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                      ***
(本文2004.8.23)

映画「ストーカー」の再考察は2001年、インターネットで知り合った人の掲示
板で始まった。

再考察本文の”この映画は「原作が意匠」である。”は、その掲示板の管理人
氏の指摘。

その管理人氏は、この映画の国家批判は、ストーカーの以下の科白が決定
的だ、と指摘していた。

81年公開時の映画パンフレットのシナリオより引用
-------------------------------------------------------------
「いちばん恐ろしいことは、誰にもあの”部屋”が必要ないことだ。」
-------------------------------------------------------------

また、その管理人氏からは、ゾーンの広義の意味と狭義の意味を教えても
らった。どちらかが「巨大な柵に囲まれた地」という意味だったと記憶してい
る。

多木浩二氏の「20世紀の精神」の初版は2001年2月。

再考察本文の”「部屋」に到着して、ゾーンの外へ出る行程のシーンがない
ことを不自然だ”は、昔の知人から1980年代の初頭に聞いた指摘。

“眠っているストーカーが胎児のようだ”と“ゾーンとは子宮ではないか?”
は、先の掲示板で知り合った、管理人氏とはまた別の、二人からの指摘。

                      ***

映画パンフレットは購入して持っていたのだが処分して長い間手元にはな
かった。2001年頃の掲示板への書き込みがきっかけとなってシナリオを再
読したくなり、映画パンフレット専門の古本屋へ行き再購入した。それは店
へ入ってすぐ横の壁のところにあった。また、映画「ノスタルジア」のパンフ
レットも同様に処分して手元にはなかった。同じ店へ行き探したが見つから
ず、あきらめて帰りかけたところ、ふと下を見たら足元にあった。
(行追加2012.1.26)

                      ***

大江健三郎の小説「案内人」の初出は1990年5月と記されている。

この小説では以下のように書かれている。

「静かな生活」 大江健三郎/著 講談社文芸文庫 より引用
-------------------------------------------------------------
「それはチェルノブイリの原発事故のあとの村、としてもいいわけだ。」
-------------------------------------------------------------

また、この小説では以下のようにも書かれている。

同引用
-------------------------------------------------------------
「コップが動くシーンは二箇所あったでしょう。始めと終わりと、(中略)これ
はわけがわからないと投書が来ると困るのね。そこでコップが動いたのは
汽車の震動のせいだと説明する方途を作っておいて、(略)」

-------------------------------------------------------------

つまり、ラストシーンに対する批判の言い訳のために、冒頭シーンは作られ
ている、と言うのだ。

私がこの小説を初めて読んだのはつい最近だが、10年以上前にこの小説
の話は聞いていた。その時の話では、小説の内容とはやや異なり、「投書」
ではなく「ソ連当局の検閲」に対する言い訳だと、私の中では記憶していた。

この記憶は、一つめの設定「原発事故跡地」との組み合わせで国家批判が
発生する、二つめの設定「スターリン体制後のソ連」を考察するにあたって、
重要なポイントとなった。すなわち、タルコフスキーは「ソ連当局の検閲」を意
識してこの映画を作っている、ということだ。

                      ***

私が知る現代美術作家は、チェルノブイリ原発事故以前、1980年代の初頭
にゾーンを「原発事故跡地」だ、と指摘していた。

この現代美術作家はゾーンを「原発事故跡地」とした理由の一つに、三人
がゾーンから出て画面がモノクロになり、しばらくして再度カラーに変わった
あと、娘の顔のクローズアップの背景が原子力発電所のようだ、と指摘して
いた。これは、娘の足の障碍が原発事故の放射能によるものであり、ゾー
ンが「原発事故跡地」であることを仄めかす。

このシーンの背景はシナリオでは以下のように書かれている。

シナリオより引用
-------------------------------------------------------------
遠くには工場の煙突が立ち並び、煙を吐いている。
-------------------------------------------------------------

また、この現代美術作家からは、1980年代の初頭に、換喩と隠喩、映画「惑
星ソラリス」のラストシーンについて、多くの教えを頂いた。(行追加2008.10.3)

この再考察は、その教えによるところが大きい。(行追加2009.11.15)

                      ***

(以下、***まで追加2012.1.31)

大学時代に同級の人にすすめられて観た映画「惑星ソラリス」が最初のタル
コフスキー体験だった。その人はラストシーンは消えていくのではないか?
と指摘していた。但し、この指摘の記憶は曖昧である。また、先の現代美術
作家も同じ指摘をしていた。この指摘は、はっきりと憶えている。

この現代美術作家は私が通っていた現代美術の学校の講師だった。その
学校で知り合った人は「部屋」の前の三人のシーンは黒澤明の映画「羅生
門」にそっくりだ、と指摘していた。

