1998年1月後半のコーカイ日誌


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●歌はタイムマシン。(98/1/31)
 カラオケに行って古い懐かしい歌を熱唱すると、すっかりその頃の気分に戻る時があります。僕の場合、例えば『なごり雪』を歌えば中学生の頃のことを、『いとしのエリー』なら高校時代、『ルビーの指輪』なら大学時代の思い出が脳裏を駆け巡り、当時の悩み・喜び・不安・恋・友情なんてものが、どっと心の中に押し寄せてきます。これは歌謡曲ならではの力です。よくテレビで世相を振り返る時に当時のヒット曲を紹介しますし、映画やドラマでも時代を表現するのにヒット曲をBGM的に流すのも同じ効果を狙っているわけです。時代と密接に結びついた歌謡曲のパワーは実に侮りがたいものがあります。
 しかし、昨今のターゲットによって細分化されたJ-POPにその力があるのか、ちょっと疑問に感じてしまいます。『速報!歌の大辞テン』を見ていても、昔のトップテンの曲は今でも覚えている印象的な曲ばかりなのに、現在のトップテンは果たしてどれだけの人が知っているのか、いわんや数年後に覚えている人なんてどれだけいることか。これは年を取ったから言っているのではありません。僕自身は今でも現在のトップテンくらい全部歌えます。でも去年の年間TOP3である『CAN YOU CELEBRATE?』『硝子の少年』『ひだまりの詩』ですら、普通の30代以上には認知率はかなり低いと思われます。4位の『FACE』になったら、20代でももうどんな曲か思い出すことも困難な人が多いことでしょう。こうして歌と世がお互いに連れ合わなくなってしまったら、その時すでに歌謡曲というジャンルは滅んでいるのでしょう。そして僕たちは、最も簡便なタイムマシンを失ってしまったのです。
●教師も人の子、人の親。(98/1/30)
 13歳の生徒が26歳の女性教師をナイフで刺殺。この痛ましい事件からは、いろんな事が思い浮かびます。最近話題の「逆ギレ」する若者たち。神戸の14歳少年の事件に続く凶悪犯罪の低年齢化。教師の権威の失墜、子どもを叱れない親、管理教育の歪み。いかようにもコメントすることができますが、僕が一番引っかかったのは、殺された女性教師には1歳の子どもがいた、ということです。そう、生徒が教師を殺したという社会的側面ばかりが取り上げられかねない事件ですが、殺された教師にだって家庭があり家族がいるのです。これが教師ではなく一般的なOLだったら「26歳一児の母刺される」ということになるわけで、全然事件の印象が変わってきます。「教師」は権威で強い者、「母」は弱者で守られるべきもの、というイメージがあるからです。
 しかし、現実に殺されたのは確かに「教師」でしたが、「一児の母」でもあったのです。突然の悲劇に見舞われた子どもやダンナさんの気持ちを考えたら、社会批判のためのネタとしてだけこの事件を考えるなんて無理です。残された人々は、これからどんなに辛い日々を送るのか。いくら相手が13歳とは言え、自分がそのダンナの立場だったら、とても加害者を許す気にはなれないと思います。教師だって人の子、人の親です。教師と生徒の対立、という図式化した眺め方だけではなく、もっと個人と個人をちゃんと見た報道を期待したいですね。
ニュースに狙って出る。(98/1/29)
 「タモリのネタでナイトフィーバー!!」という番組の中で、吉田照美がラジオのDJをしている時に、ニュースに出るために東大の合格発表に行って胴上げして帰ってきた、という話をしていました。それを聞いて思い出しました。僕もしたんですよ、同じようなこと。しかも大学と高校の2回も。大学の時は吉田照美と違って、ちゃんと本物の受験生だったのですが、自分が受けた文学部の前ではなく、テレビカメラがいる工学部の前に陣取りました。関係ない合格発表の掲示板の前で、受験もしていない関係ない友人たちと一緒に大喜びしているところをバッチリ放映されました。
