1998年9月下旬のコーカイ日誌



●幹事業務への不明な情熱。(98/9/30)
 サークルの長老・M宮さんの送別会。先週の台風で一週間延期したにも関わらず、参加率の高さは驚くほどで、1次会・2次会のどちらかに顔を出したメンバーは23人にも上りました。30人弱しかいないサークルですから、出席率は約8割。期末の月末という仕事が忙しい時にも関わらず、これだけ人が集まったのも、M宮さんの人徳と言うべきなのでしょう。ま、単に騒ぎたいだけの連中もいたとは思いますが。いや、そちらの方が実は多いかな(笑)。

 それにしても、これだけ参加者が増えると宴会ひとつするにしても仕切りが大変です。昔はせいぜい宴会といっても、10人も集まれば、というサークルでしたから、店を予約するにしろ、2次会に移動するにせよ気楽なものでした。しかし今回など2次会で予約しておいたカラオケボックスにメンバーが1部屋で収まりきれず、隣り合わせの2部屋を取って、みんなが適当に行き来するという騒ぎ。お金の計算にしろなんにしろ、とにかく幹事の苦労も並大抵ではありません。ここんところのハードスケジュールで体に変調をきたしている僕は、酒も飲まずに宴会運営最優先の幹事業務でした。

 もともと小規模でこじんまりと楽しんでいたサークルが、こうして急激に膨張すると、どうしても運営側にしわ寄せがかかります。ちょうど個人商店の商売が軌道に乗って、急速に成長してきたのと同じで、経営の細かいところで抜けが出るようになるか、そうならないために社長が頑張って倒れるか、という感じです。まだそれが社長の場合は、高額の報酬という対価も得られるわけですから頑張りようもあるでしょうが、サークル幹事の場合はただただ大変になるだけです。先日、新たにサークルを作った幹事さんに、運営のコツは「気持ち的に切れないこと」と言いました。他のサークルの幹事さんも同様の意見でしたが、ほんと、切れそうな目に何度も遭いながら、何が楽しくてみんなサークルの運営なんてやっているのでしょうね。それほど世話好きでもお人好しでもないのになぁ。幹事同士が集まると思わず愚痴をこぼしつつ、それでもサークル運営をしている不思議。こうなると自分でも不明な情熱や不明な喜びがあると考えるしかないですね。
70対66。(98/9/29)
 マグワイアが最後の3試合で5本塁打と怪物ぶりを遺憾なく発揮。66本で並んでいたソーサを一気に引き離して、事実上この壮絶な本塁打争いにピリオドを打ちました。70本と言う数字は本当に夢かSFのような数字で、よくシーズン序盤にパカスカ本塁打を量産している打者がいると「このペースなら70本いくよ」なんて言われるものです。実際にはそのハイペースを維持できるわけもなく、40本前後で終わるものですが、現実に70本ペースを守り続けられる打者がいたとは、まさに現実は常にフィクションを超えるものです。

 もっともこの70本と言う数字、ソーサの66本があったればこそ達成できたということには誰も異論を挟めないところでしょう。後を追う者が全くいなければ腰痛に悩むマグワイアとしても、62本目以降のペースはガックリ落ちたと思います。マリスの記録を軽く超えてくる人間が自分以外にいたという事実が、マグワイアをここまで引っ張り続けたのです。恐らくスポーツの歴史に長く残るようなハイレベルなこのライバル対決。僕はソウル五輪での男子100mカール・ルイス対ベン・ジョンソンの一騎打ちを思い出します。この時のジョンソンの9秒79という驚異的なタイムは、カール・ルイスの存在なくしてあり得ませんでした。人類は70本のホームランを打てるように、9秒8を切って走ることもできるのです。