                      ***

先の昔の知人は、ナットに白くて細長い紐を結んだものが落ちた場所に三
人が一人ずつ進むさい、ストーカーが必ず最後に進む、とも指摘していた。
映画のタイトルとの関連があるのかもしれない。

その同じ人は、ス トーカーの以下の科白は幼稚だ、とも指摘していた。

シナリオより引用
-------------------------------------------------------------
「さっき、あなた方は芸術の無欲性についてお話でしたね。たとえば音楽で
す。現実と最も関係が薄いし、主義主張もなく、まったく機械的な意味のな
い音で、連想も呼び起こしません。それなのに音楽は、人の魂に直接ひび
くのです。」

-------------------------------------------------------------

私も音楽鑑賞を趣 味とするが、これはたしかに映画の科白にするほどでも
ない自明のこと だ。これは脚本を書いたストルガツキー兄弟の音楽に対す
る考えが普通だか らではないだろうか?

                      ***

映画「惑星ソラリス」のラストシーンは現れたようにも見え、消えるようにも見
える。まるで、主旋律のないポリフォニーの音楽を聴いているようだ。冒頭で
流れるバッハの「主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる」は、パイプオルガ
ンで奏でられたようにも聞こえ、シンセサイザーで奏でられたようにも聞こえ
る。この曲は三声のポリフォニー。

                      ***

(以下、***まで追加2012.1.20)

映画「惑星ソラリス」でレムを、映画「ブレードランナー」でディックを知った。

ロック雑誌の編集に携わっていた時、そこで知り合った方からレムとディッ
クは仲が良かったのだが途中で仲たがいしたことを教えて頂いた。

「流れよ我が涙、と警官は言った」について批判めいたことを私が言ったら、
その人は「ディックはルール違反はあたりまえだから」と言っていた。

その時はまだディックは数冊しか読んでいなかったが、その後文庫本で全
て読んだ。まだサンリオSF文庫が本屋の棚に並んでいた頃のことだった。

映画「惑星ソラリス」のラストシーンは「ユービック」のコインで映画「インセプ
ション」のコマ。

映画「惑星ソラリス」はレム的というよりはディック的ではないだろうか?

「ユービック」の時間は過去へも未来へも同時に流れる。

「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」

ハリーはクリスの夢を見るか?

クリスはハリーの夢を見るか?

                      ***

映画「ストーカー」は、どこからどこまでが夢の中だろうか?ゾーンの中だけ
だろうか?それとも全てだろうか?ストーカーの夢の中もまた夢の中?

                      ***

映画「ストーカー」は無数にループし分岐するプログラムのようだ。
(行追加2011.10.4)

                      ***

タルコフスキーの作品が予言的なのは、複数の解釈が可能だからだ。予
言や占いとはそういうものだ。(行追加2013.12.24)

                      ***

(以下、***まで追加2011.10.4)

あらゆる芸術は音楽の状態にあこがれる。(ウォルター・ペイター)

音楽の内容を消すと形式も消える。美術の内容を消しても形式は残る。さら
に形式を消しても概念が残る。

反芸術は形式を変える。

ヨゼフ・ボイスは形式を社会や政治にまで拡大したが、世界と同化した形式
は消える。形式が消えて内容も消えるが概念は残る。

形式と内容が消えた概念は伝説となる。

ヨゼフ・ボイスは社会彫刻という伝説を作ろうとしていた。

音楽の音と休止の関係は絵画の図と地の関係に似ている。ジョン・ケージの
音楽は音と休止が対等な関係にある。ジョン・ケージの「4分33秒」は全てが
休止から成り立っていて形式が存在する。これは美術のミニマル・アートに
近い。ジョン・ケージの無音には終わりも無く始まりも無い。任意に4分33秒
で切り取られているだけだ。これはミニマル・ミュージックにも近く、また現代
美術の抽象表現主義にも近い。

「4分33秒」は内容の無の形式。

あまり知られていない事実として、ノイズ音楽にも無音がある。これは一般
的なノイズの特性による。例えば洗濯機や掃除機等の家電製品はできる限
りノイズが派生しないように設計製造される。ノイズは消される特性を持つ。

偶然性の音楽とノイズ音楽は違う。偶然性の音楽は、何の音を出すかは偶
然に委ねられるが音は音源から必然的に出る、ノイズ音楽は偶然も必然も
なく音は音源から不可避的に出る。

ノイズ音楽の無音の無は無意味の無でジョン・ケージの無音の無は無限の
無。

                      ***

このウェブサイトは無名という作者による現代美術作品かもしれない。
(行追加2011.9.22)

このウェブサイトは限られた資料と知識と道具( Microsoft FrontPage Express
と KompoZer )によるものである。(行追加2011.9.28)