 しかし、もっとあくどいのは高校1年の時でした。春休みですが僕は柔道部の部活をしに学校に来ていました。たまたまその日は高校の合格発表の日。テレビ局が取材に来ていると聞いて、急いで発表している掲示板のところに行きました。それも真っ赤なセーターを着て。するとやはり野球部の練習に学校に来ていた同級生のKが向こうからやってきました。目と目が合った瞬間、僕たちはお互いに駆け寄り「どうだった?」「やった!」「よーし!!」と言い合いながら肩を抱き合って大喜びしたのです。何の打ち合わせもなしでできるなんて、こいつもやっぱり僕の親友だけのことはあります。早速夕方のニュースをチェックします。結果はバッチリでした。映っています。しかも1局だけではなく3局も。黒ずくめの中での真っ赤なセーターですから、思いっきり目立っていました。テレビを見ながら大笑いしていると、すぐさま中学の後輩から電話がかかってきました。「先輩、なんで合格発表であんなに喜んでいるんですか?もしかして中学浪人してたんですか?」テレビは怖いです。ニュースを信じちゃいけません。
●景山民夫の死。(98/1/28)
 どうにも不審な死に方をしたもんです。書斎でいきなり焼死。火の気のないところで、しかも煙に巻かれての窒息死ではなく火傷による焼死というのですから、焼身自殺の可能性も考えられますが、そのあたりはこれからもう少し詳しいことが判明してくるのでしょう。それにしても伊丹十三、星新一に続いて景山民夫。自分にとって身近な作家が次々と亡くなっていくというのも、何だか妙に自分の年齢を感じる話です。景山民夫と言えばもちろん直木賞作家なわけですが、それよりも僕には高田文夫と組んでバカを喋りまくっていた頃とか、中京テレビのローカル番組の司会をしていた頃の、都会的で軽妙洒脱な放送作家・タレントとしてのイメージが結構強いです。とにかく偉ぶっていない、難しいことも言わない、センスが新しい、自分たちに近いスタイルの文化人が現れた、という感じでした。だからこそ「幸福の科学」の時の彼の大活躍ぶりが意外でした。景山民夫という人は宗教からはもっとも遠いところにいるような気がしていたからです。その後、時々彼が宗教に関して書いた文を読むこともありましたが、どうも僕としては納得できないままに彼の死を迎えてしまいました。別に僕が納得していなくても景山には関係ないでしょうが、僕としてはその件だけでも今回の彼の死は残念です。
●寒中撮影は辛いよ。(98/1/27)
 月曜日から水曜日まで3日連続でCMのロケをしています。とにかく真冬のロケというのは、寒いし風は吹くし日は短いしで、いいことが全然ありません。もっとも僕たちスタッフはまだ暖かい格好をしていられるだけマシで、モデルの人たちは季節外れの初夏の装いですから、寒さもひときわこたえることでしょう。中でも心配だったのは子役でして、赤ん坊と6才の子どもがいたのですが、2人とも寒風の中でのロケで肺炎にでもなってしまったらどうしようか、という感じでした。しかも今撮っているものはテレビCMとポスター用スチール写真を同時撮影しているので、スケジュールがきついこと。テレビのセッティングの合間にスチールを撮るのですが、日が陰ったりすると雲から出るのを待たなければならなかったりして、ちっとも予定通りに進みません。結局最後は時間との戦いになってしまいます。
 なんでこんなことになってしまうかと言えば、広告が全て季節の先取りだからです。今頃撮っているCMやポスターというのは、だいたい春にオンエアされたり掲出されたりするものです。しかも内容は夏のキャンペーンだったりしますから、とにかくそれに合わせた企画となると、可哀想にモデルが肺炎になるというわけです。逆に今頃オンエアされているCMなんて、多分まだ暖かい頃に撮影したものです。本当は画面の外では汗を流しながら働いているスタッフがいたりする訳で、そういう想像力で補いながら広告を見るとまた面白いものです。
●全豪オープンが見たい。(98/1/26)
 粉雪が舞いそうな寒い冬の日曜日は、コタツにもぐり込んでミカンでも食べながら、テレビでスポーツ観戦するのが極楽です。25日には大相撲初場所千秋楽に大阪国際女子マラソン、ラグビー日本選手権など面白いコンテンツが満載で、実に堪能することができました。特にラグビーのトヨタ自動車vsサントリーは見応えのある熱戦で、ラグビーファンならずとも手に汗握ったのではないかと思います。しかも中継のNHKが、初心者のために懇切丁寧にルールを解説していたのも好感が持てました。
 ただテニスファンとして残念なのは全豪オープンが見られないことです。WOWOWが独占しているせいで、ニュースでしか杉山愛らの活躍を知ることができません。ウインブルドンのNHK衛星の放映ですら地上波しか見られないファンから苦情が来るくらいですから、WOWOWだけではどうしようもありません。もちろん、それが視聴者獲得のための手段なんだから仕方ないのはわかっていますが、折角のビッグイベントなんだから、もう少し何とかなりませんかね。例えば毎日1セットだけ見せるようにするとか。全然見せないよりも、時々小出しに見せる方が、余計見たくなるものじゃないですか。チラリズムの法則(?)です。WOWOWやってくれないかなぁ。
