「天上銀河英雄伝説」 第三章 艦隊

「『イゼルローンはない』、とは言ったけど、『フェザーンがない』、というのはある意 味嘘だね。いや、少々違う、と言うべきか。あの自治領主、いや、元自治領主は一体どこ へ行ったのかねえ。」  カイル・H・マンセルのいれた紅茶(質素ながらも、一応ソーサーつきのティーカップ に注がれていたりする)をちびちび飲みながら、ヤンはつぶやいた。  そんな上官の様子を、カイルはトレイを手にしたまま見やりつつ、口を開いた。 「アドリアン・ルビンスキーのことですか? 確かにこちらの世界に来ているはずですの に、未だ行方知れずですね。あの方は、下界でも地下に身を潜めていたと聞きましたが、 天界でも身を隠すとは、何を企んでいるのやら。」 「おそらく、今ごろは彼も、天国の大地の上にはいまい。ある意味、彼はこうなることを 予測していたのかもしれないな。そして、また影に隠れて、我々を手玉に取ろうとしてい るのか。いや、これは考えすぎかな。」 「閣下。何でしたら、元諜報部員に調べてもらうよう、頼みましょうか?」 「いや、必要ないよ。どのみち、彼が何かしようとするのであれば、イヤでも気配を現す さ。……何しろ、これはお祭りなんだ。あんまり真面目にやると、肩がこるよ。大尉。」  きまり悪そうに、ひきつった微笑のだヤンに、生真面目な顔でトレイを構えていたカイ ルは、まばたきをした。 「はあ。それが、噂に名高い、『伊達と酔狂のヤン艦隊』の方針ですか。」 「いや、方針と言えるほど、まともなもんじゃないよ。まあ、死なない程度にがんばろう、 ということさ。」 「閣下。お言葉を返すようですが……我々は既に死んでます。」 「ん? あ、そうか。」  照れ隠しに、頭をかいたヤンに、とうとうカイルは吹き出してしまった。紅茶を入れて きたトレイを口にあて、笑い声を押し殺す彼女の姿は、十二分に「美人」の範疇に入るも のであり、かつ、「男性」であるヤンに対する偏見はないように、ヤンには思えた。  『男嫌い、と聞いたが、男と喋るのも嫌い、というような類でもなし、真面目一辺倒の 軍人女性という訳でもないんだな。』  ある意味ほっとしながら、この元帥らしからぬ元帥が考えていると、 「ともあれ、閣下。この場を失礼する前に、艦隊構成について確認させていただきます。 第十三艦隊……いえ、ヤン艦隊には、元帥ヤン・ウェンリー閣下。総参謀長ドワイト・グ リーンヒル大将、副参謀長パトリチェフ准将、副司令官フィッシャー中将。 そして、第五艦隊司令官、アレクサンドル・ビュコック大将、参謀長にチェン・ウー・チ ェン大将、第八艦隊アップルトン中将、第十艦隊ウランフ中将、第十二艦隊ボロディン中 将、第十四艦隊モートン中将、副司令官として、カールセン中将。 予備艦隊として、メルカッツ提督。後、反ヤン・ウェンリー対策委員として、ジャン・ロ ベール・ラップ少佐。これでよろしいですか? 死んだ時のままですから、階級が無茶苦 茶といえば、無茶苦茶ですが。」 「ああ。いいよ。階級なんて、細かいことさ。しかし、何だなあ。後ろに下がりたがるビュ コック提督を説得して、引っぱり出すことに成功したうえに、ジャンが、前線ではない所 で働く気になってくれたのはいいとして、問題は他の提督達だ。生前の艦隊ナンバーにこ だわらなくても、第一、第二としていけばいいじゃないか。皆なんでそんなことに固執す るんだろうか。」  やっぱり溜息混じりのヤンの言葉に、カイルはおそらく癖なのだろう。耳たぶに小さな 星くずにも似て輝いている、青石のピアスをいじりながら、答えた。 「なんでも、慣れた旗艦に、慣れたナンバーを入れたいんだそうですよ。第一、閣下だっ て、ヒューペリオンと同型の鑑を作らせてるじゃありませんか。」 