 もっともご存知のようにジョンソンはその驚異的な記録を残したすぐ後に、ドーピング検査に引っかかって、記録も抹消、金メダルも剥奪、全てを失ってしまいました。同じように薬物を使っていてもマグワイアは70本という記録も栄光も富も、失わうことはないようです。そう思うと世界でこの問題に一番納得いかないのは、やはりベン・ジョンソンでしょうか。それとも苦い相手役を演じたカール・ルイスでしょうか。
●若貴兄弟決戦ならず。(98/9/28)
 この秋場所ほど異常な興味で盛り上がった大相撲も珍しいと思います。もちろん話題は貴乃花の「絶縁宣言」を巡る土俵外の騒動。もともと花田家というのはワイドショー的には皇室と同じようなノリがあって、はなはだ注目すべき一家なわけですが、そこに降って沸いたような美味しすぎるネタです。誰もが若貴兄弟決定戦を期待していたことでしょう。

 しかし、本人たち(特に若乃花)や関係者にしてみれば随分イヤな話だと思います。あくまでも純粋に「どちらが強いんだろう」と関心と期待を持って見てくれているというのならまだしも、裏の人間関係を肴に興味本位で兄弟の仲違い(もしくは和解)を見て楽しもうということですから、その感覚はまさにローマ時代コロッセオでの決闘を楽しむ皇帝のようなもの。決して上品な感覚とは言えないでしょう。

 半面、大相撲が興行である以上、こうした一種の遺恨試合のような演出も、今後人気がさらに落ちていくとしたら考えなければならないかも知れません。プロレスなら当たり前のバックストーリー作りですが、大相撲も格闘技である以上、こうした心理的な要素での盛り上げもあった方がファンの興味をそそります。それと、若貴対決というようなゴールデンカードを自ら潰していることも、そろそろ見直した方がいいんじゃないですかね。直接対決なしにどちらかが優勝、と言われても納得できないしねぇ。
●美味しい店・軽井沢篇。(98/9/27)
 もしかしたらすでに知っている人も多いのかも知れませんが、中軽井沢に「四川亭」という中華料理屋があります。ちょっと裏に入ったそれほど大きくもなく綺麗でもない、一見すると何でもない普通の店なんですが、実はここは東京からもクルマを飛ばしてわざわざ食べに来る人もいるという、知る人ぞ知る名店。店の中には芸能人、スポーツ選手、作家、芸術家、政治家など有名人の色紙が所狭しと張り巡らされていて、注文した品が出てくるまでの暇つぶしに「あのサインは誰のかな」と思案を巡らすことができます。まあ色紙をベタベタ張ってあるのが趣味として良いか悪いかはともかく、とりあえず「四川湯麺」を注文してみてください。

 真っ赤なスープに太い麺。見た目通りかなり辛くて汗が吹きだしてきますが、その味はコクがあって必ずややみつきになる旨さです。また餃子もしっかりとした味で、ビールを飲みながら食べるには最高です。お値段の方は店の雰囲気と相応の庶民的なものなので、どれだけ食べようとも決して懐に響くようなことはありません。苗場や軽井沢プリンスホテルのチーフまでつとめたという店主の、決して高級ではないけれど本当に美味しい味へのこだわりを感じるお店でした。今度軽井沢を訪ねた折りには、是非立ち寄ってみてください。
●大蔵省が負けた。なら総選挙でしょう。(98/9/26)
 与野党の間でいろいろと駆け引きがあって、結局長銀の処理は野党案を自民党が丸呑みするカタチで決着がついたようです。公的資金を投入してでも長銀の存続(そして住友信託銀行との合併)を狙った自民党=大蔵省が負けて、国有化後に他銀行(これも住友信託銀行のことですが)の子会社化、という野党側のシナリオになるようです。

 我々素人にはこれがどういうことか、そして金融危機はどうなるのか、結局景気は良くなるのか、という一番肝心なことが、今ひとつよくわかりませんが、どうやら大蔵省が野党に負けたらしい、ということだけは理解できます。と言うことは、いよいよ大手銀行は潰さない、という大蔵省の公約も反古になり、これからはバタバタと危ない銀行はなくなっていくことになるのでしょう。現に長銀もこれでなくなることは決定的なわけですから。