                      ***

ここから、映画「ストーカー」再考察 II となる。

最初の再考察(以下、再考察 I とする)に比べて、具体的な考察を行った。

また、再考察 I での誤りが多く出た。

再考察 II は再考察 I を読んだことを前提として書かれている。

以下の文中破線内の斜体は既出のシナリオからの引用。

この映画は20年以上ほど(修正2009.11.15)観ていない。そして、原作「路
傍のピクニック」は読んでいない。

                      ***

三人がゾーンへ入って、ストーカーは教授に、精子の置き換えになる、ナッ
トと白い布を渡して「結びつけて下さい。」と言う。そして、ストーカーは堤の
斜面を下りて木立の中に姿を消す。

姿を消したストーカー。再考察 I でも引用した以下のシーン。

-------------------------------------------------------------
ストーカー、草叢にひざまずいて、溜息をもらす。やがて草叢に顔をうずめ、
大地にうつ伏せになる。そして静かにあおむけになり、額に手を当てて何か
瞑想している。

-------------------------------------------------------------

このシーンは射精。

                       ***

-------------------------------------------------------------
「花の香りがしない。」
-------------------------------------------------------------

香水の匂い。

-------------------------------------------------------------
「なぜ踏みにじった?」
-------------------------------------------------------------

ヤマアラシは誰と寝た?

-------------------------------------------------------------
「”いずれ分かる”と言って。」
-------------------------------------------------------------

自分の女房か?

-------------------------------------------------------------
犬の遠吠えに似た声が聞こえる。
-------------------------------------------------------------

女の喘ぎ声。

-------------------------------------------------------------
「さあ、時間だ。」
-------------------------------------------------------------

了解!

映画「ストーカー」は、サイバーパンクSF。

ゾーンはコンピュータに置き換わる。

第一部と第二部の二つの[ルーチン]に分かれる。

ゾーンに入る前が[入力]。出た後が[出力]。

ストーカーは[入出力データ]

妻と娘は[変換データ]。

作家と教授は[作業変数]。

黒い犬は[抽出データ]。

データは原則として、入力から出力へ一方向に流れるようプログラミングさ
れる。

-------------------------------------------------------------
「帰れないきまりです。」
-------------------------------------------------------------

                       ***

「ホール」の入口でストーカーは、精子の置き換え、ナットに白くて細長い紐
を結んだものを投げる。

-------------------------------------------------------------
ゆっくりと弧を描き、砂ぼこりをあげて落ちていくナット。

わしが二羽、小山の上を砂ぼこりを舞いあげながら、飛び去る。

-------------------------------------------------------------

このシーンは受精。

二羽のわし、は細胞分裂。

                       ***

ゾーンの野原には戦車の残骸とともに、バスの残骸も放置されている。これ
はゾーンの一つめと二つめの設定のパラドックスだが、バスは「軍事体制」
とは関係ない。

再考察 I では、ゾーンの二つめの設定を「スターリン体制後のソ連」とした
が、ここで「ソ連」と改めたい。「スターリン体制後のソ連」は一つめの設定と
の組み合わせによって発生する「国家批判」と同じ意味。三つめの設定「母
体」との組み合わせでは、二つめの設定はまた違う意味に変わる。再考察 I
の「母なる大地」がそれ。(行修正2005.10.17)

二つめの設定「ソ連」は、この映画の中で具体性がない。組み合わせだけ
で浮かび上がる、意味だけの設定かもしれない。

三つめの設定の「母体」は意味を含むかもしれないが、このまま「母体」と
する。

四つめの設定「夢の中」は他の三つの設定の条件。夢から覚めれば全て
は幻となる。

この映画は全てが夢の中かもしれない。だとしたら、四つめの設定は「心的
領域」とした方が適切だが、このまま「夢の中」とする。

                      ***

第二部で三人は、ゾーンの野原から建物に入り、「”乾燥”トンネル」「ダム」
「肉挽き機」「ホール」「電話のある部屋」「部屋」(の前、2004.8.26)と進む。

「ダム」は子宮。

「肉挽き機」と呼ばれる管(パイプ)は、再考察 I では産道としたが、これを
卵管と改めたい。

「ホール」は卵管膨大部。

膣はゾーンの野原、産道は「電話のある部屋」だが、具体性がない。

「肉挽き機」(卵管)の前の「ダム」(子宮)で胎児はすでに目を覚ましている。

受精の前に胎児がいる。

なぜか?