「ああ、やっぱり、あのデスクの座り心地がよかったもんでね。ユリシーズの方を、メル カッツ提督に譲って、やっぱり私はヒューペリオンに乗ることにした。」 「ほら、やっぱりこだわってらっしゃる。……それにしても、『あの椅子』ではなく、デ スクなんですね。噂に聞きました。ヤン提督は、椅子ではなくデスクの上で片膝立てて、 もしくはあぐらを組んで陣頭指揮する、と。もうすぐその光景が見られるかと思うと、楽 しみです。」 「おいおい。好戦的な副官だなあ。君は。」  かすかに眉をひそめたヤンに、カイルはあくまで微笑んだ。 「冗談です。戦いなど、ないにこしたことはありません。」  いともあっさり切りかえされ、ヤンは、三回まばたきして、大きく目を見開いてカイル を見つめた。  彼の妻とはまた違った意味で、彼女は彼に好意を持っているらしい。カイルはあくまで 静かに、暖かさを与える眼差しをたたえ、ヤンを見て微笑んだ。そして彼女は、とまどう ヤンに敬礼をして、背を向ける。 「まあ、いいか。」  結局の所、彼は新しい自分の副官に対する思考を放棄して、デスクの上に足を放り出し、 頭の後ろで手を組んだ。  実の所、彼は最初、彼よりはるか前に死んだ有名人達を、自分の艦隊に引きずり込みた かった。いや、正確に言えば、歴史の教科書に載っているような著名な提督を引きずり込 んで、自分は後方に回るつもりでいた。しかし、「待合い場所」である天国に、はるか昔 に死んだ将校らはとうに残っておらず、皆生まれ変わりの道を歩んでいた。ちなみに、彼 は死んだ直後、いち歴史家志望者として彼らの行方を追ったのだが、結局の所会えたのは、 生前にも会ったことのあるローザス提督くらいなものであった。生きた歴史の証人に会う、 という彼の死後のささやかな夢(?)は、完膚なきまでにとうに破壊されていたのだ。ち なみにヤンは、ローザス提督に、彼はラカイザー・ラインハルトとの戦いに力を貸しても らうよう要請したのだが、「おいぼれの出る幕ではないから」と断られていた。  結局の所、ヤンは、既知であった者達のみで戦わなければならない。  そのことをぼやいたら、 「でも、閣下。リン・パオ、ユースフ・トパロウル、またはブルース・アッシュビーといっ たような面々を仲間に入れたら、誰がトップになるかで内乱になりますよ。」  パトリチェフに笑われた。  『だから、彼らに陣頭指揮を任せて私は後ろにいるつもりなんだってば。』  とはさすがに言えなかった。 「やれやれ。結局の所、資源は平等とはいえ、酷な話しだ。」  ヤンのぼやき癖は、死んでもまるきり直ってはいなかったのだ。   「大本営は余が直接指揮をとる。副司令官かつ宇宙艦隊総司令官は元帥キルヒアイス。総 参謀長はオーベルシュタイン。ロイエンタール、ファーレンハイト、ケンプ、シュタイン メッツ、ルッツ、レンネンカンプは、それぞれ一個艦隊を指揮せよ。ただし、オーベルシュ タイン、卿には別の仕事を与える。いわば掃除屋、裏方だがな。」 「陛下のことをねたましく思っている、貴族などと証する輩の一掃……ですかな?」 「察しがいいな。そうだ。一度排除した者を、また排除しなければならぬとはバカらしく もあるが、仕方ない。彼らは、まがりなりにもこのヴァルハラでは先輩だが、だからといっ て、今更ゴールデンバウム王朝がどうのと言われても、迷惑極まりない。後ろから命を狙 われたのでは話にならん。」 「仰せの通りにございます。」  オーベルシュタインが、恭しく頭を下げた。  他提督達は、皆『あいつにはふさわしい任務だ』とでも言いたげな目で、普通の人間に とっては気持ちのよくはない任務を、諾々として甘受するオーベルシュタインを見ていた。 もっとも、オーベルシュタイン自身は、そのような役回りは自分に与えられて当然、と考 えており、一同の視線など、全く気にしていなかった。 