●先輩にたてついた思い出。(98/1/25)
 体育会絡みの話で思い出しましたが、自分の高校時代。ちょっと血迷って(女子マネージャーの色香に迷って、というのが正確ですが)柔道部にいました。1年生の夏休み、はじめての合宿。初日の夜のミーティング時に、顧問の先生が「なにか気づいたことや意見があれば言ってくれ」と言われたので、僕はさっと挙手をしました。「食事の時に先輩たちの茶碗に1年生がご飯をよそうのはおかしいと思います。自分のことは自分でやれと親にも教えられましたから、先輩達もご飯くらい自分でよそうべきだと思います」と言ってのけたのです。柔道部ですよ。今思えばとても恐ろしくて1年坊主の言うことではないのですが、偉いのは先輩たちでした。「そうだな」と言って次の日からちゃんと全員自分たちのご飯は自分たちで茶碗によそうことになったのです。もちろん、しごきもいじめもありませんでした。
 当時は(実は今も)権威をかさにきて偉そうに上から命令する人間がとにかく大嫌いで、この「ご飯は自分でよそえ」発言も、食事中にムカムカきて言ってしまったことなのですが、今思えば可愛くない後輩だったと思います。よく先輩達も素直に意見を受け容れてくれたものです。こんな自分の性格にミドルティーンの時に気づいたので、とても大学では体育会に入る気になれませんでしたね。会社に入ってからも、かなり損をしていると思いますが、最近はわかっていてやっているんだから、と自分でもさっぱり諦めています。こういうのも出世を考えなければ悪くないですよ、自分はね。上司や先輩は不運ですけど(笑)。
●連帯責任の取り方。(98/1/24)
 昨日の「近藤陽子さん五輪出場辞退問題」は、すぐに大学側が辞退要請を撤回したために、急転直下「おとがめなし」ということになりました。当たり前です。そんなことを考えつくところに、すでに「連帯責任病」の症状が出ています。ただ、僕は連帯責任全てが問題ありとは思っていません。今回の事件でも「当該選手のみ処罰すればいいじゃないか」という声も結構あるようですが、組織というものは構成員が不祥事を起こせば、個人が起こしたことでも全体で責任を取るべきだと思います。そうでなければ何のための組織でしょう。当該構成員のクビを切るだけでは、単なる「とかげの尻尾切り」でしかありません。もちろん「ある程度」という判断が必要です。近藤陽子さんにまで責任を負わせるのは行き過ぎ。昨日も書いたように、「みんなの責任は無責任」になってもいけませんから、適用範囲は慎重に考慮すべきではあります。そして問題は「不祥事=活動停止処分」という画一的な発想。そんなものに果たしてどれほどの意味があるのか、と言うことです。
 活動停止というのは、元気が余っている若いスポーツマンにとっては、ストレスを溜めるだけの無意味な行為です。辛いだけで、なんら生産性のない処分と言ってもいいでしょう。「小人閑居して不善をなす」と昔から言います。謹慎処分中にまたぞろ妙な犯罪的行為を行わないとも限りません。それよりも、もっと社会的に意味がある処分というものはないのでしょうか?例えばアメリカあたりでは最近多いらしいのですが、ボランティア活動を義務づけるというのはどうでしょうか。90日間くらい、身障者施設や老人ホームなどでの介護にでも行けば、少しは世の中の役に立つし、彼らも何か心に変化が起きるんじゃないでしょうか。事件に直接関わらなかった連中は、その程度の比較的軽い処分、そして原因となった連中はカンボジアに地雷撤去作業の手伝いにでも行かせればいいと思います。ちったあ心を入れ替えて帰ってくるんじゃないでしょうかね。
●婦女暴行の責任を女性に押しつけるな。(98/1/23)
 帝京大ラグビー部に続いて日体大スケート部も集団で婦女暴行事件。大学体育会も地に墜ちたという感がしますが、日体大の処分の中に妙な部分がありました。朝日新聞によると、日体大はスケート部の無期限活動停止と部長及び監督の解任を決めたそうで、これはまあ致し方ないところでしょう。しかし、大学側はさらにスケート部に所属している五輪女子アイスホッケー出場選手の近藤陽子さん(日本体育大女子短大1年)にも出場辞退を要請すると言うのです。
