1998年6月下旬のコーカイ日誌


とりあえず、読むたびに(1日1回)

を押してください。
日記猿人という人気ランキングに投票されます。
結構更新の励みにしているので、ひとつよろしく。

初めての方は登録画面が出ます。 簡単な手続きで投票者登録できます。
プライバシーは守られているはずなので
お気楽にどうぞ登録してみてください。


●参院選のニュースバリュー。(98/6/30)
 いくらW杯が国民的関心事とは言え、全く同時期の参院選が見事に無視されまくっています。新聞紙面でもW杯報道の熱の入り方は実に良く伝わってきますが、それに比べて参院選の扱いのおざなりなことは目を覆わんばかりです。仮にも国政選挙なのに、そうとは思えないほど軽い扱い。W杯はもとより、円安などの経済ニュースよりも下位に置かれている印象です。
 これがテレビとなると、ますます顕著になります。経済ニュースどころかプロ野球よりも下、せいぜい芸能人の冠婚葬祭スキャンダル並みの扱いです。橋龍よりも菅の方が人気があるそうですが、直接選挙で首相を選んだら当選するのは菅ではなく川口か若乃花でしょう。冗談ではなくパラグアイの人気GKチラベルトは将来大統領を目指しているそうです。サッカーで得た人気とお金で大統領を真剣に狙えるところがパラグアイの凄さですが、日本だって実は大差ないかも知れません。
 もっとも参院選がここまで軽く扱われてしまうのは、参院自体にも問題があるからです。衆参それぞれの選挙改革で今や第二院としての意味さえ失ってしまっている参院は、単に無駄な国会議員を養っているだけの存在です。政党本位の比例区なんか導入するものだから、たださえ無意味な参院がますますその存在意義を失ってしまいました。衆院の出来の悪いコピーに過ぎない、単なる衆院小選挙区制の落ちこぼれ集団では、ニュースバリューがないと思われても仕方ないでしょう。それでも僕は選挙には行こうと思っていますけどね。投票もしないで政治に文句をつけるのはおかしいと思っていますから。
●どうして世代交代は一気に進むのか。(98/6/29)
 スポーツの世界では世代交代というのはしばしば一気に進みます。現在それが顕著なのが女子テニス界で、ヒンギスを始めとして、ビーナス&セレナのウィリアムズ姉妹やクルニコワ、ルチッチなどハイティーンの少女が一斉に登場して、旧世代を追い払おうとしています。もっとも、追い払われつつある旧世代のグラフ、サンチェス、サバティーニ、セレシュらも、やはり10年ほど前に一気に登場してその前の世代であるエバート、ナブラチロワらを追い落としたのですから、まさに歴史は繰り返すというやつです。
 もちろん話はテニスに限りませんし、男女も洋の東西も問いません。大相撲界で現在横綱・大関を占めている力士は全て同世代(三役常連の魁皇や武双山、土佐の海も)ですし、以前にも「花のニッパチ」(北の湖、2代目若乃花、隆の里ら)「花のサンパチ」(北勝海、双羽黒、小錦ら)というように大体10年ごとに新世代が登場しました。プロ野球界でも約10年ごとに新人の当たり年があると言われますし、サッカー界でも中田、川口、城らのアトランタ五輪組が、一気に新世代として代表の中心になってきました。
 こんな例は多分数え上げればキリがないほどたくさん挙げられると思いますが、ではどうしてそうなるのかは、なかなか説明がつかないと思います。同世代に天才的なリーダーが1人いると、それを目標として引っ張られてその世代のレベルが一気に上がるのか、それともお互いに子どもの頃からライバルとして切磋琢磨するからなのか、世代交代のリズムが10年おきくらいなので、ちょうど一気に変わったかのように見えるのか、本当に天賦の才がある子どもたちが生まれる星の巡り合わせのようなものがあるのか。
 ただ、こういう現象がスポーツ界でよく起きるとするならば、実はそれ以外の世界でも本当は天才達が集まっている世代があるのかも知れません。そう考えると気になるのが役所の順送り人事。大蔵省をはじめとする多くの省庁では、事務次官のようなポストは各期のトップが順番に就くことになっているようですが、本当はワインと同じように当たり年と外れ年があると思います。優秀な期の人間でも次官になれるのは1人なら、外れの期からも無理矢理1人選ぶというのは実は多大なロスをしていると思います。民間企業なら時々ごぼう抜き人事があったりしますが、役所はないみたいですからね。このあたりも官僚機構の弱点でしょう。
●城だけが悪いわけじゃない。(98/6/28)
