「天上銀河英雄伝説」 第六章 出陣前夜〜ヤンの災難〜

 元々、その人物を先に訪れた……というよりは、呼びよせたのはヤンの方だった。    彼は、主席幕僚を集め、作戦指示をするよりもはるか前、カイザーとの戦いが避け られ ぬものとなったことを自覚すると同時に、艦隊建造の指示を出しつつも、ある人物を 捜すよう、副官を通じて諜報部を動かしていた。  その探索の相手となる人物は、世間から隠遁していたが、諜報部員によってすぐに 隠れ家を突き止められ、半ば強制的に拉致される格好で、ヤン艦隊の統合作戦本部が あるビルに召還された。そして、中肉中背、年齢も属に言われる中年、という彼は、 不気味なまでに、落ち着き払った青年元帥(正確には「元」であるが)の顔を見るや、 慌てて額の汗を拭った。  ところが、生前、彼によって大義名分のために殺されかけた元帥閣下は、落ち着き 払った様子で司令官の椅子で宙を見つめて座っていた。そして、入ってきた彼を見る なり、こう言った。 「早速ですが、我々は、近々出陣しなければならないようです。私個人としては、で きればこのままのんびりしたいのですが、そうも言っていられないので。」  まるで「明日散歩に行きます」とでも言うかのように、あっさり言ったヤン・ウェ ンリーに、ジョアン・レベロは慌てて口を開いた。 「ヤン提督、私は。」 「ああ、何も言わなくていいですよ。レベロ議長。あの時のあなたは、ああするしか 道がなかった。私も、自己の身を守るためには、脱出しかなかった。私も、あなたを 拉致監禁しましたし。お互い様……そうでしょう?」  司令官の椅子から立ち上がり、ヤンはレベロに歩み寄った。  一方、不本意ながらも歴史の中で「悪役」を演じざるを得なかった、良心的であっ たはずの政治家は、額から吹き出す汗を、ただぬぐった。 「ああ。今更君に詫びようとは思わん。私は、あの時、君を犠牲にするしか手がなかっ た。結局レンネンカンプ提督も自殺に追い込んだ。同盟を残したい一心から、恥ずか しいことに、私の精神は異常とも言える状態になっていた。考えてみれば、傲慢だっ た。結局、吐いた唾は自分に戻ってきたがな。」 「吐いた唾がかえる、とは、暗殺のことですか? その死の間際、あなたは本来の高 潔さを取り戻していた、と聞いています。そこで、です。私はあなたに頼みたいこと があるのです。」 「私に?」  誰か相手を間違えてはいないか? とでも言いたげなレベロに、ヤンは静かに頷き、 ソファにかけるよう促した。レベロが促されるまま、ソファに腰掛けると、ヤンも向 かい側に腰を下ろした。 「カイザー・ラインハルトとは違い、私は民主共和国家の軍人です。あくまで、国民 の選んだ政府の決定に基づき、軍を出す、それが筋というものです。」 「もちろん、それは当然のことだ。しかし……」  ヤンが言わんとするところを、聡明な思考を取り戻しているレベロは瞬時に理解し ていた。それだけになお、彼は躊躇せざるを得なかった。 「だが、もはや、私は最高評議会議長ではない。君も知っているだろう。トリューニ ヒトには負けるが、この天国での私の風聞は悪評以外の何ものでもない。『国民的英 雄を売り渡そうとした偽善者』。誰も私には従わない。君にわからんはずはあるまい?」  苦笑まじりに言うレベロに、ヤンは頭をかいてみせた。  その時ヤンは、イヤイヤながらも、あまり似合っていない軍服に再度身を包む羽目 になり、その窮屈さに辟易していた所だったので、余計にその表情たるや、二人にコ ーヒーと紅茶を運んできた副官カイルの目には、滑稽に見えた。 「国民的英雄、とははて誰のことですか。私は所詮、いつだって敗軍の将でした。あ なたが『国民的英雄を売り渡そうとした偽善者』なら、私は『矛盾の象徴』だの『優 柔不断』だのと言われているそうですよ?」 「しかし……」  言いかけたレベロを、ヤンは片手で制した。 「私は、シトレ元帥とも友人であった、良識を取り戻したあなたと話をしたいのです。 もちろん、生前の最高評議会議長が、この天国でも議長を務める必要はありません。 とどのつまり、あなたがお嫌なら、他の誰でも……トリューニヒト氏だけはご勘弁願 いたいが、良識のある政治家に、軍部、つまり我々に対して責任を負い、命令する立 場であって欲しいのです。」 