作家は「ホール」の「井戸」に石を投げ入れる。

このシーンは時間を遡って、第二部のタイトル後の「井戸」のシーンに合流
する。ここから、しばらくして。「”乾燥”トンネル」に入る。

「ホール」で作家が言う。

-------------------------------------------------------------
「以前は未来が現在の続きにすぎなかったが、地平線のあたりで混乱して、
未来は現在に合流した。」

「永遠にではあるまいな。永遠は恐ろしい。」

-------------------------------------------------------------

「”乾燥”トンネル」は受精前の子宮。

「ダム」は受精後の子宮。

「井戸」は卵巣。

教授はリュックの忘れ物を取りに戻って「”乾燥”トンネル」には入らない。

「”乾燥”トンネル」(受精前の子宮)を出た以下のシーンが「肉挽き機」(卵
管)と「ホール」(卵管膨大部)のシーンに置き換わる。

-------------------------------------------------------------
水面を透かしてタイル張りのダムの底や、底に散らばった注射器、古びた
カレンダーなどが見える。

-------------------------------------------------------------

受精で先へ進む。受精が成功するまで、永遠にゾ―ンからは出られない。

作家とストーカーが「”乾燥”トンネル」を抜けると教授がいる。

教授が「ホール」から先に出たのかもしれない。

ここから、「ダム」(受精後の子宮)へと進む。

トンネルの出口に下がっているナットは、ヤマアラシが残したナットではなく、
ストーカーが投げたナットである。(行追加2005.10.25)

                      ***

「肉挽き機」と「ホール」は[サブルーチン]。(正しくは[サブルーチン]とは言
えないが、このまま[サブルーチン]としたい。)

第二部のタイトル後の「井戸」から[サブルーチン]までが[ループ]。

受精が[ループ]から抜ける[条件]。

                      ***

なぜ、「肉挽き機」(卵管)と「ホール」(卵管膨大部)を[サブルーチン]にして、
「ダム」(子宮)の後にしたのか?

これは精子の道筋に理由がある。

膣内に射精された精子はいったん子宮を通過して卵管にあがり卵管膨大
部で受精する。受精が成功したら、卵子は細胞分裂を繰り返しながら子宮
に下がってくるようだ。

三人は、子宮、卵管、卵管膨大部、と精子の道筋どおりに進む。受精したら
終わり。

しかし、受精して子宮には胎児がいる。

このパラドックスの衝突と回避のための[サブルーチン]のようだ。

しかし、これはタルコフスキーにとって「まずい」方法かもしれない。

「ホール」で受精の直後、教授は作家の様子を覗いながら、「まずい!」と叫
ぶ。

-------------------------------------------------------------
「君が先頭に行くべきだったんだ。」
-------------------------------------------------------------

タルコフスキーが先頭に行くべきだったのか?

先に書いた昔の知人の指摘で、ナットに白くて細長い紐を結んだものが落
ちた場所に三人が一人ずつ進むさい、ストーカーが必ず最後に進む。これ
は、タルコフスキーとストルガツキー兄弟の脚本作りのやりとりの置き換え。

                      ***

「原発事故跡地」をゾーンの換喩、「母体」をゾーンの隠喩、とする。

「”乾燥”トンネル」「ダム」「肉挽き機」「ホール」は、隠喩としてのゾーン「母
体」の一部で、「胎内」になる。

換喩と隠喩としてのゾーン、「原発事故跡地」と「母体」は、ゾーン全てにな
る。「胎内」は隠喩としてのゾーン「母体」の中に含まれた一部になる。

                      ***

受精は、映画「ストーカー」の脚本の完成。

ここでの作家の科白は、ストルガツキー兄弟の言葉に置き換わる。

-------------------------------------------------------------
「俺になんぞ良心はない。神経だけだ。」

「俺は世界を作り直そうとしたが反対に作り直された。」

-------------------------------------------------------------

教授が「”乾燥”トンネル」(受精前の子宮)に入らなかった理由は、脚本作
りとは関係がないからかもしれない。

教授が被る帽子は避妊具の置き換えかもしれない。(行追加2005.10.17)

再考察 I では作家と教授はストルガツキー兄弟としたが、作家だけがストル
ガツキー兄弟と改めたい。

作家がゾーンへ入った本当の意味は、ここで終わる。

では、教授がゾーンへ入った本当の意味は?

