「ヤン夫婦の甘くない生活」 前編

※このお話は、バーラトの和約後、平和に隠居し、新婚生活を送っていた時代 (たった2ヶ月ですよ。ホントに、もう……)のヤン・ウェンリーのお話です。   「なんだって?」  太りまくったヒマラヤン(もしかしたら、当初はシャム猫であったのかもしれない)を、 猫じゃらしでいじくりながら、退役元帥、ヤン・ウェンリーは、元少佐である妻に向かっ て顔を上げた。 「外にいる憲兵達が、この家に爆薬がしかけられた可能性がある。中を調べさせてもらい たい、と、そう言っているんです。」 「自分たちが外を熱心に護衛しているというのに、爆薬をしかけられたんだとしたら、彼 らも随分と職務怠慢だったんだな。」  やれやれ、といった声を出すヤンに、フレデリカは両腕を腰に当ててみせた。 「冗談を言っている場合じゃありませんよ。あなた。……どうします?」  フレデリカは、心なしか不安げな声を出している。ヤンは、そんな彼女をなだめるかの ように言った。 「私を拉致しようとしている訳じゃないんだろ? 入れてやればいいさ。お茶でもお出し してやってくれ。」 「はい。」  『……やれやれ…… 』  ヤンは溜息をついた。  それもその筈である。退役元帥、いくら政府の都合で年金が減らされたとはいえ、食う に困らぬ生活と、美しい新妻。郊外の新居。 人もうらやむ身分でありながら、事実上彼 らは「軟禁状態」にあるのだから。 「タダで、護衛を雇っていると思えばいいさ。」  自分に言い聞かせるように口にはしながらも、ヤンは心中では『人の家を始終見張って いるなんて、ご苦労なことだな。』と思わずにはいられなかった。 「ヤン・ウェンリー元帥。お初にお目にかかります。小官は、カール・ヴェンドリンガー 大尉であります。」  入ってくるなり、直立不動で敬礼をした、帝国の服を着た軍人に、ヤンは頭をかきなが ら言った。 「私はもう元帥じゃないよ。まあ、この家に爆弾なんぞないだろうが、気の済むまで調べ てくれ。ちょっと散らかってるけどね。」 「い、いえ。爆弾とは、元帥、いえ、元・元帥閣下、あなたのことです!」  この一言に、ヤンよりも、後方のキッチンで紅茶をいれていたフレデリカが、過敏に反 応した。  おそらくは、そのただならぬ気配を察知したのだろう。ヘルメットをかぶった青年は、 慌てて言い直す。 「いえ、失礼しました。この言い方では、まるで私が独断で閣下を粛正でもしに来たかの ようですね。説明させていただきます。私の兄は、以前イゼルローン要塞駐留軍でして……」  室内に漂った緊張感をほぐすかのような、帝国軍一兵士、ヴェンドリンガーの慌てぶり に、フレデリカは目を三回、まばたきさせた。彼女は、もう少しで、キッチン引き出しの 奥にしまってある小型銃を手にする所だったので、帝国軍大尉の狼狽ぶりは、余計に滑稽 に見えた。 「とにかく、小官の兄は、被害を最小に抑えて要塞を攻略なさったあなたのお陰で、死を まぬがれ捕虜になりました。そして……覚えてらっしゃいますか? キルヒアイス閣下と の捕虜交換儀式によって、兄は帝国に戻り、再び軍人となったのです。」 「ああ、そうなのか。で?」 「兄は生前、『敵とはいえ天晴れだ。同盟捕虜の待遇も悪くはなかった』と申しておりま した。」 「生前?」  かすかにくすんだヤンの眉に、ヴェンドリンガー大尉は、両手を挙げて、さらに首を二 度、振った。 「いえ、兄は、戦死ではなく、病死でした。最後まで、ヤン提督のことを誉めておりまし た。そして、私は、その後、皇帝陛下の直属部隊に配属され、バーミリオン会戦に臨みま した。……あの時……」  そこまで言うと、ヴェンドリンガー大尉は、息を飲み込んだ。 「閣下が、停船命令を受け入れず、カイザーの旗艦ブリュンヒルトを攻撃していたら、私 も……、宇宙の塵となっていたでしょう。私は、その時カイザーの船に乗っていたのです。」  