「天上銀河英雄伝説」 第四章 出撃準備〜ヤン艦隊〜

「何も、艦艇製造が全て終わるのを待つ必要はない。」 「どういうことですかな。閣下。」  フィッシャーの言葉に、ヤンは、ちらと後ろを振り向きながら、ベレー帽子をくるくる と回した。ちなみに、「ハイネセンもどきのさらにハイネセンポリスもどき」と仮命名さ れた都市(おそらく正式名称がつけられることはないであろう)にある、「統合作戦本部 もどき」、と称された会議室の中、細長いロの字型のテーブルを囲み、軍首脳陣を一同に 介して、ヤンは続けた。ちなみに彼の右隣には参謀長たるグリーンヒルが控えている。  さらにヤンから向かって右手側の列には、副官マンセルが座り、パソコンを前にし、会 議の内容を記録していた。その横には、フィッシャー、パトリチェフ、シェーンコップら、 ヤン艦隊幕僚達が並んでいる。  一方、左側には、各艦隊司令官らが居並んでいた。  その作戦会議は、ヤンの「じゃ、おっ始めるか」という気楽なかけ声とともに、大きな 戦いの前とはとても思えぬ雰囲気で進んでおり、ヤンは緊張感のかけらもない声で、話を 続けた。 「つまり、こっちから仕掛けるということさ。」 「それはまた、閣下らしくなく好戦的な。珍しいことですな。  パトリチェフの言葉に、ヤンは照れるかのように頭をかいた。 「負けないために、さ。おそらく向こうは、艦艇を全部揃える前に進軍してくるだろう。 それを迎え打つには、こちらも艦隊を各基地で建造し、補充しつつ、前線に出るしかない。 今度ばかりは、後手に回るの勘弁願いたいからね。」  生前、ラインハルトの目算を見破りながらも、とかく後手後手にまわりがちであったヤ ンの胸には、複雑なものがあった。 『先手必勝、といえば聞こえはいい。しかし、これは単なる侵攻とどう違うのか? そも そも、政府の指事なくして動く軍隊などに存在価値は? 勝利したとして、意味はあるの か? 民主共和制存続の為ならば、始めからカイザーに、共存という形で交渉を求めるの がスジだ。いや、駄目だな。彼は私と戦いたがっている。しかし……』  放っておいたらいつまでも続きそうなこの思考を、落ち着いた低い声が遮った。 「閣下。イゼルローン回廊を通る、とおっしやりますが、我々にはイゼルローン要塞があ りません。この点の不利はどうなさるおつもりですか? 補給線が長くなる不利になりま すが。」  グリーンヒル参謀長の言葉に、ヤンは瞬時に、思考の渦から我にかえった。 「あ、ああ、そうです。確かに、有利とはいえません。しかし、要塞がないのも、補給線 が長くなるのは向こうとて同じ。……私の考えが正しければ、我々はほぼ同じ補給線の長 さを持った位置で、対峙することになると思いますよ。」 「後手に回らないために、というさきほどの論理の続きですか。なるほど。」  パトリチェフの相づちに、ヤンは頷いた。さらに、彼は一同を見渡すと、 「そう。敵はおそらく、全軍をもってこの地に赴く。いや、フェザーン回廊に、信頼でき る提督と一個艦隊を派遣するだろうな。後背を突かれないため……いや、フェザーンもど きにいるだろう元自治領主の動きに対応するために。もちろん、私も、そうしようと思う。  まあ、とにかく、鑑定建造速度はほぼ同じスピードだろうし、九割建造できれば、戦闘 にも問題ない。おそらく、こちらと向こうの出陣は同時期だ。」  そこまで説明すると、ヤンは、副官カイルに、三次元宙域図を出すよう指示した。 「ここが、我々が今いるハイネセンもどき。そして、回廊の……おそらくは、中心にあた るこのポイントが、一度目の戦闘空域になるだろう。当然、回廊は狭いから、大規模な包 囲殲滅作戦はできない。生前、回廊での戦いに参加してもらった者は、よくわかっている とは思うが、我々は狭さを利用した陣をとる。もっとも、今度は向こうもそれを理解して いるから、当然陣形は似たものとなるだろう。」 「では、お互い消耗戦ということになってしまいますが。」 「いや、そうはなりません。」  グリーンヒル参謀長の言葉に、ヤンは、両手をデスクの上で組んだ。 「この銀河は、我々が生前にあったものと瓜二つですよ。