                      ***

「ホール」を出て三人は「電話のある部屋」へと進み、「胎内」から出る。

「電話のある部屋」は「部屋」の手前。電話と電気が通じることで、夢から覚
めつつあることを仄めかす。

ここで教授は、研究室の人間と電話で会話する。内容は混沌とした過去の
記憶のように思える。

                      ***


「電話のある部屋」の前。

-------------------------------------------------------------
下の方を見ている教授の顔のクローズ・アップ。犬が鼻を鳴らす音が聞こ
える。

-------------------------------------------------------------

「電話のある部屋」の傍。

-------------------------------------------------------------
窓の近くの床に黒い犬が横たわって、鼻を鳴らしている。
窓の揺れ動く鎧扉を通して光が洩れると、抱き合ったままの二体の骸が埃
にまみれて片隅に放置されているのが見える。

-------------------------------------------------------------





二体の骸は、抱き合ったまま死んでいった




















原発事故の犠牲者。















教授は事故を起こしたゾーンの原子力発電所の開発に携わった科学者か
もしれない。あるいは、一人だけでなく、多くの科学者の過去の記憶かもし
れない。

もしかすると教授は、抱き合ったまま死んでいった二人かもしれない。

                      ***


作家がゾーンへ入った本当の意味は、隠喩としてのゾーンにある。

教授がゾーンへ入った本当の意味は、換喩としてのゾーンにある。

作家は、失ったインスピレーションを取戻すためにゾーンへ入った。

教授は、人類が不幸に襲われるかもしれないという危惧を抱いて「部屋」
を爆破するためにゾーンへ入った。

二人のそれぞれのゾーンへ入った意味は、換喩と隠喩としてのゾーンへ
入った本当の意味を仄めかす。

                      ***

ゾーンの内と外の境界は、警備網ではなくバー。

警備網が境界だと、ゾーンから出るときに境界を通過しない。

ゾーンの警備は本当の警備だろうか?

夢の中の警備のようにも見える。

ストーカーはマスターに、「もし帰らなかったら、家内のところに寄ってやっ
てくれ」と言う。ゾーンの出入りのさいには、バーへ立ち寄っているようだ。

作家は最初はバーの外にいる。教授は最初からバーの中にいる。

作家はゾーンの外の存在で、教授はゾーンの内だけの存在かもしれない。

バーの敷居を跨いで、また後に引き返し、タバコを買いに戻ろうとする作家
を、教授は「戻らないで。」「不吉です。」と、手で差し止める。

このシーンは、バーからゾーンへ入ろうとしていることを仄めかす。

作家と教授は連れ立って、ストーカーより先にバーから出る。

バーはプログラムの[START]と[END]。(行修正2009.4.21)

                      ***

再考察 I ではストーカーが胎児、としたがこれは誤りとしたい。

また、三人は胎内回帰をはたし新しく生まれた、ともしたがこれも誤りとした
い。

では、胎児はどこにいるのだ?

                      ***

「”乾燥”トンネル」(受精前の子宮)の出口直前。

-------------------------------------------------------------
流れる水の傍らであかあかと燃える石炭。
-------------------------------------------------------------

あかあかと燃える石炭は卵子を仄めかす。

-------------------------------------------------------------
教授は出口の崩れかけた石に腰かけ、コーヒーを飲んでいる。足もとでは
焚火が燃えている。

-------------------------------------------------------------

「”乾燥”トンネル」(受精前の子宮)を出て[サブルーチン](卵管と卵管膨大
部での受精)の後、炭火は焚火になる。

-------------------------------------------------------------
教授が立ち去ったあと、水をかけていったん消えた焚火が再び、小さく燃え
上がる。

-------------------------------------------------------------

そして、焚火が黒い犬へと置き換わる。

-------------------------------------------------------------
小さな島に横たわるストーカー。黒い犬が近づいて来て、擦り寄るように脇
に坐る。

-------------------------------------------------------------

「ダム」(受精後の子宮)での、このシーンは黒い犬が胎児であることを仄め
かす。

                      ***

黒い犬は切実な望みに置き換わる。

切実な望みは「部屋」ではなく、「ホール」へたどり着き、黒い犬を授かった
者のみにかなう。「部屋」では望みはかなわない。「部屋」にたどり着く必要
はどこにもない。

切実な望みがかなう「部屋」。この話はどこから来たのか?

この話のもとは教授が作った。

教授はヤマアラシのエピソードを知っていた。ゾーンのこともある程度知っ
ているようだし、ストーカーとは以前会っているようだ。

この映画の最初のシーンはバーの内部。モノクロ画面に黄文字のクレジッ
ト・タイトルがかぶる。そこに教授が現れる。そして、ゾーンをおおまかに説
明したタイトル。ストーカー、妻、娘が寝ている部屋のシーン。と続く。

ゾ―ンの軌道車の上で作家だけがまどろむ。

これは作家だけが初めてゾーンへ入ることを仄めかす。

教授はゾーンへ入るのが初めてではない。

最初のバーの内部のシーンはストーカーの夢の中、とも見えるし、夢の外、
とも見える。

夢の中であり夢の外でもある、とは、別の夢。

バーは境界であり、ゾーンの出入りのさいには、必ず立ち寄る場所。

教授はストーカーの今までの夢の中にも現れていたのだ。

                      ***

ストーカーはチェルノブイリに住む人々と同じく、ゾーンへと戻っていく。

教授もゾーンへと戻っていく。

なぜか?