 近藤さんが、この事件に何か関わりがあったのかどうかはわかりませんが、普通に考えたらこの要請はかなりおかしいと思います。どうして集団婦女暴行事件の連帯責任を「違う大学」の「未成年」の「女性」が負わされなければならないのでしょう?しかも1週間の活動停止とか言うんじゃありませんよ。4年に1回しかない五輪の出場を辞退せよ、というのですから滅茶苦茶です。
 僕はそもそも日本スポーツ界の歪みの最大の原因は、この連帯責任制度にあると思っています。1人が悪いのはみんなが悪い、という考え方は、個人というものを認めないファシズム思想です。「みんなが悪い」は一見全員で反省しているようですが、実は誰も反省などしません。「みんなの責任は無責任」という言葉があるように、悪いのは誰か、ということはハッキリさせなければ、罰も意味を持たないし、指導も教育も効果があるはずもありません。結局最終的に残るのは「バレなければいい」という小狡い発想からくるアンフェアな行動思考パターンだけ。スポーツ界に限らず、総会屋事件など最近の企業及び役人の犯罪も全てこの発想です。近藤さんが大学側の要請にどう答えるのかわかりませんが、是非僕としては「バカ言ってんじゃないよ」とはねつけて、堂々と長野五輪に参加して貰いたいと思います。
●理想のオフィス。(98/1/22)
 会社の社員向け広報誌から「夢のオフィス」というお題で何か書け、という依頼(命令かも)を受けました。もちろん本当に夢みたいなことを書いてもいいんだけど、折角社長も読むかも知れない社内報なんだから、少しは自分が思う現実的な「理想のオフィス」について考えてみたいと思っています。
 僕が考えるオフィスの理想は2つあります。ひとつはエコロジー・オフィス。つまりオフィスは第2の生活の場(現実的には家より長時間いるんだから第1かも知れません)なんだから、身体と心に優しいオフィスであるべきです。禁煙なんて当たり前で、電磁波を出しまくっているパソコンもどこかにやるか、せめてディスプレイを液晶にする。常にリラックスできる香りが漂い、環境ビデオや音楽が流れ、目にも優しいグリーンが配置されている静かな空間。ああ、電話もなんとかしたいねぇ。あれはストレスの原因です。もちろん身体をほぐしたい時に軽くストレッチができるスペースも欲しいし、疲れた時に休めるカウチもあると良いですね。クアハウスやサウナがあるともっといいかも。流水プールや水前寺清子ショーはいらないけど(笑)。
 2つめはコミニュケーションの場としてのサロン・オフィス。わざわざ家から時間をかけて集まってきているのがオフィスです。だったら、1人で仕事しているのではなく、みんなが集まることによって生まれる発想を大事にしなければ、集まってくる意味がありません。なのに最近のオフィスレイアウトと言うのは、パーソナルなスペースを拡充して、パブリックなスペースを少なくしようとしています。もっとワイワイガヤガヤと雑談をできる自由なサロン的雰囲気を作るべきでしょう。もちろん、それとは別に、1人で仕事に没頭したい時のための、完全な個室も用意されている必要があります。
 この2点が現在僕がオフィスに求めている理想です。現実はほど遠いですけどね。で、早速書き始めようと思って、はたと筆が止まりました。なんと字数が200字以内だったのです。うーん、まとまるかなぁ、200字で。
●あなたは姓名判断を信じますか。(98/1/21)
 いつも話題にするO嬢ですが、なんでも先日姓名占いに行った時に、なぜか僕の名前まで聞いてくれたんだそうです。そうしたら僕は「博愛の人」なんですって。ほんとか?えこ贔屓が激しいと自分では思っているんですけどね。名前なんて記号なんだから、そんなもんで人生が左右されてたまるか、というのが僕の基本姿勢。それに姓名判断の本を読み比べてみればわかりますが、本によって流儀が違ったりしますよ。非合理・非科学的なものは信じられない性格なので、自分の子どもの名前を考えるときも、一切その手のことは考慮せずに好みだけで決めてしまいました。
 もちろん世の中には相変わらず姓名判断を頼りに名前を決める人も多いようで、会社の後輩H君も先日生まれてきた子ども(一卵性の双子だったそうで、これからが大変だなぁ)の名前をかなり悩んで決めていました。で、つけた名前がまた難しいんだ。どこかの偉いお坊さんのような名前で、ちょっとびびります。もっとも僕の名前も住職だった僕のじいちゃんが、いろいろ考えてつけた名前だそうで、どんな姓名判断でも「素晴らしい!」と絶賛されてしまうので、あまり文句は言えないんですけどね。