「それは、少々順序が逆ではないのかね。普通は、政府ありて、軍があるのだ。」 「ええ。その通りです。しかし、現にカイザーは、着々と進軍準備を進めつつあり、 なまじっか神がそれをお許しになったばっかりに、我々もそれに対応せざるを得なく なりました。そのため、仕方なく、艦艇製造をさせていますが……私としては、あく までこれは、民主共和政府の意向である、という形を取りたいのです。どうやら、大 騒ぎにかこつけ、この旧自由惑星同盟領に引っ越してきた天国の住民は、カイザーの 専制政治を受け入れるつもりはないようですし。適当な人材に対してなら、市民の指 示は得られるのではありませんか?」  ヤンの内には、生前と変わらぬ、「軍部による独裁はあってはならない」という信 念がこもっていた。それは、レベロの目にも明らかであった。  死の間際、精神が焼き切れていた時の彼であれば、この会談に対し、懸念を持たず にはいられなかったに違いないが、ヤンの睨んだとおり、レベロは正常な頭脳と良心 を取り戻していた。 「つまり、まがりなりにも、最後の最高評議会議長であった私に、議会を招集させ、 君たちへの命令を下せ、ということか。」 「そういうことです。順序が逆なのは、この際大目に見てもらえませんか。同じ、不 本意な暗殺によって命を奪われた者のよしみ、ということで。」  まるきり笑えないジョークであったが、レベロは、大きく溜息をついて、ソファの 背もたれに勢いよく背をついた。 「わかった。君には借りがある。しかし、私はもう政権を握るのはまっぴらだ。ただ の選挙管理委員に勤めさせてもらいたい。どのみち、私が立候補したとろで、当選は せんよ。大急ぎで選挙をしよう。出兵の前に、な。でないと、出撃命令が出せない。」  諦めたかのような深い溜息まじりの言葉に、ヤンはかすかに笑った。  彼の頭の中では、レベロはあくまで、「追いこまれさえしなければ良心的な政治家」 であり、信頼たり得る人物であった。彼に任せておけば、間違ってもトリューニヒト を再び権力の場に持ち上げるなどということはすまい、という確信もあった。もっと も、生前同盟市民であった者には、トリューニヒトはルドルフ大帝と肩を並べるほど に嫌われており、彼(トリューニヒト)自身も、身の危険を感じてかどこぞに身を隠 していたから、彼が再び政権をとる、などということはあり得なかった。  ともあれ、ヤン・ウェンリーは、生前と同じ「民主共和制における軍隊はあくまで 政治家の決定の上に動くもの」という大義名分を守ろうとしたのであった。    こうして、ヤン艦隊の出兵を直前に控えたハイネセンもどきでは、市民による、最 高議会議員に対する公平なる選挙が行われた。当初、市民達は選挙管理委員長、「ジョ アン・レペロ」の名に嫌悪したが、彼の正直なる演説に人々は、素直に聞き入った。 「私は、生前、犯しがたい罪を背負った。ゆえに、今後、この天国において、政権を 持つことはない。それだけに、私などではなく、公明正大なる、良識をもった政治家 達により、この国が無益な戦闘を繰り返すのではなく、被害を最小限度に抑えるべく、 軍が使用されることを望むところである。繰り返すが、私の罪は決して消えるもので はない。ゆえに、私は、自由惑星同盟最後の最高評議会議長として、この天国におけ る民主共和制の議会を健全なものとして発足させた後、即座に引退するものである。」  レベロの、馬鹿正直とも言えるこのコメントに、市民の多くは、かつて彼が、謙虚 で公明正大であった事実、アムリッツァ会戦の時、彼は出兵に反対していた事を思い 出し、再び彼への信頼度は上がり、その彼が統括する選挙への感心も高まった。  いつの時代も、市民というのは単純なものなのかもしれない。  ともあれ、レベロの元、不慮の死を遂げた政治家達、さらに、学識経験者や評論家 達が「最高評議会議員」に立候補することになり、事が急を要するため、迅速に選挙 が行われた。    そして、冒頭にあるように、いよいよ出兵という前夜、つまり「軍隊の出兵要請」 が政府から出されるタイムリミットの夜、ヤンの私邸……といっても、官舎でしかも、 ハウスキーバーたるユリアンも、優秀なる副官もいないため、ゴミためと化した彼の 元に、レベロが突如訪問して来た。  