幾重もの換喩と隠喩に織り込まれたタルコフスキーのメッセージ。

なぜ、教授はゾーンへと戻っていくのか?

教授は科学者である。科学は他の学問にも置き換わる。

学問の使命を忘れた者に、この謎は解けない。

ゾーンを出た後、ストーカーの部屋で息をつまらせながらストーカーは言う。

-------------------------------------------------------------
「あんな作家や学者ども、何がインテリだ!」
-------------------------------------------------------------

私は科学者でも学者でもないし、原発についてはまったくの不勉強だが、そ
れが科学者や学者の使命のように思える。

事故を起こした原子炉を調査して、原因をつきとめ、不幸な事故は二度と
起こさないようにする。それでも危険だとしたら、原発は中止する。

それが、科学者や学者ではないか?

爆弾は教授の混沌とした過去の記憶のひとつから、見つけたものかもしれ
ない。(行修正2005.10.18)

教授は最初は「部屋」を爆破しようなどとは考えていなかった。
(行修正2005.10.18)

何度もゾーンに入って、薄暗い「部屋」で黙々と調査を続けていた。

(本文修正2005.10.26)*******************************************

人々の噂になった。

教授はゾーンの堤で作家に言う。

-------------------------------------------------------------
「すると変なもので、反対の噂が立ちました。ゾーンに宝が埋まっているよ
うな話にね。」

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いつしか宝が切実な望みに置き換わった。

人々は教授の姿を見て、そう思ったのだ。

教授はゾーンのダムで作家に言う。

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「まだ餓えのために死ぬ人間もいるんだぞ。」
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人々の切実な望みをかなえる。

それが、科学者や学者ではないか?

しかし、やがて教授は科学者の使命を忘れ、「部屋」を爆破しようと思うよう
になる。

(本文修正2005.10.26)*******************************************

そして、換喩としての「部屋」の意味が忘れ去られた。

「部屋」にたどり着くことと、切実な望みがかなう。という話だけが残った。

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再考察 I では「部屋」を無意識としたが、隠喩としてのゾーン「母体」の「胎
内」を無意識と改めたい。

但し、再考察 I でも書いたが、映画「ストーカー」とフロイトの理論は感覚的
に結びつけたものである。

検閲は「ソ連当局の検閲」としたが、タルコフスキーとストルガツキー兄弟の
脚本作りのやりとりに検閲がある。

冒頭シーンとラストシーンは潜在夢と顕現夢、としたが「胎内」の無意識での
作業が「夢の作業」で、潜在夢から顕在夢に置き換える作業。

ストルガツキー兄弟の脚本は「夢の作業」によって書かれていることになる。

第二部のタイトル後の「井戸」(卵巣)が潜在夢となる。

「井戸」(卵巣)を[ループ]の先頭にすることで、潜在夢が無意識の最初に置
かれる。

「ホール」での受精は潜在夢から顕在夢への変容である。(行修正2005.10.17)

潜在夢は、石炭から焚火、そして黒い犬へ変容する。(行修正2005.10.17)

冒頭シーンは、原作「路傍のピクニック」。映画「ストーカー」のラストシーンと
の類似は見られるが、「井戸」(潜在夢)とのつながりは見つからない。

しかし、冒頭シーンを顕在夢とすると、三人は「井戸」(潜在夢)まで、原作「路
傍のピクニック」の、夢の「解釈作業」をしていることになる。

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再考察 I で引用した多木浩二氏の著作「20世紀の精神」は、フロイト『精神
分析入門』の次に、ソシュール『一般言語学講義』について書かれている。

ソシュールによると、シニフィアン(聴覚映像)とシニフィエ(概念)は関連性
がなく恣意的とされる。また、聴覚映像と概念に関連性がある記号をソシュー
ルは象徴と呼んでいる。

水は「胎内」の水の象徴性も強いが、恣意性の強い水もある。

タルコフシキーの水は象徴ではなく、隠喩である。

「肉挽き機」から出て「ホール」へ入る直前。ストーカーは作家が捨てた石の
上のピストルを水の中に落とす。この水は隠喩としての水だ。ピストルは原
作「路傍のピクニック」の置き換えかもしれない。

置き換えや仄めかしのシーンは、一つのシーンだけでは意味が作られない。
他のシーンとの関係性で意味が作られる。これはソシュールの体系性と結
びつくかもしれない。

冒頭シーンとラストシーンの関係性で、原作「路傍のピクニック」と映画「ス
トーカー」の意味が作られ、ナットに白くて細長い紐を結んだものと「部屋」と
の関係性で、精子と女性の性器の意味が作られる。

三人がゾーン内で進む道筋は線的で、ソシュールの線状性と結びつくかもし
れない。

映画「ストーカー」の無意識はソシュールのランガージュ、潜在夢はラング、顕
在夢はパロールかもしれない。(行追加2005.10.24)

但し、映画「ストーカー」とソシュールの理論は感覚的に結びつけたものであ
る。

                      ***

ゾーンとは、タルコフスキーの芸術論で、インスピレーションの場である。

ゾーンが通すのは、芸術に携わる人だけなのかもしれない。

                      ***

ヤマアラシはゾーンの「肉挽き機」で死んだ弟を取戻すためにゾーンに入っ
た。

これは何の置き換えだろうか?

