ではないかと思われる他の原因を見つけてしまいました。それは食事の内容。もともと研修所の食事はご多分に漏れず大して美味しいものではありません。その上、みんな40才近い参加者の健康を気遣ってか、メニューが随分と大人向けヘルシー路線だったのです。つまり魚と野菜を中心にしたローカロリー食だったのが、多分痩せた一番の原因だろうと思います。普段だったら昼も夜も脂っこい肉食中心なのに、3日間8食も健康食では痩せて当然です。

 これで家に帰ってまた元の高カロリー食に戻したら、アッという間に体重も元に戻ってしまうことでしょう。ちょっとこの劇的効果に、食生活を反省して少しは内容にも気をつけようと今はとりあえず思っています。もしかしたら僕にとってはこれこそ今回の研修の一番の成果だったかも知れません。
仕事半分、趣味半分。(98/11/3)
 僕のクルマに乗るとかかっている音楽は歌謡曲です。今っぽく言えばJ-POPってやつですが、職安をハローワークと言い換えたってやはり職安なのと同じく、日本の大衆向け流行音楽のことはやはり歌謡曲と言うのが適当でしょう。で、クルマに乗った若い女の子は大抵「クリタさんは仕事のために、こういうのを聴いているんですか?」と聞いてきます。最近でこそ日本の流行歌もお洒落になり、その分洋楽ファンも少なくなってきたので、あまりバカにされたりはしなくなりましたが、10年以上前はクルマでデートの時に歌謡曲をかけている(特にアイドル系)なんて変人扱いでした。

 そんな時、昔なら「いやぁ、仕事柄ね、やっぱり知っておかないといけないし」なんて言い訳をしたりもしていましたが、最近は「仕事半分、趣味半分かな」とあっさり答えています。もっともこれも正直な答ではなく、本当は「仕事1割、趣味9割」というのが妥当な線なんですけどね。ただ好きでずっと聞いている歌謡曲ですが、確かに仕事に関わってくることも時々ありますし、やはり無駄ではありません。同じようなことは映画にも小説にもマンガにもテレビにも言えます。好きで見ているだけでも、それが仕事に活かされることはしばしばですし、逆に言えば今の流行を知らないで広告作りをしていくのは結構しんどいものがあると思います。

 そういう意味では広告の企画というのは楽しそう、お気楽そうな印象を受けるかも知れません。実際楽しいことは楽しいですしね。でも僕のような好き者はともかく、普通は40才も近くなってくると、そういう世間の流行りを追いかけるのが辛くなってくるみたいです(もっと早い時期から興味がなくなるという人も多いでしょう)。僕の後ろの席に座っているCMプランナーY氏も、一時期ドラマの1回目を全て録画してチェックしようとしていた時期がありました。さすがに疲れ果てて今はすっかり疎く(とは言え普通の40才にしたら驚異的なほどタレントのことを知っていますが)なりましたが、そういう努力を懸命にしている人もいます。

 流行のドラマがなんであれチャートインしている歌手が誰であれ、そんなことはどうでも良くなり、自分の趣味に合うごく限られたものだけを大切にするようになる年齢があるようです。僕だってもしそうなった時には「仕事9割、趣味1割」で歌謡曲も聴くようになるのでしょう。願わくばその前に今の仕事から離れたいものですが。
ビンゴで運を使うなんて。(98/11/2)
 くじ運は良くもなく悪くもなく。たまに当たることもありますが、とりたてて人に威張るほどでもありません。中学生の時に文具店の福引き(万引きにあらず)で2等と3等をまとめて当てたことがあるのが人生最高のくじ運、という程度です。

 テニス仲間のA藤ちゃんがこのたびめでたく結婚。60人くらいは集まったであろう2次会に、テニスのメンバー10数人と一緒に出席しました。特に凄いことも驚くようなこともなく普通の2次会が淡々と進められ、この手のパーティではお約束のビンゴになりました。過去にビンゴで良いことがあった覚えが全然ない僕としては、さして気乗りもせずに穴を開け始めたのですが、これが妙に調子が良いのです。1つめ、2つめ、3つめと連続して当たり、4つめでひと休みしたものの、5つ目でなんとリーチ。周囲も進行役もなにより本人が一番驚くスーパースピードリーチです。

 「こういう時って意外とダメなんだよね」なんて周りに言いながら立っていると、しばらくして1人、2人とリーチが出始めました。やっぱりダメかな、と思った10巡目過ぎ、いきなりIの45番でビンゴ!びっくりしたのなんの、なにせ一緒にいたA達くんなんかこの時点でまだ1つとして穴が空いていなかったのに、もうビンゴです。自分でも信じられません。これだけの人数のパーティの1等です。さぞやお宝が、と思って前に出ると「どれでもどうぞ」と大小の包みが。うーん、これが1等賞です、と出されるならともかく、たっぷり20人分はありそうな景品をどれでもどうぞ、と言われるなんてイヤな予感がします。

 たくさある平べったい袋は商品券くさいので、多分500円か1000円くらいしか入っていないだろうと、ちょっと大きめの包みを選びました。中に入っていたのは使い捨てカメラ。時価1500円というところでしょうか。1等賞としては寂しいものの、ちょうど仲間の誰もカメラを持ってきていなかったので、これ幸いとこの使い捨てカメラで早速写真を撮りまくり。ホームページ作りに役立つものをゲットしてくるあたり、まあ運は良かったのでしょう。先日の「あなたの値段鑑定」でも運だけで生きていると言われてしまいましたし。でもどうせならこんなことで運を使わずに、もっと大きな運をつかみたいものです。例えば出席者全員に配られたナンバーズが当たるとかねぇ。
フランス料理と万年筆。(98/11/1)
 ここのところずっと日本におけるその「有難味」が下がり続けているもの。それがフランス料理と万年筆です。いや、他にもハワイとかメロンとか外車とか、かつての「憧れ」が身近になったものはありますが、それらは単に価格が安くなったということだと思います。しかし万年筆とフランス料理は特に価格破壊で安くなったわけではないのに憧れではなくなった、すなわち価値観が、もしくはそれを巡る文化が変わったということです。

 万年筆は昔も今も高級文具であることには変わりはないのですが、かつてのような「憧れ」感はすっかりなくなりました。これはやはり日本語を「書く」文化が変容したことに他なりません。パソコンの普及で手で文字を書くことが少なくなったというだけではなく、携帯電話やE-MAILの普及で連絡方法が変化し、万年筆で手紙を認めるという文化自体が失われつつあるからでしょう。今やそんな「うざったい」ことは誰もしたくないのです。

 フランス料理の価値下落も、心理的に「うざったい」という点で万年筆と同じです。ファーストフードの隆盛、イタリア料理のようなカジュアルさが喜ばれるようになって「食べる」文化の中で堅苦しく重々しい感じがするフランス料理が敬遠されるようになったのでしょう。テーブルマナーにうるさく、気取って食事をしなければならない(しかも高い)というイメージがあるフランス料理は「うざったい」のだと思われます。

 ただ万年筆と違ってフランス料理には今復権へのチャンスが訪れています。ワインブームがそれです。何と言ってもフランスワインに合うのはフランス料理。もしこのままワインブームが続くようなら、間違いなくフランス料理も大衆化して復権することでしょう。フランス料理というのは高いし気取っていますが、それだけの手間暇かけた仕事がちゃんとなされていることも確かです。「憧れ」でなくても構いませんから、たまには美味しいフランス料理も楽しみたいものです。


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