マンガ時評vol.49 99/3/17号

『月下の棋士』の子どもたちが歩き始めた。

 昔の子どもは家の中で遊ぶ時に将棋や囲碁を指して遊んだものですが、最近は将棋を指せる子どもがどれほどいるのでしょうか?室内での遊びは全てテレビゲームにその座を奪われ、父親が息子に駒の動かし方を教えるなんていうことも、今や昔話なのかも知れません。ところが少年マンガの世界では、なぜか囲碁将棋が復活をはじめているのです。いまどき、こんなアナクロな遊びがどうして題材として取り上げられるのか?実に興味深いものがあります。

 少年ジャンプ誌上で3ヶ月ほど前からスタートした『ヒカルの碁』(原作ほったゆみ、漫画小畑健、監修梅田由香里二段)は、まさに正統派の囲碁マンガ。と言うか、囲碁をテーマにしたヒットマンガというのは過去に記憶がないので、なにが正統派かもわかりませんが、とりあえずこの『ヒカルの碁』はいかにもジャンプらしい方程式に則った少年成長マンガです。主人公・進藤ヒカルが大昔の囲碁の天才・藤原佐為の霊に憑かれて囲碁に目覚め、彼の指導の元、ライバル塔矢アキラと競い合いながら成長していくというお約束のストーリー。秘めた才能を持つ天才少年、その師もかつての天才、そしてライバルも天才と、この種のマンガでは題材がなんであれ、必ず天才が3人は揃うことになっています。ヒカルが星飛雄馬、佐為が星一徹、アキラが花形満ということですね。

 『ヒカルの碁』はまだ連載開始以来3ヶ月しか経っていませんが、キャラクターの立ち方もストーリー展開もなかなか魅力的ですし、なにより絵が綺麗です。囲碁のルールを知らなくても、一応ストーリーを追って楽しむことができます。小学生だったヒカルが中学生に進んでいよいよ本格的に囲碁に取り組むようですが、こういう展開になるのも人気が徐々に上がってきている証拠でしょう。もうしばらくはこのマンガが楽しめそうです。

 そして『ヒカルの碁』を追いかけるように少年サンデーで始まったのが『歩武の駒』(村川和宏、監修深浦康市六段)。こちらはタイトルからもわかるように将棋マンガです。主人公雪村歩武はこれまた天才少年のようですが、わけあって6年も将棋から離れていました。高校生になってから奨励会(プロ棋士の養成所)に入ろうという遅咲きですが、多分今後いかんなく天才ぶりを発揮して成長していくことになるのでしょう。まだ連載開始して間もないので、この先どんなライバルや師が登場するのかわかりませんが、ちょっと『ヒカルの碁』に比べて作者の展開力・画力不足が気になります。原作をつけた方が良かったかもしれません。このままでは先行きが不安ですね。

 さて、囲碁将棋と言えばビッグコミック・スピリッツですでに268話まで進んでいる『月下の棋士』(能條純一、監修河口俊彦六段)があります。もちろんこちらは青年誌だけに、読者も将棋についてより深い知識があることを前提に描かれていますので(現実の棋士とオーバーラップする登場人物も続々出てきますし)、少年誌2作とは全然立場が違うわけですが、鬼才・能條純一の世界を濃密に味わうことができるヒット作品に仕上がっていて、さすがにレベルが違うと思わせます。

 『月下の棋士』の最大の特徴はなにか?それは伝統の世界を描くに相応しい画力、特に様式美と言ってもいいほどの静的な絵の強さと美しさ、そして主人公をはじめ登場する人物それぞれのキャラクターの立ち方でしょう。vol.6 ●97/1/4号「スポーツはマンガで語ろう。」で論じたことですが、スポーツマンガはスポーツを美しく描けなければ読者を魅了できません。同様の論理で、静的な室内競技である囲碁将棋(麻雀も含みます)マンガは、ピタッと止まった時の決めポーズの絵が魅力的でないといけません。能條純一はかつて麻雀マンガの傑作『哭きの竜』でその様式美を完成させました。『月下の棋士』はその流れの上にあります。主人公氷室将介だけではなく、登場するそれぞれの棋士が個性的な型を持っているところが、能條純一の巧みさと才能だと思います。

 『月下の棋士』を研究してその絵の美しさを取り入れているのが『ヒカルの碁』であり、主人公のアウトロー的キャラクターや勝負の展開パターンなど内容面を取り入れようとしているのが『歩武の駒』だと、大ざっぱな分析の仕方をすればそうなります。いわばこの2作は『月下の棋士』の子どもでしょう。ただ先ほども書いたように、囲碁将棋マンガにはスポーツマンガと違って見せ場がありません。勝負を決める瞬間の美しい絵があってこそカタルシスもあるわけで、それを見つけないことにはマンガとしての魅力に欠けると言わざるを得ません。そういう意味では『ヒカルの碁』の方がちょっとリードしているのかな、と思います。

 いずれにしても両作品ともにまだ連載は始まったばかり。手探り状態であることには変わりありません。昔と違って囲碁や将棋のルールを知らない子どもたちが大半という状況の中で、そういう素人にも楽しめるような作品を作り上げていくのは大変でしょう。編集部にしたら、あらゆるスポーツをやり尽くして囲碁将棋に帰ってきた、ということなんでしょうが、確かに見た目にも新鮮であることも間違いありません。できたらこれらのマンガがきっかけとなって、時ならぬ囲碁や将棋のブームが子どもたちの間で巻き起これば凄いんですがね。難しいかなぁ。