幹事クリタのコーカイ日誌2014

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2月28日 ● 理科数学教育が不要なら。

 有名なブロガーのちきりん氏が「下から7割の人のための理科&算数教育」というタイトルで「実生活で役に立たない今の理科や数学は学校で教えなくてもいい」と書いて、かなりネット上で批判されています。僕もこのブログを読んだ時に「こりゃひどいな」と思いました。これはよく理数系が苦手だった人が言う昔から定番のセリフです。血液型の話題やオカルトの話題と同じで、酒の席で極論を言っているのなら大目に見てもらえるでしょうが、真面目にブログで書いたら叩かれるのも当然です。もしネタで書いているのなら別ですが、それならもう少しネタらしく書かないとそうは思ってもらえないでしょう。

 学校で教わることが全て人生の実生活に役立つことばかりのはずがありません。なぜなら、それぞれの子どもが将来どんな人生を送るかは千差万別だからです。子どもたちに各人に合わせて必要なことを教えたいなら、学校に行かせずに家庭教師を雇うしかありません。それにしたって将来必要な知識を全て教えることなど無理でしょうけど。少なくとも多くの子どもたちに効率的に教育をするなら、学校を作ってそこで基本的なことを画一的に教えるしかないのです。当然ある人にとっては無駄で使わないことも教えられるでしょうが、それは仕方ないことです。

 それにそれが本当に無駄な教育なのかどうかも人生が終ってみるまでわかりません。例えば僕は中学までに教えられた音楽の知識は、卒業後つい最近になるまで全くと言って良いほど必要としませんでした。しかし最近サックスとピアノを習い始めてから急に役立つようになりました。中学までの音楽の知識のお陰で、かなりたどたどしいながらも楽譜が読めたからです。ちきりん氏の理屈で言えば音楽教育だって楽器を弾かない限りは不要なものですが、ちゃんと習って覚えておけばこういうこともあります。

 理数系が苦手だから、それに関わることを避けていれば確かに「役に立たない」知識だと思うでしょう。しかし、それは単に自分の可能性を狭めただけです。英語だって日本国内だけで生活していれば全く喋れなくても不自由はしません。だからと言って学校で教える必要はないとは言えません。理系の人間からしたら源氏物語を読まされたり、ローマの皇帝の名前を覚えたりをすることも「役に立たない」教育だとなることでしょう。実生活で役に立つか立たないかを言い出したら、いまの義務教育で習う大半のことは知らなくても生きていけると思います。寺子屋時代の「読み書きそろばん」だけで十分。でもそういうことじゃないくらいは、普通の教育を受けた人なら誰でもわかるはずです。

 学校で教わっていることの大半は「実践的で役に立つ」ことよりも「人生を楽しむ、豊かにする」ことなのです。小学生が花の名前や魚の名前を教わったり、「走れメロス」や「銀河鉄道の夜」を読んだり、遠くの国の人たちの生活や文化を教わったりするのも、直接的に役には立ちませんが、知っているか知らないかで人間性の豊かさは大きく変わってきます。「豊かさ」をお金でしかカウントできない人には無用の知識、無駄な時間に感じられるかも知れませんが。

 有名ブロガーとして名を馳せ、本も何冊も出した彼女も最近は少々ネタ切れ気味なのではないかと思います。ビジネスの現場を離れて久しいですし、同じような話の焼き直しをするか、こうして少々暴論めいたことを書いて興味を惹くしか手がなくなってきたのかも。これで思い出すのが野球解説者です。引退したばかりだと持っているネタも新鮮で話も面白いのですが、長く現場を離れると同じネタの繰り返しか、極端なキャラ立てをしないとお呼びがかからなくなってきます。似た状況にあるのだとしたら、有名ブロガーというのも大変です。


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