裏付け調査によれば、この地に は、膨大な隕石群があります。それを有利に使った方が、勝ちとなります。そして……」  そこで、ヤンは言葉を一旦切った。 「帝国領土側まで、カイザーの艦隊を押し出すことができれば、とりあえず成功ですよ。 私はその時点でカイザーに謁見を申し込むつもりです。」 「帝政との共存を、閣下はお望みになるのですか。」  グリーンヒル参謀長のこの言葉自体には、かすかな驚きが混じっていた。だが、その感 情をそのまま受け止め、ヤンは頷いた。 「結局の所、私の目指す所は生前と同じなのです。私は民主共和制の水しか飲むことがで きません。しかし、皮肉にも、カイザー・ラインハルトは、腐敗しきった旧自由惑星同盟 よりも、はるかに民主的な政治改革を行ってきました。その功績全てを、私は否定するも のではありません。我々が望んだのは、ゴールデンバウム王朝の打開であり、それを成し たローエングラム王朝とは、手を組むべきなのです。そう言いたかったのですが……交渉 する手前で、私は銃弾に倒れました。」  ヤンの言葉に、グリーンヒルはこころもちうなだれた。おそらくは、一人残され、生者 の中、孤軍奮闘している娘に思いをはせたのであろう。そして……良識ある参謀長は、重 い口を開いた。 「その遺志は、ユリアン君と、君の妻が受け継いだと聞いたよ。」  あえて、自分の娘、という表現を避けたグリーンヒルに、「夫」ことヤンは苦笑した。 「そうです。そしてカイザーは、それを聞きとどけてくれた。」 「なら、いっそ戦う前に、それを打診する訳にはいきませんか。」  副司令官であるフィッシャーの言葉に、ヤンは目を閉じ、首を振った。 「キルヒアイス殿……いや、提督と会話していて悟ったのだが、どうなら、カイザーは私 に勝たないと、自らの誓いに背くことになるらしい。全ての敵を倒して、銀河を手にする、 という誓いにね。戦わずして、会見はあり得ないよ。残念ながら。」 「ならば、わざと負けてみせますか?」  わざと、意地悪く言うシェーンコップに、ヤンは頭に載せたベレー帽をひららひと振っ てみせた。 「それはダメだな。私の擬態が見破れないほど、カイザーは愚劣ではない。それに、敗者 との会談に応じてくれるような御仁ではないよ。彼は。」  ふっ、と短く溜息をついたヤンの次の言葉を、一同はじっと見守った。 「とにかく、私にはカイザーに対し、恥ずかしくない戦いをした上で、頃合いをみはからっ て交渉することにしたいんだ。幸い、仲介役となってくれるキルヒアイス提督が向こうに はいる。悪いようにはならないさ。」 「では、我々の目的は、カイザーを調停の場に引きずり出すことですな。」  パトリチェフが、にんまりと笑った。 「今度は、みすみすやられはしませんよ。」  それが、何を意味しているのか、一同にはわかりすぎるほどわかっていた。  彼も、控えの間にいるブルームハルトも、ヤン・ウェンリーを守りきれなかったことに、 未だに深い自責の念を抱いているのだ。 「いや、今からその心配をするには及ばない。今、マンセル大尉が、地球教徒と、さらに フェザーンの元自治領主については、調査してくれている。私だって、二度殺されるのは 嫌だからね。第一、まずは当面の戦いさ。全ては、カイザーに一矢報いた後、だ。」  ヤンの言葉の途中で、パソコンに向かって議事録をとっていた、カイル・H・マンセルの 手が一旦止まった。  「気にしなくていい」というヤンの指示に、ある意味背く形で、地球教徒、さらにはル ビンスキーの所在を調べていることを見抜かれていることを知ったからである。彼女は、 改めてヤンが「ただの居眠り男」ではないことを再認識させられることになった。  だが、そんな彼女の感嘆をよそとして、会議は進んでいった。 「やれやれ。事態は簡単なようで複雑ですな。それにしても、マンセル大尉、あなたは諜 報員としての経験もおありでしたかな?」  シェーンコップの、にんまりとした眼差しに、手を止めたまま、カイル・H・マンセルは 微笑を浮かべた。 「私は諜報員ではありませんが、ハッキングが趣味ですから。