クレーシュ2 〜ノエルの秘め事〜 1788年12月24日(水) ノエルには、いつもどおりに領地で家族が集まり、にぎやかに過ごした。 今年は、初孫の生まれた長姉の家族も加わって、よりにぎやかなノエルとなった。 私の両親にとっては初曾孫であり、特に母は例年よりも嬉しそうだった。 使用人達も早くから仕事をすませ、母から例年のノエルの贈り物… ガレット菓子、干し無花果、教区産のチーズ、ヴァン・キュイ等々を ナプキンにつつんで贈られると、喜んで故郷や家庭へ戻って行った。 今年は夏にフランス全土に雹が降り、旱魃も重なり、領地でも不作だった。 だから、なおさら、使用人達はわずかな贈り物でも、喜んでいた。 あとには、家族のない使用人だけが残る。 私は、朝から決してアンドレのそばを離れなかった。 彼は仕事が進まず、困ったような顔をしていたが、私は無視した。 彼のそばにいないと、何だか落ちつかない。 私は、彼をひとり占めするいい口実を思いついた。 困ったアンドレは、アンヌにこっそりと訴えたようだったが… 私の方が、役者が上だった。 村長に聞いた話では、今年は不作で貧困家庭が多いらしい。 ノエルといえば、昔からこの時期には、母と姉達が領民達に施し物をしていた。 「ノエルとは慈悲の心を伝えるための行事なのですよ。オスカル」 そんな言葉とともに…。 例年は、領民の方から、私に誕生日祝いをのべるために屋敷に来るのだが、 今年はアンドレと二人でこちらから出かけていけばいい。 私は彼が独占できて、貧しい領民達も喜ぶだろう。 一挙両得だ。早速、母に打ち明けてみた。 母は、私の下心を見ぬいたようだったが、行い自体には文句は言わなかった。 「あなたもたまには領民の暮らしを見なければね。」 母の賛成を得て、ノエルの用意で忙しい屋敷を二人で抜け出し、 用意された食物や燃料などを配りに村へ出かけた。 確かに村の状態は、以前と比べても、酷くなっているようだった。 私は自分の勝手な思惑を恥じて、気分が重くなっていった。 しかし、現実から目を背けていては、国の改革はできまい。 オスカルが急に村へ出かけると言い出した。 慈悲の心は確かに大事だが、何も疲れているおまえがしなくても… とは、とても言えず、彼女の行動に付き従った。 村人達は、天使のように微笑むオスカル(これをヴェルサイユで上官達にすれば、 もっといくらでも仕事が順調になると思うのだが…言えないな…)が 突然訪問するのだから、どの家庭も皆喜び、更に施し物の数々に感謝していた。 彼女は、帰りがけに突然変な話を持ち出した。 「ノエル生まれの子供は普通…歓迎されない。 救世主と同じ生まれは、なぜか不吉とされるからな。 だから、普通、村の娘達は2月や3月頃は男をさけるそうだ。 でも、誰も私のことをそう言う人間はいない。 日頃、母上は領民達に善行を積んでいるからな。」 「どうしたのだ、突然?」 「昔、まだおまえが家に来る前に、この村の人間に言われた話だ。 ずっと忘れていたけど、急に思い出した。 今も同じことだな、私の存在は… 財政赤字の原因は、はっきり言って、度重なる戦争のせいだ。 そして、私達…軍隊のせいさ。軍の近代化には莫大な金がかかる。 赤字の源で働いていて、その金で村人に施しを行う。 ノエルに生まれて、なぜか歓迎され、皆に愛される私という存在… どちらにしても、私の存在は、矛盾しているな。」 寂しそうに無理に微笑む彼女に、俺は月並みな言葉しかかけられなかった。 「でも、おまえ一人が、すべての悪の根源じゃないだろう。 国の再建には、時間もかかるし、人材も思いきった改革も必要だ。 一人でさえ、国の再建が可能と言われたほどの、マルゼルブ様や、 ラモワニョン様、チュルゴー様、ネッケル様、ブリエンヌ様、カロンヌ様… こんな綺羅星のごとき人々が国政を任されても、財政の再建さえおぼつかない。 それに、軍だってお前一人で背負っているわけじゃない。 落ち込むな。おまえができることから、一つずつするしかないだろう。」 「…そうだな。アンドレ、おまえも…たまには良いこと言うな。」 「失礼な!たまじゃないだろう。いつもさ。」 俺の自慢そうな作り笑いに、彼女は面白そうに微笑んだ。 屋敷に戻っても、私はアンドレのそばを離れなかった。 ノエルの大薪を捜しに行く時も、メス・ド・ミュイ(深夜ミサ)を待つ間も…。 