『どうやら、悪意のある人ではないようね。』  フレデリカは、小型銃に触れたままの手を、ようやく離した。 「ともかく、私が今生きながらえているのは、閣下のお陰なのです! 高等弁務官レンネ ンカンプ提督は、閣下がいつか謀反を起こすに違いない、とお考えになり、警戒するよう 呼びかけていますが、失礼ながら、小官には、とてもそうは思えないのです。ですから、 爆弾というのは適切ではありません。……強いて言うなら、不発弾ということでしょうか。」  『よくしゃべるなあ。しかし、不発弾というのは言い得て妙だな。』  ヤンは考えながらも、まるきり悪意の感じられない、ブラウンの髪がヘルメットからの ぞく、二十代半ばと思われるヴェンドリンガー青年をまじまじと見上げた。 「で、君はそれを言うために、わざわざ、この家を訪れてくれたのかい?」 「はあ……まあ。ありていに言えばそうです。で、閣下!」  いきなりつめ寄ったヴェンドリンガーに、ヤンは少なからず驚き、あぐらをかいたまま のけぞった。 「サインしてください!」  真剣な顔をして迫る青年に、ヤンが硬直したことは言うまでもない。   「結局、嬉しそうにサインもらって、勤務中だからと慌てふためき、紅茶も飲まずに出て 行きましたわね。あの人。」 「まったく……ああいう楽しい青年ばかりなら、帝国軍も悪くないと思えるのにな。」 「あら、そう思うなら、今からでもカイザーにお願いして、『自分を使ってください』と おっしゃってみては? きっと、元帥待遇で迎えてくれますわよ。将来の年金も、今より 確実ですし。」 「おいおい、シャレになってないよ。」  ヤンはあきれ混じりの溜息をつきながらも、フレデリカのいれた紅茶の香りを楽しみ、 口をつけた。 「うん。努力の成果が顕著だね。」 「お褒めにあずかり光栄ですわ。閣下。」 「いや、だから少佐、その、閣下というのはやめてくれないか。何だか、夫婦じゃないみ たいだ。」  長年見てきた彼の癖……頭をかきむしる様を見ながら、フレデリカは苦笑した。 「それを言うなら、あなたこそ、『少佐』と呼ぶのはやめてくださいね。」 「ああ、そうだ。これは一本取られたな。ははは。」  笑い会う二人の間には、未だ「上官と副官」という堅苦しさが取れてはいなかったが、 それても彼らは、ささやかな夫婦生活をそれなりに楽しんでいた。    事件が起こったのは、その翌日のことだった。 「あれ、今日はあの大尉さんはどうしたんだい。非番かい?」  キャゼルヌの家に出かけようとしていたヤンは、門の外に待機している警備兵に、気さ くに声をかけた。  一方、最重要警戒対象者から話しかけられた一兵は、仰々しく敬礼した上で、毅然とし て答える。 「ヴェンドリンガー大尉でありますか! 彼は、昨晩、ヴァルハラに旅立ちました!」 「何だって?」  ヤンが一瞬呆然とし、フレデリカが息を飲み込む。  ほんの少し、考えた後、ヤンは口を開いた。 「失礼でなければ教えてほしい。彼は健康そうに見えたが、何か病気でも持っていたのか い?」  相手の出方をはかりながらのヤンの言葉に、警備兵は、なおも敬礼したまま答えた。 「いえ、ヴェンドリンガー大尉は、自らで、命を絶ったのです。……これ以上の詮索は、 申し訳ありませんが……」 「ああ、すまなかったね。ともかく、我々はアレックス・キャゼルヌの所に、夕食をごち そうになりに行ってくる。かまわないね?」 「了解いたしました!」  敵意もないかわりに、親愛の情もない、ととれる兵士の言葉に頷くと、ヤンはポケット に手をつっこんで歩き出した。 「妙ですわね。」 「ああ、妙だ。」  どちらからともなく、頷きあう夫妻。彼らの頭には、つい昨日、『サインしてください!』 と嬉しそうに色紙を差し出した青年の顔が浮かんでいた。  『どう考えても、あの青年が世をはかなんで自殺するとは考えにくい。では、誰かに殺 されたのか? そうだとしたら、何故? 』  そこまで考え、ヤンは頭をかいた。 