マンガ時評vol.51 99/5/26号

『バガボンド』は黒沢映画の凄み。

 週刊モーニングが昨年後半、一気に始めた新連載群が徐々に軌道に乗ってきました。もっとも、多くはかつて人気があった連載作品の続編です。手始めに復活した山本康人『新鉄人ガンマ』こそ早々に終了してしまいましたが、尾瀬あきら『奈津の蔵』(『夏子の酒』の続編)、かわぐちかいじ『瑠璃の波風』(『沈黙の艦隊』の特別編)、弘兼憲史『課長島耕作』の文字通り続編『部長島耕作』と、もうなんでもありかよ的パート2作品の大連発です。

 さらに最近では「二度と描かない」と言っていた『ナニワ金融道』の作者青木雄二までが監修という名で復活。友人と弟子らしい原作・田島隆&作画・東風孝弘と一緒に『カバチタレ!』という作品を始めました。青木雄二そっくりの絵に、そっくりのストーリー。舞台こそ街金から行政書士へ、大阪から広島へと移っていますが、少し出来の悪い『ナニワ金融道』そのものです。

 かつての『沈黙の艦隊』『ナニワ金融道』のような社会的にも話題になるような大ヒット作が見当たらない現在、生き残りのためには二番煎じだろうが何だろうが、なりふり構ってはいられないという編集長の焦りが感じられるようなラインアップ。志の低さよりも部数回復ということなのでしょう。

 で、これらのパート2作品以外で注目されているのが、昨年秋に始まった井上雄彦『バガボンド』です。日本のスポーツマンガ史上最高傑作とも思われる『SLAM DUNK』を描いた井上が、いつ少年ジャンプに戻ってくるのか期待していたファンを驚かせたこのモーニング登場。僕も第1話が描かれてすぐにこの「マンガ時評」Vol.43(98/9/7号)で取り上げました。もちろん第1話しか読んでいない時点では評価の仕様もなく、いつかまた取り上げるつもりでいました。

 連載を始めて半年余り。かなりモタモタとしていた印象があったのですが、ようやく武蔵が京に出てきて吉岡道場も登場。ストーリーが動き始めたようです。大河小説を原作にしていることを意識し過ぎているのか、どうもマンガ的軽やかさに欠ける気がします。もっと奔放に物語を動かしていった方が井上雄彦らしい爽快感が表現できるのではないかと思います。

 この作品の中で、宮本武蔵はまるで桜木花道のように描かれています。粗野で人付き合いができず純粋で、抜群の身体能力と精神的タフネスを持つ野性の若者。どこへ行くのか、何をしたいのかを模索している青年(そういう意味では少し流川も入っているかな?)。絵の上手さは相変わらず。構図やコマの運びはさらに洗練されて迫力が増しています。

 ただ『SLAM DUNK』の大きな魅力だった主役以外の様々なキャラクターが未だに出揃っていません。もちろん、『SLAM DUNK』の時だって、ゴリやリョータ、三井、魚住、仙道らが出揃うまでにかなりの時間がかかりました。ですから慌てる必要はないのかも知れませんが、それにしても半年以上経っているわりには魅力的なキャラクターが少なすぎます。とりあえず沢庵和尚と吉岡道場の連中くらいでしょうか。戦う男こそ井上雄彦の真骨頂。そういう意味では、ストーリーが動かない以上、まだまだこれからなのかも知れません。

 ストーリー展開とキャラクター造形こそ未だ欲求不満ながら、この作品のここまでの最大の魅力は、画面全体から発散される空気感にあります。白黒でメリハリの効いた画面構成。重く暗く陰惨なシーンもどこかカラッとした湿度の低さ。アクションの迫力。作品全体に漂うこの雰囲気佇まいはどこかで見たような気がしていたら、なんと黒沢映画のそれでした。ここで描かれている武蔵の姿は、まさに若き日の三船敏郎そのものですし、沢庵和尚は志村喬でしょうか。

 そう言えば黒沢も女を描くのは苦手な作家でした。彼の最大の魅力は戦う男たちが紡ぐ徹底したエンターテイメント。まさに井上雄彦の世界と重なります。作者本人がどこまで黒沢映画を意識しているのかわかりませんが、そう思って読めば読むほどに、この『バガボンド』が、まるで昨年亡くなった偉大な映画監督へ捧げる作品のように思えてきます。

 さて、半年過ぎてもまだ物語は導入部分。本当に面白くなってくるのはもう少し先のような気がします。ただ、作品が放っている凄みだけはすでに一級品です。これで本当にドラマが動き出したら、この作品はとてつもないパワーを発揮することでしょう。なにせ吉川英治の大長編が下敷きなのですから、読む方もじっくり構えていなければとても楽しめません。ま、そういう意味でもアンケートハガキの人気投票結果によってはすぐに打ち切られてしまうジャンプではなく、モーニングをメディアに選んだのは正解だと言うことでしょうね。