家族は皆お喋りに興じたり、トランプ遊びをしたり、 胡桃ころがしをしたりして、深夜を待つ。 姉の幼い子供達はその時間まで待てずに、砂売りおじさんが訪れて (眠くなることをこう表現する)、私とアンドレは、すっかり寝込んでしまった 彼らを抱き上げ、白い礼拝堂(寝台のこと)へ連れて行った。 階段を昇りながら、彼に問い掛けた。 「アンドレ、懐かしいな。私達も小さい頃、深夜ミサまで起きているつもりが、 つい寝込んで、よく次の朝お互いに残念がっていたよな。」 「ああ、そんなこともあった…白い礼拝堂で二人だけのミサばっかりしていたよな。」 私は、彼と長い時間と記憶を共有したことが嬉しかった。 二人だけのヴェイユ(夜の集い)のごとく、暖めた葡萄酒を飲みながら、 家族の皆とは少し離れた居間の場所を二人で占めて、話しこんでいた。 暖炉の焔が、彼の整った横顔を照らす。 「アンドレ、今年の冬は厳寒だ。旱魃と厳寒…ネッケルは、穀物の輸出を禁止して、 緊急に5千万リーブルを支出して、穀物などを買い込もうとしているが… 事情は厳しい。露土戦争、バルチック海の紛争、河川の凍結による運搬の困難… 買いつけることができても、輸送ルートの確保さえあやうい。 うちの領地のあるこの地方だって、土地を失う農民が増えた。 来年はどうなるのだろうか?」 「さあ、難しいことは分からないが…4ポンドのパンの値段が12スーもしては、 普通の生活はできまい。パンと薪は2倍以上に値上がっているからな。 まず国内で大きな混乱が起きるだろう、三部会以外にもな。」 「オルレアン公は、困窮者の救済のために、絵画を売ったそうだ。 これみよがしだと思わないか?アンドレ」 「慈善事業をおこなったところで、その程度では、何千人もの人間が 冬を過ごせる薪や食料が用意できるわけではないだろう。オスカル」 本当は兵舎以外で、仕事以外で、こんな会話がしたいわけではない。 私は彼に…“おまえを愛している”と告げたいだけだ。 素直な言葉を発することができない私は…我ながら、バカみたいだ。 いや、勇気のない愚か者だ。 松明を掲げて、深夜ミサに出かけた。 優しげな彼の顔立ちに焔が不思議な陰影をつくり、いつもより神秘的だ。 長姉のアンヌ・マリーが私のそばによってきて、囁いた。 「誰に見とれているの、オスカル?」 軽いからかいを含んだ姉の言葉に、ふと我に返った。 私はそんな顔をしているのだろうか? 教会のジャルジェ家専用の祈祷室から、下に見えるアンドレを見下ろす。 彼は何を祈るのだろう? その祈りに、少しくらいは、私とのことも含まれているだろうか? 深夜ミサから帰り、ノエルのレヴェイヨン(真夜中の食宴)を楽しんで、 食べかつ飲み、ダンスをして、あらゆる楽しみに身をゆだねる。 その最中も、私は用事で動き回る彼から目が離せなかった。 明け方、眠りにつこうとしたけれど、彼のことを考えると、少しも眠れなかった。 先日、アンドレが病の時、彼の寝台にもぐりこんだ時の 心地よい眠りを思い出した。 領地の屋敷でも、彼の部屋は私の隣にあるので、部屋を訪れた。 ちょうど、彼は寝入ったところだった。 暖かいほうがいい…わけのわからない理由を自分への言い訳として、 彼の寝台へもぐり込んだ。これなら安心して眠ることができる。 こうして私は、またうまい口実を自分自身に考え出した。 最近のオスカルは、ものすごくおかしい。 特に領地に来てからは…俺に甘え過ぎる。一体何を考えているのだ? 「アンドレ、またオスカル様がお呼びよ。」 家族のないアンヌは、ノエルでも使用人として用事をこなしている。 人出の少ない領地屋敷の仕事で忙しい俺は、つい愚痴ってしまった。 「またかい?あいつ…最近、何考えているのだろう? 屋敷の仕事ができないじゃないか、まったく…最近変だよ。 そう思わないか、アンヌ?」 「そうは思わないわ。オスカル様は、あなたにそばにいて欲しいだけよ。 さっきもアンドレを占領して悪いなと言われたので、私…言っておいたわ。 アンドレはオスカル様のものですから、煮て食おうが、焼いて食おうが、 私は何も文句はありませんわ。オスカル様がアンドレを襲っても何も 言いませんわ…ってね。」 「な、何をオスカルに言っているのだよ!止めてくれ。アンヌ」 「あら、いいじゃない。アンドレがオスカル様のそばにずっといる方が、 仕事に邪魔が入らなくて、私は助かるわよ。」 