 NHKでのラモスの発言が効いたのか、なんだか世の中一気に城バッシングのようですが、もちろん3連敗の原因が城1人にあるわけではありません。点が取れないのはフォワード全員、いや、ミッドフィルダーやディフェンダーまで含めての問題ですし、もっと言えば岡田監督がちゃんと攻撃パターンを作り上げることができなかったからです。そして岡田監督がなぜそこまで仕上げられなかったかと言えば、サッカー協会のバックアップが不備だったからに間違いありません。
 そもそも、あれだけ代表での練習や試合が少なくては、攻撃パターンをきちんと作る時間などないことは、随分早くから一部で指摘されていたことです。しかしほとんどのマスコミはそんなことは全然問題にせず、単に「行け行けドンドン」と鉦太鼓を鳴らしていただけです。それで負ければ誰か1人をスケープゴートにしていい気になっているとしか思えません。
 思い返せば最終予選での加茂バッシングや、その後のカズバッシング。あれは一体なんだったのか。今は加茂も平気な顔してゲームのCMに登場し、サッカー解説をしています。ましてやカズの最終メンバー落ちの後の同情論に至っては、あのバッシングはなんだったのか、と思えるほどでした。今度も城バッシングを気が済むまで繰り広げるのでしょうが、単なるイジメをして憂さ晴らしをしても仕方ないことを、いや、そういう大人社会でのイジメが、きっと学校にまで影響していることも考えて、的確な批評をマスコミには期待したいですが、まあ無理でしょうね。マスコミのサッカーに対する底の浅さは、雨後の筍の如き熱狂的サポーターとあまり差はないですから。
●善戦だけなら寺尾でもできる。(98/6/27)
 とうとう日本代表は3試合全て1点差負け。最初のアルゼンチン戦で1点差で負けたのを「善戦」と称えすぎたのがいけなかったのでしょうか。負けても誉められるとでも思ったのか、岡田ジャパンは勝ちに行こうという姿勢が最後まで見られませんでした。どうせ誰もかれもが指摘することになるのでしょうが、ジャマイカ戦の後半2点差で負けてからようやく呂比須、平野、そして小野を投入しましたが、どうして彼らを先発で使わなかったのか、どうして最初から攻撃的な4バックにしなかったのか。まさかジャマイカ戦まで格上相手の戦い方をして「善戦」できれば良し、と思っていたわけでもあるまいに、全く理解できない岡田采配です。ああ、つくづく逃したベンゲルは大きい。
 善戦して誉められるのは逆に言えば認められていない証拠です。寺尾が貴乃花に精一杯突っ張って突っ張って、結局つかまって寄り切られるのと同じで、誰も勝つことなんて期待していないからこそ、頑張れば「善戦」と言われるのです。W杯デビューのアルゼンチン戦はともかく、クロアチア戦以降は勝たなければ認めてはもらえない試合だったはずです。ところが逆にのんびり構えてあっさり負けてしまった代表チームは、「善戦」すらできなかった寺尾以下と言っていいでしょう。ま、世界のサッカーの中では日本サッカーはようやく新入幕ですから、確かに寺尾にも到底及びませんけどね。それにしても、いったいフランスまでなにをしに行ったのでしょう?どうせ記念写真を撮ってくるだけなのだったら、カズや北澤も連れていってやれば良かったのにね。
投票率は低くてもいいかも。(98/6/26)
 参院選が公示されました。これだけ景気が悪いなぁ、先行き暗いなぁ、政治が悪いよなぁ、という思いが充満していても、それでも政治に対する関心は低く、投票率の低下が心配されています。W杯の視聴率が60%を超えるのに、投票率は40%台だろう、なんて変な比較のされ方までしていますが、投票日に雨が降ったりしたら40%を切ることだってあり得ると思います。
 しかし、投票率が低いことは本当に悪いことでしょうか?投票に毎回行く僕のような人間からしてみれば、投票率が下がるということは自分の1票の重みが増すということです。投票率が50%なら自分の票は2倍の重みを持ったということですし、極端なことを言えば、比例区に全国で10人しか投票をしなければ、自分の1票は日本の10%、すなわち1200万票の意味を持つということになります。まあそれは極端にせよ、浮動票なんてものが出回って、訳のわからないムードに乗っただけの候補者が当選するよりも、きちんと政治に関心を持っている人間だけが投票する方が、より確かな選択ができるというものです。実際、青島都政はその無党派浮動層が生み出したものであり、都市博中止も含めて、今そのツケを都民自身が払っているところです。
 いっそ20才になったら誰でも参政権が持てる普通選挙なんてやめて、資格試験に通ったものだけが投票できるとか変えたらどうでしょう?むろん組織化された労組や宗教団体ばかりが強くなるということがあるかも知れませんが、それでもあさはかな奴らがムードに流されて投票し、変な候補者が当選するよりマシかも。まあ資格試験はともかく、選挙というものは、単に投票率が上がればそれでよし、ということでもないと思いますけどね。