これには、ヤンは驚かされた。  何しろレベロは、一人の護衛もつけず、一人でランド・カーを走らせ、「お忍び」 という格好で彼の家のドアをノックしたからである。しかも、入って来くるなり、ソ ファ(本を押しのけ、座る位置を確保しなければならなかったが)に腰掛けると同時 に、彼は嬉々としてヤンに笑いかけた。 「ヤン閣下、いや、議長、おめでとう。」  この、いきなりのレペロの言葉に、ヤンは、仕方なく自分で入れた紅茶を思い切り 吹き出した。 「はぁっ?」 「だから、今日公正なる選挙がなされたことは、知っているだろう? 選挙速報も聞 いていないのか。まあ、そんな所だろうと思って、開票の途中で抜け出して来たんだ が……」  満面の笑み(これでやっと、辞任できるという喜びのためだろうが)を浮かべたレ ベロに、ヤンは身を乗り出した。 「何のことです? 私は、正式な出兵辞令をもらいたいだけです。議長とは何のこと です!」 「だから、君が、最高評議会議長に選ばれた、と言っているのだ。それ以外の意味に 聞こえたかね?」  あまりのことに、ヤンは絶句した。  言うまでもないことだが、ヤンは立候補などしていない。政治家達のごたごたに巻 き込まれるなど、彼は最も敬遠することだった。元々、政府樹立を求めたのだって、 軍が勝手に動いてはならぬ、という共和国家の理想を、せめて大義名分だけでも守り たかっただけの理由によるものであって、その後の「天国の統治」など期待してはい なかったのだ。 「いつの間に、候補者の中に私の名が入っていたんですか!」 「言っておくが、私も、他の誰も入れてはいないぞ。仕方ないじゃないか。投票箱を 開いてみたら、78%が、ヤン・ウエンリーの名を書いていたんだから。ここに来る途中、 速報で確認したから間違いない。とにかく、これは、市民による公正なる選挙の結果 だ。」  無理やりに、選挙管理委員に引っぱり出されたお返し、とでも言いたいのだろうか。 レペロは意地の悪い微笑みを見せた。  一方、ヤンはというと、身なりに気を使ってくれる人もいないため、多少無秩序に 伸びた黒髪をかきむしり、さらにどアップでレベロに詰め寄った。 「候補者にない者を投票したのは、無効票です! 私は軍人です。現職の軍人が、政 権を握るなどとんでもないことです! 政治は文民にとってなされるべきです!」 「まあ、そうまくしたてるな。いくらなんでも、戦いながら政治をどうこうしろ、と 言う訳じゃない。君には、カイザーとの戦いに勝利した後、念願どおり退役して、議 長の座についてもらう。それまでは、第二位で当選した、ジエシカ・ラップ女史が、 暫定政権をとることになるな。……これなら、文句はあるまい?」 「あるに決まってるでしょう!」 「そう言うだろうと思った。さて、では女史に、この御仁を説得しておうかな?」  あくまでにやにやしているレベロは、胸から一インチほどのディスプレイ付きの携 帯式電話を取り出すと、ヤンの苦虫顔をよそに、ナンバーをプッシュしだした。ほど なく、ヤンにつきつけられたテレビ電話からは、彼にとってはよく知った顔、現在は 天国で、親友のラップと甘い新婚生活を送っているはずの、ジェシカの顔が映ってい た。 「あら、絵に描いたような苦虫顔ね。ヤン。でも、あなたは選ばれたのよ? それに、 軍隊は嫌いだったんでしょう? 念願の退役がこれで公然とできるわよ?」  どこか意地の悪いジェシカに、ヤンは、片手に電話を持ち、片手でふけが落ちるの ではないか、と思うほど頭をかいた。 「あのねえ、ジェシカ。どのみちこの天国では、年金もない代わりに、本を読み、適 当に執筆しながら、自由で気楽な生活ができてたんだ。それなのに、カイザーが攻め てくると知って、私はしぶしぶ戦場へ行くというのに、帰って来たら、さらに嫌いな 政務が待っているなんて、冗談じゃない。私が政治家などになりたくないのは、君が 一番よく知っているだろうに。」 「ヤン、覚悟を決めろ。民主政治の基本は、市民の選んだ人間達による統治なんだ。 お前さんは、選ばれたんだよ。」  ジェシカの横から、彼の親友たるラップまでもが顔を出す。ヤンは、あきれ返って 言葉も出ない、といった感で、後ろにのけぞった。 