明るい笑い声を残して、アンヌは台所へ消えた。 数日後、彼女はまた笑いながら、打ち明けてくれた。 「最近、オスカル様の寝台に寝た形跡がないのだけど…」 「な、なんのことだい!?アンヌ」 「毎晩、あなたのところにもぐり込んでいるのね。分かっているわよ。 あなたの寝台のリネンを替えようとしたら、金髪がひとすじついていたわ。」 「……」 「別に悪い事しているわけじゃないでしょ。白状しなさい。アンドレ」 「…寒いとか言って、毎晩子供みたいに俺の寝台にもぐり込んでくるよ。 一度“俺は生きた湯たんぽじゃないぞ。怒るぞ。”と言ったら、 迷子の子犬みたいな顔するし…」 俺だって…生身の男だぞ。いいかげんにして欲しい。 俺の告白を聞くと、アンヌはケラケラと笑った。 「笑い事じゃないよ!アンヌ…」 アンヌは、俺達より10歳は年上でオスカル付きの侍女になって長い。 彼女は、おばあちゃんと同じで、すべてがオスカル中心に世界がまわっている。 「本当言うと、オスカル様ご自身で、あなたの寝台のリネンを替えてくれと 私に頼まれたのよ。オスカル様に悪気はないのよ。 まあ、いいじゃない。オスカル様の寝酒の量も減ったし…」 そういう問題じゃないだろう…。 俺はその晩また怒ってしまった。 「どうして、毎晩、俺の寝台にもぐり込んでくるのだ、オスカル? いいかげんにしてくれ!」 「寒いからさ。ただそれだけだよ。アンドレ」 彼女は、落ちついた声で話していた。 「…だから、アンヌにおまえの寝台を湯たんぽで暖めるように頼んでいるだろう。 …おまえ、俺をからかって楽しんでいるのか、オスカル?」 「違うよ。それは誤解だ。…大丈夫だ、寝台の件は…アンヌには、断っておいた。 今年はルイ14世の卓上のヴァンが凍ったという1709年以来の厳寒になるという 学者もいるぞ。寒過ぎるだけだ。」 「…なら、俺にまた襲われたいのか?」 「それは心配ない。おまえは紳士だろう。アンドレ」 彼女はクスクス笑いながら、俺の怒りをとこうと、極上の笑みを浮かべた。 俺がこの笑顔に弱いことは、宣告承知のようだ。 「私はおまえの女主人なのだから、文句言うな。」 最後通告を俺につきつけて、俺の反論まで封じた。 それだけでは不安と思ったらしく、さらに釘をさそうとした。 「それに、アンドレ、一つ言っても良いか。 おまえ、私がいると、寝ることができないと言っているけれど、 朝にはちゃんと寝てるじゃないか?そうだろう。 暖かくて、気持ちよくて、落ちついて、こんな良い場所をどうして 私に提供してくれないのだ。」 彼女の切なる願いを無視するなんて…俺にできるはずない。 彼女は俺の弱点をよく御存知だ、まったく…。 もう…勝手にしてくれ、わがままお嬢様…。議論するのに疲れた。 なんでこんな時だけ、いつもはしない、主人づらまでするのだ。 アンヌもアンヌだ。何とか言ってくれればいいのに。 しかし、子供の頃ついた癖とは、なかなか直らないものらしい。 夜には、できるだけ離れて床につくのに、朝になると、俺はオスカルを しっかりと抱きしめて寝ている。オスカルも俺にしがみついて眠っている。 子供の頃と同じだ。二人とも呆れたものだ。 夫婦でも、恋人でもないのに、いい歳をした男女が抱き合って眠っているなんて。 誰かに知られたら、オスカルの名誉に傷がつく。俺はそれが怖い。 でも…本当は文句を言いながらも、俺にとっては幸せな時間だった。 恐れや不安はありながらも、誰にも語れないが、朝、彼女の額にくちづけして 仕事に向かう喜びは、大きなものだったのだ。 ヴェルサイユの屋敷に帰れば、諦めてくれるだろうとたかをくくっていた。 しかし、ノエルの休暇を早めに切り上げて、 ヴェルサイユの屋敷に帰っても、この夜の儀式は続いた。 もう諦めて彼女のしたいようにさせておいた。 まあ、俺も眠ってしまえば、暖かくて気持ちよいのだから… 眠るまで、我慢すればいいことだ。不安は残るが。 昼間、突然、兵舎に残った兵士が心配だと出かけていったり、 王室や、知り合いの貴族に会いに出かけるときの彼女は、 冷静で凛々しくて、以前と何の変わりもない。 屋敷に帰った時だけ、甘えてくる。まったく変な奴だ。子供みたいだ。 でも、寂しさが俺で紛らわせるなら、しかたない。付き合うか。 難しく考えるから、悩むのだ。単に子供の相手をしていると思えばいいのだ。 やっと俺は、俺なりの結論をだした。 次のページへ