マンガ時評vol.47 99/1/10号

柔構造マンガ化で蛭田達也は「生涯一コータロー」。

 長寿マンガの筆頭と言えば、さいとうたかお『ゴルゴ13』(1968〜)と秋本治『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(1976〜)が挙げられます。ともに通巻110巻を超えてまだまだ記録更新中。少女マンガ界では魔夜峰央『パタリロ!』(1978〜)が66巻で長年マンネリを標榜しながらも未だに連載中です。まあ古いと言うことだけなら水島新司『あぶさん』とジョージ秋山『浮浪雲』も1973年連載開始ですから、すでに27年目に入っていますが、まだコミックスが60巻台のこれらの作品に比べて、蛭田達也『コータローまかりとおる!』(1982〜)は、現在の『新・コータローまかりとおる!』と合わせてなんと80巻近くに達しています。年数は短くても(とは言え18年目ですが)、なにせ滅多に休まないことで有名な作品だけに、巻数はどんどん伸びていきます。途中で名前を変えたために100巻という数字が見られないのが惜しいですけどね。

 長く作品を続けるには人気をずっと維持できるだけの作家の力量と体力が必要なことはもちろんですが、それとともに、時代の変化に耐えられる作品の構造が必要です。今ずらっと名前を挙げた長寿作品は、コータロー以外、全て共通点があります。それは基本が一話完結型の作品であること。時に何回かにつながる話はありますが、基本構造は毎回主人公を巡る人々とのさまざまな関わりを描いたり、主人公が毎回違う事件に関わったりする短いエピソードの積み重ねで成立しています。新聞の四コママンガと同じで、主人公が狂言回しになり主役は実は事件であったり、その時々の他の登場人物であったりした方が時代の変化に耐えられるし、また話も作りやすいということです。『サザエさん』に近づけば近づくほど、長期化が可能になるわけです。

 もうひとつの特徴は、これも『サザエさん』ネタでよく言われることですが、主人公が年を取らないこと。先ほどの作品群の中で、はっきりとした時間の流れがあるのは『あぶさん』だけ。「コータロー」は、一応コータローたち主要キャラクターが留年とかしているし、新しく新入生も入ってくるので、とりあえず時間の経過を気にしているようですが、後の作品はほとんど無視していると言っていいでしょう。「こち亀」などは4年に1回オリンピックの時にだけ起きるキャラクターとかがいて、マンガの世界での時間ははっきり経過しているにも関わらず、登場人物たちの年齢には変化がない不思議なマンガです。

 これは要するにマンガを柔構造化すれば、すなわち枠組みを緩くして「なんでもあり」にしておけば、長期化できるということです。では、なぜ一話完結型ではないストーリーマンガである(と同時にギャグマンガでもありますが)「コータロー」がこれほどまでの長期連載を続けていられるのでしょうか?「コータロー」のどこかに柔構造化の秘密があるはずです。僕はそれは主人公の新堂功太郎自身にあると思います。2回前に取り上げた『ジョジョの奇妙な冒険』(1987〜)もストーリーマンガなのに長期連載を続けています。しかし、こちらはすでに主人公が5代目。すなわち同じタイトルのマンガでありながら、実はシリーズ第5作と言ってもいいわけです。ところが「ジョジョ」と違って「コータロー」は主要登場人物に変化はありません。となると、主人公新堂功太郎自身が変身を続けていると考えれば納得がいきます。

 本来このマンガは空手マンガのはずでした。しかし、時にはバンドをやってドラムを叩いたり、現在のように柔道をやったり、とにかくその時々で様々な戦いの場に主人公は身を置いていきます。そもそもこれまで空手と柔道は打突系と組み手系で、全く違う系列の格闘技として扱われてきました。主人公が空手家なら、柔道家と対決することはあれ、自ら柔道にはまっていくということはあり得ませんでした。それが恐らくグレイシー柔術の登場からでしょう。作者が組み手系格闘技に興味を持ってしまったための柔道編だと思います。新堂功太郎(多分それはイコール作者自身です)が、こうして興味のあるものなら何でも取り組んでしまうから、そのたびに作品が活性化し、ちょうど「ジョジョ」で主人公が入れ替わるのと同じような効果を発揮しているのだと思います。新堂功太郎は、主人公としては極めていい加減で、それゆえに使い勝手の良いキャラクターなのです。

 さて、この柔道編、もうしばらくは続きそうですが、その後はどうなるのでしょうか?多分蛭田達也は「蛇骨会」編を終えた時点で、もう「コータロー」をやめるつもりだったのだと思います。だからこそ『新・コータローまかりとおる!』と敢えて名前を変えたのでしょう。しかし、こうなったからには、当分「コータロー」を続けるしかないんじゃないのかな、と思います。折角柔構造化による長期連載のカタチを作ったわけですし、彼はデビュー以来この作品だけですから、もう「生涯一コータロー」でいくのもいいんじゃないのでしょうか?下手にヒット作を飽きたからやめてしまって、後が続かずに消えていった多くのマンガ家を見てきただけに余計そう思います。