 ところがこれが「言霊」ということになると、僕もちょっと考えてしまいます。言霊とはご存知のように言葉の中に呪術的力があるという考え方なのですが、超常現象的な意味ではなく心理学的に、やはり人が発した言葉がなんらかの影響を周りに与えるのではないかとは思います。で、言霊(という表現でいいのかどうかはともかく)があるとしたら、姓名判断もまんざら嘘八百とは言えなくなるのかも知れません。もっとも超能力やUFOと一緒で、なにかあるかも知れない、それはわからないけど、ほとんどは嘘っぱちだ、という基本姿勢は変わりませんけどね。
●盛り上がらないなりに、長野五輪。(98/1/20)
 マスコミからこれほど「盛り上がらない」と言われているビッグイベントも珍しいのではないかと思われる長野五輪。でも、そもそも今までの東京五輪・札幌五輪が盛り上がりすぎたのかも知れません。オリンピックとは言え、所詮は単なるスポーツイベント。国民挙げて熱狂するような時代は終わったのでしょう。紅白歌合戦だって視聴率50%取れればOKの世の中です。長野五輪も、開幕すればそれなりには盛り上がると思います。
 ところでその長野五輪にとんでもない超新星が登場しました。今回から冬季五輪の正式種目となるスノーボード。そのW杯のハーフパイプ(HP)で、吉川由里選手が優勝してしまったのです。なにせ吉川は五輪代表にも選ばれていない全くの無名選手。湘南のサーファーだった吉川がスノーボードをはじめたのはまだ5年前、競技としての大会に初出場したのは3年前だそうです。どうしても五輪に出たいと、今季は自費でW杯に参戦。徐々に順位を上げてきて、このラストチャンスを見事につかんだのです。いやぁ、マンガみたいな話で面白いですね。
 強いけどピークを持ってくるのが早すぎたのではないかと懸念されるジャンプや、スラップスケートをこなし切れていないスピードスケート、全然復活のめどが立たない複合、大恥をかかないように帰化選手で固めたアイスホッケーなどの競技に比べ、スノーボードはまだ混沌としているだけにチャンスと夢が広がります。それに、こういうところから徐々に個人的に盛り上がっていかないと、せっかくのオリンピックが楽しめませんしね。
●しょぼいぞ、芸能ニュース。(98/1/19)
 ワイドショー的女性週刊誌的芸能ニュースと言うのは、日本の報道という分野の中でも、もっとも「しょーもない」部分ですが、それにしても「サッチー、神田うのをビンタ事件」は、その「しょーもなさ度」においてかなり群を抜いていると思います。うのも野村夫人も芸能人(野村夫人は芸能人かどうかも疑わしいが)としては実績らしきものもない、ただ芸能マスコミのためにだけ存在しているようなタレントもどきです。そんな奴らがどんな事件を起こそうが、それは芸能マスコミ界というムラの中ではニュースかも知れませんが、ムラの外の人間には「なにそれ?」でしかないのです。確かに号外まで出たアムロ結婚ネタほどビッグニュースはそうそうないでしょうが、かなりどうでもいいと思った「池谷不倫」などより、もっとどうでもいいぞ、というレベルのネタです。これが正月のトップニュースだから脱力してしまいますよね。くだらないなりに、もう少し「おおっ」と野次馬根性とミーハー心を躍らせてくれるようなビッグニュースがあれば「サッチー、うの殴打」という小ネタも生きてくるでしょうが。いくら持ちつ持たれつの芸能界と芸能マスコミとは言え、もう少し危機感をお互いに持たないと、そろそろやばいんじゃないの、この業界も。
●W杯日本代表候補発表。(98/1/18)
 スポーツファンが注目していたW杯の日本代表候補選手が発表されました。予想通り若い柳沢や中村が入っていて、期待できるメンバーです。もっとも、せっかく代表に入っても試合で使われなくては意味がないわけで、これからの代表の試合では、どんどん若い選手を起用して欲しいですね。特に期待したいのは柳沢です。高校時代から超大物と言われ、鹿島アントラーズでも順調に成長を続けている柳沢。予選の突破にはゴンやカズ、ロペスらベテランの力を借りるのも仕方なかったと思いますが、本大会はぜひとも城と柳沢の若いツートップで臨んで欲しいですね。だって、どうせ日本はどこかで負けるんです。だったら初出場の今回、せこいサッカーをして1勝を狙うよりも、2002年を睨んで若手中心のメンバーで理想のサッカーを追求して綺麗に散った方が、次へのステップとなると思います。カズやゴンや井原は、記念にちょっとだけ出してあげればいいじゃない。主力は25才以下の選手で、アルゼンチンやクロアチアにぶつかって来い、って思うんですけど。