全ては、コンピュータを介 しての調査です。後方事務官がいないというこの陣営で、副官も務め、事務処理も行い、 さらに情報収集に出かけている余裕はありませんよ。」 「で、不眠不休で、働いている、と。提督、どうです。よい部下を引き合わせた私に、少 しは感謝する気になられましたかな?」  まるきりからかうような口調のシェーンコップに、ヤンは「困ったな」という文字を頬 に浮かべて、眉をひそめてみせた。 「確かに、大助かりだよ。感謝はしている。私とて、新任の副官にこんな加重労働は押し つけたくないんだが、何しろ、事務処理能力に長けた人物がいなくてね。……大尉、まこ とに申し訳ない。」 「いえ、任務ですから。」  カイルの返事は、あくまで職業軍人としての簡潔なものであった。ただし、その声には かすかに溜息が混じっていた。  本来ならば、数字とメカにとことん弱い、ヤンの副官を務めるというだけでも大変なこ とであるのに、軍の事務処理、(フィッシャーが主となっているとはいえ)艦艇の建造手 配、さらに調査活動まで行っているため、彼女の目の下にはくまができていた。 誰が見て も、彼女が疲労しているのは明らかだった。  『後方勤務の者が戦死していないのは当たり前だし、喜ばしい事だが、そういう意味で、 また人材不足か。』  ヤンは内心、安心半分、嘆き半分の妙な心境で、もう一度一同を見渡した。 「さて、ではまず、私の本隊だが、前線はグエン・バン・ヒュー少将の分艦隊に任せる。 全館隊運用指揮はフィッシャー中将に。そして、一歩差合致田右翼にはウランフ提督の第 十艦隊、モートン提督の十四艦隊、さらに左翼には、ボロディン提督の第十二艦隊、アッ プルトン提督の第八艦隊、後ろには、メルカッツ提督に。基本的に、凸型陣にて進軍する。 さらに、ビュコック提督の第五艦隊には、フェザーン方面に進軍していただく……と、い うことになります。」  自分より経験も多く、歴戦の勇者達を従える、という状態のため、くだけた口調と敬語 がごっちゃまぜになっているヤンの口ぶりは、ある意味苦笑ものであった。中には、本当 に吹き出していた提督もいたのだが、ディスプレイに映し出された艦隊図に、一同は目を 見張った。 「閣下の本隊が最前線ですか!」  パトリチェフの言葉に、「ヤン艦隊」における自分の位置をどう置くか考えながら、様 子を見ていた各提督もようやく口を開いた。 「ヤン、我々に遠慮して、自分の艦隊を前に出すなら、無用の心配だ。我々は望んで、貴 官を上官としているのだぞ。」  腕組みをしたウランフの言葉に、ヤンが応えるより早く、色黒な第十艦隊提督の方を向 き、ビュコック提督が顎に手をあてつつ、口の端だけで笑いかけた。 「いやいや、意外にこの元帥閣下は我々をこき使うつもりようですなあ。何しろ、今回は 後ろで控えているつもりだった儂を、引っぱり出した挙げ句、重要任務を与えるくらいで すからな。」 「つまり、しっかり我々の役目も用意してある、ということですかな。」  これは、ボロディン提督の言葉である。  歴戦の強者達につめ寄られ、ヤン・ウェンリーはまたもいつもの癖でベレー帽を頭から とり、ぱりばりと黒髪をかいた。 「いや、別にこき使うつもりでもないですし、遠慮してる訳でもありませんよ。フェザー ン回廊にては、おそらく戦闘にはならない、と思います。陣形については、実は、最前線 と見えて、いざカイザーの軍と対峙した時、私は一番後方に下がることになりますし。」 「すると、これは大規模包囲殲滅なのか?」  ひとたび敵に会えば、本隊であるヤン艦隊から、他艦隊が突出する形でU型陣を取る、と いう作戦であることを瞬時に見抜いたウランフの言葉に、ヤンは首を振った。 「いえ、あくまでそれも擬態です。それに、回廊では大規模な包囲はできませんよ。敵が 餌に釣られてくれるなら、それにこしたことはないんですがね……、多分乗っては来ない でしような。そうしたら、次に我々は決して兵力を分散させることなく、退くのです。丁 度、回廊の出口を塞ぐ格好で。」 「侵入阻止に徹するのですか?」  これは、フィッシャーの言葉であった。