ヤマアラシの弟は詩人だ。

ヤマアラシの弟は、何に置き換わるのか?





ヤマアラシの弟は




















                       詩。















ヤマアラシの弟と同じく、ヤマアラシも詩人なのだ。

作家と同じく、ヤマアラシも失ったインスピレーションを取戻すためにゾーン
へ入った。

しかし、ゾーンが彼に与えたのは大金だった。

ゾーンの「肉挽き機」で死んだ弟はゾーンでは取戻せない。

死んだ弟は「ホール」へはたどり着けなかったからだ。

ヤマアラシは「部屋」に入ってインスピレーションを返してくれ、と頼んだ。

ゾーンを出てヤマアラシは詩を書いた。

詩は売れて大金を手にした。

しかし、それはヤマアラシが望んだ詩ではなかった。

ヤマアラシは自分は「部屋」で無意識に大金を望んだ、と思った。

それが自分の本性だと思ってヤマアラシは首を吊った。

ヤマアラシは黒い犬を授からなかった。

ゾーンから出て、普通に詩を書いただけだ。皮肉にも、その詩が売れた。

                      ***

作家は「部屋」の前でストーカーを水溜りに突き飛ばす。

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「何だ!偽善者ぶりやがって」

「楽しんでいやがるんだ。ここでは貴様は王だし、神だからな。」

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これは、ストルガツキー兄弟がタルコフスキーに対して言うことだ。

作家が言う。これも皮肉か?

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「自分の家で飲んだくれているほうがましだよ。俺みたいな男を連れてくる
ようじゃ、君も人を見る目がないぞ。」

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                      ***

冒頭。ベッドに娘をはさんでストーカーと妻が寝ている。

コップがずり動くシーンをはさんで、列車の汽笛と震動音が聞こえる。

そして、ストーカーが立ち上がる。

列車の震動音はゾーンから出る時にも聞こえる。

ラストシーンの列車の震動音はシナリオにはない。

                      ***

ラスト直前の妻の独白。先の”眠っているストーカーが 胎児のようだ”、と指
摘した人は、この映画を観る人へのメッセージのようだ、とも指摘していた。

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「でも後悔は一度もしていません。私たちってそういう運命なんです。生活
に苦しみがなかったら、味気ないでしょう。苦しみがなければ幸せもないで
しょうし、希望もありませんから。」

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この独白は冒頭の以下の妻の科白から置き換わる。

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「いいわ、ゾーンに行って死になさい。あんたと結婚したのが間違いよ。だ
から呪われた子どもが生まれて――。私には何の希望もないわ。」
妻、慟哭しながら傍の椅子に崩れ折れ、そのまま床に倒れる。

妻は床にあお向けに倒れたまま、激しく身を震わせて煩悶する。汽笛が聞
こえ、列車の轟音が響いてくる。
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ここでの列車の轟音は、ラストの列車の震動音を仄めかす。

ベートーヴェンの「歓喜の歌」のメッセージは、「苦悩から歓喜へ」。

妻の煩悶はラストのべートーヴェンの「歓喜の歌」へと置き換わる。

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ストーカーはゾーンの「部屋」の前で言う。

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「妻や娘と一緒に、ここへ移って来ようかな。ここで暮そうか……誰もいな
いし……面倒もない。」

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ラスト直前の妻のメッセージの前。妻は、「ゾーンへ一緒に行ってあげても
いい。」と言う。

ストーカーは眼差を大きく見開いて言う。

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「絶対ダメだ。お前に、もしものことが起ったら……」
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ストーカーの妻と娘はヤマアラシの弟と置き換わる。

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「部屋」は換喩としての「部屋」でもあり、隠喩としての「部屋」でもある。

三人にとって「部屋」は換喩としての「部屋」であり、ゾーンの出口ではない。

三人は「部屋」からゾーンを出たのではなく、ストーカーが夢から覚めてゾー
ンを出た。

黒い犬にとって「部屋」は隠喩としての「部屋」であり、ゾーンの出口。

黒い犬はストーカーが夢から覚めてゾーンを出たのではなく、「部屋」から
産まれた。

                      ***

ゾーンを出た後。妻はゾーンの境界でもあるバーの中に入るが、娘は外の
ベンチに腰かけたまま。黒い犬はバーの中にいる。

妻は黒い犬に関心があるようだ。(行追加2005.10.18)