「どうもいけないな。働かないでのんびりする筈だったのに、どうやら私は、思ったより もお人好し、かつ野次馬らしい。」 「それは、人間としては誉められるべきことですわ。」  ヤンのやろうとしていることを、正確に予測したフレデリカの顔には、『あなたのなさ りたいように』と言わんばかりの微笑が載っていた。   「なんだって? お前さんづきの警備兵が自殺?」  二人の主婦から居間に追いやられた夫二人のうち、先輩の方は、後輩の説明につい大声 を上げた。 「先輩は、どう考えます?」 「そうだな。親ヤン派の警備兵では、監視役としては不十分というなら、役割交代させれ ば済むことだ。何も殺すことはあるまい。……やっぱり、単に自殺じゃないのか? 死ぬ 前に、一度憧れの提督とお話してみたかった、といった所が真実だろう。」 「相変わらず、ジョークのセンスはいまいちですね。」 「やっぱり、ダメか。なら、お前さんはどう考えるんだ?」 「そうですね。何にせよ、情報不足です。彼とその周りの人間に関する、情報が欲しい。」 「わかった。またケーキにでもディスクを忍ばせるとするか。」  うんざりした顔のキャゼルヌを前に、ヤンは膝の上で手を組んでみせた。 「ジャムや生クリームがディスクに入らないようにして下さいよ。」 「ったく……この忙しいってのに、お前さん、いつからそんな働き者になったんだ?」 「むかーしむかし、先輩が私に、ブルース・アッシュビー提督謀殺について調査せよ、と いう任務をくれた時から、探偵癖がついたんですよ。」  やたらめったら昔の話を持ち出され、キャゼルヌは「ふん!」とでも言いたげに足を組 んだ。  そんな二人の「夫」の様子を、二人の妻が吹き出しながら見ていたことは言うまでもな い。    キャゼルヌからの、「カール・ヴェンドリンガー及びその家族」に関する情報が入った ディスクがヤンの元に到着したのは、それから二日後のことだった。  おそらくは、帝国軍データにハッキングする等の危険も犯しているのだろうが、キャゼ ルヌほど「卓越」した人物ならば、自分がしたのか、部下にやらせたのかはわからないが、 どうやらその程度のことは簡単なものだったようだ。  ディスクを差込み、ロードすると、そこには先日一度だけ会話し、すぐに他界してしまっ た青年の「履歴」がまず浮かび上がった。 「私も見ていいですか?」 「もちろん。」  雑多な本のごった返しているデスクを前、椅子にあぐらをかいて座っているヤンの元に、 紅茶を持ってきたフレデリカも、ディスクからの情報に見入る。 「帝国歴……えっと、宇宙歴で言うと、えっと……享年は……」 「二十二歳ですわ。」  フレデリカのフォローに、ヤンは肩をすくめて見せた。彼は、照れ隠しをするかのよう に、浮かび上がる情報を読み上げだした。 「帝国領ペルーンの生まれ。二人兄弟の弟。四歳年上の兄は、同盟によるイゼルローン要 塞攻略の際捕虜になるが、帰国。その後軍に復職するも、悪性結核にて一年前に死亡。な るほど。あの青年の言っていたことは全て真実だと言うわけか。」 「あなた、あの人が嘘を言っているとでも思っていらしたの?」 「いや、思ってなかった。」  立ったまま、ディスクから映し出される立体映像を覗き込んでいるフレデリカに、ヤン は半分謝罪を含めたような笑みを向けた。 「彼自身は、徴兵制度によって入隊。本来はプログラミング技術者、趣味もコンピュータ か。システムエンジニアがなぜ、監視兵などになっていたんだろう?」 「いくらカイザーでも、部下の一人一人まで、適材適所という訳にはいかない、というこ とでしょう。……まだ。」 「まあ、そうだね。いくらカイザー・ラインハルトといえども、何千万人もの部下を適材 適所に、という訳にはいかないだろうしね。しかし、ブリュンヒルトに乗っていたという なら、一応カイザー直属部隊じゃないか。ミスター・レンネン部隊に派遣でもされたのか?」 