しかし、これまたヤンは首を降る。 「いや、あくまでそう見せかけるだけだ。後は、敵の出方次第なんだが……。回廊には二 〜三艦隊が並ぶのが限度。順番に、回廊に侵入し、敵と対峙する。これなら、平等かつ楽 でいいだろう?」  小さく笑ったヤンを目の当たりにして、どちらかといえば「お堅い」タイプの軍人であ るアップルトン、ボロディン提督は、首を傾げた。この元帥らしからぬ、どちらかと言え ば大学の研究生か助手のようないでたちの青年が、自分達の生前、死後、輝かしい武勲を たて、唯一カイザーに「負けなかった」(戦術上では勝った、とする説とて多いのだ)こ とはよく知っている。だが、どうにもその人となりが掴めない。  『ウランフ、ビュコックの両提督、グリーンヒル大将に至っては、ヤンの人となりにも 深く共感しているように見えるが、はたして、このひょうひょうとした青年に全て託して いいものか? 』  彼らは一様に考えたが、結局の所、弁舌やまぐれではなく、賢明さと敏腕さによって、 一個艦隊を指揮する身となった彼らは、同じ結論にいきついた。  『この者なくして、カイザー・ラインハルトとその幕僚達に勝つことはできないだろう。』 と。  かくして、「会議好き」と生前から言われていたヤンの、天上での第一回目の会議は、 果てしなく円満に片づいた。   「大尉、紅茶を一杯もらえないかな。」  会議が終わったヤンは、足をデスクの上に放り出すと、一同が退出した後も居残って議 事録をまとめていたカイルに、下手に出て、おうかがいを立てるような声色で言った。 「はい。閣下。今すぐに持ってまいります。」  丁度作業を終了させ、ファイルを保存していたカイルは、すぐに立ち上がった。しかし、 彼女の目の下には可哀相なことにくまができており、ヤンはそれを見てとると、 「あ、やっぱり申し訳ないから、自分で入れてくるよ。」  慌ててデスクから足を降ろしたが、カイルはヤンを「ぴしり」と音が出そうな勢いで指 さし、制圧した。 「いけません。閣下。こういう場合では、閣下は紅茶ではなく、紅茶入りブランデーを飲 む、と聞いております。健康のためには、一杯の紅茶、でございましょう?」 「やれやれ。どこかで聞いた文句だ。」 「当然です。閣下が、イゼルローンを際奪取した時のパスワードもどきですから。」  肩をすくめて笑う姿に、ヤンは、懐かしい女性の姿を重ねた。  彼の妻、現在は生きている者の世界で苦労しているに違いない、フレデリカ・G・ヤンで あった。カイルとフレデリカは、同じ女性であり、有能である、ということ、さらに美人 である、という事実を除けば、まるきり似てはいなかったが、ヤンはこの副官に微笑まれ ると、生者の世界に置き去りにしてきた妻のことを思い出さずにはいられなかった。 「君は、その……個人的なことを聞いてすまないが、フレデリカとは親友だったと聞いた が。」 「ええ。そうですが。それが何か?」 「いや、何でもない。」  俯きかげんで言うと、カイルは、ヤンの気持ちを察したのだろう。何も言わず、軽く敬 礼すると、その場を離れた。  ほんの数分後、彼の元に、ブランデーを少々入れた、香り高い紅茶が運ばれてきた。 「うん。上手い。」 「閣下の副官を務めるには、紅茶の入れ方が上手くなければならない、とシェーンコップ 中将に忠告されましたから。付け焼き刃ではありますが、練習いたしました。」  この言葉に、ヤンはあやうく紅茶を吹き出す所であった。  『シェーンコップの奴、また何を考えてるんだ。もっとも、だいたい予想はつくが。』  呆れて言葉にもならないまま、ヤンはやっぱりちびちびと、優秀なる副官、しかも、当 人同士が何の意図もないままに、裏でほくそ笑んでいる、シェーンコップ(もしかしたら その他の者も加担しているのかもしれないが)達の顔か浮かぶようだった。    一方その頃、ノイエ・オーディンでは、カイザー・ラインハルトのもと、イゼルローン 回廊侵攻のための準備と作戦会議が、着々と進められていた。   続く
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