妻は作家に、「犬は要りませんか?」と尋ねる。

作家は、「家に5、6匹いるよ。」と断る。

ストーカーと妻は連れ立って、作家と教授より先にバーから出る。

                      ***

ゾーンから出た後のストーカーの部屋。

書棚の書物は黒い犬のインスピレーションを仄めかす。

この書棚の書物はシナリオにはない。

                      ***

再考察 I では、黒い犬が映画「ストーカー」へと置き換わる、としたが誤りと
したい。

ゾーンへ入る前と後では、三人は変わらない。変わるのは妻。

ゾーンは「原発事故跡地」でもあり、「ソ連」でもある。

妻は、ベートーヴェンの「歓喜の歌」でもあり、メッセージでもある。

そして、妻は、「母体」としてのゾーンでもある。(行修正2005.10.17)

ゾーンへ入る前、娘はほとんど現れない。これは娘がゾーンから産まれた
ことを仄めかす。

                      ***

娘が読むのはストーカーの部屋の書棚の書物。(行追加2005.1.16)

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机の脇に少女が本を読みながら腰かけている。やがて少女はふと眼をあ
げ本を膝に置いて、じっと窓の方を見据える。
(行追加2005.1.18)
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娘は黒い犬。

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犬が鼻を鳴らす声が聞こえる。
少女はいったん、窓の外に眼をやると、その眼差しを机に置かれたコップに
注ぐ。コップはひとりでに静かに机の上を滑りだす。少女は机の上のコップ
と花びんに次々と視線を向ける。視線を受けると、コップが静かに動き出し、
床に落ちる。
少女は机の上に頬を載せて、眼を凝らしている。
ベートーヴェンの”歓喜の歌”が響き、やがて消える。

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潜在夢が顕在夢に置き換わる。(行追加2005.10.17)

妻と娘は映画「ストーカー」へと置き換わり、映画「ストーカー」は自らのラス
トシーンへと置き換わる。

そして、夢から覚める。

                      ***

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3人の男たちは"部屋"の前に、互いに背を向けあったまま坐り、考えこん
でいる。ひとしきり雨が降って、"部屋"の中の水面が波紋で光る。

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どこまでも魅了してやまないタルコフスキーの水。










                   黒い犬は










                  ひとしきりの雨。









潜在夢。

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何か落ちる音に続き、銀に被われた水面がはね、波紋を描く。
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黒い犬が走ってくる。

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水面を透かして白い布や鏡の破片が見える。
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胎児が眠る。

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顔の回りの水面を透かして、青銅の壜や新聞の紙片が見える。
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ストーカーが眠る。

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水面を透かして注射器、硬貨、聖像画、白い布、古いカレンダーの紙片な
どさまざまな物が映る。

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ゾーンから出る。(行修正2005.10.17)

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水面を透かして映るタイル張りの床のクローズ・アップ。水底には爆弾の文
字盤や部品が転がり、魚が泳ぎまわっている。列車が通過する音が聞こえ、
水面がかすかに揺れる。
重油が斑らに水面に拡がり始める。汽車の轟音が大きくなり、それを掻き
消すように、ラヴェルのボレロの調べがかぶる。

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ラヴェルのボレロは、夢の続き、ラストシーンを仄めかす。










そして、ラストシーンは永遠にタルコフスキー的な




















                                             水。















映画「ストーカー」を観ていると眠ってしまう?

これこそタルコフスキーの術中。夢の中、ゾーンへと入って行く。

                      ***
(本文追加2005.1.13)




















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「ふと、まなざしを上げ、まわりを閃光のごとく、君が眺めやる時
その燃える魅惑の瞳を、私はいつくしむ
だが一層まさるのは、情熱の口づけに目を伏せ
そのまつ毛の間から、気むずかしげでほの暗い、欲望の火を見る時……」

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「私は菜食主義者であるけれども、肉のうまさは忘れられない。」
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ゾーンは女の肉体。










軌道車は挿入。










水は愛液。










作家が持つ、袋とガソリン缶は陰嚢。(行追加2005.10.17)










軌道車の上の作家の涙の跡はカウパー氏腺液。(行追加2005.10.17)










花の香りは作家の連れの婦人。










ヤマアラシは誰と寝た?










自分の女房か?










ヤマアラシが首を吊った理由は、もう一つある。




















ヤマアラシは弟の妻と寝た。





















そして、弟は実の弟とは限らない。