●新・CM女王?(98/1/17)
 今年成人式を迎えたタレントの中で、特にワイドショーやスポーツ新聞を華やかに飾っていたのが、「新・CM女王」と呼ばれているらしい佐藤藍子でした。なにせ着物と帯で約1,000万円とか。芸能マスコミのための話題作り見え見えなのですが、お約束通りの報道をちゃんとテレビ・新聞ともしていて、いかにも持ちつ持たれつの構図でした。それにしても、いつから佐藤藍子が「CM女王」になったんでしょうね?確かに最近CMの数は多いと思いますが、彼女の場合、数が多いだけなのが難点です。そこそこ安い契約料で仕事を選ばずに出ていれば、CMの数は確かに増えます。でも問題は、彼女に印象に残るようなヒットCMがないこと。もっと言えば、佐藤藍子が出演したから商品が売れた、という話をとんと聞いたことがないことです。
 かつてCMの女王と言えば小泉今日子でしたが、彼女の場合は今でも覚えているようなCMが即座にいくつも挙げられます(JRの「もっともっと」とか「ベンザエースを買ってください」とか「クノール」とか)。それにその効果も抜群でした。ただ数が多いだけで効果的かどうかわからない佐藤藍子とは「女王」の格が違います。だいたい佐藤藍子を好きだ、という人をあまり聞いたことがないんだけど、誰に受けていて、あんなに彼女は出ているんでしょうか?あの若い割には妙に手慣れた場のさばき方、いかにも芸能界ずれした感じが、僕には嫌味に思えるんですけどねぇ。
成人式の思い出。(98/1/16)
 成人式も随分遠い昔の話になってしまいました。久しぶりに中学時代の友人と市民会館に集まった僕たちは下らない式典を見ながら、「女の子ともうHしたかどうか」という極めて重大なテーマについて論議をしていました。当時「やらずのハタチ=やらはた」という言葉が僕たちの間に流布していて、童貞のまま成人式を迎えるというのはかなり格好悪いと思われていたのです。まあこの年になってみると、別に初体験が18だろうが21だろうが大した違いはないんじゃないの、なんて思ってしまいますが、その年頃の男の子にとっては就職問題よりも重要な事柄に思われたものです。何となく仲良くしているけど、Hするまでには至っていない女の子が近くにいたりすると、成人式を「性人式」にしたい、と熱烈に願っている奴もいたりして、式典なんて全然目にも耳に入っていませんでした。
 ところでこの式典、運営は「成人式実行委員会」みたいな名称がついた新成人の皆さん、ということになっていましたが、もちろんこれは役所が裏で操っていました。つまりお上のお仕着せ式典ではなく、新成人が自ら作る成人式、というカタチにしたかったわけですね。実は僕も成人式の3ヶ月ほど前に役所から「成人式のことで相談したい」と突然呼び出されて、何事かと思って行ってみたら、いきなりその委員会に入れられていたのです。その委員を受ける意志があるかどうかの確認もなしで、役人から仕事を割り振られて、僕はもちろん怒って断りました。人の都合も聞かずに押しつけてくるそのやり方も腹立たしいし、そもそも無報酬で役人たちの仕事を体よく肩代わりさせられるなんてバカバカし過ぎます。ところが僕に抗議された担当の役人は当惑していました。断る人間がいるなんて思いもよらなかったようです。実際、他の新成人諸君は、黙々と割り振られた仕事を始めていました。なぜ?君たちはお役人から命じられたら素直に言うことを聞くのか?そこに呼ばれた新成人たちは、中学の学区ごとに1人ずつ教師が推薦した「優秀」な大学生たちと、市内の企業に勤めている、その職場から推薦(業務命令か?)されてきた「優秀」な社会人たちです。素直な良い子の彼らの姿に僕の怒りはますます増幅してしまい、ぶち切れてさっさと市役所を飛び出してきたのですが、その後彼らがちゃんと仕事をしたことは、その式典を見ていれば明らかでした。見事なまでにお役所的発想の成人式。ため息をつきながら、僕は当時付き合っていた振り袖姿の彼女と一緒にクルマで走り去ったのでした。
 ・・・でもやってないけどね、その子とは。


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