 さて、銀行がバタバタ潰れると聞いて「ざまあみろ」なんて思う人も多いことでしょう。心情的には僕もよくわかりますが、ではそうなると銀行に金を借りている企業はどうなるのでしょうか?当然これもまた資金繰りがつかなくなって潰れていくわけです(ま、それだけの単純な話ではないと思いますが)。今まで超低金利政策を取って銀行を潰さないようにしていたのも、単に銀行を政治家が贔屓していたということではなく、それによって一気に経済が破綻するのを恐れていたわけです。ところが長銀の処理問題がこういうカタチで決着をみた以上、もはや銀行を国が守ることは難しくなりました。となると「ざまあみろ」なんて笑っていられないような、我々の身にも影響が降りかかる空恐ろしい経済破綻が起きるかも知れません。

 そして大蔵省が負けた今、宮沢蔵相登用の意味もなくなりました。と言うことは「経済再生内閣」であるはずの小渕内閣も無意味になったということです。そもそも経済を再生をすべき内閣が、肝心の経済政策で野党案を丸呑みさせられているようでは、何のために存在していると言うのでしょう。これ以上の混乱を防ぐためにも、さっさと解散・総選挙して国民の信を問うべきでしょう。その上で、本当に一貫した経済政策を進められる強力な内閣を組閣すべきだと思います。どうも相変わらず自民党も野党も経済問題を単なる政争の具にしているようで真剣味が感じられません。いっそ思い切って共産党にでも政権を預けてみては、と思ってしまいます。志位首相です。うーん、やっぱり無理かな。
●スポーツしているのに体重が増える。(98/9/25)
 ダイエットの話は過去ここで2回ほど書きましたが、自分の中では一時期の勢いは失われ(?)最近は順調に体重を増やしています。それにしてもこれだけスポーツしているのに、めきめき体重が増えるなんて、どうなってんだか。今月なんて3日に1回はテニスしているのになぁ。

 考えられるのは、夏場のビールの飲み過ぎか、それとも運動のやり過ぎで筋肉がついてしまったか、ですね。確かに体重は増えていますが、ウエストはさほど太った感じもしませんから、本当に筋肉がついてきたのかも知れません。このままテニスでムキムキマンになることは僕の美意識が許しませんが、まあ筋肉がついたせいで体重が増えたなら、少しは気分的に許せます。
●携帯電話は災害に強いか。(98/9/24)
 阪神大震災の時に、NTTの固定電話は全然つながらなかったのに携帯電話はつながった、ということが話題になりました。なるほど、携帯電話は災害時に強いんだ、というイメージがあの時に生まれたような気がします。しかし、今回の台風の時には名古屋地区の携帯電話はどの事業者のものもほとんどつながりませんでした。台風が接近して近鉄・名鉄などが不通になり始めた午後2時頃からつながりにくくなり、結局地下鉄以外の鉄道や自動車道などが全線不通になっていた夜11時頃まで、ほとんどずっとビジー状態でした。固定電話も少しはかかりにくくなったようですが、それほどではなかっただけに、携帯電話のつながりにくさが目立ちました。

 これはもちろん、阪神大震災当時とは携帯電話の普及率が全然違うからです。あの頃はまだ普及率は10%にも満たなかったと思いますが、今では軽く30%を超えています。ビジネスマンやOL、女子大生など外に出歩いている人に限れば80%くらいになるでしょう。なにせ最近OLで持っていない人を探す方が難しいですから。とすれば、回線ビジーが緊急時に起きるのも無理はありません。実は今では決して携帯電話は災害に強くはないのです。

 これまで携帯電話の場合、回線ビジーよりもエリアの広さの問題がずっと優先されてきました。しかし、しゃかりきになって各事業者がアンテナを立てまくった結果、今では人が行きそうな場所は大抵通話エリア圏内です。ただアンテナの密度の問題はなかなか技術的に難しいようで、相互に電波が干渉したりするらしく、むやみとアンテナを増やせば良いというものでもないらしいんですね。そこでみんなが一斉に電話をかけるような状況(待ち合わせで混雑する夕方の繁華街やターミナル駅とか、野球観戦やコンサートの後とか)になると、回線ビジーが多発するらしいのです。だから逆に言えばドコモよりも使っている人が少ないツーカーやデジタルホンの方が回線ビジーは少ないはずです。

