マンガ時評vol.45 98/11/20号

『ジョジョの奇妙な冒険』はジャンプの限界を超えるか?

 少年ジャンプのマンガがヒットすると、みんな同じパターンにはまります。それまで戦ってきた敵が味方になり、より強い敵が現れるという敵のインフレ化現象です。そして、このインフレをとめない限り、いつか連載は行き詰まり、その作品は自らの重みに耐えかねて崩れるように終了していくのです。『ドラゴンボール』や『幽々白書』の最後があれほど苦しそうだったのも、逆に『SLAM DUNK』が見事な引き際を示せたのも、このインフレ化現象の影響です。

 1987年から連載を開始し、今やジャンプでは「こち亀」に次ぐ長期連載となった『ジョジョの奇妙な冒険』も、第1部〜第3部までは基本的に敵がインフレ化していきました。しかし、世界を股に掛け最強の敵と戦った第3部が終了後、いきなり第4部で小さな町の中での事件に転換したことによって、「ジョジョ」はジャンプのインフレ方程式を崩し、「こち亀」に続くロングランへと走りはじめました。

 そもそも作者の荒木飛呂彦は、この連載以前から独特のタッチの絵で読者を魅せるマンガ家でしたが、今ほどマニアックという印象も僕にはありませんでした。この「ジョジョ」にしても、連載初期は奇妙な超能力(波動)にまつわる話、という程度に過ぎませんでした。しかし、過去にも超能力を描いたマンガ、例えば『超人ロック』のような作品は数多くあります。ですから超能力をそのまま絵で見せても物真似、二番煎じにしかなりません。それを荒木飛呂彦は、目に見えない「スタンド」という別人格が現れて、そいつが力を発揮するという概念に置き換えました。このマンガのブレイクスルーがそこにあったのです。

 どうしても過去の超能力表現にとらわれると、なかなか創造性は発揮できません。念力でありテレパスであり空間移動であり時間移動であり、と大昔から同じような超能力が描かれ続けているからです。しかしこの作品における「スタンド」の発明は、今までなかった摩訶不思議な能力を生み出すことに結びつきました。壊れたものを直したり、モノに生命を吹き込んだり、空間を切り取ったり、ウイルスを発症させたり、時間を数秒間止めたり。個々の能力自体は過去散々描かれた超能力よりセコイ内容や「なんの役に立つんだ?」というようなものが多いのですが、それをうまく組み込んだストーリー作りの面白さが、このマンガの意外性となっています。

 そう、荒木は絵ばかりに注目がいきがちですが、実はストーリーの展開の巧みさも相当に際だっています。引っ張るところは引っ張り、畳みかけるところは見事なテンポで読者を圧倒します。それとともに、絵もどんどん進化していきました。妙な「スタンド」の登場に応じるかのような、独特のタッチとアングルがどんどん進化。連載当初と比べると、最近の絵は実に読んでいるものを不思議な世界へと導いてくれます。今や「ジョジョ」は他の物真似すら許さない孤高の作品と言っても過言ではないでしょう。

 問題は、最近あまりにも独自の世界を築きすぎてしまい、昔からのファン以外にはわからない作品になってきていることです。当初の「スタンド」の概念からは随分幅が広がって「そういうのもありなの?」という感じですし、第5部に入って何代にもわたるジョースター家の物語、という骨格も変わってしまったようです。何よりも少年誌というのは読者が確実に年々入れ替わります。10年以上にわたる連載の場合、当初の設定はわからないという読者が増えていくわけです。そうなると「こち亀」のように変わらない世界を描き続けていればともかく、「ジョジョ」のような作品は、昔からのファンだけを相手にしていくことになりかねません。最近ジャンプの読者アンケートで順位を下げ続けて打ち切りの噂もあるとか。作者は通算100巻を目指すと意気軒昂のようですが、現在の第5部の後が果たしてあるのでしょうか。失うには惜しい作品だと思うだけに、余計心配です。