「さて、キルヒアイス。各艦隊の編成準備はどうなっている?」 「ほぼ予定どおりに進んでいます。旗艦は全て建造終了。戦闘艦は予定数の60%、巡航艦 は85%、砲艦は80%、駆逐艦が78%、ワルキューレ73%……」 「待て。キルヒアイス。細かい数値はいいんだ。お前に任せてあるんだ。心配はしていな い。」 「わかりました。では、これだけ。宇宙母艦だけが、予定の40%しか建造できていません。」 「全く、お前は几帳面だな。多少の遅れは仕方あるまい。資源と生産工場は限られている のだ。敵とて、似たようなものであろう。」  再会を喫してからというもの、以前にも増してキルヒアイスに「特別」な笑みを浮かべ るようになったラインハルトであったが、ほとんどの(つまりオーベルシュタインを除い た)提督は、それを「当然のこと」と考えており、是としていた。もちろんそれは、キル ヒアイスの人柄と能力に対する安心感もあり、オーベルシュタインへの反感のためもあっ た。しかし、何よりも各提督らの頭に「キルヒアイス特別論」を構築していた理由は、彼 の死後のラインハルトの混乱ぶりを目の当たりにしていること、さらには、キルヒアイス 提督さえ死ななければ、ラインハルトは、正式名称をとても覚えられないような「皇帝病」 とやらで死ぬことはなかったのではないか……という仮説によっていた。  ちなみに、そこは生前彼らが生きていた銀河系の「帝国側」星系、惑星オーディンに位 置する星であった。ラインハルトはそこを、「ノイエ・オーディン」と名付け、とりあえ ずは帝国軍の本星とすることにしていた。さらに、各々の星系、さらに回廊は、生前と同 じ名で呼ばれることになった。  彼ら同様、同盟側も、旧同盟領土に位置する星系に陣を置き、愛嬌もなく、首都星を 「ハイネセンもどき」と名付けている、との情報がラインハルトの元にもたらされた時、 彼は鼻先で笑った。 「全く。ふざけた趣向だな。そうは思わんか?」  その視線の先には、生前、ノイエ・ラント総督府を任されていた、ロイエンタールがい た。 「そうですな。イゼルローン要塞を再奪取した時のキーワードといい、彼らはよほどジョ ークが好きとみえますな。」  直立不動で、彼は答えた。  彼の左右の色が違う瞳が、「マイン・カイザー」と今にも叫び出しそうに輝いていた。 オスカー・フォン・ロイエンタールは、再び覇気に溢れたラインハルトの陣営に組みする ことができる喜びに打ち震えていたのである。 「しかし、閣下。」  諸侯の一部から発せられた声に、ラインハルトはそのアイス・ブルーの視線を向けた。 「なんだ。レンネンカンプ。」 「あの詐欺師のこと。どんな策を弄してくるかわかったものではありません。あやつは、 英雄の名をかたったペテン師です。用心なさった方がよろしいかと……」 「レンネンカンプ。卿は、ヤンではなく、彼を売ろうとした政治家によって、不本意な死 を余儀なくされたのだ。ヤンのせいではない。間違えてはならぬ。卿の言い分ももっとも であるが、余はそうは思わぬ。実際、その後の戦いでも、彼は正々堂々、余に挑んできた のだ。余は、今度こそ、あの異才と正々堂々、正面から戦って勝つ。それなくしては、こ のヴァルハラの平穏は有り得ぬ。」 「そうですな。ヤン・ウェンリーは、自らの属していた政府によって売られかけ、さらに、 地球教徒によって謀殺されたのです。いつも、不利な条件で戦うことを余儀なくされ、そ れでも不敗を築き上げてきた彼が、どのように戦うか、見物です。」  ルッツの言葉は、かつて彼に「してやられる」形でイゼルローン要塞を再奪取された者 にしては、潔い発言と言えた。 「ともあれ、はるか昔に死んだようなおいぼれは、もう生まれ変わっていないとのこと。 