●下手だから感じる上手になる喜び。(98/6/25)
 会社の仲の良い先輩であるM部長が本社に異動になるので、会社のテニス部による送別テニス会がありました。M部長とは10年以上にわたるテニス友達なので、なんとしても顔を出さねば、と仕事を放り出して東山公園テニスセンターにはせ参じました。自分のサークルがあるので、平日夜に活動している会社のテニス部にはあまり顔を出していなかったのですが、レベルはサークルよりはるかに上です。早速サークルでも一緒にプレイしている僕よりちょっと上手いM宮さんと、僕よりかなり上手いM部長、そしてテニス部の幹事役で、僕なんかからすると神様のように上手いT西くん(インカレベスト8!)と4人でダブルスをしました。もちろん僕は神様T西くんとペアを組みます。
 久しぶりにレベルの高いダブルスをすると、最初のうちはなかなかそのスピードにリズムを合わせられずミスばかりしてしまいます。僕が足を引っ張ってアッという間にゲームは1-4になりましたが、そのあたりからようやくスピードに慣れてきて、最後は4-6。負けはしましたが、なんとかゲームのカタチになりました。もちろんT西くんは100%でプレイしているわけではないのですが、僕たちのレベルからすればなかなか味わえない強烈な刺激です。高いレベルでテニスをすると、なんだか自分のテニスレベルまで急に上がったような気がするから嬉しいですよね。
 多分T西くんにしてみれば、さほど楽しいテニスではないと思います。学生時代からテニスを極めてインターハイ、インカレで活躍してきた彼にしてみれば、素人相手にただ遊んでいるだけですから。彼はもうこのレベルでいくらテニスをしていても下手になりこそすれ、上達することはないでしょう。でも、素人テニス一筋20年、テニス歴は長いが技術は拙い僕のようなプレーヤーは、まだまだずっと上があることをこうした機会に知ると、とても嬉しく感じます。もっと上達できる、と思えばこそ練習する喜びもあります。喜びがあるうちはテニスを趣味としてずっと楽しくプレイできるわけです。上手な人に憧れ、学生時代からテニスをやっていればなぁ、と悔やむ反面、テニスが下手で良かったとも思う今日この頃です。
●週5日制が最優先事項ではないはず。(98/6/24)
 教育課程審議会が小中学校教育の内容を今より約3割減らして「ゆとりの中で生きる力をはぐくむ」という「審議のまとめ」を発表しました。一見魅力的なように見えますが、現在の受験体制(理解度を測るためではなく、差別化のためだけの入試)と、学歴社会(どの大学を出たかだけで就職の可能性が決まる状況)を変えない限り、公立校の学力ダウンと一層の私立志向が強まるだけでしょう。しかも来年4月から可能になる公立校での中高一貫教育に弾力性をもたせるという方針は、たださえ懸念されるエリート校化へ拍車をかけることになります。どうもこの「審議のまとめ」は、理想を追い求めただけで、現実の認識に欠けた単なる作文にしか見えません。
 そもそも学校を週5日制にするから教える内容を少なくしよう、という発想がおかしいと思います。教えるべき内容を先に吟味検討し、本当に社会に出るまでに学ばなければならないことだけを必須として、それを完全に理解させるのに必要な体制(週に何日学ぶべきか、ということだけではなく、1クラスの最適な人数や、授業の選択方法など)を考えるべきでしょう。その上で、大学入試に必要な学力を設定して、それをクリアしていれば誰でも大学に入学できる体制作りをするのが筋というものです。先に週5日制ありき、というのは乱暴極まりない話です。
 同じ勉強をするにも個人によって理解する能力の差があるのは当たり前です。画一的に40人の生徒に教えていけば、当然、簡単過ぎて退屈な生徒と、さっぱりわからない生徒が生じます。だからこそ、その生徒の能力に合わせて個別に教えられる体制作りが必要なわけで、別にただ教える内容を画一的に減らせばいいというものではないはずです。わからない子には懇切丁寧に繰り返し教え、学ぶ楽しさを理解させるとともに、飲み込みが早い子にはプラスαをどんどん教えて知的興味を伸ばしてやる。真に「ゆとりある教育」とはそういうことではないでしょうか?楽しんで学べる体制作りをしないで、従来の内容を薄くしただけでは、単に学力ダウンにしかつながりません。だったら私立に行かせよう、という親が増えるだけだと思いますけどね。
●岡田監督辞任。問題は後釜だ。(98/6/23)
 ジャマイカ戦を残しているのに、決勝トーナメント進出が果たせないとわかった時点で岡田監督が辞意を表明しました。もともと任期は7月末までだったし、早くからその意志を発表していたのに、勝手に2002年まで監督を、なんて思いこんでいたサッカー協会のアホさ加減がまたもや浮き彫りになったカタチです。岡田が辞めたくなるのも無理ありません。