「おい、お前には、別の任務があっただろ。何そんな所で油売ってるんだ?」 「いや、これは一石二鳥だ。お前が市民に選ばれた国家元首ということになれば、お のずと反ヤン・ウェンリー勢力も掃討できるってもんだ。言ってみれば、お前の真似 だ。『楽に勝つ』と言うやつだな。」  見事、というか、ペテンというか……ヤンは、もはやぐうの寝も出なかった。 「じゃあ、私は報道陣が詰めかける前に失礼するよ。何か用があったら、いつでも声 をかけてくれ。もっとも、これで私の役目は終わったがね。」  呆然としているヤンを尻目に、レベロは紳士的に手を振ると、裏口から退去していっ た。    その数分後には、彼の官舎の周りには、各種報道陣が詰めかけ、インタビューを迫 る大声が野外から響き、電話機からは、「今後の豊富」だの「方針」だのまで語って くれ、というコールばかりが続いた。  ヤンはというと、すぐさま回線を留守番モードにし、クッションを抱えてソファに 身を沈めたが、それでも鳴り響くコール、屋外からの取材陣の呼びかけは全く衰えを 知らぬ勢いであった。  腕章に薔薇のマークをあしらった一個連帯が到着しなければ、屋外の報道屋達は一 晩中でも居座っていたろう。 「我々は薔薇騎士団である! 閣下は、出戦を控えて大事な身の上だ。こんな夜半に 人の家に押し掛けるというような無粋な真似はやめていただこう! 司令官閣下の寝 不足のために、我が軍が負けてよいのか!」  スピーカーを使っての、名高い「ローゼンリッター」第十三代連隊長、シェーンコッ プの怒声に、報道陣は一目散に飛び散って行った。  ただし、その後も、電話機は止まることなく鳴り続け、留守電に切り替わる、とい う作業を繰り返していた。  ところがそれも、報道陣四散の三分後には、急にぴたりと沈黙に返った。  『おや、急に静かになった』  ヤンが、頭からかぶっていたクッションを放り出した時、もう一度コールが鳴った。 例によって、留守番電話に切り替わる。すると、最近になって聞き慣れた声と見慣れ た顔が、モニターに映った。 「閣下。いらっしゃるのはわかっていますよ? 勝手とは思いましたが、電話局の回 線にアクセスして、閣下の電話番号を書き換えさせていただきました。新しい番号は ○○○-×××です。三重にアクセス制限をかけておきましたので、閣下ご自身がナン バーをお教えにならない限り、情報が漏洩することはないでしょう。」  それは、副官カイルの声と顔であった。ヤンは、慌ててスイッチを押した。 「やあ、助かったよ。あやうく寝られなくなる所だった。」  答えてしまって初めて、ヤンは、自分がパジャマ姿、しかも頭はかきむしったお陰 でぼさぼさなことに気づいて、慌てて髪をなでつけた。  しかし、カイルの方は、そんなヤンのいでたちには興味はないのか、小さく微笑む と、 「いえ、礼には及びません。あ、ただ、私のしたことは、一応法に触れています。私 自身は、痕跡を残すようなヘマはしていませんが、私がやった、とは他言しないでく ださいね。では。くれぐれも、明日寝過ごさないようお願いします。」  そう言うと、ばつが悪そうに笑うヤンに敬礼し、カイルからの電話は切れた。   「閣下。議長就任おめでとうございます。」  ブルームハルトを連れたシェーンコップが、いかにも嬉しそうな顔をしながら、ヤ ンの家に侵入(もっとも、ヤンが招き入れたのではあるが)したのは、さらにその数 分後のことであった。 「君は、生前から私に独裁者になれ、と言っていたものなあ。しかし、私は断固とし て、政治家なんぞになららないぞ。だいたい、なんでこんなことになったんだ? 第 一、非主戦論者のジェシカが、出陣命令を議決するってのか? 大した皮肉だ!」 「まあ、よろしいではありませんか。暫定政権側とて、出撃命令を出さざるを得ませ んさ。今後のことは、ゆっくりと、語り合おうではありませんか。」  あえて「ゆっくりと」に力を入れるシェーンコップに、ヤンはまたも、 「助けてくれ……フレデリカ……ユリアン……」  言ってもらちのあかないことを、ぶつぶつと唱えたのであった。  ヤン艦隊、出撃前夜の出来事である。   続く
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