余は、再び卿らを旗下に置き、正々堂々と戦う。小細工はお互いなし、真っ向勝負である。 ……もちろん、余にとっての貴族連合動揺、向こうも、後背を味方に突かれぬよう、留意 はしているであろうが。」 「そのことですが、陛下。」  再び、場を沈黙させたオーベルシュタインは、生前と変わらぬ抑揚のない声で言った。 「貴族連合もさることながら、地球教徒の残党も、このヴァルハラには大勢います。陛下 にその謀略の手が伸びてはたまりません。ここはひとつ、私めに、貴族のみならず、彼ら に対しても調査を行う許可をいただきとうございます。」  地球教……その言葉に、ラインハルトの目は歪んだ。 「あやつらに、再びヤン・ウェンリーを暗殺されてはたまらぬ。よかろう。猫の子一匹逃 すな。全員、ヴァルハラ……ではない、生まれ変わりの道を歩ませてやれ。」 「御意にございます。」  ゆったりと頭を下げると、オーベルシュタインは一歩後ろに下がった。 「さて、そこで、具体的作戦だが。」  ラインハルトは、白いマントをひるがえし、ゆっくりと立ち上がった。  同時に、彼らの前に、三次元ディスプレイが浮かび上がる。 「艦艇が百パーセント完成してからでなくともよい。戦闘可能状態になったら、早速出陣 する。その間にも、艦艇の生産は続け、出来次第随時前線に送ればよい。ともあれ、我々 は、銀河系を二分する状態にある。そして、二つの宙域を結ぶ回廊には、何の障壁もない。 さて、どちらの回廊から攻め入るべきか。それが問題である。卿らの意見を遺憾なく聞か せてほしい。」 「恐れながら、陛下。」 「イゼルローン亡きこの状態、イゼルローンからの侵攻は、補給線か長くなりすぎます。 ここは、フェザーン回廊を通り、フェザーンに補給基地を置き、そこから侵攻なさっては どうかと。」  この意見は、ケンプからのものであった。しかし、ラインハルトは小さく首を振った。 「もっともである。しかし、それはきゃつらとて考えること。余は、あえてイゼルローン 回廊から、侵攻を行ってはどうかと思っているのだ。」 「何故でございますか?」  直立したまま、ラインハルトの声を一言も聞き漏らさぬように、と注意をはらっている ファーレンハイトに、ラインハルトは皮肉めいた笑いを漏らしてみせた。 「同じ手を二度使うのでは、芸がないからな。もちろん、フェザーン回廊を無視はせぬ。 あの黒狐が潜んでいるかもしれぬ。そこでだ、ロイエンタール。」 「はっ。」  一歩前へ出たロイエンタールに、ラインハルトは、一見冷たく輝く瞳を向けた。 「丁度、神々の黄昏とは逆になる。卿は、フェザーン回廊……いや、フェザーン回廊にに 赴き、フェザーンを占拠せよ。そして……おそらくは地下に潜んでいるだろうルビンスキ ーを、なんとしてもあぶり出せ。あやつは必ず、そこにいる。」 「謹んで、その任、受けさせていただきます。」  この場に及んで、提督らは、カイザーが「同じ手を二度使うのでは、芸がない」という さして面白くもないジョークのために、イゼルローンを選んだ訳ではないことを悟った。  つまり、カイザーが懸念するのは、未だ行方の知れないフェザーン元自治領主の動きで あり、さらに彼と通じている(と思われる)地球教徒との関係であったのだった。  当然のことながら、障害物(要塞)のないイゼルローンを通ることは、これまた妥当な 策と言えた。 「質問はあるか。」  凛としたラインハルトの言葉に、異論を唱える者はもはやいなかった。 「では、艦艇が90%整った時点で、侵攻にでる!」  このラインハルトの一声で、詳しい作戦説明が始まった。   続く
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