 もっとも携帯電話はまだまだこの先いろいろと新しい規格・方式が出てきます。発展途上の道具だけに、こうした問題もいつの間にかクリアされているかも知れません。それより僕は最近携帯電話中の交通事故が急増していることが気かがりですね。あれは酒気帯び運転と同じくらい危ないんじゃないかなぁ。自分でもつい時々やってしまいますが、本当に運転がおろそかになります。気をつけましょう、で済ませる問題ではなく、なんらかの措置を講じた方がいいと思いますが。
●ダブル台風。(98/9/23)
 子どもの頃はごたぶんに漏れず台風が来るとワクワクしたほうです。だから一度に2個も台風が来たりしたら、世の中どうなってしまうんだろう、なんて勝手に地図の上に台風のコースを妄想したりして、まあかなり妙な子どもでした。

 ところが今回のように実際に7号、8号と2日連続して台風に来られたりすると、当たり前のことですが、これはなかなか困りものです。いくら女の子にもてて嬉しいとは言え、2時間で2人の女の子に迫られたりしたら困るのと同じ(じゃないかな?)。先に来た8号(なんで妹の方が先に結婚したりするんだ、って感じ?これも違うか)は、まあ前振りみたいなもので、軽く雨を降らして去っていきましたが、後から来た7号はそりゃまあ凄かったですね。名古屋地方じゃ伊勢湾台風以来の暴風雨とかっていう話まで流れたりして(真偽未確認)、結局地下鉄以外の鉄道は全て止まってしまったとか聞くと、その凄さが実感できます。

 本当はサークルのM宮さんの東京転勤送別会の予定だったにも関わらず台風のためにこれも延期。テニスの時は決して雨に降られず流れたことがないサークルなのに、どうして夜の飲み会が簡単に流れてしまうのか、ちょっと不思議ですが、まあ強行してみんなして帰れなくなって朝までカラオケとかいう事態にならずにホッとしています。でも、もしかしたら朝までカラオケの方が楽しかったかな、という気持ちもしないではないですが。
●スポーツは記録のためならず。(98/9/22)
 最近スポーツ記録のニュースが立て続けにありました。マグワイアとソーサの本塁打争いはもとより、男子マラソンで10年ぶりに世界最高記録が更新されたり、未だにソウル五輪の100m・200mの世界記録が破られていないジョイナーが38才の若さで死亡したり、連続試合出場記録を更新中のカル・リプケンがとうとう欠場して記録をストップさせたりと、いろいろなことがありました。

 もともとアメリカ人(と日本人)はスポーツ記録が好きなようで、ヨーロッパで人気のスポーツ(例えばサッカーとかラグビーとか自転車とか)に比べて、アメリカで人気のスポーツ(野球とかバスケットとかアメリカンフットボールとか)は圧倒的に記録づくめ、数字だらけです。スポーツ行為自体の激しさと美しさを愛するヨーロッパ人から見たら、なんでも数字に置き換えてしまおうとするアメリカ人はスポーツの本質を知らない田舎者と思われているかも知れません。数字じゃ表せないサムシングを見ることこそがスポーツ観戦の醍醐味だからです。

 それでもアメリカは日本に比べればまだマシです。記録に異常なほどの関心を持っているアメリカ人も、記録だけが一人歩きして本来のスポーツの楽しさが損なわれるような行為は許しません。マグワイアにホームランを打たれたくないからとボール球を投げればブーイングですし、リプケンが記録のためだけに試合に出場することも許しません。あくまでも記録がスポーツを楽しむためにある香辛料であることはわきまえているからです。