「そこに鍵があるかもしれませんね。」 「鍵……か。彼は、ともあれバーミリオン会戦、バーラトの和約の後、彼は『自ら望んで』 ハイネセン駐留を申し出ているんだな。故郷では既に両親も死んでいるし、戻る気になれ なかったのかもしれないな。」 「これは私の印象なんですが……兄が、『悪くなかった』と言っていた同盟の雰囲気を見 てみたかったのではないでしょうか? どのみち彼は正規兵ではありませんし、徴兵期間 が終わるまでの間、異なる世界を見てみよう、と思ったのでは。」 「そうかもしれないね。でも、もしかしたら……」  言いかけて口を鈍らせたヤンの言葉を、フレデリカが繋げた。 「彼自身の思惑はどうあれ、彼の赴任には深い意味がある、と邪推した人間がいたかもし れませんわね。またそれは、真実であったかもしれませんわ。」  頷きながら、ヤンは腕を組んだ。  ディスクは、さらに「ヴェンドリンガー大尉」についてのデータを流していく。  直接の死因は、自殺と断定されている。彼が退役元帥ヤン・ウェンリーの家を監視する という任務の交代時間を迎え、官舎に戻った後、ヨーグルトに混ぜ、致死量の「ブロムワ レルリ尿素」、つまり睡眠薬を飲んだためとなっている。翌朝、彼が起きてこないので、 同僚が彼を起こしにいった所、既に彼は昏睡状態にあり、すぐに病院に運ばれたが結局意 識は戻らず、死に至った。彼の部屋には内側からロックがかかっていたため、自殺と断定 された。  ちなみに、現在は、発売禁止であるこの「ブロムワレルリ尿素」を彼がどのように入手 したかは不明らしい。 「こいつは、私も、睡眠導入剤をあまり飲み過ぎないよう、注意しないといけないかな。」  顎に手を当てたヤンを、フレデリカは指さした。 「あなたがお飲みになっているのは、瓶一杯飲んでも死ねない、安全なものです。ただし、 本当に瓶ごと飲んだら、三日間は寝たきりになるでしょうけどね。」  『寝たきりねえ。そいつは、望むところかもなあ。』  などと考えながらも、ヤンは次に、カール・ヴェンドリンガーの周辺についての情報を 引き出していった。  彼の直属の上官は「ニュルブリンク少佐」。首都星ハイネセン駐留部隊のうち、退役し た旧同盟軍の要人、および軍首脳部を監視する監視兵を統括している部署を受け持ってい る。  ディスクには彼の履歴も含まれていた。ヴェンドリンガー大尉とは違い、士官学校を出 た職業軍人。今年四十五歳の中肉中背、少々腹の出た、白髪混じりの黒髪の男であった。 「四十五で少佐、というのは、出世としては遅い方ですわね。」 「そうなのかい? 確かに、私のまわりにいた人物は皆、若くして出世してたが。」  元・少佐のフレデリカの言葉に、ヤンは小首を傾げ、妻を見あげた。 「あなたの元に集まっていた者がヘンだったんです。私も含めて、ね。ともあれ、職業軍 人であるのに、四十五で少佐は、遅いと言っていいと思います。帝国軍は貴族でなければ、 出世が遅い、という点は差し引いても、ですよ。」 「そういうもんかね。」 「そういうものです。それにしても、この人は、軍人です、と言わんばかりの風貌ですね。 あなたのお嫌いそうなタイプですわね。」 「確かにね。このしかめっ面といい、部下に無理な命令を出しそうなタイプの特徴を皆揃 えている。できればこういう上司は持ちたくないなあ。」  元・元帥……つまり、既に彼に命令を下せる上官は(政権保持者を除いては)実質いな いにも関わらず、のヤンの言葉に、フレデリカは失笑した。  ヤンはというと、腕を組んだまま、考え込んでいる。どうやら、「首から下は無用」と 言われた彼の頭の中には、様々な考えが巡られれているのだろう。  賢明な妻であるフレデリカは、そんな夫の思考を妨げないよう、あくまでゆったり、夫 の書斎を後にした。   後編へ続く
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