 まあ岡田は急造監督で良くここまで戦ったとは思います。しかし、これ以上ちゃんとした代表チームを作るつもりなら、もはや監督経験の乏しい岡田では無理でしょう。今回のW杯で日本代表の抱える様々な問題点も明らかになったはずです。世界を股にかけて活躍しているプロ中のプロにチームを任せて、アジアレベルではない世界に通用する代表を作る努力をすべきです。
 多分W杯が終われば、多くの代表チームの監督が交代するはずです。すでにあちらこちらの国で監督の解任が発表されています。サッカー協会は岡田の慰留なんて無意味なことをしていないで(どうせ辞意は固いでしょうし)、早く日本に向いている有能な監督選びに着手すべきです。とりあえずベンゲルを口説いてみたらどうだ?もうトヨタは邪魔できないはずだから。
インチキ牧師に誓いの言葉を。(98/6/22)
 6月はジューンブラインドということで、結婚式も多いと思います。僕の場合は妻の出身大学がカトリック系だったので、その大学の教会を使えば安い(卒業生しか挙式させてもらえないのです)というだけでキリスト教式で挙式しました。もちろん事前に結婚講座のようなものも数回受講しましたし、神父さん(カトリックは神父、プロテスタントは牧師ですね)ともちゃんと打ち合わせをしました。式も小一時間かかるきちんとしたもので、出席した友人達も「こんな長い教会の結婚式は初めてだ」と当時言っていました。
 ところが最近結婚した女友達に聞いたところ、ホテルのチャペルウエディングではそんな面倒なことは全然ないと言うことでした。なるほど、確かにホテルが商売でやっているような結婚式は、15〜20分くらいであっさりと終わってしまいます。そもそも日本にはそんなに多くの牧師がいるんだろうか(大安の日曜日に日本中で行われている結婚式の数たるや想像を絶します)、と思っていたら、「週刊朝日」にブライダル牧師のほとんどは本物の牧師の資格を持たないアルバイトだ、という記事が掲載されていました。白人男性の需要がもっとも高く、大半は英会話講師、最近は人手不足で在日米軍関係者まで混じっているということです。
 そもそも英会話講師だって、英語の能力よりも見てくれの良い白人ならOK、という世界であることは有名です。綺麗な英語を話し教え方が上手な東洋系よりも、方言丸出しの白人の方が需要が高いのが実状だとか。結婚式の牧師も全く同じだったというわけです。実はいい加減なナンパ不良白人にお説教されて宣誓して結婚しているんですね、皆さん。ま、所詮あんなものは単なるセレモニーですから、舞台装置は見映えさえ良ければいいんでしょう。牧師が本物だって偽物だって、その後の人生は当人達の努力次第ですから。
●守備は努力、攻撃は才能。(98/6/21)
 W杯第2戦のクロアチア戦は、残念ながらアルゼンチン戦に続いての0-1負け。内容的にはどちらかというと日本が押していただけに、この敗戦はちょっと悔やまれます。アルゼンチン戦は「善戦した。よくやった」という印象でしたが、このクロアチア戦は「どうして1点が取れないんだ!」という苛立ちを感じさせました。内容がありません。もっともヨーロッパの強豪チーム相手にそう感じさせるのですから、それだけ日本は強くなってきているんでしょう。
 それにしても点が取れる気がしません。どれだけ外してもシュケルの凄みを感じさせるシュートは、いつかやられるぞ、という気がするのに、日本の城や中山には全然そういう気配が感じられませんでした。井原を中心とするディフェンスはあれほど見事にクロアチアの攻撃を遮断していたのに(ボバンとボクシッチがいなかったという幸運があったにせよ)、中田から先の攻めのカタチが全く見えないようでは、W杯初勝利を目指すジャマイカ戦でも苦戦は免れないでしょう。
 柔道では立ち技は才能だが、寝技は努力で強くなれると言われています。野球でも守備は鍛えればうまくなるけど、打撃、特に遠くに飛ばす技術は持って生まれたセンスが物を言うそうです。同様にサッカーでも組織的に練習して努力を積み重ねれば守備は上手になるようですが、攻撃、特にゴールにボールを押し込むフィニッシュは、個人の才能によるところが大きいのだとつくづく感じさせられますね。ハンターとしての嗅覚がよほど優れていないと、世界に通用する「点取り屋」にはなれないようです。
 そう考えると、今は全然話題にもならなくなりましたが、アトランタ五輪のエースになるはずだった小倉のリタイアは痛かったですね。彼の天賦の才能が順調に開花していれば、今頃頼りになるゴールハンターとしてクロアチアに一撃食らわせていたかも知れません。死んだ子の年を数えるような話ですが。


1998年6月中旬のコーカイ日誌へ


おっと、忘れるところだった

押してね。