 ところが日本では記録のためにスポーツが存在するような主客転倒現象を平気で認めてしまいます。わかりやすいのが衣笠の国民栄誉賞。連続試合出場というのは、プロテスタント的勤勉さを示しているに過ぎず、本来のスポーツの楽しさとか美しさとは別次元の問題です。サラリーマンの如く休まず働らかずと同じような類の記録を褒め称えるのは、いかにも日本人(とアメリカ人)のスポーツ音痴さを証明しています。衣笠がゲーリッグの記録を破ったと言っても、ゲーリッグのように最後の最後まで中心選手として十分の働きをしていたわけではありません。かなり成績が低迷している時でも代打出場などのカタチだけの出場で何とか首の皮をつないでできた記録です。それでも世界記録だから国民栄誉賞。なんにもわかっていない証拠です。

 それに比べてリプケンの態度は立派でした。不調だからと言って自ら欠場を監督に申し出て記録を終わらせてしまいました。しかも不調と言っても、それほどひどい成績ではありません。それでもチームのためにならないと自ら欠場をするあたりが、リプケンの偉いところです。スポーツのためにあるはずの記録なのに、逆に記録に縛られているようでは何にもなりません。タイトル争いのための欠場や四球合戦などを繰り広げるのは観客無視も甚だしいというものです。それにしても、日本のスポーツはいつまでこうした数字に踊らされ続けるつもりなのでしょう?もっともっとマスコミが啓蒙活動を続けていかなければなりませんが、スポーツマスコミほど、低次元だからイヤになってしまいますよねぇ。
●テニス3連荘。ちょっと疲れた。(98/9/21)
 金曜日。夜会社のテニス部で練習。ずっと3人だったので一番下手な僕はヘロヘロになるまで2時間みっちりしごかれてしまいました。一週間の仕事を終えてから、酒を飲んでヘロヘロになるのではなく、気持ちよく汗をかいてヘロヘロになるのだから実に健康的で良いのですが、週末の予定を考えるとこの疲れ方はちょっと不安になります。

 土曜日。昨晩と同じ場所で午後から他サークルとの交流試合。12時半から始めて夜7時過ぎまでたっぷり。何試合もハードなゲームをして、途中からまたヘロヘロに。金曜日の疲れは取れたと思っていましたが、なんだか体の芯に蓄積されていったような気もします。でもまあ途中まで調子は良かったかな。金曜日の練習の成果が出たような感じ。最後の方でへばったのはご愛敬と思いたい。そうじゃなきゃ困るんだよなぁ。

 日曜日。午前中からミックスダブルス大会。予選リーグは絶好調。さすがに3日連続ともなると体も良く動くしボールも見える。2試合を1ゲームを落とすことなく勝ち抜くことができニンマリ。我々のサークルから出場している他のメンバーの成績も良く、お昼まではとても順調。しかし、午後になってからだんだん雲行きが怪しくなってきました。決勝トーナメント1回戦は、昨日交流試合をした時に戦った同じペア。昨日は6-3で勝てたのに、今日はなぜか苦戦。4-4と追いつかれて、なんとかそこから6-4と振り切りましたが、もう最後の方は足が動いていない感じ。で、準々決勝はサークル内のペアと内輪対決。手の内もお互いに知れているし、気楽に始めて最初は4-1とリード。しかし、安心したせいか、そこからパッタリと僕の足が止まり、集中力が途切れ、猛然とまくられてしまいました。結果は4-6での敗戦。まあ負けた相手が仲間だったことが救いでしょうか。

 それにしても普段は負けない相手にどうして負けてしまったんだろう、とよくよく反省してみると、やはりガソリンが切れた、としか言いようがないと思います。もちろん相手ペアが良く頑張ったということも素直に認めなければなりませんが、敗因を相手に求めるのではなく自分の問題として捉えるなら、やはり体力不足でしょう。この年になって若い頃にもあまりやらなかったハードなテニス3連荘は、さすがにこたえました。知らない間に蓄積した疲れが、日曜日の夕方になって遂に顔を出したということでしょう。うーん、もう若くはないんですねぇ、つくづく。気だけは若い中年ってイヤだな、とか思っていたのに、いつの間にかそんな奴になっていたんでしょうか。日ハム落合の辛さがちょっとわかった、なんて、嘘ですけど。


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